しかし、災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬるがよく候。是はこれ災難を逃るる妙法にて候。
良寛禅師
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しかし、災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬるがよく候。是はこれ災難を逃るる妙法にて候。
良寛禅師
ローマ(いい写真でしょう?)
精神科医の斎藤環氏が、毎日新聞のコラムで、昨今の脳科学ブーム、スピリチュアルブームを批判していますね。(8日付)
名指しこそしてませんが、その元凶は、最近、テレビや週刊誌に出ずっぱりの脳科学者の茂木健一郎氏であり、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏であることは、それなとなく分かります。
これらのブームの背景には、われわれ人間には、生きる上で、「価値規範」という幻想が必要だからだ、と斎藤氏は言います。
これまで、その、価値規範は、宗教や思想であったのですが、1995年のオウム事件以降、カルト的なものに対する拒絶反応が確立し、オカルト的なものに接近するようになった。倫理観も美的判断も、おしなべて「脳に良いから」という理由で、価値判断の最上位に置かれているというのです。
要するに、かつての宗教哲学イデオロギーに代わって、脳科学、心霊が幅をきかせるようになったというのです。
私の意見はこうです。
かつての宗教は、聖職者を頂点とする教会支配の免罪符になり、イデオロギーは、お山の大将になりたがる傲慢な人間が、弱者を支配して政治権力を掌握するための手段として利用するための方便であった、ということは、歴史が証明していると思います。
そして、今の脳科学ブーム、オカルト・ブームは、コミュニティが解体して、大海に放り出された孤独な個人の拠り所だと思っています。
両方とも、因果関係がはっきり分からず、証明できないという点で共通しています。
つまり、「これをやったら脳にいいよ」「ボケ防止になるよ」と言われても、実際に、効能があるのかどうか、分かりませんよね。
「守護霊が泣いています」とか「主護霊の定義が間違っています」と自称霊能者に言われても、誰も見えるわけではなく、証明できませんよね。
究極的にはそれらを信じて、彼らの言っていることに耳を傾けるかどうかの問題だと思います。彼らは、耳を傾ける人がいる限り、発言を続けるだろうし、有体に言えば、商売になっていると思います。
はっきり言います。
脳科学もオカルトも商売道具です。
それで、救われる人がいれば、誰も文句は言えませんが。
ローマ
●東京・新宿の新都市で
「都政の私物化」 説明不足でも 3選
●福岡国際センターで
「ママでも金」 優勝しなくても 世界選手権代表
●バグダッドで
「自爆テロで○人死亡」 ニュースにもならず 責任者出て来い!
コロッセオ
最近、物忘れの速さと物覚えの悪さに頭を抱えています。
これでも、昔は、神童と呼ばれ、学友が首っきりで挑んでいる教科書をさっと横目で眺めただけで、すべて頭に残って、勉強などしなくてもどんな科目でも満点を取っていたものです。(ということにしてください)
資格コンサルタントの高島徹治氏は、53歳から81の資格を取得した人として知られていますが、資格試験に合格するための秘訣を皆伝しています。端的に言うと、
丸暗記をするな!
