新宿副都心で

最近、出かけることが多く、3日連続の痛飲でした。

昨日は、新宿副都心の高層ビル群に久しぶりに行ってきました。

まず、京王プラザホテルに行き、そこの展示室とロビーの一角で行われていた「小島貞二・松尾鏡子 二人展」を覗いてきました。松尾さんが、私の友人の野寺さんの伯母に当たる人で、いつぞや、お茶会に誘われたのですが、ちょうど試験勉強で忙しかったこともあり、お断りしたことが昨年あったのです。(それ以来、お声がかからなくなってしまいました=笑)

今回こそ、行かなければなあ、と思って行ったのです。

松尾さんは、女子美大の工芸科で、民芸運動の第一人者である柳宗悦の甥に当たる柳悦孝(後の女子美大学長)に師事し、織物を始めました。今の肩書きは、何と言う言い方をしたらいいのか分かりませんが、織物工芸家というか、染色家というか、とにかく、染色した糸を使って、機織り機で一本、一本、紡ぐようにして織っていくのです。気が遠くなる作業です。これで、振袖や短袖などをこさえていくのですが、見事としか言いようがありませんでした。その色彩と意匠は、日本人として見ていて、とても心が温かくなり落ち着くのです。値段が付いていましたが、150万円前後でした。

私には、その価値がどれくらいか分かりませんが、すべて手作業なので、原材料をいれれば、それぐらい掛かるのでしょう。野寺さんによると、その値段は原価に近く、卸や商店を通じて消費者の手に渡る頃は、300万円になっているというのです。

実は、松尾さんは、九州の唐津市出身で、実家が私の叔父の家の近くだというので驚いてしまいました。私自身は、唐津には一度しか行ったことがないのですが、両親は九州出身で、二人は唐津で知り合ったので、大変縁が深い所なのです。

さて、その足で、ハイアット・リージェント東京ホテルまで、行きました。某有名予備校が主催する通訳案内士合格祝賀会に出席するためです。300人くらい列席したらしく、大盛況でした。会場では、礒部さん、岩本さん、飯田さん、上西さん、東条さん、島居さん、肥前さん、平島さん、中野さんと久しぶりに会いました。15人くらいのクラスで10人も合格するという大変優秀なクラスでした。

http://www.hello.ac/party/tokyo2007/index.php

試験に合格したのはいいのですが、これからが本番で、職も少なく、大変厳しい状況のようです。

学院長の挨拶が長いので通院ではなく、痛飲してしまいました。

言葉が見つかった?

 

ここ数ヶ月間、どこか自分の心の奥底で、言葉にならない、未達成感というか、齟齬感というか、不安定感というか、unfitness というか、疎外感というか…何か、毎日生きていて、「そぐわない」感覚に苛まれていました。

 

それは何か…。言葉が見つかれば、うまく収まって、また、やり直しがきくかもしれない…。そういう思いでいっぱいでした。

 

それが、昨晩、ふと、これに近いのではないかという言葉が見つかりました。

 

「幻滅」です。

 

仕事に対する幻滅

家庭に対する幻滅

友人に対する幻滅

世間に対する幻滅

人生に対する幻滅

何と言っても、こんなことを感じている自分に対する幻滅…

 

しかし、幸か不幸かそれは「絶望」ではありませんでした。幻滅であれば、また、一からやり直してみようという気力も残っています。

こんな自分の心の奥底を曝け出してしまって大丈夫かなあ、と思いつつ、やはり書いてしまいました。

また、一から出直します!

私の立ち位置

 

再び、Cahier(覚書)…

 

●今、見たい映画。コーエン兄弟監督作品「ノーカントリー」(アカデミー賞作品賞、監督賞など主要4部門受賞)。若松孝二監督作品「実録・連合赤軍」(ベルリン国際映画祭・最優秀アジア映画賞)。李纓(りいん)監督「靖国 YASUKUNI」。

 

●最近、佐藤優氏の著作を続けざまに3冊も読んだ。「国家の謀略」(小学館)、「日米開戦の真実」(小学館)、「国家論」(NHKブックス)…。

「右翼・保守派」を公言する著者だけに、「国体護持」を骨格とした国家論は実に明解で、物の考え方に影響を与える力を持つ。私自身は、非常に新鮮に感じた。別に「左翼・革新派」を気取っているわけではない。自分の「立ち位置」が未だに政治的イデオロギーに反発を感じるせいかもしれない。私自身は、所詮、単なるディレッタントなのだろう。

