闇が深い占領期の検閲の史実=山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」

 山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」(新潮新書、2021年2月20日初版)を読了しました。

 実は、2月28日の渓流斎ブログで「占領期の検閲問題=三浦義一論文も削除、木下順二は検閲官だった?-第34回諜報研究会」という記事を書きました。この中で、この諜報研究会を主催するインテリジェンス研究所理事長の山本武利一橋大学・早稲田大学名誉教授が最近上梓された「検閲官」(新潮新書)を未読だったため、オンライン講演会で質問もできなかった、といった趣旨のことを書いたところ、この記事に目を留めて頂いた山本先生御本人から「まだ購入されていなかったら献本致しますよ」と、声を掛けて頂いたのです。

 一瞬、自分自身が、GHQ占領下の日本人検閲官か、総務省の高級官僚になったような気分に陥りましたが、せっかくの御厚意ですからお言葉に甘えてお願いしてしまいました。

梅は咲いたか、桜はまだかいな

 いつもながら、前置きが長くなりましたが、これはかなりの労作です。新書のスタイルですが、中身はかなり濃厚です。著者略歴で公表されている通り、山本氏満80歳の著作ですから、本当に頭が下がります。「GHQの検閲・諜報・宣伝工作」など長年にわたってライフワークとして取り組んできたインテリジェンス(諜報)研究の最新の成果が表れています。

 戦後、GHQによる検閲に関しては、江藤淳による先行研究がありますが、山本氏は江藤説を止揚(アウフヘーベン)している格好です。例えば、江藤説では、日本人検閲官は約1万人だった、としていたのに対して、山本氏は2万人余と訂正。また、長洲一二元神奈川県知事(1919~99年)ら東京裁判の検察側証人の事務所雇員を、江藤が検察官グループに入れてしまった誤りなどを山本氏は指摘しています。

 何しろ、GHQによる検閲を主導したCCD(民間検閲局)が閉鎖された時点(CCDは1949年10月31日廃止)での全国の本部・支部の所在地について、山本氏は長年追求してきましたが、ようやく資料が発見できたのが、アメリカ公文書館で、何と2019年11月のことだった、というのです。つい、最近ではありませんか!!江藤淳が「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文藝春秋、1989年)を発表した当時は、日本人検閲官だった人は誰一人証言する人はなく、メリーランド大学のプランゲ文庫などが全面的に公開されていなかった時代だったかもしれませんが、もしかしたら、今後も新資料が見つかるかもしれません。(本書では日本人検閲官の体験談がかなり採用されています)

ミモザ

 さて、私自身が、GHQによる検閲という史実を初めて知ったのはいつだったのか忘れてしまいましたが、少なくとも若い頃は、新聞雑誌の検閲や仇討映画や演劇の上映、上演禁止といったこと以外は、あまりよく知りませんでした。特に日本人のインテリによって電話が盗聴されたり、庶民の私信が開封されて英訳されたりしていたことなど、これは超機密の極秘事項だったので、多くの国民が知る由もなかった、というのが実情でしょう。

 本書では、その実体について、的確に教授してくれます。まず、敗戦後の日本を支配下占領軍GHQ(General Headquarters、連合国軍最高司令部)内で諜報、検閲を扱う総本部はG-2(参謀第2部)と呼ばれ、そのトップは、マッカーサーの忠臣チャールズ・ウィロビーでした。そのG-2の傘下には民事を扱うCIS(民間諜報部)と軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)が置かれ、このCISに属していたのがCCD(Civil Censorship Detachment、民間検閲局)でした。

 CCDには、郵便、電信、電話の検閲を行う通信部門(Communications)と、新聞、出版、映画、放送等を検閲するPPB(Press, Pictorial &Broadcasting)部門がありました。検閲対象については、例えば、1948年6,9月のリストでは郵便部門が75%と全体の4分の3を占めていました。つまり、GHQは、右翼、左翼の大物も含めて、日本国民の占領軍に対する「庶民感情」を一番知りたかったことになりますね。支配者として、統治の基準を暗中模索で探っていたか、問題人物は刑務所にぶち込むなどしていたのでしょうね。

 日本人検閲官は、かなりの高給で採用されたことを本書で初めて知りましたが、GHQのポケットマネーで給与が支払われたわけではなく、日本政府が賠償金代わりに負担させられていたというのです。まさに、踏んだり蹴ったりですね。

 江藤淳が追及していた当時は分からなかった日本人検閲官については、ほんの一部ながら、本人による手記などで分かってきています。2月27日の諜報研究会のオンライン講座で話題になった進歩派知識人の代表である劇作家の木下順二もその可能性大ですが、後に推理小説の大家となる鮎川哲也(1919~2002)は、「うしろめたい仕事だった」と回想し、ロッキード事件などの追及で「国会の爆弾男」の異名を持った楢崎弥之助(1920~2012、元衆院議員)も、福岡のCCDで検閲に携わった体験談を残しています。

 日本人検閲官は、英語の出来る東大や津田塾大などの若い学生が多かったようですが、興味深かったのは高齢者雇用です。例えば、斎藤玉男という人は、東大医学部を卒業した精神科医で、「智恵子抄」の高村智恵子が入院したゼームス坂病院を開設したり、東京府立松沢病院副院長などを歴任しながら、戦後は職がなく、猛烈な食糧難とインフレに悩まされていたことから、1948年にCCDに採用されます。斎藤は1880年生まれなので、この時、68歳です。他にも高齢者採用の中に、元大学教授や元外交官らエリート層がいましたが、著者の山本氏は「人生50年と言われた当時の60歳代は現在の90歳代に相当するだろう」と書いています。

