オメガとスウォッチとの共同制作スイス製「ムーンスウオッチ」、赤の「火星」を購入

  むふふふ、ついに買ってしまいました。

 (嗚呼、このブログ、そんなのばっかしですねえ! しかし、Man shall not live by bread alone. 人はパンのみにて生きるにあらず)

  スイスの高級時計「オメガ」と「スウォッチ」がコラボレーションした「ムーンスウオッチ・コレクション」です。太陽から冥王星まで、11種類販売されましたが、かなり格安なので、生産が追い付かないほど世界的にも人気商品となり、何処の販売店でも品薄状態が続いているというのです。

 それが先週6日の朝日新聞の東京夕刊に載ってしまい、「人が殺到して、まあ、手に入らないだろうなあ」と覚悟しつつ、東京・銀座のスウォッチ正規販売店に行ってみたのです。

 昼休みなので、それほど時間がありません。が、係りの人が「予約販売はしておりません。平日は空いております。10分くらいお並びになれば、大丈夫かもしれませんよ」とアドバイスしてくれたので、「まあ、10分ならいいか」ということで並ぶことにしたのです。

 これでも、実は、かなり下調べしておきました。何しろ、ムーンスウオッチは11種類もありますから、何にしたら良いのか迷います。第一候補は、ブラックの「月」でした。しかし、11種類の中で「一番人気」ということで、多分、売り切れている可能性があります。そこで、自分の「守護惑星」を調べてみました。今は簡単に調べられます。

 でも、よく分からないのです。私の生まれた月日の星座は、かに座なのですが、そのかに座の守護惑星は「月」だというのです。それなのに、私の生年月日を入れて検索できる守護惑星のサイトで調べてみたら、私の守護惑星は「火星」だったのです。

 どっちなんじゃい? と言いたくなりました。(生年を入力するので、火星の方が正確のような気がしましたが…)

 「ま、いっか、どっちかあれば買おう」と勇んでショップに向かったわけでした。「月」の方は、オメガ純正の「スピードマスター ムーンウォッチ」を参考にして作られ、黒光りして重厚感があります。オメガなら100万円ぐらいしますが、こちらの「ムーンスウオッチ」の方は、わずか3万円台で買えるのです。それで、私のようなそれほど裕福ではない人間でも、喜び勇んで買えるわけです(笑)。「ムーンスウオッチ・コレクション」が、世界のどこのショップでも売り切れてしまう理由が、これでお分かりになったことでしょう。中には、ネットで転売され、20万円以上の値が付いているムーンスウオッチもあるようです。

 ただし、「火星」ウオッチの方は、赤が主体で、重厚感は全くありません。どちらかと言えば、夜店のバッタ屋で二束三文で売っていそうな代物にも見えます(あくまでも個人的感想です)

 それでも、私の守護惑星は、火星でした。しかも、今年のラッキーカラーは、赤でした。何を躊躇するのだ!

「ムーンスウオッチ・火星」3万6300円

 で、結局どうなったのか、と言いますと、やはり、人気一番の「月」は売り切れ。不人気の?「火星」は残っておりました。思い切って買いましたよ(笑)。ショップで私の前に並んでいた外国人観光客らしき親子連れ(父と娘さん)がフランス語を喋っていたので、「旅行ですか?どちらから来られたのですか?」と聞いてみたら、スイスのジュネーブと答えたので吃驚。なんだあ、家に買って地元で買えるじゃん!と思いました。結局、彼らは、お目当てのものが売り切れだったらしく、何も買わずに帰ってしまいましたが。

 さて、無理して「火星」を買ってしまった私。嵌めてみると、「え?何? 軽い~」が第一声です。プラスチック製なのか、重厚感も高級感もなく、やはり、夜店で買ったまがい物にも見えなくもない。

 何を言う! 控えおろう~

 いや、すんまへん。曲がりなりにも、「OMEGA」なるブランドが刻印された高級腕時計なんて、生まれて初めて見に着けるので、気が動転していたのかもしれません。

 はい、はい。撤回します。この腕時計を装着すると、幸運が舞い込んでくる気がします。何しろ、私の守護惑星である「火星」であり、ラッキーカラーの「赤」じゃありませんか!

