松岡將著「王道楽土・満洲国の『罪と罰』 帝国の凋落と崩壊のさなかに」

延吉はハングルだらけ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 最近、買い替えた「日本史小辞典」(山川出版)にも載っていませんでした。

 私も、いつ頃知って、いつ頃興味を持ったのか忘れてしまいましたが(笑)、戦前の官憲による「でっち挙げ事件」として、「小林多喜二惨殺事件」「横浜事件」などと並ぶ歴史に残る事件としてインプットされておりました。

 満鉄調査部(=シンクタンク)事件と合作社(=満洲の農協)事件のことです。

 正確に言いますと、「興農合作社事件」と「南満洲鉄道調査部事件」のことです。

 この全容をまとめた松岡將著「王道楽土・満洲国の『罪と罰』 帝国の凋落と崩壊のさなかに」(同時代社)を先ごろ、やっと、何とか読了しましたので、少し触れることに致します。

 その前に、満鉄調査部事件をネットで検索してみたら、この渓流斎ブログが引っかかってしまうんですね。内容は、この「王道楽土ー」の目次を紹介した記事でした。

 こちらは真剣になって調べたいのに、こういうのって、何か、白けるといいますか、背中が凍る気分ですねえ(笑)。

 いかに、「合作社・満鉄調査部事件」に関する情報が、ネット世界では極めて少ない、という証明みたいなもんですね。

 延吉はハングルだらけ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 正直に言いまして、著者の松岡氏に怒られてしまいますが、この本は、読んでいてあまり楽しい気分になれません。もちろん、エンターテインメント本ではないし、権力者が手段を選ばず、気に入らない人間を陥れていく過程は不快ですし、愛する日本が、真っ逆さまに凋落して、そして310万人も亡くなる太平洋戦争という哀しい不愉快な歴史的事実が列挙されていますから、楽しいわけありませんよね?

 それでも、曲りなりにも「法治国家」が建前ですから、何とかして、法に照らし合わせて、時の権力者は、気に入らない人間を法の網で捕まえて、起訴して裁判にかけて罰する手続きを踏もうとします。
 当時、満洲では、共産主義者ら「不逞の輩」を逮捕処罰するのには、「暫行懲治叛徒法」しかなかったため、慌てて、泥縄式に1941年12月27日に満洲国治安維持法を公布・施行します。この事件で適用されたのは、主に同治安維持法の「國體を変革する目的をもってその目的たる事項を宣伝した」という「宣伝罪」でした。(死刑または無期もしくは10年以上の徒刑)

 すべては「國體護持」のためです。國體を変革し、國憲を紊乱し、国家の存立を急殆、衰退させるような、気に食わない反体制派は消してしまえ、という東條英機の「鶴の一声」と手口で、まさに罪もない人間を陥れた「罪つくりな話」でした。

 繁華街は人、人、人 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 勧善懲悪ものの分かりやすいお話に仕立てて、登場人物を整理しますと―。

 権力者たち=「二キ三スケ」の一人、東條英機=満洲関東憲兵隊(東京の憲兵司令官=陸軍大臣の直轄)司令官、関東軍参謀長、陸相、首相等を歴任。そして、東條の股肱の臣、加藤泊治郎=東京憲兵隊長、朝鮮憲兵隊司令官、東京憲兵司令部本部長等歴任=と鈴木貞一=企画院総裁等。戦後A級戦犯=、四方諒二=東京憲兵隊長等=は、「東條の三奸」と呼ばれたそうな。

 興農合作社事件 (当局は、1941年10月28日に、新京憲兵隊から司令官に事件の全貌が報告されたことを記念して「1・28工作事件」と呼ぶ。「10・28工作事件」とは呼ばない。間違えたわけでなく、そう呼ぶ理由は、一つしかないだろう。「1・28事件」では、「10月28日事件」ではなく、「1月28日事件」になってしまうという、小学生でも思い付く考えが及ばなかった。それが、当時の日本の最高のベスト&ブライテストの知的レベルだったことになる) 1940年7月28日、満洲の首都新京(現長春)協和会中央本部実践部実践科主任平賀貞夫が検挙されたことが発端。主な検挙者は、平賀の友人で「秘密結社中核體」(実態は、なーんもなし)を結成した容疑の情野義秀、「満洲評論」の編集責任も務めた佐藤大四郎(一高中退)満洲濱江省綏化県農事合作社聯合会主事=獄死=(彼の甥は、フジサンケイ・グループ第3代議長の鹿内宏明氏=旧姓佐藤宏明)ら。1941年11月4日に50人以上が一斉検挙。前述した「宣伝罪」により、既決囚6人のうち3人が獄死。

