ファミレスでロボットに遭遇=2022年の大晦日、鎌倉時代よさようなら

12月31日、大晦日です。嗚呼、今年2022年も間もなく終わってしまいます。いつものことながら、何で月日の流れがこんな早いのか、哀しくなるほど感嘆してしまうばかりです。

 昨晩は、珍しく、夕飯は一人で自宅近くのファミレス中華「バーミヤン」に行って来ました。そしたら、生まれて初めての経験でしたが、「ネコちゃん」と呼ばれるロボットが注文した食べ物を席のテーブルまで運んでくれるので、思わず興奮して、お店の人に「写真撮ってもいいですか?」と聞いてしまいました。

 私が子どもの頃、1960年代ですが、「宇宙家族ロビンソン」という米国のSFテレビドラマがありました。細かいストーリーは忘れてしまいましたが(笑)、そこでは、ロビンソン家族がロボットと一緒に、何やら楽しそうに暮らしているのです。(という記憶でしたが、どうやら人口問題解決のため宇宙移民を余儀なくされたロビンソン一家が様々な困難を克服していく物語のようです。CBSのドラマで、日本では1966年から68年にかけてTBS系で放送)

 とにかく、そのドラマではロボットが登場して家族の一員になっていたので、将来、日本もそんな時代になっていくのかなあ、と夢想したものでした。あれから、60年近くの月日が流れ、ロボットは家族の一員にはなっていなくても、こうして、活躍するようになると、子どもの時に夢想していた「未来」がやって来たことになり、感慨深くなってしまったわけです。

 さて、年末ですから、大掃除していたら、お風呂の換気扇をスイッチを入れたまま、掃除してしまい、もう少しで指が取れてしまうような惨事に巻き込まれそうになりました。最近、物忘れも多くなり、どうかしています。こうして、何事もなく無事で済んだのも、神さま、仏さま、御先祖さまのお蔭だと、仏壇の前で念入りに拝みました。

 お掃除と買い物以外は、いつものことながら、大体、本や雑誌ばかり読んでおりましたが、テレビはNHKスペシャル「未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件」 第1部 松本清張と「小説 帝銀事件」(12月29日)と第2部 「74年目の“真相”」(12月30日)はなかなか面白かったでしたね。(そのうち、再放送されるでしょう)第1部はドラマで、大沢たかおが松本清張そっくりのメイクをして好演していました。

 第2部は、未解決事件「帝銀事件」のドキュメンタリーで、平沢貞通死刑囚が犯人ではなく冤罪で、真犯人は、中国ハルビン郊外で人体実験をしたあの石井四郎細菌部隊(731部隊)にもいた憲兵軍曹のAが、登戸研究所で開発した遅効性毒物「青酸ニトリール」を使ったのではないかと示唆していました。何故、このことがはっきりと断定できず、真相が闇に葬られたのかというと、GHQが、ソ連を差し置いて人体実験のデータが欲しいばかりに、石井隊長と裏取引して免罪とし、捜査警察に対しては、軍関係者への捜査を中止するよう圧力をかけたからでした。当然、警察もマスコミに報道しないよう情報を密閉し、生贄として人相が似ていた平沢死刑囚を犯人として祭り上げたのではないかというのが番組制作者が推測した結論でした。松本清張もGHQによる圧力をつかんでいながら、最後まで核心的な証言が得られず、はっきり字にすることが出来ませんでした。平沢死刑囚の亡き後も、弁護団は冤罪として再審要求しているということで、事件発生から74年経って、こうして再び注目されるようになったわけです。

 最近、人類学関係の本ばかり読んでいたので、雑誌に目を通すことができませんでしたが、昨日はやっと「歴史道」24号の「鎌倉幕府の滅亡」特集を読了しました。

 源頼朝から始まる武家政権は、三代将軍実朝暗殺や有力御家人粛清と承久の乱で北条氏が執権として最高権力者として確立し、新田義貞による攻撃で14代執権北条高時で滅亡しますが、鎌倉幕府はわずか150年しかもたなかったんですね。(1185~1333年)

 現代人は「人生100年時代」なんて謳歌していますから、150年なんてあっという間ですよ。途中で二度にわたる「怖ろしい」元寇があり、鎌倉仏教や文学・美術が栄えたりして、鎌倉時代はまさに波乱万丈の時代でしたが、考えてみれば、それほど長く続かなかったわけです。

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のおかげで、この1年は、どっぷりと鎌倉関係の本や雑誌を読み、鎌倉関係の特集をするテレビ番組を見て、私自身も、まるで鎌倉時代を生きてきたような感覚でしたが、2022年が終わるのと同時に鎌倉時代が滅亡したような気分になってしまいました。

 皆様には、この1年間、御愛読を感謝致します。良いお年をお迎えください。

ユダヤ民族は何故、優秀なのか=寺島実郎著「ダビデの星を見つめて 体験的ユダヤ・ネットワーク論」を読んで

 寺島実郎著「ダビデの星を見つめて 体験的ユダヤ・ネットワーク論」(NHK出版、2022年12月20日初版)を読了しました。著者による「ユニオンジャックの矢 大英帝国のネットワーク戦略」「大中華圏 ネットワーク型世界観から中国の本質に迫る」に続く3部作の完結編ということですが、私自身はこの本だけしか読んでおりません。

 本書は世界に張り巡らされたユダヤ人のネットワークが描かれています。しかし、世に蔓延る「ユダヤ陰謀論」とは全く一線を画し、至極真っ当な体験論になっております。(何故、体験論なのかについては後述します。)

 ユダヤ人の人口は世界で約1510万人(イスラエルに約620万人、米国に約550万人で、この2カ国で77%を占め、残りはEU域内に72万人、英国に38万人=2020年統計)で、世界人口(約78億人)の0.2%に過ぎない少数民族が、歴史的に何度も迫害を受けながら、なぜこれほど多くの偉人を輩出し、世界的ネットワークを広げて、人類として欠かせない偉業を成し遂げてきたのか、著者の体験を基に描かれています。

