東京最古の居酒屋と言われる「神田みますや」に侵入しました

 本日は珍しく二日酔いです。

 東京で最古の居酒屋と言われる「神田みますや」に、死ぬ前にどうしても行きたくて、旧い友人と1カ月も前に一緒に行ってもらうことを約束して、昨晩やっと実現したのでした。

 神田みますや。明治38年(1905年)創業です。明治38年と言えば、「三八式歩兵銃」ですから、日露戦争が終結した年です。当時の神田司町は、どんな街だったのかよく知りませんけど、江戸中期以降、武家屋敷ではなく町家だったので、明治以降も商人と職人の街だったことでしょう。100年前の関東大震災では「みますや」の建物は焼失しましたが、昭和3年(1928年)に再建され、先の大戦での戦災は、「バケツリレー」で逃れることが出来たようです。だから今ある建物は風格があるんですね。

神田みますや

 昨晩は予約なしで行ったら、「満員」で断られてしまい、仕方ないので、その場で予約したら、「お二人さんが揃ってからご案内します」と言われてしまいました。旧友は30分ほど遅れるという話だったで、あっちゃまあ、としょげていたら、何てことはない、すぐ「隠れ座敷」の端っこに入れてくれました。

 まずはタコ酢、里芋、焼き鳥、魚フライ、コハダ、牛煮込みなど色々と肴を注文して一人でビールを飲みながら、人間観察していました。殆どのお客さんは予約客でしたが、中には勝手に座敷に座り込む輩もいて、店の人に「そこは予約席ですから」と注意されたりしてました。こちらは、座れただけでもラッキーだと身に染みました。

 やがて、旧友がやって来て、こっちが苦労して席を確保したというのに、「へーそー。俺は昔来た時、予約なしで簡単に入れたけどなあ」と馬耳東風でした。でも、彼は「日本酒博士」ですから、「貴」(山口)、「南部美人」(岩手)、「出羽桜」(山形)など、今まで知らなかった美味しい地酒を色々と注文してくれて、話も弾み、お蔭で、翌日の二日酔いと相成ったわけでした。

 ヒトは何故、酒を呑むのかー? 今読んでいる「運動脳」(サンマーク出版)の中で、著者のアンデシュ・ハンセン氏は「アルコールには、ストレス反応を即座に抑えつける強力な作用がある。実のところ、ストレスや不安を緩和するという点で、アルコールに匹敵する物質はないと言っていい。」とまで断言していたので、大いに納得してしまい、痛飲してしまいました(笑)。ただし、ハンセン氏は、アルコールには依存性があるので過度の飲酒には注意することは書き添えておりましたが。それに、痛飲には翌日にきつい二日酔いが待っていますからね。

神田

 いずれにせよ、死ぬまでに行きたかった東京・最古の居酒屋「神田みますや」で呑むことが出来、本望で御座いました。また次、行く機会があれば、今度はちゃんと予約して行くつもりです。

 みますやは、地下鉄の小川町駅か淡路町駅が一番近いのですが、私はJR神田駅から迷いつつ歩いて行きました。淡路町と言えば、昔、この辺りに「YMCA会館」があり、もう半世紀近い大昔ですが、今の会社の入社試験がここで行われたことを覚えております。今はもうこのYMCA会館は取り壊されてなくなってしまいましたが、この辺りの土地や風土に何か縁を感じていました。私がみますやに行きたかったのも、みますやが私を呼んでくれたような気がします。

 そんな個人的な理由なのに、わざわざ付き合ってくれた旧友には感謝です。彼は、IT通でもあるので、iPhoneのiCloudや容量ストレージなどについて、色々と教えてもらいました。そろそろ、5年ぶりにiPhoneを新機種に換えようと思っているので、参考になりました。

 

ストレスや不安障害を緩和したければ、運動しなさい=アンデシュ・ハンセン著「運動脳」

  自分でブログを書いておきながら、他人様のブログは読みません。が、たまあに、検索していたら、他人様のブログに当たることがあります。大変よく書けているのですが、驚きべきことに、写真ですが、本物のルノワールの絵画や歴史的著名人の肖像をそのまま張り付けられていたりします。もしくは、フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第9番の貴重なフィルム動画を堂々と掲載してたりします。こうなると、書いているブログの内容も如何にも「本物」らしく見えますが、参考文献すら書かれていません。そういうブログに限って、書いている御本人は無名の市井の民だったりしますから、恐らく、ネット上にあった写真を無断で拝借されたんでしょう。著作権は大丈夫なのかなあ、と心配になります。

 私は経験上、ピカソやマチスともなると、新聞掲載に際して、会社が高額な著作権料を支払ったことがありますので、たとえ個人的ブログとはいえ、ネットから無断拝借することなんて怖くて出来ません。後で莫大な著作権料を請求されかねませんからね。

イタリアン食堂「築地のら」

 だから、私のブログの写真は、他愛のないランチの写真が多いのですが、変な景色とか風景も多いのです。なるべく、人間の写真は、載せません。後で、「肖像権」を主張されたりしたら困るので、御案内通り、ハッキリ写った人間写真は、掲載しないことにしております。

 だから、このブログは本物らしく見えないのかあ!

