通好みの家康の家臣板倉重昌の江戸屋敷は現在、宝殊稲荷神社に

 ゴールデンウイークだというのに、結構このブログにアクセスして下さる奇特な方もいらっしゃいまして、主宰者としましては、深く感謝を申し上げる次第で御座います。

 さて、小生が愛読している「歴史人」(ABCアーク)5月号は、「徳川家康 人名目録」の特集で、大河ドラマ「どうする家康」のまさしく便乗商法ですが、大変読み応えがありました。

 徳川家臣団に関しましては、既に今年1月に週刊朝日ムック「歴史道」第25号が、「真説! 徳川家康伝」を特集していてかなり詳しく書かれていて、私もこのブログで取り上げたことがあります。(渓流斎ブログ2023年1月22日付「徳川家臣団の変遷が面白い=『歴史道』25号『真説! 徳川家康伝』特集」

 「歴史人」では、家臣だけではなく、家族やライバル(真田幸村、石田三成ら)などの「人名目録」が掲載されていますが、私自身は、やはり、家臣団の形成過程について、一番興味深く拝読させてもらいました。

 徳川家康は、自分自身は新田源氏の子孫であることを自称しておりましたが、もともとは三河松平郷の小さな郷主でした。段々と勢力を拡大して、国衆~三河国守~三河・遠江・駿河の大名~関東八州大名、そして天下人と大出世して行きます。その間に、撃退した今川氏の家臣や武田氏の家臣などは、全て滅亡させるのではなく、優秀な人材なら取り込んでいく様は見事と言うほかありません。

 家康のルーツの中で、キーパースンとなるのは、家康の6代前の松平信光ではないかと私は思っています。この人には何と40人もの子どもがいたそうです。家康は本家の安城松平家でしたが、40人もの子どもたちのお蔭でかなり多くの分家が生まれます。竹谷松平、大給(おぎゅう)松平、能見(のみ)松平、深溝(ふこうず)松平、長沢松平、鵜殿松平…等々です。そのため、初期の家康(松平元康)は、親戚間での血と血で争う本家争奪戦に勝利を収めなければならず、これが後々に、親族よりも、代々仕えてきた三河以来の家臣を重用するようになったと思われます。(家臣たちは幕末まで続く大名になったりします)

 徳川家臣団の中で最も有名なのが「四天王」と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝(楽天の三木谷さんの御先祖さま)、榊原康政、井伊直政の4人ですが、これはどなたも御存知の家臣なので、まさに序の口。駿府人質以来の家臣である石川数正、平岩親吉や三河一向一揆などで活躍した服部半蔵、鳥居元忠や大久保忠世、一揆側について後に許された本多正信、渡辺政綱、夏目広次となると初級クラス。玄人好みとなると、家康が江戸幕府を開くに当たって登用した優秀な官僚型家臣に注目します。例えば、関東総奉行として抜擢された本多正信、内藤清成、青山忠成の3人です。本多正信は、先述した通り、一向一揆で家康に反旗を翻したのに、許されて名参謀として復活しました。清成は、新宿内藤町の地名として、青山忠成も港区の青山の地名や通りなどとして今でも残っています。

 (もう一人、私が以前、古河藩城址に行った時に知った藩主土井利勝は、家康から二代秀忠の年寄(側近)役を任されますが、土井利勝は家康の庶子とも、家康の伯父に当たる水野信元の庶子とも言われています)

 個人的に注目したのは初代江戸町奉行を務めた板倉勝重です。この人、駿府町奉行、関東代官などを経て江戸町奉行になり、その後京都町奉行(京都所司代の前身)に就任して、朝廷や豊臣家の監視に当たり、訴訟の裁定にも定評があったようです。この勝重の嫡男(次男、もしくは三男)が板倉重昌です。この人は、家康の近習となり、大坂の陣で軍使として活躍し、三河深溝1万5000石の領主になったりします。が、1637年の島原の乱の際、幕府軍の総大将となり、戦死します。

 この板倉重昌の江戸屋敷は木挽町にありました。現在、屋敷のほんの一部が小さな宝殊稲荷神社となって残っております。銀座の出版社マガジンハウスのすぐ近くにあります。私の会社からも近い(というより、私の会社から最も近い神社だった)ので、昼休みに、最近ではほぼ毎日、お賽銭を持参してこの神社に通ってお祈りしていたら、神社内の看板に「板倉重昌の江戸屋敷があった所」「島原の乱で戦死した板倉重昌をおまつりしております」と書かれてあったので、大層驚いてしまったのです。

 板倉重昌といっても、恐らく、現代人の殆どは知らないことでしょう。私もその一人でした。この「歴史人」の中では、初代江戸町奉行の板倉勝重は大きく取り上げられた一方、板倉重昌の方は駿府奉行衆の一人としてほんの少し出てくるだけでしたが、「あっ、何処かで見た名前だ。もしかしたら?…」とピンと来たのです。

 時空を超えて、現在に通じた偶然の一致の瞬間でした。

 

亡くなった親友が雲になって現れた話

 さあ、楽しい、愉しいゴールデンウイーク(GW)がやって来ました。

 GWという名称は、この長い連休期間中に劇場に足を運んでもらいたいという映画業界の人が考え付いたらしいのですが、今年のGWはどうも個人的には映画を観に行く気がしません。3月に観た今年の第95回米アカデミー賞で主要部門の作品賞を含む7部門も受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が個人的見解では、あまりにも酷過ぎて、生涯で初めて途中退席した話をこのブログに書きましたけど、すっかりトラウマになってしまったからです。

印西牧の原の高級マンション

 「アカデミー賞作品賞受賞」といった肩書やら宣伝文句だけで、観てはいけませんね。アメリカ映画は、もうあまり観たくなくなりました。

 今年のGWは行くとしたら、都内の博物館とか美術館を計画しています。本当はまたお城巡りもしたいのですが、事情があってあまり遠出が出来ないので控えています。近場でしたら、何処かに行くかもしれませんが。

印西牧の原の高級住宅街

 本日は、2年前に急逝した親友神林康君のお墓参りに行って参りました。早いもので、今年で三回忌です。菩提寺の大生寺は千葉県の印西市にあり、最寄り駅は北総線の印西牧の原です。初めて行った時は、道に迷って、駅から50分ぐらい掛かりましたが、今回は迷わず、20分で到着できました。

 大生寺は真言宗豊山派(奈良・長谷寺が総本山、東京・護国寺が大本山)ということなので、墓前では、「南無大師遍照金剛」「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」「オン バザラ ダト バン」と唱えました。先日、自分の誕生干支の守護仏が大日如来だということが分かり、運慶作の国宝「大日如来坐像」(奈良・円成寺)のモデル仏像を入手しましたが、密教も勉強し始め、少し詳しくなりました(笑)。「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」も「オン バザラ ダト バン」も大日如来の意味で、お呼びかけする時の呪文のようなものです。勿論、彼の冥福をお祈りしました。