参謀本部の高級幕僚は売国奴に

 検閲以外で、著者の山本氏が最も糾弾しているのが、有末精三中将や服部卓四郎大佐といった戦時中の参謀本部の高級幕僚だった元軍人で、彼らは専門知識を旧敵国に最高値で売り込み、占領の手助けをしたというのです。山本氏は「売国奴以外の何者でもない」と書いてますが、その通りですね。戦後直後の占領期には、帝銀事件、下山国鉄総裁事件、三鷹事件、松川事件などといった「陰謀事件」が多発し、キャノン機関による工作などGHQの影もちらついています。

 私自身、最近、戦国時代に夢中になって、少しだけ近現代史から遠ざかっていましたが、まだまだ勉強が足りないと実感しました。

戒律は何処へ行った?=築地本願寺カフェ「Tsumugi」で肉食す

 今、何かと話題になっている築地本願寺カフェ「Tsumugi」紬に初めて行き、会社の近くなんでランチして来ました。

 築地本願寺は、御説明するまでもなく、浄土真宗本願寺派(西本願寺)のいわば東京の総本山みたいな寺院です。江戸初期の元和2年(1617年)に浅草で創建されましたが、1657年の「明暦の大火」で焼失してしまいます。その後、幕府から与えられた土地が現在の場所で、当時は海上。そこで埋め立てをして「土地を築き」、本堂を建立したことから「築地」の由来になったことは皆さまも御案内の通りです。なお、大正12年(1923年)の関東大震災で再度本堂を焼失し、昭和9年(1934年)に現在のちょっと変わったというか、初めての方が見れば異様なインド寺院風の本堂になっております。

 400年以上の歴史があるわけですが、実は、オウム真理教事件などもあり、最近、若者らの既成宗教、特に仏教離れが進み、参拝者も激減していたそうです。

 そこで、築地本願寺は、あの開成高校から慶應大を卒業し、銀行員からコンサルタント会社社長も経験して僧侶の資格を得たA氏を2015年から事務方トップの宗務長に起用し、「開かれた寺」を目指すA氏の大幅改革によって、参拝者は2015年からの5年で実に2倍の250万人に増えたといいます。

 A氏は、数多くのテレビや雑誌の取材に応じて「顔見世興行」のように露出されているので、皆さまも御存知のことでしょう。

築地本願寺 カフェ「Tsumugi」紬

 私は「野次馬」ですから、カフェに初めて行ってみました。

 その前に、本堂は、会社から近いので、昼休みを利用して何度も行ってます。でも、キリスト教会のようなパイプオルガンが設置されていて、1台3億円もするとは知りませんでしたね。(テレビの番組で知りました)

 築地本願寺カフェ「Tsumugi」紬は、まさに21世紀のカフェ・レストランでした。加賀の一向一揆や織田信長による石山本願寺攻めの歴史を知っている我々にとっては、実に感慨深いものがあります。

 とにかく、ビックリです。

十三穀御飯と和風ビーフステーキ 1540円 写真の上部にメニューがあり「オーダーはこちらから 1」と書いてある

 何と!注文するのに、メニュー表紙のバーコードをスマホで読み取って、それから初めて注文することができるのです。スマホを持っていない人はどうしたらいいんでしょうかねえ?

  最近、海外旅行に行っていないので、知りませんが、こんなバーコード注文なんて、紐育や巴里や倫敦でもやっているんでしょうか? IT先進国のフィンランドや、何でも一番になりたがる中国なら既にやってそうですが、もしかして、世界初なのかもしれません。

 でも、すぐ目の前に接客してくれる係の若い綺麗な女性がいるのに、何か味気ない(こらっ!)私はスマホ中毒というか、スマホ廃人ですから、バーコードを読み取り、すんなり「注文」のボタンを押せましたが、それでも、どこか解せない。そこで、美人さんに「どうして、私が注文したことが分かるんですか?」と尋ねたところ、「あ、それは、テーブルごとに番号が付いていて、バーコードで読み取る際に、場所が分かるのです。お客様のメニューには『1』と書かれていますよね?」

 なるほど、よく分かりました。

 会計の際、スマホのアプリで、R社のポイントを加算してくれて、カードも使えました。「凄く、IT化が進んでいるんですね」と帰り際に言ったところ、美人さんは「2月の頭から始めたんです」とニッコリ微笑んでくれました。(マスクではっきり見えませんでしたが)

◇「般若湯」「桜」「牡丹」なら食べ放題、飲み放題

 ところで、私は「和風ビーフステーキ」を注文したのですが、仏教寺院が経営するカフェだというのに、肉も魚も食べ放題、日本酒もビールもワインもウイスキーも飲み放題でした(ただし、総務省の高級官僚を見習わずに、御自分でお支払いくださいね)。

 細かく言えば、殺生を禁じる仏教の戒律に違反しますよね?あ、僧侶御自身だけが守っていればいいのかしれませんが、色んな宗派の中でも、浄土真宗は特に寛大な気がします。僧侶でも肉食妻帯は許されているようで、何と言っても件の宗務長をはじめ、僧侶でも剃髪せず、長髪を伸ばしている方を多く見受けられます。日本の仏教の宗派の信者の中で、浄土真宗が一番多いのは、このように、戒律に対して寛大なせいなのかもしれません。

