《渓流斎日乗》存続の危機?

 拙ブログ《渓流斎日乗》は、2005年3月から始めましたから、もう20年近くなります。その間、多くの読者の皆さまに支えられてここまでやって来られたと思います。感謝申し上げます。

 2017年9月から、高校の後輩でIT会社社長の松長哲聖氏のお導きで独立して広告収入まで得ることができました。このまま順風満帆に行くかと思いましたら、その松長氏が一昨年、53歳の若さで他界されてしまいました。技術面で彼におんぶにだっこの状態でしたので、今後存続できるかどうか不安を覚えてしまいました。

 広告収入を得ていますので、確定申告をしています。正直に書きますと、一昨年の広告収入は年間約4万2000円で、松長氏を引き継いだ管理者の方が管理するサーバー代とドメイン代が計年間2万円で、差し引き、約2万2000円の「収入」がありました。

 昨年はお蔭様で、アクセス数が急激に増え、「100万回アクセス」まで突破しましたので、今年の確定申告は大いに期待したのですが、わずか約3000円でした。あれっ?3万円の間違いではないのかな?と問い合わせをしたところ、ブログサイトの広告へのクリック数が減り、広告収入は約2万3000円でした。これに、サーバー代、ドメイン代を差し引くと、手取り3000円になるというわけです。

 このブログを書くために、書籍代やら映画など観劇費やら交通費やら「取材費」が相当かかっています。年収3000円ではとてもやっていけません。

HigashiKurume

 と、思いましたら、今朝、ブログの管理者の方から初めて電話があり、今後、会社組織として再編成する関係で、ブログのサーバー代、ドメイン代を月1万円にしたい、との御提案がありました。年間12万円ではとてもやっていけません。

 そこで、管理者の方からもう一つあった御提案は、「引っ越し」です。自分で新たにサーバーとドメインを契約し、グーグルの広告も新たに契約しなさい、といったものでした。レンタルサーバー代は月1000円、ドメイン代は年間2000円で済む会社もあるようです。

 いやはや、このブログを続けるにはそれしかありません。ただし、私自身は、技術面でズブの素人ですから、自分の力だけで「引っ越し」が出来るかどうかは、全く心もとないのです。

 うまくいかなければ廃業するしかないかなあ、と諦めています。まさに青天の霹靂で、どうなってしまうのか? 《渓流斎日乗》の存続の危機です。

SNSの恐怖と嫌悪感=Facebookやめましたが…

 Facebookはやめたつもりでしたが、メッセンジャーに全く知らない若い女性から、急に「FBの知り合いかもにお名前があったので何か繋がりがあるかと思い、メッセージを送っています。人との交流からインスピレーションを受けて交流の幅を広げたいと思います。友達になれたらいいですね」とのメッセージが送られてきました。

 若くて綺麗な女性ではありますが、私はやはりぞっとしてしまいました。私のFacebookの顔写真が大昔の若い時の写真なので、先方さまは何か勘違いされていたかもしれません(苦笑)。でも、彼女だけではなく、他にも複数の若い美しい女性からメッセージがありました。中にはこれ見よがしに、ビキニ姿の姿態を披露されている方もいらっしゃいました。ここまで来ると、本当は毛むくじゃらの男なのに若い美しい女性を騙った「国際結婚詐欺」かもしれないと疑いたくたります。

 こうなれば、Facebookのアカウントを削除すればいいのですが、そうすると、メッセンジャーが全く使えなくなります。辛うじてメッセンジャーだけで繋がっている学生時代の友人もおりますので、結局、メッセンジャーだけは残せるFacebookの「アカウント停止」にしました。これだと、もう私のFacebookは(更新していませんが)誰も見ることが出来ないと思います。

 この話に関連しますが、先日見たNHKの海外ドキュメンタリー「SNSが作った“世論”#ジョニー・デップ裁判」(フランス、2023年)にはかなり衝撃を受けました。恐怖と嫌悪感でいっぱいになりましたよ。

 内容は、有名なハリウッド俳優ジョニー・デップと元妻で女優のアンバー・ハードとの離婚裁判をを巡る騒動です。最初はデップによる家庭内暴力(DV)が認められたものの、全面的にデップを擁護する男性優位主義者たちが被害者のハードを中傷する動画などを拡散し、世論はハードに対して批判的になっていく経緯を追ったものでした。ユーチューブやティックトックなどSNSによる印象操作が世論を変える恐ろしさを伝えていました。

 特に驚愕したのは、デップの辣腕弁護士が、デップとハードとの私的会話録音を、男性優位主義のユーチューバーに渡し、それをユーチューバーたちは使って、ねじ曲げた「編集」でハードが悪意を持ってデップを攻撃しているようにみえかねない録音に改竄して流していたことでした。また、ハードが法廷で証言した際、泣いたりすると、それを茶化して、ティックトックで物真似したりする輩が出現し、まさにハードさんの社会的信用を貶める誹謗中傷を行っていました。

