寛政の改革よ、再び

これが天下の「萬朝報」。よろずちょうほうします、から付けたのさ(黒岩涙香)

先の台風10号などは、観測史上稀に見る威力で東北・北海道に上陸して、甚大な被害を及ぼしました。岩手県岩泉町では9人の年配者が犠牲になりました。

私もかつて住んでいた北海道の十勝管区内の大樹町、新得町、芽室町、清水町などでも記録的な大雨で家屋や道路、橋などが損壊したり、行方不明者が出たりしたニュースが流れまして、心を痛めております。

そんな中、久しぶりに札幌の雪祭り先生から、飛脚便が届きました。

…大岡平蔵の子分で、石川島の人足寄場の雇女(やとな)大縄の弘(ひろ)が来週12日からスタートする「規制改革推進会議」の新議長になりますね。

大縄の弘のことですから、また日本の医療・福祉制度を無茶苦茶にして、「民間払い下げ疑獄」が始まりますよ。

この規制改革推進会議には、「強きを助け、弱きを虐める」五代某とかいう日本耶蘇教大学教授もメンバーに入っています。こんなのが耶蘇教の大学の先生ですから、この異国教がいかに強者やごくごく限られたお金持ちや拝金主義者の宗教か分かります。

この大縄の弘の批判や、こういった世の中の流れを批判するメディア・マスコミは、今は「日刊ゲンダイ」ぐらいしかありません。大朝も国民も時事新報も御用新聞ですよ。

この女がどんな経歴の持ち主か、調べたら驚きますよ。大伝馬町の大丸、日本橋の白木屋、駿河町の越後屋を振り出しに、真珠王のキミモト、北町奉行の景山竹野進、八丁堀与力岡倉鉄之輔ら権力と同衾する、今、大先端を行く女の一人なのです。…

うーん、大縄の弘とな? あ、あれね?さては、悪い女よのお。

寛政の改革がまた必要かも。

ウッドストックでは行われなかった!

Tokyoit

今、電車の中で、スマホで、うろ覚えで書いてますので、多くの記憶違いがあるかもしれませんが、その場合、後からドシドシ訂正、修正、改訂して直していくつもりです(笑)。

私の人生で最も輝かしい黄金時代の年を一つだけ挙げろ、と言われれば。そんなこと、後にも先にも誰にも聞かれませんが、私は躊躇なく、1969年を挙げます。

今、年表がないので詳しくは分かりませんが、この年は、東大安田講堂事件の年であり、米アポロ11号が人類史上初めて月面に着陸した年でもあります。(そんなことなかった、と為五郎さんは主張してましたが…)

また、私のフリークであるビートルズが最期のレコーディング・アルバム「アビイ・ロード」を発表した年です。(LPは擦切れるほど聴きました)

そして、何と言っても音楽史上に残るウッドストック・フェスティバルが開催された年でもあるからです。

このフェスティバルは映画化されて、私もその後、テレビか弐番館か、何処で見たか忘れましたが、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンらの動く姿を初めて見て感動したものです。

ということで、最近、このウッドストックの「ディレクターズ・カット 25周年エディッション」の4枚組のDVDを、とうとうネット通販で買ってしまい、毎日少しずつ見ているのです。

25周年エディッションというと、1994年で今から22年も昔になります。当時、この4枚組DVDは、1万5000円ぐらいしましたが、今ネット通販では、その4分の1以下で買えましたので、知らぬ間に欲望がクリックしていたのです。おかげで、ネット通販の「ダイヤモンド会員」になりましたよ(笑)。

さて、このウッドストック・フェスティバルですが、私は知っているつもりでしたが、このDVDを見て、何も知らなかったことが分かりました。最初の2枚は、ワーナーが製作公開した映画をDVD化したものです。私がテレビか弐番館で見たやつです。当時としては破格の4時間ぐらいの映画でした。ザ・フーの「サマータイム・ブルース」なんか、この映画に触発されて、シングル盤(400円)を買ったと思います。

3枚目は、映画で公開できなかったグループの演奏などが収録されていました。当時、私の大好きだったクリーデンス・クリアーウォーター・リバイバル(CCR)がしっかり出演して「ボーン・オン・ザ・バイヨー」なんかやっていたんですね。映画ではカットされていて、出演していたこと自体知りませんでした。(このほか、ブラッド・スウェット&ティアーズ=BS&T=なども出演したらしいですか、このDVDにさえ収録されていませんでした)

そして、最後の4枚目が「メイキング」映像で、スタッフや出演者の証言集です。これが見ものでした。

◇ウッドストックの名前が欲しかった?

