12月23日(月)放送NHKファミリーヒストリー「阿川佐和子~祖父は知られざる名建築家 そして父の遺品に」をご覧になってください

 満洲研究家の松岡將氏から、大変嬉しいメールを頂きました。

…実は、資料提供その他、小生が色々と協力したNHKのファミリーヒストリー番組「阿川佐和子~祖父は知られざる名建築家 そして父の遺品に」が12月23日(月)夜7時30分から放送されることとなりました。よかったら、ご覧になってみてください。

 内容は、阿川家三代(阿川甲一、弘之、佐和子・尚之)のお話で、この阿川甲一は、拙著『在満少国民望郷紀行』の始めに出てくる(露清密約に基づく)ロシアの1898年東清鉄道建設着工当時からハルビンに渡るなど、時代の風雲児であり、日露戦争後、満鉄長春附属地にて、多くの土木工事を手掛けた、阿川組のトップでした。それで、あまり長くはならないようですが、(現在の)長春のシーンなども出てくるようです。

 本件に関して、阿川弘之著『亡き母や』には、「明治42年、日露戦争に通訳官として従軍した阿川甲一は、戦後長春で阿川組を設立、事業を興し、羽振りをきかし…」とあるのだが、その証左として、小生が提供した阿川組のオフィスの在所(満鉄長春附属地内 日本橋通り16)の地図が出てくる筈です。ご覧のように、「日本橋通り16」は、新京(長春)駅直近で敷地も広く、しかも、オエラさんたちが出入りしていたヤマトホテルにも直近。これも、拙著『在満少国民望郷紀行』執筆・刊行の“お勉強”の成果です(同書P133参照)。

満鉄長春附属地内 日本橋通り16  Copyright par Duc de Matsuoqua

7年ほど前にも、NHKの番組には、フィギュアスケーター小塚崇彦一家の件(祖父小塚光彦が満洲国協和会職員)で協力したことがあるのだが、今回も、その繋がりもあったかと思われます(この時は、担当者に協力して、拙著『在満少国民望郷紀行』P151、③の写真を発掘したりもしたのでした)。

 今回のファミリーヒストリーの番組最後には、小生の名前が、地図や資料提供者としてクレジットされる由。こういった機会は、小生自身にとっても、問題意識を持って歴史を深掘り出来る、大変いい機会だと思っています。…

 凄い話ですね。私も楽しみに拝見させて頂くことにします。

古代史が面白い

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最近の古代史研究は、発掘された考古資料から、木の年輪や放射性炭素を用いた科学的手法で飛躍的進歩を遂げ、大幅に歴史が書き換えらています。

 と、断定的に書きたいところですが、その科学的手法を使っても年代測定に誤差が生じ、何と言っても、いまだに邪馬台国が九州か大和かの論戦に決着がついていないといいます。(大和説の方が有力な遺跡発掘が出てきたようですが)

 騎馬民族征服王朝説も、否定されたかと思ったら、いまだに根強く残っていて、まだ分からないことだらけです。が、私の世代のように40年も50年も前に学校で習った古代史研究と比べれば、飛躍的進歩を遂げていることは確かで、もしかして、古代史が今、一番面白いかもしれないとさえ思えてきます。

 恐らく、日本列島に長らく住んでいた縄文人(アイヌ、蝦夷、隼人、熊襲など)は、稲作の技術を持った弥生人(という言い方はしませんが)から征服、という言葉が強すぎれば、制圧されたか、同化されたか、していったことでしょう。時代は前後しますが、それら渡来人は、北方の鮮卑やツグース系や、大陸の江南(揚子江の南)や半島の朝鮮系、はたまた遥かインドネシア、それにミクロネシアなどの南方から渡ってきたことでしょう。

 そんな予備知識を持って、街を歩いて、日本人の顔を見るとはなしに見てみると、確かに色んな顔があることが分かります。欧米人には区別つかないでしょうが、モンゴル系もいれば、朝鮮系のような顔の人がいます。ジャワ系の人もいますね。日本人は単一民族ではないことが分かります。

 先ほど読了した武光誠著「一冊でつかむ古代日本」(平凡社新書)から、色んなことを教えてもらいました。2011年7月15日初版ということで、「最新情報」とまでは言い難いので、また何かいい本があったら教えてください。少し列挙します。

・2009年8月に島根県出雲市の砂原遺跡から、12万年前から7万年前といわれる旧石器が出土した。現在のところ、これが日本列島最古の人類の生活の跡だということになる。

