「クレイ賞」受賞を祝福致します=松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」

 (2022年10月27日付「日本のスーパーコンピューターの父」のつづき)

 松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」(文春新書)を読了しました。後半は、「科学少年」だった著者が如何にコンピューターの世界にのめり込んでいったのか、個人的遍歴が書かれ、また、コンピューターは日進月歩の世界ですから、早くも5年後、10年後を見据えた「富岳」の後継機やGAFAなき日本の人材の育成まで考慮しておりました。

 私は前回、著者のことを「日本のスパコンの父」と書いてしまいましたが、もし本人がその箇所を読んだら驚いてしまっていたかもしれません。著者の松岡氏は、本文の中で「『富岳』は何百人、何千人が関わったマシンなので、わたしひとりの成果ではまったくない」と書いているからです。

東京・銀座

 ただし、スパコン富岳をつくるに当たって最高責任者としてチームをリードする際の苦労話なども包み隠さずに書かれておりました。その際、著者は、米国の1960年代のアポロ計画の報告書を精読して、それらを参考にしたそうです。同計画では、何度も失敗しても挑戦し、念には念を入れて何度も何度も試作を試みた上で、ついに人類初の月着陸を成功させました。

 著者も同じように、何度も技術的困難に直面し、失敗もしてきた、と正直に告白しておりました。でも、私のような人間から見れば、大変、「縁」と「運」に恵まれて来た人だと思いました。著者が名門武蔵高校生時代、学校の帰りにパソコン・オタクがたむろしていた池袋の西武で、当時、東工大生で、後に任天堂の社長になったゲームクリエーターの岩田聡氏(惜しくも55歳で早世された)や、あのビル・ゲイツから「プログラミングの天才」と評された鈴木仁志氏らと知り合う機会を得て、著者が研究者の道を選ぶ影響を与えた人だったことも書かれていたからです。

 勿論、御本人の相当な努力の賜物もあったことでしょう。改めて、スパコン賞の世界的な最高の名誉である「シーモア・クレイ賞」と日本のNECの「C&C賞」の受賞、おめでとう御座いました。

「日本のスーパーコンピューターの父」=松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」

 ”Passage”, Jimbo-cho Copyright par Duc de Matsuoqua

 ちょっと御縁が御座いまして、目下、松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」(文春新書、1210円)を読んでおります。10月20日発売ということで、本屋さんに足を運んだのですが、売り切れてしまったのか、見当たりませんでした。仕方がないので、家に帰ってネットで注文しましたが、なかなか届きません。この後、注文した他の本が先に到着するぐらいで、どうしたものかと思っていたら、やっと25日に到着しました。

 昨日まで、「最高傑作」ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)を読んでいたので、本日からやっと読み始めました。

 私のようなガチガチの文科系人間が、高度な理科系知識が要求されるスーパーコンピューターの本なんか、理解できるのかどうか覚束なく、正直、当初は躊躇しておりました。でも、読んでみたら、著者は私に気を遣って(笑)、なるべく専門用語を使わず、使ったとしても丁寧に語彙説明をしてくれて、とても読みやすいのです。

 スパコン富岳に関する私の知識は、「処理能力(速度)世界一」といった程度でした。たまに新聞で、富岳による新型コロナウイルスの飛沫やエアゾルの広がりのシュミレーションなどが掲載されたりして、「頑張ってるなあ」といった程度の感想です。要するに、最初から内部構造や仕組みなどを知る意欲に欠けているのです。違う言い方をすれば、私にとっては、専門外の雲の上のような話なので、最初から理解することを諦めていたのです。

 しかし、この本を読むと、スパコン富岳の能力だけでなく、その社会的役割や将来の可能性まで理解することが出来ます。何しろ、著者の松岡氏は、2018年から理化学研究所計算科学研究センターのトップのセンター長を務め、スパコン富岳の開発を指揮した人です。この人以外で富岳について多く語れる人は他にはいないことでしょう。

 スパコン富岳で何が出来るのか?ーは素人が一番知りたいところですが、この本には事細かく書かれています。例えば、先ほどの新型コロナの飛沫のシュミレーションは、自動車開発のための空力性能を富岳を使って調査した神戸大学教授で計算科学研究センターの坪倉誠氏のチームでした。自動車のエンジンと感染症とは一見、無関係に見えますが、と著者は説明します。自動車エンジン内ではガソリンなどの燃料が噴霧し、その粒子が気化しながら移動します。同じように新型コロナも、ウイルスが飛沫によって運ばれ、エアゾルとなって拡散していきます。原理はほぼ似たようなものなので、自動車エンジンの調査手法を感染症でも短期間で応用できたというのです。

 このほか、スパコン富岳は、天気予報や地震、洪水、津波の予知や航空機開発、創薬などに応用されています。私が意外に思ったのは、この高価なスパコン富岳が一般でも、適正な審査に合格すれば、利用できることでした。それというのも、スパコンは莫大な費用が掛かり、国家プロジェクトとして開発されるからです。富岳の場合、開発費は1300億円で国費(つまり税金)が1100億円投入されたといいます。それでも、現在、欧米と中国を中心にスパコン研究開発競争が熾烈に繰り広げられており、各国が投資する国家資金は5000億円から1兆円にも上るといいますから、日本は随分、格安で開発できたと言えるかもしれません。

 富岳は、その前のスパコン「京」と比べて計算速度が50倍~100倍向上し、電力効率も50%程度向上したといいます。

 著者の松岡氏は、スパコン富岳を開発する前の東工大教授時代に、スパコンTSUBAME(2006年運用開始)を開発し、当時、国内トップの性能で大きな話題になりました。その実績を引っ提げて、富岳の開発責任者になったわけですが、TSUBAME開発時に掲げていたモットーである「至るところで使える」「みんなのスパコン」という目標が受け継がれていることが素人目からしても素晴らしいと思いました。誰にでも開放している、ということがです。

