「山本五十六長官機撃墜の真相」と「通訳者と戦争犯罪」=第52回諜報研究会

 最近、加齢のせいか、自宅の居間から書斎に行った際、「あれっ?何を取りにに来たのだろう?」と、綾小路きみまろさんの漫談みたいなおめでたい世界に私自身も段々入って来ましたが、10月7日(土)、早稲田大学で開催された第52回諜報研究会に参加して来ました。

 「インテリジェンス効果のミクロ、マクロの諸側面」をテーマにお二人の著名専門家が登壇されましたが、参加者が思っていたよりそれほど多くありませんでした。(オンラインで30人ほど参加されていたようでしたが)「こんな面白い講義を聴かないなんて勿体ないなあ」と個人的には思いました(苦笑)。

講義で熱演される原勝洋氏

 お一人目は、戦史研究家の原勝洋氏(81)で、演題は「山本五十六聯合艦隊司令長官機撃墜の真相/乱数表の使いまわし」でした。このタイトルで大体の内容が分かると思いますが、太平洋戦争最中の1943年4月、前線視察に向かった山本長官の搭乗機が撃墜されたのは、米軍が日本海軍の暗号電を解読し、しかもその真相は日本海軍が暗号の乱数表を使い回していたことを米軍が見破った結果によるものだったということを、原氏自身が米ワシントンの公文書館で機密資料を発掘して明らかにしたのでした。

 この件に関しては、時事通信社の宮坂一平記者が、原氏に直接、何度もインタビューし、記事が今年8月に全国に配信されましたので、お読みになった方もいらっしゃると思います。(上の北海道新聞の記事もそうです)

 私は、編集局長賞ものの大スクープだと思いましたが、会社は夏の恒例の戦争企画か、「暇ダネ」扱いしかしてくれなかったそうです。酷い会社ですねえ(苦笑)。

 ま、それはともかく、原氏の話は、「ウルトラ」と呼ばれる超機密文書を米公文書館で発掘した苦労話が主でしたので、会場に参加した私は、珍しく質問しました。最大の疑問は、「何で日本海軍は暗号の乱数表を使い回しにしたのか」ということだったからです。

 それに対して、原氏は「日本海軍はこんな複雑な乱数表は破られるわけがないと確信していたのでしょう。でも、米国にはIBM(コンピューター)がありますから、乱数表を変えたり、順番を変えたりすれば解読できるわけですよ。それなのに、日本の海軍軍令部は米国人は解読できるわけがないと思い込んでいた」と仰るのです。なるほど、真珠湾攻撃で勝利した海軍は傲慢になっていたことが分かります。山本長官が撃墜される1年前に、ミッドウェー海戦での大敗があり、これが後世の歴史家から見れば「勝負の分かれ目」になりました。このミッドウェー敗戦も、暗号が米軍に解読されていたためだったことに日本海軍は気が付かなかったのでしょうか? 失敗から教訓を学んで改善しない限り、必然的に負けるはずです。

 お二人目は、立教大学異文化コミュニケーション学部・大学院研究科特別専任教授の武田 珂代子氏で、演題は「英軍戦犯裁判での通訳被告人による諜報活動」でした。個人的ながら、私自身も通訳の仕事をしたりしているので、「もし、自分が戦時中に通訳をやっていたら、戦後、裁判にかけられて処刑されていただろうなあ」と、他人事ではなく、身近に感じながら興味深く拝聴しました。

 お話は、武田氏が今年6月に出版されたばかりの「通訳者と戦争犯罪」(みすず書房)を中心に話されました。その前に、武田氏の経歴がちょっと変わっておりまして、米西海岸のサンフランシスコとロサンゼルスのほぼ中間にあるモントレー国際大学(現ミドルベリー国際大学モントレー校)御出身ということでした。この大学院は、私自身も含めて日本人にはほとんど知られていませんが、米国では「CIA養成学校」と噂されるほど、出身者の多くがCIAに就職しているそうです。

 さて、武田氏によると、ナチス戦犯裁判では20人の戦時通訳者しか被告人にならなかったのに、対日BC級戦犯裁判では、100人以上の被告人が出たというのです。特に一番多かったのが、シンガポールや香港などで捕虜が虐待されたという英軍裁判で、起訴された通訳者は39人(うち台湾人18人)だったといいいます。内訳は、軍人3人で、軍属・民間人が36人。英語は勿論、福建語やマレー語、広東語できる台湾出身者が重宝されたようです。裁判で有罪になった通訳者は38人(台湾人17人)で、死刑になった人は10人(台湾人6人)だったといいます。

