忘れた頃にやってくる

横浜・ニュースパーク

業界の為五郎さんが大喜びする話ですが、またまた図書館に予約していた本が3冊も、一時に、ドサッときてしまいました。

最近予約したものもあれば、もう半年以上前に予約してすっかり忘れたものもあります。

為五郎さんの笑い顔が頭に浮かびます。

この3冊の前に借りていた、日本ではマルクス主義研究の最大の名著と言われる宇野弘蔵編「資本論研究」(筑摩書房)は、結局諦めました。挫折です。10ページほど読みましたが、ついていけませんでした(苦笑)。字面ばかり追っているだけでした。日本語だから読めますが、臓腑にポトリと落ちてきませんでした。

そもそも、途中から共産主義思想、マルクス主義思想に懐疑的になりました。マルクス自身は、純粋に経済を理論的に研究分析したのですが、それが、暴力革命のイデオロギーに引用され、権力を握った者たちによって都合の良いように拡大解釈されたからです。歴史が証明しています。

マルクス自身は悪くないのですが、理論武装の武器として使う人間がおり、ということは、マルクス思想自体が、独裁者らに利用されやすい側面を持っているのではないかと懐疑的になったわけです。

「何を今さら、子ども地味た戯言を言ってるのだ!」という話になるでしょうが、あの難解さには、インテリ好みの作為と装置があることを私は見抜きました。

「君たちはまだ理解できていない。ステージに達していない」と、恥知らずなオウムの連中がよく口癖のように言っていた手口を思い出しました。

私は、インテリではないので、「資本論」はドイツ語で読むことにしますか(爆笑)。

ところで、渓流斎ブログは、何度も書き直したり、書き足したりしてます。最初と比べて結論が正反対になることがあるので、あとで古い記事を読み直しますと吃驚しますよ(笑)。

節操がありませんねえ。

「闇の男」

日本一の時事新報

◇コメント深謝

どなた様か、サッパリ存じ上げませんが、長いコメント有り難う御座いました。

バッサリと世相を斬られるところから、嘸かし、慧眼の持ち主と拝察申し上げます。

◇「闇の男 野坂参三の百年」

先日、伊藤淳著「父・伊藤律 ある家族の『戦後』」を読了してから、気になった本があり、ずっと喉奥に引っかかっておりました。

小林峻一・加藤昭共著「闇の男 野坂参三の百年」(文藝春秋)という本です。以前から「読みたい」「読まなければ話にならない」と痛感してはいたのですが、何しろ初版が1993年ですから、絶版になっていて、なかなか手に入らない。

今回はどうしても手に入れたいと熱望し、あるルートを通じて読破することができました。

もう、20年以上も昔の話ですから、「何を今さら」といった話ばかりです。当時は、週刊誌に連載され、世間にメガトン級の大反響を呼び、日本共産党の名誉議長だった野坂参三の解任と、ついには除籍という最も重い処分が下されました。当時の野坂は、100歳という超高齢もあり、本当に世間をあっと言わせた大事件でした。

とはいえ、当時の私は、それ程興味もなく、薄っぺらい事実関係を淡々と追って、底知れぬ恐ろしさを他人事のように感じていただけでした。

それが、今回、伊藤淳氏の「父・伊藤律」を読み、恐らく、伊藤律を北京に売って27年間もの長い間、幽閉させた張本人が野坂参三だったらしいことが書かれていたことから、必要に迫られて「闇の男」を読んだわけです。何しろ、「死人に口なし」のはずだったのに、「伊藤律生存」を知って腰を抜かすほど驚いた野坂が、慌てふためいて伊藤淳氏のアパートに黒塗りの車で駆けつけたぐらいでしたからね。

この本を読んで非常に納得しました。

1991年にソ連邦が崩壊し、極秘文書が一時的に公開された隙を掴んで、ジャーナリストの加藤昭氏らがスッパ抜いた歴史的大作業と言っても大袈裟ではないでしょう。

何しろ、歴史を塗り替えてしまったのですから。私は、日本共産党の大幹部で、モスクワ在住プロフィンテルン日本代表の山本懸蔵が何故、野坂の密告で粛清処刑されたのか、分からなかったのですが、この本を読んで初めて分かりました。今さらながら、人間的なあまりにも人間的な話だったんですね。