 富岳の2021年度の稼働率は97%だったらしいですが、コロナの重症化リスクの遺伝子レベルの解析やロックダウンによる経済的損失のシミュレーションなどにも使われたわけです。

◇余談ですが

 最初に「ちょっと御縁が御座いまして」と書きましたが、著者の松岡聡氏は、小生のブログの話題提供などでも長年お世話になっている満洲研究家で美術評論家の松岡將氏の御子息ということで、直接お会いしたことはありませんが、間接的にお噂などを伺っていたのでした。松岡將氏が1970年代に米ワシントン勤務時代、御子息の聡氏も米国で過ごし、教育を受けたので、英語はネイティブ以上です。

 その松岡聡氏は、スーパーコンピュータの最高峰の業績賞で、「スパコンの父」と呼ばれたシーモア・ クレイの名を冠 した「クレイ賞」の 2022年受賞者に選出され、来月11月18日、米テキサス州ダラスで、授賞式と記念講演が行われることを御尊父を通じで知りました。また、併せて、国内ではNECの C&C財団(Computer and Communication)から「C&C賞」まで受賞されました。日本のメディアではほとんど報道されなかったので、松岡聡氏の業績を讃え、このブログにも記載させて頂くことに致しました。

 恐らく、松岡聡氏は、将来、「日本のスパコンの父」と呼ばれることでしょうから。

人間はなぜ歩くのか?=ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」

 ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋、2022年8月10日初版、2860円)を読了しました。面白かった、実に面白かった。仏文学者の鹿島茂氏が「今年一番の収穫」と書評された通りでした。わたし的には、ここ数年のベストワンかもしれません。何と言っても、「我々は何処から来たのか?」というアポリアの答えをこの本は示唆してくれるからです。

 2022 付の渓流斎ブログ「1100万年の類人猿ダヌビウス・グッゲンモンから始まった?=ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳『直立二足歩行の人類史』」でも既に取り上げましたが、結局、人間は神がつくったわけではなく、サルから進化したことを認めざるを得ません。

 でも、人間は猿だと思えば、少しは納得できます。戦争が好きな狂暴な人間もいれば、人を騙す変節漢もいる。そして、うまく立ち回る如才ない人間もいますねえ。人間は所詮、猿だと思えば腹も立ちません(笑)。かと思えば、恵まれない人に共感して援助の手を差し伸べる者もいれば、自己犠牲を厭わず他人に尽くす人までいます。

 この本の結びの言説が素晴らしいので、読後感もすっきりします。結局、「直立二足歩行する特別なサルが繁栄できたのは、共感し、許容し、協力する能力のお蔭だ」と著者は結論付けているのです。そこに至るまでの経過を換骨奪胎して要約しますと、こんな感じになるかもしれません。…人類は直立二足歩行によって、手で物を運ぶことができるようになり、そのうち道具や武器まで使えるようになる。(武器を使うために、立ち上がったわけではない)そして、直立二足歩行することによって、気道が開き、さまざまな音声を発することができるようになり、それが言語として発達する。(そう言えば、現代までに生き残る二足動物は、他に鳥類ぐらいですが、オウムは物まねをして言葉らしきものを喋りますね!)骨折したのに、さらに生き延びている類人猿の化石が発見される事実は、他の誰かが手当をし、お互いに助け合って、食べ物を分け合っていたことになる。…こんな具合です。

 霊長類の中で最初に直立二足歩行した類人猿は、約1100万年前のダヌビウス・グッゲンモンにまで遡ることができますが、まだ定説になっていないようです。ほぼ定説になりつつあるのは、約600万年前に、現生人類の祖先に当たる類人猿がチンパンジーと分岐したことです。つまり、人間に最も近い動物がチンパンジーになるわけです。(人間もチンパンジーも、同じ霊長類の類人猿ヒト科に分類されます)

 私のような古い世代は、人類学と言えば、原人(北京原人、ジャワ原人など)―旧人(ネアンデルタール人)ー現生人類(ホモ・サピエンス)のように大雑把なことしか習いませんでした。でも、今は古人類学という新しい分野も出来、その学問的発展も日進月歩と言ってもよく、学校でもしっかり、700万年~600万年前のサヘラントロプス、600万年前のオロリン、400万年前のアウストラロピテクス、200万年前のホモ・ハビリス、180万年前のホモ・エレクトス…50万年前のネアンデルタール人、そして現生人類のホモ・サピエンス(今からわずか30万年~25万年前に出現)などと細かく教えられているようです。

 これらは勿論、化石人類(ホミニン)が次々と発掘されるようになったお蔭です。そのホミニンはいつ頃の時代なのか、発掘された地質の放射性同位元素で年代測定されます。この中で、著者のデシルヴァ・米ダートマス大学准教授が最も注目していたのが、1974年にエチオピアで、米アリゾナ州立大学の古人類学者ドンン・ジョハンソンらによって発掘され、ルーシーと命名された318万年前のアウストラロピテクス属アファレンシスです。ルーシーというのは、発掘チームが祝杯を挙げていた時に、ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のレコードを掛けており、その中の「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」から取られたというのです。ジョン・レノンの曲なので、私も親近感が湧きます(笑)。

 ルーシーは、身長110センチ前後、体重約27キロ、歯のすり減り具合などから死亡時は10代後半とみられるといいます。骨の骨折具合から木から落ちたのではないかと推測する研究者もいますが、死因は不明で、骨盤に歯形が二カ所あることから、動物に食べられた後に湖畔の泥土に埋まっていたようです。著者のデシルヴァ氏は、もしタイムマシンがあれば、318万年前に帰って、ルーシーと会ってみたい、というほどの入れ込みようです。

