「古事記」を読む(2) 第55刷

山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 (つづき)

 池澤先生は、地名にも拘りを持ちます。

 「木」は今の「紀伊」であり、「科野」は「信濃」、「三野」は「美濃」、「針間」は「播磨」、「稲羽」は「因幡」、「多遅麻」は「但馬」「近淡海」は「近江」といった説明も細かいです。

 初代神武天皇の正室の名前は、富登多多良伊須須岐比売命(ホト・タタラ・イススキ・ヒメのミコト)で、「ホトに矢を立てられてあわてた女」という意味だそうです。ホトの意味は、ここでは書けないので、143ページの註をご参照下さい。池澤先生も「大らかなものだ」と注釈しておられます。

 それにしても、凄まじい王位を巡る権力闘争です。「壬申の乱」の例を出すまでもなく、親兄弟、叔父甥などの見境なく戦い、少しでも謀反の疑いがあると簡単に死刑か殺害してしまいます。殺し方も実に残酷だったりします。

 皇位継承のための後継者づくりも凄い、の一言です。現代人なら誰でも驚いてしまう、腹違いの兄と妹、叔父と姪、弟と嫂などの夫婦の契りが数多く見られます。

 あまり知らなかったことは、皇后も子供もいなかった天皇(第二十二代清寧天皇)や三十歳代(第二十三代顕宗天皇)や四十歳代で崩御した天皇(第二十六代継体天皇)もおられたことです。神からますます人間らしくなってきたということです。

山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 もう一つ、多くの学者が提唱しているように、日本の神は、西洋のエホバのような全知全能ではなく、あまりにも人間的な面が多いことです。例えば、天皇家の始祖となる天照大御神の力は絶対ではなく、しばしば素戔嗚尊(スサノオノミコト)の横暴に悩まされたり、天の岩屋戸に隠れたりします。また、アマテラスは、孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を使って、直接地上を治めればいいのに、わざわざ、出雲にいた大国主神(オオクニヌシのカミ)から国を譲らせて、やっと迂回して統治します。

 これらは、恐らく、地方の豪族が強すぎて、恐らく、当初は、出雲の豪族の方が、天皇家より強豪だったいう史実を反映しているのではないか、と推察ができます。

 神武天皇の東征から代々の天皇は、倭朝廷の統一を図りますが、その間に、大伴氏や物部氏や蘇我氏や中臣氏や忌部氏や多くの地方豪族を従わせることに成功していったということなのでしょう。そのためには、朝鮮半島から土木や工芸に秀でた秦(はた)氏や、文字や財政に明るかった漢の直(あやのあたえ)といった新技術を持った「今来の才伎」(いまきのてひと)と呼ばれる渡来人を積極的に朝廷中枢に活用して、他の豪族を抑えていったものと思われます。彼らの名前が「古事記」の中にもしばしば登場します。

 また、天皇は、頻繁に「豊楽の宴」(とよあかりのうたげ)を開きます。そこで、暗殺事件が起きたり、陰謀が諮られたりする場面が古事記の中で登場します。豊のトヨは美称で、楽のアカリは、酒を呑んで顔が赤くなる意味があります。極めて現代的ですね。

 戦前は、国家神道に基づいて、天皇家は「万世一系」と教育されましたが、実際は、多くの学者が指摘するように、親から子に万世一系に世襲されるのではなく、弟から兄に継承されたり、叔母や娘に継承される例もあります。

 また、ある学者の中には、紀元前660年頃の初代神武天皇から第九代の開化天皇までは「神話の世界」で実在したかどうか、立証できず、第十代の崇神天皇(紀元前九二年頃)が初代天皇ではないか、という説を唱える人もいます。さらに、第十六代仁徳天皇の流れを汲む第二十五代武烈天皇で、一旦、王家の血統は途絶え、越前の三国から迎えられた豪族が第二十六代継体天皇として、即位したと言われます。

 もっとも、継体天皇は四十三歳で崩御しますが、武烈天皇の姉と結婚したので、その皇子は、仁徳天皇の血をひく「万世一系」と言えなくもないことになりますが。

 第三十三代の推古天皇の父は、第二十九代欽明天皇で、母は蘇我稲目の娘堅塩媛だったため、弟の第三十二代崇峻天皇が蘇我稲目の息子馬子に暗殺されたことによって、日本で初の、東洋で初(という説も)の女帝として即位します。

 「古事記」は、この推古天皇のことまで書かれていますが、この女帝の記述があっけないほど短い。勿論、崇峻天皇が暗殺されたことも明記されていませんし、推古天皇の摂政となった聖徳太子も出てきません。

蘇我氏は、大化の改新で蘇我蝦夷,入鹿親子は倒されて本家は滅亡したものの、蘇我の分家は存続しており、分家に遠慮して、書かなかったのではないか、という説もあります。

いずれにせよ、天皇家は、古代にこれだけ権力闘争で身内で殺し合いをしたので、平安以降は藤原家などに政治を任せて、専ら、有職故実や芸能に入り込んでいってしまったのではないか、という説は、やはり説得力があります。

古代史学の泰斗、上田正昭京大名誉教授の最期の著作「古代の日本と東アジアの新研究」(藤原書店)によりますと、「天皇制」という用語が初めて登場したのは、昭和6年(1931年)、コミンテルン(世界各国の共産党の国際組織)の「三一年テーゼ」草案だったそうです。そして、これに絶対君主制という概念規定を充てたのが、昭和7年の「三二年テーゼ」だったそうです。

ということは、武家社会になって、天皇家は、ほとんど政(まつりごと)に関わらず(勿論、承久の変や南北朝の動乱など例外があります)、「天皇制」という言葉自体もなく、明治維新になって、天皇家は、時の薩長革命政権によって祭り上げられて、政治的に利用されたのではないかという学説には、私も特に注目しております。

パソコンが調子悪くて、前に書いた文字が消えたりして(ナンタルチヤ!)、何度も書き直したりして、これを書くのに16時間もかかりました。実に疲れた!