山本懸蔵が野坂の妻竜(りょう)と関係を持ったことから、コキュ野坂は、個人的怨恨から山本のスパイ容疑をでっち上げて、コミンテルン執行委員会のディミトロフ書記長に密告の書簡を送っていたのです。情報公開によって隠せぬ証拠が見つかり、野坂の除名に繋がるわけですが、自分だけ常に陽の当たる所を歩き続け、100歳の長寿を全うしたのですから、殺された多くの同志たちは怨み骨髄で、あの世から告発したに違いありません。

同書の解説によると、野坂は、ソ連のNKVD(のちのKGB)と日本の官憲と米国の情報機関(のちのCIA)と中国共産党等の五重スパイだったのではないか、という説がありこれも納得しました。
何故なら、殆どの日共幹部が密告によって逮捕か処刑されているのに、偶然にも岡野進(野坂の変名)ただ一人だけが無傷で助かっていたという事実があるからです。

それにしても、一説では、スターリンは何と3000万人もの人間を大粛清したと言われます。

3000万人ですよ!

ナチス・ヒトラーの暴虐については、繰り返し繰り返し弾劾されることは当然ですが、何で、日本の学校では、この独裁者スターリンの常軌を逸した暴虐については歴史として教えないのでしょうか?

ソ連は戦勝国だから?北方四島返還に差し障りがあるから?

この本を読んで、無実なのに碌な裁判にも掛けられず、強制的な自白のみで銃殺された多くの魂の叫び声が聞こえてきそうでした。処刑されなくても、山本懸蔵の妻関マツのように、「日本に帰りたい、帰りたい」と切望したのにも関わらず、最後は一人寂しくモスクワの精神病院で亡くなる悲劇は、涙なしには読めませんでした。

もっとも、加藤哲郎一橋大学名誉教授によりますと、山本懸蔵も、国崎定洞(元帝大医学部助教授、ドイツ共産党員)ら何人ものモスクワ在住の日本人を密告し、粛清処刑に追い込んでいたことが、その後判明します。

野坂も逆に山本から密告される寸前だったといわれます。誰も信用できない、殺るか殺られるかの密告社会だったということになります。

※加藤哲郎氏のサイトは、
http://members.jcom.home.ne.jp/tekato/Moscow.html

無知につけ込む商売

横浜・ニュースパーク

先週土曜日にお会いした赤羽村長から聞いた話です。

村長さんは、ある大手のオンライン通販を利用しているのですが、ある日、細かく請求書をチェックしたところ、何と、申し込んだ覚えがない「プレミアム会員」とか何とかになっていて、年間6500円もの会費が取られる、というのです。

村長さんは慌てて、問い合わせをして、「そんな会員になった覚えがない」と言ったところ、先方は何の悪びれた様子もなく、かつ丼をペロリと平らげて、「解約」の手続きをしてくれたそうです。

デジャビュです。

私もその大手通販には経験したことがあります。「翌日届け」とかさまざまな特典を謳い文句にしている特別会員に、私もいつの間にか組み込まれ、会費を払わされそうになったのです。

先方は、あっさり取り消してくれました。

今回、村長さんから同じような話を聞いて、「ハハーン、敵は、見つからなければ、会費と称して余計なお金を踏んだくるつもりだったんだな」と確信しました。

奴らのするよくある手口です。つまり、無知な消費者につけ込む阿漕な商売ということです。

ITに詳しい石田君も「ああ、そういう無知商売は、最初から売上高に組み込まれているんだよ」と、ソッと教えてくれました。

例えば、何でもいいんですが、「使い放題」の光回線だとします。毎月定額で、4000円とか5000円とかすることでしょう。

しかし、毎日、2時間の動画(映画)を見るような人は特別ですが、平日、外に働きに出ているサラリーパースンなら、月に5GBもあれば十分です。いや、平日はメールのチェックぐらいで、週末に動画を見るぐらいでしたら、3GBでも余るくらいなのです。

あたしなんか、週日は真面目に働き、平日は家では殆ど全くパソコンは使わないので、それよりもっと少ない1日100MBで契約して、月わずか970円なんですよ!年間で1万円ちょっと。使い放題の5000円なんかだと6万円ですからね。