・現在のところ、青森県外ヶ浜大平(おおだいら)山元Ⅰ遺跡から出土した縄文土器が日本最古というのが有力。それは、約1万6500年前から1万6000年前のもの。

・水稲耕作の技術は朝鮮半島南端から伝わったと考えられる。江南の水稲耕作が朝鮮半島の中部・南部に広まったのは紀元前1100年から同1000年頃で、その技術は早い時期に日本に伝えられた。

・近年になって、水田跡とともに縄文土器が出土する遺跡がいくつも報告された。(弥生時代初期の福岡・板付遺跡など)→並存しているということは、弥生人が縄文人を征服したわけではないかも。

中略

・5世紀末に朝鮮半島南部の伽耶から移住してきた有力豪族が秦(はた)氏と東漢(やまとのあや)氏。6世紀に新たに来た豪族を今来漢人(いまきのあや)と呼ぶ。

・これまで「大王」と呼ばれた王族の頂を初めて「天皇」と名乗ったは、天武天皇。北極星を神格化した道教の「天皇大帝」にちなむ。中国皇帝と同格の地位を宣言し、これまでの「倭国」の国号を廃して「日本」の名称を対外的に用いた。

・奈良時代の人口は約450万人で、そのうち平城京の人口は10万人。このうち1万人が下級官僚だった。五位以上の貴族の人数は150人程度。家族を含めると800人ほどだった。平城京と周辺には1万人の僧侶もいた。

・古代の朝廷の政務は、太政官を中心に運営され、天皇は、太政官の決定を追認する形だった。太政官には、左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議がおり、総称して「公卿」と呼ばれ10数人。すべて、公卿による合議で決められた。→天皇は祭祀の長という性格を持ち、独裁者ではなかった。これは明らかに古代中国やローマ帝国とは違っていた。

🎬「カツベン」は★★☆

 黒澤明監督が亡くなって以来、あまり、監督目当てに映画を観ることはなかったのですが、周防正行監督は例外で、「この人なら外れはないな」と思いつつ鑑賞してきました。「シコふんじゃった。」「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」「舞妓はレディ」など観て来ました。

 今回も期待したのですが、残念ながら外れでした。喜劇は喜劇でも、ドタバタ過ぎて、ストーリー展開も見え見えで、「伏線」の置き方があからさまなので、次の場面がすぐ想像できてしまう。

 …いやあ、ちょっと貶し過ぎですかね?

 今から100年前の活動弁士が大スターとして活躍した時代背景は、うまく描いたとは思いますが、悪役の安田(音尾琢真)がやたらと拳銃をぶっ放して、単なる「作り物」の作品を意識するように見せつけられた感じで、興醒めでした。

 いやあ、やっぱり褒めていませんね(笑)。時代考証に見合った衣装や自動車やポスターやロケでつくった劇場などは随分とお金を掛けているように見受けられました。

 でも、誰とは言いませんけど、俳優さんの中には演技が大袈裟で、ちょっと付いていけないところもありました。引いてしまった、という感じです。

 無駄な場面も多く、その場面を20分ぐらいカットすれば引き締まって、作品の世界だけに没入できたと思います。

「現代用語の基礎知識」が半分になってしまった!

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 今年も「新語・流行語大賞」が発表されました。 既報の通り、今年日本で開催されたワールドカップ・ラグビーの日本代表が掲げた公式テーマ「ONE TEAM」 が大賞に選ばれたことは皆さま御案内の通りです。

 今日はその話ではなく、この大賞を選考している主催者の自由国民社の発行する「現代用語の基礎知識」のこと。本当に腰を抜かすほどビックリしましたね。今年発売の「2020年版」が、前年の半分になってしまっていたのです。

 上の写真の通りです。最初は、2020年版とは知らず、19年版の付録だと思ってしまい、正直、大笑いしてしまいました。

 比較すると、2019年版が、1224ページで、3456円だったのが、2020年版となると、その4分の1ぐらいの280ページで、価格も半分以下の1650円です。

 調べてみると、「現代用語の基礎知識」 が創刊されたのは1948年10月だとか。発行する自由国民社は 昭和3年(1928年)8月5日、初代社長長谷川國雄によって設立された「サラリーマン社」が創業母体。「時局月報」「雑誌サラリーマン」等、反権力のマスコミの一端を担った、などと会社概要に書かれています。へー、そうでしたか。

  私の記憶違いかもしれませんが、かつて、東京・銀座に本社ビルがあったと思いますが、今の本社は高田馬場のようです。

 個人的には仕事の関係で、随分昔に「現代用語の基礎知識」は毎年のように何冊か購入していました。百科事典のようにずっしりと重く、全部読みこなしていたわけでもありませんでした。最近は買うことはありませんでしたが、こんな薄っぺらになってしまったとは、隔世の感があります。

