L’ automne deja

L’automne deja!- Mais pourquoi regretter un eternel soleil, si nous sommes engages a la decouverte de la clarte divine,- loin des gens qui meurent sur les saison.  – Arthur Rimbaud

素朴な疑問です。

ルネッサンスの三大巨匠といえば、ダ・ヴィンチとミケランジェロとラファエロです。そう、世界史に名前を残しています。でも、ミケランジェロとラファエロは苗字でなくて名前なんですよね。正確には、

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)

ミケランジェロ・ブオナローテ(1475-1564)

ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)

です。ブオナローテやサンツィオでは誰のことか分かりませんよね。ボッティチェリでさえ苗字で、名前はサンドロ・ボッティチェリ(1444-1510)です。

(パブロ)ピカソでも、(クロード)モネでも、(ポール)セザンヌでも、(オーギュスト)ルノワールでも、苗字ですよね。

そういえば、「夜警」で知られるレンブラントがいました。確か名前だったはずです。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606-1669)がその正確な名前です。ファン・レインでは誰のことか分かりません。

本人がそういい残したのでしょうか?よく分かりません。

バンド遊び

小樽

公開日時: 2006年9月24日

昨日は久しぶりに、高校時代のバンド仲間と赤羽のスタジオで音楽遊びをして日頃の憂さを晴らしてきました。とはいえ、ドラマーの黒川は法事で欠席、ベースの神林はドタキャン。結局ギターの幸信と二人きりになってしまいました。

そこで、幸信の学生時代の友人で赤羽に住む小巻君を急に呼び出して合流してもらいました。彼はベーシストなのでですが、イーグルス専門で、我々のようにビートルズがほとんどできなくて、ほとんどバンドになりませんでしたが…。

私は買ったばかりのマーチンD28を持って行き、幸信は、ジョン・レノンが愛用していたギブソンのJ160Eを持ってきました。結局、アンプラグドになりました。

終わった後、幸信と二人で「魚魯魚魯」で痛飲、その足でドタキャンした神林の家に押しかけて、また芋焼酎「一刻者」を痛飲しました。話すことは、年を取ったせいか、病気の話ばかりです。笑ってしまいます。

幸信はキーボードの腕前が驚くほど上がっていましたが、恐ろしいほどのギターのコレクターだということが分かりました。エピフォンのカジノが2台、J160Eが2台…結局12台もギターを持っているのです。それも安くても中古品で15万円ですから、総額は…すごい値段ですね。私もマーチンとギブソンのE335TDとオベーションのクラシックギターの3台持っていますが、とても毎日弾きこなせません。すごいなあ、と感心してしまいました。

ギターに興味のない方には、つまらなかったと思うので、アメリカに住む今村君がメールで送ってくれた「格言」を無断で引用します。

水は酒をダメにする。

車は道をダメにする。

女は男をダメにする。

(分かるような気がします。次の箴言は、掲載しようか、悩みましたが、非常に良く分かりすぎるので載せちゃいます)

25歳までの女は自分を殺す。

35歳までの女は自分と相手を殺す。

35歳以後の女は相手だけを殺す。

天国への階段

公開日時: 2006年8月29日

最近、若い頃に聴いたロックの歌詞に凝っています。当時は、詞の内容などほとんど意に介しておらず、とにかく、ギターのリフやベースラインばかり聴いていたからです。

長じて、歌詞カードを見てみると、いかに出鱈目かが分かりました。間違いだらけと言ってもいいでしょう。恐らくロック音楽など子供相手なので、誰も抗議する人がいなかったのでしょう。

以前、ひどすぎる例を挙げたことがあります。

例えば、ビートルズの「ノルウェーの森」。原題の Norwegian wood は、本当は「ノルウェー製の家具」という意味だということを指摘したことがあります。

ジョン・レノンがソロになった時に出した「コールド・ターキー」は、日本でシングル盤がリリースされた時「冷たい七面鳥」でした。(カプリングのB面は、「京子ちゃん、心配しないで」だったことを覚えています)

「冷たい七面鳥」は直訳で、全く原題の意味をなしていません。当時発行された英和辞書にはどこにもその訳が載っていなかったのでしょうが、今の辞書にはほとんど載っています。

麻薬などが切れたときの「禁断症状」という意味です。それで、あのジョンの不可解な叫び声の意味が分かりません。冷たい七面鳥では…。

レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」は、Stairway to Heaven ですから概ね合っているでしょう。

しかし、歌詞カードの最後の方が出鱈目なんですよね。ですから、翻訳も間違っています。この曲だけ原文がジャケットに印刷されているのに、そこまで神経が行き届かなかったのでしょうか?