まず最初に、明確にしなければならないことは、歴史的事実として、約40万人もの大観衆を集めたといわれる「ウッドストック・フェスティバル」は、ニューヨーク市郊外のウッドストックで行われていなかったということです。(二転三転して、最後は49歳の酪農家マックス・ヤスガーのベッセルにある牧場で開催されます。ヤスガーは、周囲の反対を押し切って主催者に土地を貸したため、フェスティバル後は、村八分に遭い、やむを得ずその土地を売却し、その僅か4年後の53歳でフロリダ州で急死します)

私には、ニューヨーカーどころか米国人の友達がいないので分かりませんが、ウッドストックといえば、ニューヨーカーにとっては特別な響を持つようです。お金持ちの別荘がある避暑地であり、各国から画家や詩人らが集まる芸術村として。

日本で言えば、軽井沢か、清里(GHQのポール・ラッシュが開発)か、那須辺りだと言えば分かりやすいかもしれません。

しかも、ウッドストックは、池袋モンパルナスのような芸術村です。ボブ・ディランやジミ・ヘンドリックスらの別荘があり、画家の国吉康雄らも住んでいたとか。

さらに言えば、ウッドストックは、既に19世紀から開発されていた由緒ある避暑地で、ニューヨーカーなら誰でも知っているのでしょう。だから、主催者は会場がベッセルに変更されても、最後までウッドストックの知名度にこだわったのです。

「無言館」の館長でもある窪島誠一郎さんの最新著作にも、このウッドストック芸術村が出てきます。戦前に活躍した日系二世の画家の話で、彼は、米国共産党に入党し、諜報活動もしたと言われます。

彼の経歴は、まるで米国共産党から日本に派遣されゾルゲ諜報団で活動した沖縄出身の日系人宮城与徳と同じではないですか!

このウッドストック芸術村には、1929年の恐慌によって、街中に失業者が溢れる不景気の30年代、平等社会を目指すと言われた理想的なユートピアの共産主義思想にかぶれた芸術家もたむろしていたわけです。(実際は、粛清の嵐だったのですが)

◇伝説になったウッドストック

そもそも、主催者代表で総合プロモーターのマイケル・ラングは当時25歳の青年で、フェスティバルの収益でウッドストックにレコーディング・スタジオをつくるつもりで、はじめたらしいのです。

1969年当時、第二次大戦直後のベビーブーマーが20歳前後の青春真っ盛りで、ベトナム反戦運動やヒッピー文化やフラワームーブメントが頂点に達していました。

結局、世の中は変わることはありませんでしたが、「ラブ&ピース」を主張する若者たちの異様な熱気が伝説として残り、その後の社会や文化に影響を与え続けました。まさに、60年代の総決算に相応しい年でした。

人間は見たいものしか見ず、責任を転嫁する動物

亜沙久佐

人間、見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞かない。そんな思いがあるから、偶然にも、見たいものや聞きたいものに当たる。しかし、それは決して偶然の産物ではない。ただ単に自分が必然的に選択したのだから。ーヘルマン・ヤルシン

今、日本経済新聞の最終面の「私の履歴書」で、牛丼の吉野家グループの安部修仁会長さんが書いているか、担当記者が聞き書きで書いております。

会長さんは、一時期「高卒の社長」ということで大変有名になったことがありますが、その高校時代は、ラグビーに明け暮れ、先輩らの理不尽で不条理な拷問に近いシゴキや命令に耐え抜いてきたそうです。

例えば、何本もダッシュさせられてその場に倒れ込むと、先輩からヤカンの水をかけられ、立ち上がれ、と命令されます。立ち上がると歩け、と言われ、歩くと、「歩けるなら走れるだろ」と再びダッシュを命令されるというのです。

安部会長さんは「ああいった理不尽なことに耐え抜いてきたから、社会に出ても理不尽なことに耐え抜くことができた」と振り返っていました。

あれっ?どっかで、聞いたことがある話ですね?