 帰り、駅に戻る際、バンド仲間だった神林君との昔の思い出を思い出しながら歩いて、ふと空を見上げると、雲の形が彼の顔そっくりになり、「今日はわざわざ遠い所から来てくれて有難う」と言うではありませんか(拙宅から墓苑まで、バスと電車と徒歩で、往復5時間近く掛かります)。その雲は目と鼻と口だけではなく、あれよという間に耳までくっきり出来たので吃驚しました。風のせいで、すぐに消えてしまい、写真は撮れませんでしたが、本当の話です。(表紙の写真は雲が消え去った後の青空の写真ですが)

 サウロ(パウロ)がダマスカスへ向かう途中、イエスの復活を見た話とはレベルが違いますが、宇宙論を齧ると、どうも肉体は滅びても、霊魂は宇宙の果ての何処かに存在していると信じたくなります。

印西牧の原「板前バル」海鮮丼1000円、一番搾り生ビール580円

 駅に着いて、昼時だったので、また、駅前の「BIG HOP」内にある「板前バル」でランチしました。「BIG HOP」は大型ショッピングセンターなのですが、閑散としていて、結構、閉まっている店が多く、空いているお店はここぐらいしかないんですよね。

 印西牧の原駅から東京の都心まで1時間ちょっとしか掛からないので、「通勤圏」ではありますが、鉄道の北総線の運賃が結構高く、首都圏で一番高く定期代がかかると聞いたことがあります。

 それでも、ニュータウンということで、立派なマンションだけでなく、かなり敷地の広い高級住宅街もありました。人通りも少ないので、「日本って、結構広いんだなあ」と思ってしまいました。何しろ、2070年には日本の人口が8700万人なる(厚労省推計)と言いますからね。この先、我らが日本はどうなってしまうのか? 私としては楽しみなので、どうなるのか、色々と見届けたいという希望を持っています。

宇宙はまだ未知数が多く、その一方希望もある=高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」

 高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」(PHP研究所、2022年10月10日初版)を読了しました。昨日は、法華経やマルクス主義の本を読んでいたかと思えば、今日は、宇宙論です。まさに乱読です。節操がない。恐らく、このブログを御愛読して頂いている皆さんは、ついていけないことでしょう。

 実は、私もそうです。知的好奇心と興味が赴くまま、手当たり次第に本ばかりに手を伸ばしていたらこうなってしまったのです。だから、頭で整理できないので、こうしてブログに書いて整理しているようなものです(笑)。

 でも、宇宙論は最後に残る究極の学問だと思います。宇宙論は数学、物理学、化学、生物学、天文学、量子力学、人類学、進化論、さらには医学といった理系だけでなく、文学、哲学、宗教学、はたまた経済学にも通じ、逆に総合知識がないと理解できない究極論だと思います。

 そんな宇宙論ですが、この本によると、人類は宇宙の物質に関してはまだ全体の5%未満しか分かっておらず、9割以上は未知の謎だらけというのですから、魂げます。182~183ページには、宇宙は、通常の物質4.9%、光と反応しない物質ダークマター28.8%、そして物質なのか分からない未知のエネルギで満たされたダークエネルギーと呼ばれるものが大半の68.3%で出来ている書かれています。

 通常物質というのは、元素で表され、私も大学受験で化学を選択したのでまだ覚えていますが、「スイヘイリーベ ボクノフネ」と覚えたH、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne…の元素の周期表は、宇宙で共通する元素が出来上がった順番で、宇宙の歴史そのものだというのです。へ~、それは知らなかった。そして、元素を分解すると、例えば、1番目の水素(H)は、陽子(プロトン)1、電子(エレクトン)1(質量数1.008)で出来ていますが、2番目のヘリウム(He)になると、陽子2,電子2,に中性子(ニュートロン)2が加わって出来ているので、質量数は4.003と水素の約4倍になります。この中性子というのは、陽子二つだと同じ電荷で強い斥力によって反発し合ってまとまらないため。クッション材として必要とされるというのです。

東京・大手町

 個人的ながら、虚無主義に駆られていた中学生時代にもっとこんな宇宙論を勉強していたら、虚無主義を克服して救われていたんじゃないかなあ、と思ったりします。もっとも、私が中学生時代は、宇宙は、ビッグバンから138億年で、地球はその3分の1の46億年といった基本的な数字すらまだ正確に解明できていなかったと思います。そして、太陽の寿命は最大でも150億年で、現在、太陽は50~60億歳と言われていますから、いつか太陽も消滅して、地球はその太陽の活動に完全に依存しているので、著者の高水氏は「太陽が死ねば、本質的に地球上の生命活動はなくなり、ただの鉄の塊の惑星が永遠に残るだけです」と遠回しに書かれております。要するに、泣こうが喚こうが、人類はいつか必ず滅亡するということなのでしょう。

 人類が絶滅すれば、経済活動どころか、文化も哲学も宗教も学業も定理も消滅することになります。となると、究極的な虚無主義になりますが、逆に言えば、どんなに有名になっても、どんなに大金持ちになっても、独裁者になって他国を侵略して英雄になっても、その財産も名誉も勲章も消えてなくなるということです。最初からなかったようなものです。世界は空であり、世界は無であるというのが、究極の真理だということになります。まるで、仏教思想みたいですが、このような物理学的宇宙論に中学生の時に触れていたら、あそこまで落ち込んで虚無的にはならなかったろうになあ、と今でも思ったりします。

 著者の高水氏は、英ケンブリッジ大学理論宇宙センターに所属し、あのホーキング博士に師事したといいます。1980年生まれで、まだ40歳代の方ですが、子どもの頃は星座や天文学ではなく、アインシュタインの相対性理論の方に興味があり、手塚治虫の漫画で読んだことでハマってしまい、宇宙論を専門にするようになったといいます。

 私は、相対性理論は一般も特殊も何も理解していないので、アインシュタインといえば、雲の上の大天才だと思っていましたが、そのアインシュタインでさえ間違うこともあるんですね。その一つ。アインシュタインは、「宇宙は静かで大きさは変わらない」と宇宙定数理論を考えていたのです。が、その後、ハッブルらの観測によって、宇宙は膨張していることが判明しました。その反対で、アインシュタインが一般相対性理論として「予測」していたブラックホールは、その後すぐにドイツ人物理学者によって発見され、2019年には、イベント・ホライズン・テレスコープによって人類初めてブラックホールの撮影に成功しています。

 このように、宇宙は、まず理論が先行して、観測によって証明されることによって解明されてきましたが、近年では、機器が精巧になったお蔭で、観測が先行して解明されることが多いようです。