 あまりにも軽いので、腕時計を嵌めていることさえ忘れます。「ははあ~、有難き幸せ~」ということにしておきます。

 You can’t take it with you. (あの世にお金は持っていけない。)

「しまね館」で「のどぐろ丼」に挑戦しましたが…

 「郷土ランチ」シリーズ第2弾。昨日(金曜日)は、大手出版社の編集者から、島根県観光協会幹部に華麗なる転身を遂げたH氏のことを思い、東京・日比谷にある「しまね館」に行って来ました。ここの「のどぐろ丼」が、どえりゃあ評判、だっちゅうことで、挑戦してみたかったのです。

 「しまね館」の場所は、日比谷シャンテの地下1階にありました。日比谷シャンテには、昔はよく行ったものですが、久しぶりです。確か、10年前には「しまね館」はなかったと思います。

日比谷シャンテB1「しまね館」

 以前にもこのブログに書きましたが、銀座の隣りの、有楽町駅に近い日比谷は、「東宝村」です。東宝系の劇場や映画館が林立しております。勿論、東宝本社もあります。改めて説明するまでもなく、「東宝」とは、東京宝塚の略でしょうね。あの阪急の小林一三翁がつくった宝塚の東京進出版です。ですから、勿論、日比谷には東京宝塚劇場があります。ここは、敗戦後の米軍占領期にGHQによって接収されて「アニー・パイル劇場」と呼ばれました。アニー・パイル(1900~45年)というのは、沖縄で戦死した「ワシントン・デイリー・ニューズ」紙の従軍記者でした。

 さて、猛暑の中、歩いて日比谷に着いて、何か嫌な予感がしました。日比谷シャンテの真向かいには「東京宝塚劇場」があり、真横には「シアタークリエ」があります。そのせいで、平日の昼間だというのに凄い密状態です。人流が半端じゃありません。(この言葉は、今しか通用しない?)しかも、ほとんどが、有閑マダムか独身貴族(いずれも死語か、ポリティカル・コレクトネスに接触しかねない言葉?)の女性たちです!日比谷シャンテのビルに入っても、中は、女性たちでいっぱいです。どんな女性たちかは、ご想像にお任せします。

 そして、地下1階の「しまね館」に着き、お目当ての「のどぐろ丼」を注文しようとカウンターに座ろうとすると、若い女性が「あそこのレジで、会計してください」と、ぶっきらぼうに言うではありませんか。初めて来たので、そんな「作法」分かるわけありませんよ。会計を済ませて、カウンターに戻ると、9席しかないカウンターは、既に満杯に近い状態。やっと、残りの1席に滑り込むことができました。(後で、何人か並んで待ってました)

日比谷「しまね館」のどぐろ丼(しじみ汁)1300円

 のどぐろというのは、アカムツのことで、今や高級魚だそうです。私もこの年で、生まれて初めて食べました。それに、島根県の名産、郷土料理だとは知りませんでした。確かに、クセがなく、美味でした。

 東銀座の歌舞伎座の裏手に、のどぐろ専門店がありますが、ランチは、安くても「のどぐろ御膳」2500円ですから、ここの「のどぐろ丼」1300円は、リーズナブルな価格かもしれません。

 でも、接客の若い女性が、私の両隣の客には、ちょっと変わった味の「冷茶」のお替りを注いでいるのに、私のところは、少なくなっているのに、いつの間にか無視して行ってしまう。食事が終わって出ようとしても、3人ぐらいの接客女性たちは奥にわざと隠れて、うんともすんとも言わない。とっても、感じが悪い接客だったので、帰りに県の物産も何も見ないでそのまま帰ることにしました。(気分が良ければ、変わった味の冷茶を買っていただろうに)

銀座・カフェ「みゆき館」モンブランとアイスコーヒー1265円

 大人げもなく、少しムッとしたので、会社に戻る途中、カフェ「銀座みゆき館」があったので、そこで、モンブランを食べてしまいました。

 アイスコーヒーと一緒に頼んで、帰りに会計したら、1265円。お昼のランチとデザートで合計2565円の散財ですか!ちょっと、無駄遣いしてしまったかなあ、と少しだけ反省しました(笑)。

プレスリーの娘が100億円なら、ソニーの息子は2000億円?