◇国家社会主義者の過剰な自信

ここ数年、国家社会主義的な言動で、ベストセラー小説も飛ばしている作家の方が、今度は、「人間はそれほど弱い存在ではない。自分が限界だと思っている以上のことは耐えられるし、できる」といった精神論を展開した新書がまたまたよく売れているらしいです。

私は、作家や学者らが自分たちの信じる自分たちの言いたいことを書いて出版することを咎めたりしません。それが、広く読者から共感を得られれば、素直に「おめでとうございます」と祝福します。

しかし、それは、特別な才能を持った恵まれたその人に当て嵌まる話だけであって、万人に効能があって、上手くいくかどうかという話になると、それは別だと私は思っています。

例えば、今盛んに自分の限界に挑戦するような自己啓発本が出ていますが、私は、やめておいた方がいいと思っています。少なくとも、私は真似しませんね。

案外、作家さんが主張するほど、人間の心身は、想定以上に強くはないのです。か細く脆いものなのです。傷つきやすく、簡単に壊れてしまいます。

その国家社会主義的思想の持ち主の作家さんは、ネットなどで非難されると「さすがに、人間だから、落ち込むことがあるが、気にしないようにしてる。それより自分の信じる道に邁進することで忙しい」といったような趣旨の発言をされていましたが、彼には特別な忍耐力と精神力があるといいますか、普通の人とは比べものにならないほど、生まれつき堅牢強固な性格だと思われます。

まあ、普通の性格の人なら、見たこともない他人から非難されれば落ち込むどころか、2~3日は立ち上がれないのではないでしょうか。

◇自己責任の罠

それと、何があっても「自己責任」を問われる世の中になりました。これまで「学校が悪い」「先生が悪い」「社会が悪い」「政治が悪い」などと他人に責任を転嫁して逃げてきた人を「卑怯者」とみなす風潮が蔓延していました。

しかし、考えても見てごらんなさい。人間は、か弱く脆いものです。責任を転嫁しなければ生きていけない動物だと考えれば気が楽になるのではないでしょうか。(そもそも、他人を非難したところで何も始まりません)

先の大戦での戦争責任も有耶無耶になりました。人間はか弱い動物だからです。中には、切腹して責任を取った軍人や戦争責任を取って新聞社を辞めたジャーナリストもいましたが、全体から見れば僅かでした。

殆どの人間は、逃げました。

私も、弱い人間だという自覚を身をもって体験したので、当時に生まれていたら、逸早く責任転嫁して逃げたことでしょう。

その前に、とっくに心身は壊れてしまっていたかもしれません。

差別のない階級社会

なんじゃこりゃ?

 ◇岩波現代文庫「定本 丸山真男回顧
談」 

(昨日のつづき)

 それから、もう一つ。最近、色々な本を読んでいましたら、共産主義と国家主義とではどちらがより個人の自由を奪って人間の尊厳を蔑ろにして暴虐行為を働くのか、はっきし言いまして、どちらが究極の選択なのか、考え込んでしまいました。

 そしたら、岩波現代文庫版の「定本 丸山真男回顧談」で、元大阪朝日新聞記者丸山幹治(白虹事件で、長谷川如是閑らとともに同社を退社)の子息に当たる政治学者丸山真男は面白いことを言っていますね。

 丸山真男は、敗戦濃厚の1945年3月に帝国陸軍二等兵として懲罰のように徴兵された経験を持ちます。その彼が「軍隊時代に朝鮮人の差別はなかったですか?」との質問を受けて、「ないですね。朝鮮人の上官にもよくぶん殴られた。その点では軍隊というところはすごい。階級だけなんですよ」と、実に明解に答えています。

 「軍隊は階級だけ」「民族差別は一切なし」といった丸山真男の体験談は、本当に凄いの一言です。戦後民主主義残留孤児世代にとっては、まさに目から鱗が落ちるような話でした。

つまり、共産主義も国家主義も共通していることは、矛盾しているようですが、差別のない階級主義社会(だからこそ、グルジア=ジョージア=人のスターリンがロシア人を差し置いて党書記長兼国家防衛委員会議長という最高指導者の地位に君臨でき、政治闘争で3000万人もの人間を粛清・処刑したと言われています)。階級のみで、人間は判断され、命令されるピラミッド社会ですから、そこには、個人の自由も、人権も、人間の尊厳も入り込む隙がないということです。

いや、そういう社会では、反権力者は殺害される運命にあり、尊厳などというものは、入り込んではいけないという社会なのです。

「崩壊 朝日新聞」

駅前客待軽便乗合 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 昨日は、この渓流斎ブログを書いて、校閲して、編集して、出版じゃなかった、オンラインベースに載せるのに3時間も4時間もかかってしまい、我ながら、アニヤッテンノカと思ってしまいました。

 10月から手取り時給わずか◯00円、しかもボーナスなしという日本国家の最低賃金を下回る信じられない仕事になりますから、時間は大切にしなければなりませんね。

 あちらこちらロシア風 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 長谷川熙著「崩壊 朝日新聞」を読了しました。

