巴町「砂場」

 摩周湖

 

巴町の「砂場」に行って来ました。何しろ、物の本によると、江戸蕎麦の現存する最も古い蕎麦屋なのだそうです。何と、三大将軍徳川家光の時代に発行された番付に、名前が載っているそうです。「砂場」という屋号は全国何処にでもありますが、元々は大坂が発祥地のようです。佃島も、家康が大坂人に開拓させたという話ですからね。徳川幕府が開かれた時に、山っ気のある関西商人が、大挙して江戸に押し寄せたことでしょう。

 

場所は、神谷町と虎ノ門の間。愛宕神社下といえばいいでしょう。場所柄、官僚さまの天下り先である公益法人が林立している所です。お金持ちそうなサラリーマンやOLで店がいっぱいになります。この近くには何軒かの日本刀剣の店があります。そういえば、昔、新撰組の本を読んだ時、近藤勇局長が、幻の刀剣「虎轍」を求めて、虎ノ門界隈を歩いた、というような記述があったことを思い出しました。新撰組の連中が歩いているような錯覚に襲われました。

 

私は、食道楽というより、食意地があるタイプだと思います。死ぬ前に一度、食べてみたい、という程度なのですが、一度食べれば「何だ、こんなもんか」で終わってしまいます。

 

ですから、「江戸最古」という知識というか、情報を知らなければ、この店に行かなかったでしょうね。注文したのは、「かき揚げ天せいろ」。何と1995円もしました。蕎麦は、箸で4回ぐらい掬えば、もう無くなってしまうほどの少なさ!ちょっと、高すぎるんじゃないかなあ?

 

もちろん、どんな店案内やネット情報を見ても、「巴町砂場」はお褒めのお言葉ばかり。私のようなネガティブ情報は皆無でしょう。確かに美味しく、歯ざわりがどうの、こうのという講釈はいくらでも書けますが、私は「もう、これでいいや」といった感じです。昼は奮発したので、夜は、銀座のデパ地下で、420円の、期限切れ間近の200円引きのお弁当を買って採算を合わせました。

老舗の味

ヴェニス

世間の皆々様方は年末年始のお休みに入ったことでしょうが、私は仕事です。不遇を囲っているので、いつも何か楽しみを見つけるようにしています。

目下の一番の楽しみは、食べることですかね。本や雑誌で見かけたり、口コミで聞いたり、通りがかりにすれ違った雰囲気のある店に飛び込んだりしています。

今月の月刊誌『東京人』は、「老舗の味を食べ歩く」を特集していたので、ついつい買ってしまいました。この中で、「久兵衛」「すきやばし次郎」といった敷居の高い寿司屋は、まだ入ったことがありません。でも、何処にあるかは場所だけは知っています。「久兵衛」(銀座8-7-6)は、たまたま銀ブラしていたら金春通りにありました。「ここが噂のあの久兵衛かあ」と感動したことがあります。ランチが2000円引き!とありました。それでも、一番安くても3500円くらいするので、金縛りにあったかのようになって、入れませんでした。

「すきやばし次郎」(銀座4-2-15)は住所を頼りに探しましたが、なかなか見つかりませんでした。地上の外に看板が出ていなかったからです。地下鉄銀座駅の数寄屋橋口の地下には看板がありました。外に「値段」など野暮な案内はありません。やはり懐に余裕がなかったので入れませんでした。情けない。

中華そばの老舗「萬福」(銀座2-13-13)は、そんなに有名な老舗店だとは知らずに偶然通りがかって入ったことがあります。が、特段印象に残っていません。やはり、料理は知識と頭で食べるものなのですね。

うなぎの「竹葉亭」は夏目漱石がよく通ったというので、銀座店(5-8-3)は意を決して行ったことがあるのですが、本店が木挽町(銀座8-14-7)にあることは知りませんでした。ここも偶然、通りかかって発見しました。料亭の雰囲気で敷居が高く、とても入れるような代物ではありませんでしたが。

池波正太郎の愛した洋食の「たいめいけん」(日本橋1-12-10)、漱石も通った洋食の「松栄亭」(神田淡路町2-8)、森鴎外のお気に入りのそば「蓮玉庵」(上野2-8-7)、谷崎潤一郎が贔屓にした親子丼の「玉ひで」(日本橋人形町1-17-10)などは何度か行ったことがあります。