先日、かのエルビス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーさん(50)が、元資産管理マネジャーらの失策により、父の遺産1億ドル(約110億円)が底をついたと主張しているというニュースを聞いてびっつらこいてしまいました。(彼女は、4度目の夫と離婚係争中という話にも腰を抜かしましたが)

110億円ですよ!一体どうやって、そう簡単に消えてしまうものなのか??? リサさんの主張によると、資産マネジャーらが5億5000万円もの高額な顧問料を取っていた上、株式投資などで失敗したといいますが、逆にマネジャーらは、彼女の桁違いの無駄使いのせいだと逆提訴しております。

とにかく、毎日10万円使っても、300年以上持つはずなんですが…。

浦和「大勝軒」 中華そば 690円

こんなんで驚いていたら、函館の長谷川先生から電話があり、「だから、ああたは甘いんですよ。甘いですねえ。上には上がいるもんですよ」と諭されてしまいました。

長谷川先生が例に挙げたのは、カジノで100億円近くも使い果たした「エリエール」のブランドで知られる大王製紙の井川意高元会長のほか、何と4000億円もの遺産を使い尽くした人がいるというのです。

ソニーの創業者盛田昭夫の長男盛田英夫氏です。私なんか、女優岡崎友紀と結婚(その後離婚)した人ぐらいしか覚えがなかったのですが、あまり経営の才能がなかったらしく、スキー場や自動車レースのF1事業などに手を出しますが、ことごとく失敗したようです。今はネット社会ですから、検索すれば色々出てきます。使い果たしのは4000億円ではなく、2000億円という説が多いですが、まあ、桁違い過ぎて、確かに、あのプレスリーの遺産ですら霞んでしまいます。

勿論、最終的には盛田氏一人の責任かもしれませんが、「うまい儲け話がありますよ」「あなただけに特別にそっと教えますよ」といった詐欺師やたかり屋が有象無象大挙して盛田氏の下に押しかけたようです。大変失礼ながら、生まれたときからお金に困ったことがない、苦労知らずのボンボンを騙すのは楽だったことでしょう。

彼も周りからチヤホヤされて舞い上がってしまったのでしょう。気がついたら、羽を毟り取られた鳥のように、全ての財産を失うどころか、多額の借金を背負ってしまったようです。まるで芥川龍之介の「杜子春」みたいですね。

人間何が幸せなのか、なんて、グリム童話のような教訓話で終わらせたくありませんが、プレスリーの娘にしろ、ソニーの息子にしろ、その行く末を見ると、これまた失礼ながら、何となく、「天の配剤」を感じてしまいます。

友情について

築地「ふじむら」カキフライ定食1080円

個人的な話ながら、2年前に大病してから、どういうわけか古い旧友と疎遠になってしまいました。以前は月に一回は飲みに行ったりしたのですが、こちらから声をかけても何やかんやの理由でやんわりと断られたりします。

自分は何か悪いことでもしたのかなあ、と落ち込みます。

それが、一人や二人ではなく、5人、6人と続くと、これはただ事ではない。やはり、自分に何か落ち度があったと考えるしかないと思うようになりました。

しかし、それでも、どうしても腑に落ちないのです。喧嘩したわけでも、口争いしたわけでもなく、お互い憎み合うようなこともありません。理由がはっきりしていれば、こちらも納得して引き下がりますが、その理由がさっぱり分からないのです。