 著者は、朝日新聞社に1961年に入社し、2014年の週刊誌「アエラ」記者を最後に、この本を書くために退社した人です。53年間、朝日新聞に関わって、禄を食んでこられながら、どうしてこういう批判本を出版したのか、「あとがき」を読んでほしい、と「まえがき」に書いてあったので、「あとがき」を読んでみましたが、それでもあんまり要領を得ませんでした。

 読者としては、少しはぐらかされたような感じでしたが、「なあんだ。極上の愛社精神からこの本を書いたのか」と最後まで読んで、やっと、見破ることができました。

 あちらこちらロシア風 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 私は、昭和史のゾルゲ事件にほんの少し関心がありますので、この本の第2部第2章「尾崎秀実の支那撃滅論の目的」を楽しみにして読みました。風間道太郎の「尾崎秀実伝」を引用して、「尾崎は、アグネス・スメドレーと半ば同棲していた」と断定的に書かれていたので、それはどうかな、と疑問視する点もありましたが、概ね著者の言いたいことは分かりました。。

尾崎は、「中央公論」昭和13年6月号に「長期戦下の諸問題」というタイトルで、前年に勃発した支那事変(日中戦争)について、「今後日本の進むべき道は結局勝つために、まっしぐらに進む以外はないであろう」と主張したことから、著者は、尾崎は和平への打開策を建言するのではなく、中華民国の国民党政府を徹底撃滅するまで戦争を続けよと猛烈な檄を飛ばしている、と結論づけます。

つまり、尾崎秀実は、あくまでも、ソ連を守って強大化し、中華民国の共産党勢力を増大させ、ついでに日本も世界共産主義革命に巻き込もうとしたのではないか、というのです。

そして、最後の第3部「方向感覚喪失の百年」の中の、特に第1章「歴史を読み誤り続けて」は、朝日の報道の歴史を振り返って、ソ連スターリンに阿る報道や、中国共産党に阿って文革を礼賛し、林彪事件をまともに取り上げなかった報道姿勢に対する熾烈な批判を展開されていましたが、それは見事に的を射ており素晴らしかったと思います。

ステファヌ・クルトワら著「共産主義黒書」を引用して、毛沢東率いる中国共産党政権は人民6500万人を虐殺した、と書いておりました。

えっ?6500万人ですか?何かの間違いではないでしょうか?外国との戦争ではなく、国内政権樹立のためだけに、これだけの人民を殺戮するとは…

あちこちにロシア風  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 ◇浅田次郎「天切り松 闇がたり」

 浅田次郎「天切り松 闇がたり」の中で、明治の元勲で帝国陸軍軍閥の祖のような山縣有朋元帥は、悪代官か悪の大権現の代名詞のような存在として描かれておりました。(最後は、振り袖のおこんを逃してやりますが)

このように、山懸有朋は、後世の作家らには大変評判が悪く、「多くの妾を囲っていた」だの「全国に別荘を建てまくった(東京・椿山荘、京都・無鄰菴など)」などと、あくなき権力を私腹を肥やすことしか目がなかった最悪の男として描かれることが多いようです。

 それが、この長谷川熙「崩壊 朝日新聞」によりますと、この元老山縣有朋は、1915年(大正4年)に大隈重信首相、加藤高明外相が中心になって、歴史的にも有名な「対華21カ条の要求」を中華民国の袁世凱政権につきつけたことに対して、敢然と反対したというのです。

 これについて、1915年5月6日付の東京朝日新聞は社説で、「孰れにしても元老会議は全然無用なり」などと、元老山縣を無視して、対支那侵略戦争を支持、もしくは助長したというのです。

 山縣有朋はあまりにも毀誉褒貶が多い人物なので、知りませんでしたね。あの山懸だけが、歴史的にも悪名高い「対華21カ条」を先見の明で反対していたとは!これは私も不明を恥じます。

おつな復活? 略奪愛か後妻業か?南京虐殺 汚れちまった悲しみに

哈爾賓駅前の人と車 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
◇おつなの会復活?