先日「吉野鮨」に行きましたが、江戸前寿司で現存する最古の店が、創業150年余の「すし栄」(銀座7-13-2)であることをこの雑誌で初めて知りました。

敷居が高いところは、いつか挑戦したいなあと思っています。それまで生きてみようと思います。

吉野鮨本店

フィレンツェ

日本橋高島屋さん真裏通りにある吉野鮨本店へ大の大人四人で行って参りました。知る人ぞ知るというより、鮨通の間では知らない人はいない老舗の江戸前寿司店です。ちょっと検索すれば、物言いたがりのグルマンのコメントが色々と出てきます。店内は超満員で異様な熱気がありました。参集したのは、後藤さんと東京商工会議所の清水さんと朝日の隈元さんと私の四人。

明治12年創業。何しろ、ここは鮪の「トロ」の発祥地だそうです。鮪の腹下の脂の部分をかつては「ブラ」と言っていたのですが、常連客の三井家(今の商社三井物産)の安達さんとかいう人が「とろっとしているから、『ブラ』よりも『トロ』にしたら」と提案したところ、そう決まったそうです。(安達さんという名前は間違っているかもしれません。どなたか詳しい方はコメントしてください)

お味の方は、まさしく、トロっとして口にとろけるようでしたね。絶品でした。でも、そういう予備知識があったせいかもしれませんね。他の三人の方々は、話すことに夢中で、あまり味に感動している様子はありませんでした。ネットに出ているほかの人の寸評を見ると「酢がききすぎている」などといった辛口のコメントもありましたが、私は、そう感じませんでしたね。美味絶品。有り難く頂戴致しました。

大の大人が顔を付け合せても、あまりいい話題が浮かびませんでした。何しろ、最近の活字離れが甚だしく、新聞の部数が激減しているそうですね。スポーツ新聞も全体で100万部くらい落ちているそうです。若い人はもう新聞を読まない。団塊の世代が退職する「2007年問題」もあります。サラリーマンが退職すると、もう日本経済新聞を読むことはなく、大幅な解約が予想されます。年金もなく退職金を取り崩している定年退職者は新聞を購読する余裕がないから、図書館に行って読む。今、図書館では、新聞の取り合いで大喧嘩しているとか。

新聞がこの有様なので、雑誌なんか目も当てられない。漫画も駄目。「週刊少年ジャンプ」などかつては、600万部くらいあったのですが、少子化と作品力の低下、趣味の多様化などで現在280万部にまで落ち込んでいるようです。

そういえば、電車の中で、熱心に新聞や漫画を読んでいる人が少なくなっていますね。携帯をいじっているか、寝ているか…。あ、そういえば、先日、早朝の6時過ぎに通勤電車に乗ったのですが、50歳くらいのネクタイを締めた厳ついおじさんが、弁当箱を広げて、朝ごはんを食べていました。新聞より飯です。でも、何か、こちらの方が恥ずかしくなって、他の車両に乗り換えました。

作家東理夫の影響力

ミラノ

先日、作家の東理夫さんが新聞に書いたエッセイを読んでいたら、思わずその店に行きたくなって、行ってしまいました。

そこにはこう書かれていました。

「コロッケ好きのぼくは、今、東京・新橋駅から銀座への裏通りにある小さなバーを目指している。船の竜骨という名前のそのバーが気に入っているのは、夕刻五時開店でビールが底抜けにうまいというばかりではない。妙にうれしくなるものがメニューにあるのだ」

そして、大好物のコロッケは四谷の「兵庫屋」のものだが、この店では新橋の「石塚商店」のコロッケを出してくれる。マルハの魚肉ソーセージを丸ごと一本揚げたものもメニューにあり、笑いながら食べてしまう、などど書かれています。

こんなこと書かれれば、誰でもその店に行きたいと思いませんか?

しかし、「宣伝」ではないので、その店の名前が書いていません。

でも、大丈夫。私はその辺りの土地勘もあり、探し出しましたね。カウンターは8人ぐらいでいっぱいになり、あとテーブルが2つ、3つある本当に小さな店でした。本場のベルギービールを出してくれます。

こんな私を走らせてしまうとは、作家の影響力には感服しました。

え?あなたも行きたい?内緒ですが、店の名前だけ、コメントに書いておきましょう。

(引用は、11月11日付「日本経済新聞」夕刊)

 

 

