意外に知らなかった史実=「『大名家』の知られざる明治・大正・昭和史」

 「『大名家』の知られざる明治・大正・昭和史」(ダイアプレス、2022年9月21日発売、1430円)を読了しました。

 残念ながら、ちょっと誤植が多い本でしたが、執筆・監修がよくテレビに出演されている著名な河合敦先生ということですから、版を重ねれば修正されると思われます。何しろ、百科事典のような情報量が満載の本ですから、書斎の手近に置いて、時たま参照したいと思うのです。

 昨日も自宅からちょっと離れた紀伊國屋書店に自転車で行ったところ、この本が山積みになって売られていたので、巷では結構、評判を呼んでいることでしょう。是非とも、もう一度、校正・修正してほしいものです。

 この本を渓流斎ブログで取り上げるのは三度目です。(2022年11月1日付「維新後、お殿様たちはどうなったの?」、11月4日付「江戸三百藩のはじめとおわり」)。そろそろ、ネタも尽きかけましたが(笑)、最後に感想めいた終わり方にしたいと思います。つまり、意外に知らなかった史実がこの本から読み取ることが出来たのです。

 まず、大名とは何ぞや?ということですが、簡単に言えば、1万石以上の城主のことです。分家筋の支藩には、お城がなく、陣屋だけのところもありますが、それでも、石高は1万石以上が相場です。では、その大名は誰がなれるのか?と言えば、江戸三百藩で一番多いのは、当然のことながら、徳川家の血筋でしょう。江戸と御三家(尾張、紀州、水戸)は徳川家なのですぐ分かりますが、家康が徳川と名乗る前は、松平元康でしたから、松平家の藩もかなりあります。

 一番有名なのが、越前福井藩で、家康の次男結城秀康が松平に改姓して越前に移封されました。幕末には、四賢侯の一人、松平春嶽(慶永)を輩出します。次に有名な藩主は、最後まで新政府軍と戦った会津藩の松平容保でしょう。容保はもともと高須四兄弟の一人で、尾張藩の支藩高須藩(松平尾張家)から養子として入った藩主です。会津藩は、二代将軍徳川秀忠の庶子である保科正之が、三代将軍家光によって配されたもので、代々松平保科家が継いでいました。

 この他、松平家が藩主になっているのは、山形県の上山藩、福島県の守山藩(水戸藩の支藩)、茨城県の常陸府中藩(水戸支藩)、群馬県の前橋藩(越前支藩)、高崎藩(大河内家)、小幡藩(家康の女婿奥平家)、千葉県の多古藩(久松家)、埼玉県の忍藩(奥平家)、川越藩(松井家)、愛知県の三河吉田家(大河内家)、岐阜県の岩村藩(大給家)、長野県の松本藩(戸田家)、上田藩(藤井家)、三重県の桑名藩(久松家、幕末は高須四兄弟の一人で、会津藩の松平容保の実弟定敬が藩主に)、兵庫県の尼崎藩(桜井家)、愛媛県の伊予松山藩(久松家)と今治藩(同)、西条藩(紀伊支藩)、岡山県の津山藩(越前松平家)、島根県の広瀬藩(越前松平家)、大分県の杵築藩(能見家)など多数あります。

 山形藩、茨城県の結城藩、千葉県の鶴牧藩、和歌山県の新宮藩など水野家の藩主大名が多い。この水野家というのは、家康の生母於大の方の実家で、家康の従兄弟に当たる水野家の武将が大名に封じられていたわけでした。

 こうして、家康の縁戚関係と「徳川四天王」など家臣団の有力者から大名が選ばれていた場合が多かったことが分かります。

 本能寺の変で織田信長と嫡男の信忠が討ち死にしたため、織田家の大名はいないと思っていましたら、おっとどっこい、失礼ながら、しぶとく生き残っていました。山形県の天童藩は、信長の次男信勝の家系、奈良県の芝村藩は、信長の弟有楽斎(長益)の家系、兵庫県の柏原藩は、信長の弟信包の家系が立藩して繋がっています。

 それに比べて、秀吉の豊臣家は、大坂の陣で滅亡させられてしまい、(淀君と秀頼は自害)、江戸になって大名は一人もいません、と思っていたら、秀吉の妻である北政所の兄木下家定が、関ケ原の戦いで東軍で武功を立て、大分県の日出藩を立藩し、幕末まで木下家が藩主として続ていました。木下家の19代当主木下崇俊氏は学習院時代、明仁上皇さまと御学友で、演劇部に所属し、オノ・ヨーコと演劇仲間だったそうです。1934年生まれで、惜しくも今年(2022年)亡くなられたようです。

 長州藩の毛利家は、鎌倉幕府初代政所別当の大江広元を祖とし、薩摩藩の島津家は、鎌倉幕府の御家人島津忠久を祖とすることはよく知られていますが、長崎県の五島藩は、平清盛の異母弟平家盛が祖、宮崎県の高鍋藩は平安時代から筑前国秋月を領した名族秋月氏が祖だということは知る人ぞ知る史実でしょう。

 最後に、私は北海道の帯広に赴任したことがありますので、同じ十勝の池田町というのは大変馴染みがある町です。戦後、葡萄を栽培してワインを町の名産にし、池田町のワイン城は有名になりました。ポップスのドリカムのボーカル吉田美和さんの出身地としても知られています。その池田町は、維新後、北海道開拓に力を入れて「池田農場」を開いた旧鳥取藩の当主・池田仲博や「池田牧場」を開いた鳥取藩の支藩である鹿野藩の池田家から付けられたようです。知らなかったので、へーと思ってしまいました。また、釧路市にも鳥取町がありましたが、これも、明治17~18年に旧鳥取藩士が移住したことから付けられました。これは知っておりました(笑)。

【追記】

 もう知らない方も多いかもしれませんけど、映画「ゴジラ」やドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などに出演された女優の河内桃子(こうち・ももこ、1932~98年、病気のため66歳没)は、三河吉田藩主の大河内松平家の末裔だったんですね。清楚な美人で、やはり、どこか気品と華がある女優さんでした。彼女の御主人のテレビプロデューサー久松定隆氏は、今治藩主の久松松平家の末裔ということで、お似合いの夫婦だったことになります。