これが石田君の言う「無知商売」です。

まあ、日本人は騙されるのが大好きですから、こうして外資系に好き放題にされるのです。

あ、何処の会社かは言ってませんよ(笑)。

18歳にして心朽ちたり

山の幸もいっぱい Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨日は、霞ヶ関方面で、おめでたくも次官に昇任された近江屋さんの祝賀会に参加してきました。どういうわけか横浜の日本大通りにある日本新聞博物館「ニュースパーク」で視察した後、その足で横浜中華街にある「一楽」で晩餐会という一風変わった儀式でした。

参加したのは、焼津の半次と眼帯のお仙…といきたいところですが、現代なもんで、いわゆる一つの通称名として、清澄庭園のお龍、汐留のお志野、業界の為五郎、うまずいめんくい村の赤羽村長、それに、主賓の近江屋と幹事の館長さん、渓流斎という7人の面々でした。結局、通称名は焼津の半次とあまり変わりませんでしたね(笑)。

 熊さん Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

まずはあり得ませんが、館長さんの顔パスと直々の御案内で、ニュースパークを閲覧させて頂きました。

前から行きたい、行きたいとは思っておりましたが、今回が生まれて初めてでした。こういう機会がないと、遠いので、なかなか重い腰をあげられません。

「ニュースパーク」は、手短に言いますと、全国で発行されている一般紙、地方紙、スポーツ紙、業界紙が加盟している日本新聞協会のつくった博物館です。7月20日にリニューアル・オープンして全く新しく生まれ変わりました。

小中学生の「社会科見学」のコースとしてちょうどいい感じでした。勿論、大人が見ても、古い新聞や号外が展示されているので、懐かしさを感じることでしょう。

場所は、私は生まれて初めて乗りましたが、東急東横線と繋がっている「みなとみらい線」の「日本大通り駅」につながった歩いてゼロ分のところにあります。

県庁や裁判所、市役所、それに横浜スタジアムにも近い横浜の中心街の「関内」地区にありますが、最近は、横浜の中心街は「みなとみらい」に移ってしまったそうです。関内には商業施設が少ないため人通りも少なく、せっかく、「ニュースパーク」をリニューアルしたのに、入場者がそれほど伸びないのが館長さんの悩みだそうです。(しかも、市役所も近いうちに移転するとか。昔の横浜の繁華街は、伊勢佐木町が中心でしたから、繁華街というものは時代の推移で動くものなんですね。帝都の繁華街も、戦前の銀座、浅草から戦後は新宿、渋谷に移り、21世紀は、清澄公園が注目されてきるとか)

ですから、このブログを読まれた方は、横浜の中華街に行ったついででもいいですから、ちょっと、ニュースパークにも立ち寄ってみてください。業務連絡、館長からのお願いです。

個人的には、大正末か昭和初期と思われる福沢諭吉創刊の「時事新報」の看板や、徳富蘇峰創刊の「国民新聞」の法被なんかを興味深く拝見させて頂きました。
 熊さん Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

見学会が終わって、近くの中華街にある「一楽」で祝賀懇談会が開催されました。近江屋さんの次官就任をお祝いして一献傾けられますと、あとはバラバラで皆さん、言いたい放題(笑)。

一部では、ナンシーとかいう金髪さん(とは言っても日本人!)との合コンの話で大いに盛り上がっておりましたが、羨ましい限りです。

紙数が尽きましたので(笑)、為五郎さんか、館長さんかどちらだったか忘れてしまいましたが、大声で「今日のハイライトだ!」と叫んでいた話題を一つ取り上げませうか。

それは、汐留のお志野さんの旦那さんの話でした。いやお父さんの話でもあります。普段からお志野さんの御尊父は、「男はしっかり口を結んでいなければ駄目だ。ポカンと口を開けているような男にろくな奴はいない。目が泳いでいるような怪しい男も駄目だ」という家訓のような言葉を小さい頃から散々説き伏せられていたため、将来結婚する相手は、しっかりと口が締まって肝が座った人ではなければならない、と堅く信じて、お付き合いする前も、男性の口元や眼ばかり見ていたそうです。

晴れて、その理想にかなった人が見つかり、父親にお目通りしてもらい、合格と言うことで結婚されたそうです。

そのお志野さんの旦那さん。お会いしたことはないのですが、質実剛健で寡黙で、物に動じない武士のようなタイプのような人のようです。

旦那さんは、小学生の頃から高校まで、バリバリの野球部のレギュラーで鍛えられ、監督コーチからの命令や、先輩らからの理不尽なしごきやパシリなどの連続だったそうで、早くも18歳にして人類のあらゆる不条理を体験してしまったそうです。そのおかげで、「社会に出たら、こんな楽な世界があるのかと驚いた」と言ってのけた(失礼)そうですよ。

私とまるっきり逆ですね。学生の頃は、理不尽な運動部なんぞは敬遠しておりましたから、社会に出てから、苦労と理不尽と不条理の連続でした。

若い時に先に苦労した方がいい、という諺みたいな話ですかね?