ということです。
氏の勉強法は、テキストをとことん理解しながら熟読する。重要な箇所にはサインペンでマークする。
それだけなのです。
こうして理解しながら、読んでいくだけで、中身は暗記しなくても、自然と記憶されていくというのです。
ただし、この「理解」するやり方は生半可ではありません。徹底的に調べ尽くし、抽象的な表現は、例え話や日常のストーリーに置き換える、というのです。
でも、「丸暗記するな」というのは参考になりますね。
私も、丸暗記した知識はすぐ忘れてしまいますから。
フォロロマーナ
昨日、書き忘れたことがありました。茂木氏の「脳」整理法の中で一番、印象深かった言葉です。そのまま、引用するのではなく、自分で噛み砕いて記してみます。
「…人生とは、必然であり、偶然である偶有性でに支配されている。ということは、いつでも、どんな時でも、状況はどうなってしまうのか不確実なのである。成功するかどうか分からない、どうなるのかわからないという不安な気持ちを乗り越えて挑戦し、そのことによってわずかでも成功する体験が一度でもあると、『不確実な状況下で挑戦する』という脳のルートが強化される。脳が強化されれば、そのような行動が、それからは、苦労しなくても無意識にとれることになる」
とにかく、勇気を出して「行動」して、何かを「発見」して、それらを「受容」すれば、精神的な安定を勝ち取ることができるのではないでしょうか。
さて、昨日は統一地方選挙が、全国の13都道県で告示されましたね。
やはり、注目は首都・東京です。14人が立候補しました。
面白いのは、本命の方々はさておいて、「落選確実」ながら、実にユニークな人が出揃ったことです。
お馴染みの発明家がいれば、某宗教団体系のタレント、タクシーの運転手、不動産鑑定士、ストリートミュージッシャン…。あの高島易断の総本家総裁の方も立候補されるのですね。驚きました。
供託金は300万円で、没収されるでしょうが、これらは都の予算に計上されるのでしょうか?どなたかご存知の方は教えてください。ついでに、ホリエモンは5億円の保釈金を払ったらしいのですが、このお金はどこに消えてしまうのでしょうか?…夜も眠れません。
「落選確実」ながら立候補した彼らも、勇気を出して「行動」したのですから、何かを発見することでしょう。他人がとやかく言うことではありません。所詮、人間なんて芥子粒みたいな存在なのですから。
ローマ
ひろさちや氏の「『狂い』のすすめ」を面白く読んでいます。言い方は悪いのですが、「天下の暴論」と言っていいでしょう。悪い意味で使っていませんが、大袈裟に言えば、これまでの常識や定説をひっくり返すコペルニクス的転回です。
とにかく「世間を信用するな」「常識を疑え」と奨めているのです。
何しろ「人生に意味なんかありはしない。だから、生き甲斐だの、目的意識を持つな」と言うのです。
「自分を弱者だと自覚して、自由に孤独を生きよ」と促します。
どこか坂口安吾の「堕落論」に通じるところがあります。
筆者は若い時に最も影響を受けたサマーセット・モームの「人間の絆」から引用します。
「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた、何の役に立たないのだ。彼が生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは一切影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」
もちろん、これを聞いて、虚無主義に陥る人もいるでしょうが、「人間の絆」の主人公フィリップはその正反対で、自己を解放されるのです。
「今こそ責任の最後の重荷が、取り除かれたような気がした。そして、はじめて、完全な自由を感じたのだった。彼の存在の無意味さが、かえって一種の力に変わった。そして今までは、迫害されてばかりいるように思った冷酷な運命と、今や突然、対等の立場に立ったとような気がしてきた。というのは、一度人生が無意味と決まれば、世界はその冷酷さを奪われたも同然だったからだ」
現在、順風満帆な人生を送っている人には、何の効果もない言葉でしょうが、逆境に晒されている人にとって、これ程心強い哲学思想はありません。
私も大いに救われました。
体がとにかく冷えているようです。温めるようにしてください。恐らく心が冷えきっているからでしょう。しかし、めげてはいけません。
