「『狂い』のすすめ」

ローマ

ひろさちや氏の「『狂い』のすすめ」を面白く読んでいます。言い方は悪いのですが、「天下の暴論」と言っていいでしょう。悪い意味で使っていませんが、大袈裟に言えば、これまでの常識や定説をひっくり返すコペルニクス的転回です。

とにかく「世間を信用するな」「常識を疑え」と奨めているのです。

何しろ「人生に意味なんかありはしない。だから、生き甲斐だの、目的意識を持つな」と言うのです。

「自分を弱者だと自覚して、自由に孤独を生きよ」と促します。

どこか坂口安吾の「堕落論」に通じるところがあります。

筆者は若い時に最も影響を受けたサマーセット・モームの「人間の絆」から引用します。

「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた、何の役に立たないのだ。彼が生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは一切影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」

もちろん、これを聞いて、虚無主義に陥る人もいるでしょうが、「人間の絆」の主人公フィリップはその正反対で、自己を解放されるのです。

「今こそ責任の最後の重荷が、取り除かれたような気がした。そして、はじめて、完全な自由を感じたのだった。彼の存在の無意味さが、かえって一種の力に変わった。そして今までは、迫害されてばかりいるように思った冷酷な運命と、今や突然、対等の立場に立ったとような気がしてきた。というのは、一度人生が無意味と決まれば、世界はその冷酷さを奪われたも同然だったからだ」

現在、順風満帆な人生を送っている人には、何の効果もない言葉でしょうが、逆境に晒されている人にとって、これ程心強い哲学思想はありません。

私も大いに救われました。

渡辺淳一著「鈍感力」

ローマ

公開日時: 2007年3月8日 @ 10:08

渡辺淳一著「鈍感力」が売れているようですね。発売1ヶ月余で、36万部突破とか。驚異的な数字です。どうやら、現職以上に今も人気の高い小泉前首相が「この本はいい」と言ったとかで、売れ行きに拍車を掛けたようです。

宣伝のキャッチコピーを見ると、「鈍感力」とは、「へこたれない鈍さこそ、現代を生き抜く力。雑音は気にしない。嫌なことはすぐ忘れる。許す度量…」などとあります。

どこかで聞いて事がありますよね。昔から、人生、成功の秘訣として「運・鈍・根」が大切だと言われています。

運は運勢、鈍は鈍感力、根は根気…。ほら、ありましたね。

「嫌なことはすぐ忘れる」というのも、どこか「老人力」に通じます。

「許す度量」なんて、まさに昨日書いた「論語」で孔子が唱えた「恕」ではありませんか。

こういった類書、関連本の類には枚挙が遑がないことでしょう。

では、なぜこの本は売れているのでしょうか?

渡辺淳一だからです。

誰も無名の人が書いたものなんて読もうとはしません。

推理小説界の大御所、森村誠一氏も、若い頃、全く売れなかった時代、「作家にとって、名前がないということ(つまり、有名ではないという意味)は罪だと思いました」と語っていたほどです。

有名になった作家には、読者がついていきます。「限りなき透明に近いブルー」でデビューした村上龍氏は、いまだにベストセラー作品を書き続けていますが、「それは、デビュー作が100万部も売れたから。その100万人の読者がついてきているのです」という話を出版社の編集者から聞いたことがあります。

このように、出版界でも、売れている作家というのはわずかなのです。作家だけて食べていけるのは、全体の2割もいないのではないでしょうか。

芸能事務所でも、売れているタレントの2割が事務所の総売上の8割以上を稼ぐという「法則」を聞いたことがあります。

ところが、国税庁の05年の統計によると、株式売却などで稼いだ所得として確定申告した約2兆6千億円の約半分は、申告人数(約31万人)で1%にも満たない高額所得者(総所得2億円以上)の約2千人だったというのです。

要するに、売れる人はますます売れて、お金持ちの人はますますお金持ちに。ワーキングプアは、ますます貧しく。

そういうことなんすかねえ。

貧困の風景

ローマ

最近、『貧困の風景』を上梓した作家の曽野綾子氏が「今の日本は格差社会とか、いくら働いても貧しいワーキングプアーとか言ってますが、日本人は本当の貧困を知らない」と嘆きつつ、警鐘を鳴らしています。

