金融業界に騙されるな!

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山崎元著「お金に強くなる!」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、金融に関する名言、格言がずらりと並び、なーんだ、もっと早く学んでおけばよかった、と多くの人を後悔させてくれます(笑)。

こういう話は、せめて、高校の授業にでも取り入れてほしいものです。庶民がこれ以上騙されないためにも社会人として、誰でも金融リテラシーが必要とされるからです。

またまた、換骨奪胎して、山崎氏の名言・格言を引用させて頂きましょう。

●銀行はお金を相談する相手としては不適切。銀行は客から手数料を稼ぐという点で、証券会社や保険会社と全く同じ。銀行は、単に自社の利益のために動く営利企業なのだ。

嗚呼、そうだったのかあ…。特に、取引先の銀行なんかは、自分の手の内(預金)を知られているのに、胴元を相手に勝負するようなもので、最初から負けに決まっていたわけですね。

私は、東京三菱銀行から不愉快な扱いを受けたので、この銀行嫌いです。(あくまでも個人の感想です)口座は既に解約し、今後も関わりません。

●銀行員や証券マンはあくまでもセールスマンで、自分や会社を儲けさせたい人です。相談相手を儲けさせてくれる人ではありません。だから、金融機関の「お金の無料相談会」などに近づくべきではない。人件費などの経費が掛かっている無料相談会は、「相談」と銘打った「セールス会」というのが実体なのです。

なるほどねえ。道理で、くじ運の悪いこの私が、何で抽選の「無料相談会」に当選するのか不思議でした。やっと、からくりが分かりました。

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●あまり知られていないが、健康保険には高額療養医療費制度がある。自己負担の限度額が決められており、限度を超えた分は、健康保険が負担してくれるシステムになっているのだ。だから、基本的に医療費についての心配は無用。がん保険に加入するのも損だ。

ええ!そうだったんだあ。心配して損したなあ。。。

●生命保険は原則的に加入するべきではない。支払う保険料は、実体として「純保険料」と「付加保険料」の二つに分かれており、純保険料は、保証や貯蓄に回る分。付加保険料は、人件費などの手数料のことで、当然、顧客の保証に回らない。しかも、この付加保険料がどれくらいなのか一切開示されておらず、保険料全体の2割から5割とも言われている。

えっ!それは酷い話ですね。5割だと収めた保険料の半分しか保証に回らないということですか!これを白昼堂々の詐欺商法と言わずして何と言う?!

●金融業界が煽っている「老後不安」に騙されるな。「老後不安」を駆り立てて、有利とはいえない金融商品を購入させようと、金融業界がビジネスとして利用しているだけなのだ。

なあるほど、そういうことだったとは…!

●ギャンブルの競馬は25%、宝くじは50%以上、胴元が取り、残りを参加者が再分配するシステムになっている。

つまり、1万円を競馬に賭けた場合、最初から2500円抜き取られ、宝くじともなると、1万円で買ったつもりが、最初から5000円の商品を買わされているという詐欺みたいな商法だったわけですね。最初から「娯楽」として割り切って楽しめば、問題はありませんが、偉く高い授業料だこと!5000円あれば、腹いっぱいステーキを食べて、グラスワインぐらい飲めるはず…。せんべろ店なら、ベロベロです(笑)。

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●個人が最初から投資する候補として外すべき金融商品とは、(1)不動産投資⇒換金性が低い(2)外貨預金⇒為替リスクと手数料が高い(3)FX取引⇒投資ではなく投機なので資産形成に不向き。参加者の8~9割が損をしているという(4)金(ゴールド)などの商品投資⇒これもゼロサム・ゲーム的投機で資産形成には不向き

うーん、早く言ってよお。いや、私ではなく、貴方の呻き声が聞こえてきそうです(笑)。

●投資信託には高額な「販売手数料」と日々運用と管理のための「信託報酬」が掛かり、投資信託の9割以上は買うに値しない。

著者は、東大経済学部卒業後、商社、生保、投信、証券、信託銀行など12回も転職を経験したとか。まあ、金融業界の裏の裏の裏を知り尽くした人なんでしょう。そういう経験者が語る言葉ですから、確かな真実なんでしょう。

でも、こんな正直なことを書いて、業界から刺客を送り込まれないかしら?

「セッション」と「バジル・ホールと大琉球」

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 おやおや、昨日は、寸鉄人をさすようなコメント有難うございます。

 ただ、どちら様なのか、「unknown」ではいけませんね(笑)。まあ、「詠み人知らず」ということでしょうが、せめて、気の効いた号でも字(あざな)でも異名でも僭称(笑)でも何でもいいですから、名乗り出てくださると嬉しいですね。

 渓流斎ブログは、開業してもう丸12年になりますが、(その間、5回近く引っ越して、最大読者を誇っていたかつてのサイトは消滅しましたが…)皆さまの温かいコメントだけを励みに続けて参っている次第で御座います。

 とはいえ、内実は、自分の備忘録のため、つまりは外付け記憶装置として書いている面もあります。古い記事でも、追加修正したりしております。昨日のトランプ新政権の陣容の中で、「親ロシア派」を追記しました。「もうこれで、我々が何処へ行くのかお分かりですね」(笑)。

 そう言えば、かつて、よくコメントして下さった方の中に、「インド象」さんがいらっしゃいましたが、今はどうされているのでしょうか?