鍵屋

昨晩、いや一昨晩、根岸(東京都台東区)の老舗居酒屋「鍵屋」に3年ぶりにに行ってきました。閑静な住宅街のど真ん中にあり、まるで、昭和初期にタイムスリップした落ち着いた所ですが、台東区議員とかいう酔っ払いの呉服屋のおっさんにからまれて、散々でした。

いつもは奥に引っ込んでいるご主人の清水賢太郎さんが、出てきて、話を聞いてくれたりましたが、もともと下谷の言問通りにあった「鍵屋」は現在、小金井公園の「江戸東京たてもの園」にあることを教えてくれました。昔、行ったことがあるのですが、「高橋是清邸」は強烈な印象が残っているのですが、そういえば、何となく、酒屋があったなあ、といった記憶しかなく、それが、「鍵屋」だったとは知らなかったのです。

鍵屋は、江戸時代から続く老舗中の老舗です。小金井公園内に移築された建物は、安政3年(1856年)建築ということですから、丁度、150年前にできたわけです。何と言うことでしょう。今の店が昭和初期を感じさせるのは、まだまだ新しい。幕末や明治の香りが残っていると言うべきかもしれません。名物のたたみいわしと煮奴、うなぎのくりから焼きを堪能しました。お酒はもちろん、菊正宗。

この日は、T君の就職祝いが名目でした。今年5月に施行された新会社法によって、大幅な手続き変更が必要な会社が多く、その手続きを代行する仕事です。彼にとっては全く、これまでとは違う分野ですが、心機一転、毎日徹夜する構えがあるほど意欲に燃えていたので、一安心しました。事務所のSさんが目をかけてくださって、これも、人の縁というか、私も本当に有り難い気持ちでいっぱいになりました。

鍵屋を出て、鶯谷駅の近くに立ち飲みの焼き鳥屋があり、焼き鳥5,6本、冷酒5,6杯と、しこたま飲んで、1000円ちょっとという信じられない値段でした。

もちろん前後不覚になって、どうやって帰ったか覚えていません。翌日新聞を見たら、夜6時半頃に鶯谷駅で人が線路に入り込んで、50分間不通になって、15万人が足止めを食ったという記事が載っていました。

結果的に深酒してよかった…。

日本語クイズ 「十三里」とは何のこと?

食欲の秋です。さて問題です。

「十三里」とは何の食べ物のことでしょうか?

(私は知らなかったです)

 

ヒントは、昔から「栗よりうまい十三里」と言われています。

この言い伝え、なかなか奥が深いのですよ。さあ、答えてください!

答え

 

サツマイモ、または焼き芋のことです。

「栗よりうまい十三里」は、栗よりおいしい、ということですが、栗(九里)より(四里)で十三里と掛けています。

しかも、十三里とは、約50㌔のことで、サツマイモの産地、埼玉県川越市が、江戸から十三里あったためです。

この言い伝えは、江戸時代から言われていたのでしょう。なかなか奥が深いのです。

不幸の連鎖

三連休のど真ん中なのに昨日も今日も明日も仕事です。何でこうなってしまったのだろう?あいつさえいなかったら、などと思ったりしたものですから、不幸の連鎖を呼んでしまいました。今日はついていなかったです。

お昼に入った中華料理店『九龍』は「高い」「まずい」の典型でした。銀座の王子製紙本社近くにあるあの店です。最初に出てきた水のまずかったこと!こんな水で料理されたらまずいだろうなあ、と思ったらその通りでした。しかも、注文通りのものが来ませんでした。

帰りのJRのK線で人身事故があったらしく、大幅な遅延に巻き込まれてしまいました。K線では最近、人身事故が多発しています。
これも不幸の連鎖なのでしょうか?

老舗おでん「やす幸」についに行きました

おでんの老舗、銀座「やす幸」に行ってきました。

ひょんなきっかけでした。今月の「月刊文藝春秋」の「同級生交歓」欄に、「信長の棺」の作家、加藤廣さんが書いておられ、「やす幸」のご主人・石原壽さんが旧制早稲田中学時代の同級生の一人として登場していました。

「やす幸」といえば、下々の者など、とても足を踏み込めない高級店です。後藤喜兵衛さんから、文春の記事のことで、メールで連絡を受け、私が「加藤さんを通して、安くしてもらえませんでしょうかね」と浅ましい、図々しいことを返信したところ、丁度、昨晩、加藤さんが同店2階でクラス会をやるということだったので、その隙に乗じて、乗り込んだわけです。