もう、嫌だ!

「古事記」を読む(1) 第108刷

「静の山紫水明・陽朔」朝のすなどり Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 豪傑君 ついに、「古事記」を読破しました!
 南海先生 嘘でしょ?
 豪傑君 いえ、本当です。
 南海先生 本当?
 豪傑君 ま、本当です。
 南海先生 何か、怪しい…。
 豪傑君 まあ、限りなく本当です(笑)。
 南海先生 ほら、やっぱり、嘘じゃん。
 豪傑君 嘘ではありません。
 南海先生 じゃ何なのさ?
 豪傑君 はい、じゃあ言いますよ。現代語訳で読んだのです。
 南海先生 なあんだ!
 豪傑君 なあんだ、と言われても、現代語訳でもそれなりに苦労して読んだのです。これでも。ただ、ほんの少しだけ、前知識があったおかげで読破できました。この前知識がなければ、恐らく、途中で挫折していたでしょう…。
 南海先生 ほう…。
 洋行紳士 まあ、まあ、お二人さん。ここは、ちょっと、お二人とも、少し落ち着いて。南海先生も、そう、茶化さないで、たまには豪傑君の話でも聞いてあげようではありませんか。
 豪傑君 はい、有難う御座います。それでは、茲に感想めいたことを短く述べさせていただきたいと存じます。

静の山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 恐らく、現代文壇(という名称は死語にはなりましたが)の日本を代表する作家で、最も権威のある現存作家と言っても過言ではない池澤夏樹訳です。何と、彼の御尊父福永武彦も「古事記」の現代語訳に挑んでいるのですね。池澤先生は、全30巻の日本文学全集の「個人編集」責任者として、自ら第一巻の「古事記」訳で先鞭をつけています。(2014年12月初版)

 言うまでもなく、「古事記」は日本最古の文学です。第四十代天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ、柳田国男らの説では女性だったとか!)に暗唱させていた「帝紀」と「旧辞」を、太安万侶(おおのやすまろ)が712年(和銅5年)に、第四十三代元明天皇(第三十八代天智天皇第四皇女。天武天皇の皇子・草壁皇子<母は後の第四十一代持統天皇>の妃。和同開珎の鋳造、710年の平城京遷都もこの天皇の事蹟)の代に完成させたものです。712年といえば、唐の玄宗皇帝の時代で、唐の全盛時代をつくりながら、晩年は楊貴妃を寵愛して、安禄山の変など内乱を招きます。

 「古事記」は、変体漢文で書かれ、神代の物語の「上巻」、神武天皇から第十五代応神天皇までの「中巻」、第十六代仁徳天皇から第三十三代推古天皇までの「下巻」に分かれています。太安万侶は、女帝である元明天皇の臣下で、正五位上勲五等の朝臣(あそみ)。

 上巻、中巻には、日本人なら誰でも知っている伊耶那岐(イザナギ)、伊耶那美(イザナミ)の国造りの物語や、天照大御神の天の岩屋戸の物語、八岐大蛇の伝説、天孫降臨、大国主神の国譲りの物語。それに、倭建命(ヤマトタケルのミコト)の冒険などが出てきます。(P.204の註によりますと、「古事記」で誕生から死までの生涯を語られる者は、ヤマトタケルしかいないそうです)

 倭健命が、能煩野(のぼの=伊勢国鈴鹿あたり)で、郷里を思って詠んだ歌…

 倭は 国のまほろば
 たたなづく 青垣
 山隠(ごも)れる 倭しうるはし

 は、やはり日本人の心の琴線に触れますね。

 池澤先生は、文学者ですから、文学者としての冷徹な眼で分析し、端から、古事記は神話だから、架空の話で、科学的にもあり得ない、史実にも程遠いというスタンスで見られているようです。確かに、天照大御神の孫で降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の皇子の火遠理命(ホオリのミコト、後の山佐知毘古=ヤマサチビコ、神武天皇の祖父)は、享年583。初代神武天皇(神倭伊波礼毘古命=カムヤマトイハレビコのミコト)の享年が137。第十代崇神天皇(御真木入日子印恵命=ミマキ・イリヒコ・イニヱのミコト)の享年が168、となれば、やはり物理的にもありえない長寿ぶりで、単なる創作、と片付けてしまうかもしれません。

 しかし、神話だからと言って、全くの架空で、根も葉もない根拠のない出鱈目だとは私は思えません。火のないところに煙は立ちません。デフォルメはしていても、何らかの史実も元に、長年の間に口伝で子から孫へ、さらにその孫へと伝えられていったのでしょう。

 だから、黄泉の国に行った伊耶那美の姿を、「見てはいけない」という約束を破って見てしまった伊耶那岐が、醜く姿形を変えた伊耶那美に追いかけられる話は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とほとんど同じです。これは、偶然の一致ではなく、遥か彼方から歳月をかけて、色んな国の神話が日本列島にも伝わってきたのではないか、という学説に私も賛同してしまいます。

静の山紫水明・陽朔 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

勿論、池澤先生は文学者ですから、文学者としての日本語の語源に関する興味や洞察には比類なきものがあります。

 例えば、「神武東征」で道案内したと言われる八咫烏(やたがらす)は、大きなカラスのことですが、今では日本サッカー協会のシンボルとして使われ、ということは日本代表のユニフォームのエンブレムとしても使われています。この八咫(やた)は、本来は「や・あた」で「あた」は親指と中指を広げた長さの単位だといいます。132ページ。親指と中指の間は、昔の人は20センチだとすると、その8倍だと160センチの人間並みの大ガラスということになります!