 結論を先に書けば、ひときわ優秀なユダヤ民族が最も重視するのは高等教育だということでした。また、世界各地で離散と抑圧の中を生き抜くために、決して単純かつ簡単に他人に与することなく「個」としての強さを確立して、その個を結んでネットワークを形成しているからだと言います。だから、ユダヤ的価値とは「高付加価値主義」と「国際主義」ということになります。そして、ユダヤ民族にとって、紀元前6世紀の「バビロンの捕囚」も、約2000年前のローマ帝国によるディアスポラ(離散)もつい昨日の出来事として忘れない「記憶の民」であると言います。

 バビロンの捕囚で、ユダヤ人を解放したのは、アケメネス朝ペルシャの王キロス2世だったことから、ユダヤ王国の末裔であるイスラエルは、現在も、潜在意識的にはペルシャの末裔であるイランに対して好意的だという話は、まさに「記憶の民」の真骨頂と言えるかもしれません。

東京・銀座

 さて、何故、この本が「体験的ユダヤ・ネットワーク論」なのかー。著者の寺島氏(1947~)は、よく知られているように、もともと三井物産の商社マンです。彼が入社した1970年代、同社は社運を懸けてイラン・ジャパン石油化学(IJPC)プロジェクトに取り組んでいました。しかし、それが1979年のイラン革命などの影響で失敗します。倒産寸前状態にまで追い込まれた三井物産は1981年、寺島氏を今後のイラン情勢に関する情報収集するよう米国に派遣します。そこで寺島氏が会った専門家の5人のうち3人もがユダヤ人で「イスラム原理主義革命がイランで起こることは5年も前から論文に書いていた」という専門家もいたといいます。そこで、寺島氏は多くの人からのアドバイスにより、その翌年、ほとんどコネもないのにイスラエルのテルアビブ大学のシロア研究所(現ダヤン研究所)に飛び込んでアプローチします。そこで、寺島氏が一番驚いたことは、「三井はなぜイランで失敗したのか」という127ページにわたる報告書まであり、同氏の周囲にいた物産幹部の固有名詞まで次々と出てきたというのです。彼らの桁外れの情報収集力はここにも表れています。これが、寺島氏のユダヤ研究のきっかけになったようです。

◇本に書かれなかったこと

 と、ここまで書いておきながら、本書に書かれていたことー例えば、アインシュタインやマルクスやフロイトといった著名人や、ロシア革命のレーニンやトロツキー、それに今のウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ人だとか、欧州で一大金融王国を築いたロスチャイルド家の話やポグロム、ホロコーストなどーは、ほとんど私も他の書物(広瀬隆著「赤い楯」など)で得た知識から知っていることばかりでした。

 それよりも、生意気ですが、何故、私でも知っていることがこの本に書かれないのか、の方が不思議でした。特に、著者の寺島氏は三井物産の商社マンとして米国に10年も滞在していたというのに、何故、ユダヤ系のロックフェラーやモルガン家のことについて全く触れていないのか気になりました。

 また、私自身がユダヤ民族について関心を持ったきっかけは芸術家に多かったので、作曲家のメンデルスゾーンやマーラー、演奏家のルービンシュタインやホロヴィッツ、アシュケナージ、ギドン・クレーメル、映画のスピルバーグやハリソン・フォード、ポピュラーのボブ・ディラン(ノーベル文学賞受賞者)、サイモンとガーファンクル、ニール・ヤング、ビリー・ジョエル、画家のモジリアーニやシャガール、または哲学者のスピノザやウイットゲンシュタインらについて彼らがユダヤ系であることを熟知していたのですが、本書ではその趣旨が違うせいか全く出てきませんでした。

 ただ、この本で驚いたことは、著者がエルサレムのイエス・キリストが処刑されたゴルゴタの丘跡に建てられた聖墳墓教会を実際に訪れ、その教会内の分断統治図に気付き、その9割がギリシャ正教会などの東方教会で、ローマ・カトリック教会はその残りのわずか1割しかなかったという事実でした。著者も、東方教会のロシア正教のことを知らなければ、プーチンによるウクライナ侵攻の背景が説明つかない、などと力説しておりましたが、その通りだと思いました。

 最後に、何故、世界人口のわずか0.2%に過ぎないユダヤ民族が優秀で頭脳明晰なのか?ー私見によれば、彼らは子どもの頃からユダヤ教の律法であるタルムードを意味が分からなくても脳に詰め込まれるからではないか、と思っております。「門前の小僧習わぬ経を読む」みたいなものです。エマニュエル・トッド(彼もユダヤ系)も「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」の中で書いておりましたが、幼児から10代にかけての読書習慣がその人間の知性を形成するといいますから、脳科学的にも証明されるはずです。

 そして、付言しておきたいことは、私自身は、600万人を超えるホロコーストによる被害から、今では逆にパレスチナ人を迫害する側に回ってしまったユダヤ人には残念な思いがありますが、ユダヤ人に対する偏見はなく、ましてやユダヤ陰謀論には全く賛同しません。(そう言えば、30年も前に東京のイスラエル大使館に取材しに行ったことがありますが、ロシア大使館以上のそのあまりにも厳重な警戒態勢を見て、逆に気の毒になってしまいました。)

 むしろ、映画や音楽や美術に関する限り、そしてユダヤ人であるユヴァル・ノア・ハラリ氏(彼はユダヤ原理主義については否定的な発言をしていますが)の書く「サピエンス全史」が世界的ベストセラーになるなど、ユダヤ文化は世界中の人々から愛されているわけですから、陰謀論が成り立つわけありません。私は文化国粋主義者ですから、そんな陰謀論に取り組む暇があったら、日本人はもっともっと勉強して頑張ってほしいと思っています。

現代日本人のルーツは3000年前の渡来系弥生人にあり=篠田謙一著「人類の起源」

 篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)をやっと読了できました。正直、ちょっと専門的過ぎる箇所があり、そして、言い過ぎかもしれませんが、著者は科学者で文章を書くことが専門ではないので、分かりづらいところもありましたが、内容は圧巻です。圧倒されました。

 この本は、まさしく、後期印象派の画家ポール・ゴーギャンが描いた「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を明らかにしてくれます。

