ハイエク著「隷属への道」を読む

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 今や古典的名著と言われているフリードリヒ・ハイエク(1899~1992)著、西山千明訳「隷属への道」(春秋社)をやっと読了しました。超難解。読破するのに10日間掛かりました。

 この本は発売と同時に売り切れ店が続出したらしいのですが、世界のインテリの皆様の頭の良さとその構造には参りました。訳文だけがそうなのかもしれませんが、私にはスッと腑に落ちてくれないのです。例えばー。

 経済活動に対する統制を完全に中央集権化してしまうという考えは、今でも多くの人々をぞっとさせる。単にそれが途方もなく困難だからということではなく、ただ一つの中央機関によってすべてのことが統制されるという考えそのものが、強い恐怖を抱かせるのである。しかし、なお、われわれがそれへ向かって急速に歩んでいるのは、実はいまだに大半の人々が「原子論的」な競争体制と中央集権的統制の間に「中庸の道」があると信じていることが大きな原因となっているのである。(48ページ)

 本文の中でも比較的分かりやすい部分を抽出してみましたが、分かりやすいといっても、これぐらいなのです。(しかし、お経のような文章も次第に慣れていって、頭に反芻するようになります)

 この本の訳者でハイエクの弟子に当たる西山教授の長い序文によると、「隷属への道」は、ハイエクが、第2次大戦真っ只中の1942年から44年にかけて継続的に書かれた論文をまとめたもので、米国ではどの出版社も出版を拒否されたものの、やっとシカゴ大学出版部が引き受けてくれることになり、1944年5月に刊行されるや否や店頭から飛ぶように売れ、たちまち世界的ベストセラーとなり、同年中に独語、スウェーデン語、仏語、西語、葡語…等々に翻訳されていったといいます。

 西山教授の解説にある通り、同書は、戦前の欧米で、なぜ自由主義や自由経済体制を放棄して、社会主義や共産主義やナチズムやファシズムといった国家社会主義や巨大な政府主義が台頭するようになったかを深遠な洞察力で詳細に分析したものです。

 私がこの本について初めて知ったのは、1993年9月に出版された大須賀瑞夫インタヴュー「田中清玄自伝」(文藝春秋)でした。ところが、また訳者の西山教授によると、彼がハイエク先生から同書の日本語訳を頼まれたのは1954年でしたが、自分自身の著書と論文に忙殺され、1992年3月にハイエク先生が逝去するまで翻訳出版できなかったといいます。やっと出版できたのが92年10月で、それまで日本ではほとんど読まれない「幻のベストセラー」だったといいます。

 いずれにせよ、この本が1942年から44年にかけての第2次世界大戦真っ只中に執筆されたことは驚くべき事実です。この時点で、まだヒトラーは健在であり、ナチズムの勢いはあったにも関わらず、著者は、既にナチスの敗北を予想し戦後処理問題にさえ言及しています。

 この本で最も注目すべきことは、全体主義は社会主義から生まれたことを喝破したことです。理想的な社会主義を追求することによって、多くの国民の自由が奪われ、独裁的なファシズムに移行することを見抜きました。ハイエクはこう書きます。

 国家社会主義を単に理性に対する反乱とみなし、したがってどんな知的論拠も持っていない非合理的な運動であるとするのは、人々の間に後半に広まっている誤りである。もしも国家社会主義がこのようなものであれば、この運動は実際よりもはるかに危険性が少ないだろう。だが、これほど真実からかけ離れていて、人々を誤らせる見方もない。国家社会主義の教義は、人類の思想の長期にわたるひとつの発展が、その最高潮に達した結果として出現したものであり、ドイツの国境を越えて他の国々にも大きな影響を与えた思想家たちが出発点とした最初の前提が真に評価できるものかどうかはともあれ、この新しい教義を生み出した人々の考え方が、欧州の思想全体に対してきわめて大きな刻印を残したという事実は否定することができない。そして彼らの思想体系は冷酷と言えるほどの徹底的な首尾一貫性をもって発展させられてきたのであり、出発点となった前提はいったん受け入れてしまえば、そこから導き出される論理のからくりから逃がれることはまったく不可能となる。こうして発生してきた体系こそ集産主義なのであるが、それが個人主義の伝統から集産主義の実現を妨げるかもしれないあらゆる痕跡を取り去ることによって生まれてきたのである。(222ページ)

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 随分長い文章を引用させて頂きましたが、ハイエクの入門書やネット情報だけで、ハイエクの思想を知ったつもりになってはいけないと思ったため、わざわざ長く引用してみました。

 この本の段階では、まだあまり書かれていませんが、このほかハイエクは、収容所や粛清で恐怖独裁政治を敷いたソ連共産党のスターリズムを批判するだけでなく、社会主義が採用する「計画経済」に倣って公共事業を起こすケインズのやり方もいずれ立ちいかなくなるということで批判し、左派からも右派からも批判されたことはよく知られています。

 ハイエクが最後まで主張した自由経済主義も、フリードマンのような極端な新自由主義を生んで、世界的な格差拡大社会になったことを指摘する識者もいますが、私自身はまだそこまで語る資格はありません。

 ただ、世界的にも極めて優秀で真面目なドイツ人が、あまりにも純粋に理想を追求して国家社会主義を民主的に選んだことが、逆説的に極めて不自由な独裁政権を生むことにつながったというハイエクの分析には共鳴します。

 ハイエクは、1974年にノーベル経済学賞を受賞。