(つづく)

黒幕とリテラシー 6th edition

城壁は延々と Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 伊藤博敏著「黒幕 巨大企業とマスコミがすがった『裏社会の案内人』」(小学館)を遅ればせながら読んでおりますが、その凄まじい内容に思わず震撼してしまいました。

 いやそこまで言っては大袈裟ですが、それぐらい感心しながら読みました。

 かの京洛先生は「世間の連中は、世の中のことが分かっていない。選挙権年齢も18歳に引き下げるのではなく、30歳まで引き上げるべきだ!」と口癖のように仰っておりますが、確かに、世の中の人は、世間のことが分かっていない。ま、逆ですがどっちも同じでしょう(笑)。

 では、「世の中のことが分かる」とはどういうことか?ーそれは社会の仕組みが分かるということで、人間社会がどういう構造になっていて、どういう利権があって、どういう理念で人間の行動を駆り立てているか、を知ることではないでせうか。

 結局、日本社会は狭い村社会ですから、最後は損得抜きの浪花節、魚心あれば水心、義理人情の世界で物事が決まっていくようです。これは、欧米社会でもアジア、アフリカ社会でも同じようなもので、全く知らない他人を相手にせず、ファミリーを大事にするということになりますかね。

 ファミリーとは、勿論、血縁があっても、なくても、堅い結束を誓い合った扶助団体とも言えます。

城壁より城外を望む Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 日本では、バブル経済真っ只中の1980年代後半から、そのバブル崩壊後の2000年代にかけて、数多くの「経済事件」が頻発しました。

 平和相銀事件、リクルート事件、共和汚職事件、山一証券倒産、イトマン事件、東京佐川急便事件、金丸脱税事件…。かくいう私も、その同時代を生きながら、頭の中では全く整理できておらず、事件の核心について、ほとんど知ることはありませんでした。

 この本を読むまでは。

 「黒幕」は、これらの事件のほぼ全てに関わった「現代産業情報」という月2回発行の情報誌を発行していた石原俊介という人物にスポットを当てて、経済事件の裏を探るというノンフィクションです。

 石原俊介氏とは何者か?-彼は、政・官・財・報・暴の全てに睨みがきいて、その情報の分析と正確性に定評があり、マスコミからも政治家からも官僚からも、企業からも、反社会勢力からも頼りにされた男、と言えばいいかもしれません。

 この「黒幕」の著者伊藤氏は「日本を経済成長させた政官財のトライアングルは、政治家は官僚に強く、官僚は財界人に強く、財界人は政治家に強く、逆に官僚は政治家に弱く、財界人は官僚に弱く、政治家は財界人に弱いという三すくみの中でバランスを保ち、それを報道機関が監視するという構図で成り立つ。そこに、純然たる暴力団だけでなく、総会屋、地上げ屋、仕手筋、小売り金融など暴力団の威圧をバックにする勢力が日本社会にあり、彼らの存在抜きに社会構造も事件の背景を語れない」とズバリ書いております。

裏城門 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 確かに、これは一つの社会の見方ではありますが、ここまで具体的に裏金や贈収賄の額まで詳らかにされると、信ぜざるを得ないという感じになります。

 ここには、バブル紳士から彼らを利用する政治家や官僚、裏で立ち回る反社会勢力まで登場する魑魅魍魎の世界…へたなドラマや映画を見るより、ずっと面白いことは確かです。懐かしい大蔵省の接待事件も出てきます。

驚くべきことに、あのゾルゲ事件をスッパ抜いた総会屋誌のルーツとも言うべき、戦後間もなく創刊された「政界ジープ」まで登場します。手法は、途切れることなく、口伝で脈々と受け継がれるのです。

本当に正しいものは、目に見えないし、モノにも書かれない。

日本の藝は、剣術にしろ、忍術にしろ、もともと、師匠から弟子に口伝で伝えられたものでした。

 不思議なことに、これらの事件は、まっすぐ一本の糸で繋がっているようにも見えます。そして、遙かに複雑にしているのは、正義の味方であるはずの検察当局も功名心に駆られて、証拠品を偽造したり、不祥事を働いたりするので、何が何だか分からなくなるのです。

 その後の日本は、商法や民法の改正で総会屋は淘汰されて、株主総会に入りこめなくなり、暴対法や暴排条例で、反社会勢力も押さえ込まれるようになり、石原氏のような人も用済みになっていきます。そういう意味でも、石原氏の亡くなった2013年以降の日本は今後どうなっていくのか、現代人のリテラシーが試されている気がします。

そういう意味で、この伊藤氏の「黒幕」は、裏社会と表社会を仲介した「兜町の石原」という黒幕を世間に知らしめ、啓蒙したことで、金字塔を打ち立てました。

この本では、政治家から裏社会まで、あらゆるタブーに挑戦しておりますが、惜しむらくは、日本を表から支配している、ある組織団体については、知らないはずがないのに、筆誅を加えていないことです。石原氏の力が及ばなかったところかもしれまさんが、それだけは物足りなかったことを付加しておきます。

証券アナリストの株価予想はサルと変わらない? nineth edition

ただ今城門に到着 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 橘玲著「臆病者のための億万長者入門」をやっと読了しました。