 著者は、終章に書いていますが、教科書では「四大文明」など古代文明の発展が語られますが、そこまでに至る人類の道のりは書かれていません。著者の篠田氏は言います。

 こうした教科書的記述に欠けているのは、「世界中に展開したホモ・サピエンスは、遺伝的にほとんどといっていいほど均一集団である」という視点と、「全ての文化は同じ起源から生まれたものであり、文明の姿の違いや歴史的経緯、そして人々の選択の結果である」

 これらは、21世紀になって急速に活用されるようになった次世代シークエンサーと呼ばれる機器による古代ゲノムの解析に基づいた知見で、本書では、その人類の進化史と、20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスの世界拡散と集団の成立について詳細されています。

 そこから導き出された著者の見解は、(日本人とか中国人とかユダヤ人といった)民族は数千年の歴史しかなく、現生人類の長い歴史から見るとほんのわずか。将来的には民族と遺伝子との間に対応関係が見られない方向に変化していくことから、民族はますます生物学的な実態を失っていく、というものでした。そして、黒人も白人も黄色人種も同じホモ・サピエンスがアフリカから生まれて、7万年前から本格的に世界に拡散したことから、(著者はそこまで書いてはおりませんが)「人類、みな兄弟」ということになります。

 本書は「出アフリカ」の人類が、欧州、ユーラシア、アジア、北南アメリカ大陸へと拡散していく様子を事細かく描いていますが、読者の皆さんが最も関心がある日本人のことだけを書いておきましょう。

銀座「華味鳥」

 本書によると、日本列島に最初に現生人類が進入したのは、4万年前の後期旧石器時代だといいます。その後、長い間、狩猟採集の縄文時代が続きますが、3000年前に「渡来系弥生人」が日本列島に到達します。彼らは稲作と鉄器(青銅器)文化を伝えて、それが現代日本人につながります。(縄文人のゲノムは今では北海道や東北、沖縄、南九州しか色濃く残っていないので、現代日本人のほとんどのルーツが弥生人ということになります。) 

 この3000年前に到達した渡来系弥生人というのは、中国東北部(旧満洲辺り)の西遼河にいた「雑穀農耕民」(青銅器文化を持つ)が6000年前以降に朝鮮半島に進出し、遼東半島と山東半島にいた「稲作農耕民」が3300年前に朝鮮半島に流入し、在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合して新たに出来た地域集団だといいます。

 北方オホーツク文化の集団や、南方ポリネシア系の集団からの日本列島流入もあったことでしょうが、古代人類化石のゲノム解析からは、現代日本人のルーツの大半は、渡来系弥生人ということになります。(しかも、沖縄でさえ、台湾やフィリピンなど南方のゲノムとの共通点が少ないといいます。)

 となると、現代につながる日本人の歴史は3000年で、もとをただせば朝鮮半島からの渡来人であり、さかのぼれば、中国大陸人であり、もっとさかのぼれば、7万年前にアフリカから出てきて拡散したホモ・サピエンスということになります。

 ただ、化石人類のゲノム解析は始まったばかりなので、これからも日進月歩の勢いで新説が提唱されることでしょう、と著者の篠田氏は仰っております。ということは、古い学説は書き換えられるということですから、今後も怠けずに勉強していくほかありませんね。

現世人類は所詮、猿人の子孫さ

 今年もあとわずかで、年の瀬も押し迫って来ました。

 ランチに行ったりすると、その店の常連さんや馴染み客が「今年で最後かな? 良いお年を」と言って出ていく人も多くなりました。

 まだ少し早いですが、今年も読者の皆様には大変お世話になりました。今年は相当な数の馴染みの読者さんが離れていきましたが(苦笑)、また、相当な数の新しい読者の皆様も御愛読して頂いたようです。このブログがいつまで続くか分かりませんが、感謝しか御座いません。

 さて、今年は、いつもの個人的なことながら、人類学にハマりました。ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)、エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋)、そして、篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)と、これまでほとんど知らなかった古代人類化石のゲノムを解読した最新科学を教えてもらい、目から鱗が落ちるような感動でした。

 もともと、私自身は、記者生活をしながら、近現代史の勉強を個人的に始めました。きっかけは、ゾルゲ事件研究会でした。しかし、昭和の初期から敗戦に至るあの狂気と言っても良い時代に登場する人物の中には、一兵卒たちは皆殺しになっても、自分だけは飛行機に乗って逃げて助かるといった日本史上最悪とも言うべき軍人がいて、腸が煮え沸るどころか、吐き気を催すほどで、日本人というものがつぐづく嫌になってしまいました。

 同時に、近現代史を知るには、明治維新を知らなければならない。明治維新を知るには江戸の徳川の治世を知らなければならない。江戸時代を知るには、まず関ケ原の戦いを知らなければお話にならない。関ケ原を知るにはそれに至る戦国時代を知らなければならない。でも、彼ら戦国武将を知るには鎌倉時代の御家人たちのことを知らなければならない。そして当然のことながら天皇家の歴史を知るには古代にまで遡らなければならず、究極の果て、人類学にまで逆上ってしまったわけです(笑)。

 でも、色んなことが分かると、皆つながっていて、「なるほど。そういうことだったのかあ」と感激することが多々あります。

東銀座 料亭H

 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、脚本のせいで、合戦場面がほとんどなく、まるでホームドラマかメロドラマになってしまい、残念至極なお芝居でしたが、その半面、鎌倉時代関連の書籍が多く出回り、色んなことを学ぶことができました。

 鎌倉殿の13人の一人、大江広元の子孫に毛利元就がいて、中原親能の子孫には大友宗麟がいて、八田知家の子孫には小田氏治がいる、といったことは以前、このブログでも書いたことがありますが、和田合戦で滅亡させられた初代侍所別当・和田義盛(三浦義村の従兄弟に当たる)の子孫に、織田信長の重臣だった佐久間信盛や盛政(母は柴田勝家の姉)らがいること最近、知りました(笑)。佐久間氏は、和田義盛の嫡男常盛の子、朝盛が、三浦義明の孫に当たる佐久間家村の養子になったことから始まります。