新富町「美好弥」美好ランチ880円 あっ!スパゲティが付いていなかった! お店の人に言えなかったあ~

 さて、宇宙は、このように、訳が分からないダークマターだの、地獄の奈落の底のようなブラックホールなどで出来ていて、何んともおっとろしい世界のように感じてしまいますが、実は光明もあります。この本に沢山書かれているたった一つだけ、取り上げますと、非常に強力な重力場を与えている環境は、モノを高速で回転させることが可能なので、例えば、ブラックホールをエネルギーとして活用する道があるというのです。「うまく軌道を計算し、利用することで、一種の発電所のように、ブラックホールの重力をエネルギーに変換することができるかもしれません」と著者の高水氏も書いています。エネルギー問題の救世主です。

 なるほどねえ。確かに、いつかは地球は消滅し、そこに棲む生命体も絶滅する運命かもしれませんが、生きている限り、何とか努力したり、改良したり、問題を解決したり、発展させたりするのが、生態系ピラミッドの頂点に立つ人類の役目なのかもしれません。

 万物は流転し、いずれ、全てのものが無に帰することが真理ならば、嫉妬や憎悪や怒りや迷いといった負の感情もなくなることでしょう。別に齷齪したり、虚無的になったりする必要はないのです。

上野・東博の特別展「東福寺」と小津監督贔屓の「蓬莱屋」=村議会議員選挙も宜しく御願い申し上げます

 旧い友人のKさんの御令嬢Aさんが今回、福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬されたことが分かり、吃驚してしまいました。投開票は4月23日(日)です。

 Aさんにとって、北塩原村は、幼少時から小学生まで育ち、その後、同じ福島県の会津若松市に引っ越しましたが、第二の故郷のようなものです。長じてから、北塩原村にある観光温泉ホテルで働いておりましたが、選挙に出るともなると、両立することは会社で禁じられ、仕方がないので、退職して「背水の陣」で今回の選挙活動に臨んでいます。

 2年ほど前、私もその観光ホテルに泊まって、Aさんに会った時、将来大きな夢がある話も聞いておりました。ですから、別に驚くこともないのですが、こんなに早く、実行に移すなんて、まさに「有言実行」の人だなあ、と感心してしまいました。

 政治というと、どうも私なんか、魑魅魍魎が住む伏魔殿の感じがして敬遠してしまいますが、Aさんの場合は全くその正反対で、彼女は、裏表がない真っ直ぐなクリーンな人なので、安心して公職を任せられます。とても社交的な性格なので、友人知人が多く、周囲で支えてくれる人も沢山いるように見えました。最年少の新人候補なので苦戦が予想されますが、是非とも夢を着実に実現してほしいものです。Aさんは、SNSで情報発信してますので、御興味のある方は是非ご覧ください。

上野・東博「東福寺」展

 さて、昨日は所用があったので会社を休み、午前中は時間があったので、上野の東京国立博物館で開催中の特別展「東福寺」を見に行きました(2100円)。当初は、予定に入れていなかったのですが、テレビの「新・美の巨人たち」で、室町時代の絵仏師で東福寺の専属画家として活躍した吉山明兆(きつさん・みんちょう)の傑作「五百羅漢図」(重要文化財、1383~86年)が14年ぶりに修復を終えて公開されると知ったので、「これは是非とも」と勇んで足を運んだわけです。平日なのに結構混んでいました。

上野・東博「東福寺」展

 「五百羅漢図」は明兆が50幅本として製作しましたが、日本に現存するのは東福寺に45幅、根津美術館に2幅のみです。それが、近年、第47号の1幅がロシアのエルミタージュ美術館で見つかったそうです。この絵は、ある羅漢が天空の龍に向かってビーム光線のようなものを当てているのが印象的です。明兆の下絵図(会場で展示)が残っていたお陰で、江戸時代になって狩野孝信が復元し、この作品も現在、重要文化財になって会場で展示されています。何で、この本物がエルミタージュ美術館にあるのかと言いますと、どういう経緯か分かりませんが、もともとベルリンの博物館に収蔵されていたものをドイツ敗戦のどさくさで、ソ連軍が接取したといいます。接取と言えば綺麗ですが、実体は戦利品として分捕ったということでしょう。ウクライナに侵略した今のロシアを見てもやりかねない民族です。

上野・東博「東福寺」展 釈迦如来坐像

 この東福寺展で、私が一番感動したものは、東福寺三門に安置されていた高さ3メートルを超える「二天王立像」(鎌倉時代、重要文化財)でした。作者不詳ながら、慶派かその影響を受けた仏師によるもので、異様な迫力がありました。撮影禁止だったので、このブログには載せられず、撮影オッケーの釈迦如来像を掲載してしまいましたが、「二天王立像」は、運慶を思わせる写実的な荒々しさが如実に表現され、畏敬の念を起こさせます。

 東福寺は、嘉禎2年 (1236年)から建長7年(1255年)にかけて19年を費やして完成した臨済宗の禅寺です。開祖は「聖一(しょういち)国師」円爾弁円(えんに・べんえん)です。34歳で中国・南宋に留学し、無準師範に師事して帰朝し、関白、左大臣を歴任した九条道家の「東大寺と興福寺に匹敵する寺院を」という命で東福寺を創建します。鎌倉幕府の執権北条時頼の時代です。特別展では、円爾、無準、道家らの肖像画や遺偈、古文書等を多く展示していました。

現在の上野公園は、全部、寛永寺の境内だった!

 ミュージアムショップを含めて、80分ほど館内におりましたが、お腹が空いてきたのでランチを取ろうと外に出ました。上野は久しぶりです。当初は、森鴎外もよく通ったという「蓮玉庵」にしようかと思いましたが、結局、東博からちょっと遠いですが、小津安二郎がこよなく愛したトンカツ店「蓬莱屋」に行くことにしました。

上野

 司馬遼太郎賞を受賞した「満洲国グランドホテル」で知られる作家の平山周吉さんの筆名が、小津安二郎監督の「東京物語」に主演した笠智衆の配役名だったことをつい最近知り(東京物語は何十回も見ているので、そう言えば、そうじゃった!)、その作家の方の平山周吉さんが、最近「小津安二郎」というタイトルの本を出版したということで、頭の隅に引っかかっていたのでした。上野に行って、小津と言えば「蓬莱屋」ですからね。

上野「蓬莱屋」「東京物語」定食2900円

 「蓬莱屋」に行くのは7~8年ぶりでしたが、迷わず、行けました。でも、外には何も「メニュー」もありません。「ま、いっか」ということで入ったのですが、前回行った時より、値段が2倍ぐらいになっていたので吃驚です。結局、せっかくなので、ランチの「東京物語」にしました。「商魂逞しいなあ」と思いつつ、流石に美味で、舌鼓を打ちました。上野の「三大とんかつ店」の中で、私自身は蓬莱屋が一番好きです。