 満鉄調査部事件 1941年12月30日、興農合作社事件の被疑者として、熱海で検挙された満洲国協和会調査部参事鈴木小兵衛(東京帝大新人会出身、尾崎秀実=満鉄高級嘱託等、ゾルゲ事件で処刑=、菅原達郎=協和会総務部長等=、松岡二十世=著者松岡將氏の実父、協和会中央本部調査部、満洲映画参事等=らと東京帝大時代の同期)による同志に対する裏切りで、関東憲兵隊が創作した事件(満鉄調査部は、在満共産主義運動の温床体、母体であると関東憲兵隊は断定)。42年9月21日、第一次検挙者28人。43年7月17日の第二次検挙者は、石堂清倫=戦後評論家=ら9人。その前後に渡って、興農合作社事件関係を含む計44人が検挙(19人が釈放、5人が未決死亡、20人が有罪判決)。5人の死亡者は、満鉄新京支社調査室の守随一(東京帝大新人会出身、発疹チフス)、満鉄調査部総務課の發智善次郎(発疹チフス)、満鉄調査部の大上末廣(石堂の親友で、京大助教授、発疹チフス)、満鉄北支経済調査所の佐藤晴生(栄養障害)、満鉄上海事務所調査室の西雅雄(栄養障害)。1945年5月1日の最終公判後、大日本帝國の敗戦による満洲国と國體の崩壊で有耶無耶に。

「希望の資本論」

Quoi ?

鈴木崇夫です。

友人から「必ず読め」と勧められて、池上彰・佐藤優対談「希望の資本論」(朝日新聞出版)をやっと読了しました。

毎日、通勤電車の中では、スマホでこの渓流斎ブログを執筆してますので、なかなか読書の時間が取れませんのですねん(笑)。

正直、この2人とも、あまり好きくありません(笑)。いや、どちらかというと、あまりにも聡過ぎて、許容範囲を越えてます。たかが、と言っては怒られますが、2人とも映画スターでもタレントでもない作家かジャーナリストなのですから、まさか、文豪椎名桜子じゃあるまいし、世間様に対して、見たくもない顔の露出し過ぎではないかしら。プライドの高い本人らが聞いたら、それゃあ怒りまくるでしょうが。

と、こうして、「見た目が9割」みたいな話ばかりしましたが、内容は、残念ながらピカイチでした。私のような不勉強な人間でも、マルクスの「資本論」を読んでみるか、とその気にさせてくれる功績は非常に大きいです。(松岡総裁は、最高学府経済学部時代、ドイツ語で二回も「資本論」を読まれたそうですが)

どうやら、お二人とも、「資本論」に関しては、共産主義暴力革命の理論的支柱として、崇めていないようです。それは私も賛同します。彼らはむしろ、反共主義者と言っていいでしょう。

現代のように、労働の形態が変わって、四年生大学を出ても、非正規労働者になってしまえば、一生低賃金のままで、結婚さえできない。少子高齢化に貢献する要因になっています。

日本人サラリーマンの平均年収が400万円なのに、外資系の投資銀行にでも入れば、二十代でも軽く5000万円も稼ぐというこの格差社会。もっとも、軽く、と書いたのは間違いで、相当心身ともに破壊される程消耗することは確かですが…。

世の中、小賢しい者勝ちで、うまく立ち回ったもん勝ちということになります。

この本は、対談集で、要約しますと、池上は「『資本論』を読めば、自分の社会での立ち位置がよく分かる」と断言します。

佐藤は「『資本論』を読むと、論理的思考が確立する」として、怖いものがなくなる、といった風情です。

確かに、佐藤には怖いものが全くなさそうですね(笑)。論理的思考で彼に勝つことができる人間は、世界中にそういない感じだからです。書物代に6000万円使った!と豪語しているインテリさんですからね。

何しろ、佐藤は、公立高校としては全国ナンバーワンとして知られる県立浦和高校の時代に、当時埼玉大学教授だった鎌倉孝夫氏から、個人教授で「資本論」を読破したというんですからね。

高校生が、ですよ!

彼の強さのバックボーンは、小菅生活か、同志社時代の神学論にあるかと思いましたら、高校時代の「資本論」だったとは!

感服致しました。

でも、あくまでも、池上・佐藤両氏の意見に100%賛成であるというわけではなく、彼らの理論が100%.世間で通用するわけではないとも思っております。

読書体験の豊富さは、誰にも負けないでしょうが、それが、正義や世間的認知や実効性と関係があるかのかと言えば、残念ながら、必ずしもそうでもないものなのです。

ま、気落ちしない下さい。これは、私のせいであるというわけでもありませんから。

高村薫「空海」を読んで

お肉売ります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 推理小説の大家高村薫さんが、宗教には無縁だったのに、神戸淡路大震災を体験し、 「空海」(新潮社)に挑戦されたということで、読んでみました。これは、地方新聞に連載されていたものを2015年9月に書籍化したもので、もう少し推理小説家らしい大胆な分析と推理と空想があってもよかったような気がしましたが(偉そうですね)、大変教えられるところが多かったです。

