祇園祭どすなぁ

祇園祭 長刀鉾

またまた、長文のコメント忝なく存じます。

さてさて、「ブログには、季節感がなければいけませんよ」ということで、京都にお住まいの京洛先生が、ふらふらと洛中漫歩の間に撮影された祇園祭の長刀鉾の写真を送って下さいました。

はい、祇園祭のシーズンが始まりましたね。

毎年恒例で行かれている赤坂不動尊様も、今はお尻の穴がうずうずしていることでせう。嗚呼、渓流斎ブログが何を言う!?早見優?(古い!)尾籠な喩えで大変失礼仕りました。

ご案内の通り、この渓流斎ブログは、通勤電車の中で、スマホで書いてます(笑)。

写真の貼り付けや、文字(笑)のコピペとなると、かなり面倒臭いんですが、iPhoneに替えてからは、それが前のXperiaよりもスムーズにいくので、少し助かってます。
祇園祭 長刀鉾

皆様ご案内の通り、祇園祭は、平安時代に疫病の流行や怨霊の祟りを鎮めるために、始まったものです。お祀り自体は、八坂神社(祗園社)の祭神をまつったものですが、この八坂神社とは、山城国愛宕郡の八坂郷のゆかりの神社です。…とは以前にも一度書いたことがあります。

もうお忘れかと存じますが、この地域に本拠を置いた八坂造は、「狛国人より出づ」(「新撰姓氏録」)ということで、朝鮮半島から渡来した高句麗系の氏族でした。

ということは、祇園祭は、朝廷の中枢内部に深く入り込んだ渡来人の主導で始まったということになります。

祇園祭 長刀鉾

話は、すっごく跳びますが、今、NKHじゃなかった神南方面の国有放送がやってる大河ドラマ「真田丸」を御覧になっている方も少なくないかもしれません。次回では、豊臣秀吉に跡取りの秀頼が生まれたことから、秀吉の甥っ子で、跡継ぎに指名された関白秀次が、結局、秀吉に疎まれて、謀叛の嫌疑をかけられて高野山で切腹を申し付けられる場面が展開されることでせう。秀次の首級は京都三条河原で晒されます。

あ、ネタばらしをしてしもうた(笑)。

まあ、歴史的事実だから仕方ありません。江戸は、鈴ヶ森(品川)、小塚原(荒川)、大和田(八王子)が三大刑場として有名でしたが、京都では三条河原や六条河原が刑場だったとは、つい最近まで知りませんでした。

そう言えば、新撰組の近藤勇の首級が三条河原で晒されたのもそういう所だったからなんですね。(私の記憶では、確か、近藤勇は下総流山で捕縛され、板橋で処刑されたと思います)

で、前関白豊臣秀次の話ですが、色んな説がありますが、一説では、秀次の切腹後、京都三条河原で、子供5人と側室と乳母ら39人も一緒に殺害されます。まさに、根絶やしです。僅か、今から420年ぐらい前の出来事です。

後世の人間としては、そういことができた、そういことがありえた、と判断するしかありません。

秀次の家臣田中吉政が私の御先祖様と関係があるのかもしれないということで、個人的に秀次に興味を持ちました。