本の要約をここでまとめるのは困難だ。ただ「国家論」の中にあったフレーズを抜書きしてみる。

 

・要するに、思想というのは究極的には生き死にの問題になる。人を殺す思想こそが、ある意味で本物の思想なのです。(同書15ページ)

・国家というと抽象的な存在のように聞こえますが、国家の実体は、税金を取り立てることによって生活している官僚です。(同51ページ)

…非常に分かりやすく、ドキッとする言葉だ。

 

●「返事がないのはいい便り」と、昔から言われてきたが、そうだろうか。非礼のような気がする。「返事をしない」ことが回答なら、相手に不愉快感を味わわさせる魂胆なのかもしれないが、それは見事に成功する。返事がないということは、究極的には「不作為」ということになる。不作為とは、あえて積極的な行為をしないこと。今流行りの言葉でいえば、「ニグレクト」になる。返事がないことは、ニグレクト行為と解釈するしかない。

 

●It doesn’t matter if people don’t like our records,  our looks or what we say.  They’re entitled to not like us and we’re entitled not to have anything to do with them. We’ve all got our rights, you know.

 

僕らのレコードや見かけや発言が嫌いならそれでも構わないよ。彼らにはそういう権利があるからね。それなら、僕たちだって彼らと関わらない権利だってあるはずだ。我々皆、そういう権利があるんだよ。

 

ー「今やキリストよりビートルズの方が人気がある」との発言が問題視されたジョン・レノンの回答(1966年)

材木商を救え!

何とかは風邪をひかない、と言いますが、私はどうやらその何とかではなかったようです。

何か個人的な雑用が続いて、休む暇もなく一昨日から風邪気味です。

昨日なんぞはこんな調子です。朝6時に起床し、そのまま出勤。4時に仕事を終えて、銀座6丁目の「渋谷画廊」 へ。片岡先輩がグループ展に出展されており、作品鑑賞に出掛けたのでした。事前に何も話をしていなかったので、さっと見て、名刺だけ置いて行こうと思ったら、片岡先輩は暇なのか(怒られてしまう)いらっしゃるではありませんか!

そこで、藤田さんと小林さんという妙齢な女性を紹介され、芸術談義に花を咲かせました。

皆さん、アングルのバイオリンですね。
本職は、片岡先輩のように翻訳家だったり、編集者だったり、外科医だったりするのです。お医者さんともなると手先が器用なので、芸術活動は両立するんですね。

銀座の画廊サロンで芸術談義するなんて、まるで、昭和30年代の映画のようです。主演、佐田啓二、岸恵子といった感じです。

その足で、取手のセレモニーセンターへ。会社の後輩の吉永君のご母堂が急逝され、お通夜が開かれていたからです。

会社の掲示板で初めて知り、喪服は持っていなかったのですが、たまたま昨日は黒目の服を着ていたので、飛び込みで列席しました。

吉永君とは会社の中でも数少ない家族ぐるみの付き合いで、ご母堂は彼が小さい頃から女手ひとつで育て上げたことを知っていたので、是非とも列席したかったのです。

お清めの席で、吉永君の奥さんのお父さんと初めてお会いし、色んな話を伺うことができました。

お父さんは、福島県内で材木商をされていましたが、今は、外国の安い材木に押されて立ち入っていかず、お店は閉めてしまったそうです。国内でやっていける材木商は、もう何軒も残っていないそうなのです。

建築材といえば、檜がナンバーワンだと素人の私なんかは思っていたのですが、何と赤松や欅や杉でも高級建築材として、使われるそうなのです。

世界で最も古い木造建築と言われる法隆寺は赤松でできているそうです。
意外でした。

いずれにせよ、世界に誇る木造建築を持つ日本だけに、その伝統文化が廃れるのは忍びないと思いませんか?