 和田合戦で、和田常盛は自害に追い込まれますが、その子、朝盛は佐久間氏の養子になっていたため、逃れることができました。しかし、朝盛は承久の乱に際して、後鳥羽上皇側について没落します。一方、朝盛の子である家盛は、北条義時側についたので、乱後は恩賞として尾張国愛知郡御器所(ごきそ)を与えられるのです。(「歴史人」12月号)

 私はこの御器所と聞いて、吃驚してしまいました。今年5月に名古屋に住む友人の家を訪ねたのですが、その場所が御器所だったのです。友人の話では、御器所はもともと熱田神宮の器をつくる職人が多く住んでいたことから、そんな変わった名前が付けられたという由緒は聞いていましたが、佐久間氏のことは全く聞いていませんでした。佐久間家盛が御器所の地を与えられたため、佐久間氏は尾張の地に根を張るようになり、その関係で、佐久間信盛や盛政らは、尾張の守護代、織田信長の重臣になったわけです。つまりは、戦国武将佐久間信盛らは、もともと三浦半島を本拠地とする三浦氏だったということになります。

 まさに、点と点がつながって線になった感じです。

東銀座・割烹「きむら」白魚唐揚げ定食1300円

 確かに、鎌倉時代は、梶原景時の変、比企能員の乱、畠山重忠の乱、将軍頼家、実朝の暗殺…と血と血で争う殺戮と粛清の嵐が吹き荒れました。当時は刑法もなければ、人権意識そのものがないので生命は軽んじられ、仕方がなかったかもしれません。でも、それは日本だけの状況かと思ったら、エマニュエル・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」の中で、フランスのある教会区の住民台帳のようなものを調べたところ、13世紀(日本ではちょうど鎌倉時代)のある村の殺人率が10万人当たり100人(現代は、だいたい10万人当たり1人未満)と異様に多かったといいます。

 「なあんだ、世界的現象かあ」と思ってしまったわけです。当時は、ちょっとした言い争いでも直ぐに殺人事件に発展してしまったということなのでしょう。

 30万年前にアフリカで出現した現生人類は、7万年前に本格的にアフリカを出て世界に拡散し、1万年前に農耕を始めて定住生活をするようになると、土地、領土争いから戦争が絶えなくなります。21世紀になってもロシアがウクライナに侵攻するぐらいですから、人類は原始以来、全く変わっていません。人類学で篩にかければ、所詮、現世人類は700万年前、霊長類のチンパンジーから分岐して進化した猿人の子孫に過ぎません。だから、何が起きても予想外として驚くようなものはないかもしれませんね。

長谷川等伯「楓図」などを堪能しました=「京都・智積院の名宝」展ー東京・六本木のサントリー美術館

 月刊誌「歴史人」(ABCアーク)12月号の読者プレゼントでチケットが当選した「京都・智積院の名宝」展(東京・六本木のサントリー美術館、2023年1月22日まで)に本日、行って参りました。

 未だコロナ禍で、事前予約制なのかどうか、場所は何処なのか、初めて行くところなので色々と調べて行きました。あれっ?そしたら、サントリー美術館には一度行ったことがありました。何の展覧会だったのか?…忘れてしまいましたが、今年だったようです…。うーむ、認知力が大分、衰えてきたようです。寄る年波、仕方ないですね。(ブログの過去記事を調べたら、以前行ったサントリー美術館は、今年5月2日「大英博物館 北斎 国内の肉筆画の名品とともに」展でした。こういう時、ブログは便利です=笑)

 私は土曜日の朝は、よくNHK-FMの「世界の快適音楽セレクション」を聴いております。本日はクリスマスイブということで、特別番組をやってましたが、その中でも面白かったのが、「ゴンチチルーレット」です。ゴンチチというのは、この番組のMCで、ゴンザレス三上(69)とチチ松村(68)の2人のギターデュオというのは皆さん御存知だと思います。これまで26枚ぐらいのCDアルバムをリリースし、収録してきた曲は300曲以上あるといいます。それらの曲をアトランダムにシャッフルして番号が付けられ、番組の中で、彼らがその番号を言って、かかった曲が何という曲か本人たちに当ててもらうという余興でした。300曲以上あると、自分たち本人が演奏していたとしても、確かに忘れてしまうものです。早速、曲がかかると、2人は「覚えてないなあ」「分からないなあ」を連発。中には、自分たちの曲なのに「この曲、知らん」としらを切ったりするので大笑いしてしまいました。

 まあ、そんなもんです。私も自分が過去に書いたブログの記事もすっかり忘れています(笑)。

 評論家小林秀雄も、自分の娘さんから難しい現代国語の問題を聞かれ、「誰が書いたんだ、こんな悪文。酷い文章だ」と吐き捨てたところ、小林秀雄本人の文章だったりしたという逸話も残っています。

 全くレベルが違うとはいえ、私がサントリー美術館のことを忘れたのも、同じ原理と言えるでしょう(笑)。

六本木・サントリー美術館

 さて、やっと、展覧会の話です。

 目玉になっている「国宝 長谷川等伯『楓図』 16世紀 智積院蔵」と「国宝 長谷川久蔵『桜図』 16世紀 智積院蔵」は初めての寺外同時公開らしいのですが、土曜日だというのに結構空いていたお蔭で、ゆっくりと堪能することが出来ました。

 実は、私、狩野永徳よりも長谷川等伯の方が好きなんですが、特に、東京国立博物館蔵の六曲一双の「松林図屏風」(国宝)は、日本美術の頂点だと思っています。水墨画でこれだけのことを表現できる芸術家は他に見当たりません。ワビサビの極致です。勿論、水墨画と言えば、雪舟かもしれません。本人も雪舟の弟子の第五世を自称していたほどですけど、雪舟は完成し過ぎです。等伯は見るものに修行させます。想像力と創造力の駆使が要求されます。脳の中で色々と構成させられます。でも、うまく焦点が合うと、松林図という二次元の世界が立体化し、松の枝が揺れ動き、風の音が聞こえ、風が肌身に当たる感覚さえ覚えるのです。

 今回の等伯の「楓図」は、写実主義の色彩画で抽象性が全くないのですが、その分、力量が狩野永徳に優ることを暗示してくれます。天下人の秀吉から依頼されたようなので、まさに命懸けで描き切った感じがします。