昨晩は、都心のど真ん中にある高級料理屋「門」で、京都から下洛された京洛先生を囲む会が開催され、何と、20人ぐらい集まりました。

今さらながら、「鶴の一声」には驚きました(笑)。先日、横浜で開催された近江屋さんの「次官昇任祝賀会」に集まったのはわずか7人でしたからね。(もっとも、かなりセーブされていたようですけど=笑)

まるで「おつなの会」が復活したような感じでした。

 哈爾賓駅前ホテル Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

本当に久しぶりにお会いする人ばかりでしたが、年甲斐もなく、悪びれた様子もなく、皆さん、精一杯、若作りされていて、ほとんど変わっておられないのにも驚かされました。

皆さん、本を出版されるような有名な一家言の持ち主ですから、私がこの渓流斎ブログで何か書こうものなら、「夜道の一人歩きは、さぞかし、気いつけなあかんなあ…」なぞと口笛を吹きながら他人事のようにすっとぼけながら聞こえよがしに言ってきますから、そりゃあ、気を付けなければいけない、と身を引き締めてこうして書いているわけです。はい。

 駅前食堂開店 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

◇20歳も若い美女を略奪、それとも後妻業か?

昨晩のハイライトは、やはり、何と言っても、東都紙刷業界大手「保永堂」大幹部の鶴屋利左衛門さんが、20歳も年下の若い美女を娶ったという話題でした。本人は黙して語らず、真相は不明でしたが、京洛先生がわざわざ京土産を持ってきて手渡しておられましたから、物的証拠、状況証拠で間違いないでしょう。

ただ、利左衛門は渓流斎ブログに対して、かなりの警戒心を持っており、話によっては南町奉行所に駆け込むつもりらしいので、残念ながら、これ以上真相追及するわけにはいきませんでした。

とはいえ、利発紳士副島孝臣氏は、口髭をピクつかせながら、「何、何、あれは、先が長くない利左衛門を見越した後妻業じゃよ」と穿った意見を開陳されていましたから、満更唐変木な話ではないので、利左衛門さんに忠告しておきました。

「どうぞ、お幸せに」。事前にお知らせ頂ければ、京都とはいきませんが、異国の藩からの凄ーい贈り物をしていたであろうはずなのに、残念でしたねえ(笑)。えっ?まだ間に合う?

 熊胆用の熊農場でした Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

◇過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付        閲覧数   訪問者数   ランキング
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2016.09.01(木) 242PV   128IP    7505位 / 2589709ブログ
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2016.08.27(土) 180PV   102IP    10084位 / 2586319ブログ

◇南京虐殺はあった
もう一つ、凄い衝撃的な昭和初期の歴史的証言も聴いてしまいました。

消えてしまったかつての渓流斎ブログにも登場したことがあります麹町区番町にお住まいの龍野小路子爵夫人のお話です。

龍野小路夫人の御尊父は、戦前、中華民国の首都南京市の日本大使館で外務省書記官として勤務されていたそうです。

歴史に残る昭和12年の大日本帝国陸軍による「南京陥落」の日も南京で勤務されていたそうです。

今、ネットで検索すると、いわゆる若いネトウの方々が、正々堂々と「南京虐殺はなかった」「嘘八百」「幻」と断定されていて、その「南京虐殺はなかった」説の数が、全てを見たわけではないのですが、圧倒的のようです。しかし、龍野小路夫人が、当時南京の在中日本大使館で書記官だったご尊父から聞いた話によりますと、「あった」ということでした。
極東国際軍事裁判(東京裁判)で、突然出てきた「30万人」という数字はともかく、事実としてあったということです。

たとえ、市民殺戮が100人だったとしても、やむにやまれぬ巻き込み戦闘であったとしても、やはり、虐殺と言えるでしょう。帝国陸軍は、当時、市民に紛れ込んだ便衣隊に相当苦しめられて、多くの犠牲者を出していたことから、便衣隊掃討を敢行したことは間違いないようです。

同じように、広島長崎原爆投下や本土無差別爆撃などで80万人の無辜の日本の市民を殺害した特にカーティス・ルメイ将軍率いる米軍も虐殺なのに、戦勝国特権と思い込んでいるのか、虐殺と呼ばれませんし、米国はそう呼ぼうともしません。ちなみに、米国の市民の犠牲者はゼロです。(下記参照)

◇第2次世界大戦(1939年9月~1945年9月)の死者

枢軸国側    死者数   市民の死者数  計
日本      230万人  80万人   310万人
ドイツ     422万人  267万人  689万人
オーストリア   25万人  93万人  118 万人
イタリア     30万人  13万人   43万人
その他      163万人       163万人
小計  約1205万人
連合国側
ソ連      1360万人  700万人 2060万人
中国       350万人  971万人  1321万人
ポーランド    12万人  591万人  603万人
ユーゴスラビア  50万人  121万人  171万人
フランス     20万人  40万人   60万人
イギリス    14万人  24万人    38万人
アメリカ     29万人   0人   29万人
その他                78万人
小計 約4360万人
合計 約5565万人

