新企画「築地ランチ」で「わだ家」訪問=「豚丼」の帯広に行きたくなった

 大型企画「明治の銀座『新聞街』めぐり」の5回連載は、流石に疲れました。何が疲れたかといいますと、「眼」ですよ。通勤電車の中で、スマホの小さな画面で一生懸命に校正をしていたりしたので、今でも眼痛が止まりません。しかも、本もパソコンも活字もボケるようになり、こりゃ、やばい。

 最近、老人力もついてきて、先日ZOOMセミナーに参加しましたが、講師の山室信一京大名誉教授の話し方があまりにもの速いので、メモを取るのが追い付かず、深い挫折感を味わわせてもらいました。記憶力も落ちたのでしょう。

 しばらく、ブログは休ませてもらおうかなあ、と思いましたが、本日行った「銀座ランチ」ならぬ「築地ランチ」のことを書きたくなり、短く書かせて頂きます(苦笑)。

 場所は、築地の場外市場の突き当りにある波除(なみよけ)神社の近くです。

 お店の名前は「わだ家」。名前から分かるかもしれませんけど、何と、オーナーは歌手の和田アキ子さんなんだそうです。

 この店を教えてくれたのは会社の同僚のO氏。彼は、メディアやネット情報は信用していませんから、孤独のグルメの井之頭五郎さんのように、自分で足で稼いで偶然見つけた店に入ることが多いといいます。

 「わだ家」が和田アキ子さんの店だということは後で分かったことでした。

 芸能人の店だから、そして、築地という場所柄、「高い」というイメージでしたが、上の写真のランチメニューでお分かりのように、滅法安いのです。

 コーヒー付きでこの値段は、他になかなかありませんよ。ですから、皆様にも御紹介したのです。(宣伝費はもらっていません!=笑)

 小生が選んだのは、「牛焼肉と関西風おうどん」です。お味は、正直、浅草の「今半」には負けるかもしれませんけど、この値段でこれだけ食べられるのですから、最高です。関西風うどんはコシがあって、量もあって、旨い。

 次回は、懐かしい帯広時代を思い出して「豚丼」でも注文しようかなあと思っています。「豚丼」の発祥地は帯広です。もう15年以上昔ですが、帯広時代は、20軒ぐらいは回ったと思います。

 一番のお薦めは、豚丼の発祥店を自任するJR帯広駅前にある「元祖 ぱんちょう」ですかねえ。あれっ?最近、東1条の仮店舗に移転したみたいですね。何と、私の職場があった十勝毎日新聞社の近くじゃありませんか。懐かしいなあ。また、温泉にも恵まれた帯広に行きたくなりましたよ。

人生、捨てたもんじゃない

 

 

 

2003年から06年にかけて、北海道の帯広に一人で住んでいました。

 

一番辛かったのは、全く生まれて初めての土地で、「地縁」「血縁」「看板」「カバン」がなく、初対面の人に慣れない営業をして回らなければならなかったことです。

 

 

 

そして、厳冬の時はマイナス20度以上にもなる寒さには堪えました。

 

「何でこんな所にいるんだろう」と、ここはどこ?わたしは誰?という状態でした。

 

そんな時、自分の運命というものを必死で考えました。

 

地元のカルチャーセンターで「風水」なんかも勉強しました。

 

 

 

でも、今、こうして思うのは、北海道に行って本当によかったということです。北海道はもともと明治以降に開拓され、余所者を受け付ける所ですし、素晴らしい人にたくさん出会うことができました。

 

結局、運命とは何か分からなかったのですが、何かがあるような気がしています。

 

人生には流れがあって、良い時も悪い時もある。ジタバタして足掻いても、一生懸命努力しても実を結ぶことがなく、どうしようもない時があるーといったことを悟りました。

 

 

 

そして、今。また、流れが変わって、永年の努力が実を結んだり、色んな新しい人に巡りあったりしています。

 

「人生、捨てたもんじゃない」

 

と生意気ながら思っています。

昨日、敬愛するSさんからメールが来ました。

「朋之介さんはご自分が思っているよりも運を掴み取る力を持っているのだから、これからも前向きに頑張ってくださいね。今年から朋之介さんにとって幸せなことを多く掴み取れるようですよ。自分をごまかさず、人をないがしろにせず運を掴んで下さいね」
と書かれていました。

肝に銘じます。

今、どんなに苦しい暗い状況に置かれている人でも、いつか必ず、報われるということを信じてください。たとえそれが、5年かかろうと、10年かかろうと…。

見るに値しないテレビ

 

 

 