 途中でかなり週刊誌の「読書」に熱中しましたので(笑)、単行本の方は少し疎かになってしまいました。

 著者の橘さんは、今、毎月のようにベストセラーを出されている作家で、新聞の下に名前をよくお見かけします。
 でも、本名は非公表で、自身の公式でも全く略歴を公開しておりません。

 あるサイトによりますと、橘さんは、早稲田大学~○○系の出版社の編集者を経て、フィクションもノンフィクションも書く作家に華麗なる転身を図られたようです。かなり経済、特に株式や金融ものの著作が多いのに、意外にも出身は、政経学部ではなくて、文学部でしたので、「金融リテラシー」については、かなり独学されたようです。そのせいか、既成の学術理論には染まっていない気がします。

 城門より城内を Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 この本も独学の成果の一つでしょう。

 「宝くじとは『愚か者に課せられた税金』」だの、「保険商品は宝くじより割の悪いギャンブル」だの「ウマイ話はどこにもない」だの、「金融機関が熱心に勧めるうまそうな話はすべて無視する」といったことは、既に、私も影響を受けた経済評論家の山崎元氏という正統に帝大経済学部で学んだ人と、不思議にもほぼ同じでした。まあ、山崎氏は恐らく、正統派というより、異端でしょうけど、この著書にも啓発される点が多かったです。

 ただ、第5章「『マイホーム』という不動産投資」の中で、マイホームは、「持ち家」より「賃貸」の方がお得と説きながらも、第6章「アベノミクスと日本の未来」になると、リタイアした60代のポートフォリオの不動産資産が40%占めていると、あたかも当然のように、「賃貸」ではなく、「持ち家」が前提になっている論理展開なので、面食らってしまいます。

 まあ、週刊誌と月刊誌に連載していたのをまとめたらしいので、矛盾していてもしょうがないか、という感じはしますが、このままでは、理論的に破綻しています。

 城門内に入ってすぐ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 それでも、記憶すべきことを、また換骨奪胎で引用させて頂きます。

・ほとんどの人は、株価が上がったり下がったりするのは理由があると考えている。因果論はものすごく分かりやすいから、私たちは原因と結果を結びつけようとしている。だが、株価の変動には理由がない。

(メデイアや評論家が分析する原油安なんて、関係ないということかなあ)

・過去の株価予想を検証してみると、高給取りの証券アナリストの成績はサルと変わらない。この”不都合な真実”は半世紀前から繰り返し証明されているが、それでも彼らの仕事がなくならないのは、金融業がある種の娯楽産業で、競馬や競輪に予想屋が必要なのと同じだ。

(ひょえー、これは、凄い大胆な理論!でも、抗議する人は、それこそ、「高級取り」を認めたことになってしまうから、誰も抗議なんかしないでしょうね)

・金融リテラシーの高い人は、「誰も未来を知ることはできない」という真理を前提に資産運用を考える。このときに重要なのは、どんな経済変動にも耐えられるよう十分に資産を分散しておくことだ。

(これは、人生も同じでせう。小生も、まさか、あんなことが起きるとは想像だにしなかった)

・有利な投資話があったとしても、あなたのところに来るまにプロたちがおいしいところを全部持って行ってしまっている。直感的に「得だ」と思う話は、すべて胡散臭いと考えて間違いない。

 (まあ、こう引用しても、騙される人は後を絶たないことでしょう。そういう私も…。)

J-WAVEよ、お前もか! 山崎広子著「8割の人は自分の声が嫌いfifth edition

杜甫草堂 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 図書館に本を予約しますと、読みたいときにはほとんど来ないで、大体、忘れた頃にやってくるものです。マーフィーの法則みたいですね(笑)。

 最悪なケースは、一時に、ドッと予約した本が到来すること。そして上下巻ある本を予約して、最初に下巻が来てしまうことです。

 今回は、その最悪のケースに両方、急襲されました。

 草堂に至る回廊 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 何と4冊もガバーと来たのです。しかも、その1冊は下巻のみです。そして、いつ予約したのか忘れている本ばかりでした。

 そのうちの1冊、山崎広子著「8割の人は自分の声が嫌い」を先程、読了しました。

 この本は、数カ月前に、FMラジオのJ-WAVEを聴いていたら、ある番組に著者の山崎さんが、出演されていて、面白そうでしたので、予約したのです。

 杜甫遺像 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 J-WAVEといえば、昨日、メールが来まして、同局に21日ごろ未明に、「不正アクセス」のサイバー攻撃があって、約64万人の個人情報が盗まれ、「あなた(つまり渓流斎)の個人情報が流出した可能性があります」との告知がきました。

 勘弁してよー!です。

 この個人情報は、2007年から最近まで、J-WAVEにプレゼント応募やリクエストやコメントを寄せた人が対象らしいですが、自分がいつ応募したのか、9年前まで遡っても、覚えていないんですよね(苦笑)

 何しろ、プレゼントなんか当たったためしがないのに、こんな不正アクセスなんかに当選するとは、不条理ですね。

 ただ、メールで「このたびはJ-WAVE WEBサイトへの不正アクセスによる個人情報流出の可能性がある皆さまに大変なご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。」と来ただけで、何か信頼が裏切られた気がしました。
 無名の個人の声はかき消されてしまいますし、今後の対策と防止策もしっかりしてほしいので、ブログに書いてしまいました。

 草堂よさらば Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 で、山崎広子著「8割の人は自分の声が嫌い」の本の話でしたが、申し訳ないですが、ラジオで聴いた話の方が面白かったです。山崎さんは生まれ年を明らかにしていないので、何歳か分かりませんが、本の中で、何回か娘さんが登場しますし、その名前からして、年代は想像できます。