18歳にして、理不尽で辛酸を舐めつくし、人生を悟ってしまえば、鬼に金棒だ、というのが昨晩の懇親会でのハイライトでした、というわけです。

富裕層の税逃れ

スカイツリー

昨日、ラジオを聴いていて、「へー」と思ったことです。

ながら族で、メモも何も取っておりませんし、うろ覚えの記憶違いもあるでせう。

まあ、飛ばし読みでもしてください(笑)。

読売巨人軍の球団代表時代にトラブルで会社を追われた清武英利さんの話でした。あのカイチさんと同期入社で、今はジャーナリストとして活躍されてます。最近出した「プライベートバンカー」とかいう本が話題になっているということで、インタビューされていました。

要は、超富裕層と呼ばれる日本人がシンガポール(SG)に移住して、税金逃がれをしているという話でした。

超富裕層というのは、数千万円とか1億とかのはした金(笑)ではありません。10億とか20億とか、いや100億円とかの資産を持っている人のことのようです。不動産を除く現金です。しかも、個人です!

それが、日本にいては、相続税も掛かるし、株のキャピタルゲインを得ようものなら、20%の税金がかかる。それなら、SGに移住してしまえ、ということなのです。

SGなら、日本の住民税も相続税もキャピタルゲイン税も掛からない。資産も増えるばかりです。でも、何故、SGなのか?ーそれは、スイス銀行のように顧客の秘密を護持してくれる銀行がたくさんあり、タックスヘイブンの国にペーパーカンパニーをつくってくれたりしてくれるからのようです。

SGは、スイスのように遠くなく、日本から僅か6時間。しかも、日本語のできるスタッフが沢山揃っているということが一番の要因のようです。日本語スタッフと言っても、元野村証券や山一やメガバンク出身の日本人です。彼らは、日本の富裕層をスカウト(笑)して、SGまで移住手続きまでします。

富裕層は、何も法的に違反行為はしていないようですが、何と言ってもおかしいのは、一年の半分は彼は日本に帰国して、日本のインフラの恩恵を浴しているという事実です。インフラとは、道路や上下水道、ゴミ処理とかいったものです。図書館で本を借りてるかも知れません(笑)。

これらの財源は、住民税です。あろうことか、富裕層は、結果的に、その住民税を払わないでただ乗りしているわけです。

こんなことが許されるものか?、と単純に考えてしまいますが、日本の法律では、住民登録がSGにあり、一年の半分を1日でも超えてSGに住んでいるのなら、犯罪者として逮捕できないということなんでせう。あたしは、その辺りの法律に詳しくないのでよく分かりませんが。

この話と相前後して、日本の年金機構が投資に失敗して、昨年5兆円、今年1~6月にもまた5兆円もの損失を被ったそうですね。これが日銀黒田総裁と安倍首相によるアベノミクスの正体です。

そのうち、庶民の年金支払いが滞るSFみたいな日が来るのかも知れません。

それなら、最初から年金などアテにせず、早く富裕層になってSGに移住して、3台ぐらいポルシェやフェラーリを乗り回して、税金を払わず優雅に暮らしたいという日本の若者が増えてもおかしくない世の中になったということなんでしょうね。

イエジー・スコリモフスキ監督「11 minutes」は★★★★★

たかちやん

ここ最近、仕事が終われば、真っ直ぐに家に帰り、まさに会社と自宅の往復の連続でした。

途中で道草を食わず、呑みにも行かず、賭博場にも行かず、夜の蝶にも会いに行かず、質実剛健、品行方正。

髭も剃らず、息も潜め、目立たぬように、生かさぬよう殺さぬように生きてきました。

そしたら、やはり、時々、フト、偶には、羽目を外したくなります。でも、ま、あたしのばやい、かわいいもんですよ。(笑)