 ユーチューブもティックトックも視聴回数か何かで「収益」が得られるシステムになっていますから、とにかくアクセスしてもらえれば、内容は嘘でも何でもいいのです。日本でもユーチューバーだったガーシーこと東谷義和被告が暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)などで裁判になったりしておりますが、欧米ですと、ガーシーとは比べものがならないくらい過激で虚偽に満ちています。そして唖然とするほどその量の多さです。

 SNSの閲覧数が収益につながるビジネスモデルとなっているのなら、その過激度は際限ないことでしょう。視聴者=世論も真実よりも陰謀論に飛びつく傾向があります。私は、改めて、SNSに恐怖と嫌悪を感じました。

そんなに有名になりたい?=無名という名の恍惚我にあり

 個人的な身辺雑記が続いております。

 私の旧い友人のA君は、幼少から習っていたピアノの腕前を発揮して自分で作曲もし、仲間と一緒に音楽会を毎月、都内で開催しています(クラッシックをベースにしたピアノ曲)。多い時は月に3~4回です。その度に、「参加してほしい」と連絡が来るのですが、こう見えても私は、週末は、老親介護やセミナー参加や展覧会や映画やマンション理事会やら色々とありまして、まず行けません。その度に、何度も何度もお断りするので、先方も「その気はないな」とそろそろ諦めてくれるかなと期待していました。それでも、彼はしつこく連絡してきます。

 こりゃあ、いつか、はっきり、断った方がいいかもしれないな。ーと思いつつ、その断りの文面がなかなか思い浮かびません。機微に触れる問題なので、相手を傷つけたくないし、最初から喧嘩別れするなら話が早いのですが、別に彼とは絶交したいわけではなく、たまに会って一緒に酒でも飲みたい相手でもあるからです。

Higashi-Kurume

 実は、私自身も中学生からギターを始め、高校生ぐらいから自分でデタラメな曲を作り始め、大学では軽音楽クラブに入って、学園祭で自作を演奏したりしていました。何を言いたいのかと言いますと、音楽に関する趣味や好みや拘りが普通の人より強いということです。何しろ、自分で曲を作ってしまうぐらいですからね。

 毎年のように、音楽の好みは変わっていきますが、ロックなら1960年代のビートルズから80年代のポリスまで。今のヒップホップは付いていけません。ジャズは、ビル・エヴァンスとウエス・モンゴメリーに始まり、マイルス、コルトレーン、ヴォーカルならエラ・フィッツジェラルドとシナトラはやはりピカイチ。

 クラシックならモーツァルト。そして、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの「3大B」の正統派。卒論でドビュッシー、他にシューベルト、ショパン、チャイコフスキー、ストラビンスキー、マーラーはかなり聴いた方。

 それ以外なら、ボサノヴァのA・C・ジョビンとシャンソンのゲンズブールはレノン=マッカートニーと並ぶ20世紀の偉大なコンポーザーだと思っていますし、バート・バカラックもフランシス・レイもニーノ・ロータも同時代人として生まれた幸せを感じています。

 自分の好きな音楽の100分の1も此処ではご紹介出来ませんでしたが、まあ、ざっと、好きな曲ばかり聴いて来ましたので、わざわざ時間と電車賃を掛けて、いくら「素晴らしい音楽です」と説得されても、彼の音楽は、以前に何度か生で聴いたことはありますが、自分の好みにピタリと合って万難を排してでも、といった最優先事項にならないのです。申し訳ないのですが。

 そこで、今回は、はっきりと断ることにしました。特に、彼は、私がマスコミ人であることを知っているので、「都庁の記者クラブで会見を開いて音楽会を取り上げてほしいので、手続きの仕方を教えて下さい」と聞きに来たからです。

 都庁の記者クラブは行政が中心ですから、コンサートはまず取り上げません。その辺りを含めて、彼には色々と説明し、嫌われるのを覚悟で最後にこんな文面を付け足しました。

 「貴兄はそんなに有名になりたいのですか?そんなに名声を得たいのですか? そこまでしたいのなら、プロになって大手音楽事務所と契約したら良いと思います。興行面で裏社会とつながっていることが多いですが、かなり売り込んでくれますよ」

 これに対して、彼は、

「目的は、より多くの人にじっくり聴いてもらって、心の財産にしてほしいと思っているだけですよ。ですから、音楽を聴いてもらえる新たな仕組みを作る必要性を感じてます。足下をしっかりさせないといけないので、宗教団体と同じかもしれません」云々の答えでした。

 まあ、あまり話がかみ合っていませんが(笑)、顧客開発は独自でやってくれそうで、私は大いに期待したい。

 それにしても、ヒトはそんなに有名になりたいものですかねえ? 私は長年、取材記者として有名人と会ってきましたが、彼らがうらやましいなんて一度も思ったことがありません。むしろ気の毒になるくらいです。プライバシーもないし、自由に街を歩けないし、公共トイレなんかにも入れないでしょう。

 そんな私でさえ、正直、自分のブログを読んでいただける読者数が増えてほしいとは思いますけど、有名になりたいとか、名声を勝ち取りたいとか思いませんね。分かって頂ける皆さまの心に伝われば、それで十分です。

 ですから、自分が無名であるということの恍惚を感じています。

病院開院ラッシュ=自宅徒歩圏内に3軒も内科医院が林立!