 壮健でいらっしゃいますかね?(成瀬巳喜男の戦前の映画で使われていたので、昔はよく使われていたのでしょう)

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 さて、昨日は、またまたiPadで、無理やり1カ月間だけ加入させられたビデオパスで映画を観ていましたら、簡単にwifiの月額契約の3GBがなくなってしまいました。

 データ通信がオーバーすると、使えないことはないのですが、極端に送受信が遅くなったり、動画は、もう見られたものではなくなったり、画像もアップロードするのに、相当時間が掛かったりしてしまいます。

 昨日観た映画は、2015年のアカデミー賞で3部門(助演男優賞にj・k・シモンズ)を受賞した「セッション」でした。なかなか、よくできた映画でしたが、ちょっと後味が悪かったですね。

 ジャズを専攻するニューヨークの音楽学校が舞台で、先生テレンス・フィッチャー役のシモンズが、生徒に悪態をつき、徹底的にしごいて、いわゆるパワハラ問題に発展するストーリーです。

 主役は、プロのジャズ・ドラマーを目指すアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)で、名前から推測される通り、ユダヤ系として登場します。ハリウッド映画ですから、配役として、特に主役として必ず出てきます。「シンデレラ」や「家なき子」などの伝統にのっとって、徹底的ないじめられ役で、その後どうなるか、といったお決まりのパターンが展開されます。

 映画ですから、神業のような場面が何度も出てきます。ドラムを叩いて、指に血豆ができて、大量出血するシーンは当たり前。交通事故、自殺とみられる突然死、あと大雨が降る中、若い男女が和解する場面が出てくれば、完璧でした。

 いやあ、皮肉ばかりでしたが、音楽教師のフィッチャーが、「次は44小節目から」などと言ってジャズバンドの指揮をはじめ、「音がずれている」と瞬時に分かるシーンは特に神(かみ)ってました。

 でも、ジャズと言えば、メインはサックスやトランペット、せめてピアノなのに、それらは全くの脇役で、ドラムスに焦点を当てたのは画期的でした。

 俳優マイルズ・テラーは本当にドラムスを演奏しているようで、本当なら全くプロ以上にうまかった。

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 昨年末に沖縄の上里さんから送って頂いていた「英人バジル・ホールと大琉球」(不二出版)をやっと読みました。

 沖縄の人にとっては、郷土史に出てくるのか、知らない人はいないぐらい有名らしいのですが、私は知らなかったので、簡単に略歴します。

 ●バジル・ホールは1788年、スコットランドの首都エジンバラ生まれ。父親のジェームス・ホール卿(1761~1832)は地質学者で、かのナポレオンとはフランスで学窓を同じくする間柄だった。この縁で、バジルは、英国の海軍士官となり、1816年にライラ号の艦長として、対清貿易交渉で北京に派遣された英国政府特命全権大使アマースト卿を護送した後、琉球王国を訪問。その帰途にセントヘレナ島に幽閉されていたナポレオンに謁見する。「朝鮮・琉球航海記」(1818年)などの著作があり紀行文学作家としても著名。

 バジル・ホールの外孫が、明治期に日本研究家として名を遺したバジル・ホール・チェンバレンで、彼には「琉球語の文法と辞典―日琉語比較の試み」などの著書がある。

東京の横丁ー永井龍男、菅忠雄、横光利一

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 (つづき)

 永井龍男著「東京の横丁」とその文庫版の解説を書いた川本三郎氏からは色々と教えられるところがありました。

 「東京の横丁」は、もともと、昭和59年(1984年)、作家が80歳の時に、日経新聞の「私の履歴書」に連載していたものを後に加筆等をして、1991年に単行本として発行されました。講談社文庫は昨年9月に第1刷となっています。

 明治37年に東京市神田区猿楽町で生まれ、関東大震災も満洲生活も敗戦も体験した永井の貴重な歴史的な証言録で、彼が書き残さなかったら、誰にも知られることなく、忘れ去られたことでしょう。

 また、興味深かったことを換骨奪胎で列挙します。

 ●震災後の大正13年2月、荻窪に借り住まいしていた錦華尋常小学校(夏目漱石も在籍した)の同級生波多野完治(神保町古書店「巌松堂」の子息で、後の心理学者)を訪ね、そこで、波多野とは一高東大の同級生だった小林秀雄と出会う。(永井は、後に小林とは同人誌「青銅時代」「山繭」などに一緒に参加することになる)

 ●菊池寛が創業した文藝春秋社は、昭和2年当時、麹町区下六番町にあった。この建物は、作家有島武郎の住宅をそのまま借り受けたもので、長屋門を潜ってから玉砂利を敷いた径を植え込みの奥深くに行くと、車寄せが見えてくる古風な邸宅だった。有島家の先祖は、五千石取りの旗本だったとその頃聞いた。

 (さすが、白樺派!)

