元が主要通貨に


大連

中国の人民元が「主要通貨」に決定したそうですね。来年10月からだそうですが、11月30日の国際通貨基金(IMF)理事会で決まりました。

気になりますね。「何で気になるの?」と詰問されても、SDRも知らなかった私に聴かれても、ちょっと困りますが、1971年のドル・ショックと同じくらい気になります。

SDR(特別引き出し権)というのは、IMFが加盟国に配分している仮想通貨らしく、今まで、ドル、ユーロ、ポンド、円だったのが、元が追加されて5通貨になります。実際の換算比重では、元はドル、ユーロに次ぐ3番目で国際経済に大変な影響力を持つことになります。ちなみに、円は4番目。

しかし、驚いていてもしょうがないでしょう。既に、ドイツの大手自動車会社が日本の部品メーカーに対して「元決済」で要求するようになったらしいのです。これは、中国市場で莫大な利益を得たこのメーカーが、ユーロなどに換算して為替差損を受けるより、そのまま元で支払った方が得だと考えたからのようです。

今年末に経済統合する東南アジア諸国連合(ASEAN)では、もう何年も前から、元決済が行われており、領土、領海問題を抱えても、先のマレーシアの会議で中国を批判するような共同声明を発表できなかったのは、中国経済に頼り切っているからでしょう。

インドネシアが、「新幹線」を日本製より中国製を採用したのがその一番の例です。そもそも、新幹線の技術は、日本から中国に伝えられ、「外国に新幹線の技術を売ってはいけない」という契約条項があったのに、中国は違反した、という噂を聞いたことがありますが、やはり、噂に過ぎないのでしょうか?

米国のパワーが停滞し、2030年には中国が米国を抜いて世界一の経済大国になるという予想もありますね。

昨年、私も中国に旅行に行き、「新幹線」に乗り、そのスピードに圧倒されました。大連では14車線もある大道路を見て、「アメリカより凄い」と思ったものです。走っている車は、大半がドイツ車でした。

でも、中国経済の失速で、元が暴落するという噂もあり、主要通貨になったといっても、素人が元建て預金などに手を出すと危ないかもしれませんよ。

以上、単なる経済音痴の戯言ですから、お気になさらないように…。

水木さんの幸福論

東京・銀座のフルコース

「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんが、とうとう亡くなってしまいましたね。享年93。

水木しげるは、私たちの世代が一番影響を受けたのかもしれません。何しろ子供の頃は、「鬼太郎」は毎週、漫画誌に連載中の現役バリバリでしたし、「悪魔くん」なんかは、漫画ではなくて、実写版でテレビで放送され、「エロイムエッサイム~」(確か)なんていう呪文が学校ではやったものです。

さて、今、ネット上では、水木さんの「幸福の七か条」なるものが、改めて脚光を浴びているようです。

私はまだ読んでいませんが、「水木サンの幸福論」(角川文庫)の中にあるらしく、戦争体験など自分自身の経験から導き出された人生訓です。以下、引用しますとー。

(1)成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行ってはいけない
(2)しないではいられないことをし続けなさい
(3)他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし
(4)好きの力を信じる
(5)才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
(6)怠け者になりなさい
(7)目に見えない世界を信じる

なるほど、実に奥深い。水木さんの「戦争もの」は、全部読んでいないので、読んでみようかしら。

荷風の日常


ウチにやっとマイナンバーなるものが来ました。ウチには来ないものと思っていたのですが…。

これで、国家は、番号一つで、国民を管理し、税金を絞るだけ絞って、脱税なんぞはもうあり得ない現象になるかもしれません。
何しろ、この番号はその人に一生涯、付きまとわりつくというではありませんか。詳しいことは分かりませんが、今は、年金や納税用かもしれませんが、そのうち、戸籍代わりになり、出身地から学歴、職歴、そして、犯罪歴まで一目瞭然で分かるようになるかもしれませんね。

あ、そうそう、安保法案も可決したことですし、将来、徴兵しやすくなるかもしれません。政治犯や囚人になったら、マイナンバーの番号で呼ばれるのかしら。ま、12桁もあるので覚えられないと思いますが…。