第一、お互いに性格が分かり合った旧友なんですから、今さら勘違いということもあるまいし、2、3人ならともかく、6人も7人も続くとなると流石にめげてしまいます。

そんなことを、実にこの2年間もウジウジと悩んできました。

Paris

そしたらですね。素晴らしい言葉に巡り合ったのです。もう、何年も聴き続けているNHKラジオの「実践ビジネス英語」です。タイトルは「30歳からの友達づくり」。人は、30歳を過ぎると親しい友人関係はあまり築けない、といった内容です。

あたしにすりゃあ、こうして、30歳前に親しくなった旧友が次々と離れていき、今では30歳過ぎて知り合った友人の方が親しいので、このビニェットには賛同しかねましたが、非常に含蓄のある意味深い言葉を教えてくれたのです。

それは、英国の辞書編集者で作家でもあるSamuel Johnson(サミュエル・ジョンソン、1709〜84)の言葉です。

The most fatal disease of friendship is gradual decay, or dislike hourly increased by causes too slender for complaint, and too numerous for removal.

単語は難しくありませんが、非常に難しい文体で、すぐ意味が取れる日本人は大した実力の持ち主です(笑)。まずは、トライしてみてください。

杉田敏先生の訳はこうなっております。

…友情が患う病気で最も致命的なものは、少しずつ衰えていくことである。つまり、不満を言うほどのことではないが、取り除くには多過ぎる理由によって、嫌悪感が絶えず増大することである。…

なあるほどねえ。ジョンソンは、フランス革命も知らない18世紀の人ですが、英国人らしい皮肉が込もったユーモアに溢れた警句でもあります。

私の旧友たちも、さほど大した理由があるわけでもないと思われます。単なる「付き合うのが面倒臭くなった」か、「あまりにも長く付き合ったので飽きてしまった」といった程度なのかもしれません。

はっきり言えば、「どうでもよくなった」ということでしょう。

何はともあれ、こちらが相手のことを考えている程、向こうはもうこちらのことは何とも思わなくなったということに違いありません。

それなら、もう、迷ったり、悩んだりすることは止めるべきだと悟りました。

ほとんどの人間は他人

伊太利亜フィレンツェ

【コメント】

「ガヤ」の意味が分かる人様

コメント有難う御座いました。誰方様か分かりませんが、何か、素人ではなく、その筋の通(笑)の方と思われます。ケチな野郎ですが、以後お見知りおきのほど、偏に宜しゅうお願い申し上げまする。

さて、今年は、ビートルズの名アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がリリースされて半世紀です。

本国イギリスでは、1967年6月1日に発売されておりますから、ちょうど50年も経ちます。

となると、このアルバムを同時代人として知っている方は、もう還暦を過ぎていることでしょう。

どういうわけか、私は知ってます。やったね、です(笑)。このアルバムは、ポピュラー音楽史の中で、ベスト10、いやベスト3に入る名盤で、これまでの音楽とは一線を画し、後世の音楽に多大な影響を与えました。

とは言っても、今日は音楽の話ではなくて、ピーター・ブレイクがデザインした超有名なこのアルバム・ジャケットのことです。

中央に、架空のサージェント…バンドのメンバーに扮したビートルズの4人が立ち、その周囲に色んな有名人が並んでいます。ボブ・ディラン、マリリン・モンロー、マーロン・ブランドのほか、マルクスやユングらもおります。ほかに、ジョン・レノンが来日の際にお土産として買った福助の人形やソニーの9型ポータブルテレビ…。

伊太利亜フィレンツェ

さて、これらの人たちが、どういった基準で選ばれたのか分かりませんが、4人の、特にジョン・レノンの意見が最も反映されているように思われます。

中に、バーナード・ショーやディラン・トーマス、オスカー・ワイルドといった彼に多大な影響を与えた作家や詩人が選ばれているからです。

それにしても、サージェントが世界に発表された時、ジョン・レノンはまだ26歳ですからね。ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンはともに24歳、リンゴ・スターは26歳です。この若さで歴史に残る大きな仕事を成し遂げたのですから、彼らは天才としか言いようがありません。

