明智光秀ゆかりの地を訪ねて(上)=桶狭間古戦場~織田信長公居館跡~岐阜城~長浜城

岐阜城

 「机上の空論」といいますか、あまり本ばかり読んで知ったつもりになるのも如何なものか、と思い直し、城巡りの現地取材に飛び出しました。

 ちょうど、今年はNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、主人公の明智光秀が脚光を浴び、再評価されていることもあり、それに便乗した団体ツアーに単独で潜り込むことに致しました。

 えっ?こんな東京では新型コロナの感染者290人前後も続出して、第2波襲来、第3波襲来と言われている最悪の時期に? 国賊ものですねえ。

 いえ、違います。むしろ国粋愛国主義者ですよ(笑)。我が日本国政府が強引に推し進めている「Go to トラベル」キャンペーンに身銭を切って参加したのですから。二泊三日の旅行でしたから、1泊に付き1万4000円の支援が頂けることから2泊で2万8000円(その分、旅費代割引かれて8万4000円に)。これに、現地(滋賀県、京都府など)で使える地域共通クーポン計1万2000円分も貰えましたから、合計4万円もの国家予算を拝受しての大名旅行でした。企画した旅行代理店は、非常に気を遣って、参加者には毎朝、健康チェックシートを提出させて検温し、バスに乗るたびにアルコール消毒を義務化しておりました。

 団体ツアーの参加者は18人。一人参加は男女各4人でした。小学校2年生ぐらいのお子様が参加していることには吃驚しました。平日ですから、学校を休んだのかしら? 「長篠の戦い」がどうしただの、と子供らしくない老成したことを漏れ聞いてしまい、怖くなって敬ってずっと遠くに離れておりましたから、どういうお子さんなのか不明ですが。

 それよりもっと驚いたのは、91歳の男性が参加していたことです。「昭和4年2月生まれ。若い頃は、水泳の選手で、古橋広之進と一緒に泳いだことがあるよ。クレージーキャッツの犬塚弘とは同級生だよ」。どこまで真実か分かりませんが、年齢的にはぴったりです。足腰がしっかりしていて、普通に歩いていたので、80歳ぐらいかと思ってました。

2020年11月6日(金)第1日

 最初に訪れたのが、桶狭間の戦いの古戦場です。

 今は住宅街に囲まれた記念公園になってますが、意外にも拍子抜けするほど小さいので吃驚しました(驚いてばかりですねえ)。

 桶狭間の戦いは、明智光秀の主君織田信長が1560年、この地で駿河・遠江・三河の守護今川義元の大軍を破り、天下に名を轟かせた歴史的合戦です。 義元殿、打ち死に。

 当時の信長26歳。小国・尾張の守護代の家臣から成り上がったまだ無名の若造で、対する今川義元は名門中の名門の駿府の守護職である大大名。格式が違います。信長の軍勢は今川の10分の1の2000ぐらいだったと言われますが、奇襲作戦が成功します。合戦当日は雷雨があり、今川軍は刀剣武器を雷から避ける目的で他に収容していたため、戦闘準備に手間取り、それが敗因の一つになったとも言われています。いずれにせよ、今川は、田舎侍の織田の「大うつけ」を甘くみていたことは確かでしょう。

桶狭間で勝った信長は、天下覇者の有力候補として全国デビューしたわけです。

 次に訪れたのが、織田信長公居館跡。岐阜城がある金華山の麓にあります。

 2年ほど前に、この地を訪れたことがありますが、見違えるほど変わっておりました。居館跡らしく整備されておりました。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」効果なんでしょうね。恐るべし。

大河ドラマ館も見物しました。

ミニチュアの三重塔や居館の庭園なども再現されていました。

 こんな門兵がいる立派な?居館への門など2年前はありませんでしたからね。

 NHKの威力は大したものです(笑)。再び、恐るべし。

 ロープウェイを使って金華山頂上付近にある岐阜城へ。

 元の名前は稲葉山城。信長の舅である斎藤利政(道三)が1539年に本格的な城づくりを始めます。詳細については、上の写真の看板にある説明書をお読みください。

岐阜城 1956年復元

 1567年、信長は、美濃攻略で、稲葉山城を攻め落とし、本拠地を小牧山城からこの地に移転します。その際、古代中国の周王朝の文王が岐山によって天下平定した故事にちなんで、城と町(井ノ口)の名前を岐阜と改名するのです。

 1日目の滞在先は、滋賀県長浜市内のホテル。夕食のメニューは高級料亭並みで、今まで参加した団体ツアーで出た食事の中でも、最高級の部類でした。ビール中瓶907円は、クーポン券で(笑)。

長浜城 1983年復元

 ホテルの目の前が長浜城がある豊公園になっていて、ツアーのコースになっていなかったので、夜、一人で散歩がてら行ってみました。公園内は、足元もおぼつかないくらい真っ暗闇で、人もほとんどいなく、お化けが出て来るような薄気味悪さを感じましたが、7分ほどで辿り着けました。

 長浜城は1573年、浅井長政攻めで戦功のあった羽柴(豊臣)秀吉が信長からこの地を拝領し、築城したものです。1582年の本能寺の変の後は、柴田勝家一族の領地となり、翌年の賤ケ岳の戦いの後は、秀吉の子飼いの山内一豊が入城します。

 山内一豊は妻の方が有名ですが、(笑)小田原征伐の後、掛川城主となり、関ケ原の戦いでは東軍徳川方に与し、戦功により初代土佐藩主となります。

 幕末には第十五代藩主山内容堂が活躍するのは皆様ご案内の通り。