 空海(774~835、享年60or61)の私生活はほとんど分かっていないそうですが、1200年もの大昔の話だからと言って人間の本質は変わることはないので、研究から逃げるわけにはいかないでしょう。

 私自身は、真言宗の信者ではないのですが、空海という偉大な高僧については大変興味があります。とはいっても、空海の難解な著作を読んだこともなく、司馬遼さんの「空海の風景」ぐらいしか読んでいませんが…。

 お肉売ります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 空海は、讃岐の国の善通寺に誕生したというのが通説です。父親は地元の豪族佐伯直田公(さえき あたい たぎみ)で、佐伯善通(さえき・よしみち)ではないかという伝承もあります。空海さんの本名が、佐伯善長(よしなが)だったりしたら、凡俗の私のような人間にとって、空海さんだけは神格化があまり相応しい人物に見えないのではないかと、勝手に思っているので親しみが湧きます。

空海が、歴史上にはっきりと現れるは、803年頃に留学僧になるために慌ただしく得度して官度僧になったときです。もう30歳を過ぎていました。それまで、大学に通って、修行していましたが、詳しいことは分かっていないそうです。804年の藤原葛野麻呂大使率いる遣唐使船に乗り込み、漂流の苦難の末、唐の都長安にまで辿りつきます。

 そこで、空海は、インド密教の継承者である青龍寺の恵果から、「胎蔵界」と「金剛界」の両部密教の灌頂を受けた上、「阿闍梨」位の灌頂まで受けます。つまり、数多の世界各国から来た留学僧と地元の優秀な唐の弟子僧の中から選ばれて、密教の唯一正統の継承者としての地位を獲得します。恵果にとって、空海は初対面の異国の僧にも関わらず、「あなたが来ることを知り、長い間待っていた。お会いできて大変うれしい」と語ったそうです。

 高村さんは、「運命」と書かれていますが、最新科学が発達した21世紀の現代でも証明できない奇跡なのでしょうね。

 とにかく、空海はあまりにも天才過ぎて、彼以外、真言密教の神髄を会得できず、弟子にまで継承できなかったことが、その後のこの宗教展開に影響受けていく様が、この本には分かりやすく書かれています。

 538年(という説が最有力ですが)、日本に仏教が取り入れられて、「鎮護国家」の思想の根っ子となりましたが、あくまでも律令制度の頂点に君臨する皇族、貴族、豪族のための宗教であって、一般衆生までには行き届きませんでした。

 仏教も、念仏口称さえすれば、阿弥陀様のいらっしゃる浄土世界に行ける、と庶民にも分かりやすく説いたのが法然房源空であり、このほか、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍らいわゆる鎌倉新仏教の開祖と呼ばれる高僧はすべて、空海真言宗の高野山ではなく、最澄天台宗の比叡山で修行して、自己の宗教を確立しています。

果物もあります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 私は不勉強で知らなかったのですが、916年、高野山の座主無空が、空海が唐で書写した経文などを集めた「三十帖冊子」を京都の東寺(教王護国寺)長者の観賢(かんげん)から返還を再三再四、求められたにも関わらず、この冊子と宝物を持ち出して弟子たちと奔放してしまいます。つまり、高野山は、空海入滅後、わずか80年で無人になって荒廃してしまうのです。

 真言宗がその後、日本全土に普及するのは、難解な真言密教を通してではなく、空海を「弘法大師」としていわゆる偶像化して平易な現世利益を広めた多くの無名の「高野聖」なしには語れない、という説には大いに納得してしまいました。

 天台宗の開祖最澄と、真言宗の開祖空海はともに唐留学僧のライバルで、最澄は途中で、密教を修得することなく帰国したため、密教を空海に教えを請いますが、空海は拒んだようですね。

 最澄も空海も、朝廷に取り入れられるように奔走し、最澄は延暦寺を、空海は東寺(教王護国寺)を朝廷から下賜され、両者は「鎮護国家」のために、加持祈祷や邪気払いや病気平癒など超人的霊能力で神秘的な宗教行事を皇族、貴族らに、下賜を受けた見返りで授けたことでしょう。

 当時、数多いた無名の留学僧に過ぎなかった最澄も空海も、朝廷に対して手紙攻勢などで何とか取り入れられようと工作した、と書けば、陰謀臭いので、工夫をしたのではないか?-このように書けば、あまりにも無智な推論で冒涜だ、と宗教者からの反論があるかもしれませんね…。

 空海は、本当に謎に満ちた人で、1000年経とうが、2000年経とうが、1万年経とうが、理解することは難しいでしょう。空前絶後の大、大、天才で、誰にもできない霊的体験を言語化したことは確かです。

 大衆には「弘法大師」として親しみを持って愛され、日本中至る所に大師の足跡伝説がありますが、これらはあくまでも伝説で、空海本人が訪れた所は限られているというのが、著者の説ですが、私もそう思います。

