「仮名手本忠臣蔵」観劇記

 ローマ

東京・銀座の歌舞伎座で通し狂言「仮名手本忠臣蔵」(並木千柳、三好松洛、竹田出雲作)を見てきました。昼夜通しだったので、かなりの出費を強いられましたが、行ってよかったと思います。菊五郎の塩冶判官と勘平、幸四郎と吉右衛門の大星由良之助、富十郎の高師直、魁春の顔世御前、梅玉の石堂右馬之丞と勘平と斧定九郎、玉三郎のお軽、仁左衛門の寺岡平右衛門…これ以上ないといわれるくらい当代一の役者が出揃っていました。

最近読んだ本で、やたらと「忠臣蔵」が登場してきたのです。

岡本綺堂の「半七捕物帳」の「勘平の死」では、商家の素人芝居の忠臣蔵の六段目で、真剣が使われる殺人事件が起き、半七が、その事件を解決していきます。「忠臣蔵の六段目」と言われれば、当時、つまり昭和初期の読者は、ほとんどの人が、すぐピンときたことでしょう。何度も何度も芝居で見ていたに違いません。しかし、現代人は余程の通しか、ピンとこないでしょう。(そういえば、月刊誌「演劇界」が休刊したらしいですね)

広瀬隆著「持丸長者」には、「忠臣蔵の真実」として次のようなことが書かれていました。

●赤穂浪士全員の切腹を上申したとされるのが、将軍綱吉の側用人・柳沢吉保お抱えの陪臣で儒学者の荻生徂来。元禄16年2月4日、大石内蔵助ら赤穂義士46人が切腹させられた。四十七士と言われていたのに、一人足りないのは、寺坂吉右衛門だけが、内蔵助から「後世に討ち入りを正しく伝えるために生き延びよ」と命じられ、義士の血盟から離れたため。

●吉良上野之介は、上杉鷹山の直系の玄孫で、柳沢吉保は武田信玄の末裔。これではまるで、上杉謙信と武田信玄の戦いの再現?浅野内匠之頭は、甲斐二十二万石領主・浅野長政の四代後の子孫。長政は豊臣秀吉の義兄弟で、佐渡、甲斐、信濃の金山を管理支配した。赤穂浪士切腹の翌年、柳沢吉保が甲府城の藩主となる。

●赤穂は入浜式塩田の技術を生み出し、日本の製塩業に革命を起こした。この入浜式塩田技術を教えろと吉良が浅野に求めて断られ、吉良家が赤穂に放った間諜も殺されて失敗。そこで、わざと吉良が赤穂藩召し上げを工作して、浅野を挑発する…。

こんな話を読めば、どうしても「忠臣蔵」を見たくなる、と思いませんか?

しかし、チケットを買う際は、まさに清水の舞台から飛び降りる心境でした。ちなみに、今は、ネットで簡単にチケットが買えるのです。座席が分かるので便利です。

実は、新橋の安売りチケットで探してみたのですが、定価かそれ以上の値段が付いていました。そういえば、手に入りにくい有名なコンサートや演劇のチケットは、軒並み定価の5倍くらいの値段が付いているのです。需要と供給の世界なのでしょうが、これでは、まるでダフ屋じゃないかと思いました。

ちなみに、2007年2月の物価を後世に残したいので、歌舞伎座の金額を書いときましょう。

観劇料

1等席 15、000円  1階桟敷席 17,000円  2等席 11,000円 3等A席 4,200円 3等B席 2,500円

幕見席 600円ー1、300円

食事

吉兆松花堂弁当 6,300円 オリエンタルカレー 700円  サンドイッチ 700円

コーヒー 300円

筋書き 1,200円