 ルーシーは発見当時、世界最古の化石人類でしたが、21世紀になっても次々とホミニンが発見されるようになり、進化の歴史がどんどん遡っていったわけです。仮に、直立二足歩行していたダヌビウス・グッゲンモンが人類の最初の祖先だとすると、それは1100万年前になります。気の遠くなるような大昔ですが、6600万年前に滅亡した恐竜が1億6000万年間も繁栄したと思うと、瞬きするような一瞬です。

 もっとも、17世紀の神学者ジェームズ・アッシャーは、天地創造が行われたのは紀元前4004年10月22日(土)午後6時だったと主張したといわれます。当時、人間はサルから進化したなどといった説を唱えれば、殺されたかもしれない時代でしょうが、21世紀に生きる人間は偉そうに、彼に古人類学を語りたくなってしまいます(いまだにダーウィンの進化論を信じないキリスト教原理主義者らが世界各国・各地に存在しますが)。

 著者のデシルヴァ准教授は、ホミニンの足骨が専門なので、この本では、「なぜ、ウオーキングは健康に良いのか」といった歩行に関するエピソードが多く書かれています。この中で、ニューヨーク大学の発達心理学者のカレン・アドルフ教授の調査記録を引用して、歩き始めた平均的な幼児は、1時間に17回は転倒しながらも、2368歩を歩き、1日では1万4000歩も歩いていることを紹介していました。著者は「幼児が少なくとも1日12時間の睡眠時間を必要としていることもうなずける」などと書いていますが、幼児が「1日、1万4000歩」歩くという数字には、私自身、驚いてしまいました。

日本史を書き換える新発見=NHKスペシャル「新・幕末史」

 10月16日(日)と23日(日)に放送されたNHKスペシャル「新・幕末史」はかなり見応えがありました。16日は 「第1集 幕府vs列強 全面戦争の危機」、23日は 「第2集 戊辰戦争 狙われた日本」というタイトルでした。2年前にも同様のシリーズで、戦国時代を取り上げて、日本史に留まらず、世界史的視野で、その同時代のスペインなどの列強国や宣教師たちがいかにして日本の植民地化を企んだりしていた事実がバチカンなどの資料から発見され、その斬新的な番組制作の手法に圧倒されました。

 今回も、英国国立公文書館のほか、当時のロシアやプロシア(ドイツ)などの列強の極秘文書が初めて公開され、幕末の戊辰戦争などが、単なる日本国内の内戦ではなく、英、仏、蘭、米、露、プロシアの列強諸国による分割植民地統治に発展しかねない事態まであったとは驚くばかりでした。

 私も、市井の幕末史好きですから、ある程度のことは知っておりました。徳川幕府方にはフランス(ロッシュ公使)、反幕の薩長方には英国(パークス公使)がついて、互いに武器と軍事顧問団を派遣して、英仏の代理戦争のようになっていたこと。大量殺戮が可能になった新兵器のガトリング砲などは米国の南北戦争で使用された「余りもの」だったこと…などは知っておりましたが、ロシアとプロシアの動向については盲点でした。

 ロシアは1853年のクリミア戦争で英国などに敗退すると、極東侵略政策に転換し、日本を植民地化しようと図ります。そのいい例が、対馬です。1861年にロシア海軍の拠点のような要塞を対馬につくり、半年間も駐在していたのです。それを外国奉行だった小栗忠順の粘り強い交渉と、英国の進出で辛うじて難を切り抜けたりしていたのです。明治になって、新政府は徳川幕府の弊害や無能論ばかり教育で教え込んできましたが、実際は、小栗上野介ら有能な幕閣がいたわけです。(21世紀になって、ロシアはウクライナに侵攻しましたが、「他国侵略」というロシア人気質は19世紀から全く変わらず、連綿と続いてきたことが分かります。)

◇プロシアは北海道植民地化を計画

 プロシア(ビスマルク首相)は、戊辰戦争の際、奥羽越列藩同盟の会津藩と庄内藩に食い込み、新潟港に武器を調達する代わりに、北海道を植民地化しようと企てていたことが、残された極秘文書で明らかになりました。そんな史実は、どこの教科書にも載っていなかったことですし、全く知らなかったので驚いてしまいました。

 番組では特に英国の公使パークスの動向に注目していました。1866年の長州征伐の際、幕府がフランスから武器を調達するために、ロンドン銀行から融資を申請したところ、パークスはロンドン銀行に対してその融資を止めさせています。逆に、商社ジャーディン・マセソン(長崎のグラバーが有名)を通して、長州に武器を調達しています。また、戊辰戦争の際には、パークスは、フランス、オランダ、プロシアなど列強6カ国の代表者を徴集して、内乱終結まで武器援助などをしない不関与の「局外中立」を認めさせたりしていました。そのお陰で、フランスは徳川幕府の軍事顧問団を引き上げざるを得なくなり、結果的に幕府方が不利になりました。(でも、箱館戦争では榎本武揚率いる幕府軍にフランスの軍事顧問団が付き添っていたはずで、その辺り、番組では詳しく検証してませんでした)

 こうして見ていくと、特に英仏など列強諸国が干渉していなければ、佐幕派が勝っていたのかもしれませんし、日本の歴史も変わっていたのかもしれません。戊辰戦争を世界史の中で見ていくと様相が変わるぐらいですから、海外の歴史学者が日本の幕末史に注目するのもよく分かりました。

 (番組の再放送やオンデマンド放送などもあるようです)

1100万年の類人猿ダヌビウス・グッゲンモンから始まった?=ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」

 会社の後輩、と言ってもあまり若くない高齢者ですが、毎日、通勤の際に、上野駅から会社がある銀座まで歩いて来ているという話を聞いて吃驚してしまいました。

 首都圏にお住まいでない方は、感覚的に分からないかもしれませんが、その距離は、約5キロ。時間にして1時間5分か10分掛かるというのです。天候が悪い日は、午前の行きではなく、帰りの夕方にしたりして、無理はせず、1日1回、「遠足」するそうです。お蔭で、毎日1万5000歩は歩くそうです。

 常軌を逸している!

