読者の皆様に御願い

 

 

 

最近、コメントを頂くのは有り難いのですが、ちょっと、過激気味といいますか、誤解を招きかねない感じの方もいらっしゃるので、戸惑っております。

 

一応、不特定多数の見ず知らずの方もご覧になっているということも頭の片隅に入れられた方がいいのではないかと愚察しております。まあ、「表現の自由」ですから、削除はしませんが、こちらも過剰に反応したくなってしまう誘惑に駆られてしまいます。

 

 

 

いやあ、本当は有り難いのですよ。わざわざ、読んでくださって、感想まで頂くのですから。ただ、全然、こちらのトピックスや私の趣味と関係のない投稿をされても、ちょっと困ってしまうのです。個人的な主義主張があれば、ご自分でブログを開設されたらいいのではないでしょうか?私でもできるくらいですから、簡単ですよ。

 

私の理想は、自分の書いたものに対して、間違いを指摘してくださったり、知識を補足してくださってもらうことです。

 

 

 

実は、このブログには、自分の書いたものの検索機能があるので、忘れていたことを思い出すために、個人的に使ったりしてますので、間違いのご指摘は非常に有り難いです。そして、さらなる情報の追加も。

 

 

 

宜しく御願い致します。

 

 

 

今日は、これで、終わってしまうのは、申し訳ないので、一昨日、さる方から伺った江戸時代の小噺です。

 

 

 

江戸時代。富士山を見るのに、どこが日本一か、血をみるほど大論争になったそうです。

 

最後に残ったのが、今の山梨県と静岡県で、どちらも譲りません。

 

「やはり、甲斐から眺める富士の山が日本一」

 

「いやいや、駿河に決まっているでしょう」

 

この大論争は1ヶ月も続きました。

 

そして、ついに、お上の裁定が下りました。

 

 

 

どういうわけか、駿河に決まったのです。

 

中町奉行所の遠岡銀四郎は、十返舎一九の作と言われる名句を引用してこう言いました。

 

 

 

富士山は…甲斐で見るより、駿河いい。

 

三州屋、高僧、天保水滸伝、ジェイミー、銀座で遊ぶ

 

昨日は、調布先生と銀座で遊びました。

まず、銀座2丁目にある大衆居酒屋「三州屋」。夕方5時過ぎだというのに、超満員で、一階は満席。「二階に上がれ」(「上がってくださいい」ではない!)というので、二階に上がったところ、昔は綺麗だったかもしれない顎がしゃくれた60歳くらいのおばさんが、「聞いてない」と、「何で、上がってきたのか」と言わんばかりの露骨な言い方をするではありませんか。

 

この店は、ガイドブックに載り、銀座にしてはリーズナブルな値段のせいか(そうは思いませんけどねえ)、繁盛しっぱなし。そのせいか、随分、傲慢で図に乗ってしまったようです。

 

件のおばさんは、下足棚への靴の置き方が悪いだの、そっちは予約だから座るな、だの、サービス業を忘れて、命令調で指図するのです。注文の聞き方でさえ「何、すんの」と丁寧な言葉使いさえできない。ついに、調布先生もキレてしまい、「そんな嫌だったら、下へ行こうか。接客業なのに、そんな言い方は駄目だよ」と諭す始末。普段、冷静な調布先生なのですが、ものすごい剣幕でした。

 

私もはっきり言ってやりました。「ちょっと、有名な店だからと言って、図に乗ってんじゃねえか」

 

相手はやっと、反省した様子だったので、落ち着くことにしました。

 

さすがに調布先生の話は面白かったですよ。最近、ご購入あそばれた禅師・川島昭隠の書の話になり、京都五山の高僧・名僧のことを教授して頂きました。何しろ、ネット情報はいい加減なので、こういうことは書かれていませんからね。

 

調布先生は、「日乗さん(私のことをこう呼びます。でも、日乗というのは、日記という意味で、名前じゃないんですけどねえ)、ブログになんか書いちゃ駄目ですよ」と言うのですが、正しい知識を広めるために、仕方なく書くことに致します。