電子機器は信用できない

 

最近、メールを送ったのに「届いていない」とい先方から言われることが度重なり、「やっぱり、電子機器は信用できないなあ」と思いました。

 

一つは、まあ、大事な文書を添付して送り、「送信済み」欄にも入っていたので、安心していたら、2,3日経ってから、先方から「届いていません」との連絡。「えっ?」と驚いてしまいました。こちらは確かに送ったので、もう少しで、送った、送らないで、口喧嘩になるところでした。

 

もう一つは、携帯メールで四人の友人に同報で送ったのですが、ある一人の友人だけが「届いていない」と自信を持っていうのです。他の三人にはちゃんと届いているのにです。

 

おかしいですよね。

 

その一人の友人だけが、こちらの朗報を無視しているか、歓迎しないかだとこちらが考えてしまい、少し「人間不信」に陥ってしまいました。

 

そもそも、電子機器がいけないのです。

 

あーあー、こんな時代に生まれ来なければよかった。

 

今のアメリカの学生さんは、教授の講義をノートパソコンで取るそうですね。講義もネット配信やDVDか何かで、自分の部屋で居ながらにしてねっころがったりして見ているというのです。

 

本当ですかね。へー、と思ってしまいました。うらやましくは思えませんね。

人生、捨てたもんじゃない

 

 

 

2003年から06年にかけて、北海道の帯広に一人で住んでいました。

 

一番辛かったのは、全く生まれて初めての土地で、「地縁」「血縁」「看板」「カバン」がなく、初対面の人に慣れない営業をして回らなければならなかったことです。

 

 

 

そして、厳冬の時はマイナス20度以上にもなる寒さには堪えました。

 

「何でこんな所にいるんだろう」と、ここはどこ?わたしは誰?という状態でした。

 

そんな時、自分の運命というものを必死で考えました。

 

地元のカルチャーセンターで「風水」なんかも勉強しました。

 

 

 

でも、今、こうして思うのは、北海道に行って本当によかったということです。北海道はもともと明治以降に開拓され、余所者を受け付ける所ですし、素晴らしい人にたくさん出会うことができました。

 

結局、運命とは何か分からなかったのですが、何かがあるような気がしています。

 

人生には流れがあって、良い時も悪い時もある。ジタバタして足掻いても、一生懸命努力しても実を結ぶことがなく、どうしようもない時があるーといったことを悟りました。

 

 

 

そして、今。また、流れが変わって、永年の努力が実を結んだり、色んな新しい人に巡りあったりしています。

 

「人生、捨てたもんじゃない」

 

と生意気ながら思っています。

昨日、敬愛するSさんからメールが来ました。

「朋之介さんはご自分が思っているよりも運を掴み取る力を持っているのだから、これからも前向きに頑張ってくださいね。今年から朋之介さんにとって幸せなことを多く掴み取れるようですよ。自分をごまかさず、人をないがしろにせず運を掴んで下さいね」
と書かれていました。

肝に銘じます。

今、どんなに苦しい暗い状況に置かれている人でも、いつか必ず、報われるということを信じてください。たとえそれが、5年かかろうと、10年かかろうと…。

ついに、やりました!

 Bravo!

 

 

個人的なことですが…と、もったいぶって言いますが、ついにやりました!

念願の超難関国家試験に合格しました!今日、発表がありました。

これで、私も胸を張って「通訳案内士」と名乗ることができます。

長かったですねえ…

七転び八起き…いや…七転八倒の苦しみでした。

 

今、明かします。

 

このブログの熱烈な読者はお分かりだと思いますが、昨年7月と11月に突然、理由を告げることなく、それぞれ二週間くらい「休筆宣言」したことを覚えていらっしゃるでしょうか?

そう、必死で試験勉強していたのでした。

 

これまで、受験しても受験しても何度も何度も落ち続けました。もう、駄目じゃないだろうかと思ったことが何度もありました。

諦めー意地ー居直りー達観

最後は、もう破れかぶれでした。

 

でも、今回合格できたのは、「運が良かったから」としか言いようがありません。本当にラッキーでした。直前になって自分で学んだことや教授してもらったことが、試験問題にそのまま出てきたのです。何か目に見えない運命めいた力が導いてくれたとしか言いようがありません。

 

この年齢で、諦めることなく挑戦し続けてきたことは、自分でも誇れることだと思います。普通だったら、とうの昔に諦めています。

 

同時に、皆さんにも励みになったと思います。なあ~んだ、朋之介ができるんだったら、俺にもできるわい。

 

そうです。皆さんもどんどん挑戦してください。

 

そして、この試験がどれくらい難しいか、実体験してみてください。

 

 

 

 一足先に桜が咲きました…

 

見るに値しないテレビ

 

 

 