 隣りの客が、昼間からビールを注文しておりましたが、私は、ぐっと我慢しました。だって、展覧会を見て、ランチしただけで、併せて5000円也ですからね。昔は5000円もあれば、もっともっと色んなものが買えたのに、お金の価値も下がったもんですよ。

東京の川や堀は米軍空襲の残骸で埋め立てられていたとは!=鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書)は3日ほどで急いで読破致しました。仕方がないのです。図書館で借りたのですが、2年ぐらい待たされて手元に届き、しかも、運が悪いことに、他に2冊、つまり3冊同時に図書館から届いたので、直ぐ返却しなければならなかったからです。

 でも、私は若き文芸記者だった頃、月に30冊から50冊は読破していた経験があるので、1日1冊ぐらいは平気でした。歳を取った今はとても無理ですが…。

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」についての感想は、先日のブログで書きましたので、本日は、今読み始めている鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」(ちくま新書、2022年11月10日初版)を取り上げることに致します。(これも図書館から借りました)

 著者の鈴木氏は、東京都水道局中央支所長の要職に就いておられる方で、筑波大の博士号まで取得された方です。が、大変大変失礼ながら、ちょっと読みにくい本でした。内容が頭にスッと入って来てくれないのです。単なる私の頭の悪さに原因があるのですが、あまりにも多くの文献からの引用を詰め込み過ぎている感じで、スッと腑に落ちて来ないのです。とは言っても、私自身は、修飾語や説明がない固有名詞や歴史的専門用語でも、ある程度知識があるつもりなのですが、それでも、大変読みにくいのです。何でなのか? その理由がさっぱり分かりません…。

 ということで、私が理解できた範囲で面白かった箇所を列挙しますとー。

・江戸・東京の地形は、JR京浜東北線を境に、西側の武蔵野台地と、沖積地である東側の東京下町低地に大きく分けられる。赤羽~上野と田町~品川~大森間では、京浜東北線の西側の車窓はには急な崖が連続する。…この連続した崖が、武蔵野台地の東端で、JRはその麓の部分を走っている。(17ページ)

 ➡ 私は京浜東北線によく乗りますので、この説明は「ビンゴ!」でした。特に、田端駅の辺りは、西側が高い台地になっていて、かつては芥川龍之介の住まいなどもありました。一方、東側は、まさに断崖絶壁のような崖下で、今はJR東日本の車輛の車庫か操作場みたいになっています。東側は武蔵野台地だったんですね!上野の寛永寺辺りもその武蔵野台地の高台に作られていたことが車窓から見える寛永寺の墓苑を見ても分かります。

・江戸前島は、遅くとも正和4年(1315年)から鎌倉の円覚寺の領地だったが、天正18年(1590年)に徳川家康が関東に入府した後、秀吉が円覚寺領として安堵していたにも関わらず、家康が“実行支配”し、江戸開発の中心にした。江戸前島は、本郷台地の付け根部分で、現在の大手町〜日本橋〜銀座〜内幸町辺り。(47〜50ページなど)

 ➡︎ 江戸前島は、日本橋の魚河岸市場や越後屋などの商店が軒先を連なる町人の街となり、銀座はまさしく銀貨鋳造所として駿府から移転させたりしました。江戸前島の西側は日比谷入江という浅瀬の海でしたが、神田山から削った土砂で埋め立てられました。現在、皇居外苑や日比谷公園などになっています。江戸時代は、ここを伊達藩や南部藩など外様の上屋敷として与えられました。当時は、埋め立てられたばかりの湿地帯だったので、さすがに仙台伊達藩は願い出て、上屋敷を新橋の汐留に移転させてもらいます。この汐留の伊達藩邸(現日本テレビ本社)には、元禄年間、本所吉良邸で本懐を遂げて高輪泉岳寺に向かう忠臣蔵の四十七士たちが途中で休息を求めて立ち寄ったと言われています。

・江戸城防御のため、家康は江戸城南の武蔵野台地東端部に増上寺、北東の上野の山の台地に寛永寺を建立した。寺院の広大な境内は、軍勢の駐屯スペース、長大な堀は城壁、草葺などが一般的だった時代の瓦葺の堂塔は「耐火建築物」だった。(50、76ページなど)

 ➡天海上人の都市計画で、特に北東の鬼門に設置された寛永寺は「鬼門封じのため」、南西の裏鬼門に建立された増上寺は、「裏鬼門封じのため」と言われてきましたが、それだけではなかったんですね。増上寺は豊臣方が多い西国の大名が攻め上ってくる監視、寛永寺は伊達藩など奥州から来る軍勢を防ぐ監視のための軍事拠点として置かれていたとは! それぞれ、上野の山、武蔵野台地と高台を選んで設置されたことで証明されます。

 ・東京の都市としての構造や骨格は、江戸時代と連続性があるどころか、実は少しも変わっていないものが多い。…その背景には、江戸幕府から明治新政府になっても、社会・経済システムの多くがそのまま使われ続けたことにあった。明治維新の実態は「政権交代」に近かった。(176,181ページなど)

 ➡この説は大賛成ですね。明治維新とは薩長藩などによる徳川政権転覆クーデターで、新政府は政経システムもそのまま継承したことになります。江戸城は皇居となり、江戸城に近い譜代大名の上屋敷は霞ヶ関の官庁街や練兵場になったりします。外務省外周の石垣は福岡黒田藩の上屋敷時代のものが引き継がれているということなので、今度、遠くから見学に行こうかと思っています(笑)。築地の海軍兵学校は、尾張家、一橋家などの中屋敷跡だったとは…。他に、小石川・水戸家上屋敷→砲兵工廠→東京ドーム、尾張家上屋敷→仮皇居→赤坂御用地などがあります。

 ・昭和20年、米軍による東京大空襲で、都市部の大部分は焦土と化した。…GHQは、東京都に対して、大量の残土や瓦礫を急いで処理するよう命じた。東京はてっとり早く外濠に投棄することを決定した。(196ページ)

 ➡関東大震災の際の瓦礫は、後藤新平東京市長の原案で、埋め立てられたり、整備されたりして「昭和通り」になったことは有名ですが、東京空襲の残骸は、外濠埋め立てに使われたとは知りませんでしたね。それらは、現在の「外堀通り」なったりしてますが、真田濠が埋め立てられて、四ツ谷駅や上智大学のグラウンドになったりしております。そう言えば、銀座周辺は、かつて、外濠川、三十三間堀川、京橋川、汐留川、楓川など川だらけで、水運交通の街でしたが、空襲の瓦礫などでほとんどが埋め立てられ、(高速)道路などに変わってしまいました。(戦災後だけでなく、昭和39年の東京五輪を控えての都市改造もありました)まあ、都心の川や堀がなくなってしまうほど、カーティス・ルメイ将軍率いる米軍の東京爆撃が酷かった(無辜の市民10万人以上が犠牲)と歴史の教科書には載せてもらいたいものです。