 ただ、弘法大師の諡号(しごう)がおくられたのは、最澄や円仁らと比べてもかなり遅く、実に死後87年目のことで、著者の高村さんは「意外なことに、空海の名声は比較的早い時期に一時下火になってしまったと考える」とまで書いております。

 この大師号というのも不思議で、大師といえば、日本人なら誰でも知っているのがこの「弘法大師」ですが、空海はこの弘法大師、一つしかおくられていません。以前にも書きましたが法然房源空は、円光大師をはじめ、今上天皇による法爾大師に至るまで8回もおくられてるのです。

 その一方で、臨済宗開祖の栄西は、開祖者として唯一と言っていいぐらい、大師号をおくられていないようです。(国師はおくられております)道元、日蓮、一遍らは言わずもがなで、黄檗宗の隠元も1972年に華光大師の号がおくられています。

若き永六輔

Italie

先日亡くなった大橋巨泉の奥さんは、彼の盟友だった永六輔が亡くなったことを、「ショックが大きすぎる」ということで、知らせなかったそうですね。

お互い、テレビの草創期に放送作家として鎬を削った仲でした。

その永六輔さんは晩年は、人格者として崇められておりましたが、若い頃はかなり傲岸不遜だったようです。そりゃそうでしょう。「上を向いて歩こう」「明日がある」「こんにちは赤ちゃん」等々、大ヒットした作詞家として飛ぶ鳥を落とす勢いです。印税でがっぽり桁違いのお金が入ってきて生活に全く困らないので若い頃は、我が儘言いたい放題だったのかもしれません。

その永六輔さんが若き頃、日活撮影所に行って、夜中の三時まで、ああだ、こうだ、と指図をしまくったそうです。当然、あいつは何様だ。生意気な奴だとスタッフの反感を買い、永さんが一服するために、外に出た瞬間、何者かに暗幕を頭から被せられて、殴る蹴るの暴行でボコボコにされたそうです。

結局、犯人は、分からず仕舞い。永さんも警察に被害届けを出したかどうか分かりません。そんな武勇伝があったこと事態、闇から闇に葬られてしまうものですが、元日活の映画監督藤浦敦さんは「だんびら一代」の中でしっかり、証言しているのですからですね。

この本にはエピソードが満載です。藤浦敦さんの祖父周吉が一代で東京中央青果を興して、東京市中の台所の野菜果物の源流、根っ子である卸売業界を牛耳って巨万の富を築いたことは、以前、この渓流斎ブログにも書きました。

金がある所は、匂いで分かるんでしょうね。遥々異国から、せびり、いや間違い、支援を求める外国人もいました。中国革命の父孫文もその一人です。

周吉の息子富太郎も表に出ないようにしたので、無名でしたが、政財界官界学界それでええん界にまで莫大な支援をします。いちいち個人名は挙げませんが、右翼暴力団関係は勿論、左翼は共産党までポンとお金を出していたことを、富太郎の息子である藤浦敦さんは暴露しています。

日本共産党の某幹部が自宅に来て、「赤旗まつり」のチケットを富太郎にまとめ買いしてもらって嬉々としている姿を藤浦敦さんは、この本の中で活写してました。

一番驚いたのは、日活の株式の40%も藤浦家が握っていたということです。ですから、伴野朗原作監督作品の「落陽」の興行面で25億円の赤字を出しても「俺の金を自分で使って何が悪い?」と開き直っていられるのです。

日活倒産の原因を「落陽」興行の失敗として押し付けられた藤浦敦さんは「『落陽』の損失など全体の10%程度。ゴルフ場やホテルなど本業以外の経営多角化が倒産の原因だ」と、理路整然と説明するのです。

私が少年の頃、映画の世界で、誰が一番偉いのか、と不思議に思っていました。莫大なギャラが貰える主演俳優かな、と思っていたら、もう30も過ぎた頃に「渓流斎くんは甘いね。『黒澤明監督作品』というぐらいだから、監督が一番偉いんだよ。作品は監督のものだからね」と言われて、それ以来、監督が一番凄いと思い、偉そうに、溝口だの、衣笠だのと言っていました。

そしたら、この本を読んだら、小説家あがりの伴野朗監督なんて、パシリ以下のそのまた下扱い。彼は、下積みの助監督の経験もないから、基本のキも知らない。藤浦敦ゼネラルプロデューサーは、伴野監督に大金を握らせて、途中から、もう撮影現場に来なくていいよ、と指示したそうです。

「伴野は頭のいい奴だから、一切口を割らなかったよ。小説家は小説を書いていればいいんだよ」と、口止めした藤浦敦さんは涼しい顔です。

クレジットの「伴野朗監督」だけで、宣伝になることは分かった上での話です。

ということで、映画の世界で、一番偉いのは、監督ではなく、ヒト(人事権)、モノ(作品)、カネ(製作費)を全て握っているゼネラルプロデューサーだということになりますね(笑)。