 当然のことながら、人は、用字用語はネットで検索して、それで満足してしまうので、売れなくなったことが原因なのでしょうね。その変わり目のエポックメイキングが今年だとは思いませんでした。「現代用語の基礎知識」のライバルだった「イミダス」(集英社)と「知恵蔵」(朝日新聞社)は、ともに2006年に休刊しています。これまで、よく頑張ってきたとはいえ、 やはり、寂しいですね。

 

沖浦和光著「天皇の国・賤民の国 両極のタブー」を読んで

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 個人的ながら、今年に入って、30年ぶりぐらいに仏教思想の勉強が復活しています。きっかけは、この夏に初めて高野山を参拝し、真言宗の密教とは何なのか、という疑問に目覚めたこと。もう一つは、このブログを通して知遇を得ました京都の西山浄土宗安養寺の村上純一御住職にお目にかかって、日本の浄土思想に共鳴し、こけつまろびつしながら、関連書を読み始めたことです。

 浄土思想に関しては、このブログでもご紹介致しましたが、柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)に大変感銘を受け、影響も受けました。

 色々と勉強していくと、30年前は理解できなかったことが、その後、荒波の人生を経験したせいか、少しは分かるようになりました。それは「ミッシングリング」を発見したような喜びがあります。若い頃は、般若心経を暗記したことがあり、今でもその前半部を諳んじることができますが、それほど奥深く意味を理解していたわけでもありませんでした。

 それが、勉強を復活させると、「そういうことだったのか」と分かるのです。例えば、般若とは、般若波羅蜜のことでした。そして、波羅蜜とは、菩薩が如来になるため、迷いの世界から悟りの世界へ至る修行のことで、それは六つあり、そのうちの一つである般若は智慧ともいい、物事の本質を見極めることでした。法蔵菩薩はこれら六波羅蜜の修行を経て、阿弥陀如来に正覚したはずです。そういったことが分かると、「般若心経」の理解度が深まります。(残りの五つは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定ですが、どういう意味か、京都・六波羅蜜寺のサイトにある「六波羅蜜とは」を参照してください)

 さて、今、北九州・小倉にお住まいの工藤先生のお薦めで、沖浦和光著「天皇の国・賤民の国 両極のタブー」(河出文庫、2007年9月20日初版)を読んでいますが、目から鱗が落ちるような話ばかりで、また「そういうことだったのかあ」と感心ばかりしています。この本は、新聞や雑誌などに掲載された論考をまとめたもので、1990年9月に弘文堂から出た同名書を底本にしており、古いと言えば、古いですが、ここに書かれた真相と深層は不滅です。

 この本では、日本民族の起源や天皇制から、(今では差別用語ですが)賤民(せんみん)に至るまで、実にさまざまなことが書かれていて、長くなるので、特に感心したことを書いてみます。沖浦氏は、桃山学院大学の学長まで務めた民俗学者ですが、後半生は被差別部落問題の研究に打ち込み、象牙の塔に閉じ籠らず、日本全国だけでなく、インド等までフィールドワークを続けたフットワークの軽い現場主義の学者でした。

 沖浦氏は、ヤマト政権とは、中国東北地方の騎馬民族が3世紀から4世紀にかけて、半島から九州に渡ってきて、アイヌや蝦夷、隼人など長く日本列島に住み着いていた縄文人を征服してできた政権という江上波夫が提唱した「征服王朝説」を取っています。

 ◇カースト制→密教→浄穢思想

 同書の中の「鎮護国家仏教の〈貴・賤〉観ーインドのカースト制と日本の密教」によると、ヤマト王朝は、政権を運営するに当たり、中国の髄・唐に倣って律令制度を取り入れて、世俗の身分を超越した聖なる天皇をいただき、卑しい賤民を最底辺とする「貴・賤」の身分制度を確立したといいます。そして、中世に入ると、インドのカースト制度に倣った「浄・穢」思想を取り入れて、差別観念を助長したといいます。この浄穢思想は、近世になって穢多、非人と呼ばれる被差別者を生み、住む場所や職業まで限定されます。

 この浄穢思想のカースト制度を生み出したのが、仏教よりも古いインド古来のバラモン教です。紀元前15世紀頃、北方から西北インドに侵略してきたアーリア人が、自らを「高貴な人(アーリアン)」と称し、インダス文明を築いた先住民族であるドラビダ人やモンゴル系などを征服して、「敵(ダーサ)」と呼び支配下に置きます。紀元前10世紀頃、アーリア人は、バラモン(司祭)、クシャトリヤ(王族・戦士)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隷属民)というカースト制度の原型を成立させます。この時はまだ、不可触賤民は出てきませんが、バラモンからヴァイシャまでをアーリア人が独占し、先住民らをシュードラに位置付けします。つまり、「制服ー被征服」が、そのまま「差別ー被差別」へ転化したわけなのです。差別とは、征服者側の論理ということになります。バラモン教の聖典「ウパニシャッド」は、紀元前5世紀に成立し、その後に成立した仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教に大きな影響を与えます。沖浦氏はこう書きます。