 個人的ながら、ノロウイルスは昨日、やっと小康状態になってくれました。1月3日から7日まで diarrhea が5日間も続きましたから、軽症ではありません。特効薬がない上、1年半前、つまり2022年7月にも同じノロウイルスに罹って苦しめられたというのに、免疫もできないとは、ナンタルチヤです。

 今回、遠出が出来ないので自宅近くの病院といいますか、診療所で少しだけお世話になりました。ここは昨年10月に出来たばかりです。もともと、自宅近くにはバスの停留所名にもなっている診療所がありますが、もう大分昔に院長の先生が早く亡くなり、奥さんも女医さんでしたが、高齢になっておられました。

そしたら、また自宅近くに明日9日に、同じ内科の診療所が開院するというのです。

 駅前通り商店街は、ほとんど閉店してシャッター通りになってしまったというのに、やたらと病院だけ出来るとはドユコト? しかも、自宅から歩いて数分圏内に同じ内科の診療所が林立するとはドユコト? このブログをお読みになったファンの皆さまが殺到されると困るので、地名は明かせませんけど、こりゃあブログに書くしかありませんよね?(思い誤って検索しちゃ駄目よ)

X 診療所

 まず、バスの停留所名にもなっている「X 診療所」です。バスの停留所として「X 診療所前」があるくらいですから、かなり古い診療所です。開院の詳細は分かりませんが、地元の医師会の登録が1971年になっています。

 ここは先述したように、院長先生がもう25年ぐらい前に他界されました。自宅から徒歩で4分と近いので、昔はよく通ったことがありますが、昨今は全く行かなくなりました。

Y 内科・循環器内科

 次は、昨年10月に開院した「Y 内科・循環器内科」です。ここは、何の前触れもなく、いきなり開院したという感じです。ポストの中に「開院内覧会」のチラシが入っていましたが。ここは、「X 診療所前」から最寄り駅に近い次の次のバス停の目の前に造られました。写真のように、ちょっとモダンな瀟洒な建物です。自宅から歩いて6分ぐらいです。確か、以前は個人の自宅を兼ねた税理士事務所があった所だと思います。

 ノロウイルスで少しお世話になったのがこの病院です。

Z 内科

 最後は、「Z 内科」です。ここは、バス停「X 診療所前」から最寄り駅行の次のバス停の近くにありますので、私の自宅から歩いて5分ほどです。

 ここは以前から大きな看板が建てられ、病院と薬局建設の案内があったので、いずれ建つだろうことは知っておりました。ここは以前はお蕎麦屋さんがあった所でしたが、2年前に火事で焼失してしまいました。

 蕎麦屋より病院の方が儲かるということなんでしょうか? そんなこと言ってはいけませんね(苦笑)。 でも、「開院内覧会」があるというので、昨日、ちょっと覗いてみました。そしたら、吃驚です。駅に近い所にある、私もそこでコロナワクチンを打ったことがある「N 内科」のチェーン店だったのです。チェーン店なんて言ったら、またまた怒られますね(苦笑)。胃カメラ、大腸カメラ等も備え、リハビリ設備も整え、この辺りでは一番、機器が充実している感じでした。

 駅前通り商店街では、果物屋さんが消え、肉屋さんが消え、時計屋さんが消え、寿司屋さんも中華料理店もなくなったというのに、病院だけは元気なんですね。個人商店で健在なのは、クリーニング店と理容・美容店ぐらいです。(最寄り駅近くに理容・美容学校があるので、この辺りはやたらと床屋さんと美容院が多いのです。)

 とにかく、いずれにしても、私の自宅から4~6分の徒歩圏内に内科医院が3軒も林立するなんて、異様に感じてしまいました。

「夜ゆっくり眠られる」という幸せ=病気になって考えた

  いやはや参りました。1年半ぶりにまたまたお腹にくる風邪(ノロウイルス)に感染してしまいました。

 感染経路は分かっています。私は、それまで全く元気だったのに、3日(水)夜に急に症状が出て、まず2回、vomitして、夜中はwatery diarrheaが3~4回起きました。食欲がないので、3日夜と4日(木)朝と昼の3食を抜いたら、さすがに vomit も watery diarrhea は止まりましたが、4日の夜に軽くサンドイッチを食べたら途端に再開です。5日(金)も会社を休んで静養し、近くに新しく出来た内科病院にも行きましたが、薬を飲んでも直ぐ改善せず、5日の夜から6日(土)の朝にかけても6~7回、トイレに駆け込む状態が続いています。