◇クレージーキャッツの源流

フランキー堺が、日活映画の専属俳優になってしまい、彼がリーダーとして結成したコミック・バンド「シティー・スリッカーズ」(「粋な都会人」という意味。1950年代にこんな洒落た名前を付けるとは!)は、開店休業状態になります。

その取り残されたメンバーが新たに結成したバンドが、「クレージーキャッツ」だったんですね。谷啓、植木等、桜井センリの面々です。

知らなかったなあ…。

大下英治著の「激闘!闇の帝王 安藤昇」

  1. ある日の銀座コリドー街

    いつも、そそっかしい名古屋にお住まいの六代目海老不羅江先生から、急にこんな飛脚便を送って来られました。

    …大下英治著の「激闘!闇の帝王 安藤昇」(さくら舎刊、1600円)を読みだしましたが、これが「講釈師、見て来たような嘘をつき」と言いますか、ついつい引き込まれまれてしまいました。…

    何でしょうか、と、突然?

    …帝都は銀座8丁目にある老舗天麩羅店「天国」裏の第2千成ビルに事務所を構えていたのが、あの白木屋乗っ取り事件やホテル・ニュージャパンのオーナーとして名を馳せた、”ケチ”で”悪党”の横井英樹です。その横井を安藤昇が襲撃する一コマ。渋谷の青山学院大学の前にあった「網野皮革店ビル」に安藤組の事務所があったこと。次から次に有名人との逸話が出てきて、恐らく、貴人は、涎、垂れ垂れで読まれることでしょうね。…

    何で、あ、あたしが…?

    …残念ながら、同書は、公立図書館のような気品の高い所では閲覧不能、蔵書されない珍本ですから、1600円出して買うしかありませんね。網野善彦先生の難しい歴史本や、古典、さらには理屈ばかりこねる人士には、理解不能な書物でしょう。堂々と銀座のど真ん中にある本屋さんで買われることですね。屹度、読むのに熱中して、スマホ歩きの若いアンちゃんと衝突しますよ。銀座のホステスで、作詞家、作家としても名を残した山口洋子ママも、安藤昇の間夫だとは、この本で初めて知りました。キックボクシングの野口さんとしか知らなかったですからね。…

    と、急にこんな飛脚便が届けられれば、その「逸話」とやらが私も気になり、読んでみたくなりますね(笑)。

    安藤昇は、当時としては大学を出た(中退ですが)インテリの渡世人として、渋谷を拠点に一時は500人もの子分を抱えて羽振りをきかせていました。その後、役者に転向して、俳優として成功したので、知る人ぞ知る有名人です。

    しかし、何で今頃、安藤昇の本が出版されるのか、不思議だったのですが、昨年末に亡くなっていたんですね。私は、昨年は旅行で黄泉の国に行っていましたので、昨年一年間に起きた世の中の出来事を知りませんでした。

    安藤昇は、小生の父と同じ大正15年生まれでした。安藤昇は、いわゆる特攻隊崩れだそうですが、私の父も10代で帝国陸軍の一兵卒として志願して日本のために戦いました。いわゆる一つのポツダム伍長です。

    父が戦死していたら、私もこの世に生まれなかったのだなあ、と感慨深くなってしまいました。

暴中膺懲にはならない?

珍しい白鳥対ヌートリアの戦いの瞬間(仏在住のANさんから)

辺見庸著「1★9★3★7」を読んでいたら、久し振りに「暴支膺懲」という言葉が出てきました。何?読めない?とな。

ぼうしようちょう…横暴なシナを懲らしめてやれ…といった意味です。帝国陸軍による中国侵略のテーゼとなり、先の戦中はスローガンとなり、盛んに喧伝されました。「鬼畜米英」と一緒に使われることも多く、特にその御先棒を担いだのが、当時の最先端メディアの新聞でした。

しかし、今回の件では、何処の国もメディアも「暴中膺懲」などと言ったりしませんね。

ここでは、仲裁裁判所の下した裁定に、中国が「そんなもん知るか」と拒絶して、国際法に従わないことを明白にしたことについて、言っています。

振り返ってみませう。

オランダ・ハーグの仲裁裁判所は昨日の7月12日に、中国が主張している南シナ海の広い範囲で独自に設定した「九段線」には「法的根拠はない」との裁定を下したのです。

これは、中国が南シナ海の西沙諸島や南沙諸島などに軍事拠点と見られるような要塞を建設したり、艦船や戦闘機を派遣したりして、着々と覇権を確立し、危機感を感じたフィリピンが「国連海洋法条約違反だ」と仲裁手続きを求めていたものです。

中国の強引な海洋進出に対する初めての国際的な司法判断で、これで中国の主張する「歴史的権利」が否定されたわけです。

これに対して、中国政府は「判決に拘束力なし」と拒絶したのでしたね。

そもそも、「歴史的権利」という言葉こそ、幻想であって、領海や領土などは弱肉強食の論理で人間が勝ち取ったという面を完璧に否定できず、それこそ、日本が「歴史的権利」を主張したら、南シナ海も日本の領海であると主張できないこともないのです。