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斎藤幸平著「人新世の『資本論』」を読みながら考えたこと

  3年前に大ベストセラーになった斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書・2020年9月22日初版)を今頃になって読んでおります。図書館で予約したら、やっと届いたからです。大ベストセラーなので、予約者数が甚大で、手元に届くのに2年ぐらい掛かったということになります(苦笑)。

 「そんなら買えよ!」と皆様方からお叱りを受けるかもしれませんが、私はへそ曲がりなので、基本的にベストセラー本は買わない主義でして…(苦笑)。大抵は図書館で借ります。もし、その本があまりにも面白ければ、敢えて、購入します。例えば、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」などです。この本にすっかり感銘を受けて、同じ著者の「ホモ・デウス」や「21世紀の人類のための21の思考」などはせっせと購入しております。ただ、あまり本の収集癖がなく、自宅も狭いので、それほどの蔵書はありません。古書店に売ってしまったりもします。

東銀座

 さて、「人新世の『資本論』」を読み始めて、何でこんな難解な本が大ベストセラーになるのか不思議でした。同時に、日本人というのは大の読書家=勉強家で、捨てたもんじゃないなあ、と見直してしまいました。

 この本は、「地球環境危機を救うには、マルクス主義しかない」という結論に行きつくと思われ、私自身はそれに関しては懐疑的なので、全面的に賛同しながら読んでいるわけではありません。著者の斎藤氏は、天才学者の誉が高いようですが、1987年生まれということで、学園紛争や連合赤軍事件(1972年)などは生まれる前の話ですし、天安門事件やベルリンの壁崩壊(1989年)、ソ連邦崩壊(1991年)は幼児で同時代人として体験した感覚はないと思われるので、世代間ギャップを感じます。勿論、良い、悪いという話では全くなく、学者ですから文献を読めば、いくらでも習得出来るので、同時代人として経験しようがしまいが関係ないとも言えますが。

 ただ、1950年代生まれの私たちの世代は、悲惨な戦争体験をした1920年代生まれの親から話を聞いたり、赤紙一枚で一兵卒として召集された伯父なんかはシベリア抑留の苛酷な体験もしたりしているので、どうも、共産主義、全体主義には皮膚感覚でアレルギーがあります。中国共産党の毛沢東も大躍進政策や文化大革命等で数千万人の国民を死に追いやったという説も同時代人として見聞しました。1980年代生まれの斎藤氏の世代では分かり得ないアレルギー感覚だからこそ、このような本を著すことができるのではないか、とさえ思ってしまいます。

東銀座

 などと、書いて、この本の評価を貶めようとしているわけではありません。これだけの大ベストセラーになるわけですから、読む価値はあります。著者は、万巻の書籍を読破して、さまざまな提言しています。例えば、

 「私たちが、環境危機の時代に目指すべきは、自分たちだけが生き延びようとすることではない。それでは、時間稼ぎは出来ても、地球はひつしかないのだから、最終的には逃げ場がなくなってしまう。…今のところ、所得の面で世界のトップ10~20%に入っている私たち多くの日本人の生活は安泰に見える。だが、このままの生活が続ければ、グローバルな環境危機はさらに悪化する。(111ページ)

 「無限の経済成長を目指す資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。」(118ページ)

 といった提言は、大いに賛同します。仰る通り、このままだと人類は遅かれ早かれ確実に滅亡します。しかし、その改善策として、著者の言うところのケインズ主義では駄目で、マルクス主義しかない、とまでは私自身は飛躍しません。反体制派の人間らを強制収容所に連行したり、計画経済が失敗して何百万人もの自国民を虐殺したり、餓死させたりしたソ連のスターリンも、先述した毛沢東も、本当のマルクス主義者ではなく、マルクスは、独裁のために虐殺してもいい、なんて一行も書いていないと言われても納得できません。マルクス本人が意図しなかったにせよ、マルクス思想が独裁者の理論的支柱となり、政敵を粛清する手段として利用されたことは歴史が証明しているからです。

 と、またまたここまで書きながら、グローバリゼーションと地球環境破壊と資本主義の矛盾による格差社会の現代、マルクスはそれら危機を打開してくれる福音書のように、苦しむ勤勉な若者たちの間で読まれているという現実が一方にあることは付記しておきます。

 「人間の意識が存在を規定するのではなく、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(カール・マルクス=1818~83年、享年64歳)

 

 

謎の100部隊と満洲国の「真の姿」=「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」ー第49回諜報研究会

 4月15日(土)、東京・高田馬場の早稲田大学で開催された第49回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早大20世紀メディア研究所共催)の末席に連なって来ました。同研究会にはここ数年、コロナの影響でZOOM会議では参加しておりましたが、実際に会場に足を運んだのは4年ぶりぐらいでしょうか。久しぶりにお会いする旧知の方とも再会し、まるで同窓会のような雰囲気でした。

 何と言っても、今回登壇されたお二人の報告者が、もう20年近く昔に謦咳を接して頂いた私淑する人生の大先輩ですので、雨が降ろうが嵐が吹こうが、万難を排して参加しなければなりませんでした。実際、この日は雨が降っておりましたが(笑)。

 今回の諜報研究会の大きなテーマは「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」でしたが、最初の報告者は、加藤哲郎一橋大学名誉教授で、タイトルは「人獣共通感染症とワクチン村 731部隊・100部隊の影」でした。事前にメール添付で各人に資料が送られて来ましたが、加藤先生の場合、簡単なレジュメどころか何と70ページにもなる浩瀚なる資料だったので絶句してしまいました。

 こんな長尺な資料から醸し出される講演について、このブログで一言でまとめることは私の能力では無理なので、「概要」から特に印象に残ったことだけ記させて頂きます。講演は、政治学者である加藤哲郎氏と獣医疫学者である小河孝氏がコラボレーションして共著された「731部隊と100部隊ー知られざる人獣共通感染症研究部隊」(花伝社、2022年)の話が中心でした。私自身は石井四郎の731部隊に関しては存じ上げておりましたが、100部隊については、全く知りませんでした。この部隊は、細菌戦研究・生体実験実行部隊として活動した「関東軍軍馬防疫廠100部隊」が正式名称で、歴史の闇の中に隠れておりましたが、小河孝氏による「新発掘」のようです。

 ズルして、概要について、少し改編して引用させて頂きますと、「中国大陸や東南アジアで細菌戦や人体実験を行ったのは、医学者、医師中心の関東軍防疫給水部『731部隊』(哈爾浜) だけではなく、 馬を『生きた兵器』とした軍馬防疫廠『100部隊』(新京)も重要な役割を果たしていた。 戦後、731部隊関係者は米軍に細菌戦データを提供して戦犯訴追を免れるが、軍歴を問われなかった獣医たちはGHQと厚生省、農林省に協力して伝染病撲滅のワクチン開発に職を得た。 そこに人獣共通感染症を研究してきた旧731部隊医師が加わり、彼らは1948年にジフテリア予防接種事件(84人死亡、1000人被害)を起こしながらも、感染症が蔓延した占領期の『防疫』に従事し、その後も日本のワクチン産業を支えた。 2020年年以来の新型コロナに対する日本の医療にも、731部隊・100部隊出身者の系譜を引く「防疫」の影がみられた。」