 「桜図」の長谷川久蔵は、等伯の長男ですが、25歳という若さで亡くなっています。父親譲りのこれだけの画の力量の持ち主なので、本当に惜しまれます。

東京「恵比寿ビアホール」 チキンオーバーライス1150円 展覧会を見終わって実家に行く途中で、六本木はあまり好きではなくなったので恵比寿で下車してランチにしました。

  これら国宝含む名宝を出品されたのが京都の智積院です。真言宗智山派の総本山で、末寺が全国に3000もあるそうです。

 京都には何度も行っておりますが、智積院にはまだお参りしたことがありません。会場で飾られたパネル地図を見ると、三十三間堂の近くの七条通りの東山にありました。この地は、もともと、秀吉が、3歳で夭折した子息・鶴松の菩提を弔うために創建した臨済宗の祥雲禅寺があり、等伯らの襖絵もその寺内の客殿にあったものでした。

 祥雲寺はその後、真言宗の中興の祖で新義真言宗の始祖と言われる覚鑁(かくばん、1095~1143)興教大師が創建した紀伊の根来寺に寄進されますが、それは、根来寺が、根来衆と呼ばれる僧兵を使って秀吉方に反旗を翻し、徳川方についたためでした。江戸時代になって大坂の陣で豊臣家が滅び、根来寺の塔頭だった智積院が東山のこの地を譲り受け、現在に至っています。

現生人類は旧人と交雑していたとは知らなかった=篠田謙一著「人類の起源」

 ウクライナ戦争を仕掛けたロシアのプーチン大統領が着ているダウンジャケットは、イタリアの高級ブランド「ロロ・ピアーナ」で約160万円もする、と聞いて驚愕しました。

 もっとも、お笑いの爆笑問題の太田光さんは、1把100万円もする線香(確かに、伽羅を使用した最上級の日本香堂の線香「富嶽」が楽天市場で110万円で売りに出されています!)をポンと買われるぐらいですから、有名人と庶民とは金銭感覚が違うということなんでしょう。

 何で、こんなにお金の金額のことを一々書くのかと言いますと、これを読んだ50年後、100年後の読者の皆さんに参考になるかと思ったからです。でも、このブログが50年後に残っているとは思えませんけど…(苦笑)。

 さて、相変わらず、篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)を読んでおります。学術書であり、私も、もう若くはないので、そんなにスラスラとは読めません。正直、1ページごとに知らない「単語」が沢山出て来るので覚えきれないのです。 

 2022年12月19日付渓流斎ブログ「『ここは何処?』『私は誰?』がこの本で解明される=篠田謙一著『人類の起源』」でも取り上げましたが、21世紀になって、化石の骨(ホミニン)から全てのDNAを高速で解読できるようになり、化石人類学が急速に発展して、今では人類の進化の過程が飛躍的に分かるようになったのです。

 前回の繰り返しになりますが、700万年前に現生人類につながるヒトはチンパンジーから分岐し、この本では、人類の最も古い祖先は、サヘラントロプス・チャデンシスという初期猿人だと書かれています。これからオロリン、アルディピテクス、アウストラロピテクスなどさまざまな人種の属に進化していきます。昔、私も習った猿人―原人ー旧人ー新人のパターンです。

銀座「てんぷら阿部」昼定食1600円

 猿人から、話は一気に旧人に飛びますが、その旧人のネアンデルタール人は滅亡し、今はホモ・サピエンスという、たった1種類の現生人類だけが生き残っています。が、2010年には新たにデニソワ人という旧人も発見され、学界で認知されました。2010年なんて、私から言わせてもらえば、昨日のようなつい最近のことです。化石人類学の飛躍的進歩がこの例でも分かります。

 そして、私の拙い知識では、旧人と新人は別個のものだと思っていたのですが、何と、30万~20万年前に誕生したホモ・サピエンスは、このネアンデルタール人ともデニソワ人とも交雑していたというのです。(ただし、本書には、はっきりと書いてはいませんが、ホモ・サピエンスは、北京原人〔70万~40万年前〕やジャワ原人〔160万~25万年前〕など原人=ホモ・エレクトスとは交雑していないようです。)ですから、DNA解析すると、ホモ・サピエンスにはネアンデルタール人の遺伝子が数%残っており、このネアンデルタール人の遺伝子が、コロナウイルスの重症化につながっている、という説もあります(勿論、ネアンデルタール人と交雑しなかったホモ・サピエンスもいます)。iPS細胞の山中伸弥博士は、新型コロナに関して、アジア人と比べて、欧米人の方が重症化しやすいのは何故なのか、その原因はいまだ解明されていないので、「ファクターX」と命名していましたが、もしかしたら、このファクターXは、ネアンデルタール人の遺伝子と関係があるかもしれません。

 4万年ほど前と言われていますが、ネアンデルタール人が何故、絶滅したのか理由は分かっていませんが、子孫を残せなかったという事実から、氷河期の食糧難だけなく、感染症などの病気も一因かもしれません。

 ところで、南仏ラスコー洞窟の壁画で有名なクロマニヨン人も、私なんか旧人だと間違って覚えていたのですが、1万8000~1万1000年前のマドレーヌ文化を担ったホモ・サピエンス=新人の一員なんだそうです。その程度の知識しかない私のような人間がこの本を読めば、付箋と赤線だらけになります。読むのに時間が掛かるはずです(笑)。

「歴史人」読者プレゼントにまたまた当選=人生、最も歩きやすい靴にめぐり逢い

 またまた、「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。これで何回目なのか、もう覚えていませんが(笑)、5回以上10回未満だと思います。運が良かった、としか言いようがありません。

 当選した12月号のプレゼントは、上の写真の通り、東京・サントリー美術館で開催中の「京都・智積院の名宝」展のチケット2枚です。わずか5組にしか当選しないのに、何でえ?と我ながら不思議に思います。そこで、仏教の「無財の七施」の精神を発揮して、会社の同僚に1枚あげることにしました。希望者が複数いたので、あみだくじで決めました(笑)。