伊太利亜フィレンツェ

で、この中で、今日はオスカー・ワイルドを取り上げます。私自身は、このアルバム・ジャケットで初めてオスカー・ワイルドの顔を覚えたぐらいですから(笑)。

最近、どういうわけか、彼の作品は再評価されているようですね。

オスカー・ワイルド(1854~1900)は、ダブリン生まれのアイルランド人です。(当時は英国領。ジョンもポールもアイルランド系なので、惹かれたのかもしれません)オックスフォード大学を首席で卒業するほどの秀才でしたが、鼻につく芸術家気取りで相当変わり者だったようですね。

男色家で、最期はパリで、梅毒による脳髄膜炎で亡くなります。享年46。ペール・ラシェーズ墓地に葬られます。

代表作に「サロメ」「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」などがありますが、何と言っても、彼のアフォリズムが秀逸です。例えばー。

??「男の顔はその人の自伝であり、女の顔はその人の創作である」

??「男は愛する女の最初の男になる事を願い、女は愛する男の最後の女になる事を願う」

なんてのがあります。

日本の古い格言(笑)にある「女の顔は請求書、男の顔は領収書」てところでしょうか?(爆笑)

こんなのもあります。
??「外見で人を判断しない者は愚か者である」

これは名言です。

でも、私の好きな言葉は

??「自分らしくあれ。他の人の席はすでに埋まっているのだから」

です。アイルランド人らしい皮肉で凝り固まっています。この辺りが、ジョン・レノンの好むところだったのでしょう。

最後は、駄目押し。私から言わせれば最高傑作です。

??「ほとんどの人間は他人である。思考は誰かの借り物の意見であり、人生は人の物真似。そして情熱は引用である」

はい、引用させてもらいました!

ややこしい人間とは関わるな

伊太利亜ヴェニス

昨晩は、自ら「渓谷堂」と呼んでいる立派な(笑)自宅書斎に戻ってスマホを見たところ、「075」から始まる電話番号の着信歴がありました。

おやおや、市外局番075と言えば、京都です。もしや、京洛先生からかな?と思いましたが、京洛先生なら住所録に登録してますから、お名前が出るはずです。

誰だろう?と思いつつ、そのままにしていたところ、ちょうど、タイミング良く、本物の京洛先生から電話があり、やはり、違うということが分かりました。

最近、渓流斎も用心深くなりましたので、コールバックはやめました。勧誘かもしれないし、詐欺かもしれないし、余程の用があるなら、また掛かってくるでしょう。
伊太利亜ヴェニス

昨日は、警察庁が、刑法犯罪が14年連続減少し、戦後初めて100万件の大台を割った、と発表して鼻高々のご様子でありやんした。

まあ、誠におめでたい話ではあります。しかも、殺人など重刑犯罪が減ったということは、市民の安全・安寧には心強い限りです。

とはいえ、軽犯罪は減少しているのでしょうかね?新聞を読むと相も変わらず、オレオレ詐欺の事件が載っております。昨日も、埼玉県に住む70代の女性が、4400万円も詐欺に遭ったニュースが出ていました。

大変失礼ながら、よくぞそんな大金をお持ちだことと感心してしまいました。

同時に、いつもよくあるパターンで、息子を装った男からの無心で、お金を渡してしまったということですから、この本物の息子は、嘸かし、普段から電話の一つもかけないんだろうなあ、と想像してしまいました。

普段から、情報を密にしていたら、未然に防ぐことができたのではないだろうか、というのが私のような素人の考えです。

伊太利亜ヴェニス

で、昨晩、私がコールバックしなかったのも、「君子危うきに近寄らず」という格言に従ったまででした。

ネットも、詐欺まがいの変なサイトには近づかない。もう近寄ってくるおねえちゃんは、お金目当てだということはハッキリしているので、近づかない。(笑)