 山崎さんは、ラジオでも本の中でも「声を聴いただけで、その人の身長や年齢や職業や健康状態まで分かる」と仰っていましたが、私は、山崎さんの声をラジオで聴いて、30歳代かと思いました。それほど声が若々しくて、つやや張りがあって、音大で声楽も習ったらしく、恐らく、毎日、自分の声を録音してチェックしているらしく、大変魅力的な素晴らしい声でした。

 でも、本を読むと、恐らく40代でしょう。声年齢が10歳以上若い、ということです。あくまでも、私の想像ですが。

 最後に本の備忘録を書いておきます。いつものように換骨奪胎です。

 ・どうして日本人にこれほど自分の声が嫌いという人が多いのかー。それは、声が自分自身を表現するとても重要な手段であり、他人と自分、社会と自分を繋ぐメディアだという認識があまりにも稀薄だからです。(162ページ)

 ・あなたが出している声はあなたそのもの。あなたが声を出し、その声があなたを作る。音のフィードバックは聴覚から脳をめぐり、身心を変えていく。声を出すことによって、いい方向にも悪い方向にも再構築されていく。だから、オーセンティク・ヴォイスを見つけ出すことが大切です。(174ページ)

 ・話す行為は、同時に自分の声を聴く行為となる。話すときには発音や声の大きさを聴覚が瞬時に判断して、声帯まわりの筋肉や口腔や唇の形を調整する。呼気も強さと量を加減し、まるで神業のように神経と筋肉の連携によって言葉を発する。そして、脳はその緻密な連携を記憶し学習し続ける。耳から取り込まれた声は、脳の言語領域をはじめ様々な部分で分析され、感情や快不快を司る。(192ページ)

 ・声のフィードバックとは、円環性を持つ心身の回路なので、ひとつの方向に回り出したら、ずっとその循環は続く。方向性がマイナス方向に進めば、悪循環、プラス方向に向かえば良循環となる。

 ・声を出すことで心身が常に作られ続け、声のフィードバックをうまく使うことで、誰もが身体も精神も変えていくことができる。思い描く自分の方向性が鮮明であればあるほど、思い通りの自分になっていける!(以上193ページ)

よおし、これから、自分の声に、意識して耳を傾けていきますか。

上田正昭著「帰化人」 25th edition

聖地「長白山」山頂より観る神秘な天池Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 今年3月13日に88歳で亡くなった日本古代史の泰斗上田正昭京大名誉教授の著作をほとんど読んでいなかったので、慌てて、手始めに「帰化人 古代国家の成立をめぐって」(中公新書)を読んでみました。

 初版は1965年6月25日ですから、半世紀以上昔。「えっ?まだ読んでいなかったの!?」「何でいまさら…!?」などと賢明なる読者諸兄姉の皆々様方には怒られてしまうことはガッテン承知の介ですが、「読んでいなかったので仕方ない」と開き直って(笑)、続けていきます。

 この本が世に出た時、著者の上田氏はまだ38歳でしたから、新進気鋭の学者として注目され始めた頃でしょう。

 まだ戦後20年です。戦前の皇国史観からGHQによって真逆の戦後民主主義を教えられた時代ですから、そんな時に、こういう本が出版されていたことは意義深いものがあったのでしょう。

 この本で上田氏が記述した「(平安京を開いた)桓武天皇の母であった高野新笠(たかのにいがさ)は、百済の武寧王の後裔とされる和(やまと)氏の出身であり、帰化氏族の血脈につながる人であった。そのことは、『続日本紀』に明白に物語られている」(16~17ページ、一部変更)という部分で、右翼団体から「近く天誅を加える」「国賊は京大を去れ」などとの電話や手紙で嫌がらせを受けたそうです。

 しかし、平成13年(2001年)12月18日の「天皇陛下お誕生日に際し」で、今上天皇は「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。」と記者会見でお話しされておりますから、今上陛下も「続日本紀」の記述を認められていることは確かです。

宮内庁ホームページ参照

 先を進めます。

 天女かとおもって見たらロケだった Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 上田氏は、帰化人のことを渡来人と言うように提唱した人ですが、古代律令制を確立した大和朝廷は、現代人が想像する以上に文字や技術や法律に詳しい渡来人を受け入れ、歓迎していたのですね。真偽は不明ですが、万葉集の歌人、山上憶良も柿本人麻呂も渡来人という説を聞いたこともあります。

 この本では、大きく東漢氏(やまとのあやのうじ)と秦氏(はたのうじ)という大和朝廷の重要な官職にも就いた渡来人を主に取り上げています。(他に、古渡=ふるわたり=として、千文字と論語を伝えたと言われる王仁の末裔とされる西文氏=かわちのふみうじ=も。雄略天皇期から飛鳥時代までの渡来人は、今来才伎=いまきのてひと=と呼ばれた)

 9世紀後半になって(663年の白村江の戦いで、倭遠征軍が唐水軍に惨敗し、その後、遣唐使が廃止され、朝鮮半島を統一した新羅との交流も閉ざされた頃)、漢氏は、その名前から後漢の霊帝の後裔だと主張し、秦氏は、秦の始皇帝の血脈を継ぐと、半島からではなく、今の大陸中国からの渡来人と自称したりします。しかし、上田氏の説(というより、記紀によりますと)では、漢氏は百済系、秦氏は新羅系となっています。つまり、今の韓国です。(ちなみに、今の北朝鮮は古代の高句麗に当たり、首都も平壌としていました。高句麗は長らく倭と敵対し、倭政権は百済に援軍を送ったりします)

