岩井克人著「貨幣論」を読む

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

またまた難解な岩井克人著「貨幣論」(筑摩書房、1993年3月25日初版)をやっと読了しました。読むのに10日間ぐらい掛かりましたか…。

 以前、このブログ(今年9月1日付「人間は恐怖と欲望で出来ている」)でご紹介したNHKスペシャル「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論2019」をDVDで見たお蔭で、「基本的な知識」を得ていたので、ハイエクの「隷属への道」ほど難解ではなかったのですが、やはり、読むのに難儀しました。

 勿論、この本を読もうとしたのは、この番組を見たことがきっかけで、この番組の中心的な進行係を務めていた岩井克人国際基督教大学教授の代表作である著書を読んでみようと思ったからでした。

 正直、岩井教授は、テレビの方が分かりやすく説明してくれました(苦笑)。

 岩井教授は、番組にあったように、「貨幣とは商品である」という貨幣商品説を退け、「貨幣とは法律の創造物である」という貨幣法制説も退け、スミスやリカードからマルクスに至る「労働価値説」を乗り越え、「貨幣とは何か?」という抽象的な問いをめぐる抽象的な考察に徹したのが本書「貨幣論」です。

結局、同教授が行き着いた考察は、引用すると以下の通りだと思われます。

 貨幣が今ここで貨幣であるとするならば、それは次のような因果の連鎖の円環によるものであった。すなわち、貨幣が今まで貨幣として使われてきたという事実によって、貨幣が今から無限の未来まで貨幣として使われることが期待され、その期待によって、貨幣が今ここで現実に貨幣として使われるという円環である。この円環が正常に回転している限り、貨幣は日々貨幣であり続け、その貨幣を媒介として、商品世界が商品世界として自らを維持していくことになる。しかしながら、もし、過去になされた現在に関する期待がことごとく裏切られ、過去がもはや無限の未来の導きの糸とはならなくなったとしたならばどうなるだろうか?その時、貨幣を貨幣として支えている円環がもろくも崩れ去ってしまうことになるのである。人々が貨幣から遁走していくハイパーインフレーションとは、まさにこの貨幣の存立を巡る因果の連鎖の円環が自ら崩壊を遂げていく過程にほかならないのである。(196ページ、一部換骨奪胎、十数カ所ひらがなを漢字に書き替え)

 岩井氏は、テレビ番組の中でも全く同じようなことを仰っていたので、このカ所をお読みになっただけで理解できた方は、もうこの本は読まなくても大丈夫です。

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 この本は、経済学書ながら、著者は、哲学者のアリストテレス(人類初の経済学者という説も)やプラントを語り、言語学者ソシュールの理論も援用し、最後は、「記述主義の一つの極限形態と看做しうる自らの前期の言語理論の徹底的な批判から出発した」後期ウィトゲンシュタインとの類似性にまで行き着いております。

 もう四半世紀以上昔に出版された本なので、今さら何でと思われるかもしれませんが、かの吉本隆明が批判したという伝説の本なので、やはり、一読の価値がある、と訂正しておきます。

年金は毎月13万円しかもらえない?=森永卓郎氏の講演会

 経済アナリストの森永卓郎氏の講演を聴きに行って来ました。主催者からの「注意事項」で、講演会での写真、動画撮影は禁止ということでしたので、関連写真はありません。ということで、講演会の日時と場所も書きませんが、大変有意義な時間を過ごすことができました。遠路はるばる足を運んだ甲斐がありました。

 森永氏の現在の肩書は、獨協大学教授・経済アナリストですが、バイタリティがある人ですね。話を聴くだけで、元気になります。この立派な大学の先生に向かって言うのは失礼かもしれませんが、この方は芸能人に近いエンターテイナーですね。聴衆の心をつかみ飽きさせない力を持っております。

 最初は、ライザップで20キロの減量に成功した逸話から始め、減量したお蔭で、医者から「余命いくばくもない」と宣告されていた糖尿病も治ってしまったことを話し、聴衆を一気に話に引き込みます。しかも、それは、テレビ番組の企画で広告宣伝になることが条件でしたので、500万円の優勝賞金を得たばかりか、30数万円のライザップの費用もタダだったというオマケつき。

 さて、彼の講演の骨子は、「年金だけでは生活できない老後を、いかにやり繰りして生き抜くか」というものでした。

講演会場近くの公園

まず、今年6月に金融庁の審議会が報告して大問題になった、年金だけでは「老後2000万円足りない」という真相について、森永氏は、そんな試算はまだまだ生ぬるいというのです。

 単純な計算式にすると、夫婦二人の月平均年金が21万円なのに、実際の生活消費費用の平均は26万5000円。となると、毎月、5万5000円足りない。これが65歳から95歳まで30年間続くと、2000万円の不足になるという試算です。しかし、「人生100年」時代が現実的となり、介護や医療費の増加などを加味すると2000万円ではとても足りない、と森永氏は強調するのです。

 しかも、将来的に年金が下がる可能性が十分にあります。現在、現役世代の2.3人が1人の年金高齢者を支えていますが、40年後には、少子高齢化で、それが1.3人が1人を支えることになり、とても現状の水準を維持することはとてもできなくなるというのです。

 それでは、どうすればいいのか?

 現在の毎月26万5000円の暮らしを見直すしかないといいます。例えば、彼は平日は東京都中央区の事務所で仕事をしていますが、週末は自宅のある埼玉県所沢市で過ごしたり、群馬県に農園を借りて野菜を育てたりしているといいます。彼の感覚では、埼玉県の物価は、東京より3割ぐらい安いといいます。勿論、家賃も安いので通勤苦を除けば、彼の命名する「イナカトカイ」の方が暮らしやすいといいます。

 また、テレビの企画で、彼は「1カ月1万円で生活」するという競争で優勝したことがあったらしく、この際、1カ月の食費はわずか4200円だったそうです。仲の良い八百屋さんから余った野菜をもらってきたり、1カ月はゆうに食べられる、廃棄されるような大量のパンのミミを1袋30円で買ってきたりしたそうですが、要するに、これから、生き抜くためには「見栄を棄てろ」と彼は言うのです。

 その通り、彼はテレビやマスコミに出まくって相当稼いでいるように傍から見えますが、テレビ局では用意されている3人分のお弁当を、一つは自分で食べ、残りのマネジャーやスタイリストさん用は来ないので事務所に持って帰って、冷凍にして一週間分の食費を浮かしたり、出演者用に用意されているお菓子までポケットにつっこんで持って帰ってしまうといいます。

 さすがに、最初はTVディレクターから顰蹙を買ったそうですが、そのうち、「タレントの有吉君から『ケチダヌキ』という綽名を付けられ、それからは堂々とお弁当もお菓子も持ち帰ることができるどころか、向こうからわざわざ袋に入れて用意してくれるようになった」と言うではありませんか。

 彼は「『せこい、どけち、しぶちん』は誉め言葉と思ってください」とまで言うのです。

 森永氏は、厚生年金のモデル世帯は、現在の23万円から、将来は13万円になると予想しています。毎月13万円になれば、見栄を張って生きていくわけにはいきませんね。冗談で笑っていた聴衆も、急に深刻な現実に引き戻されてしまいました。