 

【京都五山】

別格 南禅寺  豊田毒湛

一位 天龍寺  池上湘山

二位 相国寺  橋本独山

三位 建仁寺  竹田黙雷

四位 東福寺  別所九峰

五位 寿福寺

妙心寺  川島昭隠

大徳寺

 

ご覧の禅師は、明治から昭和にかけて活躍された高僧で、時の政界、実業界、スポーツ界の有名人までもが師事したらしいです。だから、知る人ぞ知る存在で、彼らの揮毫した書はかなり価値があるそうです。

 

この他、西田幾多郎の弟子で、京大の哲学宗教学の権威だった久松真一という人http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1041.html も教えていただきました。

 

また、静岡県の龍沢寺の住職・山本玄峰老師http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1041.htmlは、終戦宰相の鈴木貫太郎首相がポツダム宣言受諾をするかどうかの岐路に立たされた時、相談役としてかなり影響を与えたそうです。あの田中清弦が師事したらしいですから、相当な方です。

 

そして、どういうわけか、「日乗さん、玉川勝太郎か福太郎の『天保水滸伝』を聞かなきゃ駄目ですよ」というではありませんか。「平手造酒は男でござる」のあれですね。

 

「『天保水滸伝』はいいですよ。特に『笹川の花会』を聞いてください。サラリーマンの処世術のすべてがあります」とのことです。早速、聞いてみようかと思っています。

 

この後、雨の中、銀座6丁目のライブハウス「タクト」へ。エルビス・プレスリーのそっくりさんジェイミー・アーロン・ケリーのコンサートを聴きにいきました。100人近く来ていたでしょうか。往年のプレスリー・ファンが大半で、私には60歳代に見えたのですが、調布先生は「いやいや、50歳代。案外若いですよ。56歳くらいでしょう」と譲りませんでした。私なんか、その人は70歳くらいに見えたんですがね…。本人に年齢を聞くわけにいかず、勝負はつきませんでした(笑)。

 

ジェイミーは、プレスリーよりハンサムで、歌もうまかったです。バックバンドは日本人で、これがずば抜けてうまい。ギターもベースもキーボードもドラムも、非常に技術が高かったです。歌はあまり聴かず、演奏ばかり聴いていました。久しぶりに堪能しました。

 

随分個人的なご報告

 

 

 

昨日は思わず、自分の健康問題を書いてしまいまたが、今日は大分、いいです。

 

あれから、大衆浴場「孝楽」に行って、大きなお風呂にゆっくり身体を浸かって、おまけに、その後にマッサージを受けてきました。

 

 

 

「お客さん、随分、凝っていますねえ…」と言われながら、揉みほぐしてもらいました。

 

 

 

おかげさんで、身体が軽くなりました。もう歩けるどころか、走れそうです。

 

 

ご心配をお掛け致しました。(あ、誰も心配していないかあ…)

 

 

 

今朝、新聞を読んでいたら、ブログを読んで、その内容に感心して、ヴェンチャー企業投資家から投資を受けた人の話がありました。ネット保険を立ち上げた岩瀬大輔さんhttp://totodaisuke.weblogs.jp/blog/2008/05/6-b31b.htmlという人です。

 

 

 

世の中広いですね。

 

 

 

こんな情けないブログなので、私のブログを読んで、投資してくれる人はいないでしょうが、同情してくれる人はいるかもしれませんね(笑)。

やっぱり、身体にガタがきているので、オーバーホールのため、来週は、湯治に行ってきます。パソコンは一切やらないつもりです。これこそ、極楽、極楽…

健康宣言


もう若くはない、とは自覚はしていますが、昨日は、腰痛というか、左のお尻の辺りに激痛が走り、歩きずらく、ビッコを引いて歩くのがやっとでした。
信号が変わっても、とても走れませんでした。
どうしちゃったんですかねえ?
若くはない、とは言いながらも、まだ、老け込む歳でもないので、身体にガタがくるのは、まだちょっと早過ぎるのではないかと思ったのです。