 隠語として、お酒のことを「般若湯」と言ったり、馬肉を「桜」、鹿肉を「紅葉」、猪を「牡丹」もしくは「山鯨」などと言ったりしております(花札の影響か?)。歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」や落語なんかにも出てきますよね。ということは、お坊さんたちも、昔から隠れて、いや正々堂々と戒律を破っていたということになりますか。親鸞聖人が見たら吃驚するかもしれませんが。

杉田敏先生のラジオ講座「実践ビジネス英語」が今月で終わってしまうとは!=33年で幕

「満鉄長春駅」(1924年頃) ノエビア銀座ギャラリー

 いやはやショックでした。

 もう何十年も聴き続けて来たラジオ講座「実践ビジネス英語」が今月3月いっぱいで終わってしまうというのです。昨日の3月第1回の放送を聴く前にテキストを読んでいたら、その事実を初めて知りました。遅いですねえ(苦笑)。

 このラジオ講座は1987年4月に「やさしいビジネス英語」としてスタートしましたから、33年でのフィナーレです。紅顔の美少年だった私も、今や単なる醜い老人です。

 私自身、いつ頃から聴き始めたのか覚えていませんし、途中でズル休みをしたこともあったと思いますが(苦笑)、30年ぐらいは聴き続けてきたと思います。勿論、講師は一貫して杉田敏先生です(NHKの講座の講師として、33年はやはり最長記録だそうです)。1944年生まれということで、今年喜寿を迎えるということで、そろそろ潮時と思われたのかもしれません。今のパートナーは、読売新聞系の「ザ・ジャパン・ニューズ」紙記者のヘザー・ハワードさんですが、その前のクリス・マツシタさんの頃から聴いていました。

 杉田敏先生は青学大卒業後、英字紙「朝日イブニングニュース」の記者になりますが、渡米し、オハイオ州立大学で修士号を取得し、現地の「シンシナティ・ポスト」紙の経済記者に。この後、ジャーナリストから米大手PRコンサルティング会社に転身し、複数の企業の重役を歴任し、帰国後はPR会社「プラップジャパン」社長などを務めた人だということは皆さまご案内の通り。ですから、取り上げられるテーマは、学者の研究というより、ジャーナリスティックで、現場主義で、自分の転職や企業合併の経験なども多く取り込まれていました。

 テーマは、ビジネスだけでなく、‘Climate Change’(気候変動)とか、Wellness Tourism’(ウエルネス・ツアー=健康増進のためのツアー)とか、’Parenting and Grandparenting’(親であること、祖父母であること=初めて祖父や祖母になる人たちを対象にした「祖父母教室」)とか、親の介護とかホームレス問題など、普通の生活者の視点から多岐にわたっていました。私も「エコツーリズム」などこのテキストで初めて知ったことが数多くあり、本当に勉強になりました。

 当初の「やさしいビジネス英語」というのは看板だけで、単語もイディオムもさっぱり分からず、一つのビニュエットの中で10個かそれ以上も分からない単語やフレーズが出てきました。30年も聴き続けるとさすがに、その数は、数個に減りましたが、まずゼロになることはありません。

 でも、昔聴いていた英語の音楽や観ていた洋画のタイトルなどの「本当の意味」が初めて分かったりして、大いに収穫がありました。

銀座「天ぷら 阿部」限定かき揚げ丼 1000円

 杉田先生は、毎日、「ウオールストリート・ジャーナル」「ニューヨークタイムズ」「USAトゥデイ」「ガーディアン」には必ず目を通し、CNNやBBCなどもチェックして、タイムリーなテーマを「創作」している、と打ち明けています。

 私自身は、これでも、英語は得意のつもりで、外国語専門の大学を卒業し、通訳案内士の国家試験も通っているのですが、それでも、正直、本当に難しい。よくぞ、こんな小難しい表現ができるものだ、と感心するばかりです。

 ただ、安心できたのは、米国人である私の義理の息子に、テキストに出てきた難しい単語やフレーズを使うと、「え?何それ?聞いたことない」「知らない。ブリティシュかな?」と戸惑って、「チェック」と言いながらスマホで調べ、後で「ホントだ。知らなかった」というのが常なのです(笑)。(ちなみに、米国人の義理の息子の名誉のために付加すると、彼は一応インテリです。杉田先生の表現が難し過ぎて、ネイティブでさえも聞き慣れないほど難しくハイレベルだということです)

 ですから、杉田敏先生には、これまで一度もお目にかかったことはありませんが、尊敬というより尊崇の念を抱いています。15年以上昔、北海道の帯広市に赴任していた頃、そこの結構大きな英語塾の創立者兼校長先生が、杉田先生と知り合いで、「いつか講師としてお呼びします」と聞いて、講演会を楽しみにしていたのですが、実現したのは、私が東京勤務に戻った後だと知り、地団駄を踏んだものです。

 これでは「杉田ロス」になること間違いなしだと思っていたら、商魂たくましい(笑)NHK出版が季刊ムック「杉田敏の現代ビジネス英語」を今年4回(3、6、9、12月)発行することを知りました。音声をダウンロードして、そのテキストで勉強できるようです。

 年4回分を一括して申し込むと、「送料無料」で確実に手に入るので、早速ネットで購読を申し込みました。「杉田ロス」にはなりたくありませんからね(笑)。

思想に右でも左でもない、ことはあり得ない?=ブログ書きは「孤独な作業」です

銀座「三亀」 名前の由来は親亀、子亀、孫亀の三亀だったのかあ!