今日はもう大晦日。ブログなんてやっている暇はないんですけど…。大掃除もまだしてません。明日からもうバッチリ仕事が入っていますし、これからやります。

 

昨日は、隠れ秘境と言われる玉井温泉に行ってきました。東京から車で高速を使って1時間以内。日帰り温泉で、1回700円です。入るとお肌がすべすべする感じで1年間の垢を落とせました。

 

帯広に住んでいた頃はそれこそ毎日のように温泉に入れたものです。市内の街中の銭湯でさえ温泉でしたし、車で15分ほど行けば、本格的な温泉宿がたくさんありました。私が特に贔屓にしたのは「丸美温泉」です。1回250円くらいじゃあなかったでしょうか。「地方格差」が叫ばれる昨今ですが、温泉だけに限れば恵まれていました。逆格差です。帯広はマイナス20度にもなる極寒の地ですが、おいしい空気と水と自然と満天の星と野生の鹿と熊さんに恵まれたいい所です。仕事は厳しい所でしたが、遊びで行くといいですよ。

 

然別湖の氷祭りに行ったら、そこに露天風呂があって、若い美しい女性が手を振ってくれました。これ以上書きませんが、いい思い出です。

 

テレビは年末特番をやっていて、見るとはなしに見ていたのですが、クイズ番組で30人くらいのタレントが登場していて、こんな問題がありました。「ABCの歌」の歌詞で、「…HIJK」の次の「○○○」は何でしょうか?というものです。もちろん、答えは「LMN」です。全員正解に決まっていると思ったら、何人かのタレントが答えられないんですよね。信じられません。テレビというメディアはここまでレベルが低いんですかね。ここまで低いレベルの視聴者しか相手にしていなんですかね?もう、馬鹿らしさを乗り越えて、情けなくなってしまいました。(まさし時間の無駄、人生の無駄です!テレビなんか見なければいいという声が聞こえてきそうですが)

 

この1年間、皆さんにはお世話になりました。よいお年を!

嫌な東京人

Rome

「クルマを捨てて歩く!」(講談社新書)の著書がある帯広畜産大学教授の杉田聡さんは、広い北海道の大地で、車を持たずに、絶えず歩く、という記事を読みました。(9日付朝日新聞)懐かしいですね。

杉田さんは、自宅と大学まで片道3キロ、近所のスーパーまで週2回、1・5キロを、よほど体調が悪い時を除き、吹雪の日も、零下30度の朝も、只管、歩くそうです。

私も経験があります。帯広に住んでいた頃、自家用車を持ちませんでした。只管、歩きました。でも、最低温度を経験したと言っても、零下19度くらいだったと思います。帯広では、マイナス10度を上回ると、暖かいと思ったくらいでしたが、さすがに、マイナス19度は、堪えました。耳が千切れるので、毛糸の帽子は欠かせません。もちろん、オーバーに手袋。それでも、頭がクラクラすることがありました。歩くといっても、1キロくらい。せいぜい20分か30分くらいです。ほとんど人間は歩いておらず、鹿さんやキタキツネさんと出会いました。

杉田さんは言います。「車は速すぎて、人間の認知速度ではない。他人の思いやりを可能な限り深めることが文明化であるなら、車は文明の利器かもしれないが、文明を破壊する道具ではないか。歩いている限り、多かれ少なかれ人と出会う。車という個室化された自分の領域に入ると、外部の人間のことが分からないと思う」

今、東京のどす汚れた大気汚染の中を歩いています。無関心を装う人間とすれ違うだけです。東京の人は、身内贔屓と、傲慢と贅沢三昧の海外高額出張する人間が大好きなようです。ババア呼ばわりされても、自分のことではないと思っているらしい女性の多くが彼を支持しました。

大新聞に投書した東京に住む45歳の主婦は「影響力の大きさと実行力、思いをかねようとするエネルギーの強さ」に目がくらんで、彼を批判しつつ、清き一票を入れたそうです。

矛盾しているなあ、と思ったら、結局、ご自身が一番大事なのですね。

そういう東京が嫌になりました。

音更町で見た目に痛いほど降り注ぐ星々が忘れません。闇夜一面に星が広がり、自然への畏怖を感じたものです。倣岸な人間など、吹き飛んでしまいます。

水も空気も食べ物も美味しく、暖かい温泉が身に染みました。

東京人は、自分を中心に世界が回っていると考えている人間が何と多いことか!