 (ただし、仏教を開いた)釈迦は、悩み苦しむ多くの衆生とともに生きながら、バラモン教の説く絶対神による救済を否定し、個々人の自覚と行為によって悟りを得ることができると考えた。すなわち、その人の生まれ・種姓とは関係なく、誰でも真理に目覚めれば覚者(ブッダ)になれると、「四姓平等」「万人成仏」の道を明らかにしたのである。

 つまり、釈迦は、カースト制差別の永遠性と合理性を根拠づけようとするバラモン教に対して根底的に批判したわけです。

 しかし、インドではヒンドゥー教が隆盛となり、仏教が衰退する中、仏教は延命策としてヒンドゥー教を取り入れた密教化していきます。曼荼羅の中心には釈迦に代わって大日如来が位置し、沖浦氏によると、大日如来にはバラモン教の大宇宙原理であるブラフマンの影を見ることができ、釈迦以来の仏教の独自の教義をほぼ完全に喪失していったといいます。

 この密教を日本に伝えたのが、9世紀に唐に留学した最澄であり、空海だったわけです。この密教にくっついてきたカースト制度の浄穢思想が、中世の日本社会に大きな影響を及ぼすことになった、というのが沖浦氏の説なのです。

 ◇平等社会を目指した釈迦

 なるほど、身分社会を打破して平等社会を目指した釈迦の革命的思想がよく分かりました。と同時に、これまでの皇族や貴族ら特権階級だけのものだった日本仏教を庶民に開放して浄土宗を開いた法然の功績も思い出しました。沖浦氏は、被差別部落民の95%が、「南無阿弥陀仏」の易行易修を説く浄土宗、浄土真宗、時宗の門徒である、と書いています。(101ページ)

 沖浦氏は、「密教はヒンドゥー教と癒着した」とまで書いてますが、確かに仏教には、毘沙門天(財宝神クベーラ)、吉祥天(ヴィシヌ神の妻)、梵天(バラモン教の最高神ブラフマン)、帝釈天(雷神インドラ)など、インドの神が取り入れられています。

 ◇痛烈な空海批判

 また、沖浦氏は、天皇を美辞麗句で賛美する一方、日本の先住民である蝦夷のことを旃陀羅(せんだら=不可触賤民)で「仏法と国家の大賊」であると断定する空海弘法大師を徹底的に批判します。(116~122ページ)空海がそんなことを書き残していたとは全く知りませんでした。

 日本古来の神道には、ケガレの精神があることから、中世になって急に浄穢思想が日本で隆盛したと私には思えませんが、差別意識は日本の精神風土の底流に流れていて、仏教も側面から援護し、社会からつま弾きにされた被差別部落の人たちが、傀儡(くぐつ)、鉢叩き、説経師から猿楽、田楽、能・狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎に至る芸能や茶筅や皮革などの職人芸を苦悩の末に生み出さざるを得なかった歴史的背景もよく分かりました。

【追記】◎最も重要な大嘗祭(190ページ)

 戦前の「登極令」でいえば、践祚の儀、即位の礼、大嘗祭、改元ー以上四つである。中でも天孫降臨神話に出てくる真床覆衾(まとこおうふすま)によって、新帝への天皇霊の転移が確かめられる秘儀である大嘗祭が、最も重要な皇位継承儀礼となる。これを執り行えなかった新帝は、古くから”半帝”であるとみなされたのである。

四半世紀も経って読む小林恭二著「俳句という愉しみ」

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 先月11月29日に投稿した「こんな近くに遠くの楽しさ=吉竹純著『日曜俳句入門』」 のお話を覚えていらっしゃる方はいないと思われますが、その本を、金子兜太の弟子である俳人の会社の後輩に貸したところ、逆に彼から「この本読んでください」と、借りをつくってしまいました。

 それは、小林恭二著「俳句という愉しみ」(岩波新書)という本で、1995年2月20日の初版ですから、もう25年近い昔の本でした。

 以前にも書きましたが、小生は、短詩型に関しては「食わず嫌い」ですからね。あまり、読む気がしなかったのですが、「それじゃあ悪い」と思い直して、読み始めたら止まりません。「めっちゃくちゃ面白かった」と正直に告白します。もう四半世紀も前ですから、登場した俳人の中には鬼籍に入られた方も多いですけどね。

