その筋というか、アンダーグラウンドの世界が今、喧しいね。
2月5日に指定暴力団住吉会小林会系の杉浦良一幹部が白昼に射殺されたのをきっかけに、都内で発砲事件が相次ぎ、ついには、15日、山口組系国粋会の工藤和義会長が自殺するまで混乱が続いています。
マスコミ情報を総合しますと、国粋会は大正8年に原敬首相(当時)らの肝いりで結成された「大日本國粋会」が源流。関東博徒の老舗組織で、渋谷、六本木、新橋、銀座などを縄張りにしています。昭和30年代に関西の山口組の関東進出に歯止めをかけるための共同戦線「関東二十日会」に参加しましたが、2005年9月に、国粋会の工藤会長が山口組の六代目司忍会長と兄弟盃をかわし、国粋会は二十日会を脱会し、山口組の傘下に入ってしまうのです。
住吉会小林会は、国粋会から六本木の縄張りを借り受けて、ショバ代を納めていましたが、その慣習もあいまいになり、ついに国粋会を傘下に収めた山口組との軋轢が表面化したと言われます。
先頃、発売された『東京アンダーナイト』(廣済堂出版)の著者は、「東洋一のクラブ」と称された赤坂の「ニューラテンクォーター」の元社長山本信太郎氏ですが、それによると、昭和38年12月に同クラブで起きたプロレスの力道山刺殺事件は、計画的なものではなく、「偶然のバッティング」であったことが明らかにされています。(興味のある方は本書を読んでください)
加害者は、住吉連合小林会の村田勝志組員(現住吉会副会長補佐)。ニューラテンクォーターが、赤坂を縄張りにしていた小林会の小林楠扶会長に顧問を依頼していたので、用心棒として同クラブに出入りしていたようです。在日朝鮮人だった力道山の背後には東声会があったといわれ、東声会の町井久之会長(本名鄭建永)は山口組三代目田岡一雄組長を後楯にしていたことから、当時は、両組織の抗争事件のように推測されていましたが、事実は、全くの偶然だったというのです。
東声会は、力道山事件の一ヶ月前の昭和38年11月に、当時、政界の黒幕と言われていた田中清弦暗殺未遂事件を起こします。「田中が、三代目を利用して関東ヤクザを攪乱しようとしている」という風評がたったためと言われます。関東ー関西の抗争は今に始まったわけではないのです。
今の現象だけを見ても、なかなか事件背景は見えてきませんが、こうして20年、30年、いや50年、100年の歴史的スパンで見ていくと、その真相が見えてきます。
今回の国粋会の会長は内部抗争で悩んでいたと言われ、彼の自殺で、再び、何か火種が勃発しそうです。