 と、思いましたが、よく話を聞くと、ダイエットが目的だというのです。その努力が実って、わずか半年で、10キロもの減量に成功したそうです。

 これで、驚きから尊敬に変わりました。

 ヒトは、歩くことが大切なんですね。逆に歩けることがヒトをして霊長類、はたまた万物の頂点に至らしめる要因だと言えます。

 そう断言できるのは、今、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋、2022年8月10日初版、2860円)を読んでいるからです。この本の存在を知ったのは、先週購読した「週刊文春」で、仏文学者の鹿島茂氏が「今年一番の収穫」と太鼓判を押していたからです。立花隆さん亡き現在、日本で最も影響力のある天下無敵の鹿島茂氏が薦める本ですから間違いありません。

 その通り、この本はまだ途中ですけど、間違いなく、面白い本です。翻訳家の功績もありますが、文章が抜群にうまいし、恐らく、かなりのメモ魔で、幅広い教養の持ち主だということがよく分かります。先週、週刊誌を買わなければこの本の存在を知らなかったわけで、この本に巡り合って、微かながら奇跡を感じました。

 最近、「誰が誰を殺して天下を取ったのか」とか、「お涙頂戴の復讐劇」などといった人間どもの歴史にうんざりしていたところに、古人類学の本です。古人類学というのは、まさに先史時代の考古学で、「我々は何処から来たのか?」という根本的な命題に答えてくれます。

 発掘されたホミニンと呼ばれる化石人類を分析、研究するのが古人類学者です。最新の研究によると、人類の起源と直立二足歩行の起源は、これまで鮮新世(530万年~260万年前)と考えられてきたものが、中新世後期(1160万年~530万年前)にまで一気に遡ることになったといいます。それは、1100万年以上前の地層から出て来た類人猿ダヌビウス・グッゲンモンの化石から、直立二足歩行をしていたことが分かったというのです。

 地層が何百万年前なのか、どうして分かるのかと言えば、カリウムや炭素などの放射性同位元素で年代測定が分かる仕組みを本書で詳しく説明されていました。

 古人類学者が世界で何人いるのか分かりませんが、欧米中心ですが、意外にも多く(本書では私なんかとても覚えきれない沢山の古人類学者が登場します)、そのため、化石の骨の分析も、ある人は頭骨、ある人は脊髄…などと専門化しているというのです。この本の著者のデシルヴァ氏の専門は足骨ということで、当然のことながら、人類がいつから、なぜ直立二足歩行を始めたのか、最も興味がある学者の一人であるわけです。

 映画ファンなら当然、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(1968年)を観たことがあると思いますが、その映画の最初に四つん這いの猿が段々進化して、二本足で立ち上がるようになり、空いた両手で棍棒のような武器を持つ人類が登場する場面が出て来ます。つまり、人類が直立二足歩行になったのは、武器や道具を使うためだったという定説がこれまでありました。しかし、現在ではそれは否定されています。(直立二足歩行になった結果、武器も使えようになった、ということ。また、道具を使うのはヒトの特権ではなく、チンパンジーも道具を使う)。他に、直立二足歩行の起源と理由については、色々な説がこれまで登場しましたが、現在の最新研究でも、その答えは「まだ誰も分からない」というのが正確だというのです。著者のデシルヴァ氏は「ダチョウの物まね」説を唱えているほどです。

 いずれにせよ、類人猿が進化してチンパンジーから分岐してヒトになったのは今からわずか(笑)600万年前(±50万年)のことです。それから、ヒトは、サヘラントロプス、オロリン、アウストラロピテクス(318万年前のルーシーが最も有名)、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ネアンデルタール人…などと進化し、現生人類であるホモ・サピエンスが出現したのは25万年~30万年前ということになります。

 そのホモ・サピエンスが今から1万年前に農耕定住生活を始め、その後、奴隷都市国家、中世の王国、近世の皇帝国、植民地主義国、そして現在の資本主義国や共産主義国となるわけですが、1100万年に及ぶ類人猿の歴史から見ると、人間(ヒト)の歴史など、まだほんのわずかの瞬間だということが分かります。

 ヒトの祖先を遡ると1100万年も昔になると言っても喜んでばかりはいられません。その前に隆盛を誇った恐竜は、今から2億3000年前の中世代三畳紀に出現し、隕石衝突による気候変動で6600万年前の白亜紀に滅亡するまで約1億6000万年間も繁栄していたわけですからね。

 となると、人間の歴史など、そして人間の個人の悩みなど、小さい、小さい、と思いませんか?

(いつか、つづく

AIが支配するデジタル監視社会となるのか?= 世界の「知の巨人」招いた「朝日地球会議2022」を視聴しました

 世界の「知の巨人」招いた「朝日地球会議2022」(朝日新聞社主催)が10月16日(日)~19日(水)までオンラインで開催されました。

 4日間の開催で登壇者は約64人という大変大掛かりなプログラムですので、とても全てをカバーできません。そこで、独断と偏見で、米国の経済学者ブランコ・ミラノビッチ氏とイスラエルの歴者学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏、フランスの人類学・歴史学者エマニュエル・トッド氏、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル氏の4人が登壇する4日目の19日(水)だけ、会社をズル休みして自宅で拝聴しました。

 これだけ現代を代表する錚々たる「知の巨人」が登場するというのに、視聴するのに無料(ただし、パソコンの電気代や通信費はかかりますが)だったというところが凄い。まさか、知の巨人の皆様にただで登壇してもらうわけにはいかないでしょうから、気になるのはその原資です(笑)。旭硝子やサントリーなどがスポンサーになっているほか、国際交流基金なども特別共催していました。国際交流基金は外務省の外郭団体ですから、予算という名の税金が投入されています。ということは、無料でも一国民として堂々と視聴できる権利があるのかな、と下らないことばかり考えておりました(笑)。