 なぜ、単なる通訳者なのに、死刑に処せられるほど罪が重くなるのかという理由について、武田氏は、捕虜の拷問に際しての通訳や虐待への参加などで、被害者から「可視化」されて覚えられてしまうことと、戦犯の共同責任を問われることなどを挙げておられました。

 このほか、通訳だと語学が出来るので同時にスパイだと疑われる場合がありますが、実際に通者兼諜報員だった人の例も武田氏は何人か例を挙げていました。その一人が日系二世のリチャード・サカキダという通訳者で、この人は、あの山下奉文大将が最後の司令官を務めたフィリピンの第14方面軍司令部で、通訳をしながら、フィリピン・ゲリラに情報を流していたスパイだったといいます。

 日本人では、通訳者を装ったスパイとして、日露戦争開戦時に諜報活動をし、最後はロシア軍に捕獲されて処刑された横川省三や沖禎介らを紹介していました。

 さて、個人的には武田氏の「通訳者と戦争犯罪」(みすず書房、4950円)はちょっと難しそうなので、その前に、2018年に出版された同氏の「太平洋戦争 日本語諜報戦」 (ちくま新書、880円)を先に読んでみようかな、と思っています。

 この日登壇された原勝洋氏も武田珂代子氏も非常に精力的な研究者で熱弁に圧倒されましたが、お二人とも非常に根が明るく楽しそうな方だったので、難しい内容の講義も楽しく拝聴できました。

「母国へのインテリジェンス協力の諸相」=第38回諜報研究会

10月9日(土)午後、誰でも自由に参加できるオンラインで開催された第38回諜報研究会(NPOインテリジェンス研究所主催、早稲田大学20世紀メディア研究所共催)に馳せ参じて来ました。

 先月参加した第37回研究会で、恫喝まがいの炎上事件がありましたから、今回もどうなることやら、とヤキモキしておりましたが、件の怖そうなインテリの方は、きこしめていなかったせいなのか、大人しくて、無事平和に終わり、良かったでした。

 特に、2人目の報告者、武田珂代子立教大学教授による「太平洋戦争:情報提供者としての離日宣教師」は、講義にこなれている大学教授だけあって、非常に分かりやすく、頭にスッと入りました。

 武田教授は、アジア太平洋戦争・日本占領期の翻訳通訳事象の研究がご専門のようですが、私自身も関心があるので非常に興味深かったでした。米スタンフォード大学フーバー研究所の資料を苦労して渉猟してでの研究発表でした。

 私が驚いたのは、米海軍は、対日戦争の準備のために、早くも1936年に日本語通訳・翻訳者候補のリストを作成していたことでした。1936年は「二・二六事件」があった年ではありますが、真珠湾攻撃の5年も前。しかも、大日本帝国は、真逆に英語は敵性語として禁止したほどではありませんか。まさに、インテリジェンスの情報戦という意味では、既に5年前に日本は敗北していたことになります。

◇ライシャワー、モーア、そしてモーラン

  太平洋戦争・日本占領期で活躍した米国人の通訳・翻訳者は、来日宣教師や日本生まれのその子息が多かったんですね。戦後、駐日大使になったエドウイン・ライシャワーもその一人で、最も有名ですが、東京裁判で言語裁定官を務めたラードナー・W・モーアも日本生まれの宣教師だったのです。モーアは、交換船で帰米後、陸軍情報機関の翻訳指導をし、戦後、再来日し、陸軍言語部長として占領活動。除隊後、宣教活動を再開し、四国基督教学園(現四国学院大学=香川県善通寺市)の初代学長になった人です。この人の実弟が、ウォーラス・H・モーアで、陸軍情報将校となり、当時敵視されていた日系二世の活用を主張し、戦後は、収容所から帰還した日系人を支援した人と知られています。

 もう一人だけ、重要人物は、シャーウッド・F・モーランで、1925年に日本で宣教活動を始め、41年に帰米。56歳で海兵隊に志願して言語官になった人です。日本人捕虜を「人間的アプローチ」で尋問したことから、アフガニスタン・イラク戦争で再注目されました。その日本生まれの息子が シャーウッド・R・モーランで、海軍の言語官となり、暗号解読などに従事し、戦後は原爆調査にも参加したといいます。海軍情報士官として日本人捕虜を尋問した経験のある世界的な日本文学者のドナルド・キーン氏の著作の中にも、このモーランがしばしば登場します。

通訳団体、退会するしかないか?

