徳島城、高松城、丸亀城=四国9名城巡り初日(上)

丸亀城 すんばらしい

 しばらくブログを更新しておりませんでしたが、11月20日(日)から22日(火)まで、2泊3日で、C社が主催する「四国9名城」巡りに行っておりました。何しろ、全国で現存天守12ありますが、そのうち四国にある4天守全部回ってくださるというので、9月の新聞広告を見て、直ぐ申し込みました。一人で四国中のお城巡りをしたら、交通費、タクシー代など幾ら掛かるか分かりません。旅程計画も大変。その点、ツアーに紛れ込んでしまえば、バスで安価で運んでくれます。こんな良いお買い物はない、というわけです(ちなみに、全国旅行支援が使えて、8万5640円だったのが6万9640円となりました。このほか、3000円×2泊のクーポン券付き)。

徳島城

 でも、正直、今回の旅行で、生きていく自信を少し失いました(苦笑)。今まで出来たことが簡単に出来なくなったことが分かったからです。加齢によるもので、綾小路きみまろの世界です。重症ではありませんが、注意欠陥症みたいな感じです。ホテルの部屋の鍵を室内に忘れるやら、100名城スタンプ台の側に大切な資料ファイルを置き忘れるやら、鬼より怖い御家人からの御土産メモを失くすやら、注意力が散漫するようになっていたのです。

徳島城

 体力も落ちました。初日の第一弾は徳島城(徳島県)でしたが、かなり急勾配の山城で、階段が正確には数えていませんでしたが、500段近くあったんじゃないかと思います。途中で何度も一息いれたほどです。あの身延山久遠寺の急勾配の階段「菩提梯」を思い出しました。

 そうそう今回のツアーは、結構、自由時間が多く、決まった時間までにバスに戻れば良いというシステムでした。食事も2泊3日で、朝食2回(ホテルのバイキング)、昼食1回、夕食1回しかなかったので、同行者とはあまり顔を合わせることはなく、まるで一人で旅行している感じでした。今回の参加者は16人で、ペアが5組、一人参加が6人(男女各8人)でしたが、一人参加者の2、3人の方と少し言葉を交わした程度で、勿論お名前も何処から来られたのか最後まで分からず仕舞いでした(笑)。

徳島城 蜂須賀家政公

徳島城は、既に南北朝時代に築城されましたが、豊臣秀吉の家臣として有名な蜂須賀小六(正勝)の嫡男家政が17万6000石の阿波の領主として天正13年(1585年)に入国し、蜂須賀家が幕末まで続きます。明治8年に城のほとんどの建物は解体され、太平洋戦争の際、米軍の空襲もあり、現在、建物は何も残っていません。

 この山城の「麓」には、現在、徳島市立徳島城博物館があり、入館しましたけど、どういうわけか何が展示されていたか覚えていないのです。ここでも、うわの空といいますか、注意力散漫を発揮してしまいました。はい、綾小路きみまろの世界です。(笑)。

 さて、バスに戻る時間が迫って来たので、戻ろうとしたところ、二又の道があり、「あれ?駐車場はどっちだっけ?」と迷ってしまいました。左の道を進むと、バラ園がありました。「あれ?来る時、バラ園なんか見なかった。もしかして、右に行かなければならなかったのか」と思い、元来た道を戻ると、C社のバッジを付けた同行者らしき女性二人連れがいたので、声を掛けたら、「この道で大丈夫ですよ」と仰るではありませんか。あれ?バラ園なんか全く覚えていません。そう言えば、来るとき、ガイドさんの旗ばかり見て、一生懸命についていき、周りの景色はあまり見ていなかったことに気が付きました。これを他山の石として、次回から、帰りに迷子にならないように、周囲の看板や景色を頭を入れておくことにしました。(とは言っても、もう一回、迷子になりそうになりました!=苦笑)

高松城

 第2弾は高松城(香川県)です。私の出身高校と同じ海城です。もっとも、こちらは「うみじろ」と読みますが、私の東京の新宿区にある高校は「かいじょう」と読みます(笑)。以前、NHKの「ブラタモリ」で放送されていたので、訪れるのを楽しみにしていました。

高松城 向こうに見えるのが二の丸から本丸に続く鞘橋(さやばし)

 山城で急勾配を登らなければならない徳島城と違い、高松城は海城(うみじろ)なので、平地です。戦さの時、大丈夫だったのかな、と心配したくなるほど散策しやすいお城です。もっとも、現在は、「玉藻公園」として公開されています。園内の総面積は約8万平方メートルもあるとか。

高松城 本丸に残る天守台 3層5階の天守は残ってません

 高松城は、天正16年(1588年)、ということは本能寺の変の6年後、豊臣秀吉の家臣生駒親正(ちかまさ)が築城し、生駒家4代54年間、水戸徳川の松平家(初代は水戸黄門の兄松平頼重)11代228年間にわたり居城した海城です。

高松城 復元された桜御門
高松城 艮(うしとら)櫓 有名な月見櫓は工事中でした

 城内には当時、天守のほか、約20もの櫓があったそうですが、空襲などで建物のほとんどが喪失しました。が、艮(うしとら)櫓などは残り、重要文化財に指定されています。他に、桜御門などが復元されました。松平藩時代に政庁・御殿として使用された被雲閣は、明治になって老朽化したため取り壊されましたが、大正6年に再建され、現在、事務所のほか、茶会、会議などで利用されているそうです。