ズバリ、生活習慣病だと思います。

私は普段、ほとんど運動はしません。ゴルフもテニスもしないのです。
それどころか、毎日、パソコンの前で、一時の休みなく眼を酷使しています。
おかげさまで、疲労が眼から首、肩、腰と伝わり、、ついに歩行困難の状況にまで陥ってしまったわけです。
人類ホモサピエンスは、何万年、何百万年に渡って、狩猟、漁労、そして農耕を基本に生活を送ってきましたが、産業革命、IT革命を経て、ついに、狩猟も漁労も農耕もしないでひたすらディスプレイの前で御託を並べて生活する人類を出現させたことになります。
同時に歩行さえ困難せしむるほどの人類を今回、凾養、育成せしめたわけなのです。

これは、これまでの人類が体験したこともない、未曾有の出来事です。

私は単なるモルモットではないかと、自分自身を感じています。

ネットの将来を監視する

昨晩は、きこしめしたまま書いてしまったので、今、読み返すと、全くひどい文章だなあ、と思ってます。でも、恥さらしついでに、そのまま、削除しないでおきます。

梅田望夫著「ウエッブ時代をゆく」(ちくま新書)は電車の中で、2日で読んでしまいました。それだけ、通勤時間が長いということかもしれません(笑)。

面白かった所を引用します。

インテルを世界一の半導体企業に育てたアンディ・グローブは、1956年、20歳のときに、ハンガリー動乱に関わり、祖国を脱出して難民としてアメリカに渡ってきた人です。彼は、医療費から大学の奨学金まであらゆる面で援助してくれたアメリカに感激し、猛勉強して「自立の精神」で逞しく成長し、機会を与えてくれたアメリカに対して強烈な愛国心を持つようになったといいます。

その彼の座右の銘が、
“ Only the Paranoid survive.”
病的なまでに心配性な人だけが生き残れる。
です。

肝に銘じておきます。

ネットで不特定多数の群集に自分の意見を発することによるメリットとデメリットを熟知している著者の梅田氏は、こう言います。

「一般的に、リアルな世界で満足度が高い人ほどネットには関心を持たない。リアル世界で満足度が低い人ほどネットの可能性に興奮している。」

著者は、志さえ持てば、ネットで「生計を立てる」術を身に着けることができると、力説しています。そのためにも、見知らぬ人にでも信頼関係を構築して、グローブの言う「病的なまでに心配性」を持って、自助努力で、自らの道を切り開いていく必要があるようです。

私は、ネットは単なる「方便」だと思ってきたので、そのテクノロジーに関しては、恥ずかしながら、全く熟知しないままできてしまいました。本書によれば、今後、世界の主要図書館の蔵書が、スキャンされて、ネットで公開される時代が来るそうです。大変な時代になるんですね。

この本には全く書かれていませんが、その、世界中の文化遺産をスキャンして公開する世界最大の検索会社が、その画像と動画を「著作権」として独り占めして、世界を支配するのではないか、と私は危惧しております。(現に、日本の国宝の一部もそういう状態になっているという噂を聞いたことがあります。)

ですから、私は彼ほど、楽観主義にはなれませんが、この世界的潮流に遅れない程度に、後ろからゆっくりと付いていくしかないと、思っています。もちろん、監視しながら、です!

東大生協食堂は穴場です

 根津の躑躅は見ごろです…

 

 

 

 

 

今やゴールデンウイークの真っ只中です。皆さん、どこか旅行に行かれていることでしょうね。

 

そう言えば、最近、旅行に行ってませんねえ。(はとバスには乗りましたが、あれは半分修行でした)。大好きな温泉にも行ってません。うーん、残念。

ただ、今年のGWは、「飛び石」のため、旅行代理店によると、例年と比べ観光客は20%近くダウンしているそうです。北京五輪の年なので、本来なら中国旅行が増えてもよさそうなのですが、やはり「毒ギョーザ」と「チベット問題」が尾を引いているようです。それに、年金や後期高齢者医療問題も全く関係ないこともないように思えます。庶民は正直なんでんす。