 ●当時の文藝春秋編集長は菅忠雄と云って、小説も書く人だった。父君は一高独逸語教授、夏目漱石の親友として知られた菅虎雄。少年時から鎌倉文士に愛されて物書きに顔が広く、大佛次郎、佐々木茂索などとも交渉が深かった。(永井は菅に連れられて鎌倉の「湘南クラブ」=麻雀、ポーカーなどができる風変わりな社交場=に出入りし、ここで、里見弴や久米正雄、国木田独歩の息子である国木田虎雄らに紹介され、生涯鎌倉に住むことになる)

 その頃(昭和2年)、文藝春秋に就職したいがために、菊池寛に会うために麹町区の社を訪問した永井龍男は(当時の新聞社も出版社も入社試験はなく、ほとんどがコネ入社だった)、菊池から「人は余っている」と、入社を一度は断られる。しかし、帰り際、菅忠雄と会い、その場で菅から紹介された初対面の横光利一(菅は横光、川端康成らとともに新感覚派の「文芸時代」の同人だった)から、結果的に菊池寛に掛け合ってもらい、入社が実現することになる。

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 永井が文藝春秋に入社した最初の配属先は「小学生全集」編集部だった。そこには、誌上で募集した「文筆婦人会」のメンバーで、女子の最高学府を卒業した才媛ばかりだった。しかも美人ぞろいで、「青二才だった私は居たたまれず、二日目で菊池氏に部署の変更を願い出た」

 この美人の才媛の中には、岸田国士、森岩雄氏らに望まれてその夫人となった女性や、「ノンちゃん雲に乗る」で知られる石井桃子ら文壇史に名を留めた女性もいた。

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川本三郎氏の解説によると、この他に、今井正監督「また逢う日まで」(1950年)や成瀬巳喜男監督の「おかあさん」(1952年)、それに映画史に残る名作「浮雲」(1955年)などの脚本を手がけた水木洋子も昭和10年頃、菊池寛の主宰する「脚本研究会」に所属していたといいます。

 (何と、ここで、また成瀬巳喜男と出会うとは!)

昭和2年春、永井は、堀辰雄の紹介で、ともに田端の芥川龍之介の自宅を訪れ、文藝春秋誌への寄稿を依頼し、快諾される。しかし、芥川はその2カ月後に、自裁する。ただ、永井は、芥川については「いつも才気が先行して愛読し切れなかった」と正直に告白している。
 

成瀬巳喜男~古き東京市の思ひ出

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 年末年始は、あまり読書が進みませんでした。正直(笑)。

 どうも、iPad で古い映画や70年代のロックを見てしまって、遊んでしまったわけです。

 古い映画とは、もちろん、成瀬巳喜男監督作品です。特に、戦前の、しかも、昭和11年(1936年)の2・26事件より古い映画は、サイレント(無声映画)ながら、あまりにも質が高いので、驚いてしまいました。

岡田嘉子

 列挙しますと、昭和6年の「腰弁頑張れ!」(成瀬の実質的一本立ち監督デビュー作、山口勇、浪花友子主演。腰弁とは今のサラリーマンのことで、主役の山口は、保険外交員役)とか、昭和7年の「生(な)さぬ仲」(いわゆる継母物語。ハリウッド女優として大成功して一時帰国した日本人女優の珠江役が岡田嘉子。ご存知、彼女自身は昭和13年1月3日に演出家の杉本良吉と樺太国境を越えてソ連に亡命します=杉本は、後にスパイ容疑の濡衣で粛清)、昭和8年の「夜ごとの夢」(当時の大女優栗島すみ子が主演。甲斐性のない駄目夫役が斎藤達雄)、昭和9年の「限りなき舗道」(銀座の喫茶店に勤める杉子=忍節子と袈裟子=香取千代子の恋愛物語。杉子は女優にスカウトされるほどの美人。途中で、新聞記事が写され、そこには「人気女優「東山すみ子引退」とあり、どうやら、この東山すみ子は、「夜ごとの夢」に主演した栗島すみ子のパロディらしい)

栗島すみ子

 私のような戦後生まれは、戦前は、軍国主義一辺倒で、何の娯楽もない暗黒時代だったと想像しがちですが、これらサイレント映画を観ただけでも、当時の生活水準の高さ(もちろん、富裕層とはいえ)は、半端じゃなかったですね。
 
 銀座の華やかさも今とそれほど変わりがありません。

 何しろ、昭和7年だというのに、もう日本人のハリウッド女優が登場するんですからね。驚きですよ。

 旧航空写真地図 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 70年代のロックで感動したのは、イーグルスでした。

 特に「ホテル・カリフォルニア」が大好きで、有名なツインギターのフレーズをどうやって弾いていたのか、生まれて初めて見ることができました。

ドン・フェルダー(左)とジョー・ウォリシュ

 いろんな解説書を読みますと、この曲をメインで作ったのが、ドン・フェルダーで主にリードギターを演奏しています。これに後からかぶさるように名演奏するのがジョー・ウォリシュでした。(ウォリシュは「テイク・イット・イージー」でピアノを弾いていたので多才な人だなあ、と思いました。)ボーカルは、ドン・ヘンリーでドラムを叩きながら歌っていましたから、ザ・バンドのレボン・ヘルムを思い起こさせました。

 知らなかったのは、イーグルスのリーダーは、昨年亡くなったグレン・フライ(「テイク・イット・イージー」などを作曲し、ボーカルも担当)だったんですね。イーグルスは80年代に解散しますが、その解散の理由が、ギャラの配分を巡るもので、ギャラのほとんどをグレン・フライとドン・ヘンリーが独占していた、とドン・フェルダーが後に内幕本を出版して暴露しています。

 旧総理公邸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 年末年始に読んだ本は

 ◆国重惇史著「住友銀行秘史」=やはり、暴露本で読後感は最悪。東大経済部卒の著者のエリート臭が鼻につく。メモだらけの怪文書で、唯一、意味が分かって読めたのは、引用された日経や読売や毎日などの新聞記事。暴露本を書いて本人は清々したことでしょうが、周囲は逃げますね。

 ◆藤田孝典著「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」=とにかく、暗い。我が言いたいことを言いたいがための資料の引用の仕方が、どこか、我田引水に見えてきたのは、読者の僻目か? 途中で投げ出した。