 会議の模様は、そのうち朝日新聞の紙面に掲載されるほか、10月下旬に(YouTubeか何かで)ネット配信されると告知していましたから、見逃した方は是非ともアクセスされたら良いと思います。

◇世界的な監視社会の到来か

 「朝日地球会議」は今年で7回目らしいですが、私自身は初参加です。メインテーマは昨年と同じ「希望と行動が世界を変える」で、新型コロナのパンデミック後の世界や社会の有り様やロシアによるウクライナ侵攻、安全保障や食料、エネルギー問題、それに気候変動の問題が主な具体的なテーマになりました。

 これらの問題について、世界の知の巨人たちは何と答えたのか、茲ではとても書き切れないので、是非とも新聞かネット配信でご確認して頂きたいと存じます。ただ、私自身が一つだけ注目したことは、デジタル技術の進歩とパンデミックによって世界的に監視社会が強化されたことについて、知の巨人たちが何と発言するかということでした。

 経済学者ブランコ・ミラノビッチ氏は、グローバリズム推進論者で「経済成長を止めれば、世界の人口の20%が絶対的貧困になる」という論者だけあって、「SNSは世界市民となり、プラスに働いている」と実に楽観的でした。その一方で、哲学者のマルクス・ガブリエル氏は最近、自身のツイッターやフェイスブックを閉鎖したらしく、その理由について、「適度で科学的であるべきなのに、極端化した。自由で民主的ではなく反民主的になった。ツイッターやフェイスブックは、ステレオタイプ的な思考を強制する。例えば、プーチンと戦うためには、(ロシアから輸入されるエネルギーを節約するために)暖房を止めよう、などと発言する人がいるが、その前に、ネットの方を止めるべきではないか。矛盾している」などと発言していました。

 私もこのマルクスさんの見解に近い感じです。

 人類学・歴史学者エマニュエル・トッド氏に言わせると、確かに監視社会は強化されたが、一体誰が監視していますか?という話になりました。「監視者にとって、殆どの人は重要ではない。彼らが自己陶酔的なら尚更です。彼らが監視する対象は、権力ゲームの中にいる一部のエリートです。何故、欧州のエリートが米国に従属的になるのか?それは、ネットでの銀行送金が、米国の情報機関に丸見えになっているからです」などと恐ろしいことを暴露していました。

 ◇無神経で無意識過剰で生きたい

 私が一番聴きたかったのは、「サピエンス全史」の歴者学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏でした。ロボット工学者の石黒浩氏との対談形式で発言されていましたが、この中で、テクノロジーは良い面と悪い面があり、悪い面では、今や、人工知能AIを塔載した(感情がない殺戮)兵器のロボットさえできている。今後、原爆投下の核ボタンにしても、人間の権限ではなく、アルゴリズムに任せるようになることもあり得る。そんな事態になる前に、グローバルな合意形成が早急に必要だ、ということを強調しておりました。

 私自身は悲観的過ぎるかもしれませんが、世界の知の巨人たちの話を聞いて、おぞましい将来しか描くことが出来ませんでした。

 だからこそ、メンタル障害になる前に、出来るだけ物事を楽観的に考え、なるべく無神経で無意識過剰で生きたいという願望を持つようになりましたよ。

【追記】

 司会進行役は、朝日新聞の論説委員や編集委員らが務めていましたが、世界の知の巨人と堂々と渡り合い、彼らの英語スキルがネイティブ以上の優秀さでした。さすが、ジャーナリズムを牽引する人たちだなあと納得しました。

三門とは? 禅宗の名僧とは?=「歴史道」23号「仏像と古寺を愉しむ」特集

  外国人観光客の受け入れ制限緩和や全国旅行支援とやらで、銀座の街は、今や、お上りさんと外国人が際立って目立つようになりました。

 今朝の東京の気温は大体16度ぐらいでしたが、どうみても還暦を越えていそうな髭をたくわえたコーカサス系の外国人男性が、半袖のTシャツ一枚という真夏のような恰好で、ニコニコしていたので吃驚しました。こっちは、寒くて、中にベストまで着込んでいましたからね。

◇◇◇

 さて、「歴史道」23号「仏像と古寺を愉しむ」特集を読了しました。この手のムックは、判型がA4判に近い大きさなので、電車の中で読むにはちょっと勇気がいります。電車の中で大きな本を広げて読んでいる人は、まず見たことがありません。いるとしたら私ぐらいなものです(笑)。でも、私も分別が付き過ぎたので、家の中で静かに読むことにしたら、結構読むのに時間が掛かってしまいました。

 仏像の見方や、古寺巡礼に関する本はこれまで結構読んできましたが、やはり、奥が深いんですね。このムックで初めて知ることも多かったでした。

 例えば、お寺の本堂に入る前に大抵、三門(山門)がありますが、これは「空」「無相」「無願」の三解脱の象徴だといいます。「空」「無相」「無願」は仏教思想の根幹を成すものですから、もし御存知でなければ御自分で調べられたら良いと思います。

 私自身、自分なりにかなりの古寺名刹をお参りし、基礎的な仏教の知識や宗派や名僧について知っているつもりではありましたが、恥ずかしながら、このムックで私自身、多くのことを教えられました。

 まず、日本で初めて、国産独自の仏教宗派を開いたのは平安末期、法然(1133〜1212年)の浄土宗(1175年)だと思っておりましたが、史実はその半世紀以上前の良忍(1072〜1132年)の融通念佛宗(1124年、総本山=大阪市平野区の大念佛寺)でした。

 名僧については、特に禅宗関係で知らない人が多かったです。(以下、独自に調べたことも敷衍して書いております)

  臨済宗(達磨から6代を経た唐末の宗祖・臨済義玄が開いた)は、鎌倉時代に栄西が中国から持ち帰って開祖となり、京都に建仁寺などを建立したことは知っておりましたが、その後、様々な宗派に分かれて栄西派は衰えていったといいます。その後、室町時代になって、「応燈関」と呼ばれる3人の傑出した禅僧が現れ、復興し、現代までその隆盛がつながっているというのです。