参加したのは、後藤さんと私と東京スポーツの佐藤祐二編集企画室長。佐藤さんには「ブログに書くんでしょ?」と言われてしまいましたが、やはり書いてしまいました(笑)。

噂に違わず、味も雰囲気も最高でしたね。客層もちょっとハイソな感じでした。15人くらい座れる広いカウンターと、四人掛けのテーブルが5脚ほど。奥に7、8人くらいが入れる小部屋、2階は行きませんでしたが、かなりの人が入れる宴会場があるようでした。ですから、板前さんがカウンターの中に10人ぐらいもいるのです。

おでん、といって馬鹿にしてはいけません。コンビニにあるぐらいですからね。

これが本物のおでんか、と唸らせるものがありました。関西風の透明の薄い味付けで、つみれは、くさみをとるため柚子が入っていました。がんもどきも口に入ると香ばしい食感が幸せ一杯に広がります。当然、ダイコンも上品このうえない味でした。今まで食べていたおでんは何だったのだろう、と思ってしまいました。

あとで聞くと、透明の薄い味付けは関東風で、関西では醤油の濃い色のスープなんだそうですね。ちょうど、うどんと逆です。関西では、うどんは薄い透明のスープなので、関東の真っ黒なうどんの汁を見てびっくりするわけです。

私もその昔、大阪に住んでいたので、よく「けつねうろん」(きつねうどん)を食べたものです。関東に戻って、立ち食いうどんを頼んだ時、そのどす黒い汁をみて、食べる気がしなくなってしまったことを思い出しました。

「やす幸」は昭和8年創業の老舗(銀座7-8-14)。お奨めですが、やはり、ちょっと、敷居が高いので、覚悟して行かれるといいと思います。我々の後日談は省略します。

鰻の名門「ひょうたん屋」

銀座のうなぎといえば、夏目漱石も通ったと言われる4丁目の「竹葉亭」が有名ですが、1丁目の「ひょうたん屋」という評判の店に初めて行って見ました。

確かに、評判通り、素晴らしいお店でした。つまり、値段と味のバランスという意味で。

建物は木造で、とても雰囲気があります。昭和22年に居酒屋として開業して、昭和35年から鰻専門店になったそうです。小津安二郎の「東京物語」に出てきそうなお店です。

お昼のランチで1500円の「中」を注文しましたが、ご飯は魚沼産のコシヒカリで、鰻は蒸さない関西風のせいか、ほどよい食感と、濃すぎない味付けで、久しぶりに鰻を堪能した感じでした。★★

何かあれですね。最近、食べ物のことばかり書いてますね。お許しあれ。

この「ひょうたん屋」のすぐ近くに幸稲荷神社があります。その横の狭い路地を入った所に、居酒屋「卯波」があります。ここは、3年前に亡くなった俳人の鈴木真砂女が昭和32年に始めたそうです。現在、お孫さんが引き継いでいるので、今度、一度、覗いてみようかと思っています。どなたか、お付き合いください。

銀座「スイス」のカツカレー

日本のカツカレーの発祥地と言われる銀座のグリル「スイス」(3丁目)に行ってきました。

昭和23年、プロ野球巨人の名二塁手、千葉茂さんが、「カレーの上にとんかつを乗せてくれ」と注文するようになって、できたというのが真相らしいです。「スイス」は当時6丁目にあり、千葉さんが贔屓にしていた洋品店が側にあったそうです。今でも「千葉さんのカレー」というのがメニューにあります。

千葉さんは知る人ぞ知る存在で、ひと言で言うと、あの長嶋茂雄さんの前に巨人で背番号「3」を着けていた人です。1956年に引退しているので、現在55歳以上の人でないと、現役時代の千葉さんを知らないでしょう。

色々、調べているうちに、千葉さんの愛称は「猛牛」で、巨人の監督を友人の川上哲治に譲り、近鉄の監督として迎え入れられた時、わざわざ、近鉄パールズから近鉄バッファローズ(猛牛)に名前を変えたということを知りました。その際、球団旗のマークを千葉さんの友人の芸術家、岡本太郎さんにデザインしてもらったのです。そういう経緯があったとは知りませんでしたね。もう、近鉄球団は消滅しましたしね。

ところで、カツカレーは、普段1050円ですが、何かのキャンペーン中で、950円でした。

4年ぶりくらいに食べましたかね。懐かしい味でした。★

「千葉さんのカレー」は1350円で、ちょっと量が多く、サラダも付いています。お奨めは、こちらの方です。