トラブルになるような人間とは関わらない。

そう言えば、京洛先生の口癖は「ややこしい人間とは関わらない。関わるから痛い目に遭うのです。だから、関わらないのが一番です」でした。

確かに名言です。

繻子の言葉

今が見納めの東京・銀座ソニービル

人生は、マッチ箱に似ている

真面目に扱えば、馬鹿らしい

かといって

手抜きに扱えば、大火傷をする

ー 芥山申之助(1835~1870)

Je est un autre. 第3刷

4000メートル超の道路を経て秘境へ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

カムヤマトイハレビコのミコトの正室は、ホトタタライススキヒメのミコト

貴方が、自分自身だと思っている人間は、他者である。

貴方の思想は、他の誰かの借り物の意見であり、貴方の生活は、他者の模倣である。

貴方は、この世で唯一無二のかけがえのない存在だと思っていることは、錯覚であり、代わりは他にいくらでもいる。

宇都志は、貴方を気に掛けて回っていない。

将来、バイオリンや椅子や神社仏閣になりたいと思って育った樹木などあるはずがない。

自分は、いつも他人である。

ーアルチュール・ワイルド(2045~3025)

本多静六という人

Hyakkodatei

かつて、私の勤める会社が日比谷公園(地名)にあった頃、よく日比谷公園(場所)を散策したものです。

この公園内に「資料館」といいますか、小さくて狭い「資料室」がありまして、そこで初めて、この日比谷公園をつくった人が本多静六という人だということを知り、脳裡に刻まれました。ただ、庭園家か造園師かと思い、「凄い人だなあ」と感嘆しましたが、この人についてそれ以上の興味が湧くことはありませんでした。

そしたら、先日、開架式の図書館でたまたま、この人の名前を見かけて、手に取って読み始めたらやめられず、借りてきてしまいました。

その本は、本多静六著「私の財産告白」(実業之日本社=初版は昭和25年)という本で、同社から復刻された本多の三部作(残りは「私の生活流儀」「人生計画の立て方」)の一つだったのです。

この本で初めて、本多静六の人となりを知ることになりました。本多は慶応2年(1866年)、埼玉県河原井村(現久喜市菖蒲町)生まれ。東京帝大農学部の教授を務めながら、巨万の富を築いて、昭和2年(1927年)の定年退官後、匿名で全財産を寄付した人でした。日比谷公園のほかに、埼玉県の大宮公園や福岡県の大濠公園など100カ所以上の公園の設計、改良などを成し遂げた人だったのです。

東大農学部は、もともと東京・駒場(現在の東大教養学部)にあったことは知っていましたが、本多が入学した頃は(1884年)、東京山林学校と呼ばれていたんですね。これは知らなかった。東京山林学校は、1886年に東京農林学校となり、翌87年に帝国大学農科大学となり、本多は90年に首席で卒業し、ドイツ・ミュンヘン大学に留学します。

その後、東大の助教授、教授となりますが、後述する方法で巨万の富を得て、学士会の寄付金に一千円を寄付したところ、「一介の学者が何でそんな大金を寄付できるのか」と同僚の学者らから妬まれて、「辞職勧告」を受けたりします。本多の蓄財法は至ってシンプルで(とはいえ、誰にでもできるわけではない)、毎月の給与の4分の1を貯蓄に回し、いくらか貯まった後、株や山林などに投資して雪だるま式に増やしていくというもの。ただし、当初は、世帯には親子ら9人もいたので、月末は、胡麻塩ごはんだけで済ます苦労を強いられたりします。とにかく、勤倹貯蓄、刻苦精励を実践して、「人生即努力、努力即幸福」をモットーに、働学併進の質素な生活を続け、昭和27年(1952年)に85歳で逝去するまでに、370冊以上の著作を残したといいます。

