?「人間失格 太宰治と3人の女たち」は★★★☆

 太宰治に関しては、誰でも麻疹(はしか)のように一度は罹って、若い頃に熱中するものです。

 小生の場合は、ちょっと度が過ぎていて、高校生にして、既に、全集収録の全作品と書簡まで読破し、それでももの足りず、山岸外史「人間 太宰治」、坂口安吾「不良少年とキリスト」、檀一雄「小説 太宰治」、野原一夫「回想太宰治」…等々、評伝まで読破する始末でした。

 ということで、昨日から全国公開された蜷川実花監督作品「人間失格 太宰治と3人の女たち」は見逃せませんでした。しかし、私が映画を観る際に最も参考にする日経新聞の映画評では、★がたったの二つ!「つまらないから、観るな」と言われているようなものですから、躊躇しましたが、時、既に遅し。ネットで切符を買ってしまいました。

 で、仕方なく重い腰を上げて観に行ったのですが、やはり「★★」は酷過ぎる。とはいえ、映画史上の名作かと言えば、そこまで行かないので、「★★★☆」と中途半端な採点をしてしまいました。監督の蜷川実花さんは、あの「世界のニナガワ」演出家の蜷川幸雄の娘さんですから、斬新な映像美は確かにDNAとして受け継がれているようです。

 最初の方の真っ赤な曼殊沙華の花々の中での太宰と子どもたちとの散歩、太田静子との伊豆の満開の桜の中での密会場面などは、映像美術として見事でした。しかし、後半の太宰の雪上での喀血シーンなどは興醒めするほど長過ぎて、目をつぶってしまい、カットしたくなりました。後半を15分ぐらいカットすれば、満点に近い作品でした。

 どうせ配役は忘れてしまうので、書き記しておきますと、太宰治役が小栗旬、放縦な太宰を支える妻・津島美知子役が宮沢りえ、「斜陽」のモデル太田静子役が沢尻エリカ、入水自殺をする最後の愛人山崎富栄役が二階堂ふみでした。他に、坂口安吾が 藤原竜也、伊馬春部が瀬戸康史、三島由紀夫が高良健吾。

 太宰の文学研究者は奥野健男ら数多おりますが、人となりの研究者としては、「山崎冨栄の生涯ー太宰治・その死と真実」などの著書がある長篠康一郎氏がピカイチでしょう。この人は長年、太宰治研究会の世話役をやっていて、毎年6月19日の太宰の命日に東京・三鷹の禅林寺で行われる「桜桃忌」で、18歳だった私もお会いして、太宰の旧宅を案内してくれるなどお世話になったことがあります。(2007年に80歳で亡くなられたようですから、当時はまだ48歳だったんですね。)当時は私も若かったので、その時に出会った明治大学文学部の学生の下宿で、男性4人、女性2人が夜明けまで飲み明かしたことを覚えています。名前は忘れてしまいましたが、その時に会った若尾文子に似た1歳年上の美しい女性が今でも忘れられませんね(笑)。2人だけでそっと下宿の外に抜け出して、太宰作品について、立ち話をしたことを覚えています。翌朝、池袋駅で、彼女は赤羽線に乗るというので、連絡先も聞かずに別れてしまいました。大変懐かしい思い出です。

 蜷川実花監督は、当然、長篠康一郎さんの作品も読んで映画に参考にしていることでしょう。でも、概ね事実に沿って映画化したというのでしたら、山崎冨栄の愛称が「スタコラサッチャン」だったことや、太宰を囲んだ飲み会では「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュー」なんていう戯れ歌を唄っていたことは初歩的知識として知っていたはずですから、映画に反映していなかったのが残念でした。

 残念といえば、太宰の遺作は「人間失格」ではなく、未完の「グッド・バイ」なので、妻への遺書として「人間失格」の原稿を添えたことは本当かなあ、と思ってしまいました。単行本になった「人間失格」の生原稿は出版社にあったわけですから、嘘くさく感じましたが、これは、現実とは違う映画の話でしたね。

 太宰に関しては、なまじっか、知識があるものですから、「人間失格」を主に執筆したのは、三鷹ではなく、埼玉県の大宮なので、何で、大宮のシーンを出さなかったのか、とか、出てくる子どもたちで、太宰の長女園子さんは、後に婿養子を取った津島雄二元厚生相の妻で、長男正樹君は知的障がいがあり、若くして亡くなったとか、次女里子さんは作家津島祐子になる、とか、太田静子の娘も現在作家の太田治子だなあ、とか、映画を観ていても、深読みして頭の中にごちゃごちゃと出てくるので、困ったものでした。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 でも、全く、太宰治の小説を読んだことがなく、人間関係もほとんど知らない人がこの映画を観たら、単なる、我儘な小説家が主人公のエログロナンセンス程度しか思えないかもしれません。

晩年、流行作家になり、「人間失格」や「斜陽」は、今の若い人の間でも、太宰が「敵視」した文壇大御所の志賀直哉や川端康成よりも多く読まれていると聞きます。でも、晩年の頃の作品よりも、「富嶽百景」や「お伽草紙」などの中期の作品の方が明るくて個人的には好きですね。

太宰自身はわずか38歳で亡くなってしまいましたが、彼の作品はこれからも読み継がれていくことでしょう。三島由紀夫のように反発する人もいますが、「あなただけに」内緒で語り掛けるような文体は、誰も書けないでしょう。だから、他の多くの作家は死後すぐ忘れ去られてしまうのに、太宰だけはこうして没後70年以上経っても映画化されるような作家として残っているのです。