 真言宗智山派の総本山である「京都・智積院の名宝」展の目玉は、私も大好きな長谷川等伯です。今回は、等伯一門による障壁画「桜図」「楓図」などが、寺外で初めて揃って展示されるというので、大いに楽しみです。

 版元のABCアークの後藤隆之編集長を始め、スタッフの皆様方には本当に感謝申し上げます。「歴史人」は毎号、毎号、本当に勉強になるのですが、実は、私は、応募はがきの中で、偉そうに、誤字脱字や誤植などを指摘したりします。少しでも「永久保存版」として、より良い「製品」になってほしいからです。私がこうして当選を重ねることが出来るのは、毎号、人一倍熟読として誤植を指摘するからではないか、と思っているほどです。

 今後も、スタッフの皆様には頑張ってほしいと思っております。

 これで終わってしまっては物足りないので、もう一つ、話題をご提供します。先日、通販で靴を注文したら、ちょっとキツくて、送り返しの宅急便代として1050円を払って、サイズ交換してもらったことを書きました。

 その靴が、昨日、自宅に届きました。

 今朝、通勤で履いてみたら、とっても歩きやすいので吃驚です。靴底の厚いゴムがバネのように跳ね上がり、歩いていても跳躍しているような感じです。歩くことが嬉しく楽しくなります。

 宣伝ではないので、あまり商品名は言いたくないのですが、スイス製の「オン」というスニーカーです。スイス製と言っても、作られたのはベトナムの工場です。私は、普段26センチの靴を履いているのですが、このスニーカーの場合、26センチではキツくて、26.5センチに交換してもらいましたが、この靴の表面がゴアテックスで防水性になっていて、普通のスニーカーより、やや硬めだったのです。もし、私の真似をしてこの靴をお求めになる方がいらっしゃるとしたら、サイズは少し大きめをお勧めします。

 恐らく、私が生きたこれまでの人生で色んな靴を履きましたが、これは一番、歩きやすい靴だと思います。

 あれっ? 宣伝ではありませんよ。この会社から1銭ももらっていませんからねえ(笑)。それに、本日は電車や街中でこの同じ靴を履いている人は見かけませんでした。履き易さ、というか、歩き易さは、あくまでも個人的な見解です。個人差があるでしょうから、責任は持ちませんので、そこんとこ宜しく御願い申し上げます。

「ここは何処?」「私は誰?」がこの本で解明される=篠田謙一著「人類の起源」

 今年は、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史  人間を生き残らせた出来の悪い足」(文藝春秋)、エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋)と興味深い人類学史に触れることが出来、学生時代に読み損ね、まだ未読のレヴィ=ストロースの名著「悲しき熱帯」上下巻(中公クラシックス)を含めて、わずか5000年程度の人間の文明の歴史よりも、1000万年近い原初の人類の歴史から解き明かしてくれる文化人類学、古代人類学への関心が大いに高まりました。

 今、やっと読み始めることが出来た篠田謙一著「人類の起源」(中公新書、2022年10月30日第5販)は、私にとって今年の掉尾を飾る「大トリ」みたいな本で、久しぶりにワクワクしながら読んでおります。著者は国立科学博物館の館長を務め、私と同じ世代の人なので、ということは、中学、高校ぐらいまではほぼ同じ共通の教育を受けてきたので、読んでいて同感、実感することが数多あり、実に分かりやすく、面白いのです。

 我々の世代は、人類学と言えば、教科書では「猿人―原人―旧人ー新人」の進化過程を辿り、最も古い「類人猿」としてアウストラロピテクスが発見された、といった程度しか中学、高校では習いませんでした。そんな「定説」が次々と引っ繰り返され(塗り替えられ)て、「新発見」が続出するようになったのは、意外にも21世紀になってからだったのです。ということは、比較的新しい学問、と言ってしまえば、語弊がありますが、いきなり最先端の学問になったのです。道理で、この本に書かれていることは、専門家以外誰も知らないことばかりでした。

 著者によると、そんな化石人類学の飛躍的発展には、2006年から実用化されるようになった次世代シークエンサー(化石人類のサンプルの全てのDNAを高速で解読)の存在が大きいといいます。しかし、著者は「科学は間違うものだ」という認識が必要だ、とも言います。何故なら、これまでの、科学の発展は、たゆまぬ努力による間違いと訂正の歴史だったからだと説明します。

東京・銀座「マトリキッチン」

 それでも、現在の「最先端の科学」が解明した人類の起源は以下のようになっています。(「約」と「?」は省略します)

・700万年前=チンパンジーとヒトが分岐する。サヘラントロプス・チャデンシス(2001年、北アフリカのチャドで発見)

・600万年前=オロリン・トゥゲネンシス(2000年、ケニアで発見)

・580万年前~520万年前==アルディピテクス・カダッバ(エチオピア)

・440万年前=アルディピテクス・ラミダス(エチオピア)

 ※サヘラントロプス属とオロリン属とアルディピテクス属の3属を「初期猿人」と呼ぶ

・420万年前~200万年前=アウストラロピテクス属(勿論、1974年に発見された有名なルーシーも含みます)

・260万年前~130万年前=パラントロプス属 ※ここまでが猿人

・200万年前ホモ属誕生。初期のホモ属(ハビリスとルドルフエンシス)※猿人と原人の中間

・200万年前~30万年前=原人(ホモ・エレクトス=最初の出アフリカ、北京、ジャワなど。ホモ・フロレシエンス=インドネシアフローレス島。ホモ・ナレディ=南ア)

・60万年前~30万年前=旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)

・30万年前~4万年前=旧人(ネアンデルタール人)※60万年前に、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが分岐。その後、両属は混合した形跡も。

・20万年前~現在=新人(ホモ・サピエンス)登場

・6万年前=ホモ・サピエンスが本格的に出アフリカ、世界展開

・1万年前=農耕開始

・5000年前=現生人類の文明開始

 ※取り敢えず、ここまで。つづきが楽しみです。

権威主義的、不平等主義的直系家族のドイツと日本=E・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」を読破