ご案内の通り、海南島も日本領土で、日本政府の支配下にあった歴史もありますからね。

ということは、国際法に拒否権を発動する今の中国、というより、人民解放軍勢力は、世界第2位の経済力を追い風にして、世界制覇を狙っているのではないか、と東南アジア諸国をはじめ、世界中が注視していると言っても過言ではないでせう。

このまま、中国が国際法を無視して軍事力を拡大すれば、そのうちリットン調査団(?)を派遣せざるを得なくなり、極東の島国も憲法を改正して軍需産業を軸に経済を活性化して、合法的におおっぴらに、中国からの「侵略」を阻止する軍事行動を発展させることができる良き口実を与えかねないのではないかと、私は思っています。

ただ、80年前のように、暴支膺懲にならないのは、当事者である東南アジア諸国連合(ASEAN)の足並みがそろわないからです。ASEANには、華僑が多く、ほとんど経済的社会的政治的実権を華人が握っており、何といっても「経済最優先」が、先の悲惨な大戦を通じて身にしみて分かっているからでしょう。

えっ?知らない?

図書館システム異議あり!

「二乃宮」

図書館と掛けて、宝クジととく。その答えは?

クジに当たった途端、知らない親戚が急に増えるでしょう。

…いやあ、全く関連性がありませんでしたが、どうして図書館って、貸出の予約をしても、待てど暮らせど、なかなか来ないのに、忘れた頃に、どかっと予約本が襲ってくるもんなんですね?

まさに、渓流斎の法則です。

昨日は、去年の秋に、つまり、もう8カ月近くも前に予約していた本が、四冊もドッと解禁されました。

四冊じゃ、無理でしょう。期限内に読み切ることは。これでも宮仕えの身ですから、自由時間がそれ程ありません。それに、机の上には、まだ読み切っていない本が沢山あります。

えっ?何を予約していたのか、気になるんですか?…うーん、そんなに渓流斎の頭の中身が気になりますかねえ?からかっているだけでしょ?(笑)

ま、いっか。網野義彦「異形の王権」、辺見庸「1★9★3★7」、高村薫「空海」、「だんびら一代藤原敦」の四冊です。

著者さんと出版社さんには、申し訳ないですが、購入しませんでした。その代わり、宮仕えの身ですので、給金から自動的に市民税が差し引かれていますから、その分、図書購入費の一部に充てられているはずですから、ただで借りているとは思ってませんよ(笑)。

星霜ふるうちに、モノを所有することに興味が薄れていくような感じになったせいかも知れません。

著名評論家さんの「本は買うもので、借りては意味がない」と展開される持論に反発したい気持ちもあります。

生かされた人生ですから、残された時間を、他人の意見に左右されることなく、穏やかに過ごしたいものです。

「読史備要」余波

故宮出口 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 昨日の「読史備要」の写真が分かりにくかったですので、ちゃんとした写真に差し替えておきました。

 どうですか? このきめ細やかな心遣い(笑)。

 あの評判の吉川弘文館の「日本史必携」「近代史必携」、そして、これさえ読まなければ、今頃はもっとましな人生を送っていただろう、というぐらい私の人生で大変な影響を受けたハンター・デービス著「ザ・ビートルズ」(掃いて捨てるほど出版されているビートルズ本の中でも彼らの現役時代に書かれた伝記本の白眉の原書版。勿論、中学3年の私は、日本語版で読みましたが)を並べてみました。

 「読史備要」は、昭和41年6月15日の第2刷で、定価4800円です。

 昨日は、私はこの稀覯本を、わずか、たったの1456円で手に入れたことを暴露しました。

 昭和41年の4800円は、今の兵隊さんに換算すると、どれくらいになるか(山下清画伯)、私も調べてみましたよ。何と、昭和41年のラーメンは80円でした。今、ラーメンはへたすると、800円ぐらいしますよね?

 となると、物価は当時の10倍だとすると、4800円ちゅうことは、今の価格では4万8000円もすることになります。

 それが。1456円!(しつこいですね)いい買い物をしました。

昭陵入口 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

この「読史備要」の購入を勧めて下さった京都にお住まいの京洛先生は「愚生も貴人と同じ改訂版を昭和41年に入手しましたが、当時5000円近くしましたね。その後、さらに改訂版が出て、その新改訂版を買おうと思っていましたが、そのままになっています。
 近世以前の歴史事象を検索、検証するには、これで十分だと思います。例えば歌舞伎役者の系図は、尾上菊五郎の場合、昭和24年に亡くなった六代目までしか掲載されておりませんが、その跡は今の新しい辞典や事典で見たらよいのです。
 有名寺院の歴代管長さんも、建仁寺は竹田黙雷さんまでです。東京別院で座禅をされた貴人もよくご存知の『相国寺』の現管長さん(有馬頼底老師)は勿論出ていません(大笑)」。