この曲は恐らく、ロバート・プラントが作詞したのでしょうが、かなり諺が間接的に引用されています。

最初の出だしの、

There’s a Lady who’s sure all that glitters is gold.

And she’s buying a stairway to heaven.

の中の all that glitters is gold. は、  All that glitters isn’t gold.(煌くものすべてが黄金であるとは限らず。=見かけで判断するな)のもじりです。

しかし、4番に出てくる

And it’s whispered that soon if we all call the tune,then the piper will lead us to reason.

の意味が分かりません。

歌詞カードには

「囁かれているのは、間もなく我々が皆、あの調べを歌えば、笛吹きが我々を理性に導いてくれるだろうと」

となっていますが少し違う気がします。何故なら、次の諺を踏んでいるからです。

He who pays the piper calls the tune.(笛吹きに金を払うものは曲を注文する。⇒お金を払うものには発言権がある。責任を取るものには命令権がある)

これを試訳すると、

「そのうち静かに伝わるだろう。もし、我々みんながその曲を注文すれば、笛吹きが我々を理性に導いていくれるだろう」

ですが、その言外の意味として、「もし我々みんなが責任を取れば、理性的な世界になるだろう」ということになるのでしょう。

ネイティブには、こういった諺が頭にインプットされているから敵うわけありませんね。

マーチン D-28

 公開日時: 2006年7月17日

今日と明日は私にとって特別な日です。

明日に備えて今日は大きな買い物をしました。

マーチン D-28です。

言わずと知れたギターの名器です。フォークギターの元祖のようなものです。

特にビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーが愛用したギターとしても知られています。「ハロー・グッドバイ」のプロモーション・ビデオでジョンが弾いています。映画「レット・イット・ビー」の中でポールが「トゥ・オブ・アス」で、左利き用に弦を逆に張り替えて弾いています。

フォークギターといえば、ジョンは、初期の頃、ギブソンのJ-160Eを愛用していました。茶色のピックアップ付きは、映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」の「恋に落ちたら」などで弾いています。解散後の「平和を我ら」にで弾いているのもJ-160Eのようです。ポールの「イエスタデイ」はエピフォンのテキサンというフォークギターで演奏しています。ジョージ・ハリスンは、ジョンと同じギブソンのJ-160Eのほかに、ギブソンのJ-200も愛用していました。

でも、レコーディングでは結構、D-28を使用しているようです。「ホワイトアルバム」の「アイ・ウイル」もそうだと思われますし、ポールの最初のソロアルバムの「マッカートニー」では「エヴリ・ナイト」にしても「ジャンク」にしてもシャリシャリした音色は、マーチン以外には考えられない音なのです。

私はこれで、エレキギターはギブソンのESー335TD、クラシックギターはオベイション、そしてフォークギターはマーチンのD-28と「3種の神器」を揃えることができました。

ギブソンもマーチンも、ギター少年にとってはあこがれのギターで、とてもとても手に届かない代物でした。私も手に入れるのに半世紀も掛かりました。

うーん、フェンダーも欲しくなってきました。

モーツァルトの奥方

写真の左の女性が、今年生誕250年を迎えたモーツァルトの奥さん、コンスタンツェだそうです。

驚きました。

AFP通信が全世界に配信したもので、写真は1840年10月に撮影されたもので、コンスタンツェは当時78歳。この2年後の1842年に他界したそうです。

コンスタンツェは、夫のアマデウス・ヴォルフガンクが1791年に35歳の若さで死去した後、デンマークの外交官と再婚し、写真の右隣のスイス人の作曲家のマックス・ケラーの自宅(ドイツ南部のアルトエッティング)を度々訪れていたそうです。

それにしても、写真で見ると、随分身近に感じてしまいますね。

コンスタンツェは、若い時から病気がちでしょっちゅうバーデンバーデンまで湯治に出かけ、悪妻ということで後世に伝えられていましたが、当時としては長生きした方でしょう。29歳で寡婦になったとはいえ、再婚していたことまでは知りませんでした。確か、モーツァルトとの間の子供はすべて夭折したはずです。