 これだけの概要だけでも、「えーー、本当ですか?」と胸騒ぎがしますが、加藤氏は、一つ一つ、実証例と関係者の実名を明らかにして解説してくれました。特に、驚かされたことは、究極的に、言論思想統制の「防諜・検閲」と、感染症対策の「防疫・検疫」は相似形で、明治の山縣有朋以来、同時進行で行われ、戦前の最大官僚だった内務省の対外インテリジェンスの二本柱であったという事実です。それだけではなく、現在の新型コロナの感染対策も明治以来の施策が色濃く残り、旧731部隊、100部隊出身者が設立した病院や彼らが開発したワクチンや医薬品、それに彼らが旧職を隠して潜り込んだ大学や製薬会社などがあったという史実でした。

 加藤氏は、医師の上昌広氏がコロナ・パンデミックに際して発表した「この国(日本)は患者を治すための医療ではなく、日本社会を感染症から守る国家防疫体制でコロナに対応している。(中略)明治以来の旧内務省・衛生警察の基本思想がそのまま生きる、通常医療とは別の枠組みからなっている。先進国では日本以外ない」(「サンデー毎日」2021年9月5日)といった記事も「裏付け」として紹介されていました。

 また、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーの出身を検証すると、(1)国立感染症研究所(感染研)は、国立予防衛生研究所(予研)と陸軍軍医学校防疫部の流れを汲み、この軍医学校防疫部から731部隊が結成されます。(2)東京大学医科学研究所は、伝染病研究所の流れを汲み、(3)国立国際医療センターは、陸軍病院の流れを汲み、(4)東京慈恵医科大学は、海軍生徒として英国に留学した高木兼寛らが創立し、海軍との関係が深かった、ということになります。まさに、人材的に、戦前と戦後は途切れたわけではなく、その歴史と系統と系譜は脈々と続いていたわけです。

 100部隊の獣医師らについては、農林省の管轄であったこともあり、戦後はほとんど公職追放されることなく無傷で、ワクチン業界に入ったり、学会に戻ったりした人も多かったといいます。後に岩手大学長になった加藤久弥や新潟大農学部長になった山口本治らの実名が挙げられていました。

 このほか、ワクチン製造会社で有名なデンカ生研は、電気化学工業(現デンカ)の子会社ですが、その前は東芝の子会社として1950年に設立され、戦前は東芝生物理化学研究所新潟支部で、もっと辿れば、1944年に設立された陸軍軍医学校新潟出張所が母体になっていたといいます。陸軍軍医学校とは、勿論、石井四郎の731細菌部隊を輩出した母体でもあります。

 次に登壇されたのが、ジャーナリストの牧久氏でした。タイトルになった「転生」ですが、私はこの本について、このブログでも昨夏、二度にわたって紹介させて頂きました。(2022年8月9日付「8月9日はソ連侵攻の日=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」と同年8月12日付「周恩来と日本=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」です。)牧氏らしく、多くの資料を渉猟して、満洲国皇帝、愛新覚羅溥儀とその実弟溥傑と日本人妻嵯峨浩を中心にした波乱万丈の生涯と満洲帝国の「真の姿」を描き切った労作です。

 今回の諜報研究会の大きなテーマになっている「新発掘」というのは、これまで散々流布されてきた「傀儡国家・偽満洲」ではなく、残された資料から、皇帝溥儀と満洲帝国の「真の姿」を炙り出したことが「新発掘」に繋がると思います。

 つまり、自己批判の回顧録として書かされた溥儀の自伝「我が半生」には、自分の都合の悪いことは書かれず、また、東京裁判で証言に立った溥儀が、自分は関東軍にピストルを突き付けられ、脅迫されて即位した皇帝で、満洲は傀儡国家だったいった趣旨の発言も虚言だったことを暴いたのです。歴史の資料というものは、100%真実が書かれているわけではないのです。

 私も、自分自身の思い込みなのか、教育でそう教え込まれたのか分かりませんが、溥儀の言う通り、満洲は傀儡国家で、皇帝溥儀には何ら自由も決定権もなく、関東軍に操られた人形に過ぎなかった、と信じておりましたが、牧氏の「転生」(小学館、2022年)を読むと、そうではなかったことが分かります。溥儀は、清朝最後の「ラスエンペラー」で、辛亥革命で退位させられたものの、実は、清朝復辟(復活)を夢見て、日本(軍)を利用しようと目論んでいたというのです。そのためにも、実弟溥傑を日本の陸軍士官学校に留学させたりします。

 また、溥儀は、満洲国皇帝に即位して、昭和10年に初来日した際、大歓迎を受け、特に貞明皇太后(昭和天皇の母)から、我が子のように手厚いもてなしを受けたことから、「自分は天皇の兄弟ではないだろうか」と大錯覚してしまうのです。満洲に帰国すると、溥儀は自ら率先して、天照大神をまつる建国神廟を建立するなど、各地に神社をたてます。これも、以前は、「日本人が強制的に満洲に無理やりに神社を建立させた」と、私自身も思い込み、「可哀想な満洲の人たち」と思っていたのですが、溥儀自らが決断したことだったことが分かりました。

 私も、牧氏が仰るように、同じように「歴史修正主義者」ではありませんが、やはり、少なくとも歴史教科書には真実を書くべきであると思っています。諸説ある場合は、違う説も並列して記述するべきです。そうすれば、学徒も間違った思い込みをしたまま、老いて一生を終えたりしないと思います。

 

観音さまは古代ペルシャの神様だったのか?

 相変わらず、植木雅俊=翻訳・解説「サンスクリット版縮訳 法華経」(角川ソフィア文庫)を読んでおります。「読む」などと書きますと、怒られるかもしれませんが、首を垂れながら、熟読玩味させて頂いております。これまで、法華経は部分訳で読んだことはありますが、この本で初めて「全体像」を把握することが出来ました。

 法華経は、本来なら、「神力品」の次に「嘱累品(ぞくるいぼん)」で完結していましたが、後世になって「陀羅尼品」から「普賢品」まで六つの章が付け足されたということも、この本で私は初めて知りました。

 翻訳された植木氏も、解説の中でさまざまな矛盾を指摘されております。例えば、最古の原始仏典「スッタニパータ」に著されているように、釈尊は占いや呪法を行ったりすることを禁止しておりました。それなのに、後世に付け加えられた「陀羅尼品」の中では、法華経信奉者を守護する各種のダーラニー(呪文)が列挙されます。

 また、同じく付け加えられた「薬王菩薩本事品」の中では「説法の場に女性がいない」と書かれていますが、本来の法華経の冒頭では、魔訶波闍波提(マハー・オウラジャーパティー)=女性出家第一号=や耶輸陀羅(ヤショーダラー)=釈迦の妃で、十大弟子の一人になった羅睺羅の母=ら何千人もの女性出家者が参列しています。植木氏の解説によると、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経のいずれにも、説法の場に女性が含まれておらず、「『無量寿経』で阿弥陀如来の極楽浄土には女性が皆無とされていることと関係があるかもしれない」(356ページ)と書かれています。

 えっ?西方極楽浄土には女性はいないんですか!? 