アジア・太平洋各国
朝鮮                 20万人
台湾                 3万人
フィリピン             111万人
ベトナム              200 万人
(ホーチミンの主張では1944年末から1945 年にかけてベトナム北部で200万人が餓死)
ビルマ                15万人
マレーシア・シンガポール      10万人
インドネシア            400万人
インド               150万人
オーストラリア          2万3000人
ニュージーランド         1万2000人
合計 912万5000人

※日本310万人、ドイツ689万人に対して、ソ連の犠牲者は、何と2060万人です!日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲や樺太、千島列島に侵攻したソ連が、戦後70年経っても北方四島を返還しない理由の一つが、この2060万人の犠牲の上で勝ち取ったものという論理です。国際条約違反の卑怯者、ならず者国家のする暴虐と非難されても怯まない理由の一つとなっているわけです。

インドネシアの犠牲者400万人という数字はあまりにも大きく、かなり甚大な被害を受けたと言われるフィリピンの110万人と比べてもかなり多いです。日本では、殆ど知られていない史実なので、向学の使徒には再研究が必要です。

◇汚れちまった悲しみに

ところで、龍野小路夫人のご母堂である外務省書記官夫人は、南京滞在中にあの蒋介石の妻宋美齢から、護身用のピストル(デリンジャー)を贈られたそうです。如何なる史書にも書かれたことがない秘話ですね!

ご母堂様は、また、愛新覚羅溥儀皇帝の実弟溥傑の奥方である嵯峨(愛新覚羅)浩さんから狐の毛皮をプレゼントされたそうです。この話も誰にも知られていない昭和史の秘話です。

この狐の毛皮は、金茶色の地に、直径15センチぐらいの丸い模様が白で細かく描かれた物で、この白い模様が狐の耳の内側の毛だそうです。つまり、希少価値が非常に高い上に、目の玉が飛び出るほど高価なものなんだそうです。

狐の毛皮といいますと、中原中也の「汚れちまった悲しみに」の中で、「狐の皮衣」が登場しますね。

汚れちまった悲しみに

たとえば狐の皮衣

汚れちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

この狐の皮衣を、中也は何を比喩して用いたのか?ネット上では、それこそ嘘八百の言いたい放題の憶測が氾濫しておりますが、実は、この希少価値の高い狐の皮衣は、真っ白の純白で、そういった狐の皮衣と同じ色をした純白な心が悲しみで汚れた、ということを言いたかったのです。

この説は、亡くなった京洛先生夫人の教養高い御学友阿藤さんが披露されて、私も、「なるほどなあ」と納得致しました。

兎に角、京洛先生とはほとんど話はできませんでしたが、とても刺激に満ちた会合でした。

不愉快なカタール審判

御池嵌手差亜大変

昨晩のサッカー・ワールドカップ2018アジア最終予選、日本対UAE戦は、酷かったですね。

日本は、あのニヤけたカタール人のアル・ジャシーム・アブドゥルラフマン主審に負けたようなものです。

例えば、前半19分、DF吉田がFWマブフートを倒したとされる場面。何度もテレビではビデオ再生されましたけど、どう見ても、わざと反則を取られるためにマブフートは転んだようにみえます。結果的に、それが直接FKで得点に結びついたのですから、酷いもんです。明らかに審判の誤審でしょう。

もう一つ、後半32分の浅野のシュートも相手ゴールラインを割っているのにカタール主審は、ゴールと認めず。

これじゃあ、アブドゥルラフマン君はUAEから何か貰ってるんじゃないかと疑われても、仕方がない。李下に冠を糾してはいけないということです。

スポーツは、公明正大が建前になってますが、裏を回ればこれほど汚い世界はないと思わせる風合いがあります。密接に政治に関わりますし、国威発揚の手っ取り早いツールでもあります。

昨日はもう一件。2020年東京五輪招致を巡る不正疑惑について、検証に当たった日本オリンピック委員会(JOC)の調査チームが、招致委員会とシンガポールの「ブラックタイディングス社」が結んだ2億3000万円のコンサルタント契約について、「違法性はない」と結論付けたそうですが、これもまたおかしい。

調査チームには、立派な弁護士さんも金で雇われているようですが、そもそも、身内の不正疑惑を身内が選出した調査委員なるものが調査したって、不都合な真実が暴かれるわけないしょ?