 ◆佐藤愛子著「人間の煩悩」=派手な宣伝をするので、書き下ろしかとばかり思っていたら、古い著作を集めたアンソロジー。御年93歳ということですから仕方ないかも。中には半世紀も昔に書かれたものもあるとか。「この世は不平等にできている」「人間も死んだらゴミ」「苦難の中にも救いがある」…などなど。若い人向きだったかもしれません。ある程度、年を経るとこの本から頭を垂れて学べることはほとんどなし。

 ◆永井龍男著「東京の横丁」=この本には、昔の東京の風俗がちりばめられ、教えられるところ大でした。著者は、東京市神田区猿楽町生まれ。父親が病気がちで長兄、次兄が家計を支えていたため、高等小学校卒。しかし、文才が菊池寛らに認められ、作家となり、文芸春秋にも勤務し、直木賞と芥川賞の選考委員にも。芸術院賞会員。

 以下、換骨奪胎で引用し、注も付記します。

 ●山の手、下町は東京市の地形による呼び名であって、住人の貧富には何ら関係がない。(山の手にも、貸し間が多くあり、貧困層が住み、下町にも大豪邸があったそうな)

 ●靖国神社の境内の奥に、「遊就館」という建物があって、日清・日露戦争の戦利品の展示をしていた。(明治時代は、靖国神社の大祭がかなり賑やかだったそうで、多くの屋台が並び、永井少年も楽しみだったそうな。2日の新年一般参賀の後、渓流斎も靖国神社に立ち寄りし、その大祭の模様を明治時代の絵巻で見ました。大村益次郎=村田蔵六の銅像も明治時代の絵巻にしっかりと描かれていました)

 ●私が奉公した日本橋区蠣殻町の米穀取引所仲買店「林松次郎商店」の並びに、同業の谷崎商店があり、後に、谷崎潤一郎・精二の生家であることを知った。(蛎殻町は、今の人形町、水天宮前辺りです)

 ●夏目漱石も通った錦華尋常小学校の同級生に波多野完治がいた。彼は、巌松堂という大きな古書籍商の息子で、淡路町の開成中学から第一高等学校、東大を卒業して、心理学者として大成した。(巖松堂は、戦時中は満洲の新京に支店を出すほど繁盛しましたが、戦後は戦犯扱いを受けて倒産。その後、出版社として再建し、現在も飯田橋で巖松堂出版として営業しています)

 (つづく)
 

生涯健康脳

 新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 瀧靖之著「生涯健康脳」(ソレイユ出版)を読了しました。

 以下は読書感想文ではなく、単なる備忘録です。換骨奪胎。

 ・お洒落な方、言葉遣いがしっかりしている方、そしてコミュニケーションがしっかりとれる方たちの脳は若さが保たれていますが、何も構わないような身なりで、言葉遣いもはっきりしないような方は、脳の委縮が進んでいることが多い。

 ・脳の中で、最初に発達するのは、頭の後ろの「後頭葉」。主に「ものを見る」働きを持つ。「後頭葉」は生まれて数カ月から1,2年で発達し、年を取っても最後の最後まで保たれる。

 ・同じように早く発達するのが、「音を聴く」などの働きをする「側頭葉」。つまり、原始の時代、人間は動物として敵を「視る」、敵の「音を聴く」ことができなければ生き抜いてこられなかったから。そのためにも、生きるために必要な部分から脳は発達したと考えられる。

 ・さらに、「側頭葉」には「記憶や言語理解」に関わる領域も見られ、これは「音を聴く」働きがある領域の後に発達していく。

 新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

・このように、動物として生き抜くために必要な「後頭葉」と「側頭葉」が発達した後、最後に完成するのが、人間として生きるために必要な「前頭葉」だ。この前頭葉にも役割ごとにつくられる順番があり、運動機能などを担う部分は早く発達し、判断したり、考えたり、コミニュケーションをしたりする「前頭前野」は最も遅く、12歳前後の思春期を過ぎたころになってようやく完成する。

 ・しかし、脳というものは大変不条理にできていて、やっと出来上がったと思ったら、すぐに加齢による萎縮が始まってしまう。しかも、一番最後にできた「前頭前野」から先に萎縮が始まってしまう。

 ⇒これが認知症となる。

 関東軍総司令部 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 ・認知症はまず、脳に「アミロイドベータ」という物質がたまり、次に「タウたんぱく」がたまることで発症していく。しかし、この有害物質のアミロイドベータは、睡眠によって洗い流される可能性があることが、最近の研究で分かってきた。これが、事実なら「眠る」という作業で、アミロイドベータをどんどん排出できることになる。

 ・脳にとって良いこととは、1日たった30分歩く程度の「運動」でよい。激しいサッカーやテニスのようなスポーツをやることはない。散歩は「有酸素運動」になっており、これこそが脳のために最も良いことになる。認知症予防にも効果が高いと言われている。

 ・最後に、脳にとって最高の栄養とは、探究心、冒険心、追求心など「知的好奇心」だ。見たい!聞きたい!知りたい!行きたい!やりたい!など様々なことに興味と関心を持ち、いつもワクワクときめいている状態が脳に一番良い。

 ・なぜなら、ヒトは好奇心を抱いているときは、ドーパミンという脳内物質が分泌され、記憶効果がアップすることが、科学的に証明されているからだ。しかも、好奇心を持って取り組んだ時の記憶は、短期ではなく、長期的な記憶になることも分かっている。

 以上、私(渓流斎)は一時期、好奇心というものが全くなくなってしまった経験がありますので、このことについては、よーく分かります。

 皆さんもケッパレー!