生誕250年祭の商業主義に踊らされているようで、嫌だったのですが、またモーツァルトをガンガン聴きたくなりました。

イージーリスニング

 公開日時: 2006年7月9日

若い頃、馬鹿にしていたのですが、最近、イージーリスニングに凝っています。懐メロの感覚ではありますが、気持ちが塞いだり、むしゃくしゃした時は、効き目百倍です。イージーリスニングを聴くと、何でもすべて許せる心の余裕が生まれてくるから不思議です。しかし、イージーリスニングという命名はどうにかならないものですかね。アーティストも単に、イージーに演奏しているわけではないのですがね。別名ムード・ミュージックとも言われていますが、もっとひどいと思います。

ま、いずれにせよ、私の好きなイージーリスニングをアトランダムに列挙してみます。

ポール・モーリア「恋は水色」

ポール・モーリア「真珠の首飾り」

レイモン・ド・ルフェーブル「シバの女王」

リチャード・クレダーマン「渚のアドリーヌ」

リチャード・クレダーマン「愛しのクリスティーヌ」

マントヴァーニ・オーケストラ「シャルメーヌ」

ビリーボーン「浪路はるかに」

ビリー・ボーン「真珠貝の歌」

フランク・チャックフィールド「引き潮」

ビクター・ヤング「エデンの東」

ビクター・ヤング「80日間世界一周のテーマ」

パーシー・フェイス「夏の日の恋」

ダニエル・リカーリ(サン・ブルー楽団)「二人の天使」

ニーノ・ロータ「太陽がいっぱい」

ヘンリー・マンシーニ「ひまわりのテーマ」

フランシス・レイ「男と女」

バート・バカラック「雨にぬれても」

何か、段々、映画音楽のオンパレードになってきましたね。

急に音楽が聴きたくなった人は、以下をクリックすると聴けます。私より立派なHPで内容も充実しています。

http://www.kitake.com/sdejavu/sdejavu.html

ビートルズ写真展

 公開日時: 2006年7月3日 

銀座のソニービルで開催中の「The Beatles in Tokyo 1966 浅井慎平・写真展」(入場無料、7月17日まで)に行って来ました。

ビートルズ・フリークの私ですから、雑誌などで何回か見たことがあります。でも、結構ピンボケが多くて、「下手だなあ」と思ってしまいました。「ちょっと、ピンボケ」のロバート・キャパの影響だったのでしょうか?浅井慎平の名前を世に知らしめた代表作だというのに、写真集は当時あまり売れなかったそうです。(本人の弁)

ホテルの部屋で、彼らが和服を着たり、横笛を吹いたり、鼓を打ったり、三味線を弾いている写真がありましたが、もちろん、「やらせ」で、浅井氏に許された撮影時間はわずか2時間だったそうです。

しかし、28歳だった浅井の「何でも撮ってやろう」という精神には頭が下がります。ビートルズの四人が吸ったタバコと灰皿を撮ったり、タオルやビールの飲みさしのコップなども撮ったりしています。

私の記憶では、ベッドの枕に付いていた髪の毛をメイドが持ち出して、高価な金額で売れた、なんていう記事を当時、読んだことがあります。

マニアックな話ですが、彼らはステージでは、楽器がジョンとジョージがエピフォンのカジノ、ポールがカール・ヘフナーのベースを弾いていましたが、予備として、ギブソンのSGやJ-160E、リッケンバッカーの12弦ギターやベースもバックステージに用意していたのです。

フリークにはこんな写真がたまらないのですが、単なる変態かもしれませんね。

ビートルズ来日40年

 公開日時: 2006年6月29日

 

ちょうど40年前の今日、ビートルズの四人が来日しました。午前3時35分。羽田空港着の日航機のタラップから、法被を着た四人が、ポール、ジョン、リンゴ、ジョージの順番で降り立ってきました。

 

彼らは翌30日から7月2日まで、日本武道館で計5回のコンサートを開きました。全11曲で、アンコールなしの35分間。前座に内田裕也のグループ、ホタテマンこと安岡力也の所属していたシャープホークス、それにあのドリフターズもいましたね。司会はE・H・エリックさん。

 

当時、小学校4年だった私はコンサートをテレビで見た記憶があります。当時、ビートルズは学校では不良とみなされ、コンサートに行けば停学処分される生徒もいました。右翼はビートルズを不逞の輩とみなしていました。警備員に8370人の警察官が動員され、6520人が補導されたそうです。

 

それが40年経っても語り継がれるとは、誰も想像していなかったでしょうね。

 