昨晩は、仕事が終わって、ついに、イエジー・スコリモフスキ監督作品「11minutes」を都内のアジトで見てきました。

終わって、

「うーん、なるほどね」
「そっか、この手があったか」

と、やはり、脱帽しました。

ジグゾーパズルみたいな映画です。

色んな曰く有り気な老若男女が何の脈絡もなく登場して、何事もないような、あるような日常風景が都会のワルシャワで展開されます。

その時、教会の鐘が午後5時を知らせます。

中心になる所は、国際ホテルです。よく目立つところに、各国の旗がひらめき、日の丸が一番目立っていました。

あらすじは、昨日少し書いたので、深く立ち入るのはやめましょう。

一応、スリラー、サスペンス映画ということらしいですから、ネタをバラしたら、炎上はともかく、まあ、ルール違反ですからね。

見てのお楽しみ、てところでしょうか。

あっと驚く為五郎です(古い!)

ネットサーフィンをしていたら、この映画の感想が載っていました。匿名で性別年齢国籍不詳。流暢な英語で書かれているので、ネイティヴの英語圏の中年男性と想像されました。

そこには、はっきりと「駄作。時間とお金の無駄。何事も起きない。ポーランド人は面白いかもしれないが、他の国では全く受けないだろう」とコテンパンに貶していました。

そっかなあ?

私は、大変面白く拝見しましたけどね。何か、ハリウッド映画の批判というか、茶化しが入っていました。

何事か起きます。空に浮かぶ黒いシミ。都心のど真ん中を低空飛行で離着陸する大型ジェット、ハアハア言いながら歩く犬の目線…最後は、私の予想に反してどんでん返しが起こります。

この映画の予告編やオフィシャルサイトの写真も事前に見ていて、嗚呼、なるほど、こうやって断片が繋がるのか、と謎が解けた感じでした。

久しぶりの不良行為で、流石に大変疲れはしましたが、決して、時間とお金の無駄にはならなかったと思いますよ、匿名さん。

本日26日の読売新聞夕刊に、スコリモフスキ監督のインタビュー記事が掲載されていました。

この映画「11minutes」をつくった動機は、数年前に次男が病気で亡くなり、その次男の母親である前妻が後追い自殺をしてから、かなり落ち込み、何も手につかず、悪夢を見るようになった体験を表現したかったからだそうです。

そっかあ。スコリモフスキ監督は78歳。この歳て全く枯れていない。それに、こんな話を聞けば、見直してしまいました。訂正して満点にすることにしました。

イエジー・スコリモフスキ監督作品「11minutes」

知らざあ、言って聞かせやしょう

今どうしても見たい映画がありますが、最近忙しくて、なかなか見に行けません。

イエジー・スコリモフスキ監督作品「11minutes」です。単館上映で、帝都でも二カ所でしかやってません。

ポーランドとアイルランドの合作映画で、日本で知られている俳優は1人もいませんが、全員胡散臭そう(な役柄)で、このあくまでも胡散臭い忙しない現代を見事に活写してます。

午後5時から、わずか11分間に、恐らくポーランドのワルシャワ辺りで同時多発的に無関係に起こる出来事が、最後は、あっと驚く様態で集約されていく…という映画らしいです。

「溝口健二がどうした」「衣笠貞之助がどうした」なぞと監督を呼び捨てにして通ぶった元大学教授がいますけど、ああいう輩は底が浅いですね(笑)。

どうせ、奴らは、ただで見て、しかも、逆にお金を貰って、「さすがスコリモフスキらしい不条理な描写が散りばめられ、最後のどんでん返しには暫く椅子から立ち上がれなかった」なぞと、評論することでしょう。

ずっと、椅子に座っていろ!(笑)

私が、この映画に興味を持ったのは、脚本家でもあるスコリモフスキ監督による以下のコメントを読んだからです。

何と言う硬質な文体で、ネイティヴではないので断言できませんが、かなりの名文だと思います。まず、久しぶりに辞書を片手に原文を読み、どうしても分からなければ、小生の超訳をご参照あれ(笑)。

COMMENTS FROM JERZY SKOLIMOWSKI

NOTHING IS CERTAIN

We tread on thin ice. We walk the edge of the abyss. Around every corner lurks the unforeseen, the unimaginable. The future is only in our imagination. Nothing is certain – the next day, the next hour, even the next minute. Everything could end abruptly, in the least expected way.