 と、ここまで書いて、今日は特にこれ以外、書きたくなくなりました。
今晩は、昨年小生が常世国に参った際に、個人的に大変お世話になった人への生命を懸けた接遇が待っていますので、緊張しています。

 その方は、私と正反対の思想信条をお持ちらしいので、「このボケ、カスの非国民の売国奴があ」と、いつも渓流斎ブログに腹を立てているそうです。

 実は、それほど、あたしには、確乎とした政治信条なんてありませんけどねえ…(笑)。

 単に、政治屋だろうが、芸能人だろうが、大企業の社長だろうが、とにかく、「威張っている奴」が大嫌いという政治信条を持っているだけなんで、それ以外は、なるべく大目に見ているつもりなんですけどね。

 あ、あと、大嫌いなものは、何の苦労も、努力もせずに、ただ、親の七光りでふんぞり返っている奴ですかね。

 アハハハ、結局、キリがないので、この辺でやめておきます(笑)。

色々な門が Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 おまけでんがな

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ステレオ!これが「読史備要」だ!

「読史備要」と「日本史必携」「近代史必携」「The Beatles」

京都にお住まいの京洛先生の「電脳世界の戯言ばかりに頼っていないで、こういうものは、手元に置いておかなければいけませんよ」との助言で、例の「読史備要」を買うてしまいました。

ネットで購入したのですが、送料を入れても、な、な、何と、1456円なんですよ、旦那!

届いてみて、本当に吃驚仰天です。一言で言えば、こりゃあ、広辞苑ですよ!しかも、中身が濃すぎる。「読史備要」が美空ひばりなら、吉川弘文館の「日本史便覧」は、坂本冬実です。という、いつも京洛先生が使うお言葉を拝借させてもらうことにします(笑)。

今回、証拠として、写真を載っけておきやんした。

「読史備要」については、以前、この渓流斎ブログでご説明しましたので、もう内容についてはクドクドとご説明しませんが、年表と天皇家から藤原家、徳川家に至るまでの家系。官位官職、方位、歌舞伎役者の系図まで載っています。ページ数は、何と2153頁。重さは測っておりませんが、とにかく重い(笑)。昭和41年3月30日に初版が出て、同年6月15日に第二刷がでております。版元は、講談社。奥付には、しっかりと「検印」の判子が押されています。(確か、東京帝国大学史料編纂所編著の初本は昭和8年で、昭和41年と昭和53年に改訂版が出ています)

昭和41年6月と言えば、1966年6月。ちょうど50年前のことで、ビートルズが来日した年です。ちょうど「ビートルズ来日50年記念」ということで、今、盛んに新聞雑誌やラジオ、テレビで取り上げられています。

当時、日本の伝統国技を行う神聖なる日本武道館を、ペートルズなる不良異人に貸すとは、何事か!と右翼の皆様を中心に大排斥運動が起こりました。しかし、当時は、左翼の皆様も含めて、まさか、あのペートルズが、こんなに歴史に残るほど才能に溢れた革新的な音楽集団だと気がついた日本人は、ほとんどいませんでした。

私が手に入れた「読史備要」は、ビートルズ来日50周年と同じ年・月に印刷された半世紀も大昔の古本ですが、全く古さを感じさせませんでした。

ビートルズも「読史備要」も永遠の輝きを放っています。

凄い会社の話 第125刷

桂林の夜いずれも劣らぬ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 通勤電車の中ではスマホでブログを書いているため、ほとんど読書の時間が取れず、昨日、やっと永栄潔(ながえ・きよし)著「ブンヤ暮らし 三十六年 回想の朝日新聞」(草思社)を読了しました。初版は2015年4月3日になってますから、とっくに話題になって、話題になり尽くして、もうそろ忘れてしまった頃かもしれませんが、私は、昨年はこの世におらず未読でした。でも、実に楽しく、と言ったら怒られるでしょうが、他人事(ひとごと)として面白く拝読させて頂きました。

 どういうわけか、この本の中に登場する何人かの人物とは直接謦咳に接したことがありますから、「ふふん、なるほどねえ」と感心して読みました。

 朝日新聞という一企業内のコップの中の嵐みたいな逸話が満載されておりますが、マスメディアということで、その社会的、そして歴史的影響力は、どのいかなる私企業の中でも甚大で、この会社抜きにはエリート大学入試やエリート企業の入社試験も受けられないか、とにかく森羅万象の世界を語れないか、それほど巨大ですから、社内で働いていらっしゃる方々の中には、ご自分が、世界を、政治を、経済を動かしていると勘違いされているように振る舞っておられる方もおられて、鼻白む思いをすること、再三でした(笑)。

 著者は経済部記者や「週刊朝日」副編などを務められた元新聞記者さんですが、どうも、文章が荒れていて、主語がなかったり、場所が後から書かれていたりして、私が石川啄木のような校正係だったら、ちょっと「てにをは」を直したいぐらいでしたが、それでも、全体の印象を損なうものはありませんでしたから、単なるケチを付けただけです(笑)。