 最近、プライベートで色々あったりして、テレビを見るどころか、落ち着いて本も読めません。机の上に「積ん読」状態です。死んだら持っていけないので、なるべく「モノ」は買わないようにしているんですが、どうも本や雑誌は買ってしまいます。

 もう一つ、落ち着かなかったのは、以前にもこのブログで書きましたが、私も会員になっている通訳団体内のいざこざです。(2021年3月1日「通訳団体で内紛勃発=世間は関心なく週刊誌ネタにもならず」)今の執行部が今月下旬に、問題のある3人の理事を解任する議案を中心にした臨時総会を開催するというので、私は、スターリンの粛清の臭いを感じ、「総会開催反対」の趣旨で、会員向け一斉同報メールに初めて投稿したのです。

 この会員向けメールには、ここ数カ月、執行部派と反執行部派との間で、暴言や口汚い罵り合いめいた紙爆弾が飛び交い、かなり閉口しました。最後は執行部が反対派のメールを遮断して終わりましたが、この点に関しては、私は言論封殺の何ものでもないと確信し、憲法が保障する言論の自由の侵害だと思ったので、執行部に対しては不信感を抱きました。

 それでいて、執行部派は「会長様が、無料で釈明会見を開いてくださり、大変大変お忙しい中、誠に誠に有難う御座いました。」と歯の浮くような賞賛、礼賛の言辞を並べ立てて、どこか独裁政権の報道か、朝鮮放送を聴いているようで、違和感といいいますか、はっきり言って、会員であることの居心地の悪さを感じました。

 イザコザの遠因は「パイの奪い合い」です。コロナ禍で通訳の仕事がなくなったことも要因です。執行部は、観光庁から依頼された講師派遣などの仕事を会員に通知せず、仲間うちだけで相談して決めてしまったとか、要するに経済戦争がバックグラウンドにあったわけです。

 私自身は、13年在籍するこの通訳団体から仕事を斡旋してもらったり、講師を頼まれたりしたことは一度もないし、期待もしていないので、中立的立場を取ることができますが、内部事情を知っている人にとっては、「現執行部は7年超も長期独裁政権が続き、執行部とその息のかかったものだけがいい思いをしてズルい」と考えるわけです。こちらの方が真っ当ではないでしょうか。

 今回、会員向けメールに自分の考えと不快感を表明したのですっきりしました。が、これで、ブラックリストに載ったも同然なので、私のメールアドレスも遮断されたり、冷や飯を食わされたりすることでしょう。退会するしかないのかもしれません。

通訳団体で内紛勃発=世間は関心なく週刊誌ネタにもならず

pleine lune Copyright par Duc de Matsuoqua

またまた、個人的な話ながら、私が所属している通訳団体で、内紛が勃発しています。

 1カ月以上前に、会員向けの一斉メールに、ある理事から急に、会長ら一部幹部理事による不正告発と本人の理事辞任の表明があり、それ以来、ほぼ毎日のように、「主流派」と「反主流派」からの激烈なメールの応酬があり、正直、どちらを信用していいのか、真実が分からず、うんざりするほどです。

 主流派は「何ら不正をやっているわけがなく、会員メールで根も葉もないことを書くのは不適切だ。第一、理事は、日当2000円と実費交通費しかもらっていない」と主張していますが、反主流派は、観光庁や協賛企業から現役通訳の講師派遣(1回3万円)などの依頼があった際、会員に告知せず、仲間内だけで密室で談合して決めてしまうというのです。他に、外部から通訳の依頼があった時、会員には公募告知するものの、誰にするか「早い者順」というのは建前で、やはり、仲間内で配分しているという疑惑があったり、かつての事務局長を務めた人がセクハラ事件を起こして告訴され、その裁判費用を団体が秘密裏に肩代わりしたりしているというのです。