扨て、最近、ちょくちょく、永井荷風が出てくるのは、今、少しずつではありますが、川本三郎著「荷風と東京ー『断腸亭日乗』私注」(都市出版)を読んでいるからでした。索引を入れて600ページ以上の大冊です。平成8年9月5日が初版なので、もう20年近く前の出版。既に読んでおられる方が多いことでしょう。

この本では実に多くのことを教えてもらいました。漢字が読めないので、久しぶりに「漢和辞典」を横に置いて読んでいます。何しろ、荷風散人は、英語、フランス語だけでなく、漢籍の素養が豊富にあったからでしょうね。こういった教養面では、戦後の日本人は駄目になりましたね。

湯灌場(ゆかんば)、◇(草かんむりに兼)◆(草かんむりに暇のつくり)=けんか、俗累(ぞくるい)なんて、読めないし、意味も分かりませんでしたね。何しろ、フリガナさえふっていないのです。

荷風が自宅にした東京・麻布の偏奇館は「偏屈な変わりもの」だから、命名したのかと思いましたら、洋館に水色のペンキを塗ったからだそうですね。ま、両方をかけているんでしょうが。

断腸亭も、持病の腸が悪いことから断腸の思いで付けた雅号かと思いましたら、花の好きな荷風が断腸花(秋海棠)から付けたそうです。もっともこれも、両方をかけているのでしょう。秋海棠と言えば、中原中也が小林秀雄と鎌倉で散歩している時に、この花を見て「ぼーよー、ぼーよー」とうめき、後で小林が「ぼーよーってどういう意味なんだ」と聞いたところ、中也は「前途茫洋ということだよ」と言った話は有名ですが、私はてっきり、秋海棠だと思って調べてみたら、実際は「海棠」の花でした。

この本は何処の章から読んでも面白いです。都市出版ですから、恐らく雑誌「東京人」に連載されていたのでしょう。

日本で最初の地下鉄は、昭和2年に浅草―上野間を開通した今の「銀座線」ですが、どんどん延長されていくことが「断腸亭日乗」に書かれています。荷風は懐古趣味だけでなく、最先端をいくジャーナリストでもあったのですね。

実は、この路線は、浅草の松屋、上野の松坂屋、日本橋の三越、白木屋、高島屋、銀座の松屋、三越、松坂屋を結ぶ「デパート線」だったことがこの本で初めて知りました。

何しろ「三越前」は、三越が駅名に「三越前」を採用してもらう条件で、工事費のほぼ全額を三越が負担したそうです。日本橋駅は白木屋と高島屋、銀座駅は、松屋が駅建設費の多くを負担したそうです。

久しぶりに「知的好奇心」が満たされました(笑)。

三島由紀夫の愛したマドレーヌ=うまいめんこい村

日新堂のマドレーヌ

うまいめんこい村の白羽へこ作村長です。

今日は、作家三島由紀夫が「日本一」と絶賛したマドレーヌをご紹介します。

マドレーヌといえば、マルセル・プルーストがすぐに思い浮かびますが、それは、置いといて、このマドレーヌは静岡県は下田にある日新堂菓子店が製造販売しているものです。日新堂は大正11年創業です。関東大震災が起きる前の年で、永井荷風が、掃苔趣味を始めた年です。えっ?掃苔を知らない? 探墓なら分かりますね。その探墓を始めた年です。(自分も知らなかったくせに)

これを一切れ、口にすると懐かしい大正というか、昭和の味がして、何とも言えない奥ゆかしい食感が最後まで残ります。私も「日本一」だと思います。
もしかして、本場フランス菓子と背比べすれば並ぶかもしれません。

今、日新堂は、ジャズ歌手の横山郁代さんが家業として継いでます。つい最近の11月18日に東京・銀座で「生誕90年 没後45年 三島由紀夫Night@東京・銀座」のジャズコンサートを開いたばかりです。(残念ながら私は行けませんでしたが)