今日はもう大晦日。ブログなんてやっている暇はないんですけど…。大掃除もまだしてません。明日からもうバッチリ仕事が入っていますし、これからやります。

 

昨日は、隠れ秘境と言われる玉井温泉に行ってきました。東京から車で高速を使って1時間以内。日帰り温泉で、1回700円です。入るとお肌がすべすべする感じで1年間の垢を落とせました。

 

帯広に住んでいた頃はそれこそ毎日のように温泉に入れたものです。市内の街中の銭湯でさえ温泉でしたし、車で15分ほど行けば、本格的な温泉宿がたくさんありました。私が特に贔屓にしたのは「丸美温泉」です。1回250円くらいじゃあなかったでしょうか。「地方格差」が叫ばれる昨今ですが、温泉だけに限れば恵まれていました。逆格差です。帯広はマイナス20度にもなる極寒の地ですが、おいしい空気と水と自然と満天の星と野生の鹿と熊さんに恵まれたいい所です。仕事は厳しい所でしたが、遊びで行くといいですよ。

 

然別湖の氷祭りに行ったら、そこに露天風呂があって、若い美しい女性が手を振ってくれました。これ以上書きませんが、いい思い出です。

 

テレビは年末特番をやっていて、見るとはなしに見ていたのですが、クイズ番組で30人くらいのタレントが登場していて、こんな問題がありました。「ABCの歌」の歌詞で、「…HIJK」の次の「○○○」は何でしょうか?というものです。もちろん、答えは「LMN」です。全員正解に決まっていると思ったら、何人かのタレントが答えられないんですよね。信じられません。テレビというメディアはここまでレベルが低いんですかね。ここまで低いレベルの視聴者しか相手にしていなんですかね?もう、馬鹿らしさを乗り越えて、情けなくなってしまいました。(まさし時間の無駄、人生の無駄です!テレビなんか見なければいいという声が聞こえてきそうですが)

 

この1年間、皆さんにはお世話になりました。よいお年を!

奇妙なクリスマスプレゼント 

 

 

 

 

 

年も押し詰まり、そろそろ年賀状に取り掛からなければならない季節になりました。

 

面倒臭いですよね。でも、もらった時の久しぶりの友人知人の近況を知ることができるので、その楽しさには代えられません。皆さんも同じだと思います。

 

今年は、やけに喪中の葉書が多かったです。今年1月に叔父が亡くなったこともあり、12枚くらいです。ご尊父が亡くなられた人も結構いました。まあ、いずれこの世からお暇しなければならないので、私も生きている限り、この賀状交換という日本の慣習を続けていきたいと思っています。

 

ただ、段々減らしていこうかと思っています。こちらから行為に減らすのではなく、返事が来なければ「ご迷惑」だと考えて翌年から出さないのです。まさに自然減です。

 

経済ジャーナリストのAさんなんぞは、3000枚も出すそうです。それは別格として、異様に顔が広い調布先生は300枚。私の場合はその半分くらいです。以前、仕事関係で仕方なく出した時があり、その時の最高は250枚くらいでした。もちろん、相手から返事は来ないので、仕事関係がなくなれば、縁が切れてしまいました。

ところで、昨日、帯広から電話がありました。「M野さんという人から朋之介さん宛に小包が来てますがどうしますか」というものでした。M野さんといっても、ピンときませんでした。何やら、中年の女性で、タクシーで会社にまで乗り付けて、小包を守衛さんに預けたそうなのです。私は「どうぞ、中身をあけてください」と頼むと、中には、梅干と布製のソーサー、それに、瓶かグラスのような物が入っているそうなのです。中にはメモが貼り付けてあって、読んでもらったら、そこには「このグラスは、貴重なものだと、店の主人も言っていました。マリアセツカヤのサイン入りです」などと書かれていました。相手の住所と名前はありますか?と尋ねると、それはない。ただ、「M」とだけ書いてあります。あ、タクシーの領収書も入っていますね…というのです。

何か気味が悪いですね。

思い起こせば、4年前のことです。私は帯広市役所の広報誌に写真入りで載ったことがあります。「私の逸品」とかいう市民のお遊びのコーナーで、たまたま、市役所の広報の人と昵懇だったので、「どうしても」ということで「出演」したのです。私の自慢の愛蔵エレキギター「ギブソンES335TD」を抱えて、ニッコリ笑っている写真が載りました。

 