 吉竹氏の「日曜俳句入門」は、どこの結社にも入らなくても、新聞や雑誌に投句して、腕を挙げて掲載される喜びを楽しめ、といった内容でしたが、この本は真逆で、結社というか、句会に参加して、散々、お互いの句を品評し合って、点数まで付けて、楽しみましょ、といった内容でした。

 著者の小林氏はこう書きます。

 …俳句は師系を重視する文芸である。…なんとなれば、俳句は個人が独力で生む文芸というよりは、関係性から生まれる文芸だからである。…俳句は詠む人間と読む人間がいて初めて俳句たりうる。そうした場を共にするというところに師系の意味がある。…俳句が成立するためには、座といういわば横の関係だけでなく、時間という縦の関係もまた必要になってくるのである。…(144ページ)

 なるほど、そういうわけで、俳人は集団になって、徒党を組んで、吟行したり、合評したりするんですね。

 で、この本では、三橋敏雄、藤田湘子、有馬朗人、摂津幸彦といった巨匠ともいうべき俳人8人が句をひねり、合評の面白さを存分なく発揮してくれます。

 やり方については、簡略しますが、お題に沿って各自が句作した後、どなたの句か分からないように清書して、ワイワイ、ガヤガヤと選評し合うのです。最も面白かったのは、散々貶した張本人がその句の作者だったりして、一堂大爆笑。「役者やのお~」といった感じで、小芝居を観ている感じになれます。もっとも、かなり真剣勝負ではありますが。

 座が開かれた東京都下の御岳の「河鹿荘」には、戦前から活躍していた三橋俊雄先生や前衛短歌の騎手でもある岡井隆先生も参加し、短歌と俳句の違いや、「短歌の方が戦争に協力していた」といった時局的な話も盛り込まれていました。

 今さらながらですが、入門書としてはピッタリでしょう。

 ちなみに、この句会で最多得点で優勝したのは大木あまり先生。先日もこのブログに書きましたが、詩人の大木惇夫の三女だそうで、言語感覚が冴え渡りました。

 30年近い昔、彼女とは2度ほど、何にも分からずに、東京・新橋の居酒屋「均一軒」で10人ほど集まった句会でお会いしたことがありました。会社の先輩に誘われたまま、その場で、俳句の基本も分からず、句をつくり、箸にも棒にも掛からなかったことが苦い思い出として残っています。この本が出版される前の話で、あまり先生も今や大家になられたということですが、当時は、何も知らずに接してしまい、大変失礼致しました。

この本では、例の桑原武夫の「第二芸術論」も出てきて、当然のことながら、桑原武夫のことを俳句のハの字も知らない「フランスかぶれの日本人」と断罪しておりましたが、そう言われると、自分にも矢を向けられているようで、冷やっとしました。

 多分、これから、投句したり、句会に参加したりしないと思いますが(ブログを書くのに忙しい!!)、もう、俳句や短歌を「第二芸術」と言いませんから勘弁してください。

清岡智比古、大木あまり、原田マハの3氏

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 「ブログは毎日更新しなければ駄目ですよ」との京洛先生の教えに従って、今日も何かネタがないものか、と自分の渓流斎ブログを開いたところ、異様なアクセス数に驚愕してしまいました。

 普段は1日300アクセスぐらいなのに、本日は何と、2100以上もアクセスがあるではありませんか。何事かと思って、分析したところ、2005年10月8日に書いた「中村哲氏と火野葦平」の記事へのアクセスが集中していることが分かりました。中村氏とは勿論、このほどアフガニスタンで献身的な医療と灌漑活動などをしながら、武装集団に暗殺された中村哲氏のことで、火野葦平は「麦と兵隊」などで知られる芥川賞作家です。二人は甥と伯父の関係だったことを書いています。

 でも、14年2カ月も昔に書いた記事ですからね。本人も書いたことすら忘れています(笑)。恐らく、ニュースで話題になっている中村哲氏のことを検索して、このサイトに行きついたのでしょう。ご愁傷さまでした(笑)。

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 ということで、14年前に倣って、今日も、有名人の意外な縁戚関係を取り上げてみようかと思います。多くの皆さんは御存知のことかと存じますが 単に私が知らなかっただけ、という理由ですのでお許しください。