横山さんは、お菓子屋さんとジャズ歌手の「二足の草鞋」を履いていますが、実は、お菓子の方はあまり採算が合わないそうなんです。

また聞きですが、横山さんは「三島さんから、『このマドレーヌは日本一だ。ずっと続けてください』と言われた言葉を胸に今までやってきました」と言うではありませんか!つまり、恐らく赤字だということでしょうね。理由を考えてみると、下田市内の店舗でしか販売していないからではないでしょうか。大東京に支店をつくれば、爆買いが見込まれるでしょうけどねえ…。

何と言っても、日本人として、こんな美味しいものを知らないとは本当に残念です。

そこで、ネットで検索したら、ネット通販でも販売しているようです。

まるで、宣伝みたいですが、これは宣伝ではありません。驚くほど美味いんです。本当ですよ。渓流斎のお墨付きです(笑)。プルーストを体験してみてください。

ま、ご興味のある方だけ、下のホームページをご覧ください。

日新堂菓子店 ←こちら

天才児の行方


いつも、このブログではテレビの悪口を書いているので、もしや、テレビ関係者が見ているとしたら、さぞかし、不愉快な思いをされているでしょう。

 あいすいません。

 昨日か、一昨日か、あの天下のフジテレビが開局以来初の赤字に転落というニュースには本当に驚きましたね。昔は、とはいっても「トレンディ・ドラマ」が流行っている頃ですが、フジは、バラエティを含めて破竹の勢いで、視聴率三冠王を毎年のように獲っていたものです。それが、今ではテレビ離れが進み、赤字まで転落するとは…。

 かつては、視聴率競争で「振り向けばテレ東」と揶揄されていたテレビ東京は、今ではトップクラスですからね。私も「何でも鑑定団」など好きな番組がありますが。

 さて、「テレビは見ない」と公言している渓流斎が、最近、少しテレビを見ています(笑)。諸般の事情があって頭の体操のためのクイズ番組です。

 最近見たのはANB系の「Qさま!!3時間スペシャル」=現役東大・京大生が選んだ日本のスゴイ偉人ランキングベスト40=これは、日本史に登場する偉人名のランキングの中から数少ないヒントで当てたり、その偉人に関する業績などがクイズになってたりしていました。

 多くのタレントさんが答えに苦しむ中、私は日本史や国語は大好きな文化系なので、ヒントが出る前から分かってしまいましたね。9割近く出来たと思います。あ、これ、自慢ですかね?(笑)

 ところが、先日見た日テレ系「最強の頭脳 日本一決定戦!頭脳王」には、びっくりこいちゃいましたね。「東大のIQ貴公子」だの「東大医学部の異端児」だの「京大医学部の天才」など奇抜なネーミングを付けられた8万人以上から選別された8人の天才が、超難問のクイズに答えて優勝を狙うのです。が、半端じゃない。これまでのクイズの概念を根本から崩してしまう超超超スーパーハイレベルの問題ばかり出るのです。

 例えば、うろ覚えですが、「進化の過程で、ヒトとチンパンジーに分かれたのは何年前か?」とか、「M、K、○、U、S」の○に入るアルファベットは何か?など一捻りも二捻りもしたクイズで、特別な頭脳とひらめきと記憶力を持つヒトでなければ解けない問題ばかり。しかも、中国の古典原文で、中国人でさえ読みにくい文章(「荘子」)から出たり、パッと楽譜を見せられて、「この曲の題名は何か?」と答えさせたりするなど、歴史、物理から音楽芸術までジャンルが極めて幅広いのです。

 「歴代ノーベル経済学者の名前をできるだけ多く答えなさい」なんていう問題も出ましたね。

 ちなみに、小生は「人物を何人か挙げよ」という問題は2,3人名前が出ましたが、あとは無理。はっきり言って「零点」でした。

 優勝したのは「東大医学部の異端児」の水上さんとかいう青年で、前年も優勝しているそうで、二連覇。クイズの間は表情を一つも変えずに冷静沈着で、ズバリと当ててしまう。こんな日本人がいたのか、と驚くやら、驚くやら。「日本の将来は明るい」と頼もしく思ってしまいました。

 さて、私のような世代となると、昔、八木治郎の司会で「万国びっくりショー」という番組があって、この中で、韓国からIQ210の天才少年「キム・ウンヨン」君という人が登場していましたが、彼は今、どうしているのでしょうか?