 もし、反主流派の主張することが事実なら、一部幹部による組織の私物化となり、いかがなものかです。

 コロナ禍で外国人観光客がいなくなり、通訳の仕事がなくなったことも、この内紛の背景にあるようです。ですから、私は一種の「権力闘争」だと見ています。

pleine lune Copyright par Duc de Matsuoqua

 私が所属する通訳団体は、1940年創立と日本で一番古い団体ですが、一部幹部による便宜供与独占は今に始まったわけではなく、問題が発覚すると、その度に、反主流派が分離独立して新しい団体を結成している、といった話を漏れ聞いたことがあります。要するにお金の問題です。組織になると、裏社会も含めて、どんな組織でも、一部の上層幹部だけが甘い汁を吸う構造は変わらない、ということなんでしょう。

 悔しかったら、幹部になってみろ!ですかね?

 今回もトップの方が、過去1年で事務局長2人、外部監事1人、従業員2人を罷免したという未確認情報もあり、お隣の金さんか、プーチンさんのような独裁政権を断行している、というのが反旗を翻した人たちの主張です。本人の自己都合で辞めたのかどうか、確認できないので真相は不明ですが…。

 こんなことを書いても、実体は「コップの中の嵐」であって、世間の人には何の関係なく、全く預かり知らぬことでしょう。

 何故なら、某週刊誌の友人に、この話を聞いてもらったら、「それは、関係者以外誰も知らない団体だし、不正の金額も週刊誌ネタにしては低すぎる…。一番のネックは、有名人が一人もいないこと。記事にするには難しいなあ」とのこと。

 あまりにも分かりやすく、理路整然としていたので、スッキリするぐらい納得してしまいました。

 

ヴァラエティ日本版の発行人にお会いしました

 昨日は複数の会合に出席し、また帰宅が深更に及びました。そろそろ、肝臓の方も疲れてきました。

午後は、日比谷でおつな寿司セミナーの月例会。ゲストは、エンターテインメント雑誌「ヴァラエティ」日本版の編集発行人のHさん。同誌は1905年発行の世界で最も古いエンタメ誌で、現在、ロンドンの本社があるリード・ビジネス・インフォメーションから発行されているそうです。同社は世界最大の出版社らしく、250種類の雑誌を世界で出版し、1兆円の売り上げがあるそうです。

同誌は、主にハリウッド映画やブロードウエーで働く業界人のためのビジネス誌に近いもので、スタッフも同誌を参考にキャスティングしたり、プロデュースしたりするそうです。データに定評があり、興行収益も水増ししたりせず、厳格な数字を掲載しているので、例えば、ある映画を製作する際にファンドを公募した時に、同誌が運営するM社の裏書があると、その信用が絶大で、銀行からも簡単にお金が借りられるそうです。

ヴァラエティ日本版は、ネットでビジネスを展開していますが、広告収入はそれほど期待できず、データベースやアーカイブなどコンテンツ販売に力を入れるそうです。

ちょっとオフレコ発言が多かったので、普通の人は、ネットを見て楽しめればいいのではないかと思います。http://www.varietyjapan.com/

夜は銀座の「方舟」で、通訳案内士の皆さんとの会合。これから本格的に仕事をしようとする人ばかり9人も集まりました。わざわざ奈良県からお見えになった方もおり、初対面の方が多かったのですが、和気藹々とした雰囲気で何ということのない話でも大笑いしました。

 

ただ、通訳の仕事は「個人事業」なので、シビアな話もありました。リスクが発生した時に、どう対処したらいいかということです。エージェントからの依頼の仕事だったら、そのエージェントなりが賠償してくれたりするかもしれませんが、個人で直接仕事を請け負った時、例えば、お客さんが怪我をしたとか、お金やパスポートを落としたりするなど万が一の事態が起きた時に、ガイド個人がかなりの負担を背負わなければならないケースも発生するというのです。

ある通訳ガイドの人はそれが嫌で、個人で直接仕事は受けないそうです。いくらエージェントに上前をはねられても(失礼)、保険になるので、組織を通した方が安心感が違うというのです。

東田さんという福岡出身の人が、米国の大学では、教授連中は必ず保険に入るという話をしていました。それは、米国は訴訟社会ですから、例えば、成績にAをもらえなかった学生が逆恨みして、やってもいないのにセクハラで訴えたりするケースがあるそうなのです。