 これでは本も読めず、ギターやピアノも弾けず、ブログも書けません。というより、気力がありませんでした。

 今年はお正月の元日早々、能登半島地震が起き、2日には羽田空港で、日航機と支援物質を運ぶ海上保安庁の飛行機が激突する大惨事が起き、不吉な予感がしましたが、当たってしまった感じです。元日の初詣の神社のおみくじでは、「大吉」が出たんですけどねえ。

Higashi-Kurume

 テレビを付ければ、建物が崩壊した地震災害現場や燃え盛る飛行機や、ガザ地区の戦争など心が痛む場面ばかりで、却って落ち込んでしまいました。そこで、新春のお笑い番組を見ようとしますが、こちらも何かお腹の底から笑えず、あまり面白くない。

 「どうしたらいいんだ」と頭を抱えていると、家内制手工業の工場長は「そんな暗い顔をすんのやめて」「ノロに特効薬ないのよ!お金がもったいないから、病院なんか行く必要ないのに何で行くの?そこにあるビオフェルミンでも飲んでればいいのに」「第一、貴方は人を疑り深いから、自己免疫が付かないのよ」「病は気からだから、気合で治さなきゃ駄目でしょ」と毒舌の嵐です。

 他にももっともっと色々ありますが、生活に支障をきたす恐れがありますので、この辺でやめておきます。お正月だというのに殆ど好きなお酒を飲めない、というか飲みたい気にもなりませんでした。

 今回の体験で痛感したことは健康の大切さですが、人間の幸せとは何か、はっきり分かりました。それは、「夜ゆっくり眠られる」ことです。私はお腹の調子が悪く、夜中に何度も何度も目覚めさせられましたから、これにつきます。敢えて、付け加えれば、1日、1日、3度の食事が有難く美味しく食べられることです。グルメを自称する私が食欲をなくしましたからね。そして、その間に家事や仕事が出来ること―これ以上の幸せは他にないことでしょう。他に何を望みますか?こんな単純なことでさえ、出来ない人が世の中にはいっぱいいるのです。

 能登半島地震と航空機事故で亡くなった皆様方にはお悔やみ申し上げ、御冥福をお祈りいたします。また、避難生活を余儀なくされている皆様方は、食料が十分ではなく、お風呂にも入れず、何と言っても「夜ゆっくり眠られる」ことが出来ないことでしょう。人類の幸せから遠ざけられてしまっているわけです。お見舞い申し上げます。

 私もしばらくブログが書けない状態でいましたら、ある読者の方から、「最近ブログを更新されていませんが、何かありましたか?」と心配のメールがありました。

 あ! このブログは「安否確認」情報になっていたんだ!と我ながら感動してしまいました(笑)。ということで、まだ回復していませんが、また元気になったら、本格的に更新再開しますので、皆様宜しくお願い申し上げます。

  

最新映画より小津安二郎など旧い作品の方が観たくなりました

 2024年(令和6年)、新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い賜わります。

 扨て、「一年の計は元旦にあり」とよく言いますけど、あまり、しゃちこばらずに今年はどんな一年にしようか、考えてみました。

 一言でいいますと、アナクロニズム(時代錯誤)と批判されようが、もうあまり流行は追わずに、アナログ人間でもいいから、ゆったりとシンプルに過ごしていこうという心構えです。

 昨年末に観たヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の影響かもしれません。役所広司演じる主人公の平山のように、あそこまで、カセットテープやネガフィルムカメラに戻る気持ちはないのですが、便利さや効率ばかりを追及するデジタル人間にならなくても、アナログ人間的生き方でも許してもらえるのではないか、と思うようになったのです。

 昨年は、スマートフォンのiPhoneⅩから5年ぶりに20万円以上もするiPhone15Proに買い換えました。4Gから5Gにもなったので、データ送受信速度も目を見張るほど速くなるものと期待したら、楽天モバイルのせいか、殆ど変わりません。アプリもそのまま移行したので、内容も変わらず、変わったのは少しだけバッテリーの持ちが良くなったぐらいです。たったそれだけですよ! スマホの進化は、終わったといいますか、頭打ちになったということなのでしょう。

 昨今、AI(人工知能)やロボットばかり注目されていますが、普段の生活にそれほど必要なのか、私は懐疑的です。本当の人間らしさとは何かを考えた時、そして、心の豊かさを求めようとした時、やはり、AIやデジタルより、アナログ的思考ではないかと思っています。