 毎日のようにブログを書き続けていくことは、実は孤独な作業です。しかも、世間には無数の敵、いや無尽蔵の反対意見者が溢れていますから、冷や冷やしながら書いているわけです。

 特に、敏腕弁護士さんから「ちょっと裁判所に来い」なんて指図されたらたまったもんじゃありませんから、例えば、「著作権や肖像権の侵害をしないように」とか薄氷を踏む思いをしながら書いております。

 一昨日、「通訳団体で内紛勃発=世間は関心なく週刊誌ネタにもならず」という記事を書きました。裁判沙汰に巻き込まれたくないので、固有名詞は一切書かず、極めて曖昧に書きました。ですから、この記事を読んで分かる人は分かりますが、分からない人は何を書いているのかさっぱり分からなかったことでしょう。しかも、自分たちには何の関係もなく、聞いたこともない知った人もいない見知らぬ団体なので、「どうでも良い」と思われた方が大半だったと思います。

 でも、何の宣伝もしていないのに、検索で引っ掛かったのか、読んでくださる奇特な方もいらして、しかも、昨晩はコメントまで頂きました。実に有難いことです(コメント内容については、「RECENT COMMENTS」欄をご参照ください)。「孤独な作業」から解放されたような気分です(笑)。

銀座「三亀」ランチ一品料理 焼き魚いわし定食 この後、フルーツのデザート付 1450円

 そう言えば、このブログの2月28日に「占領期の検閲問題=三浦義一論文も削除、木下順二は検閲官だった?-第34回諜報研究会」という記事を書き、この中で、「私は右翼でも左翼でもありません」と書いたところ、いつも熱心にチャチャを入れてくださる釈正道老師から以下のメールが届きました。

 思想に、右でも左でも無い、なんてあり得ませんよ。メディアが公正と自称するのと同じです。診断するに、渓流斎老師は、左右に振り幅が有りますね。テーマによって、右だったり、左だったり。まぁ、R社に契約変更するなど、私的な行動はラジカルです。

 ひょっえー、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになりました。よく見ていますねえ。全くその通り。私は節操がないのです(笑)。この釈正道老師は「文章が長いので、グルメの写真しか見てませんよお」と公言されている方でした。なあんだ、ちゃんと、文章を読んでいるじゃありませんか!(笑)

 しかしながら、釈正道老師は、今回はグルメ写真しか御覧になっていないと思われるので、もう少し、上のグルメ写真の説明を致します。

◇銀座「三亀」と渡辺淳一

 銀座「三亀」は、作家渡辺淳一がこよなく愛した高級和食料理屋で、代表作「失楽園」の舞台にもなって作品の中にも登場します。

 高級店ですから、私はランチしか行けませんが、大富豪の釈正道老師なら夜でも軽く行けることでしょう。

 料理人さんの中には気難しい方もいらっしゃいますが、ここの御主人は、そして女将さんもとても愛想が良く、腰が軽いので、懐に余裕があれば、何度でも行きたくなるお店でした。良い食材を使って手間暇かけて作っていると評判です。特に、「肉じゃが」が絶品らしく、通の人は、別に注文していました。

オンライン講演会の違和感は脳のせいだった

「銀座瓢嘻」ビーフシチュー定食

 昨日も書いてしまいましたが、ブログなんかにあまり個人的なことを書かない方がいいかもしれませんね。相手は悪徳、じゃなかった敏腕弁護士を使ってあら探しをして、「名誉棄損」だの「誹謗中傷」だのと告訴しかねませんからね。

 その点、「どこそこのお店の肉じゃがが美味かった」とか能天気なことを書いていた方が、誰も傷つかないし、損害補償なんて話にならないはずですから。

お邪魔します

 さて、先日、Zoomなどのオンライン講演会には、違和感といいますか、後ろめたい感じがすると個人的な感想を書きましたが、その理由について、「脳トレ」の監修者として知られる東北大学教授の川島隆太氏が昨日(3月1日付朝刊)の毎日新聞のインタビュー記事で明確に答えてくれています。

 まず、ビデオを視聴するだけの受動的なオンライン学習の場合、脳を調べると、脳の司令塔と言われる「前頭前野」があまり働いていないといいます。

 なるほど、そうでしたか。

 オンライン授業に関しても、脳は、ウェブでのやり取りをコミュニケーションとして捉えていないのだといいます。つまり、オンラインでは、対面のコミュニケーションで起きる反応が脳には見られないというのです。しかも、オンライン授業では、映像と音声がずれるので、脳が「下手な紙芝居」のように認識してしまうのではないか、と川島教授は分析しています。

 一方、効果的な勉強法について、川島氏は、脳は「面倒で厄介な方法」の方がよく働くので、具体的には、教科書や参考書を読み、ノートに書くというやり方が一番良いというです。まさに昔からの古いアナログ的手法ですね。

 なるほど、なるほど。私がオンライン講演会についていけないのは、自分が単なる古いアナログ世代のせいだとばかり思っていたのですが、人間の脳の仕組み自体で違和感を覚えてしまうんですね。それなら、若い学生さんも誰でも違和感を覚えているということになります。

 川島教授には「スマホは学力を破壊する」などという著作もあります。未読ですが、相槌を打ちたくなります。

 色んな新聞を読むと、タイムリーな疑問に答えてくれるので、本当に助かります。私は新聞業界の回し者ですから(笑)、ネットの噂情報より、新聞記事を信用しています。

 皆さんも新聞を読みましょう!(結論はそれかいな!?)