 高松城巡りは、昼休み休憩も含み、2時間ぐらい自由時間がありましたので、この後、近くのJR高松駅に向かい、駅ビルの2階の「杵屋」で、名物の讃岐うどん(とり天、870円)を頂き、1階のコンビニ兼土産物店(高松銘品館)で上官の命令に従い、買い物をしました。

丸亀城(現存天守12)
丸亀城(現存天守12)

 初日最後の第3弾は、現存天守12のうちのひとつ丸亀城(香川県)です。高松城と同じ生駒親正が慶長2年(1597年)、築城を開始します。江戸時代となり、一国一城令により、一時、廃城となりますが、生駒家がお家騒動で所領が没収され、その後、山崎家、そして京極家が継いで、幕末まで続きます。

 大変見事な素晴らしいお城でした。高さ60メートルの日本一の高石垣を誇るそうで圧倒されました。

丸亀城(現存天守12)

 こりゃあ、凄い。(ここから、急坂を登るのに、大変つらい思いをさせられます!)

丸亀城天守 

 これが、3層3階の現存木造天守12の一つですが、意外と小さい。

 石落としや、弓や鉄砲を打つ狭間もしっかりあります。この天守は、四国の中で最も古く万治3年(1660年)に完成したそうです。

丸亀城二の丸辺りから見える瀬戸大橋

 丸亀城二の丸辺りから見える瀬戸大橋。バスガイドKさんの説明によると、瀬戸大橋は、6本の橋で出来ており、全長9368メートル。6本の橋のうち、5本香川県、1本岡山県にあるそうです。1988年に全線開通し、総工費は何と1兆1300億円だとか。

高知市のひろめ市場 四万十川の栗焼酎「ダバダ火振」

 1日目の3城の日程を消化して、バスは一路、この日に宿泊する高知市へ。北の香川県から南の高知県まで1時間40分ほど、高知高速道路を通って、その途中で四国山地(坂本龍馬が脱藩の際、登った)を突き抜けるわけですから、トンネルだらけでした。

 この日は夕食が付いていなかったので、バスガイドKさんお薦めの「ひろめ市場」に行きました。新阪急高知ホテルから歩いて7分ほどです。ホテルから高知城にも歩いて7分ほどで行けます。このホテルは、35年ぐらい昔、仕事で泊まったことがありますが、当時はお城にほとんど興味がなかったので、こんな近くにお城があったとは、灯台下暗しです。

 ひろめ市場は、大きな体育館のような建物に70軒の屋台のような居酒屋や御土産屋さんなどがひしめいています。私は見たことがありませんが、テレビの「ケンミンSHOW」という番組で何度か取り上げられたらしく、観光客でいっぱいでした。ほとんどの店が満席で、やっと「鰹処ぼっちり」という居酒屋前に相席を見つけて、座っていたおじさんに断って、座らさせてもらいました。

 鰹のたたき定食900円と土佐の地酒(名前は失念)、それに、相席のおじさんの薦めで四万十川の栗焼酎「ダバダ火振」も後で注文しました。お酒は色々と呑んで来ましたが、栗焼酎なんて初めてでした。

高知市ひろめ市場近くで 高知は坂本龍馬を始め、歴史上の偉人、有名人だらけです

 相席になったおじさんは、ちょっと変わった人で、70代前半といった感じ。三重県の四日市から来た、と言ってました。私も三重県出身の友人がいて、結構、三重県内は旅行したことがあるので話は弾みました。おじさんは、この時期、高知市で趣味の蘭の品評会があって、毎年、3日間ほど市内に泊まるそうです。高知には沢山の友人がいる、と仰ってましたが、独りで呑んでいたのは何故かしら。

 いずれにせよ、このおじさん、ご職業は何だったのか知りませんが、私が「城巡りで四国を旅行しています」と話したら、彼は異様に戦国武将に詳しいことが分かりました。私と互角に話が出来るのですから(笑)。そして、彼は三重県出身ということで、名古屋に対する尋常ならざる敵愾心を燃やしていました。

 「名古屋名物、と言われている(伊勢)海老フライもひつまぶしも味噌カツも、本当は伊勢名物なんですよ。伊勢の人間は宣伝が下手なんです。それに比べて尾張の連中は…」といった具合です。那古野(名古屋)は織田信長、豊臣秀吉、加藤清正、蜂須賀小六ら多くの戦国武将を生んでいますが、野心家さんが多いのかしら。

 三重県のおじさんが頼んだ餃子を一つだけ、あまりにも薦めるので、頂きましたが、そのうち、彼は何の挨拶もなく、プイと帰っていなくなってしまいました。

田野屋塩二郎「シューラスク」

 帰りがてら、バスガイドKさんが薦めていた田野屋塩二郎のシューラスクというお菓子を買ってみました。田野屋塩二郎さんという人は東京の人でしたが、30代半ばで一念発起して高知で、火力は使わず、天日と潮風だけに拘って塩づくりをしている方で、その塩は高級レストランのシェフらに大好評。もっとも、1キロ当たり100万円もするという超高級の塩で(ホンマかいな?裏は取ってませんが)、本物の塩は買えないので、せめて、お菓子を買ってみたのでした。

 甘くて、ほんの少ししょっぱい今まで食べたことがない不思議なお菓子でした。

つづく