そういう世界から来る人たちをガイドするとなるとそれは大変ですね。

色々と勉強になりました。

新宿副都心で

最近、出かけることが多く、3日連続の痛飲でした。

昨日は、新宿副都心の高層ビル群に久しぶりに行ってきました。

まず、京王プラザホテルに行き、そこの展示室とロビーの一角で行われていた「小島貞二・松尾鏡子 二人展」を覗いてきました。松尾さんが、私の友人の野寺さんの伯母に当たる人で、いつぞや、お茶会に誘われたのですが、ちょうど試験勉強で忙しかったこともあり、お断りしたことが昨年あったのです。(それ以来、お声がかからなくなってしまいました=笑)

今回こそ、行かなければなあ、と思って行ったのです。

松尾さんは、女子美大の工芸科で、民芸運動の第一人者である柳宗悦の甥に当たる柳悦孝(後の女子美大学長)に師事し、織物を始めました。今の肩書きは、何と言う言い方をしたらいいのか分かりませんが、織物工芸家というか、染色家というか、とにかく、染色した糸を使って、機織り機で一本、一本、紡ぐようにして織っていくのです。気が遠くなる作業です。これで、振袖や短袖などをこさえていくのですが、見事としか言いようがありませんでした。その色彩と意匠は、日本人として見ていて、とても心が温かくなり落ち着くのです。値段が付いていましたが、150万円前後でした。

私には、その価値がどれくらいか分かりませんが、すべて手作業なので、原材料をいれれば、それぐらい掛かるのでしょう。野寺さんによると、その値段は原価に近く、卸や商店を通じて消費者の手に渡る頃は、300万円になっているというのです。

実は、松尾さんは、九州の唐津市出身で、実家が私の叔父の家の近くだというので驚いてしまいました。私自身は、唐津には一度しか行ったことがないのですが、両親は九州出身で、二人は唐津で知り合ったので、大変縁が深い所なのです。

さて、その足で、ハイアット・リージェント東京ホテルまで、行きました。某有名予備校が主催する通訳案内士合格祝賀会に出席するためです。300人くらい列席したらしく、大盛況でした。会場では、礒部さん、岩本さん、飯田さん、上西さん、東条さん、島居さん、肥前さん、平島さん、中野さんと久しぶりに会いました。15人くらいのクラスで10人も合格するという大変優秀なクラスでした。

http://www.hello.ac/party/tokyo2007/index.php

試験に合格したのはいいのですが、これからが本番で、職も少なく、大変厳しい状況のようです。

学院長の挨拶が長いので通院ではなく、痛飲してしまいました。

ついに、やりました!

 Bravo!

 

 

個人的なことですが…と、もったいぶって言いますが、ついにやりました!

念願の超難関国家試験に合格しました!今日、発表がありました。

これで、私も胸を張って「通訳案内士」と名乗ることができます。

長かったですねえ…

七転び八起き…いや…七転八倒の苦しみでした。

 

今、明かします。

 

このブログの熱烈な読者はお分かりだと思いますが、昨年7月と11月に突然、理由を告げることなく、それぞれ二週間くらい「休筆宣言」したことを覚えていらっしゃるでしょうか?

そう、必死で試験勉強していたのでした。

 

これまで、受験しても受験しても何度も何度も落ち続けました。もう、駄目じゃないだろうかと思ったことが何度もありました。

諦めー意地ー居直りー達観

最後は、もう破れかぶれでした。

 

でも、今回合格できたのは、「運が良かったから」としか言いようがありません。本当にラッキーでした。直前になって自分で学んだことや教授してもらったことが、試験問題にそのまま出てきたのです。何か目に見えない運命めいた力が導いてくれたとしか言いようがありません。

 

この年齢で、諦めることなく挑戦し続けてきたことは、自分でも誇れることだと思います。普通だったら、とうの昔に諦めています。

 

同時に、皆さんにも励みになったと思います。なあ~んだ、朋之介ができるんだったら、俺にもできるわい。

 

そうです。皆さんもどんどん挑戦してください。

 

そして、この試験がどれくらい難しいか、実体験してみてください。

 

 

 

 一足先に桜が咲きました…