 

通訳団体で内紛勃発=世間は関心なく週刊誌ネタにもならず

pleine lune Copyright par Duc de Matsuoqua

またまた、個人的な話ながら、私が所属している通訳団体で、内紛が勃発しています。

 1カ月以上前に、会員向けの一斉メールに、ある理事から急に、会長ら一部幹部理事による不正告発と本人の理事辞任の表明があり、それ以来、ほぼ毎日のように、「主流派」と「反主流派」からの激烈なメールの応酬があり、正直、どちらを信用していいのか、真実が分からず、うんざりするほどです。

 主流派は「何ら不正をやっているわけがなく、会員メールで根も葉もないことを書くのは不適切だ。第一、理事は、日当2000円と実費交通費しかもらっていない」と主張していますが、反主流派は、観光庁や協賛企業から現役通訳の講師派遣(1回3万円)などの依頼があった際、会員に告知せず、仲間内だけで密室で談合して決めてしまうというのです。他に、外部から通訳の依頼があった時、会員には公募告知するものの、誰にするか「早い者順」というのは建前で、やはり、仲間内で配分しているという疑惑があったり、かつての事務局長を務めた人がセクハラ事件を起こして告訴され、その裁判費用を団体が秘密裏に肩代わりしたりしているというのです。

 もし、反主流派の主張することが事実なら、一部幹部による組織の私物化となり、いかがなものかです。

 コロナ禍で外国人観光客がいなくなり、通訳の仕事がなくなったことも、この内紛の背景にあるようです。ですから、私は一種の「権力闘争」だと見ています。

pleine lune Copyright par Duc de Matsuoqua

 私が所属する通訳団体は、1940年創立と日本で一番古い団体ですが、一部幹部による便宜供与独占は今に始まったわけではなく、問題が発覚すると、その度に、反主流派が分離独立して新しい団体を結成している、といった話を漏れ聞いたことがあります。要するにお金の問題です。組織になると、裏社会も含めて、どんな組織でも、一部の上層幹部だけが甘い汁を吸う構造は変わらない、ということなんでしょう。

 悔しかったら、幹部になってみろ!ですかね?

 今回もトップの方が、過去1年で事務局長2人、外部監事1人、従業員2人を罷免したという未確認情報もあり、お隣の金さんか、プーチンさんのような独裁政権を断行している、というのが反旗を翻した人たちの主張です。本人の自己都合で辞めたのかどうか、確認できないので真相は不明ですが…。

 こんなことを書いても、実体は「コップの中の嵐」であって、世間の人には何の関係なく、全く預かり知らぬことでしょう。

 何故なら、某週刊誌の友人に、この話を聞いてもらったら、「それは、関係者以外誰も知らない団体だし、不正の金額も週刊誌ネタにしては低すぎる…。一番のネックは、有名人が一人もいないこと。記事にするには難しいなあ」とのこと。

 あまりにも分かりやすく、理路整然としていたので、スッキリするぐらい納得してしまいました。

 

占領期の検閲問題=三浦義一論文も削除、木下順二は検閲官だった?-第34回諜報研究会

Pleine lune, le samedi 27 fevrier Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨日27日(土)は第34回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早大20世紀メディア研共催)にオンラインで参加しました。ZOOM参加は二度目ですが、どうも苦手ですね。どこか後ろめたい気持ちになり(笑)、こちらの機器と体調の関係で聞き逃したり、聞き取りにくかったりして、どうもいかんばい。あまりご参考にならないかもしれませんが、印象に残ったことを少しだけ翻案して書き留めておきます。

 報告者はお二人で、最初は短歌雑誌「まひる野」運営・編集委員の中根誠氏で、演題は「GHQの短歌雑誌検閲」。同氏には「プレス・コードの影ーGHQの短歌雑誌検閲の実態」(2020年、短歌研究者)という著作があり、今回の諜報研究会司会者の加藤哲郎一橋大名誉教授も「占領下の検閲で、短歌のジャンルでの研究は恐らく初めて」と発言されておりましたが、私も全く知らないことばかりでした。

◇右翼から左翼まで幅広く

 この中で、GHQは、短歌雑誌を(1)right (右翼)(2)left(左翼)(3)center(中道)(4)conservative(保守的)(5)liberal(自由主義的)(6)radical(急進的)ーの6種類に分類して検閲したことを知りました。

 例えば、(1)の右翼に当たる短歌雑誌「不二」の場合、国粋主義的、天皇の神格化・擁護、神道主義的、軍国主義的などの理由で、何首も雑誌掲載が削除されています。この雑誌の昭和22年4月号に掲載される予定だった右翼界の大立者で、後に「室町将軍」と畏怖されたあの三浦義一氏の「璞草堂残筆」という論文もdelete ではなく、suppressedという強い表現で全面削除されている資料写真を見たときは、感慨深いものがありました。

(2)の左翼的雑誌として代表される「人民短歌」の場合、共産主義の宣伝、連合国軍司令部批判、検閲への言及などで何首も削除されています。

 この他、「フラタナイゼーション」といって、米兵が占領国民と交わる場面を詠んだ短歌も削除の対象になっています。(前島弘「町角に進駐兵と語る女の顔の堪へがたき卑屈さ」=「日本短歌」)