その記事を見た市民の読者の方が私の会社を訪ねてきたのです。市役所に電話して、私のアジトを突き止めたようです。その人がM野さんだった、ような気がします。もう名前を忘れてしまいましたが、そうとしか考えれません。その日は、雪が降る日で、M野さんは、何と言うか異様な格好で、フエルトのようなごわごわしたセーターのようなものを2枚も3枚も重ね着していました。髪の毛はボサボサというか、文学的に表現すれが「乱れ髪」でした。言うこともとりとめもないのです。

 

「昨日ジョン・レノンの夢を見て、是非、あなたに会わなければならないというお告げがあったので、来たのです」

「私の夫は、新聞社の販売店に勤めています」

「あなたは有名になりますよ」

 

うーん、こういう人は、どう応対したらいいか、困ってしまいました。不真面目に取り合っても怒り出したら困りますし、生真面目に取り合っても、あまり話が噛み合いません。

 

結局、最後までお話を伺って、丁重にお引取り願いました。

 

それっきりでした。いや、名刺を渡してしまったので、一度電話があり、それっきり、二度と電話を掛けてくるでもなし、訪ねてもこられませんでした。

 

4年も前のことですし、その後、何百人もの人にお会いしましたから、すっかり忘れてしまいました。

 

私は昨年、帯広から関東地方に転勤しましたし、「今頃どうして?」という不思議というか不安が募ってしまいました。帯広の人に「どうぞ処分してください」とお願いしたのですが、「朋之介さん宛ての小包なので、捨てられない」と言い張るので、仕方なく送り返してもらうことにしました。

 

ああ、どうしましょうかね?梅干とソーサーとグラス…どなたか欲しい方はいませんか?

おんばひがさ

 

 

 

私の勤める会社で、早期退職勧告がありました。いわゆる「肩たたき」ではなく、志願制です。目の玉が飛び出るくらい割り増しの退職金が出ます。先週、急にそのお知らせが回ってきました。

 

 

応募は12月17日から来年1月15日まで。先着20人!募集人員に達し次第、締め切り。

 

 

 

さすがに今回は考えましたね。私の信頼する何人かの人にも相談に乗ってもらいました。

 

最初に相談したのは、私淑する業界の先輩の調布先生です。結論的には、ニンジンをぶら下げて煽動しているだけだから「踏みとどまった方がいい」というものでした。残念ながら、このメールのデータは例の携帯水没事件で消滅してしまいました。

 

次に相談したのは、会社の先輩で占術師になったF師です。同師には、今年の春先にもみてもらったのですが、ちょっと岐路だと思いましたものですから、改めて相談に行ったのです。見立ては、こちらが勝手に解釈するれば、辞めても辞めなくても「何とも言えないが、どちらでも成功する」というものでした。

 

 

 

アメリカに住む親友のI君にもメールで相談しました。非常に厳しい見解ながら、かなり的確なアドバイスでした。

 

最後は、実際に「肩たたき」にあった銀行員だった兄に相談しました。こちらも「経験者は語る」談話で、説得力がありました。

 

で、どうなったのか?

 

皆さんにはあまり関心がないかもしれませんが、私の心は定まったとはいえ、ほんの少しだけ揺れていました。まあ、来年1月15日まで引き伸ばしてみようという魂胆もありました。

 

応募初日の17日の夜、調布先生にお呼ばれされて、新宿の有名な焼き鳥屋「ぼるが」まで飲みに行きました。そこには、某女子高の生活指導部長さんと漫画の原作者として有名な倉科遼先生の事務所の社長さんもいらっしゃいました。そこで、あまり個人的な話はできなかったのですが、調布先生から「あなたは、『おんばひがさ』ですから、よく考えた方がいいですよ」と再びアドバイスしてもらいました。

おんばひがさ?

 

聞いたことがない言葉でした。何しろ、調布先生の祖父は江戸時代生まれですし、博学多才の先生は言葉の魔術師です。

「おんばひがさ」とは「乳母日傘」と書きます。広辞苑によると、「乳母に抱かれて日傘をさしかけられなどして大事に育てられること」とありました。

うーん、抗弁できませんね。昨今のウオーキング・プアの実態を見てみると、世間の荒波は想像を絶するほど過酷なものがあります。その荒波にもまれていないことは確かです。

で、結果はどうなったのか?

うろちょろ迷っているうちに、わずか1日で「募集定員」に達し、締め切られておりました。