現在75歳の同氏は、アフリカなどの最貧国を訪れ、エイズと診断された途端、食べ物が与えられなくなった子供たちなど、過酷な現状を目の当たりにしてきました。

曽野氏は、「本当の貧困とは、明日、食べる物がないということなのです。今の日本人はそういう人は稀でしょう」と言うのです。「私は、新聞の投書を読むのが好きなのですが、給料が下がって、歌舞伎の鑑賞に行けなくなった、というのがありました。別に歌舞伎を見に行くなと言うつもりはありませんが、世界の貧しさの現状をみれば、日本人は何て幸せなんだろう、と思われるでしょう 」と、ラジオのインタビューで答えていました。

こういうことは、口で言ったり、頭で考えただけでは分かりません。

ということで、曽野氏は、大胆な提案をするのです。
「一年のうち、二日でいいから、断食してみてください。そして、電気の一切ない生活をしてみてください。真っ暗な暗闇の中でテレビも携帯電話もない生活をしてみてください。この時、初めて、世界の貧困の現実が少しは分かるかも知れませんね」

さあ、皆さんにはできるでしょうか?

茨木のり子「倚りかからず」

ローマにて

公開日時: 2007年2月15日 @ 10:21

人生を「勝ち組」「負け組」で分類する人がいますが、実に嫌な言葉ですね。

会社で出世して、部長やら取締役やら社長やらになって、豪邸に住むことが幸福だと思っている人なら、そりゃそうでしょうけど、会社員なら皆さん、いつか定年でお辞めになる日が来るわけですし、辞めてしまえば、ただの人で、町内会で、いくら「元部長」だの「元重役」だのと威張ったところで、高が知れているというものです。

それに、いつか、どんな人でも、必ず「あの世」とやらにまかり越さなければならない身であり、いくら金銀小金を溜め込んでも残念ながら、あの世に持って行かれるものでもなし。

知識や教養とて同じ。いくら身に着けても所詮は人様からの借り物。詩人の茨木のり子さんは、詩「りかからず」の中で、「もはやできあいの思想や学問や宗教にはよりかからない」と高らかに宣言していますが、こちらの方が却って気持ちがいいくらいです。

X氏は言いました。

「人生、負けるが勝ちだよ」

情けない話

岡本綺堂の「半七捕物帳」はわずか70年前から90年前に書かれたものですが、現代人から見て、ほとんど意味が分からない言葉や死語が出てきます。

経師職(きょうじや)や回札者という職業も聞いたことがあっても、絵姿は見たことがありません。池鮒鯉(ちりゅう)様の御符売りという蝮蛇除けのお守りを売る人がいたということもこの本で初めて知りました。

辞書で調べれば出てくるでしょうが、「べんべら物」「柄巻」「山出しの三助」「堤重」などという言葉が何気なく出てきて、昔の人は、こういう言葉は辞書なんか引かなくてもすぐ分かったのだろうなあ、と悔しくなってしまいます。

ただ、次の文章は、よく分かりませんでした。「修善寺物語」など新歌舞伎の台本作者として名を馳せた綺堂のことですから、古典の素養を下敷きにしているのでしょうが、ちょっとお手上げでした。

半七親分と手先の松吉が春の桜時、鬼子母神前の長い往来に出たときのことです。

「すすきのみみずくは旬はずれで、この頃はその尖ったくちばしを見せなかったが、名物の風車は春風がそよそよと渡って、これらの名物の巻藁(まきわら)にさしてある笹の枝に、麦藁の花魁が赤い袂を軽くなびかせて、紙細工の蝶の翅(はね)がひらひらと白くもつれ合っているのも、のどかな春らしい影を作っていた。」(帯取りの池)

昔の人なら情景がパッと浮かんだことでしょうが、どうも、私なんぞは、言葉の一つ一つは分かるのですが、外国語を読んでいるような感じです。情けないので、正直に告白しました。

岡本綺堂「半七捕物帳」

ヴァチカン美術館

公開日時: 2007年2月11日 @ 21:1

G先生の薦めで、岡本綺堂の名作「半七捕物帳」を少しずつ読んでいます。

捕物帳とは、与力や同心が岡っ引らの報告を聞いて、さらにこれを町奉行に報告すると、書役が書き留める。その帳面を捕物帳というのだそうです。

●岡っ引は、世間では、御用聞きとか目明しとか言われるが、表向きは小者(こもの)と呼ばれる。

●与力の下に同心が4、5人いて、同心の下に岡っ引(通称親分)が2、3人いる。その下に手先(子分)が4、5人いる。手先の下にも下っ引と呼ばれる諜者がいる。

●町奉行から岡っ引に渡す給料は一ヶ月に一分二朱というのが上の部で、悪いのは一分ぐらい。これでは、手下に渡す給料もないので、岡っ引は大抵ほかの商売をやっていた。女房の名前で湯屋や小料理をやってたりした。