 ご存知の方、教えてください。と書こうしたところ、さすがネット社会。どこにでもマニアがいるもので、「キム・ウンヨン」君の「その後」を調べ上げた人がいるんですね。勝手ながら、リンクさせて頂きます。

 「ポンポコ研究所」のブログ ←こちら

朝倉彫塑館には圧倒されました


「タンキリ飴が食べたい」というスペクターからの指令で、遠路はるばる東京・谷中ぎんざに「パシリ」で行ってきました。

その筋では有名な「後藤の飴」で日暮里駅を降りて、谷中ぎんざに行く階段を下りて、まもなく右手にありました。

店には何十種類もの飴が並んでいて訳が分かりません。最初、私自身は間違って「タンセキ飴ありますか?」と伺うと、御主人は笑いながら「タンキリ飴のことかな?」とその品がある飴を指さしてくれました。

ついでに「さらし飴」=写真=も合わせて5袋も買ったところ、小さい袋の「柚子の飴」をおまけにくれました(笑)。

他に別に欲しいものがなかったので、わざわざ谷中まで来たということで、「朝倉彫塑館」を覗いてみました。ここは何度行っても「工事中」でなかなか入ることができませんでした。

パンフレットによると、2001年に国の有形文化財に登録され、08年に国の名勝に指定を受けたため、09年から13年にかけて、修復、耐震補強工事をしていたようです。2009年から13年にかけては、私が一番多く、谷中に足を運んだ頃でした。

「朝倉彫塑館」は、確か、何年前か、何十年前かに一度は入ったことがありますが、今回「改修」されたものをみて、まるで初めて見る感じでした。

とにかく、圧倒されました。都会のど真ん中にこんな素晴らしい館(やかた)があったのか、と驚くばかりでした。彫刻家朝倉文夫(明治16年、大分県生まれ、明治40年、東京美術学校卒)は、明治40年にこの谷中にアトリエを構え、その後増改築されて、昭和10年に今のような原型ができたようですが、とにかくどでかい。アトリエがあり、中庭には大きな池があり、3階建てで、屋上にはガーデンまであり、大根などの野菜が育てられていました。

朝倉はここに「朝倉彫塑塾」を開講して門下生を養成したので、学校でもあったわけです。書斎には岩村先生から寄贈された2500冊もの原書がぎっしり天井まで届く書庫に収められ、茶室まであったりするのです。2階の「素心の間」から見下ろす中庭はまさに絶景でした。

肝心の作品ですが、朝倉は猫好きで何匹も飼っていたらしく、猫の彫刻が結構多かったです。巨大な大隈重信像もありました。

なお、「朝倉彫塑館」での撮影は禁止されていたので、一枚も写真を撮れませんでした。悪しからず。

原節子さんの訃報に触れて


世界的に有名な会田昌江さんが、今年9月5日に亡くなっていたことが分かりました。享年95。
 
 えっ?知らない?会田さんは、日本を代表する大女優原節子の本名です。1935年の「ためらふ勿れ若人よ」でデビュー。1920年生まれですから、15歳です。そして、1962年の「忠臣蔵」を最後に引退。この時42歳ですから、わずか、と言っていいのか、27年間の映画人人生ということになります。

 残りの53年間は、隠遁するように表舞台には出ず、映画人生の2倍近い年数を単なる(?)会田昌江さんで過ごしたわけです。

 それで、「伝説」が生まれるわけですが、小津安二郎監督との関係の噂などをはじめとして、いわゆる伝説には、私は興味ありませんね。

 関心があるのは、2カ月以上前に亡くなっていたのに、なぜ今頃になって公になったのか。25日に一斉に報道されたので、確実にどこかの筋が発表したのでしょう。会田さんの遺言だったのか、親戚の意向だったのか、知る由もありませんが。