 百済系の漢氏は、軍事(鉄器や馬なども)、土木、外交などに強く、蘇我氏と結びつき朝廷内で台頭します。蘇我氏は、仏教を日本に取り入れる崇仏派で、仏教導入に反対した排仏派の物部氏を滅ぼします。法隆寺「釈迦三尊像」をつくった止利仏師や蝦夷を征伐したとして知られる坂上田村麻呂らも漢氏の子孫です。

 新羅系の秦氏は、大蔵官僚となり大和朝廷の財務を司ります。聖徳太子や藤原氏との結びつきが強く、国宝第1号に指定された弥勒菩薩像で有名な広隆寺は秦河勝(はたのかわかつ)が創建したもので、御本尊様は、聖徳太子から賜っています。映画村として知られる太秦(うずまさ)も勿論、秦氏と関係があります。

また、地方で治水や農耕で活躍した秦氏もおり、今の神奈川県秦野市も秦氏と関係があるそうです。

 天池を水源とする川の滝 Copyright Par

Duc Matsuocha gouverneur

 今年は、正月早々、神社めぐりをして「厄除け」願いをしたり、「健康」を祈ったりしたので、「そもそも」の神道についても俄然興味を持ち、今さらながら、勉強しはじめて、色んな疑問が出てきました。でも、この本でそれらの疑問のかなりの部分が解消されました。

 第32代の崇峻天皇は、皇子時代に、蘇我氏による反旗を翻した物部氏(大連=おおむらじ)の征伐軍に加わりますが、その後、蘇我氏に謀反があると察知した崇峻天皇が蘇我馬子を暗殺しようとします。しかし、事前に密告されて、逆に暗殺されます。直接の下手人は、渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)だったと言われています。下臣に暗殺された天皇は、崇峻天皇が最初だと言われています。

話は前後しますが、6世紀の大和朝廷には内憂外患の危機が押し寄せます。その一番は、第25代武烈天皇に世継ぎがいなかったことです。そのため、直系の王族ではない越前の三国の男大迹王(おほとおう)(古事記では、袁本杼命)を迎え入れて即位することになります。この方が第26代の継体天皇です。ですから「王権断絶」で、今上天皇は、継体天皇までしか遡れないという説もありましたが、継体天皇は、第24代仁賢天皇の娘で、第25代武烈天皇の姉に当たる手白香(たしろか)皇女を皇后に迎えましたので、王族の直系とつながることになりました。

 高句麗は668年に唐軍によって滅ぼされ、少なくない人数の高句麗人が倭に亡命します。しかし、権力が集中している今の畿内では、漢氏や秦氏が抑えていて、新参者が入る隙もありません。そこで、技術を持った人々による地方開拓の意味もあって、高句麗人は常陸や武蔵国に移住させられます。

 個人的なことながら、渓流斎が小中学生の頃、よく、西武池袋線の飯能駅近辺の小高い山や川に遠足やハイキングに行ったので、その辺りに高麗(こま)という地名があったことを覚えています。

 今調べたところ、やはり、そうでした。高麗は、関東にいた高句麗人1799人を集めて716年に集団移住させた所で、「高麗郡」と呼ばれました。現在は埼玉県日高市になっています。日高市は、巾着田で有名な所です。市では、その高麗郡が置かれて今年でちょど1300年目に当たる節目の年なので、記念のイベントを催すそうです。

 私も行こうかしら。

日経新聞編著「シャープ崩壊」

 大連・食べ物横町 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 日本経済新聞社編著「シャープ崩壊 名門企業を壊したのは誰か」(日経出版社)を読了しました。

 いやあ、凄まじい内容でした。

 下手な小説より、遥かにずっとずっと面白かったです。同じサラリーマンとして大変身につまされました(苦笑)。

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 日本の優良企業シャープを崩壊させたのは、確かに、経営者の人事抗争で「人災だった」という本書の主張は十分納得させるものがあります。

 それにしても、経営者幹部のほとんどが責任を取らず、自分たちは辞めずに、トカゲの尻尾切りのように、大切な社員を「希望退職」の名の下でリストラしたことは本当に許しがたい行為ですね。

 2012年に2960人、15年に3234人。計6194人にも及ぶ首切り。数字で書けば簡単ですが、この6194人のほとんどが家族持ちだったでしょう。裸一貫で南極か、猛獣のいるジャングルに投げ出されたと言っても過言ではないでしょう。

 これが、グローバリズムの正体でしょうかね?日本の伝統風土だった「終身雇用」や「年功序列」はなくなり、まるで弱肉強食の世界へ。

 本書の初版出版は今年の2月17日。台湾の鴻海精密工業によるシャープ買収の正式合意が4月2日ですから、当然ながら、本書は、崩壊したシャープは、この先どうなってしまうのか、という「未完」で終わっています。それでも、凄まじい人事抗争(特に町田勝彦四代目社長と片山幹雄五代目社長の対立)や密約やらの内部情報が盛り込まれていて、「結果」が書かれていなくても読み応え十分でした。

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 本書の中では、買収した鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘会長は、シャープを買収したら、(現在日本電産の副会長になっている液晶のスペシャリスト)片山五代目社長を呼び戻す、というようなことが書かれていました。

 しかし、4月2日の記者会見では、鴻海の郭会長は、シャープを買収したというわけではない。鴻海―シャープ連合で、当分、シャープは日本の経営者に任せる、といった趣旨の発言をしています。