 私は右翼でも左翼でもありませんが、こうして見ると、占領軍の容赦ない一方的な傲慢さが垣間見えると同時に、GHQは占領を「正当化」するのに必死で、民衆の反乱を抑えるのに苦心惨憺だったということが惻隠されます。(極めてマイルドに表現しました)

2・26事件で襲撃された東京朝日新聞社の85年経った跡地に建つ有楽町マリオン=2021年2月26日

 続く報告者は、インテリジェンス研究所理事長の山本武利氏で、演題は「秘密機関CCDの正体研究ー日本人検閲官はどう利用されたか」でした。山本氏は最近、「検閲官ー発見されたGHQ名簿」(新潮新書)を上梓されたばかりで、この本に沿って講演されておりましたが、小生はまだ未読だったため、残念ながら質問すらできませんでした。ということで、この後は、自分の疑問も含めた中途半端な書き方になってしまうことを御了承くだされ。

◇木下順二は検閲官だのか?

 まず、CCDというのはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内に設立された秘密機関「民間検閲局」のことで、2万人余の日本人を使ってメディアや郵便、通信などの検閲を行っていたところです(第4区と呼ばれた朝鮮半島南部では朝鮮出身者を採用)。山本氏は「検閲で動員されるのは英語リテラシーのある知的エリートで、彼らは戦争直後の食糧難と生活苦から逃れるためにCCDに検閲官として雇用され、旧敵国のために自国民の秘密を暴く役割を演じた」と断罪されておりました。当時の検閲者名簿リストを入手し、この中に、Kinoshita Junji(1946年11月~49年9月、試験で90点の高成績) という名前があり、「夕鶴」で知られる著名な劇作家木下順二ではないか、と、先程の著書「検閲官」の中でも問題提起されており、今回もその衝撃的な発言をされておりました。

 木下順二本人は、著作の中ではGHQとの関係について、一切書いていないので、別人説もあり、山本氏も「百パーセント確実な証拠はない」としながらも、木下順二と関係が深かった出版社の未来社の関係者や木下順二の養女らから山本氏が直接聞いた証言(中野好夫の紹介でCCDで働いていた)などから、「本人ではないか」と結論付けておりました。

 講演の後の質疑応答で、「木下順二の世界」などの著作がある演劇研究家の井上理恵氏から「木下は熊本のかなり古い惣庄屋の出で、裕福だったので、生活苦などで協力するのは考えられない。当時は『オセロ』の翻訳が終わり、自分の作品を書いている時期で、生活が大変だったとは思えないし、関係者の証言もどこまで信用できるかどうか…。これから私自身も調べていきます」などと発言されていました。

Mont Fuji Copyright par Duc de Matsuoqua

 このほか、CCDは、「ウオッチ・リスト」といって右翼、左翼かかわらず「要注意人物」のブラックリストを作って、彼らの郵便物や通信を監視していたようですが、私自身が興味を持ったのはメディア検閲でした。全国に検閲場所があったようですが、大阪では朝日新聞大阪本社がその会場だったとは驚きでした。朝日新聞社自体はその事実に関してはいまだ非公表を貫いているようですが、朝日の社員も検閲に協力していたということなんでしょうか?

 東京での新聞雑誌などメディア検閲の場所は、日比谷の市政会館だったようです。ここは、戦中の国策通信社である同盟通信が入居していた所で、戦後すぐに同盟が解散して、占領期は共同通信社と時事通信社が同居していた時期に当たります。ということは、英語ができる共同と時事の社員もGHQの検閲に協力していた可能性があります。これらは、後で、質問すればよかったかな、と思ったことでした。

【追記】

早速、山本武利理事長からメールが送られて来まして、朝日新聞も共同、時事両通信社も場所を提供しただけで、社員による検閲はなかったのではないか、という御見解でした。

 東京の市政会館には全国紙だけでなく、全ての地方新聞が集まって来ますし、大阪の朝日新聞にも相当数の新聞雑誌が集まってくるので、GHQの CCDにとっては、メディアを検閲するのに大変都合が良かったので、もしかしたら半ば強制的に選んだのかもしれません。

とはいえ、新聞社、通信社側も同じビル内なので、何らかのメリットが色々あったのではないか、というのが山本理事長の推測でした。

 

今では有名人になった山田真貴子内閣広報官=東北新社の思い出

 昨日まで全く無名だったのに、今朝起きたら、世間の誰もが知る存在になることが多々あります。

 今なら、さしずめ、山田真貴子さん(60)ということになるかもしれません。

 例の菅義偉首相の長男が勤務する放送関連会社「東北新社」から接待された総務省幹部が国家公務員倫理規程違反として処分された中、一際目立っていたのが、この山田真貴子・内閣広報官(元総務省総務審議官)です。

 他の総務省幹部の接待費が一人1回1万~2万円程度だったというのに、山田真貴子氏だけは、1回で7万4203円と突出していたからです。

 早速、昨日の日刊ゲンダイが、「一体、何を食ったんだ?」と庶民感覚を代表して取材してくれました。

 タイトルは「山田真貴子氏は“ジジ殺し” 内閣広報官の評判と夜の流儀」とほんの少しだけ品位に欠けていますが、内容は充実しています。

 一応、リンクを貼っておきますが、そのうちリンクの記事は削除されて読めなくなってしまうことでしょうから、この記事を少し引用させて頂きます。

 山田氏は早大法学部卒。1984年に郵政省(現総務省)に入省し、第2次安倍政権が発足してまもない2013年、女性として初めて首相秘書官に起用された(これが、写真入りで育鵬社の公民教科書に掲載され、市民団体が問題視しています=以上、渓流斎)。その後、放送行政を所管する情報流通行政局長などを歴任。19年7月から1年間、次官に次ぐ総務審議官を務めた。省内ナンバー2のときに高額接待を受けたことになる。