 もう一つは、女優というのは、「一生の仕事」で、お婆ちゃん役でも何でもありえたはず。引退の本当の真相(変な日本語ですね)を知りたかったですね。恐らく、彼女独特の「美学」だったのでしょう。最近のタレントは、一旦、引退宣言しておきながら、すぐカムバックする人があり、やはり、他の芸能人とは別格です。

 私もまだ元気だった春先、彼女が主演した日独合作映画「新しき土」(1937年)と成瀬巳喜男監督の「山の音」(54年)を図書館からDVDを借りて観たばかり(笑)でした。

 やはり、「清楚」さはどんな監督が撮っても現れるものですね。代表作である小津監督の「晩春」(49年)や「東京物語」(53年)などのヒロイン役では、台詞だったにしろ、昔の日本の女性は本当にこんな丁寧な言葉遣いをしていたものか、とほとほと感心してしまいます。

 そこには今の日本人が忘れた「気品」があります。

 今のテレビが(と一括りしてはいけませんが)つまらないのは、気品がない、はっきり言って下品だからです。

 原節子という女優は、私にとって、顔だちやスタイルよりも、声と言葉遣いに魅せられた女優でした。誤解を恐れずに書けば、まるで「絶滅危惧種」が亡くなってしまったような感じです。

 会田昌江さんのご冥福をお祈り申し上げます。

カオス状態から世界大戦?

 おや?!コメントが入稿していますね。

 ペンネームが「貧乏人」となっておりますが、冗談でもなさそうですね。非正規雇用が4割を超え、2030年には労働人口が、今より850万人も減少するという統計もあります。

 非正規雇用では子供を育てていくことができず、結婚もできない。ますますの少子高齢化です。働く人が少なくなれば、国民保険など福祉や社会保障費を減らさざるをえなくなります。年金も減り、「下流老人」がますます増えることでしょう。

 世界に眼を向けてみると、24日にトルコ軍がロシア軍機を撃墜したというではありませんか。トルコ側は「何回もの警告を発信したにもかかわらず、領空を侵犯した」と主張する一方、ロシア側は「領空侵犯していない。警告もなかった」と反論しています。両国の関係が悪化して緊張状態になってしまいました。

 パリで同時多発テロがあり、ISがテロを繰り返し、米仏ロ軍などがシリアを爆撃して、ロシアは親アサド派で、米英仏が反アサドで、足並みが揃わず、そこに、トルコが加われば、三つ巴、四つ巴の群雄割拠の訳の分からないカオス状態になります。

 そういえば、1877年に露土(ろど=ロシア・オスマン=トルコ)戦争がありましたね。両国は、昔から仲が悪かったんですね。ロシアが勝って、バルカン半島を我が物にしようとしたところ、英国などが反対し、翌78年のベルリン会議で、ロシアのバルカン進出が阻まれ、ルーマニア、セルビアなどバルカン半島の諸民族がトルコから独立した歴史的な戦争です。

 そういえば、(とまた同じ言葉が続きますが)、バルカン半島は、第一次世界大戦の直前まで「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていましたね。

 まさか、今のカオス状態から第3次世界大戦が起きるなんてことはありませんよね?

 私はないと思いますが、中国は南シナ海に基地と思われるような人工島をつくって、覇権主義をもろ出しにしていますし、安保条約を成立させて、集団的自衛権を行使することができるようになった日本も安穏としていられなくなりました。

 何らかの影響が日本に及ばない保障は何処にもないと思います。

ドコモもかしこも


昨日は「高過ぎるこの国の携帯料金」を書きましたが、あんまり、反応がないので、しつこいようですが、続きを書きます。

昨日は、私が、2年ほど前にNTTドコモショップの店員に勧められて、音声用のガラケーとネットとメールを使うスマホの2台を契約したことを書きました。
ガラケーは今年9月が「満期」で、理由があって、そのままにしていたら「自動更新」となり、2年後の2017年9月まで解約できなくなりました。途中解約すると、1万円の罰金、いや、違約金を払わされます。スマホの方は来年4月が「満期」になるので、4月には「無料」で解約できます。

面倒くさい話ですね。

とにかく2台も携帯を持っていること自体が面倒なんです。

すると、今回、ドコモショップのスタッフは「1台でも2台でも(通信料金は)あまり変わらないんですけどねえ。どなたが勧めたんですか?」なぞと暴言を吐くではありませんか!