 政治家と芸能人はまるで世襲のように、親子関係が続いていて、珍しくも何ともないので、割愛します。 いわゆる文化人を取り上げます。

 最近驚いたのは、NHKラジオでフランス語の講座を拝聴しているのですが、その講師を務める清岡智比古・明治大学教授(1958~)。少し変わった名前だな、と思ったら、何と、「アカシヤの大連」で芥川賞を受賞した作家で詩人・評論家の清岡卓行(1922~2006)の御子息だったんですね。智比古氏は、清岡卓行の先妻の子で、卓行は、作家の岩阪恵子氏(1946~)と再婚していました。

 最近、俳句の本を読んでいますが、俳人として今や大御所になっておられる大木あまり先生(1941~)がいらしゃいます。もう25年ぐらい昔、東京・新橋の「均一軒」という居酒屋の2階で行われた句会で1~2回お会いしたことがあります。彼女が詩人の大木惇夫(1895~1977)の御息女だったことを知りませんでした。言語感覚というのは遺伝するんですね。

 もう一人。「楽園のカンヴァス」や「風神雷神」など今や美術を題材にした小説では右に出る者はいないと言われる作家の原田マハ氏(1962~)。彼女は、小説家、エッセイストの原田宗典氏(1959~)の実妹だったとは、つい最近知りました。

 まあ、御存知の方は「そんなことも知らなかったの?」と怒られそうですが、恐らく、この記事も、また14年後にも読まれると期待しながら書きました。

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3年4カ月の拘束から解放された戦場ジャーナリスト安田純平氏

 「ブログやめたら楽になれますよ」との天使の囁きが耳にこだましております。そうなんです。最近、どういうわけか本当に忙しい。物忘れも激しい。さっきは、ランチした和食屋さんにスマホを忘れ、慌てて取りに行きました。

 12月7日(土)は、東京・早稲田大学で開催された第30回諜報研究会(早大20世紀メディア研究所共催)の講演会を聴講してきました。内戦中のシリアで3年4カ月もの長期に渡って拘束され、昨年10月に解放された戦場ジャーナリスト安田純平氏(45)の講演を聴きたかったからでした。

 5分ほど遅刻して会場に入ってきた安田氏。筋肉質で、一瞬、武道家が入ってきたのかと思いました。それもそのはず。配られた資料の略歴を読んだら、大学時代(人橋大学と誤記)は少林寺拳法部だったことが書かれていました。

 テレビや写真などからの印象では全く分かりませんでしたが、武術に心得があったんですね。世の中にジャーナリストと称する人は何百万人もいるかもしれませんが、戦場現場にまで行く記者は限られています。よっぽどの強靭な精神力と肉体に恵まれていなければならないのですが、安田氏にそれらが備わっていたことが分かりました。

 「シリア人質事件の真相」と題した講演は1時間35分に及びましたが、メモを一切見ず、途中休憩することなく、間断なく、よどみもなく続きました。非常に記憶力が良い頭脳明晰な人でした。話は多岐に及びましたので、人質事件の経過については既にご存知だという前提で、私自身が印象に残ったことだけを書きます。

 2011年、シリアでは本格的に内戦が始まります。サダト政権は少数派ながら、軍部を掌握し、厳しい監視体制を敷きます。意外なことに、と言いますか、当然のことながら、サダト派が支配する区域の治安は良いそうです。ただし、日々監視されて自由はなく、格差も激しい。「俺たちは家畜じゃない」という鬱積が溜まって始まった反政府デモは、各地で拡大し、内戦での死者は40万人にも達したといいいます。そのうち、イスラム国(IS)による死者は数千人程度で、90%以上が政府軍による空爆などで犠牲になっているといいます。

 反政府側は、空爆の現場を動画に撮って、すぐユーチューブなどにアップしますが、政府側は「うそだ」「スタジオで撮っている」などと否定して、つぶしにかかります。つまり、情報戦争になっているのです。

 反政府組織は、安田氏は「何百もある」と言ってましたが、とにかく、安田氏は反政府側を取材しようとし、綿密な計画を立て、様々な交渉を重ねた末、2015年6月にシリア北部に入ります。ところが、真っ暗な山道を迷い、交渉をしていない別の組織に入ってしまいます。内戦シリアでは、「知らない奴はスパイと思え」という不文律があり、安田氏はすぐ捕まってしまいます。

 この時、もし武器を持っていたら、間違いなく殺害されていたでしょうが、戦場取材に慣れている安田氏は当然持っていない。同年10月になって、ようやくスパイ容疑が晴れて解放されようとしたところ、安田氏は2004年にイラクで拘束された事実(ただし3日間で解放)が先方に分かってしまいます。しかも、まずいことに、その前にすぐ解放された通訳が知り合いのジャーナリストに安田さんが拘束されていることを話したところ、「人質」と間違ったデマを世界中に報道されてしまうのです。