 

「アリとキリギリス」ですよ。将来の不安を考えると、そう遊んでばかりいられないという感覚が先走るのではないでしょうか。

そんな中、典型的なエコノミーな会合に出席しました。大の大人、それも男ばかり6人も集まったのです。宇宙工学博士、大手マスコミ元記者でノンフィクション作家、元大手商社マン、元出版社重役、大手マスコミ研究所の主任研究員と私という面々。肩書きだけを見ると厳しいのですが、現役を引退された方も多く、既に角が取れた好々爺といった感じの人が多かったのです。

会合場所は、何と本郷の東京大学構内にある三四郎池に近い生協食堂「メトロ」。ここは、結構穴場ですよ。ランチだけでなく、夜も8時くらいまで営業しており、「怪しい人物」でなければ、大学関係者でなくても入ることができます。もっとも、今回集まった面々の半分は、ここの大学の御出身で、盛んに「懐かしい。ここにこんな建物はなかったなあ」なんておっしゃっておりましたが。

 

夜はビールも注文できるのです。定食やおつまみを取って、ビールも取っても、千円でおつりがくるのです。何と安あがりでしょう。究極の「溜まり場」です。

 

昔、旅行でパリのカフェ「ロトンド」やローマの「アンティコ・カフェ・グレコ」やウイーンの「チェントラル」など、芸術家や学者がたむろしたカフェによく出かけて感慨に耽ったものですが、確か、これらの店は観光客向けでコーヒー一杯でも法外にも千円くらい取られたと思います。

 

それを考えると、生協メトロは穴場です。将来の大学者、大芸術家を輩出するかどうか別にしても、庶民が安心して行ける所です。

スパム・メール

 

 

 

今日も二日酔いです。

 

昨晩は、会社の人事のことで、或る人物に相談したのですが、きっぱり断られてしまいました。自分にとっては歴史的な日です。想定外だったの、自棄酒となり、悪酔いしてしまいました。

人間万事塞翁が馬

若い頃は、現状も制度も伝統も他人も自分もすべて否定して生きてきたのですが、これからはすべてを肯定して生きていくつもりです。こうなったのは、「こうなるようになっていた」と肯定的に捉えるようにすることにします。

やっと吹っ切れることができました。

毎日、毎日「有り難い」と思って前向きに生きていくつもりです。たった今、熊本さんから「後ろを振り向いても仕方がない。ピンチをチャンスに切り替えて、前向きに行きましょう」という励ましのメールをもらいました。

 

本当に有り難いです。「明るく、楽しく、美しく」をモットーに生きていましょう!

さて、話が変わりますが、皆さんの所にも迷惑メールが来たりしますか?

迷惑メールのことを英語でスパム・メールと言います。この「スパム」とはどこから来たかご存知ですか?

私は、スパムと聞いて、7年前に58歳の若さで亡くなったジョージ・ハリスンのことを思い出してしまいました。

全く関係ないのですが、「連想」からです。

先日亡くなったアメリカの気象学者エドワード・ローレンツにバタフライ効果という面白い理論があります。「ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が発生するか?」というものです。日本で言えば、「風が吹けば、桶屋が儲かる」という話に似ています。

そこで、スパムと聞いて、なぜジョージを思い出したのかー。

スパムとは、実は英国の肉の缶詰の商標らしいのです。1970年代に英国で大人気だったコメディー「空飛ぶモンティ・パイソン」の中で、この「スパム」を連呼するギャグが流行ったそうです。このギャグからしつこい迷惑メールのことをスパム・メールと呼ぶようになったというのです。ジョージ・ハリスンは、このコメディーの「モンティ・パイソン」が大好きだったいうので、ジョージのことを思い出してしまったわけです。

あああ、残念

 

先日、東京弁護士会に申し込んだドキュメンタリー映画「靖国」の試写会は「選外」でした。

つまり、落選ですね。見られないのがとても残念です。

 