 私には、人生の全てをアルゴリズムで決められてたまるか!といった感情があります。

さいたま新都心

 昨年末の大晦日に、NHKの紅白歌合戦を何十年ぶりか見たところ、出演者のほとんど知りませんし、怒られますが、歌って踊っている若い歌手は、皆同じ顔に見えて区別がつきませんでした。名前だけは知っている乃木坂だったか、欅坂とかいう若い女性グループは、4~5人なのかと思ったら、40~50人もいるではありませんか。あれじゃ、宝塚です(もっとも、昨年事件を起こした宝塚ですから、出演出来なかったことでしょうが)。私と同世代の郷ひろみさんは、流石に高齢となり、高音の伸びがなくなり、ブレイクダンスまで挑戦しようとしましたが、やっと周囲に支えられてポーズを取るのがやっと、です。何か、痛々しいなあ、と思い、テレビを消してしまいました。性加害事件で旧ジャニーズ事務所所属のタレントが44年ぶりに不出場ということでしたが、似たような、と言っては顰蹙を買うかもしれませんが、他に若い男性グループが沢山出演していたので、「ジャニーズ不在」と言われても分かりませんでした。

 何か、「終わった人」の老人のつぶやきを聞かされているようで申し訳ないですねえ(笑)。

 最初にヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の話をしましたが、最新の映画はFXやCGを使った暴力やアクションものが多くなり、年配者にはとても付いていけなくなりました。今は色々と便利になりましたから、私は、今年は最新封切映画より、旧い映画を観なおしたりすると思います。

 この年末年始は、ビデオ録画していた小津安二郎監督の「お早う」(1959年)と「秋刀魚の味」(1962年)を観ました。昨年は没後60年、生誕120年の節目の年で大いに注目された小津安二郎ですが、やはり、いいですね。ヴィム・ヴェンダース監督が影響受けただけあります。

 「お早う」は、東京郊外の新興住宅街を舞台に、テレビを買って、とねだる子どもたちとそれに振り回される家族の日常が描かれた何でもない内容なのですが、何とも滋味深いものがありました。佐田啓二と久我美子主演。公開された1959年は、テレビの普及率は24%、価格は7万円でした。当時のサラリーマンの月給は1万7000円程度でしたから、4カ月以上分と高価でした。騒動になるのは当たり前で、当時最新の話題を盛り込んだホームドラマだったわけです。東京郊外は何処なのかと思ったら、佐田啓二と久我美子が駅のプラットフォームで一緒になる場面があり、その駅は「八丁畷」でした。川崎市にある京浜急行の駅でした。

 「秋刀魚の味」はもう観るのは3回目ぐらいですが、細かい場面は忘れているので何度観てもいい(笑)小津監督の遺作です。笠智衆演じる初老のサラリーマン平山と、岩下志麻演じるその娘路子(みちこ)の縁談話を軸に展開されるこれまたホームドラマです。秋刀魚の味といいながら、秋刀魚が出て来ない不思議な映画で、つまりは秋刀魚の味は初老の平山の感慨のメタファーになっているという説もあるようです。岩下志麻は「極道の妻」のせいで、怖いイメージが強過ぎてしまいましたが、役柄とはいえ、若い時は純朴、おしとやかで、天下一の別嬪さんだったことが分かります。

 とにかく、小津監督が好んで使った女優さんは、他に杉村春子、三宅邦子、原節子、岡田茉莉子ら、大変失礼ながら、今の女優さんにはない品格と内面的美貌がありました。男優も笠智衆、佐田啓二を始め、中村伸郎、東野英治郎、山村聡、加東大介ら重厚で、一度見たら忘れられないアクの強そうな脇役も揃え、脳裏に焼き付いてしまいます。台詞がなくても、背中で演技が出来る名役者ばかりです。(小津組ではなかった高峰秀子や京マチ子、若尾文子らも、今の役者と比べて存在感が全く違います。)

 アナクロながら、最新映画よりも旧作映画の方にどうしても関心が向かってしまうのもそんな理由からでした。

 

精のつく食べ物で健康維持を図ってください=今年も渓流斎ブログの御愛読有難う御座いました

 本日は2023年12月31日の大晦日です。こんな忙しい日なのに、ブログを書いている暇人がおります。これもこれも、この1年、御愛読頂いた皆さまに感謝を込めて書いているのです(笑)。笑ってはいけませんね。真面目にならない、と。

 ということで、本日は少しは皆さまにも為になるような話を開陳したいと存じます。

 誰でも年を取ります。その老化を少しでも遅らせたり、和らげたりしようとすることをアンチエイジングと言いますが、カタカナ語で書かれるように、これは、いわゆる西洋医学です。

 でも、一方で中国の漢方医学もあります。こちらは、アンチエイジングとは言いませんが、それに似たような養生訓があります。中国4000年の伝統がありますから、バカになりません。

 今流行りの西洋医学の最先端は、脳医学かもしれません。脳の働きや仕組みが分かれば全てが分かるといった脳万能主義です。私の造語で言わせてもらえば、「万脳主義」です。

 しかし、中国では、感情は以下の臓器で感じられているという考え方があるというのです。

・肝臓 ➡怒り

・脾臓 ➡妄想

・肺 ➡悲しみ

・心臓 ➡喜び

・腎臓 ➡怖れ、不安、驚き

 毎日、怒ってばかりいたら、肝臓が悪くなるということかもしれませんよ。この中で腎臓に注目したいと思います。肝腎要の「腎」ですからね。

銀座「華味鳥」 薬膳御膳1500円

 よく、健康維持や若返りのために、「精のつく」食べ物を摂ると良い、と昔から言われています。これこそ漢方医学のアンチエイジングです。薬には副作用がある場合があるので、普段の食事から療養するという考え方です。精のつく食べ物とは、よく知られている通り、ウナギや山芋(認知症を防ぐ)、ショウガ、クコの実、ナッツ(クルミは脳に似ているので、脳に良いという俗説もあります)、桑の実、牡蛎などがあります。中国4000年、食べられて、その効果が実際にあり、現代でも否定されていないという事実があります。