 「応燈関」というのは、大応国師・南浦紹明(なんぽう・じょうみょう=1235~1309年)と大燈国師・宗峰妙超(しゅうほう・みょうちょう=1282~1337年)と無相大師・関山慧玄(かんざん・えげん=1277~1360年)の3人の名僧のことです。

 南浦紹明は、京都の大徳寺を開山した宗峰妙超の師です。その宗峰妙超は、花園上皇から自身の離宮を禅苑にするよう依頼されたのですが、病が重篤で、代わりに高弟の関山慧玄を推薦します。その関山が開山したのが京都の妙心寺です。

 臨済宗は現在15派に分かれており、全国に約6000の寺院がありますが、このうち約3500と半数以上が妙心寺派の寺院が占めるといいます。そして、京都の大本山妙心寺は、臨済宗系では最大規模の寺院だというのです。また、現代の臨済宗は、江戸中期の妙心寺派の白隠慧鶴(はくいん・えかく)の系統に連なるというのです。白隠といば、「禅画家」としてその名を最初に知ってしまったので、「えろうすんまへん」という気持ちです。

 つまり、白隠がいなかったら、今の臨済宗はなかったと言えるかもしれません。いわば中興の祖です。ということは、いくら宗祖や開祖が立派で偉大でも、その後を継ぐ弟子たちが大したことがなければ、その宗派は衰えてしまうということになりますね。

 また、曹洞宗についてですが、道元が中国の宋から持ち帰り宗祖となり、越前に大本山永平寺を開いたことは知っておりましたが、もう一人、大事な名僧がおりました。教団を全国展開した瑩山紹瑾(けいざん・じょうきん=1268~1325年)です。曹洞宗では道元は「高祖」、瑩山は「太祖」と呼ばれるようです。ですから、曹洞宗の場合、大本山は道元の開いた永平寺のほかに、もう一つ、瑩山が開いた總持寺があるというわけです。總持寺は当初(1321年)、能登(石川県輪島市)に建立されましたが、明治になって横浜市鶴見に移転します。

◇西瓜も蓮根も筍も隠元禅師のお蔭

 明治になって、新政府は廃仏毀釈を断行し、それでも容認した仏教・寺院は「13宗56派」あります。その13宗の中で最後に開宗したのが、江戸初期、1661年の黄檗宗です。こちらも禅宗系で開祖は中国・明から招へいした隠元隆琦(いんげん・りゅうき=1592~1673年)です。大本山萬福寺を京都の宇治に建立します。

 隠元禅師が、インゲン豆を日本にもたらしたことは知っておりましたが、このほかに、スイカやレンコン、タケノコまでもそうだったんですね。また、急須を使った煎茶文化も黄檗宗を通して広まったといいます。

 大変勉強になりました。

銀座、ちょっと気になるスポット(10)=「億の細道」と「長野県物産館」

 昨晩は夜遅くまでブログを書いていたので、少しは休めばいいのに、職業病なのか、本日もブログを書いております。

 また、「何でもブログに書けばいいと思っているんだろ?…このマンガ野郎が!」と馬鹿にされそうですが…(苦笑)。

 The show must go on!

 銀座といいますか、有楽町マリオン近くに「億の細道」があります(正式名称は「西銀座チャンスセンター」)。1等前後賞合わせて7億円の「サマージャンボ宝くじ」や10億円の「年末ジャンボ宝くじ」販売の時期ともなると、毎回長蛇の列が出来ます。日本人は縁起を担ぐので、よく観察すると、「仏滅」の日はそれほど多くはないのですが、「大安吉日」ともなると、本当に長い列が出来ます。

 この辺りは、私の通勤途中なので、並んでいる烏合の衆の皆さんを横目で見ながら、いつも「御苦労さまです」と頭を下げています。以前の古いデータではありますが、高額賞金に当選する確率は、2000万分の1だと言われているからです。1枚300円ですから、2000万枚買うと、60億円となります。

 つまり、60億円分買えば、やっと7億円とか10億円とかが当たるという単純計算になります(勿論、末等賞とかが当たりますから概算です)。同時に2000万人にやっと1人が当選するという言い方をしてもいいかもしれません。こりゃ、どう考えても詐欺(失礼!)に近い(笑)。やはり、苦労なしで確実に儲かるのは胴元に決まっている、と昔の人はよく言っておりました。

 それでも、人は長蛇の列をつくるのです。恐らく、夢を買っているのでしょう。それに、宝くじの収益金の一部で、公園の遊具などを買っているらしく、公共施設に還元しているという話ですから、彼らは納税者みたいなもんです。有楽町のここは「日本一当たる売り場」と言われていますが、わざわざ猛暑や寒風吹き荒れる中、1時間も2時間も辛抱強く並んでお金を納めてくださるのですから、私は心の中で、いつも「ご苦労さまです」と手を合わせているわけです。

銀座 NAGANO

 さて、話は変わって、先週、久しぶりに「週刊文春」を買いました。「100歳まで健康に生きる 60歳からの食事<新常識>」特集を読みたかったからでした。「食」に関しては大いに興味がありますからね。

 内容をあまり書くと、また、批判する人がいるので、最低限の引用に留めますが、この中で、一番印象に残ったことは、「なるべく白よりも黒が良い」という話です。

 これはどういうことかと言いますと、健康食として、白糖よりも黒糖が良い。白米よりも雑穀米の方が良い。そして、白いうどんよりも蕎麦の方が良い、という話なのです。

 私は「健康になれるなら死んでも構わない」というタイプですから(笑)、食べるものには気をつけます。これまで、新橋の「香川・愛媛 せとうち旬彩館」で本場の(白い)うどんばかり食べておりましたが、これから蕎麦も食べた方が良い、と一瞬で判断したわけです。