【イエジー・スコリモフスキ監督からのコメント】

◎確かなものなど何もない

我々は、生きるために仕方なく危ない川の橋を渡ることがある。崖っ淵を歩かざるを得ないときすらある。至る所に見えない、想像もつかない魔物が潜んでいるというのにだ。
とはいえ、未来など幻、単なる想像の産物だ。
確かなものなど何もない。明日、1時間後、いや数分後でさえ何が起きるか分からない。
全ては前触れもなく突然終わる。しかも、全く思いも寄らない形で。

高橋ユニオンズ

花やしき

で、前回の続きです。

◇高橋トンボユニオンズ

さて、田辺宗英は、ボクシングの殿堂後楽園ホールをつくり、初代日本ボクシングコミッショナーになるなど、ボクシング界に貢献した人として名を残しますが、一方で、後楽園には野球場「後楽園スタヂアム」をつくり、当時勃興したばかりの職業野球の殿堂にもなります。

後楽園スタヂアムは、1937年9月にできます。何とこの年は、支那事変の発端となる盧溝橋事件や南京事件が起きた年です。

と、ここまで書いて、よくよく調べて色んな説を参照しますと、後楽園スタヂアムをつくったのは、田辺宗英ではなく、日本野球草創期に、早稲田大学野球部選手などとして大活躍した河野安通志と押川清(仙台の東北学院大学の創設者押川方義の子息)の2人のようです。

河野と押川は、1920年に日本で最初のプロ野球球団「日本運動協会」もつくったそうです。私は、日本で最初の職業野球は、読売新聞社主の大正力による今の巨人の大日本東京野球倶楽部(1934年創立)かと思っておりました。そして、職業野球第1号選手も、この巨人の三原脩かと思っていましたが、どうやら間違いでした。とはいえ、嬉しい発見です。

で、後楽園スタヂアムの話でしたが、河野と押川の提案で会社が設立され、出資者として、読売の正力松太郎や阪急の小林一三、東急の五島慶太、松竹の大谷竹次郎らに協力を求めました。小林の異母弟の田辺は、専務取締役として名を連ね、後に第四代後楽園スタヂアム社長に就任するわけです。

当時はまだフランチャイズやホーム制度が確立されておらず、後楽園スタヂアムは、後の読売巨人軍や後楽園イーグルスというチームなど多球団が併用して使っていたようです。

この聞き慣れないイーグルス球団というのは、先の河野と押川がつくった念願のチームで、戦時下に敵性用語を使うとは何事か!と指弾されて、大和軍などと改名します。戦後は紆余曲折を経て、高橋ユニオンズというチーム名になります。

このチームも散々名前が変わり、途中でトンボ鉛筆の資本が入り、トンボ・ユニオンズと名乗っていた時期があります。かつて、私はこのチームの名前を知った時、「野球に何でトンボ?おかしな名前だなあ」と不思議に思っただけで、深く調べようともしませんでしたが、鉛筆会社が球団を持っていたとは!今さらながら感心しました。

トンボ鉛筆は、今でも健在で東京都北区の王子に本社があり、私は、外からチラッと見たことがあります。確かに、昔は、学生のほぼ全員が鉛筆を使っていた時代で、プロ野球の球団のオーナーになれるほど儲かっていたでしょう。

しかし、パソコン、スマホの時代となり、鉛筆の消費は大幅に減少しました。噂では、トンボ鉛筆の現在の収入の大半は、鉛筆より消しゴムらしいですが、裏は取っていません(笑)。

で、今回一番書きたかったことは、プロ野球のチーム名に「高橋」などと自分の名前を付けた人は、一体何者か?という素朴な疑問でした。

そしたら、驚き、桃の木、山椒の木じゃありませんか!

この「高橋」とは、戦前、大日本麦酒(今のアサヒとサッポロ)社長を務め「ビール王」と呼ばれた大実業家高橋龍太郎(1875~1967)のことで、戦後は日本商工会議所の会頭を務め、参院議員や通産相も歴任した政治家。プロ野球だけでなく、日本サッカー協会会長も務めた人だったのです。

さらに、彼は、ノーベル賞作家大江健三郎と同じ愛媛県内子村出身で、大江の大先輩として、旧制松山中学(松山東高校)も出ているのです。(その後、東京高商や三高に進学)

旧制松山中学は、夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台でもあり、漱石の親友の正岡子規の出身校(他校に転校して卒業していないようですが)でもあります。