 この「精がつく」の「精」とは、もともと中国では「腎精」と言われていたそうです。「腎精を補う」などという言い方もあるようです。それだけ、腎臓に重きを置いているのかもしれません。その腎臓に良いのが「黒の食材」だと言います。具体的には、黒ゴマ(髪の毛の養育にも良い)、黒豆、ひじきなどがあります。お正月のお節料理に黒豆が欠かせないのは、そういうことだったのかあ! ですよね。

 黒の食材を摂れば、怖れや不安に打ち克つことが出来るかもしれません。私は早速、心掛けることにしました。

 以上は、NHKのカルチャーラジオで、漢方薬膳研究家の阪口珠未氏のお話を元に翻案して、「聞き書き」として記述させて頂きました。出典を明記させて頂いたので、渓流斎のいい加減な思い付きの話ではないことを御理解賜れば幸甚です。

 それでは皆さま、良い年をお迎えください。

🎬「Perfect Days」は★★★★★

 今年の仏カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(役所広司)を獲得した名匠ヴィム・ヴェンダース監督作品「Perfect Days」には1本やられました。

 (内容に触れますので、まだ御覧になっていない方は、この先、お読みにならない方が良いかもしれません。)

 何でもない、東京の公共トイレ掃除人の単調な日常を描いただけなのに、妙に泣けてしまいました。主役の役所広司が私と同い年のせいか、今やアナクロニズムとなったカセットテープやガラケーなど、世代的感覚がフィットしてしまったせいかもしれません。

 そこで、最初に悪口を書いておきたい(笑)。役所広司はこの映画で、主役だけでなく、エグゼクティブプロデューサーにまで名を連ねておりました。ですから、この映画は、ヴィム・ヴェンダース監督作品というより、役所広司による、役所広司のための、役所広司の作品と言っても過言ではないでしょう。最後に、役所広司のアップが延々と、5分ぐらい続きます。もうアイドルじゃあるまいし、老人のおっさんの顔を見て喜ぶ観客はそういないでしょう(失礼!)。1分でも長い。私なんか、心の中で「もう勘弁してくれ!」と叫んでしまいました。

 そして、何気ない日常とは言っても、映画ですから、まず、あり得ないことが起きます。役所広司演じる平山が住む汚いアパートに、十数年ぶりに可愛い姪が急に家出して来るとか、最後に、浅草の小料理屋のママ(石川さゆり)の元夫・友山役の三浦友和が、隅田川岸で、やけ酒の缶酎ハイを呑んでいた平山を見つけたりすることです。あまりにも偶然過ぎます。

 ま、そこが映画なんでしょう。

東銀座

 何よりも、こんな日本的な、日本人好みの作品がフランス人を始め、欧州人に受け入れられたことが驚きです。ヴィム・ヴェンダースはドイツ人ですから、幾ら小津安二郎に影響を受けたからと言っても、(主人公の平山は、小津安二郎の「東京物語」で笠智衆が演じた平山周吉から取ったと思われます。)、日本人の心因性をここまで理解しているとは思えません。脚本を共同執筆した日本人の高崎卓馬さんにかなりの面で負ったことでしょう。

 その台詞ですが、極端に少ないところがとても良いのです。映画が始まって、ずっと役所広司が出てきて、早朝から起き出す平山の日常が映し出されますが、最初の10分近くも映像だけで、台詞がないのです。あとで、「平山さんは無口ですからね」という平山の同僚の若いタカシ(柄本時生)の台詞で、平山が殆ど喋らない理由が初めて観客に分かります。

 キューバの古老ミュージシャンにスポットライトを浴びせた私も大好きな映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年)を監督したヴィム・ヴェンダースですから、この映画でも音楽が実に効果的に使われています。役所広司演じる平山は、今はトイレ掃除人ですが、過去に何をしていたのかすら最後まで明かされません。独り住まいのアパートにはテレビもお風呂もなく、あるのは文庫の古本と古いカセットデッキぐらいです。仕事で使う車を運転している間、カセットテープで音楽を聴きますが、ブルーカラーらしい日本の演歌ではなく、何と洋楽なんですよね。アニマニルズの「朝日の当たる家」とか、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」など、私もよく聴いていた1960~70年代のポップスです。夜寝る前は必ず、文庫本を読む。これで、平山はもともとはインテリで、過去に何かあったのではないかと、観客に思わせます。

