「首相動静」熟読のお薦め

 菅義偉首相の一日(動静)を見てみると、出張の日を除いて、普段は朝6時半ころにはお住まいの東京・赤坂議員宿舎を出て、官邸内を散歩して、永田町のザ・キャピトルホテル東急内のレストラン「ORIGAMI」や虎ノ門の「The Okura Tokyo」ホテル内のレストラン「オーキッド」などで朝食を取ってから、執務に入ることが多いようです。菅首相は「朝型人間」なんですね。

 朝食は,お一人や秘書官と取ることもあれば、何と竹中平蔵東洋大教授とも密談されることもあります。夜は、麻生太郎首相(当時)とは違って、あまり高級料亭で会食されることはないようです。目を引いたのは、9月28日 西大井の迎賓施設「志高荘」で似鳥昭雄ニトリホールディングス会長らと会食したことでしょうか。この志髙荘というのはあまり聞いたことがないので、調べてみました。

 志高荘は、「日経不動産マーケット情報」誌によると、ニトリが2017年に、東芝の迎賓館「東芝会館」を買い取ったもので、敷地面積は6422平方メートル。2階建ての和風邸宅は、1941年に日本コロムビアの三保幹太郎社長(当時)の私邸として建築され、1953年に東芝に譲渡されたといいます。ニトリの買収価格は不明ですが、地元不動産業者によると、土地だけで35億円は下らないといいます。

 へー、面白いですね。当時、上場二部落ちしてしまった東芝に対して、ニトリは31期連続増収増益を記録し、飛ぶ鳥を落とす勢いの家具チェーンでしたからね。何か、「平家物語」の諸行無常…の文句が思い浮かびます。

 ついでながら、日本コロムビアの三保幹太郎社長が気になって調べたら、広島県出身で日本産業=日産コンツェルンを創業した鮎川義介(満洲の二キ三スケの一人)の懐刀と言われた人で、満州重工業開発の理事を務めた方だったんですね。まあ、戦前の富裕層は桁違いです。この三保幹太郎の子息が慶応大学を出てジャズミュージシャンになった三保敬太郎(1934~86)です。彼がラジオでDJをやっていた番組を昔よく聴いたことがあります。レーサーでもあり、事故死したレーサー福沢幸雄(1943~69、福沢諭吉の曾孫で、歌手小川知子との恋仲が週刊誌に書きたてられたことを覚えています)とは慶応幼稚舎以来の親友だったんですね。酒に酔って階段から転落したことが原因で51歳の若さで亡くなっていたことまでは知りませんでした。

 首相動静から飛躍して色々と調べていくと、発展して、色んな興味深い事が出てくるものです。我ら国民の代表で最高権力者である首相の動向を毎日、熟読すれば、思わぬことまで色々と出てきます。是非、お読みになることをお薦めします。

 何? 新聞取ってない? 嗚呼…、何をか言わんや…