 ということで、本日は蕎麦の本場である銀座の長野県物産館に行って来ました。このビルの3階にある蕎麦専門店「真田」で、ランチして来ました。

「銀座 真田」野菜小天丼と蕎麦セット 1430円

 メニューを見たら意外と高いので、一瞬、すくんで、ひるみましたけど、思い切って、比較的安い「野菜小天丼と蕎麦セット」(1430円)を注文しました。おソバは、銀座にある大衆向けの安い蕎麦屋さんより、やはり、歯ごたえも違い、栄養分が豊富に含まれているような感じでした。

 ただし、若い仕事バリバリの現役男性ではちょっと量が足りないかもしれません。でも、健康に良い、ということなら、私自身は、麺類はなるべく蕎麦にしょうかなあ、と思っています。

「陸軍第四師団と関西財界人平生釟三郎」と「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティー」=第46回諜報研究会

10月15日(土)にオンラインで開催された第46回諜報研究会に参加しました。

 諸般の事情が御座いまして、諜報研究会のことをブログに書くのは、本当に久しぶりです。言い訳がましいのですが、茲では書けない理由の他に、自分自身のCPUの処理能力が格段に劣化して、講演者の話されるスピードの速さもあり、メモが全く追い付かず、それに輪を掛けて理解力も低下しているため、正直、とても字にすることが出来なかったのでした。

 早い話が、レベルが高過ぎて、ついていけなかったのです。

 しかし、今回は、研究会の屋台骨を支えている事務局長が登壇されたこともあり、「諸般の事情」を乗り越え、万難を排して、特別に書くことに致しました。

 最初の報告者は、中央大学国際情報学部講師で、インテリジェンス研究所事務局長の正田浩由氏です。タイトルは「陸軍第四師団と関西財界人平生釟三郎」です。

 平生釟三郎(ひらお・はちさぶろう)といえば、個人的に、直ぐに甲南学園の創立者で、教育者のイメージが強かった人でした。「個人的」というのは、神戸にある甲南大学が、東京駅に隣接する高層ビル内に「ネットワークキャンパス」なるものを設置し、ここで、社会人向けにセミナーを開催しており、私も何度か参加したことがあったからです。そのキャンパスというか、教室の入口付近に大きなパネルが何枚か展示されていて、そこに、甲南学園創立者の平生の大きな全身写真があったのでした。そこで、私は初めて平生釟三郎なる人物のことを知り、「教育者」としての印象が脳裏に刻まれたのでした。

 その平生釟三郎(1866~1945)は、報告者の正田氏によると、関西財界人で「日本財界の巨頭」、もともとは軍縮論者だったのが、大阪の陸軍第四師団(師団長は阿倍信行から寺内寿一)との交流で、取り込まれる形で親軍派に転向し、最後は「東条内閣の財界での最大の支柱」になった人だというのです。(その間、広田弘毅内閣の文部大臣、北支那方面軍経済最高顧問、大日本産業報国会会長などを歴任)

 時代的背景として、1930年ロンドン海軍軍縮会議で全権だった若槻礼次郎(元首相)が帰国した際、民衆に熱狂的に歓迎され、軍縮ムードが高まっていたところに、統帥権干犯問題や浜口雄幸首相襲撃事件などがあり、翌31年に満洲事変が起きると、当時、最も影響力があったメディアだった新聞も急に軍縮から軍国主義礼賛に方向転換した経緯があります。

 平生が、第四師団参謀長の後宮淳(うしろく・じゅん=後に陸軍大将)らと接触するうちに、短期間で自分自身の考えを変えた要因の一つとして、既成政党の腐敗があったのではないかと正田氏は分析していました。当時の政友会と民政党という二大政党が、党利党略で政権奪取のためには手段を選ばず、政争に明け暮れていたことに平生は嫌気がさし、次第に軍部に同調していったのではないかというのです。

 私自身は専門家ではないので、単なる受けおりの知識ではありますが、戦前の政党と言えば、明治以来、政友会=三井、憲政会(民政党)=三菱(首相になった憲政会の加藤高明は岩崎弥太郎の女婿で、「三菱の大番頭」と揶揄された)といった具合で財閥との結びつきが強かった印象があります。だからこそ、血盟団事件で団琢磨・三井総帥ら財界人まで襲撃されたのでしょう。政治家を操る背後に財界人がいる、と大衆まで見抜いていたのです。

 となると、平生釟三郎の場合、東京高商(現一橋大)を出た後、三菱系の東京海上の常務にまでなった人ですから、かつては民政党に肩入れしていたことがあったのか? また、東京海上を退社後、1937年から41年まで日本製鉄の会長と社長を務めていましたが、いつ、関西財界人になったのか、よく分かりませんでした。質問すれば良かったのですが、頭が混乱し、あまりにも初歩的過ぎる疑問でしたので、質問すら出来ませんでしたが…(苦笑)。

 次に登壇されたのが、日大危機管理学部教授の小谷賢氏。タイトルは「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティー」でした。

 既に、小谷氏が8月に上梓した「日本インテリジェンス史」(中公新書)を読んで、自分なりに「予習」をしていたので、話の内容はかなりよく分かりました。テレビに出演される方だけあって、プレゼンが簡潔で巧く、分かりやすかったことは確かでした。

 ただし、この本について、渓流斎ブログで取り上げた際に、誤植を指摘したり、スパイ防止法や特定秘密保護法の制定推進派のデメリットとあやうさなども批判したりしたため、もし本人が読んだら気分を害するだろうなあ、とヒヤヒヤでした(苦笑)。

 そのため、質問も出来なかったのですが、小谷氏は最後の方で、「やはり、戦前の憲兵や特高はやり過ぎだったと思う。自民党の後藤田正晴氏が政界引退後に、町村信孝氏が日本のインテリジェンス改革に熱心だったのは、父親の町村金五が内務官僚で、厳しく取り締まり過ぎた罪滅ぼしみたいな側面が少しあったからではないか」などといった趣旨の発言をされたので、本で読んだ著者の印象がガラリと変わり、ブログではちょっと書き過ぎたかなあ、と私も少し反省しました。