ばんえい競馬

 帯広畜産大学

公開日時: 2006年12月17日 @ 17:43

久しぶりに私の第二の故郷である帯広が全国的に注目されています。「ばんえい競馬」を存続させることがこのほど市議会で承認されたのです。

ばんえい競馬といっても普通の人には、あまり知られていませんが、昨年の東京国際映画祭でグランプリに輝いた「雪に願うこと」(佐藤浩市、伊勢谷友介、小泉今日子、吹石一恵)をご覧になった方は分かると思います。最高1トンにもなる重量のソリを引きながら、2つの障害を乗り越えて、200メートルの直線コースで争われるレースです。

旭川、岩見沢、北見、帯広の4市共同開催されてきましたが、バブル崩壊とレジャーの多角化、長引く不況を背景に累積赤字が31億円を超え、来年以降の開催をいったんは断念したのですが、ソフトバンク系の「ソフトバンク・プレイヤーズ」(本社東京)の支援で、一転、存続が決定されたのです。

ばんえい競馬が廃止されれば、関係者の家族が路頭に迷うのと同時に、お馬さんも、馬肉になるところでした。私は、競馬はやりませんが、恐らく、このソフトバンク・プレイヤーズはインターネットで馬券の販売を全国的に展開するようですから、試しに覗いてみて、挑戦するかもしれません。

胸の痛みがなくなった

東京から帯広に単身赴任で来ている人からこんな話を聞きました。

帯広に来て2年4ヶ月。この間、ずーとつきまとっていた胸の痛みが消えていることが最近わかりました。

 

いくつか理由が思い当たります。

 

その前に、なぜ胸の痛みが生じたのか。

 

考えられることはー。

 

環境の激変。仕事の激変。家庭不和。孤独と不安。開けぬ将来の展望。そして、父親の死期が迫っていたこと…などです。

 

2年4ヶ月経ち、環境と仕事にはさすがに慣れました。家庭不和は途絶となり、大して気にならなくなりました。父親は昨秋亡くなり、もう夜中にかかってくる電話に怯えることはなくなりました。

 

深い悲しみは、喪失感に変わりました。

 

無常観ではありません。

 

生きていることの素晴らしさと有り難さを誰よりも深く感じることが出来るようになりました。

 

毎日、感謝の念を持って生きていくことができるようになりました。

 

「人に優しく、自分に厳しく」生きるのではなく、「人に優しく、自分にも優しく」生きることを決めました。

 

どん底を知った者の強みでしょうか。

 

最悪な事態が起きるといっても、せいぜい破産するか、死ぬかでしょう。

 

まだ起きもしないことに怯えても詮方ない話。

 

何が起きても大丈夫だという生きる自信も湧いてきました。

 

こうして胸の痛みがなくなりました。

 

存在の耐えられない痛さ 

帯広で3回目の冬を迎えていますが、今日初めて、地吹雪なるものを経験しました。

昨日、帯広では30センチの雪が降りました。今日は、快晴でしたが、異様な強風が吹き荒れ、昨日降った雪が、周囲に舞い散りました。

こう書くと、多少風情があるように聞こえますが、外を歩くと容赦なく、地吹雪は顔に叩きつけて、まるで砂粒が当たったように痛くて、痛くてしょうがありません。もちろん、目も開けられません。プロレスのデストロイヤーのマスクが欲しくなったくらいです。

私が東京にいた頃、北海道赴任経験者から「あそこは人間が住むところではない」と言った言葉がよぎったほどです。

帯広で生まれ育った人なら慣れているでしょうが、初めて体験した者としては、本当に参りました。周囲を見たら、あまり人は歩いていません。
こういう日に歩いているのは、何も知らない「外地の人」ばかりのようでした。

仕事で清水町にまで行ったのですが、案の定、強風のため、特急列車は運休し、普通列車も50分も待たされてしまいました。
地元の人は「またか」といった感じで、誰も駅員に食ってかかる人はいませんでした。

こういう厳しい自然環境の中で生きている人が、たくさんいるということを今更ながら知った次第です。

北海道は植民地か!?

昨日は、冗談半分で「帯広語」などと書いてしまいましたが、本当は、北海道は殆ど方言がなく、イントネーションも東京と変わらないのです。

そこを付け込んだ業者がいることを、今日の北海道新聞の記事で初めて知りました。

方言がないことをいいことに、本州の特に東京の大手企業が「コールセンター」を北海道に移転しているというのです。札幌市も「雇用促進」になるからといって、2000年度から総額2億8000万円の補助金をつぎ込んでいるそうです。

何が問題なのか。

その前に「コールセンター」とは何かを説明しなければなりませんね。要するに、簡単に言えば、苦情処理係りです。見知らぬ人間から、居丈高に、時には罵声や怒鳴り声を浴びなければならない、あの苦行です。信用だけが大切だが、苦情が多い食品メーカーや保険会社、クレジット会社などが特に必要としている部署です。
しかし、その本拠地を東京に置いていては、お金が掛かりすぎる。そこで目を付けたのが「人件費が安く、方言が少ない」北海道だったのです。道の補助金制度のおかげで、道内には現在44社のコールセンターがあるそうです。