 翻訳・解説の植木氏は、どうも浄土教系とは距離を置いている感じで、「極楽(スカーヴァティー)世界」についても、法華経の中では、後世に付け加えられた「薬王菩薩本事品」と「観世音菩薩普門品」しか出て来ない。「何の脈絡もなく阿弥陀如来が出てきて、唐突さが否めない」(356ページ)とまで書いておられます。よほど腹に据えかねたのでしょうか?

 いつぞやもこのブログで書きましたが、お経は、お釈迦様御一人が語られたものだけでなく、多くの弟子たちが「如是我聞」ということで、書き足されたことは確かなので、私なんかそれほど目くじらを立てることもないと思ってしまいます。が、人文科学者として正しい行いであり、正確を期する意味では有難いことだと感謝しています。

 さて、これまたいつぞやにも書きましたが、釈迦入滅後の56億7000万年後に如来(仏陀)となるあの弥勒菩薩が「名声ばかり追い求める怠け者だった」と「序品」で明かされたことは衝撃的でした。あの有名な京都・太秦「広隆寺」の弥勒菩薩半跏思惟像は、個人的にも特別に尊崇の念をもって拝顔しておりましたので、少しショックでした。法華経で、弥勒菩薩の「過去」を暴かれたことについて、翻訳・解説の植木氏は「イランのミトラ神を仏教に取り入れた当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれていたので、気になって調べたら、色んなことが分かりました。

 このミトラ神とは、古代ペルシャ(イラン)の国教になったゾロアスター教の聖典「アヴェスター」に出て来るらしく、ミトラは、閻魔大王のような、人の死後の判官だったというのです。また、ゾロアスター教の創造主はアフラマズターと呼ばれ、この神が仏教では大日如来の化身となり、アフラマズダ―の娘で水の女神アナーヒターが、仏教では観音菩薩になったという説があるというのです。

 観音菩薩は、勢至菩薩とともに、阿弥陀如来の脇侍に過ぎないのですが、日本の仏教では、「観音さま」として特別に信仰が深いのです。33のお姿を持ち、全国では千手観音像や如意輪観音像や聖観音像などを御本尊としておまつりしている寺院が圧倒的に多いのです。あらゆる苦しみ、恐怖、憂いを消滅させてくれる菩薩さまだと言われております。その観音さまが、もともとはゾロアスター教のアナーヒター神だったとすると、驚くばかりです。

 また、仏教に影響を与えたバラモン教(聖典「リグヴェーダ」)の最高神ブラフマーは、仏教では梵天、ブラフマーの娘である河の女神サラスヴァティは弁財天の化身だという説もあるようです。

 バラモン教が創始されたのは紀元前1500年以降、ゾロアスター教は紀元前1400年以降、仏教は紀元前500年以降と言われているので、仏教はバラモン教(ヒンズー教)やゾロアスター教などを取り入れたことは確実ですが、とにかく、奥が深い世界です。

 (ただし、植木氏は「観世音菩薩普門品」の解説の中で、「架空の人物である観世音が、歴史上の人物である釈尊以上のものとされる本末転倒がうかがわれる」と批判されてます。)

姓名に五音が全て含まれていると良い事があるかも?

 日本の歴史上の人物で「三大英傑」と言えば、

 織田信長(1534~82)享年47歳

 豊臣秀吉(1637~98)享年61歳

 徳川家康(1543~1616)享年73歳

 の3人ということで、相場が決まっています。冠に「戦国時代の」と付くべきかもしれませんが、日本史上の「三英傑」と言えば、この3人で決定しても差し支えないでしょう。

 この3人の中で人気度で言えば、恐らく、信長が一番でしょう。続いて、秀吉、最後が家康。多分、家康は「たぬきじじい」の陰口通り、如才がない陰謀家のイメージが焼き付いているからでしょう。

 しかし、信長は、最も信頼していた家臣明智光秀に裏切られて、47歳で自刃し、天下統一一歩手前の志半ばで終わっています。

 秀吉の晩年は猜疑心の塊で、無謀な朝鮮出兵を繰り返し、秀頼に家督を譲って、末代まで豊臣政権安泰を構想しましたが、家康によって、秀吉自ら神として祀られていた豊国神社や奈良の大仏(15メートル)より大きい京都大仏(19メートル)まで破壊され、歴史上から抹殺されようとしました。

 その点、家康は、戦国の世を収めて、260年も続く徳川政権を樹立することに成功しました。治水も含め、風水に基づいた都市整備(江戸城の鬼門に寛永寺、裏鬼門に増上寺、その他、周囲に目黒、目白などの不動尊を配備)、徳川家が断絶しないよう「御三家・御三卿」の創設や「大奥」などを設置し、金地院崇伝や天海上人、三浦按針らのブレーンを側に配置して、自ら亡き後の100年後、300年後を見据えて計画しています。「長寿こそ天下取りの秘訣」を熟知していた家康は「健康おたく」で、自ら薬草園をつくって、薬を調剤するなどしていたといわれます。

 もしかしたら、後世に影響を与えた最重要人物として、たった一人を挙げよと言われれば、この徳川家康になるかもしれません。私は一票を入れます(笑)。

 さて、この徳川家康という名前ですが、実は、「とくがわ・いえやす」の発音の中に「あいうえお」と五音が全て揃っているのです。織田信長には「い」と「え」がありません。豊臣秀吉には「あ」と「う」がありません。これは、単なる姓名占いかゴロ遊びではありますが、「そっかー」なんて思ってしまいます。

 ところで、このブログ《渓流斎日乗》の主宰者は、高田信之介(たかた・しんのすけ)と言います。これは、世を忍ぶ仮の姿と言いますか、諱(本名)ではなく、筆名ですが、驚くべきことに、何と、この筆名には偶然にも「あいうえお」の五音が全て含まれていたのです。「やったー」です。

 だから、何なの?と言われてしまいそうですね(苦笑)。失礼しました~。

心の安寧を求めて法華経に学ぶ

 相変わらず、植木雅俊訳・解説のサンスクリット版縮訳「法華経」(角川ソフィア文庫)を少しずつ読み続けております。

 「はじめに」によると、「法華経」が編纂されたのは、紀元1世紀末から3世紀初めのガンダーラを含むインド西北だと考えられ、釈尊が入滅して500年も経過していたといいます。となりますと、21世紀に生きる人文科学者たちには、当然のことながら、このお経は、歴史上の実在人物である人間ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が一人で直接、本当に説法したものではなく、後世の弟子たちによって創作されたものも含まれているのではないかという疑念が生じることでしょう。