 アップルのiPhoneなど世界最大手の精密機器製造会社の創業者の発言ですから、これからどうなるか、分かりませんね。

 東芝の白物家電部門が、中国の美的集団に買収される(3月30日)など、日本の社会が歴史的転換期に入ったことは確かです。

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 いずれにせよ、犠牲になるのはいつも弱者です。

 経済誌を立ち読みしていたら、大手商社の社長さんの年収が1億~2億円だと書かれていました。

 それだけの収入をもらえば、ヒトは誰でも権力にしがみつくものですね。よーく分かりました。

日経編「シャープ崩壊」

旅順港口が一望  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 久しぶりに洛中にお住まいの京洛先生からお電話がありまして、「渓流斎さん、ブログは毎日続けなければいけませんよ。更新を待っている人が大勢いますからね」と、激励されているのか、奨励しているのか、分かりませんが、まあ、何事もなくても、一応更新してみんべえかなあ、という気持ちになってきました。

 それに、皆さんご存知の松岡総裁から、「気分転換に」(笑)貴重な写真を送って下さいますから、やはり、ブログの内容とは全く関係ないいつもの通り、更新して写真を使わせて頂くことになった次第です。

 ロシア軍要塞  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 しかし、最近は全日勤務となり、会社には9時間籠もり、通勤の往復に3時間かかりますから、1日のちょうど半分の12時間を仕事に取られているわけです。自宅に帰ってきて、夜、またパソコンと睨めっこするのは正直疲れてしまいますので、この辺は情状酌量の程、相お頼み申し上げ奉る次第で御座います。

 二百三高地  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 というわけで、今日は別に書くことはありませんが、久しぶりに腹が立ったというか、ムッとしましたね。まだ、人間ができていない証拠です(苦笑)。

 帰りのバスで、自分が降りる停車場に着いたので、出口に向かったところ、前方に座っていた20代後半ぐらいの若い女性が、座席から傘を床に落とすではありませんか。まあ、こちらも通り道ですから屈んで拾って彼女に手渡したところ、全く表情も変えず、さも当然のような顔つきで、御礼の一言も言わないんですからねえ。全く無言、無表情でした。

 今時の若いもんは…と言えば、老人の繰り言になってしまい、私はまだ若い素敵なおじさまなので、応えが返ってこないので、ハッとはしましたが、「何も言わないのが、流行しているのかな」と独りごちてバスを降りたわけです。

 すると、足先が地面に着いた瞬間、何か嫌な気持ちになり、ムッとしてしまったわけです。世間知が低いといいますか、どういう育てられ方をしたか分かりませんが、社会常識がないなあ、と大人げもなくムッとしてしまったわけです。

 いっそのこと、木枯らし紋次郎のように「あっしには関わりのねえことで」と言って、無視すればよかったかなあ、と思ったりしたわけです。

 乃木保典少尉戦死の場所  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 今日は不思議な人から久しぶりにメールが来まして、「今、帯広にいます」と連絡がありました。北海道大好き人間のO氏でした。

 彼の場合、仕事で出張しているのか、遊びで旅行しているのか、よく分かりませんが、「今から帯広名物豚丼を食べに行きます」と来たものですから、私も暫く食べていないので、豚丼が食べたくなってしまいました。坂東のチェーン店でも豚丼は食べられますが、やはり、帯広が日本一でしょう。豚丼の発祥地でありますからね。

 ところで、今読んでいる本は、日本経済新聞社編「シャープ崩壊」(日経出版)です。これまた、同僚の杉田君から借りて読んでおります(笑)。

 まだ100ページも読んでいませんけど、「シャープ崩壊」は、人災だったんですね。全ては、四代目社長のM氏と49歳の若さで五代目社長になったK氏との間の確執といいますか、人事抗争が背景にあったようです。こんなこと、普通に新聞を読んでいては、さっぱり分からなかった話です。

 四代目と五代目の抗争とは…。裏社会とおんなじじゃありませんか。びっつらこきましたよ。

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小林哲夫著「シニア左翼とは何か」seventh edition

ワイデン  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 またまた、同僚の吉野君から勧められた本を読んでいます。
 
 小林哲夫著「シニア左翼とは何か」(朝日新書)です。

 タイトルからして、あまり読む気がしなかったので、最初はお断りしたのですが、それでも吉野君は「斜め読みでいいから」というので、仕方なく、途中から読み始めました。

 そしたら、面白いの何のって!(笑)。笑ってしまうほど面白いのです。1960年生まれの著者については知りませんでした。教育ジャーナリストを名乗っていますが、もともとは新聞記者か、出版社の編集記者でもやっていたのかもしれません。いわゆる「文章を読ませる」定型を身に着けている感じです。

 ダビンチ  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 この本の内容に入る前に、我ながら、最近は本を買わなくなったなあ、という深い感慨があります。

 以前は、月に5~6冊以上は律儀に買っていたと思います。今では1~2冊がいいところでしょうか。後は、自分が払った税金を有効に使おう、と図書館で借りています(笑)。狭いアパートなんで収納スペースもないこともあります。

 以前は、多い時は、仕事でもありましたが、月30冊以上読んでいたことがあります。1日1冊のペースです。月50冊の栗林閣下に負けますが、その当時は、起きている時は、ほとんど本を読んでいた記憶があります。電車やバスの中は当然で、歩いている時でもです。(笑)

 本を毎月、律儀に買うようになったのは、著名な評論家T氏の書いた「思考の技術」か「知のソフトウエア」か忘れてしまいましたが、そこには、とにかく本は借りたりせず、自分で購入すること。文庫ではなく、ちゃんと単行本を買うこと、などと書かれていたので、忠実にそれを実行したまでの話でした。

 それが、急に、借りる派に「転向」したのは、昨年、ある事情で蔵書を処分することになったのがきっかけです。このT氏の著書も泣く泣く手放したのですが、それが、驚き、桃の木、山椒の木でして、値が付かなかったのです。つまり、「泥棒、ただで持って行け」の世界です。一冊3000円もしたあの日本人なら誰もが知っている評論家でノンフィクション作家の本が、中古では売り物にならないのです。恐ろしい無教養の時代になったと思いますが、捻くれてみると、T氏が盛んに、読者に「本は自分で買え」と説いたのも、自分の商売のための宣撫活動ではなかったのか、と疑心暗鬼になってしまいました(笑)。

 それでも、今でも「知の巨人」と呼ばれて、照れることなく普通の顔ができるのも、東大哲学科に学士入学した時に、ギリシャ語でプラトンを、ラテン語でトマス・アキナスを、フランス語でベルクソンを、ドイツ語でウイットゲンシュタインを、ヘブライ語で旧約聖書を、漢文で荘子集註を読破したという自信の賜物なのかもしれません。

 ラファエロ  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

何の話でしたっけ?