この話は、先日、友人と話したばかりでしたので、我ながら可笑しくなりました。

「ボクシングと大東亜」

世久阿留

名古屋にお住まいの海老普羅江先生から書簡が送られてきて、ある本を読みなさい、とのお勧めでした。

それは、乗松優著「ボクシングと大東亜 ~東洋選手権と戦後アジア外交」という本でした。

未読です。

著者の乗松優(のりまつ・すぐる)さんという方は、1977年生まれの若き、といいますか、新進気鋭の社会学者で、現在、関東学院大学兼任講師なんだそうです。

渓流斎の興味や関心事は、近現代史とその表舞台に出てこない裏社会の人やフィクサーにありますが、この本もその知られていない歴史に埋もれた真実を暴いた力作のようです。

私の世代の子どもの頃は、今以上にボクシングブームで、ファイティング原田や海老原ら多くの世界チャンピオンを輩出して、テレビの視聴率も異様に高く、よく言われていますように、敗戦で打ちひしがれていた日本人に勇気を与えた、と言われています。

当時は、WBAやWBCの世界戦だけでなく、東洋太平洋級までもが大いに注目されました。

あの「あしたのジョー」も、確か、最初はこの東洋太平洋級チャンピオンになったと思います。

で、この乗松さんの本は、宣伝文句を換骨奪胎しますと、関係者の証言や資料をもとに、太平洋戦争で100万人以上が犠牲になったフィリピンとの国交回復をめぐる葛藤と交流の軌跡を描いた力作なんだそうです。

そこには、「鉄道王」小林一三の異母弟で、「ボクシングの聖地」後楽園を築いた田辺宗英、稀代のフィリピン人興行師と共に暗躍した元特攻隊ヤクザ、「メディア王」正力松太郎、そして「昭和の妖怪」で現首相の祖父岸信介らが登場します。

またまた、宣伝文句を引用しますと、「テレビ史上最高視聴率96%を記録した戦後復興期のプロボクシング興行の舞台裏で見果てぬアジアへの夢を託して集った男達の実像に迫る、『もうひとつの昭和史』」ともいえる作品なんだそうです。

ここまで、引っ張られれば、読みたくなりますよね?

で、ここまでは、表面的なご紹介で、海老普羅江先生は、「後楽園」をつくった田辺宗英と、読売新聞の社主にして東京読売巨人軍の創設者である正力松太郎との関係について触れます。

「二人は、いわゆる『刎頸の友』で、巨人と後楽園球場との契約も、ほとんど『口約束』だったと言われますよ」などと、超極秘情報を掴んでおられましたの。さすがです。

長くなるので、続きは次回。

坂東竹三郎を巡る梨園の実相についての論考

麻久沙

京都は堀川三条西入る「三条商店会」の洋食レストラン「力」の女将さん、お元気どすか?(宣伝になりましたか?=笑)

ということで、久し振りに京都にお住まいの京洛先生の飛脚便をご紹介致しませう。

…今、「渓流齋ブログ」を見たら、連日「満洲」の事ばかりですね、もう少し工夫をしないとダメですよ(笑)。つまり、話題を広げないと、アホな大学の先生と同程度のブログになりますよ(大笑)。
 自然薯掘り(じねんじょほり)と、同じで、そればかりするのも、「人間学」の上達の道かもしれませんが、映画、音楽、演劇、スポーツと何でも興味を持って書かないとダメですよ。…

はあ、そんなもんでせうか。

…今、帝都は東銀座の歌舞伎座の第2部の「東海道中膝栗毛」で、坂東竹三郎が出演しております。えっ?竹三郎を知らない?世の中を騒がす海老蔵なんかを歯牙にかけないところが、通の歌舞伎の見方ですよ。…

はあ…

…竹三郎が師事したのは四代目尾上菊次郎です。四代目菊次郎は六代目菊五郎の相手役を務めるほど将来を嘱望されていましたが、いろいろ事情があり、関西歌舞伎に転出して、晩年は関西歌舞伎に貢献しました。
 四代目菊次郎は、四代目中村富十郎(この間亡くなった五代目富十郎の父親)の兄です。坂東竹三郎は菊次郎の芸養子になりましたが、「藝談」によりますと、前名の「坂東薪車」から、尾上菊次郎が名乗っていた「坂東竹三郎」に名前を代えるときは、大変だったという事です。…

