Paris C’est a moi.
Oh! Mon Dieu !
7月14日のフランス革命記念日の祝賀祭を狙ったと思われる仏南部ニースで起きたテロ事件には非常な衝撃を受けました。
84人が死亡、100人以上が重軽傷と伝えられています。犯人は、チュニジア生まれで仏との二重国籍を持つ31歳の運転手と言われ、トラックで花火を見物していた群衆に突っ込み、銃を乱射した無差別殺戮と言われています。
まだ、動機や背景については捜査中ですが、現場となったプロムナード・デ・ザングレ(「英国人の遊歩道」という意味)というコート・ダジュール(紺碧海岸)沿いの通りは、国際観光都市ニースのメイン・ストリートで、有名な夏祭りやカーニバルのパレードもそこで行われます。
私が大変なショックを受けたのは、遥か遠くの大昔、渓流斎がまだ学生時代だった頃、ここを訪れたことがあったからです。大学のフランス語の恩師マリ=フランス・デルモン先生のお兄さんが、このプロムナード・デ・ザングレに面したマンションに住んでおられ、ちょうど我々と年恰好が近かったデルモン先生の姪っ子に当たる美女二人とそこでお会いしたことがあったからです。
城壁を歩く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
デルモン先生のお兄さんは、ニース大学の医学部の教授でした。旅先で知り合った日本人今村君と他に誰かいたか忘れてしまいましたが、突然訪れたのにも関わらず、一家は歓待して出迎えてくれて、奥さんの手料理を振る舞われたことをよく覚えています。
今のように、インターネットも何もない時代ですから、牧歌的で、デルモン先生には図々しくもニースに行く予定だということはお伝えしていましたが、いつ、何時に行くのか未定で、住所と電話番号をお伺いしたことだけは覚えています。
先ほど、今はアメリカに住んでいる今村君にメールしたところ、自分は、姪っ子さんの名前を間違って彼に伝えていたことに気がつきました。彼の方がよく覚えていました。
何しろ、彼は、いつ何処から用意したのか、盗んだのか(そんなわけないか=笑)、旅行途中のノミの市で買ったのか、分かりませんが、今村君はネクタイを着用して、ちゃっかり、紳士ぶってフランス人の美人さんと一緒に写真に収まったぐらいですからね(笑)。
そして獅子に見送られ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
私が勘違いしていた姪っ子さんの名前はイザベラさんで、愛称はザザでした。一度、彼女が日本に遊びに来た時、二回ほど会ったことがありました。私がニースに行ったとき、ザザは確か、米国に留学中で、彼女はその後、ジョディー・フォスターが映画「羊たちの沈黙」で演じたようなFBI訓練生になったと思いましたが、その後どうなったか、音信不通になってしまい、分かりません。何しろ、フランス人が、アメリカのFBI捜査官になれるかどうかも不明で、記憶違いかもしれません。
その頃、ニースにいたのは、確かザザの妹のマニュエラさんで、これまた不確かですが、ザザとマニュエラの従妹に当たる16歳のクリスチーナちゃんもいました。16歳といっても、フランス人のおなごはませていますから(笑)、20歳過ぎに見えましたが。
家族が住んでいたのは10階建てぐらいの高級マンションの確か最上階で、鍵が二つぐらい開けないと入れないほどセキュリティがしっかりしていて、当時そんなマンションは日本では見たことがなかったので、驚いた印象があります。
そのバルコニーからは、ちょうど、プロムナード・デ・ザングレでのお祭りのパレードが見え、多くの観光客でごったがえしていました。バルコニーは、まさに特等席でした。
あの時の御礼をしなくてはならないのに、先生一家とは音信不通となってしまい、そのまま月日が流れてしまいました。
そしたら、このテロ事件です。
教授夫妻も、マニュエラさんもクリスチーナさんも、まさか事件に巻き込まれていないでしょうが、妙に心配です。
パレードを観た後、マニュエラさんの提案で、若いもん同士だけで、近くのカフェバーに行き、未成年のクリスチーナちゃんだけはお酒を頼めないので、ふくれっつらをしていたことを思い出しました。
翌日は、今村君と二人で、コートダジュールで泳いでいたら、日本人の若松さんと、あと誰だったか…3人娘とばったり会ったことも思い出しました。
残忍なテロ事件の話から、全く関係ない青春時代の思い出を披露してしまいましたが、テロ事件とは、そんな他愛のない日常生活を不条理にも断ち切るということで、どんな大義も何もない、本当に許しがたい卑劣な行為だということは強調したかったのです。
【追記】
来週は、渓流斎の記念すべき区切りの誕生日ですので、京都は老舗「鼓月」の桃山の中でも天下一品「華」を取り寄せてお祝いに贈りました。楽しみだぎゃがな。