作者の岡本綺堂は、新聞記者(東京日日新聞)出身です。半七捕物帳も若い新聞記者の聞き書きの体裁で話が進みます。

そういえば、「新撰組始末記」などを書いた子母澤寛も新聞記者(読売新聞、東京日日新聞)出身です。

昔の新聞記者は偉い人が多かったですね。

戊辰戦争60年に当たる1928年に、東京日日新聞は、正月企画として戊辰戦争を知る古老から当時の市井話を聞き書きして連載しました。今、岩波文庫の「戊辰物語」として収録されています。

新撰組の近藤勇は「ひげが伸びているというので床屋を呼んで、しかも首穴を前にしたそこでこれを悠々とそらせ『ながなが厄介に相成った』といって、自分でもとどりをぐっと前へかき上げて斬られた」そうなのです。(以上2月6日付毎日新聞)

戦後60年を過ぎてしまいましたね。

相補的なものの見方

ラオコーン

相補的なものの見方とは、量子物理学者のニールス・ボーアの言葉から来ていると、芥川賞作家で、僧侶の玄侑宗久氏が書いています。(1月30日付東京新聞)

微小な量子の振る舞いが「粒子」に見えたり、「波動」に見えたりすることは、相対立することではなく、お互いに相補って全体像を見ていくことだというのです。

難しい言葉をはしょって、簡単に要約すると、実験は、観察者の使う器具の性能や観察者自身の思惑にも左右されるので、世の中に客観的な観察などというものはないというのです。

玄侑氏は「現実に即して云えば、どんなモノサシも絶対化してはいけないということではないか」と結論づけています。

仏教が、死について、病を治す力を象徴する「薬師如来」に任せてばかりいては苦しいので、極楽浄土を願う「阿弥陀如来」を作ったのも、空海が発想した「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」を並置したのも、相補性を尊重しているからではないか、と玄侑氏は言います。ちなみに、金剛界は、ダイヤモンド(金剛)のように輝く真理を求める意志で、胎蔵界は、母親の胎内のように現状を温かく容認する態度だといいます。

国家というモノサシ、学力というモノサシ、老人や福祉というモノサシ…。現代は、あまりにも一つのモノサシで測り過ぎているのではないか。演繹的な見方と帰納的な見方の両方が必要ではないかと同氏は力説しています。演繹的とは、普遍的なことから、特殊なことを導き出すこと。その逆に、帰納的とは、それぞれの具体的なことから、普遍的な法則を導き出すことです。

「物事に絶対はない」という考え方は賛成です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれも、唯一の絶対神を信仰する宗教です。日本人のように草花や路傍の石にも神が宿るというアニミズムとは、相容れません。山や日の出に向かって、頭を垂れて祈る日本人の姿は、一神教の人々から見て不思議に思われることでしょうね。

しかし、相補的なものの見方は、一神教の世界からでは発想できません。明らかに東洋思想の影響が見られますが、西洋の科学者であるボーアが「発見」したというのも面白いです。

儒教

ポンペイ

儒教の「儒」は、白川静博士によると、旁の上の「雨」は雨、その下の「而」は、顎鬚を表し、シャーマンだというのです。人偏は「人」を表しますから、シャーマンが雨乞いをしている姿を表しています。シャーマンとは、天上の神、魂などと、地上の人間とをつなぐ能力を持つ祈祷師のことです。

孔子(紀元前551-449年)は、魯国の昌平郷(中国山東省曲阜県)出身。父孔?(こうこつ)は下級武士、母顔徴在(がんちょうざい)は、祈祷や葬儀などを行う宗教集団「儒」の出身と推定されています。孔子は正式な結婚の子ではなく、三歳の頃に父親は亡くなり、母親に育てられたといわれます。

母親が宗教集団「儒」の出身であったという史実からも、儒教は、孔子が始めたものではなく、孔子が生まれるはるか以前からあったようです。仏壇に位牌を祀るのも、仏教ではなくて、儒教の風習だそうです。