 これだけ略歴を書かれれば、東京大学卒が多数を占め、出世競争が極めて高い「男社会」の霞ケ関の中で、「私大卒」「女性」という二重のハンデを背負いながら「ナンバー2」まで出世した彼女の血と汗と涙の努力がいかばかりかと想像されます。

 でも、ヒラの国会議員時代から総務省利権に食い込んでいたと言われる菅首相に対する「ジジ殺し」ぶりで、権力の階段をよじ登ったようなフシも見られるようです。

 (引用)山田氏の名前が知られたのは昨年10月、NHKに抗議したとされる一件だ。菅首相がNHK「ニュースウオッチ9」に生出演し、日本学術会議任命問題についてキャスターから鋭い質問を受けた。放送の翌日、山田氏は同局の政治部長に「総理、怒ってますよ」「あんなに突っ込むなんて、事前の打ち合わせと違う。どうかと思いますよ」と猛抗議したと報じられた。

 なるほど、番組見てませんでしたが、このキャスターって、来月3月いっぱいで降板させられることになった有馬嘉男キャスター(55)のことなんでしょうかね?そして、菅首相が2月24日の記者会見で、山田真貴子氏について「深く反省している。女性の(内閣)広報官として期待しているので、そのまま専念してほしい」と続投させることを表明しましたが、これは、あの憎っきNHKキャスターを降板させた山田氏の功績に対する論功行賞だということになりませんかねえ?

 さて、電波行政などに許認可権を持つ総務省は利権の構造の最たるものという評判(?)があります。総務省の意のままに動かざるを得ないNHKは、総務省幹部や総務省に息の掛かった政治家に足を向けて寝られませんからね。

 菅首相は「長男は別人格です」と強調し、東北新社に入社したことなど預かり知らぬと発言されていたようですが、「どうかなあ」です。「将来、官房長官、首相にもなるかもしれない有力議員の息子を入れなければまずい」という忖度が東北新社側に働いたかもしれませんし、東北新社の創業者である植村伴次郎氏(1929~2019)は、菅首相と同郷の秋田県出身ということから「息子をよろしく」なんてこともあったかもしれません。あ、ウラを取らず、推測で書いてはいけませんね(笑)。

◇東北新社は政財官界有力者の橋頭堡か?

 問題になっている菅首相の長男氏は、メディアであまり、顔も名前も出ないのですが、東北新社の子会社である「囲碁・将棋チャンネル」の役員も兼務しているそうですね。有力政財官界の人々は、囲碁、将棋を趣味とする人が多いので、このチャンネルが、有力者を結びつける「政界工作」の橋頭堡になっていると指摘するジャーナリストもいます。

 東北新社は、1961年に植村伴次郎氏が外国映画・ドラマの日本語吹替番組制作会社として創業し、スター・チャンネルなど「総合映像プロダクション」として放送業界では知らぬ人はいない「大企業」です。私も、もう30年も昔ですが、放送記者としてこの会社を取材したことがあります。(東北新社の沿革を見ていたら、私が子ども時代にはまった「サンダーバード」もこの会社が手掛けていたんですね!)

 この会社は、映像業だけでなく、大使館が多く外国人滞在者が多い東京・広尾の一等地にあるスーパー「ナショナル麻布」を経営していることは意外と知られていません。私が放送記者だった頃、「あの植村社長が、スーパーの駐車場なんかで毎朝、掃除しているんだよ。でも、誰も知らないから、周囲の人は単なる掃除のおっさんだと思って邪見にしたり、道を聞いたりしてるんだって」という逸話を聞いたことを今でも忘れません。

【追記】

山田真貴子・内閣広報官はその後、体調不良で入院され、3月1日で辞任されました。

私がブログでこんなことを書いたからかなあ、と反芻しております。反省ではありません(笑)。

住みたくないアメリカ、そして日本も?=米で新型コロナ死50万人超

 米ジョンズ・ホプキンス大学の集計で、2月22日、米国の新型コロナウイルスによる死者数が50万人を超えました。各国別では最多で、世界の死者の2割を占めるといいます。

 バイデン米大統領もホワイトハウスで「(50万人は)第1次世界大戦と第2次世界大戦とベトナム戦争での戦死者を合わせた数より多い」と追悼の演説をしました。

 日本は、太平洋戦争だけで300万人以上の犠牲者を出していると記憶しているので、無学な私なんかは「え?」と思ってしまいました。

 人間自然科学研究所の調べでは、米国の戦争犠牲者は、第1次世界大戦は11万7000人、第2次世界大戦は29万人、朝鮮戦争で14万人で、他の資料ではベトナム戦争は5万8000人になっています。いずれも、推計なのですが、第1次世界大戦と第2次世界大戦とベトナム戦争での戦死者を合わせ46万5000人になりますね。

 米メディアは、第2次世界大戦での米軍の死者は推計40万5000人、ベトナム戦争は5万8000人、朝鮮戦争は3万6000人で、この三つの戦争の犠牲者を超えたと報じています。