私も高校生との時、このビートルズの「ライブ・イン・ジャパン」の海賊盤を新宿のレコードショップで手に入れるほど熱狂的なフリークになってしまいました。(でも、今では簡単に映像までが手に入る時代ですからね。)

 

ビートルズ以降、レッド・ツェッペリンやクイーンやベイ・シティ・ローラーズ、ローリング・ストーンズなどが来日して話題になりましたが、ビートルズほどあらゆる世代に影響を与え、今でも与える続けているグループはいないでしょう。

 

私はビートルズの現役時代を知る最後の世代です。かろうじで歴史の証人になれたことを誇りに思っています。

リバプール

中札内村美術館 公開日時: 2006年5月28日

(昨晩の続き)

佐藤君は、大手アイスクリーム会社の部長さんですが、昨年、工場視察等で、フランスのリール近くの何とかという町(失念)に行ってきました。その帰りに有休をとって、リバプールに行ってきました。彼は、私に劣らぬビートルズフリークなのです。

リールからロンドンまでTGVでわずか2時間なんだそうですね。ロンドンからリバプールまでは列車で3時間です。

彼は、早速「マジカル・ミステリー・ツアー」に参加して、ビートルズの所縁の地を訪問しました。私も、1979年に今村哲郎君と一緒にリバプールに行ったことがありますが、そんなものはありませんでした。今では、「ビートルズ」が観光の目玉で世界中からの観光客がこの港町に外貨を落としているわけです。

私は、ジョンとミミおばさんが住んでいたメンラヴ・アベニューの家に行ったことがあります。そこは、中流よりちょっと上が住む高級住宅街で、ジョンの「労働者階級の英雄」というのは、ウソだなあ、と思ったことがあります。その時は、ポールやジョージやリンゴの住んでいた家には立ち寄りませんでした。

今回、面白いことを聞きました。

まず、ジョンのミミ伯母さんの家は、庭付き一戸建てでしたが、どうやら、住居はその半分で、もう半分は他の家族が住んでいたこと。ポールとジョージの家は本当に狭い、日本でいう「長屋」だったこと。リンゴの家はもっとみずぼらしかったことーでした。

やっぱり「労働者階級の英雄」だったわけです。

彼は律儀にもビートルズ博物館に行って、ロン・ジョーンズ著のガイドブック「ビートルズのリバプール」とボールペンを買ってきてくれました。その本はリバプールのビートルズの名所案内です。

私は「ペニー・レイン」が大好きなのですが、歌詞の意味が分からないところが何点かありましたが、この本で初めて分かりました。

それは、shelter in the middle of the roundabout です。「ロータリーの真ん中の避難所」とは何のことかなあと思っていたら、写真付きで説明がありました。それは、ペニー・レインにある交差点のロータリーにあるバス・ターミナルでした。今では、そこは「サージェント・ペッパーズ・ビストロ」という名前の小さなレストランになっていて、観光客を集めているようです。

いやあ、ビートルズ・ファンの私にとってはたまらない堪能する本です。

有難う、幸信!

ポール離婚

今日の新聞のニュースで、一番驚いたのは「ヒューザー小嶋社長、逮捕」でも「医療改革法案、衆院通過へ」でもなく、「マッカートニーさん離婚へ」の記事でした。

私のプロフィールに書いてあるように、私はビートルズに関してはちょっと程度を超えてうるさいのです。もう40年以上も聴き続けていますし、CDも発売されたものはほとんど持っていますし、今でもポールのニューアルバムは買い続けています。関連書籍も50冊くらいあると思います。

それが、どうした?と言われそうですが、とにかく驚きました。ポールは来月で64歳。妻ヘザーさんは38歳です。2002年6月の結婚当初から、二人は身内からあまり歓迎されていないことは知っていました。特に、ファッションデザイナーとして成功した娘のステラ・マッカートニーから「父の財産目当てだ」と大っぴらに非難されたことは有名です。

01年に二人の間に女児ベアトリスちゃんをもうけるも、わずか4年での離婚です。離婚の理由が「私生活が絶えず侵害されたことで普通の関係を維持することが困難になった」というのは、全く理由になりません。前妻リンダとの私生活の方がもっと侵害されていたと思われるからです。

二人の間に何があったのか分りませんが、何かがあって、このようなことになったのでしょう。ヘザーさんも、もう「財産目当て」とは言われないでしょうが、養育費はたんまりもらうでしょうね。

何しろポールは、20世紀から21世紀にかけて、世界で最も成功した芸能人であり、作曲家であり、音楽家なのですから。