「住友銀行秘史」 東京三菱は大嫌い

伊太利亜ヴェニス

私は、最近、銀行ほど阿漕で悪どい商売はないと思うようになりました。

特に、個人的に東京三菱UFJ銀行銀座支店には嫌な目に遭ったので、大嫌いです。

何しろ、奴らが「ドブ」と陰で蔑むカモからタダ同然で仕入れてきた商品(カネ)を転がして、莫大な利益を得ているのですからね。

しかし、哀しいかな、素人には奴らが実際に何をやっているのか正確なことが分かりません。

そこに飛び出してきたのが、今年話題になった國重惇史著「住友銀行秘史」(講談社)です。経済犯罪史に残るイトマン事件を縦軸に、銀行業界の裏話が、しかも実名でふんだんに織り込まれているので、これ程面白い読み物もありません。

私は、市民税特別還付期限付無償貸与制度、と書くと何か小難しいですが、要するに図書館で新刊を順番待ちで予約したところ、やっと昨日、手元に届いたので、早速読み始めました。

ですから、まだ、10ページほどしか読んでいません。それでも面白いですね。

このエリート臭に凝り固まった鼻に付く胡散臭さが堪らない(笑)。

著者は1968年、最高学府の経済学部を御卒業されて住友銀行に入行された自信家で、最初から頭取を目指しておられました。

その野心も半端じゃないですね(笑)。まるで、最初から暴露本を書く目的で、膨大なメモを残しているかのようで、それが、今回の「作品」に繋がったわけです。

著者は、Mof担と呼ばれる大蔵省(当時)の銀行局長を誑かして、宣撫したり、折伏したり、機密情報を流したり、奪ったりする銀行業とは懸け離れた秘密調査部員のような裏仕事をしてきたせいか、さすが情報通といった感じです。

ただ、イトマン常務で、事件の主役として実刑判決を受けた伊藤寿永光氏に関しては、巨悪の権化のような、噂に基づいたことばかり書いているらしく、この点に関しては、版元講談社のライバルである新潮社が発行する週刊誌の中で、伊藤氏が、名誉毀損で訴えるような趣旨の発言をしておりました。

ムフフフ、住友屋、おぬしも悪やの~

歯医者と仏オランド大統領

寺院 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

▽またのコメント有難う御座いました。えっ!? 通りすがりの方だったんすか?
ということは、面識もないということでしょうか?
驚くばかりですが、今後もご愛顧の程宜しく賜ります。

▽私は日々、道草を食わず、煙草を吸わず、麻雀、パチンコ、競輪競馬競艇、宝くじ等一切ギャンブルはやらず、品行方正の生活をしておりますから、長年「虫歯は一つもない」ということで、喜んでおりました。それが、先日、7~8年ぶりに虫歯が見つかって、さっき歯医者さんに行ってきました。早めの治療だったので、それほど痛くはありませんでしたが、やっぱし、これから色々と身体のあちこちでガタが出てきますね。

 満月のハバロフスク Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
▽話は飛びまして、ドイツではキリスト教民主同盟のメルケル首相が、来年9月の下院選挙で、4期目(16年間の)の首相として続投することを宣言しましたが、フランスの左派社会党のオランド大統領が昨日(現地1日)、来年4月の大統領選に出馬しないことを表明しました。

何やら、オランド大統領の支持率は10%を切るとかで、ほぼ確実に再選の見込みがない、といことが不出馬の理由のようです。

オランド氏にとって不幸だったのは、パリ、ニースと立て続けにテロの急襲に遭ったことです。未だに非常事態宣言は取り消されていないはずです。お陰で、最大の国益の一つである観光産業が大打撃を受けてしまい、日本の旅行代理店にまでその影響が赤字として現れてしまいました。

失業率は10%以上もあり、就任以来回復しないことが痛手になりました。

左派に代わって台頭してきたのが、マリーヌ・ルペンさん率いる極右政党国民戦線です。

移民排斥と保護貿易主義を主張し、ポピュリスト(大衆迎合)を自称します。

あれっ?既にもう何処かで、出現しましたね。

彼の当選は、多くの地球人が「まさか」と思ったように、フランスでも「まさか」のルペンさんが大統領に当選するかもしれませんよ。
 
私の予言が当たるかどうか、来年4月の仏大統領選が楽しみです。
 新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

「レッキング・クルーのいい仕事」読了

京都・南禅寺 by Kyoraku sensei

昨日は、都心で54年ぶりに11月に雪が降ったということで、54年前は1962年か…と考え、自他ともにビートルズ・フリークと認める私としましては、当然の如く、と言いますか、全く予期せぬ形で、ビートルズがデビューした「ラブ・ミー・ドゥー」の話にまで展開してしまったわけです。何しろ、電車の中で、スマホで記憶で書いておりますからね(笑)。

しかしながら、実は、昨日は、ケント・ハートマン著、加瀬俊訳の「レッキング・クルーのいい仕事」(2012年11月25日初版)を祝日の23日に読破しましたので、そのことを取り上げるつもりだったのです。話が横道にそれてしまったので(笑)、今日は本題に入ります。

1960~70年代に多感な年を過ごした私としましては、異様に面白くて、貪るように読んでしまいました。何しろ、初めて知る事実ばかりで、「本当?」「そうだったのかあ」と長年のアポリアが解けたような気分でした。