あなたは、今の社会では 生きるのがとても 生き辛いタイプでもあります。でも 諦めないでください。今は変化の時代なのです。今まで 本当に頑張ってきましたね。でも、もう 未来は絶対大丈夫です。あなたは本当の事をする人です。すごく「気」を取り入れやすい体質です。あなたには 強力な後楯が必要なようです。 風をもって働き、風のようにあらゆる面にも 進み行くことができますが、 必ず強力な背景がなくてはなりません。自己の信じるところに突貫主義の使命を守り、強情と自尊心を反省しつつ進めば 世人の引き立てにて 思わぬ幸運をつかみます。それが使命なのです。
ローマ
あなたは、とても素直な人だ分かって、驚きました。 あなたの気性とは「 性はげしく 勇 つねに充満し善にも悪にも強い。 常に不平不満を帯びて 怒気内心に溢れるがごとき相を備へるのが常でありますが、義心強く 頑固一徹の風自ずと表に現れる。我が儘勝手な風強く、高慢と意地の強きために、損する事しばしばありますが、悪意をもって人を落とし入れようとする小細工などはできません。勇と智が強くて 仁 (和)が少ないのがミタマさんのタイプです」。だから、あなはいかにも人間関係を円満にするのが苦手かわかります。成就する為には協力者がいかに大切かがわかります。風のタイプだから、強力な後楯がないと消えてしまうのです。だから不安なのです。
あなたには伝える使命を必ず果たせます!! 本を書くかも知れません。 今 どんなに辛いかわかります。 先が見えない感覚は 自信を持つのも苦しいでしょうが、魂は向かってるはずなのですら。光りに向かっています。あなたは何処までも信じているので、 生きているのだと思います。何処までも、信じているから諦めきれないのだと思います。
ローマ
やんごとなき御方が、精神的ストレスからか、鼻出血や腸壁からの出血があったといいます。
精神的ストレスというのも怖いものですね。病気というのは、気の病と書きますから、やはり、精神的な要素が大きいのかもしれません。
社会的地位、出自、門閥、性別、境遇、国籍、年齢、職業など関係なく、心穏やかに生きられたら、どんなに幸せか、と思います。逆に言えば、心の平安を得られた人が幸福を勝ち得るのではないでしょうか。
どんなにお金があっても、どんなに境遇に恵まれていても、peace of mind が得られなければ、毎日が充実しないことでしょう。
邪気がないのが一番です。
そういえば、私も、最近、「我を忘れて」とか、無邪気といった忘我の状態をしばし味わっていません。
心の平安は努力しようと思ってもなかなか得られるものではありません。
精神的修養と称して座禅でもくめばいいのでしょうか?
ローマ
2月23日に46歳の若さで急逝した哲学者の池田晶子さんは、どうやら他力本願の人だったようですね。
携帯電話を持たず、インターネットもメールもしない。テレビは、見るとしたら、ニュースと天気予報程度。ひたすら、自己の人生を思索の時間に当てていたようです。
その結果、会得した最期で最大の人生訓は、
「生きるも死ぬも、全て他力によるものである」
という他力本願思想。
確かに、人間、生まれてきたのも偶然。死ぬのも偶然。結婚するのも偶然。(人は、赤い糸で結ばれた運命と言いまするが。)子供が生まれるのも偶然。あー、その繰り返し。
「人生は、自分の人生だと思うから不自由なのである」
うーん、確かにそうですね。人生は、仏教で言う「求不得苦」です。何一つ、自分の思い通りになることはありません。何1つ。
「人生というものを、生まれてから死ぬまでの一定の期間と限定して、しかも、それを自分の権利だと主張することが、現代人の人生観である」
「これはあまりにも貧しい」
ということで、彼女は、他力こそ本願、と主張するのです。
確かに「自分の人生だから不自由だ」という言葉は、キラリと光り、勇気付けられます。
だが、その一方では…
努力もやめて、すべて天に任せて、気楽に生きる。どうせ、自分の人生など思い通りにいかないのだから、あがくだけで、無駄。さのよいよい。
「他力本願」にそういう臭いも感じます。
Roma
子貢(しこう)問いて曰く、一言(いちげん)にして以って終身(しゅうしん)之(これ)を行う可(べ)き者有りや、と。
子曰く、其れ恕か。
己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ、と。
(十五の24)
弟子の子貢が尋ねました。「生涯で行なうべきことを、一言で言い表すことができるでしょうか」
先生は答えました。「それは、『恕』だね。自分がしてほしくないことは、他人にもしないことだよ」
『恕』とは…
三省堂「新漢和辞典」によると
一、思いやりの心。情け。哀れみ。他人の気持ちを推し量って同情すること。
二、許すこと。気の毒に思って同情すること。大目に見ること。
なかなか、できないことです。
人はどうしても「アイツだけは、許せない」と思ってしまいます。だから、法律や裁判があるのです。
生涯をかけて心に誓う言葉が「恕」とは…
なかなか含蓄があります。