 「ここまで書いてしまって、大丈夫なの?」と読者が恐れてしまうほど、実名や実際の事案がボンボン出てきます。本人は時効だと思っておられるかもしれませんが、書かれた本人の中にはまだ健在の方が沢山おりますからね。

桂林の夜いずれも劣らぬ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 最初に書きたいことは、著者が、朝日新聞を代表する、いや戦後の日本のジャーナリズムを代表する朝日新聞の主筆まで昇り務めた大変著名で、誰も知らない人はいない若宮啓文氏や船橋洋一氏を、一刀両断で、独善的で強権的でどうしようもない我儘で、我田引水的行為をするフザケタ野郎だった、と弾劾していることでした。

 いいんですかねえ?あそこまで書いて。まあ、私は、このお二人とは住む世界が違うのでお会いしたことはないのですが、署名記事を拝読した限りでは、大変、大所高所から視野の広い高邁な精神を発揮されて、日本の良心を代表されるような方々かと思っておりました。ただ、船橋氏など、写真を拝見すると、ほとんどふんぞり返っていて、俺様より偉い人間がこの世にいるのか!といったオーラを発しているような暴君的性格がチラチラ見えて、著者の永栄さんが書かれているように、本当に嫌な奴なんだろうなあ、と納得させられるものを持った人である、と確信してしまいましたよ。(あくまでも個人の印象です)

 本当は、彼とは別に接点もないし、相手にしたくないほど、どうでもいいんですけど(笑)、どんな会社組織でも、嫌な奴ほど偉くなって昇進するという「渓流斎の法則」は共通して当てはまるものなんですね(笑)。

美女の曲芸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 どうせ、忘れてしまうことでしょうから、備忘録として、面白かったことを乱列してみましょう。

■P178 著者が経済記者時代に、ソニーの盛田昭夫社長宅を「夜回り」した際、良子夫人から「ブンヤ?まあ、失礼な。宅は、お巡りとブンヤは(家の中に)入れません。それが家訓ですので」と言われたので、著者は間髪入れず、「ひょっとして、盛田夫人で…」と聞き返すと、「そうよ。誰だと思ったの?」と言われ、「お手伝いさんかと」と応えた場面。(その後どうなったのか、ご想像つきますよね?明治時代から昭和にかけて、ブンヤは、かっぱらいと犬殺しと同列扱いで、訪問すれば、「裏に回れ」と言われ、嫁の来てはないと言われたそうな)

■P136 著者が富山支局勤務時代、剣岳の遭難事故で救出された青年が、富山空港で救急車に乗せられて搬送される現場を取材。青年の生死を確かめようと救急車内に眼を凝らすと、そこには、涼しい顔で座っていたライバルの毎日新聞のK記者が消防服姿で、なりすましており、視線が合った。心臓が飛び出すほどびっくりした。(記者さんって、こんな変装までするとは、まるで漫画の世界。大いに笑った)

■P203 著者は、夜回りを禁止されていた天下の三菱商事の田部文一郎会長の茅ヶ崎の1000坪もありそうな自宅を、敢えて夜回りする。屈強な男が二匹のシェパードを連れて巡回していた。再三のアポの末、やっとのことで会長に会えて「それにしても会長のお宅は大豪邸ですね。巡回のシェパードは二匹ですか?」と開口一番伺うと、田部会長は「なにい、来たのか。よし、終わりだ。帰れ!出ていけ!すぐ出ていけ!」。(お二人ともお会いしたことはないが、このシーン、映画のように目に浮かぶようで面白い)

■P206 経済部の冨岡隆夫部長に、某商社の新任広報部長がお会いしたいというので、著者が取り次いだところ、冨岡部長は「お前なあ、朝日を舐めとんのと違うか?なんで朝日の経済部長が二流商社の部長に会わんといかんねん!そいつに言うたれ、朝日の経済部長は常務以上やないと会わんのやと」。(なるほど、天下の朝日新聞とはこういう会社か。ちなみに朝日新聞の発祥地は大阪でんやがな)

■P321 小中高の全歴史教科書38冊(当時)の記述を念入りに調べたところ、日露戦争に費やした戦費の対国家予算比は、3年~10年分など13通りあった。福沢諭吉の「学問ノススメ」の販売部数も約70万部から340万部までさまざま。教科書に登場する人物は全部で1358人だが、全ての教科書に登場するのはたった14人だけだった。(へ~、これは凄い話。末代に伝えねば)

 とにかく、「不肖」と「阿Q」を自称する著者の永栄さんは、この本を出版することで、36年間の鬱憤を一気に吐き出したようで、「意趣返し」に大成功したのではないでしょうか?

 こうして、人気ブロガーの渓流斎がフォローするぐらいですからね(爆笑)!