 講演の内容の結論的な話は、戦前の陸海軍、外務省、内務省による縦割りの情報運用が戦後も引き継がれ、警察(内閣調査室)、公安調査庁(法務省)、外務省、防衛省という縦割りの省庁ごとの運用が続き、今でも、国家レベルではなく、省庁レベルでのインテリジェンス運用にとどまっているといったことでした。

 その点に関して、講演後に参加者から質問がありましたが、小谷氏は「戦前は、『国体護持』と言っておきながら、全然違う。天皇に情報を上げていない。戦後も自分たちの省庁や組織のために働いてはいるが、国(全体)のためにやっていない。教育の問題もあるかもしれませんが」などと答えていました。

 確かに国家存亡の危機に見舞われた時に、インテリジェンスは重大で、大きく作用します。それなのに、官僚が自分自身の出世のために、主権者である国民に対してではなく、自分の組織の上司の顔色だけを窺っているようでは、どうしようもありませんよね。

 せっかく、日本は、英国でさえ持っていない世界に誇れるスペックの高い自前の人工衛星を保持しているといわれてますから、情報を有効活用しなければ税金の無駄遣いです。結局、日本のインテリジェンスの将来は、政治家だけでなく、現場の官僚のマインドにも掛かっているという状況がよく分かりました。

 私も仕事で、霞ケ関の人たちとやり取りしていますが、彼らは機密情報でも軍事情報でも何でもない、単なる、例えば伝統工芸の大臣表彰者に関するマスコミにとっての必要情報(発表日時や表彰者の出身都道府県など)を「前例がない」との理由なのか、出し惜しみするのです。明らかに上から目線で、こちらから何度も何度も電話を掛けさせて、「官尊民卑」丸出しです。

 ですから、全員ではありませんが、エリート官僚さまは、民間である国民のことなど一切考えず、自分の出世と自分の省庁のことしか考えていない、そして、秘密でも何でもない情報までも出し惜しみすることを肌身を持って感じております。

 本日はこれが言いたくてブログを書きましたが、結局、書くのに5時間以上も掛かりました。タイパ(時間効率)が悪いよなあ〜!!

【追記】2022.10.17

 ・このブログを読まれた報告者の正田浩由先生から早速、「回答」がありました。(一部補充) 

 「平生釟三郎を関西財界人とする理由についてですが、彼は確かに東京海上にいたのですが、主に大阪と神戸の支店を任されまして、そこで甲南学園を作ったりなどして関西に根を張りました。伊藤忠の伊藤忠兵衛や阪急の小林一三らとも親しくしていたようです。それから仰る通り、平生は民政党の政策に共鳴していたようで、一部紹介いたしましたが、金解禁なども評価していました。」

以上。

・戦前の二大政党に関しては、過去に書いた渓流斎ブログもご参照ください。

2019年7月6日付「『政友会の三井、民政党の三菱』-財閥の政党支配」

2020年8月4日付「エイコ・マルコ・シナワ著『悪党・ヤクザ・ナショナリスト―近代日本の暴力政治』を読む」

変わる新橋=そして、金券ショップも変わる

 いやはや吃驚しましたね。

新橋駅前 汽車ポッポ広場

 久しぶりに新橋駅に行ったら、ちょっと様相が変わっていたのです。

 まず、上の写真の通り、駅前の俗称「汽車ポッポ広場」(私だけがそう呼んでいるのかもしれません。いつもテレビ局の街頭インタビューが敢行される広場です)の向こうの超一等地にあった大型家電量販店「ヤマダデンキLABI新橋」が閉店していたのです。調べたら、閉店は昨年の10月1日だったとか。

 確か、少なくても、私は、昨年12月に印刷カラーの年賀状を「ニュー新橋ビル」内の金券ショップに買いに来て、この辺りも通ったはずなのに、全然気が付きませんでした。

ニュー新橋ビル

 今回も、新橋に行った目的は、その「ニュー新橋ビル」内の金券ショップでした。ビル1階に15軒ぐらい入っています。本日は、18日から始まる上野の東博での特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」と、このほど、世田谷の田舎(失礼!)から東京・丸の内に移転した静嘉堂文庫美術館の安売りチケットでもないかなあ、と思って足を運んだのでした。

 そしたら、こちらもまた吃驚です。

 どこのショップを覗いても、美術展や映画などの割引券がほとんど置いていないのです。代わりに並んでいるのは、クレジットカード会社や百貨店やビール会社などの「株主優待券」や「割引券」です。中には、何と、ドル紙幣が剥き出しに売られているショップもありました。円安のせいでしょうが、これではまるでバナナの叩き売りですよ(笑)。

 他に、新幹線などの割引切符や切手や葉書も売られていましたが、まさしく、金券ショップそのまんまになってしまいました。こんな「品揃え」になっていたとは知りませんでした。いつからそうなったのか? 私の記憶では昨年の12月の時点では、こんなに金券ばかり占拠していたわけではなく、映画や美術展や寄席などの割引券や招待券(ただし有料!)が並んでいたと思います。

 恐らく、コロナの影響でこんなになってしまったのでしょう。映画館も博物館も事前に入場日時をネットで申し込まなければならなくなりましたし(勿論、窓口販売もありますが)、また、新聞社も部数が激減して、拡販用のチケットを配る余裕がなくなったのかもしれません。また、ヤマダ電機が閉店したのは、ネット通販の影響でしょうか。

 となると、こうして金券ショップに持ち込まれる「金券」は、大企業や富裕層が持て余した「株主優待券」ということが想像されます。

 私は結局、何も買わずに引き上げましたが、金券ショップに行けば、今の社会経済の仕組みと景気動向が分かりますよ。