 「拘束と人質は違います。人質は質を取ることですから、こいつは身代金が取れると誤解されてしまったのです」。 後で、安田氏は何度も強調していましたが、日本政府もカタール政府もどこも身代金を払わず、無償で無条件で解放されたといいます。

そもそも、2015年にシリアで人質になって、過激派武装集団によって殺害されたフリージャーナリストの後藤健二さんと元ミリタリーショップ経営者の湯川遥菜さんの例があるように、日本政府は身代金は支払わないといいます。カナダ政府も同様だといいます。

 しかし、人質騒動となると、多くの怪しげなブローカーが暗躍し、中には身代金として家族に10億円も要求する輩もいました。悪質なデマや知ったかぶりの偽情報もたくさん飛び交います。そうなると、外務省もますます疑心暗鬼となり、どこの組織や人物が信用できるか分からなくなります。それが、安田氏側から見れば、「日本政府が交渉したとは思えない」との発言につながったと思われます。(他にも色んな証拠を挙げていました)

安田純平氏

 それにしても、3年4カ月も長期拘留中、よく冷静でいられたと思います。私なんか、3週間、いや3日で駄目になることでしょう。この間、安田氏は「彼らはイスラム国とは違うので、殺すことはしないだろうが、身代金が取れるまで粘るかもしれない。そうなると、無期懲役みたいなものだ。インプットがないと、過去のことを否定してしまう。あの時、違うことを選んでいたらとか、もう少し人間関係でうまくやっておけばとか、中途半端で満足して如何に自分の人生はロクでもなかったか、といった考えが押し寄せ、反省なら次に生かせるだろうが、ただ悔やむだけだから地獄だった。そのため、『とにかく生きて帰る』と(頭の中で)切り替えることにした」と振り返ります。

 安田氏は拘束期間中、10カ所も移転させられ、敵は「私の名前はウマル、韓国人だ」と言え、と安田氏に強制し、その模様はネットで全世界に流されます。「それを見たワイドショーのコメンテーターと称する精神科医が『精神が錯乱している』と言ったらしいが、自分は、セリフを言わされただけ。向こうは身代金を取るためにビデオを撮っただけなのに、そのままテレビで使ってすぐ信じてしまう。『(安田氏は)自殺未遂を3回もやっている』などとも流されたらしいけどデマですよ。信じてはいけない。戦争になると、宣伝工作や情報戦になるけど、こんな弱い国は無理。憲法云々の前に日本人は戦争は無理ですよ」と、諜報研究会を意識した発言もしておりました。

 安田氏の講演会の結びの言葉は「(皆さん)好きなことをやってください」でした。彼は、パスポートを申請されても却下されたという報道もあり、拘束中の食事やシャワーのことや、今後の計画など色々質問したかったのですが、講演が終わってすぐ退出してしまったので、その機会を逸しました。

 そんなこんなで、安田氏のことをブログに書くのは少々憚れましたが、私自身も、拘束と人質の違いなど色々と誤解していたこともあり、「メディアとネットがデマを拡散した」という安田氏の主張は至極もっともなので、彼を援護する意味で、このような「印象記」を書くことにしたわけです。

 

「プライベートバンカー 驚異の資産運用砲」

 以前読んだ清武英利著「プライベートバンカー カネ守と新富裕層」(講談社、2016年)が大変面白かったので、その本で実名で登場していた杉山智一氏の著書「プライベートバンカー 驚異の資産運用砲」(講談社現代新書、2018年3月20日初版)を読んでみました。

 文字通り、驚異的な資産の運用方法が具体的に、惜しげもなく描かれていました。海外保険にレバレッジを効かせて、日本では考えられない「利息」を得るというやり方ですが、ご安心ください。効果があるのは、少なくとも1億円以上の資産を持った富裕層の方々のみなので、関係ない、というか、お呼びじゃありませんでした。

 こんな本を取り上げると、「大人たちはカネの話ばかりして、環境保護問題を他人事のように思っている。よくもそんなことできるものか!」と、グレタ・トゥンベリさんに叱られますね。

ま、それはそれとして。世の中の仕組みを知るには、この本は恰好の教科書になっています。

 例えば、「なぜ、日本人の富裕層がシンガポールを目指すのか」については、日本では所得の多い人ほど高い所得税率が適用される累進課税方式が採用されているため、税率は最高45%にもなります。ところが、シンガポールでは、累進課税が採用されているとはいえ、最高税率は22%で、実効税率は10%前後。さらに、住民税はなく、相続税、贈与税、利子課税、キャピタルゲイン課税はいずれもゼロだというのです。富裕層が飛びつくはずです。