最近、前橋をはじめ、全国でチューリップの花を何百本ももぎとったり、聖火リレーの出発点を辞退した長野県の善光寺の国宝本堂に落書きしたりする心ない人が増えています。

 

ひどい話ですね。奴らは軽犯罪だから、大した罰を受けないと思っている愉快犯なのでしょう。

でも、ひどい。

 

人間じゃあない。

美貌の才媛と10年ぶりに再会

 

 

 

妙齢の女性と二人っきりで、有楽町のITOCIAでランチをしてきました。

 

彼女はもう随分昔に仕事を通して知り合った才媛で、私が北海道に行く前に、マフラーを送ってくださったりしましたが、年に一回、年賀状を交換する程度で、今回お会いするのは、10年ぶりぐらいでした。今年の彼女の年賀状に、「偶には銀座あたりでランチはいかがですか」と書かれていたので思い切って私の方からお誘いしたのです。

 

よく引っ越しの案内に「お近くに来ましたら遊びに来てください」という文句が付記されていますが、誰も本気で行動に移す人はいないでしょう。でも、私は今年は「色んな事に挑戦する年」と決めていたものですからね。

 

彼女、大竹さんは秘密のヴェールに包まれた不思議な方です。ただ、この10年の間で、めでたく結婚されたり、最高学府で修士号を取られ、目下博士課程で学んでいることを話してくれました。

 

大竹さんは、米国留学経験もあり、本職は通訳、しかも同時通訳もこなす才媛です。かなり、外国の賓客VIPの方の通訳も担当されたこともあるようですが、秘密のヴェールに包まれています。彼女の口癖は「世を忍ぶ仮の姿」です。世間の隅にひっそりと暮らすことを理想にしているようです。

 

彼女と会うのは10年ぶりでしたので、「僕も年を取ってしまったので、顔が分からないかもしれませんよ」とメールを送ったら、「世の中は不平等ですが、年月だけは平等に訪れます」という名言が返ってきました。先週、彼女の愛犬が15歳で亡くなったばかりだったので、色々と来し方を振り返り、これからの人生を如何に充実させたらいいのか、かなり考えたようです。彼女は詩人です。

 

私の方はかなり老け込んでしまいましたが、彼女の方は美貌に一層磨きがかかっておりました。

彼女の前向きな姿勢で、少し元気をもらいました。

メメント モリ

 

5年前に早期退職した会社の先輩の水木さんが昨日、急に会社に遊びに来たので、軽くいっぱいお付き合いをしました。もっとも、水木さんは、今年1月、病気で3週間ほど入院したらしく、お酒は飲めなくなってしまい、ウーロン茶を飲んでいましたが。

 

5年ぶりの再会でした。だから、実は彼が何故急に会社を退職してしまったのか、真相を知りませんでした。話をうかがうと、5年前に会社から「肩たたき」の面接があり、人事部との面接日に指定された日に、急に、友人が亡くなってお葬式があったため、面接日を変更してもらったそうなのです。

式に参列して、友人のお顔を拝見したら、まだ若く、色々とやりたいこと、やらなければならないことがあったはずなので、大変無念そうなお顔に見えたそうなのです。

 

そこで、あと、定年まで10年近く残っていて、会社に留まることもできましたが、このまま会社にいて「唯々諾々」と過していても仕方がないという思いに駆られ、退職を決意したそうなのです。

 

その後、水木さんは、あるスポーツ団体の事務局に入り、マスコミの窓口であるスポークスマンを務めていましたが、内部抗争に巻き込まれ、二年半ほどで解任されました。結構、知る人ぞ知る話なので、スポーツ団体の名前は伏せておきます。

水木さんは現在、アンチエイジング関連の団体に勤務しています。会社に残っていれば、毎日、終日パソコンの画面に向かっているだけの人生です。今の仕事は再び色んな人に会って、ビジネスにつなげることができ「会社を辞めてよかったよ」と話していました。

 

辞めるきっかけの話を初めて聞いて、私もなるほど、と思ってしまいました。