 ネット通販でスニーカーを注文したら、どうも小さくて、交換してもらうことにしました。以前にも何足か通販で靴を買ったことがあり、大抵、26センチで間に合っていたのですが、今回のスニーカーはスイス製の「オン」という防水性に優れた高級靴です(とは言っても、メイド・イン・ヴェトナムですが)。部屋で試し履きしてみて、無理して履けないことはなかったのですが、ちょっときつい。また外反母趾になったりしては嫌なので、26.5センチに替えてもらうことにしました。

 通販のポイントが付くので、かなり安く買えたと思ったのですが、先方に靴を送り返す宅急便代が1050円も掛かってしまったので、結局、チャラになった感じです(苦笑)。

 さて、エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋、2020年10月30日初版)を昨日、やっと読了することが出来ました。上下巻通算700ページ近い難解な大著でしたから、正直言って、悪戦苦闘といった感じで読破しました。上巻の「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」は11月15日頃から読み始め、読了できたのが12月5日で、下巻の「民主主義の野蛮な起源」を読破するのに12日間かかったので、上下巻で1カ月以上この学術書に格闘してきたわけです。

 評判の本ということで、発売1カ月で、日本でも4万部を突破したらしいですが、果たして全員が読破できたのか、疑問が付くほど難解な本でした。私のような浅学菲才な人間が読破できたので、思わず、自分で自分を褒めてやりたくなりました(笑)。

 はい、これで終わりにしたのですが、ありきたりの書評を書いてしまっては、つまりませんね。エマニュエル・トッドという大碩学様に、浅学菲才が何を言うか、ということになりますが、もう少し分かりやすく書けないものですかねえ、と言いたくなりました。矛盾点も見つかりました。

 この本を渓流斎ブログで取り上げるのは、これで4回目です。過去記事は、最後の文末の【参考】でリンクを貼っておきますが、直近に書いた「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」の中で他殺率の話が出てきます。孫引きしますと、こんなことを書いています。

 この本(上巻)の345ページには、1930年頃の他殺発生数が出て来ます。10万人当たり、英国では0.5件、スウェーデンとスペインで0.9件、フランスとドイツで1.9件、イタリアで2.6件、そして日本では0.7件だったといいます。それに対して、米国は8.8件という飛び抜けた数字です。著者のトッド氏は「アメリカ社会は歴史上ずっと継続して暴力的で、そのことは統計の数値に表れている。」と書くほどです。

 そう、この辺りを読んで、私も正直、大変失礼ながら、アメリカは野蛮な国だなあと思いました。

 そしたら、下巻では、上巻には出て来なかったロシアの他殺率が出てきて驚愕してしまいました。251ページに、ロシアの他殺率は、「2003年に10万人当たり30.0人だったのが、2014年に8.7人に急減した」という数字が出てくるのです。10万人当たり30人とは米国どころではありません。時代は違っても、米国を野蛮国と断定したのは無理がありました。何で、トッド氏は、このロシアの数字を上巻に入れなかったんでしょうか?

 原著は5年前の2017年の5年前に出版されたので、当然ながら今年2月のロシアによるウクライナ侵攻のことは書かれていません。(「日本語版のあとがき」の中では少し触れていますが、あくまでも、著者は「ウクライナ軍を武装化してロシアと戦争するように嗾けたのは米国とイギリスです」と、ロシア贔屓の書き方です。)

 下巻の240ページでは、「モスクワによるクリミア半島奪回、ウクライナにおけるロシア系住民の自治権獲得など、伝統的な人民自決権に照らせば、正統な調整と思われることが、西洋一般において、とんでもなく忌まわしいことと見なされている。歴史の忘却を超え、地政学的現実の考慮を超えて、唖然とせざるを得ないのは、ロシアの脅威の過大評価にほかならない」とトッド氏は断言されていますが、結局、ウクライナ侵攻という事実によって西側メディアや学者らがロシアのことを脅威と見なしていたことは、過大ではなく、正当で、トッド氏の予言ははずれたと、私は思うのですが。

◇ユーラシア大陸中央部だけが権威主義的か?

 もう一つ、私が矛盾点を感じたことは、下巻10~11ページに書かれていたことです。

 個人主義的・民主主義的・自由主義的イデオロギーが、ユーラシア大陸の周縁部に、歴史の短い諸地域に位置しているということである。逆に、反個人主義的で権威主義的イデオロギーーナチズム、共産主義、イスラム原理主義ーは、ユーラシア大陸のより中心的ポジション、より長い歴史を持つ諸地域を占めている。

 確かにそうかもしれません。ユーラシア大陸の中央にあるロシアや中国は実質的に共産主義で、イランやアフガニスタンなどはイスラム原理主義です。でも、ユーラシア大陸のはじっこの周縁部にある北朝鮮やベトナムはどうなるのでしょうか?

 それでも、著者による「人口」「出生率」「識字率と高等教育」「宗教」「イデオロギー」「家族形態」に着目して、世界のそれぞれの国家を分析、仕分けした学説は説得力があり、データの使い方に恣意的な面が見られるとはいえ、感心せざるを得ません。表記も換骨奪胎して、それらの部分を引用します。

 ・政権交代を伴う自由主義的民主制が容易に定着したのは、欧州でも英国、フランス、ベルギー、オランダ、デンマークといった核家族システムにおいてだけだった。(19ページ)

 ・カルヴァン的不平等主義から民主的な平等主義へ移行した米国は、独立宣言で、インディアン(アメリカ先住民)のことを「情け容赦のない野蛮人」と述べ、1860年から1890年までの間に、インディアン25万人を殲滅した。人種差別はむしろ、アメリカン・デモクラシーを支える基盤の一つだ。(22~23ページ)

◇人類の知的能力は頭打ちか?