ですから、儒教は道徳であって宗教ではないという説は間違いで、儒教の重要文献には、葬式や死者に対する儀礼の話が多く出てくるようです。

面白いことに、お釈迦さまが入滅したのは、紀元前477年頃と言われていますから、孔子とほぼ同時代人だということが分かります。

子曰く、学びて時に之を習う。

亦悦ばしからずや。

朋 遠方より来たるあり。

亦楽しからずや。

人 知らずして怒らず。

亦君子ならずや。

 

 

『獄中記』

 フィレンツェ

 

今年に入って、密かに読み続けている本があります。一日、数ページ読んでは、「箸休め」のように、本を置いて、ゆっくり感動に浸って、また翌日読むといった蝸牛のようなペースで読み進んでいます。一気に読んでしまうのがもったいないのです。

 

本の大海の中から、ようやく必要なものを見つけ出したような感覚です。もしかしたら、大変な名著で、この先、何十年も読み継がれる本なのかもしれません。読みながらも、偶然、鉱脈に当たったという手応えを感じています。

 

前置きが長くなりましたが、この本は、佐藤優著『獄中記』(岩波書店)です。佐藤氏に関しては、「恫喝悪党」鈴木宗男代議士と手を組んで、個人的に外務省を操ってきた影の人物というマスコミを通じた認識しかなかったのですが、二年前に彼の著作である『国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)を読んでから、その認識は百八十度変わりました。鈴木宗男氏とは、北海道で直接、何度かお会いして、その政治的情熱に触れることができ、以前の偏見を拭い去ることができました。

 

『国家の罠』では、国家に忠誠を尽くした一人の外務省の役人が、時の政権の政策転換の生贄として、国策として、罪状をでっちあげられたーというのが佐藤氏らの主張でしたが、その理論的根拠となる、いわゆる理論武装の種本のような著書がこの『獄中記』に当たります。

 

ヘーゲル『精神現象学』、ハーバーマス『公共性の構造転換』、カール・バルト『キリスト教倫理』…その旺盛な読書量には圧倒されます。しかも、ドイツ語、ラテン語、ロシア語、フランス語、チェコ語、ギリシャ語、アラム語…と語学の勉強に余念ありません。どういうわけか、数学のⅡ、Ⅲ、A、B、Cまで勉学まで励んでいます。獄中にありながら、国家の税金で三度の食事を与えられ、静かな環境で勉強に集中できるので、こんな有り難いことはないと感謝の言葉さえ、何度も書き連ねています。

 

大杉栄やドストエフスキーも驚愕するほどの勉強量です。

 

仮出所した後の佐藤氏の著作活動には目を瞠るものがありますが、こういう「基礎」があったからといことが、初めてこの本で分かったのです。

 

恐らく、この本は「公表」を前提に書かれたか、「公表」するに当たって、かなり、個人的な感慨部分は割愛されたように思います。何しろ、普通の囚人だったら、書きそうな、塀の外にいる家族や親しい人に対する恋慕の情や懐かしさや後悔や希望など、少なからず吐露すべき心情があるものですが、この記録には一切出てきません。半分ほどは、弁護士への手紙が収録されていますが、只管、裁判に勝つため、理論武装のための思索ノートに徹した感があります。

 

かといって、非人間的な側面は感じられません。読者に共感を拒絶していないため、読者もまるで著者と同じように独房に入って、一緒に思索を重ねているような錯覚さえ起こさせてくるのです。

 

ここで、二、三箇所、抜書きしてみます。

 

「拘置所の中にいると、入ってくる情報が極端に少ないので、思い煩わされることも少なくなります。現下の状況では、拘置所の中にいた方が心理的負担が少ないと思います。以前、インド仏教思想でナーガルジュナ(龍樹)の学説すなわち中観思想を勉強したときのことを思い出します。この学説によると、苦しみとか悩みというのは、人間が情報に反応して、様々な意識を抱くゆえに生じるということになります。余計な情報が入ってこなければ、思い煩うことも少なくなるわけです」(31ページ)

 

「プロテスタントから見れば、ルター、カルバンは英雄ですが、カトリックから見れば極悪人です。鈴木宗男先生にしても、二〇〇二年一月末までは外務省にとっては『守護天使』でした。今では『悪魔』です。」(88ページ)

 

「キリスト教神学では『何事にも時がある。時が満ちて初めて、次に進むことができる』という時間概念があります。今はじたばたしても仕方ありません。『時が満ちる』のを待って、ひたすら潜在力を付けることが賢明と考えています。他人を憎んだり、人間としての優しさを忘れ、自己中心的になるのではなく、あくまでも人間として崩れずに『時が満ちる』のを待ちます」(114ページ)