 物語はフィクションですが、映画ロケで使われた渋谷区の「東京トイレ」は本物です。しかも、安藤忠雄、隈研吾、伊藤豊雄、坂茂、槇文彦といった錚々たる建築家がデザインした「超高級公共トイレ」です。これは、過日、テレビ東京の「新・美の巨人たち」でも取り上げられていました。また、平山行きつけの浅草駅地下の居酒屋などは昭和のレトロが残る商店街の中にあります。あまりにも日本的な下町の場所が国際的に通用するなんて、笑いたくなりました。

 そして、この映画で、ヴィム・ヴェンダースは何を表現したかったのか、考えたくなります。いわば社会の底辺で、東京の片隅につましく住む昭和の生き残りのような老人と、カセットテープの存在さえ知らない平成生まれの若者。どちらが幸福で充実した人生を送っているのか? 雑草のような観葉植物を育て、早朝から仕事場の公共トイレに向かい、お昼はコンビニのサンドイッチを神社のベンチで食べ、そこで、フィルムカメラで木洩れ陽の写真を撮り、仕事が終われば銭湯に行って、その後、一杯引っ掛けて帰るという判で押したような規則正しい毎日を送るアナログ人間の平山の方が、将来に明るい展望が見いだせずに閉塞した状態で悩んで、スマホを片時も放せないデジタル人間の若者たちより、まだまし、というか幸せそうに見えてしまいます。

 何よりも、便利さや効率ばかり優先して、大切な心を忘れてきた日本人へのアンチテーゼのような作品にも見えます。米アカデミー賞を始め、名のある映画祭で賞を取った作品は、タダで観ている審査員のせいか、最近、本当につまらないものが多いのですが、この作品は名作です。年末になって、やっと良い映画が観られました。日本人の一人として、ドイツ人監督に感謝したいと思いました。

【追記】

 今年2023年に観た映画で、私が選んだナンバーワンは、9月に上映された「福田村事件」(森達也監督)です。関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺の史実を題材にした意欲作です。見逃した方は、DVDでもいいですから、是非ご覧になってください。

長期修繕費が足りないと管理会社が逃げてしまう?=マンション受難時代

 関西地方に住む私の友人が、今年、住んでいるマンションの管理組合の理事をやってまして、問題が山積していて、「とてもやってらへん」と愚痴って来ました。

 マンションは、築30年超のオールド小型マンションですが、オートロック式なので、鍵一つで出入り出来て、安心と言えば安心です。でも、30年も経つと住人の半数近くが引っ越して出て行ってしまったというのです。

 バブル崩壊で資産価値は当時の半額どころか、4分の1以下に下がってしまいましたから、当初と比べると「普通」の方が入って来て、もう顔も名前も知らないといいます。

 彼によると、理事という役員をやると、色んな情報が入って来るといいます。オートロックなので安全かと思ったら、二カ所、空き巣に入られた部屋があったとか、後から入居した人が外国籍で、日本語があまり出来ないという理由で、年ごとに回って来る管理組合の理事をやりたがらない、などといったネガティブな情報ばかりですが。

新富町「三好弥」 日替わり定食940円

 でも、問題はそんな生易しいものではありませんでした。どこの全国のマンションも同じ問題を抱え、新聞の記事にもなったりしていますが、集合住宅は、だいたい12年おきに大規模修繕をやらなければならないことが、法的に決まっています。しかし、だんだん、「長期修繕積立金」の預金残高が足りなくなって、幽霊屋敷になってしまうという大問題が発生するケースがあるというのです。

 そうならないためには、全戸から臨時金を徴収するか、各戸の長期修繕費を値上げするかしかありません。しかし、30年も経てば、サラリーマンなら何処も定年退職した年金生活者の世帯が増え、にっちもさっちもいかない状態に陥ってしまうのです。マンションは、たとえ分譲で購入したとしても、毎年、不動産取得税と、毎月、高額の管理費という名の「家賃」を払い続けなければならないのです。

 修繕費に不足が生じないためには、常時、業者を厳選したり、無駄遣いを減らしたりしなければなりません。

 彼が住んでいるマンションは、大手の有名な管理会社らしいですが、「長期修繕積立金」が足りなくなり、儲けが見込まれなくなったら、降りる、つまり、手を引くのではないかという噂まで流れているというのです。

 しかも、この管理会社は、かなり利益優先主義で、昨年、エレベーターの修繕工事を管理組合の理事会に提案した際、1500万円もの高額金を提示したといいます。それでは、あまりにも高額なので、有志が独自で同じメーカーの修繕工事を調査して発注したところ、その半額以下の700万円で済んだというのです。

 管理会社ですから、マージンを取るのが仕事ですが、2倍以上も請求することは「暴利」でしょう。信頼度が下がったので、彼は今度、水道の受水槽をやめて、直接水道管から上水を引く工事の見積もりを、管理会社だけに任せるのではなく、理事の有志でも探してみることにしたといいます。

cabanは「カバン」ではありません。フランス語で『ピーコート」のことです。もう一つ、smoking は英語で「喫煙」なのに、フランス語は「タキシード」なんですよね(笑)。