「関係者へのいかなる贈与も禁じた国際オリンピック委員会(IOC)の定める倫理規定にも抵触しない」と胸を張ったって、こりゃ、どう見たって、子供が見たってあからさまな見返りを求めた贈賄であり、倫理違反でしょう。

それとも、大手広告代理店を通じて、先方に2億3000万円を確かに渡し、誰も中間で抜き取ったりしないで、真面目に先方に全額渡された、と証明しただけではないのでしょうか。

JOCにとっては、2億3000万円など端金でしょうが、その財源は何処から来たのですか?

スポーツの世界は、本当は美しくない。

都知事の品格と土建政治

為五郎「何で、ブログで渓流斎の昼飯まで見せられなきゃいけないんだよお」

初めは単なる厚化粧の目立ちたがり屋の派手なおばさんかと思ってました。大変失礼致しました。

昨日、小池百合子都知事が、食の安全の観点から土壌汚染問題などを理由に、築地から豊洲への魚市場移転の延期を正式発表する様子を見て、「この人、もしかして、なかなか骨がある人かもしれない」と思ってしまいました。

物心ついたときから、政治に関しては不信だらけで、単なる真面目に働きたくないならず者が、好き勝手放題に庶民の血税を懐に入れるのが、政治家の性(さが)だと思っていました。

それをものの見事に証明してくれたのが、舛添さんです。改めて、あの「せこさ」は国際語になったわけですし、歴史の教科書にも載せてもらいたいと思っています。

さて、これから、小池都知事と、「都議会のドン」内田茂都議(77)との対決が見ものですね。

今日発売の週刊文春によりますと、東京五輪予算膨張の裏で、内田都議の関連企業が受注しまくっているというのです。

例えば、東京電気工事という知らない会社。この会社は、竹中工務店とのJVで、五輪バレーボール会場の有明アリーナを落札したようですが、何と、都議会のドン内田氏が監査役を務めているそうです。しかも、内田氏の娘婿が社員というまさにファミリー企業。このほか、内田氏の政治団体に献金する怪しい企業が次々と五輪会場の建設を受注して、これではまるで「土建政治」の復活ではないですか。

豊洲魚市場移転に強大な発言力のある団体代表が、昨日は小池都知事を猛烈に批判しておりましたが、この団体もかなり金額を内田氏の政治団体に献金しているようです。

東京五輪予算も当初の7300億円から2兆円に跳ね上がっているそうですが、こういう重大な話は、何で新聞やテレビの主要メディアで報道しないのでしょうか?(勿論、週刊誌が主要メディアではないという意味ではありませんが)

忘れた頃にやってくる

横浜・ニュースパーク

業界の為五郎さんが大喜びする話ですが、またまた図書館に予約していた本が3冊も、一時に、ドサッときてしまいました。

最近予約したものもあれば、もう半年以上前に予約してすっかり忘れたものもあります。

為五郎さんの笑い顔が頭に浮かびます。

この3冊の前に借りていた、日本ではマルクス主義研究の最大の名著と言われる宇野弘蔵編「資本論研究」(筑摩書房)は、結局諦めました。挫折です。10ページほど読みましたが、ついていけませんでした(苦笑)。字面ばかり追っているだけでした。日本語だから読めますが、臓腑にポトリと落ちてきませんでした。

そもそも、途中から共産主義思想、マルクス主義思想に懐疑的になりました。マルクス自身は、純粋に経済を理論的に研究分析したのですが、それが、暴力革命のイデオロギーに引用され、権力を握った者たちによって都合の良いように拡大解釈されたからです。歴史が証明しています。

マルクス自身は悪くないのですが、理論武装の武器として使う人間がおり、ということは、マルクス思想自体が、独裁者らに利用されやすい側面を持っているのではないかと懐疑的になったわけです。

「何を今さら、子ども地味た戯言を言ってるのだ!」という話になるでしょうが、あの難解さには、インテリ好みの作為と装置があることを私は見抜きました。

「君たちはまだ理解できていない。ステージに達していない」と、恥知らずなオウムの連中がよく口癖のように言っていた手口を思い出しました。

私は、インテリではないので、「資本論」はドイツ語で読むことにしますか(爆笑)。

ところで、渓流斎ブログは、何度も書き直したり、書き足したりしてます。最初と比べて結論が正反対になることがあるので、あとで古い記事を読み直しますと吃驚しますよ(笑)。