 そうそう、シニア左翼の話でした。

 昨年は特に真夏の8月30日を中心に、安保関連法にからみ、「SEALDs」の国会前デモが話題になりましたが、(正確には、その頃、私は、バカンスでこの世にいなかったので、後から伝聞で聞いただけですが)彼らと並行して、目立っていたのが、60代から90代のシニア世代だったというのです。

シニア世代は、昔とった杵柄です。著者は、彼らシニア世代を、「戦後派」の80~90歳代、「60年安保」の70歳代後半、「69年全共闘」の60歳代後半…というように、六つの世代に区分けしておりましたが、別の分け方として、「一貫派」とか「復活派」などと指摘しているのです。

山本義隆さんとか、田宮高麿さんとか、森恒夫さんとか、昔懐かしい名前が出てきます。

大量の内ゲバによる死傷者を出した連合赤軍事件をはじめ、1989年のベルリンの壁崩壊、91年のソ連邦崩壊などを経験して、極左運動は、大衆から見放され、解散か、消滅したのかと思っていましたら、どっこい、70過ぎても、現役で活躍している活動家がいらっしゃったとは、新鮮な驚きでした。

特に、復活派の皆様は、歴史の教訓を学んできたのか、不思議な気がしました。極左イデオロギーは、一部の特権階級を生み、平等ではなく、格差をさらに拡大します。スターリンや毛沢東らは、一体何千万人の反体制派を粛清したのか、正確な数字は分かりません。クメール・ルージュのポルポトでさえ、インテリを中心に100万人を大量殺戮したと言われますからね。

極左のシニアの皆さんは、一度もソ連や東欧やキューバに行ったことがなかったのでしょうか?私の些末な経験では、計画経済は、ノルマをこなすだけで、人間のモチベーションを殺し、サービス精神が全くありませんでした。

 ラファエロ  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 しかし、その反対に、私は、今絶好調の極右勢力にも加担しません。自分自身は、どちらかと言えば、ご都合主義の日和見主義者ということになるでしょう。

伝統や風習、文化、祭などの年中行事を守り、先人の教えを重んじる伝統主義は好きですが、心身ともに自由を束縛する全体主義は大嫌いなだけです。

そもそも、ヒトを右か左に差別する発想も嫌いです。イデオロギーに振り回されているだけで滑稽です。

ヒトは、孤立無縁では生きていけないので、連帯とか言って徒党を組みたがるのです。

私は、徒党の中で階級闘争に巻き込まれるより、孤立無縁を畏れずに、個人主義を選びますね。

養老孟司・角田光代著「脳あるヒト心ある人」

 ゴヤ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur 

 先ほど、電車の中で、養老孟司・角田光代著「脳あるヒト心ある人」(扶桑社新書)を読了しました。

 実に面白かった。

 久しぶりに「読書の愉しみ」を味わった感じです。世間の気に触る嫌なことが書かれているのに、嫌なことを忘れさせてくれました(笑)。

 モネ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 もともと、2005年10月3日から2008年3月31日に大阪産経新聞にリレーエッセイの形で連載されたものでした。

 あ、産経新聞でしたから、平成17年から平成20年に連載されたものでした。

 ゴヤ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 何が面白かったかと言いますと、一言でいえば、「意外性」ですかね。

 偉そうですが、作家の角田光代さんは初期の作品は、仕事でかなり読まされましたが、あまり面白くなかった、という印象が強くて遠ざかっていたのですが、意外によくモノを考える人で、当たり前のことながら、説得力のある、つまり、読ませる文章を書かれるプロだと感じました。ベストセラー作家様相手に大変失礼をば仕りました。

 養老孟司さんの場合は、あまりにも有名なので、私が付け足すようなことはないのですが、やはり、発想が理系そのもので、私のような文系とは全く違う、思いも付かないようなモノの見方、捉え方をされる方なんだなあ、と納得しました。
「どうせ死ぬんだから、好き勝手でいいじゃないか」と、羨ましいほど、生も死も越えて達観されていて、昆虫採集さえできれば、他に何もいらない、という感じでした。

 ゴヤ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 いつもながら、内容を説明するのが面倒くさいので(笑)、目次から拾ってみます。興味を持たれたら、読まれたらいい。どうせ我々はいつか死ぬのですから(笑)。

 ・頭だけで「生きている」から
 ・「最悪」「幸福」は過去にある
 ・「知らない」を選べる自由
 ・「知る」とは自分が変わること
 ・言葉に定義なんてない
 ・男の人は女をだます?
 ・人は物語を追いかける
 ・なぜ私が私であるのか
 ・行場のない淡い悪意
 ・考えないためのレッスン
 ・「知る」より「感じる」
 ・五感で捉えたことだけ信用
 ・不幸があるから宗教がある
 ・「品が悪い」も死語
 ・才能の基は「やる気」
 ・その仕事が好きになること

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