 いずれにせよ、米国の新型コロナは、大戦争を超えてしまったわけですね。パンデミックがいかに恐ろしいか、思い知らされます。

 同時に、日本はいかに無謀な戦争をやったものだと痛感させられます。しかも、無責任な指揮官は生き残り、日本兵士の大半は餓死と戦病死と言われていますから。

新富町「蜂の子」

 話は変わって、アン・ケース 、アンガス・ディートン共著, 松本裕訳「絶望死のアメリカ」。まだ、未読ではありますが、書評などを読むと面白そうです。現代アメリカの病理が抉り取られている感じです。

 著者によると、「絶望死」とは、まさしく社会に絶望して、アルコール依存症や薬物中毒となり、挙句の果てには自殺をしてしまうことをいいます。

 そのカラクリが悲惨過ぎます。

 本書は、大企業が巨額のマネーとロビイストを使って政界工作し、自分たちに都合の良い法案を通す汚いやり方を暴いているのです。標的になっているのが、大学を出ていない中年の白人層。大企業は社会保険が負担になるからといって、彼らをリストラし、代わりに賃金の安い非正規雇用の派遣社員を雇う。いずれにしても、不安定な職で、清掃や倉庫番、警備など、語弊を怖れずに言えば、誇りを持てないような職種に左遷される。彼らは結婚もできず、生きがいもなく、孤独感から、日々の憂さ晴らしに酒やドラッグに走ってしまう。

 この風潮に乗じて、酒造会社と製薬会社は政界工作で、どんなキツイ酒もドラッグも規制緩和させて販売を自由にさせる法案を成立させ、彼らを破滅に導ていく…。

 実に、身につまされる話ではありませんか。

 「対岸の火事」と安心している日本人がいれば、それは大間違い。タイトルを「絶望死の日本」にしてもいいくらいです。

2028年に中国が米国を抜く?=覇権主義も長期スパンで見れば儚いもの

 コロナ禍の影響で、中国の名目国内総生産(GDP)は、当初予測の2030年より早まり、2028年にも米国を追い抜くそうですね。(英シンクタンク「経済ビジネス・リサーチ・センター」CEBR)

 あと7年後ですか…。

 鬼畜米英に負けた日本人は、日米同盟が大好きで「思いやり予算」を年間2000億円も支払っている一方、尖閣諸島問題を抱え、香港やチベット、ウイグル、内モンゴルで人権弾圧を続ける中国を嫌いな人が多い、というのが実情です。

 ですから、7年後に中国がGDPで米国を抜いて世界一になるという予測を聞くと、大抵の日本人は、不愉快になるか、見たくも考えたくもないことでしょう。

 しかも、具体的な数字が公表されていないとはいえ、中国は、ほんの一部の中国共産党幹部かその関係者が富を独占し、民主的ではないという根強い不信感が日本人にはあります。

 しかしながら、その一方で、建前上は人権が認められ、自由と民主主義の国家である米国では、上位1%の富裕層が全体資産の30%を握るという超格差社会なのです。中国とそう変わらないということになります。政治体制やイデオロギーの違いがあるだけで、これでは経済格差はどこでも同じということになってしまいますね。

 そもそも歴史を振り返ると、「四大文明」の発祥地の一つである中国は、もともと世界一の経済大国でした。19世紀に入って欧米、そして日本の植民地主義者の標的になった中国・清帝国の末路のイメージが悪いのですが、実は、最盛期の19世紀初頭の清の推定GDPは世界一で、全世界の3分の1を占めていたといいます。

 話は違いますが、ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロによって「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本も、戦国時代は、全世界の3分の1の銀を産出していたといいますからね。(戦国時代にアメリカはなかった!)

銀座の花壇

 2月20日付日経に出ていた歴史家磯田道史氏の「半歩遅れの読書術」記事の孫引きになりますが、アンガス・マディソン著「世界経済史概観」(岩波書店)によると、西暦1500年頃、日本の1人当たりのGDPは500ドルだったといわれ、当時の中国と朝鮮は600ドル、インドネシアは565ドル、インドは550ドルだったと推計されるといいます。つまり、日本は周辺国より生活水準が低く、はっきり言って貧しかったわけです。

 それが、江戸中期になると、日本は周辺国と並び、江戸後期の1820年頃になると一気に抜き去ったといいます。その理由について、磯田氏は、諸般の事情で人口抑制が働き、労働態勢が税負担が軽い手工業・商業にシフトし、所得水準も一気に上がり、GDPも増えたのではないかと推定しています。

 驚いたことに、この1820年はペリー黒船来航前の話ですが、当時の日本のGDPは米国より大きく、約1・65倍。人口も米国の約3.1倍もあったというのです。(現在、2021年の名目GDP予想は、米国が約22兆ドル、日本は5兆ドルですから、米国は日本の4.4倍です。人口は米国が約3億人、日本が1.2億人ですから、2.5倍です。)

 正直、江戸時代に、米国より日本の国力(GDP)の方が大きかった時代があったとは、本当に驚いてしまいますね。

 ただし、考えてみれば、諸説ありますが、実質的に米国が英国を抜いて世界一の経済大国を確立したのは第一次世界大戦以降からだと言われています。となると、予測が正しければ、米国の世界一は1917年から2028年までのたった100年ちょっとしか続かなかったということになります。

 「覇権主義」とか「経済大国」とか言っても、1000年単位の長期スパンの歴史で見ていくと、本当に儚いものです。