 ・米国の高等教育は、1900年は、25歳の男性のわずか3%、女性の2%しか受けていなかったが、1940年には男性7.5%、女性5%、1975年には男性27%、女性22.5%、2000年頃には男性30%、女性25%に達した。しかし、試験の平均スコアは1970年代からほぼ停止状態入った。これは、受け入れシステムの制約ではなく、高等教育を受けるに足る知的能力の持ち主の比率が上限に達した結果だ。(43~46ページ)

・米国の1950年代以降の知的能力の停滞は、テレビの普及の可能性があるのではないか。私は既に、6歳から10歳までの思春期以前の集中的読書がホモ・サピエンスの知的能力を高めることを言及したが、集中的読書を抛擲したがゆえに頭脳の性能が落ちたとしても、いささかも意外ではない。(50ページ)

・ロシアや中国の基本的家族型は、外婚制共同体家族だが、セルビアやベトナムなども含め、農村で起こった共同体家族の崩壊で人々が個人として解き放たれたが、急に解き放たれた個人は、直ぐに自由に馴染めず、ほとんど機能不全に陥った家族の代替物として、党や中央集権化された計画経済や警察国家に求めた。(142ページ)

◇不平等で反個人主義のドイツと日本

 ・ドイツと日本は直系家族の典型で、父系制が残存し、長子相続の記憶を保全し、不平等な反個人主義だ。女権拡張的価値観に乏しく、人口面で機能不全を来し始めた。その一方、今日の世界貿易の面では、英語圏の全ての国が赤字で、一般的に直系家族型社会が黒字になっている。(170~176ページ)

 ・ゾンビ・直系家族は、集団的統合メカニズムを恒久化し、不平等主義を促し、非対称性のメンタリティがあるが、ドイツや日本の技術的優越性は自己成就的予言となり、かくしてドイツ製品や日本製品は高いレベルに到達していく。(190ページ)

 ・大陸ヨーロッパでは、オランダ、ベルギー、フランス、デンマークを別にすると、自由主義的、民主主義的であったことは一度もない。大陸ヨーロッパは、共産主義、ファシズム、ナチズムを発明した。何よりも、ユーロ圏の多くの地域が権威主義的で不平等主義的な基層の上にあることを忘れないようにしたい。(232~237ページ)

 ・直系家族であるドイツや日本の階層的システムは、社会秩序を安定化させる不平等原則を内包している。(271ページ)

 こうして読んでいくと、ドイツも日本も19世紀までいわばバラバラの領主分権国家だったのが、統一国家(プロシャ、大日本帝国)として成立した時期も似ています。明治日本がプロシャを手本にして憲法をつくったりしたのも、先の大戦で、日独伊三国同盟を樹立したのも、同じ直系家族として、偶然ではなく、必然だったのかもしれません。勤勉で真面目で、組織力がある性癖は日独に共通しています。

 私の経験では、英国で道に迷って、人に聞くと「No idea」と言って素っ気ないのに、ドイツ人ならわざわざ一緒に歩いて目的地まで連れて行ってくれたりしました。同じ直系家族としてウマが合うのかもしれません。

【参考】

 ・2022年11月18日=「人類と家族の起源を考察=エマニュエル・トッド著『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』」

 ・2022年12月1日=「『ドミノ理論』は間違っていた?=家族制度から人類史を読み解く」

 ・2022年12月6日=「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」

スマホ断食、いつやるの?=または防衛費増税について

 突然、岸田首相が宣言した「防衛費総額43兆円」。一体、そんな大金、何処に財源があるのか?と政権党内外から、国会も開かず、大論争の末、結局、時期不明ながら増税となりました。

 増税に関して、岸田首相が「国民の責任をもって」なんぞと発言したもんですから、大炎上しました。発言した翌日に、国民ではなく、「我々が責任をもって」と訂正したようですが、そんなら、庶民の目が飛び出るほど高額の報酬を得ている国会議員の皆様も、「歳費」とやらを「防衛補助費」として丸々、国庫に返納してもらいたいものです。(「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律」第一条に「各議院の議長は217万円を、副議長は158万4千円を、議員は129万4千円を、それぞれ歳費月額として受ける」とあります。何と月額でっせ!まさに、国会議員はファミリービジネスとして世襲化されるはずです。こんな美味い商売は、世間広しといえど、他にない!)

 「防衛費、GDP1%以内」の攻防が国会であったのは、戦争で痛い目に遭った戦中世代が多数を占めていた今は昔のことです。今では「GDP2%」と2倍になっても、戦後生まれが8割を超えた今の日本の国民の皆様は驚くことなく、納得されているようです。

 台湾や北朝鮮などの有事に備えてということで、「軍拡競争」の歯止めがかかりませんが、所詮、日本人は高額な兵器を米国から買って、米国経済の景気に貢献しているのではないかと私なんか醒めた目で見ております。それに、岸田さんは、清和会ならまだ分かりますが、ハト派平和主義と言われる宏池会ですからね。原爆投下の広島を選挙地盤としてるんでしょ?何で、こんなに前のめりになっているんでしょうか?

 でも、こんなことを書けば炎上しますかね?

 さて、昨日は「スマホ断食」を皆さんにもお勧めしながら、自らはなかなか実行できていないことを、茲で正直に告白致します。

 上の写真は私が通っている都内の薬局の壁に貼ってある告知です。「お薬手帳を忘れたら、30~40円高くなりますよ」との脅迫状です(笑)。

 えーーー!です。

 わずか、30~40円の話だとは言っても、無駄なお金は使いたくないものです。そうでなくても、今年に入って、食料品からエネルギー、電気・ガス代に至るまで2万品目以上の値上げが発表されている日本のことですから。

新富町「うおぜん」鯛御膳1000円

 一方、この薬局の正反対の違う壁に貼ってある告知を見たら、そこには、スマホにダウンロード出来る「お薬手帳アプリ」が紹介されているのです。そこで、他にお客さん(凄い言い方!)がいなかったので、思い切って、係りの薬剤師さんにこのアプリのことを聞いてみました。そしたら、バーコードで読み込めば、直ぐ出来るというので、試しにやってみることにしたのです。

 アプリはすぐダウンロードすることが出来、私の個人情報が満載された薬局のバーコードが三つもあり、それを全て読み込むと、このアプリで先ほど頂いた私の薬の情報まで分かるのです。これには、驚きました。でも、しめしめ、です。これで、紙のお薬手帳を忘れても、スマホのアプリ(のバーコード)を見せれば、大丈夫ということになります。お薬手帳は忘れても、スマホは常に携帯していますからね。

 ということで、なかなか、スマホ断食できず、スマホから手が離せない毎日が続いていることを告白します。

 失礼致しました。