 ゴミの問題もあります。ある不届き者がゴミを分別せずに、13個ものゴミの袋を放置したので、管理人が「とても処理できまへん」と会社に泣きついて来たといいます。それを管理会社が理事会で図り、5500円支払って、管理人に処理してもらうことにしたというのです。本来ならゴミの処理は、管理人の仕事ではないかと私なんか思ってしまいますが、どうなっているんでしょうかねえ? ちなみに、友人のマンションの管理人は管理会社の正社員だといいます。

 ま、そんなこんなで、マンションなら、気楽な生活が出来るかと思いましたら、そうでもないようです。実は、理事以外のほとんどの住人は無関心で、我関知せずです。彼の悲痛な愚痴を聞いて、可哀そうに思いましたが、それは他人事の話ではないことは、私も十分承知しております。

クラウドファンディングで9億円超=国立科学博物館

 むふふふ、ご覧の写真の通り、国立科学博物館からクラウドファンディングの御礼書と入場券が送られてきました。

 同博物館所蔵の500万点のコレクションの保存・維持等に掛かる経費が不足していて、「このままでは危ない」という記事を読み、僅少ながら、私も寄付したのでした。

 クラウドファンディングは今年8月7日から11月5日まで行われ、「1億円」が目標だったのに、最終的には5万6584人から9億1602万5000円の寄付金が集まったといいます。

 こりゃ凄い。

 私もバリバリの文系人間から理系人間に転向したので、嬉しい限りです(笑)。自宅に届いた封書の送り人は、国立科学博物館の篠田謙一館長の名前になっており、「どっかで聞いたことあるお名前だなあ」と思ったら、思い出しました。昨年12月にこのブログでも何度か取り上げさせて頂いた「人類の起源」(中公新書)の著者でした! あの本はベストセラーになったので、皆さんもご存知だと思います。700万年前にヒトがチンパンジーから枝分かれし、20万年前に現生人類であるホモ・サピエンスが誕生する物語を素人でも分かりやすく書かれていました。未読の方は是非お勧めです。現生人類と旧人のネアンデルタール人が交雑していたという意外な真実まで書かれていました。

 この本がきっかけではありませんが、古人類学と呼ばれる関連書は、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史  人間を生き残らせた出来の悪い足」(文藝春秋)を始め、結構読んできました。その後は、進化論や宇宙論、それに量子論(量子力学、量子化学、量子生物学)、さらに踏み込んで行動遺伝学まで関心が広がってしまい、個人的には、理科人間に転向したつもりになってしまいました。

新富町

 もうぐちゃぐちゃした人間関係が嫌になったからでした。偉人だろうが、傑人だろうが、有名人だろうが、もう人間はいいです。もう、よおく分かりました。十分です。領土的野心で無辜の市民を殺戮することを厭わない人間が地球上に一人でもいる限り、とても人間に共感も興味も持てません。だから、人間を扱う、と言いますか、人間なしでは成り立たない歴史も宗教も経済も心理学も一応一区切りにしたいと思っています。人間とは何か?というより、生物とは何か? 生命とは何か? 宇宙とは何かといった自然科学に目を向けたいと存じます。

 偉そうですねえ(笑)。本日は12月27日。早くも2023年の暮れも押し詰まってきました。この1年を振り返ってみると、このブログで取り上げさせて頂いた本も、文系より、量子論や星座や宇宙論など理系が増えたのではないかと思います。

 しかし、根本は変わりません。フランスの後期印象派の画家ゴーギャンの描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の題名にちなんで、それらを解明することです。これは、以前にも書きましたが、「我々はどこから来たのか」は古人類学で分かってしまいました。ヒトとは、神が創造したのではなく、生物の霊長類で700万年前にチンパンジーから枝分かれした類人猿でした。「我々はどこへ行くのか」も絶望的ながら分かってしまいました。地球が滅亡する前に絶滅し、人間の功績も偉業も名前も無に帰するということが最新の宇宙論が教えてくれます。最後の「 我々は何者か 」も量子生物学で解明できます。タンパク質、アミノ酸で出来ているという前に、炭素、水素、酸素、窒素、リン、硫黄の六つの元素で出来ており、それらはさらに、原子核と陽子と中性子と電子で出来ていることになります。

 でも、それでは、あまりにもつまらないので、人間は霊魂を信じたり、神を創造したり、物語をつくったり、いもしないヒーローに憧れたりするのです。そして、奇跡や偶然が起きたりすると大喜びして、欣喜雀躍するのです。

 ありゃまた身もふたもない話をしてしまいましたが、あくまでも真理は追究していきたいと思っています。宇宙から「そんもんはない」と諭されても、人間として生きる意味や意義を考えていきたいと思っています。皆さんも伴走者として、もう少しお付き合いください。