 同書によると、ソフトバンクグループの孫正義会長の実弟で、「ガンホー・オンライン・エンタ-テインメント」の創業者である孫泰蔵氏は、2016年にガンホーの株式を売却してシンガポールに移住したそうです。えっ?ガンホーは、以前テレビコマーシャルで盛んに宣伝され、孫さんのお二人は兄弟だということは知ってましたが、いつの間にか、そんな展開になっていたんですか。世の中の動きの速さにはついていけません。

また、ディスカウントの「ドン・キホーテ」創業者の安田隆夫氏も2015年に同社会長等を退任してシンガポールに移住したそうです。安田氏は、セントーサ島に2125万シンガポールドル(約17億円)で一戸建てを購入し、そのままドン・キホーテグループの海外事業持ち株会社を設立し、17年に東南アジア1号店となるドン・キホーテの店舗をシンガポール中心部にオープン、今後も事業を拡大していく計画だとか。(既に増店していることでしょう)

 まあ、我々には全く関係ない話で、私自身は、シンガポールに移住するつもりは全くなく、(いや、できない、というのが真相?)、安田氏の活躍も歴史の教科書に載っている山田長政か納屋(ルソン)助左衛門のように眺めている感じがします。

国風文化主義者宣言

Copyright par Duc de Matsuoqua

皆様ご案内の通り、小生は今月初めに、2泊3日で「山陰・山陽の旅」へ行ってまいりました。その間、初日に鳥取県の県紙「日本海新聞」に目を通しただけで、2日間も新聞を読みませんでした。普段は、一日に数紙目を通しているので、まずはありえないことでした。

 でも、読まなければそれで済んでしまった自分にも気が付きました。若い人の新聞離れが叫ばれている昨今ですが、ニュースなら今は簡単にスマホで読めてしまうので、むべなるかな。確かに、どうでもいい情報が多すぎるかもしれません。

 あ、いけない。新聞は何でもいいから読みましょう(笑)。新聞は、一報だけでなく、背景や解説も充実し、ためになります。私は新聞業界の回し者ですからね。

Rembrandt Harmenszoon van Rijn Copyright par Duc de Matsuoqua

 ところで、昨日の会社からの帰り道。通勤電車の中で、中国人と思われる若い女が、車内でずーと携帯電話でわめていたので閉口しました。4駅間でしたから10分ぐらいだったでしょうか。沿線は国内でもかなり中国人の人口が多く、中華料理店の多いチャイナタウン化している駅もあります。

 女は私から4~5人離れた所にいたので、目で注意しても届きません。まして、言葉が通じないでしょう。困ったものです。携帯電話については、車内で日本人だけにマナーの注意喚起アナウンスしているのに、外国人は野放し状態です。

 とにかく、彼ら川向うで話しているかのように声がでかく、傍若無人です。こういうことを書くと、良識のある知識人と呼ばれる皆さんは、すぐ差別だの、ヘイトだのと弾劾しますが、そんな根拠のないレベルの話じゃありませんよ。

 京都の一流ホテルのロビーで平気でつばを吐く輩もいるそうじゃありませんか。人権感覚に乏しいのか、根本的にマナーをわきまえない連中なのです。

 商業従事者は儲かるからいいですけど、何で無辜の庶民が自国で肩身の狭い思いをして生きていかなければならないのか不思議です。街中や駅構内では、やたらと中国語や韓国語の案内看板が増え、もし、災害や事故があったとき、外国からの皆様のために分かりやすく丁寧に周知しましょう、と良識派は訴えますけど、海外に行って日本語で懇切丁寧に指導してくれる国なんかありますかねえ? 私の経験では台湾ぐらいじゃないでしょうか。

 「郷に入れば郷に従え」と言うではありませんか。嫌いな日本の文化や歴史を勉強したくなくても、最低限の大人のマナーだけは弁えてほしい、と切に願います。そんなことは、文明国同士なら万国共通のはずです。日本は和をもって尊ぶ国ですから、あからさまに注意する人はいません。中国人と思しき女も注意されないから図に乗ってるんじゃないでしょうか。

 こういうことを書くと、すぐ極右主義者に間違えられそうですが、乃公は、国家主義者ではなくて、単なる穏便な国風文化主義者です。と、言っておきます。

Jaque-Louis David Copyright par Duc de Matsuoqua

さて、月に2、3回はメールのやり取りをしていた律儀なM氏から2カ月以上音沙汰がなく、気になって昨日、安否確認のメールをしたところ、案の定、二度も入院していた、ということでした。何かの虫の知らせだったんでしょう。

 でも、今は無事に退院されて、ご自宅で静養されているということで一安心です。