節操がありませんねえ。

「闇の男」

日本一の時事新報

◇コメント深謝

どなた様か、サッパリ存じ上げませんが、長いコメント有り難う御座いました。

バッサリと世相を斬られるところから、嘸かし、慧眼の持ち主と拝察申し上げます。

◇「闇の男 野坂参三の百年」

先日、伊藤淳著「父・伊藤律 ある家族の『戦後』」を読了してから、気になった本があり、ずっと喉奥に引っかかっておりました。

小林峻一・加藤昭共著「闇の男 野坂参三の百年」(文藝春秋)という本です。以前から「読みたい」「読まなければ話にならない」と痛感してはいたのですが、何しろ初版が1993年ですから、絶版になっていて、なかなか手に入らない。

今回はどうしても手に入れたいと熱望し、あるルートを通じて読破することができました。

もう、20年以上も昔の話ですから、「何を今さら」といった話ばかりです。当時は、週刊誌に連載され、世間にメガトン級の大反響を呼び、日本共産党の名誉議長だった野坂参三の解任と、ついには除籍という最も重い処分が下されました。当時の野坂は、100歳という超高齢もあり、本当に世間をあっと言わせた大事件でした。

とはいえ、当時の私は、それ程興味もなく、薄っぺらい事実関係を淡々と追って、底知れぬ恐ろしさを他人事のように感じていただけでした。

それが、今回、伊藤淳氏の「父・伊藤律」を読み、恐らく、伊藤律を北京に売って27年間もの長い間、幽閉させた張本人が野坂参三だったらしいことが書かれていたことから、必要に迫られて「闇の男」を読んだわけです。何しろ、「死人に口なし」のはずだったのに、「伊藤律生存」を知って腰を抜かすほど驚いた野坂が、慌てふためいて伊藤淳氏のアパートに黒塗りの車で駆けつけたぐらいでしたからね。

この本を読んで非常に納得しました。

1991年にソ連邦が崩壊し、極秘文書が一時的に公開された隙を掴んで、ジャーナリストの加藤昭氏らがスッパ抜いた歴史的大作業と言っても大袈裟ではないでしょう。

何しろ、歴史を塗り替えてしまったのですから。私は、日本共産党の大幹部で、モスクワ在住プロフィンテルン日本代表の山本懸蔵が何故、野坂の密告で粛清処刑されたのか、分からなかったのですが、この本を読んで初めて分かりました。今さらながら、人間的なあまりにも人間的な話だったんですね。

山本懸蔵が野坂の妻竜(りょう)と関係を持ったことから、コキュ野坂は、個人的怨恨から山本のスパイ容疑をでっち上げて、コミンテルン執行委員会のディミトロフ書記長に密告の書簡を送っていたのです。情報公開によって隠せぬ証拠が見つかり、野坂の除名に繋がるわけですが、自分だけ常に陽の当たる所を歩き続け、100歳の長寿を全うしたのですから、殺された多くの同志たちは怨み骨髄で、あの世から告発したに違いありません。

同書の解説によると、野坂は、ソ連のNKVD(のちのKGB)と日本の官憲と米国の情報機関(のちのCIA)と中国共産党等の五重スパイだったのではないか、という説がありこれも納得しました。
何故なら、殆どの日共幹部が密告によって逮捕か処刑されているのに、偶然にも岡野進(野坂の変名)ただ一人だけが無傷で助かっていたという事実があるからです。

それにしても、一説では、スターリンは何と3000万人もの人間を大粛清したと言われます。

3000万人ですよ!

ナチス・ヒトラーの暴虐については、繰り返し繰り返し弾劾されることは当然ですが、何で、日本の学校では、この独裁者スターリンの常軌を逸した暴虐については歴史として教えないのでしょうか?

ソ連は戦勝国だから?北方四島返還に差し障りがあるから?

この本を読んで、無実なのに碌な裁判にも掛けられず、強制的な自白のみで銃殺された多くの魂の叫び声が聞こえてきそうでした。処刑されなくても、山本懸蔵の妻関マツのように、「日本に帰りたい、帰りたい」と切望したのにも関わらず、最後は一人寂しくモスクワの精神病院で亡くなる悲劇は、涙なしには読めませんでした。

もっとも、加藤哲郎一橋大学名誉教授によりますと、山本懸蔵も、国崎定洞(元帝大医学部助教授、ドイツ共産党員)ら何人ものモスクワ在住の日本人を密告し、粛清処刑に追い込んでいたことが、その後判明します。

野坂も逆に山本から密告される寸前だったといわれます。誰も信用できない、殺るか殺られるかの密告社会だったということになります。

※加藤哲郎氏のサイトは、
http://members.jcom.home.ne.jp/tekato/Moscow.html