ほう…

  …「坂東竹三郎」の名跡は、かって「坂東彦三郎」の前名だったりして、音羽屋・橘屋一門にとっては貴重なもので、尾上菊次郎が、わざわざ、菊五郎劇団の大御所、うるさ型の橘屋(十七代目市村羽左衛門)の楽屋に深々と頭を下げに行ったそうです。「ひょっとすると、ダメだよ!」と言われかねないからですね。
 昔、十七代目羽左衛門は、市村竹之丞(五代目中村富十郎の前名)の襲名の歌舞伎座の舞台で、「本来、この襲名はあり得ないことだ!」と前代未聞の口上をして週刊誌に取り上げられた逸話もあります。それくらい、音羽屋全体に睨みがきいていました。あの梅幸さんも頭が上がらず、威厳があったのです。…

なるほど、凄さが分かりました。

 …薪車(竹三郎)は、OKが出るかどうか心配して、楽屋で菊次郎を待っていたところ、師匠が戻り、「上手くいったよ。安心しな。橘屋(十七代目市村羽左衛門)に話をしたら、じろっと、こちらを見て、『誰が(坂東)竹三郎を継ぎたいのかね』と聞かれたので、『ウチの薪車に竹三郎を継がせたい、と思っています』と言ったら、表情が変わって、『薪車か!あれなら良いよ。あれは良い』とお墨付きを貰ったよ」と、心配する薪車を安堵させたそうです。
 という事で、坂東竹三郎は、関西歌舞伎に居ながらにして、名跡「音羽屋」の屋号を名乗ることができる希少な役者なのです。…

うーん、そうだったのですか…

十七代目の市村羽左衛門はやはり梨園の実力者で、六代目亡き後「菊五郎劇団」をまとめていたのです。
 仏系米国人が父親で美男で有名だった十五代目市村羽左衛門は、艶聞が多く、芸者との間に産ませたのが舞踊家の吾妻徳穂(人間国宝、芸術院会員)です。
 そして吾妻徳穂と四代目中村富十郎の間に生まれたのが、この間亡くなった五代目中村富十郎です。
 だから、十七代目市村羽左衛門(五代目尾上菊五郎の甥)は、十五代目絡みの人間関係には神経をとがらせていたのだと思います。そんな中で、風雲児の武智鉄二が、その姻戚関係を利用して、市村竹之丞の襲名を画策したため、羽左衛門がこれを苦々しく思い、先程触れましたように、舞台の口上で、嫌味を言ったわけです。演劇評論家の萩原雪夫さんも武智鉄二については「いやあ、ね」と言ってましたね(大笑)。…

へー、そういうことがあったのですか。小生は、生まれる前のことで、知りませんでしたね。あ、生まれていたかもしれません(笑)。

 …戦後、上方歌舞伎は、今の坂田藤十郎(当時は中村扇雀)と、坂東鶴之助(のちの五代目中村富十郎)が「扇鶴時代」と呼ばれ、大変な注目を浴びました。その仕掛け人が武智鉄二で、東京の梨園の主流派、本派は、武智鉄二の動き方は苦々しく思っていたわけですね。…

五代目中村富十郎は、昭和39年に坂東鶴之助から、武智鉄二の計略で市村竹之丞に改名したわけですね。当時は、東京オリンピックに夢中になっていましたから、梨園のことはさっぱり知りませんでした。

 …今の坂東彦三郎は、十七代目羽左衛門の嫡男なのですが、病気がちもあって、おとなしく温厚な性格です。本来ならば、彦三郎の息子で十七代目羽左衛門の孫に当たる坂東亀三郎、坂東亀寿がもっと良い役を貰ってもおかしくないのです。尾上菊之助よりも、彼らの方が本派・本流なんですからね。…

確か、幕府公認の「江戸三座」とは、中村座と守田座と市村座でしたからね。確かに、市村家は、本派・本流です。

 …やはり、梨園の世界も政治力ですね。ちなみに、今の四代目中村鴈治郎の嫁さんは、吾妻徳穂の孫です。両者の間に生まれたのが中村壱太郎ですから、梨園の人間関係は貴人もお分かりのように濃密、複雑ですね(大笑)。以上…

以上、と言われましてもねえ。ところで、話は変わりますが、歌舞伎用語でもある「役不足」という言葉は、現代では誤用されているようです。皆様もよく調べてお使い下さい。