この本で、1カ所だけ引用するとしたら、189ページにある…

「なんでもよろしい、仕事を一生懸命にやる。なんでもよろしい、職業を道楽化するまでに打ち込む、これが平凡人の自己を大成する唯一の途である」

本多静六は、造園家としてだけでなく、中村天風のような人生訓の大御所として名を残していたんですね。

富は幸福をもたらさない

I’m flying

昨日のブログ「高浜原発が再稼働とは」へのコメント「八百長相撲」さんには、恐れ入谷の鬼子母神でしたね。胴元とサクラの関係だったとは!知らぬは、テレビを見て「ガハハ」と笑って寝てしまう反知性主義者の皆さんのみということでしょうか。

さて、図書館で拾い読みしていたら、面白さにはまって、予定もしていなかったのに、つい借りてしまいました。ヤコブ・ブラーク著、小田麻紀訳の「ユダヤ人大投資家の『お金と幸せ』をつかむ正しい方法」(2010年10月初版)です。別に、タイトルに惹かれたわけではなく、開架式の本棚からたまたま手に取って読んだら、面白くて嵌ってしまったのです。何しろ、原題は拙訳すると「チンパンジーはリタイアの夢を見るのか?」ですからね。「こんなタイトルじゃ売れない」と、編集者が大仰なタイトルを付けたのでしょうね。版元を見たら、徳間書店でした。

別にこれから投資を考えている人だけが読む本ではなく、かなり人間というかヒトの本質をついています。何しろ、ヒトとチンパンジーのゲノムを比較したところ、ほとんど同じだったというのですからね。実に98.76%が重複していたというのです。道理で…ですね(笑)。

この本には心理学から社会科学から、色んな本や実験から引用して「教訓」めいたものを引き出しています。備忘録として、印象に残ったことを一部、適当に換骨奪胎して並べてみます。

●幸福になるための10の指針
1、経済的な成功が幸福をもたらすわけではないことに気づきなさい。富は幸福を保証するわけではない。
2、定期的に運動しなさい。運動は軽い鬱病を治すのを助け、身体と心を活気づけてくれる。
3、たくさんの交接をしなさい、なるべくなら愛する人と。
4、人間関係に投資しなさい。喜びも悲しみも分かち合える友人は、あなたの幸福に強い影響力を及ぼす。
5、必要に応じて、身体を休ませなさい。
6、自分の時間をきちんと管理しなさい。
7、自分の才能を活かせる仕事を探しなさい。
8、テレビを消しなさい。(以下略、詳細は本文に当たって下さい)
9、感謝の心を持ちなさい。(同上)
10、他者に救いの手を差し伸べなさい。利他主義によって、人生は一層、有意義なものとなる。

●「ブラックスワン」とは、通常の予想範囲を超える衝撃が大きくて予測の困難な珍しい出来事を意味する。

●私たちの幸福の多くは、未来を想像するという能力によって来ている。未来を想像できるから、人を信頼したり、喜びを感じたりできる。いつか相手からお返しがあると期待して。

●過度の情報は、それが大きな変動の時期に関連しているときには、とりわけ有害なものとなる可能性がある。

●1950年代の英国における無線通信の増加は、同時期の同地域における精神科病院への入院患者の増加と比例しているように見える。これは何を意味するのか?実は、何も意味がない。原因と結果を結び付けたいという私たちの強い願望が、一般に統計上の相関関係とされているものを生み出すのだ。

●人間は、低い確率を過大評価し、高い確率を過小評価しがちだ。

●人は、行動を起こさなかったことで生じる後悔よりも、行動を起こしたことで生まれる後悔の念の方が大きい。ところが、この主張は短期的には正しいが、長期的にみると、後者の方がより大きな苦しみを引き起こす。マーク・トウェイン曰く、「今から20年後、あなたは自分がやったことよりも、やらなかったことの方により大きな失望をおぼえるだろう」。

以上、まだ書きたいのですが、ご興味のある方は、本書を手に入れて読んでください。