例えば、Aさんが買ったチョコレートの一部が溶けていて不良品状態だった。文句を言うために、東京の電話番号を回すと、いつの間にか、そして全く知らぬ間に、電話は転送されていて札幌の人と話しをしていたというわけです。

問題なのは、そのコールセンターのひどい労働条件です。トイレにも気兼ねしていけない。給料が安く、出勤日も指定されるので、月収が10万円にも満たない人がいる。仕事にやりがいがあればまだ我慢できるが、いきなり理不尽にも怒鳴りつけられれば、離職したくなるのは当たり前でしょう。上司もあまりにも人が替わるので名前が覚えられず、ついに、オペレーターを番号で呼ぶそうなのです。これでは、鶏のブロイラー場ではありませんか。

大手企業のほとんどは「人件費が安いから北海道でやらせてるんだ」と開き直っているそうです。これでは、明治以来、「開拓」「殖産」の美名の下、実態は内地による植民地政策と殆ど変わらないのではありませんか。まあ、百年やそこらでは日本人の心性など変わるはずがないのでしょうが。

【昨日の答え】
①なした?(どうしたの?)
②ゴミ投げていいですか?(ゴミ捨てていいですか?)
③バスタッチ(バスターミナル)
④しゃごむ(座る)
⑤(病院で)こわいですか?(辛いですか?)

北海道の桜

北海道帯広にもやっと遅い春がやってきました。
5月7日に桜が開花宣言されるのです。
昨年、初めて春をこの地で迎え、周囲が「桜が咲いた!桜が咲いた!」と浮かれているものだから、「え?うそー!何処に?」にといった感じで周りを見渡しても桜は見当たりません。

それもそのはず。内地人の私にとって、桜といえば、即、ソメイヨシノのこと。残念ながら、ソメイヨシノは、函館辺りが「最北端」で、北海道の殆どでは見られないのです。(そういえば、今日は函館で桜が満開だそうです)

こちらで「桜」といえば、エゾヤマザクラのこと。内地でいえば、ソメイヨシノが終わって、申し訳なさそうに日陰で咲いている八重桜に近い感じです。道理で「桜」と気が付かなかったはずです。「桃の花」と思ったくらいですから。

ともかくとして、明日は帯広の桜が開花宣言します。生憎の大雨予報で桜見は明後日に順延されましたが、まあ、花より団子、いや花よりお酒になることでしょう。

帯広礼賛

公開日時: 2005年4月10日

一昨年、「人間の住む所ではないが…」と言われて、東京から帯広に追放された身なれど、最初は確かにあまりにもの桁外れの寒さに閉口して、「やんぬる哉」と、咳をしても一人の生活に心寒き思いをしたものの、歳月経てば自ずと愛着も湧き、嫌なことは片目で見る所作法を身に着けたようです。

そこで十勝・帯広の長所…。

●河川敷のコースとはいえ、ゴルフコースが帯広駅から車で10分。平日3500円也。
●カラオケ・ルームが1時間、ドリンク1杯付きで100円。クレイジーキャッツとバーブ佐竹が歌い放題。もちろん、オレンジレンジやSMAPも。
●世界に2つしかないモール温泉が出る温泉が、300円で入り放題。ちなみに、もう1箇所、モール温泉が出るのはドイツのバーデンバーデンだとか。確か、モーツァルトの奥さんもそこへ湯治に行ったはず。
●杉がないので花粉症にならない!!内地の皆様、ご苦労さん!上士幌町では、「花粉症疎開ツアー」を企画したところ、全国から応募が殺到して、大盛況だった。
●自宅から会社まで歩いて3分。満員電車から解放された!
●街中で大酒飲んでも、終電を気にすることなく、タクシーに乗ることもなく、歩いて帰れる!
●これまで週に2,3冊買っていた週刊誌も、こちらでは発売が2日も遅れるので、馬鹿らしくて買わずに済む。電車に乗らないので読む暇がない。
●忘れるところでした。雄大な大自然。100㍍どころか数10㌔でも見渡せそうな視界。満天の星。怖いくらい降り注ぐ星屑の光。そして、ランプの光さえない漆黒の闇の世界。かと言えば、雲一つない澄み切った青空。羊や馬の大きな優しい瞳。身を切るような冷たい氷雨。五感をフル回転しても追いつけない自然の叫びと、食べ尽くせない大地の恵み。