以前にも書きましたが、レッキング・クルーとは、スタジオ・ミュージシャン(サイドマン)のことで、レコーディングする際に、バックで演奏するプロの音楽集団のことです。ほとんど、コネで集まった、その場限りの、口約束みたいな、緩やかな集団なので、特別にリーダーがいたわけでもなく、皆が皆、独立したプロの演奏家でした。

その中でも、あえて、リーダー的存在と言えば、ドラムスのハル・ベリーを筆者のハートマンは挙げています。初期のフィル・スペクターがプロデュースするタレントから、大物フランク・シナトラの「夜のストレンジャー」、フィフス・ディメンション(元々、ヴァーサタイルズとしてデビュー)の「輝く星座」、それに70年代のカーペンターズまで、ほとんど全てのヒット曲で彼がドラムを叩いていたと言っても過言ではないほどです。

英国のビートルズに対抗して米国でつくられたアイドル・グループ「ザ・モンキーズ」や、60年代の全米ナンバーワン・バンドだったビーチ・ボーイズの影武者として演奏していたのが、このレッキング・クルーだった、と以前にも書きましたが、彼らは、当時、レコードにクレジットされることがなかったので、ファンも噂では知っていても、実体は知られていなかったのです。(モンキーズの「恋の終列車」冒頭の有名なギターリフは、ルイ・シェルトン)

80年代になると、ミュージシャンは自分たちで必ず演奏してレコーディングするというスタンスになったため、レッキング・クルーのお役目は歴史的にも終えてしまいます。ですから、この本は大変史料的価値が高いので

この本で、私が一番感心した人物は、作者のハートマンがこの本を書くきっかけになったという全く同じミュージシャンで、ラリー・ネクテル(1940~2009、心臓発作で他界。享年69)という人でした。この人、何が凄いのかと言いますと、ビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」ではハモンド・オルガンを演奏し、ドアーズの「ハートに火をつけて」では、フェンダー・ベースを弾いていたというのです。まさに、天才です。

そして、もっと、おっ魂消たことは、1970年にリリースされたサイモン&ガーファンクルの超有名な「明日に架ける橋」で、ピアノを演奏していたのが、このネクテルだったというのです。私はてっきり、ポール・サイモンがピアノを弾いていたとばかり思っていましたから、本当に吃驚してしまいました。

ネクテルは、サイモンから「ゴスペル調の曲に仕上げてくれ。しかも、白人のゴスペルではなく、黒人のゴスペル調で」という細かい注文を受けて、その場で、一時間ばかり即興で試行錯誤しているうちに、E♭の音階で弾いた曲が最もサイモンのお気に入りとなり、採用されることになったというのです。

ネクテルは、その後、70年代に、私も大好きなボーカル・ロック・バンド「ブレッド」に第2期メンバーとして参加し、「二人の架け橋」「ギターマン」「イフ」などのヒット曲量産にも貢献するのです。ギター、ベース、キーボード何でもござい、です。

レッキング・クルーは確かにテクニッシャン揃いのプロ集団ですが、裏方のサイドマンから独立して、表舞台に立って成功したのは、このネクテルとグレン・キャンベルとレオン・ラッセル(元々、ラッセル・ブリッジ)ぐらいです。

私のように60~70年代好きのファンにとって、この本で出てくる逸話は、知らなかったことばかりで、本当に面白かったです。

リタ・クーリッジとレオン・ラッセルがかつての恋人同士だったことも初めて知りました。レオンと別れたリタは、ドラマーのジム・ゴードンと付き合い始めますが、ジムの薬物中毒とアル中のおかげで暴行を受けて、また破局します。

このジム・ゴードン(1945~)という才能に溢れた天才ドラマーは、21歳にして、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」のセッションにも数曲参加し、デレク&ザ・ドミノス=エリック・クラプトンのメンバーとして、アルバム「いとしのレイラ」レコーディングにも参加します。この表題曲の「いとしのレイラ」(クラプトンの親友ジョージ・ハリズンの妻パティへの隠れた求愛曲としても有名)では、ゴードンが作曲したピアノ曲を、最終章に無理矢理挿入したおかげで、このヒット曲のクレジットが「クラプトン=ゴードン」と明記されたのでした。

彼は、スタジオ・ミュージシャンとして引っ張りだこになり、解散したビートルズのジョージ・ハリスンのソロ・デビューアルバム「オール・シングズ・マスト・パス」やジョン・レノンの「イマジン」などのレコーディングに参加するほどの栄誉と名声も得ました。

しかし、若い頃からのアル中と薬物中毒の度合いが増長し、70年代後半には統合失調症も患い、ついには自分の母親を撲殺する大事件まで起こしてしまい、現在も収監中だとこの本には書かれておりました。

いずれにせよ、ヒット曲が生まれる縁の下では、こうしたプロ技能集団が支えていたとは…!いい勉強になりました。紅一点のキャロル・ケイも、ギタリストからベーシストに転向し、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」のライナーノーツ(英文)を読んだら、しっかり彼女の名前がクレジットされていました。彼女はビーチ・ボーイズだったんですね。写真を見ても実に美人で格好良い!