 私は、仏教を信仰する信者、信徒、門徒の人たちや僧侶に怒られるかもしれませんが、それでも構わないと思っております。いくら超天才のお釈迦様でも、万巻のお経を全て自ら独りで著すことは物理的にも無理でしょうから。お経に関しては、最初にまとめられたとされるお経は「阿含経」と言われ、小乗仏教の経典になりますが、次第に厳しい苦行を経て修行した一部の者しか成仏できず、女性が成仏できるわけがないという差別的、特権階級的宗教になってしまいました。それが、西暦紀元前後から大乗仏教運動が起こり、「般若経」を始め、「法華経」「維摩経」「阿弥陀経」など多くの経典がつくられます。それは、一言で言えば、特別な人ではなく、老若男女のあらゆる衆生が身分や階級の差別がなく成仏できるという本来釈迦が唱えた「原始仏教」に帰れといった運動でした。

 よく誤解されますが、成仏というのは、死んだ後にあの世に行って仏になるという意味ではなく、全ての人には仏になれる性質、つまり「仏性」を持っているので、本来自分自身に備わっている仏性に目覚めて、現実世界で悩みや苦しみを乗り越えて生を充実させる生き方を覚ることが成仏と言われています。特に、この「法華経」には、成仏のための方便が描かれています。訳者の植木氏によると、この方便とは、ウパーヤの漢訳で、ウパは「近くに」、アヤは「行くこと」で「接近」を意味し、英語のアクセスに当たるといいます。仏典では、衆生を覚りへと近づけるための最善の方策、という意味で使われます。

 法華経は、特に日本の仏教にも影響を与え、天台宗と日蓮宗が所依経典としています。(真言宗は紀元6世紀頃につくられた密教の「大日経」などを所依経典とし、浄土宗、浄土真宗などは、「阿弥陀経」など浄土三部経を所依経典とし、臨済宗、曹洞宗の禅宗には所依経典がないといいます。)

 実は、私は、この法華経を、ひとかけらの批判精神もなく、ただただ盲目的に信じて一言一句を読みながら、脳裏に焼き付けているわけではなく、取り敢えず、初めて遭遇する専門的な仏教用語に悪戦苦闘しながら、読み続けております。それでも、植木氏の翻訳と解説が大変分かりやすいので、本当に読み易くて助かっております。(私が購入した本は、2022年11月25日発行で、何と16刷です。かなり多くの人が「法華経」を求めていることが分かります)

 さて、やっと本文に入ります。第7章の「化城喩品(けじょうゆぼん)」には、16人の王子たちが、この上もなく正しい覚りを得て仏陀(如来)になった様が描かれています(140~141ページ)。何処に、どなた様がいらっしゃるかと言いますとー。

【東】歓喜の世界

(1)阿閦(あしゅく)如来

(2)須弥頂如来

【東南】

(3)獅子音如来

(4)獅子相如来

【南】

(5)虚空住如来

(6)常滅如来

【西南】

(7)帝相(たいそう)如来=インドラ神の旗を持つ

(8)梵相如来=ブラフマー神の旗を持つ

【西】

(9)阿弥陀如来

(10)度一切世間苦悩如来

【西北】

(11)多摩羅跋栴檀香神通(たまらばつせんだんこうじんつう)如来

(12)須弥相如来

【北】

(13)雲自在如来

(14)雲自在王如来

【東北】

(15)壊一切世間怖畏(えいっさいせけんふい)如来

【中央】娑婆(しゃば)世界

(16)釈迦牟尼如来

 やはり、法華経でも、西方の極楽浄土にいらっしゃるのは阿弥陀如来だったことが説かれています。そして、お釈迦さまがいらっしゃるのは、中央の娑婆世界だったとは! 娑婆とは、刑務所用語かと思っていました。いや、訂正して撤回致します。これは、これは、罰当たりなことを申して大変失礼致しました!

 この如来様の配置図で、法華経が分かったつもりになって安心していたら、第15章の如来寿量品(第十六)の植木氏の解説(273ページ)を読むと「あっ」と驚くことが書かれていました。

  歴史的に実在した人物は釈尊のみであった。「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのだ」という西洋の言葉と同様に、釈尊以外の仏・菩薩は人間が考え出した架空の人物である。 

 えっ!? 本当なのでしょうか? もし、そうなら、釈迦如来の脇侍である文殊菩薩も普賢菩薩も架空だということなのでしょうか? 特に、「智慧第一」の文殊菩薩は、釈迦の弟子マンジュシリーの名で、この法華経にも何度も登場しますが…。

 その一方、弥勒菩薩は、釈尊入滅後の56億7000年後に現れる未来仏と言われていますが、こちらは、どうも、実在するとは思えません。何故なら、地球が誕生して46億年しか経っていないこと、そして、太陽の寿命から、地球の寿命もあと50億年しかもたないことを現代人は知ってしまっているからです。

 それに、法華経序品で描かれるマイトレーヤ(弥勒)菩薩は、意外にも、心もとない菩薩として描かれていて驚いてしまいました。つまり、弥勒菩薩の過去は、名声ばかりを追い求めて、怠け者だったというのです。植木氏の解説では、「これは、歴史上の人物である釈尊を差し置いて、イランのミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたマイトレーヤ菩薩を待望する当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれています。古代ペルシャ(イラン)の宗教の中にはゾロアスター教も含まれています。ゾロアスターとは、ニーチェの言う「ツァラトゥストラ」です。

 なるほど、そういうことでしたか。仏教は、今から2500年前に、ジャイナ教やバラモン教などの影響を受けながらお釈迦さまによって創始されましたが、その後、ゾロアスター教やヒンズー教(密教)を取り入れて変容していきました。色んな経典が出来たのも、そのためなのではないかと思われます。

 法華経は、日本人が最も影響を受けた経典の一つであることは間違いなく、私自身は、先人に倣って、謙虚に学んでいきたいと思っております。

 それなのに、仏教が生まれた本国インドでは、仏教は下火となり、厳しいカースト制度のあるヒンズー教が現在、優勢になっているのはどうしてなのか? 人間とは差別、身分社会こそが本来の姿なのか? 格差がないと、観光資源になるような文化は生まれて来ないのか? 仏教はあまりにも平等思想を吹き込み過ぎたのか? 仏教の説く覚りは、やはり、煩悩凡夫では無理で、次第に人々の心から離れて行ってしまったのか? そもそも、人類にとって、救済とは何か?ーまあ、色々と考えさせられながら、今、法華経を読んでおります。