私はムカッときて、「2台にしろ、と言ったのはおまえんとこの人間じゃないか!」と大声で言おうと思いましたが、最近の渓流斎は、喜怒哀楽を表現することが著しく低下したため、すぐ冷静になってしまい、「こちらですけど…」と、落ち着いて応えました。

さすがに、彼もバツの悪そうな顔をして、逃げるようにして去っていきました。

とにかく、来年4月は絶対に解約します。機種を変更するか、ドコモは止めて、ソフトバンク以外の他社に変更するか、一層のこと「格安スマホ」にしようか、など色々と考えています。

あ、そう言えば、gooブログは、NTT系でしたね。ドコモの悪口を書くと、削除されるかもしれませんね。

そうなる前に、読者の皆さんもお早めに(笑)。

高過ぎるこの国の携帯料金

 私の友人に田辺君がいます。
 幼馴染なので、彼の性格や好みを知っています。滅多に表に怒りをあらわにするタイプではありません。

 それが珍しく怒っているのです。

 彼は、この夏、大きな手術をして三ヶ月ほど入院していました。その間、パソコンが使えなかったので、お見舞いに来た彼の北の政所に、つい譫言で、「退院しても、当分、パソコンは使えそうもないから、Wifiを解約した方がいいかなあ」とつぶやきました。

 彼の北の政所は、せっかちで有名です。早速、彼の契約しているソフトバンク系の「Y!モバイル」を解約したのです。

 4月に契約したばかりだったので、彼も違約金を取られることを知っていたのですが、退院して請求額を見て吃驚。8月、9月、10月の三カ月間使っていないのですが、当然ながら、毎月、基本料金とモバイル機器分割代として4319円天引きされていた上、さらに、「2年契約」の途中解約ということで、違約金と機器分割代の残りを合わせて4万5075円も分捕られていたというのです!(正確には銀行の引き落としは来々月まで)合計6万円近くもの大金を溝に捨てたようなものです。(ちなみに返却された機器を使って、SIMカードだけ、再契約しようとしたら、ショップの人から「そういう契約はありません。また新しくモバイル機器を購入してもらいます」と、いけしゃあしゃあと言われたそうです)

 「誰が再契約するものか!人の弱みにつけこんで、阿漕な商売をするなあ。ソフトバンクなんて、大嫌いになったよ」と、顔を真っ赤にする田辺君。このあと「もう、プロ野球も応援しないし、ソフトクリームも食べない」と、訳の分からないことまで言い出すのです。

 そういえば、私にも似たような話があります。私の場合は、ドコモです。2年ほど前のことです。A社のスマホの月額の請求が一万円を超えるので、ドコモショップに行き、「もっと安くなる契約はありませんか」と、尋ねたところ、「それなら、ガラケーを音声専用にして、スマホをネットとメール用にすれば、毎月2000円ぐらい安くなりますよ」と、言うではありませんか。

 私は、それはいい考えだと賛同して、B社のスマホとC社のガラケーを契約したのです。なるほど、確かに数ヶ月は、7000円代、8000円代で、2000円ぐらい安くなりました。

 しかし、そのうち、また一万円を超える月も出るのです。それに、携帯が2台あるのは使いずらいし、面倒臭い。解約したいと思ったところ、「2年縛り」条件で、途中解約すると、また違約金を取られます。仕方ないので、解約は、契約が切れる来年4月まで待つことにしました。

 この国の携帯の通信料金の契約は複雑です。それに、何と言っても、高過ぎると思いませんか?