この本の存在を教えてくれた松ちゃんには改めて感謝申し上げます。

この本に出てくる曲を知らない人でも、今はユーチューブがありますから、無料でその古い曲が聴けますから、参照しながら読めばいいと思います。便利な世の中になったものです。

【追記】実際レッキング・クルーが演奏していた名曲の数々!
1962年 クリスタルズ「ヒーズ・ア・レベル」
1963年 ビーチ・ボーイズ「サーフィンUSA」
ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」
1964年 ジャン&ディーン「パサデナのお婆ちゃん」
ディーン・マーチン「誰かが誰かを愛している」
1965年 ザ・バーズ「ミスター・タンブリンマン」
ママス&パパス「夢のカリフォルニア」
1966年 ビーチ・ボーイズ「グッド・バイブレーション」
ナンシー・シナトラ「憎いあなた」(原題は「ブーツは歩くために」)
1967年 スコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」
ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップ「ウーマン・ウーマン」
1968年 サイモン&ガーファンクル「ミセス・ロビンソン」
モンキーズ「素敵なバレリー」
1969年 フィフス・ディメンション「輝く星座」
サイモン&ガーファンクル「ボクサー」
1970年 カーペンターズ「遥かなる影」Close to you
パートリッジ・ファミリー「悲しき初恋」
1971年 カーペンターズ「雨の日と月曜日は」
ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ「恋のかけひき」
1972年 カーペンターズ「パーティング・イーチ・アザー」
アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」
1973年 カーペンターズ「イエスタディ・ワンスモア」
1974年 バーブラ・ストライサンド「追憶」
1975年 グレン・キャンベル「ラインストーン・カウボーイ」
キャプテン&テニール「愛ある限り」

レッキング・クルーのいい仕事

街角で Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 今、ケント・ハートマン著、加瀬俊訳「レッキング・クルーのいい仕事」(Pヴァイン・ブックス)にはまっています。

 音楽好きの友人松ちゃんから、この本の存在を教えてもらいました。

 レッキング・クルーとは、日本語に訳せば、「救難隊」、まあ、「お助け部隊」といったところでしょうか。匿名のスタジオ・ミュージシャンのゆるい集まりのことです。

 スタジオ・ミュージシャンと言えば、いわば影武者、黒衣です。表に出てきません。しかし、なかなか。実際にレコーディングしているのは彼らであって、表舞台に出ているアイドルは、楽器が弾けないので、弾いている真似をしているだけで、実際の音楽の本質の屋台骨は、彼らが支えていたわけです。

 例えば、ビートルズに対抗して米国でオーディションで集められたアイドル・グループ、モンキーズがいます。マイク・ネスミスら彼らは演奏できたことはできましたが、レコーディングはスタジオ・ミュージシャンによるものでした。

  最近、非常に便利な世の中になりまして、ネットで、無料で1950年代のロックンロール創世記や60年代のポップスを動画で見ることができます。

 その中でよく見ると、明らかに、レコードの「口パク」で、演奏していないということが、バレバレなグループがいることが分かります。

 例えば、バーズの「ミスター・タンブリンマン」(ご存知、原曲はボブ・ディラン)は、12弦ギターを弾いて歌っているロジャー・マッギン(もともとの名前はジム・マッギン)以外は、ほとんど演奏していないようにみえます。かろうじて、デビッド・クロスビーはギターを弾いているように見えますが、ベーシストは全く弾いていません。左手の指がフレットを移動していないからです。  

 以下は、非常にマニアックな話になりますので、1960~70年代のポピュラー・ミュージックに関心のない方は、この先読んでもつまらないと思います。では。

 街角で Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 私の多感な時代、唯一の愉しみは、ラジオから流れる米英のヒットチャートのポップスを聴くことでした。

 当時は、エルヴィス・プレスリーは、人気に陰りが出て、シュレルズ(ジェリー・ゴフィン、キャロル・キングによる「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー」全米1位)クリスタルズ(「ヒーズ・ア・レベル」)、ロネッツ(「ビー・マイ・ベイビー」が全米2位)、シフォンズ(「イカした彼」が全米1位)といったガールズ・グループの全盛期でした。

 このほか、リトル・エヴァの「ロコ・モーション」(ジェリー・ゴフィン、キャロル・キング作詞作曲)やトーケンズの「ライオンは寝ている」フォーシーズンズの「シェリー」なども日本で大ヒットして、洋楽ポップスの嵐が日本のシンガーにも大きな影響を与えます。

ダニー飯田とパラダイスキング、九重祐三子、田辺靖雄、梓みちよ、弘田三枝子、坂本九らが盛んに欧米ポップスをカバーしていました。

しかし、これら、アメリカン・コーラス・ポップスもビートルズを始め、ローリング・ストーンズ、ディブ・クラーク・ファイブ、アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツなどの英國のバンドに席巻されてしまいます。

米国では、当時は、British envasion =英国の侵略と呼ばれていました。

その中で、人気、実力ともにビートルズなどに唯一対抗できたのが、ビーチ・ボーイズです。

このビーチ・ボーイズは、兄弟従兄弟のコーラス・ロックバンドですが、実際は、ブライアン・ウィルソンが一人で作詞作曲、演奏をやっているグループで、昔の古い動画を見ても、楽器を演奏しているようにはみえません。(コーラスは、やっているようですが)

最初にご紹介した「レッキング・クルーのいい仕事」によると、やはり、レコードになった演奏は、スタジオ・ミュージシャン「レッキング・クルー」が担当していたことを暴露しております。

暴露というのは、大袈裟で、当時はそれがほぼ当たり前だったようです。

レッキング・クルーの中には、グレン・キャンベルがギタリストとして参加していました。グレン・キャンベルと言えば、私は、日本でもヒットした「トライ・ア・リトル・カインドネス」のカントリー歌手だとばかり思っていました。

それが、レッキング・クルーの屋台骨のギタリストとして、プロ生活を確立していたことが、この本で初めて知りました。しかも、グレン・キャンベルは、ビーチ・ボーイズのツアーメンバーとして、表舞台でも活躍していたんですね!

レッキング・クルーのメンバーには、先日亡くなったレオン・ラッセルもピアニストとして参加していました。当時は、ラッセル・ブリッジと名乗っていたとは、またまた、この本で初めて知りました。

レオン・ラッセルは、私は、ジョージ・ハリスンの呼び掛けで行われた1971年の「バングラデシュ・チャリティー公演」で知りましたが、こんなキャリアがあったとは知りませんでした。

街並みで Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

そもそも、この本「レッキング・クルーのいい仕事」は、松ちゃんと過日、鶯谷の居酒屋で音楽談義をしていた時に、紹介されたものでした。ボブ・ディランからバックバンドの話になり、私が「サイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』で、エレキギターを弾いているのは、確かマイク・ブルームフィールドだったよね?」というマニアックな話に及ぶと、松ちゃんが「それは分からないけど60年代のヒット曲の殆どを演奏していたのが、レッキング・クルーというスタジオ・ミュージシャンなんですよ」と教えてくれたわけです。

60年代のアメリカン・ポップスの最重要人物の一人がフィル・スペクターだということに異論ある人は少ないと思いますが、スペクターが、このレッキング・クルーの産みの親みたいなものだったことも、この本で教えられました。

フィル・スペクターは、ビートルズのアルバム「レット・イット・ビー」をアレンジしたことでも有名ですが、薬物中毒になり、殺人を犯して、今は収監中のようです。

10代でテディ・ベアーのメンバーとしてデビューし、「彼氏に一目惚れ」をヒットさせています。(この曲は、ビートルズが初期の頃にカバーしてます。「BBCライブ」などに収録)

この後、プロデューサーに転向し、前述のクリスタルズやロネッツをプロデュースします。スペクターは、ロネッツのリードボーカルのヴェロニカ(ロニー)・ベネットと一時結婚しています。

言ってはいけない

 街頭で Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 アメリカの次期大統領となる「トランプ自伝」を実際に書いたゴーストライターが、「トランプは、教室でじっとしていらない幼稚園児のようで、これまで、1冊も本を読み通したことがない」と暴露している記事を読み、椅子から転げ落ちるほど、驚いてしまいました。

 彼によると、トランプさんの専らの情報源は、テレビなんだそうです。

 アメリカはまだ200年ちょっとしか歴史がありませんが、歴代大統領の中で、史上初めて、読書人ではない実業家が選出されたということなのでしょうか。実に衝撃的でした。

 本なんか読まなくても、大統領ぐらいになれることを彼は証明したわけですが、人生で読書ほど有益で楽しいものはない、と思っている私としては、異次元の人を見る感じです。
街頭で Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 毎月50冊を読破する栗林提督には足元には及びませんが、今も何冊か並行して読んでおりまして、昨日は橘玲著「言ってはいけない 残酷すぎる真実」(新潮新書)を読了しました。

 著者が「まえがき」で明解に「最初に断っておくが、これは不愉快な本だ。だから、気分よく一日を終わりたいひとはやめたほうがいい」と、高らかに宣言している通り、本当に、気分が悪くなる本です(笑)。

 何が不愉快なのか?

 どうあがいても駄目だよ。お前の運命は生まれた時から遺伝で決まっている。努力しても無駄だよ…なぞと、皆さんの人格を全否定するような文言に満ち溢れているからです。

 扉書きを引用しますと、「この社会には綺麗事が溢れている。人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではないー。だが、それらは絵空事だ。往々にして、努力は遺伝に勝てない。知能や学歴、年収、犯罪癖も例外ではなく、美人とブスの美貌格差は3600万円だ」てな調子なんすよ。

 発行元の新潮社で週刊誌を創刊するなど出版界に君臨した斎藤十一氏は「所詮、人はカネと女」「人殺しのツラを見たくないか」などと豪語しておりましたが、この本はもっと先を行っていて、「所詮、ヒトはメスとオスの馬鹿し合い」「ヒトは所詮、遺伝子の運び屋」的な身も蓋もない、希望も展望もない世界を見せつけてくれるわけですよ。

 以下は備忘録。

 ・アシュケーナージは「ドイツの」という意味で、アシュケナージ系ユダヤ人はライン川沿いのコミュニティを発祥地とし、その後、ポーランドやロシアなどの東欧諸国に移り住んだ。彼らは激しい差別によって、人口の増加が抑えられ、キリスト教では禁忌とされていた金貸しで生計を立てざるを得なかった。(中略)金融以外に生きていく術がなかったら、数学的知能に秀でいた方が有利だから、平均より少し知能が高かっただろう。(p51)

 ・男性ホルモンであるテストステロンが暴力性と強く相関し、なおかつその影響が外見に現れる。(p142)母親の胎内で高濃度のテストステロンに曝された男性は顔の幅が広くなる。(p144)

 これを読んで、私は、トリカブト保険金殺人事件で捕まった容疑者の顔が浮かびましたよ。彼は、テレビカメラが回っているのに、いきなり、気に食わない新聞記者の顔を殴りつけていました。異様に顔の幅が広い男でした。

 この本では、性差や人種や頭の良し悪しや、王制、犯罪者など、これまでタブー視されていたことを臆面もなく、心理学者の臨床実験結果などを引用して取り上げております。

 ご興味のある方は、図書館で借りてみたら如何?私のように、半年以上、待たされるかもしれませんが…(笑)。