 本日は前書きが長くなりましたが、相変わらず、乱読しております。図書館に予約していた本が1年ぐらいしてやっと届いたからです。アンデシュ・ハンセン著、御舩由美子訳「運動脳」(サンマーク出版)です。実は、私はベストセラー本に関して、買わずに図書館で借りる主義なのです。余程面白かったら、後で購入します。ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」(河出書房新社)なんかその例です。あまりにも面白かったので、ハラリ著「ホモ・デウス」、「21世紀の人類のための21の思考」まで次々と購入してしまいました。

 おっと、「運動脳」の話でした。世界的ベストセラーになるはずです。寝食を忘れて読みたくなるほど実に面白い本です。図書館から借りて、1日(数時間)でもう半分以上読んでしまいました。

 この本に書かれている精神科医の著者が主張することは、たった一言で言い表すことができます。

 ストレスや不安障害を緩和したければ、運動しなさい。

 運動とは、筋力トレーニングでも散歩でも何でも良いのですが、一番効果的な運動は、ウォーキングよりもランニングや水泳などちょっと負荷の掛かる有酸素運動です。その理由については、この本を読めば分かります。はい、お仕舞い。

 えっ?少しぐらい教えてほしいですか? 駄目ですねえ、ズルしちゃあ(笑)。でも、ちょっとだけ、引用しませう。

銀座

 古代、人類がサバンナに進出し以来、人類は絶えずライオンなどの捕食者から襲われないか、警戒しなければ生き延びることができなくなりました。その遺伝子が現代人にも受け継がれてストレスや不安を敏感に感じやすい体質になっているというのです。そんなストレスによる過剰反応を抑制する働きをするのが脳の海馬や前頭葉や扁桃体といった部位なのですが、それらの部位は強度のストレスによって萎縮してしまうことがあります。でも、前頭葉や扁桃体は運動によって鍛えることが出来、運動すればするほど、ストレスに強くなれる、というのです。

 著者はこの点について、身体を動かすことによって、心拍数や血圧が上がっても、それは不安やパニックの前触れではなく、良い気分をもたらしてくれるものだと運動が脳に教え込むことだ、と説明しています。

 このほか、長時間座りぱなしだと集中力が損なわれるだけでなく、不安やうつになりやすくなる。さらに認知機能も損なわれて頭の回転が遅くなる、と著者は主張しております。いずれも、「人体実験」や科学的根拠も含めて説明されていますから、日ごろからストレスや不安障害に悩まされている私なんか感服してしまうのです。そっかあ、運動すれば良いのかあ!と。

 御舩氏の翻訳も大変読みやすいです。

青柳いづみこ著「パリの音楽サロンーペルエポックから狂乱の時代まで」を読んで興奮しています

 個人的なお話ながら、私の大学の卒論のテーマが「印象派」だったため、どうしても19世紀から20世紀にかけてのフランス文化からの桎梏から抜けきれません。

 卒論は「二人のクロード」というタイトルで、美術界の印象派を代表するクロード・モネと音楽界を代表するクロード・ドビュッシーの二人にスポットライトを当てて、何故、印象派なるものが当時席捲したのか、その時代的背景や思想等も含めて分析したつもりなのですが、今から読み返せば、まるで小学生以下の作文です。

 今、青柳いづみこ著「パリの音楽サロンーペルエポックから狂乱の時代まで」(岩波新書、2023年7月20日初版)を読んでいますが、この本を読むと、改めてその思いを強くしました。著者は、ドビュッシー演奏では第一人者の世界的なピアニストですが、講談社エッセイ賞を受賞するなど文にも秀でたいわゆる両刀使いの才人です。実に本当によく文献を調べ尽くしておられます。

 時代は、ナポレオン三世の第二帝政から普仏戦争での敗北~パリ・コミューンを経て、第三共和政に移行した激動期です。この時代なら、フランス語を少しは齧ったことがある人なら誰でも、画家のモネと音楽家のドビュッシー以外なら、ヴェルレーヌやランボー、ボードレール、マラルメといった詩人を挙げることでしょう。もしくは、フロベールやゾラといった小説家か。そんな時代でもいわゆるブルジョワ階級の貴族が健在で、特に暇を持て余した?公爵夫人、伯爵夫人たちが自宅を開放して、芸術家(の卵も)を招いて夜な夜な怪しげなパーティーを開き、そんなサロンから巣立って世界的にも有名になった詩人、音楽家、画家、小説家は数多に及ぶといった史実は、さすがに私でも知っておりましたが、誰が具体的にどんなサロンに参加して、参加した人たち同士はどんなつながりがあったのか?ーつまり複雑な人物相関図までは知りませんでした、と告白しておきます。

 著者は、数多いるサロンの主宰者の中で、まずニナ・ド・ヴィヤール夫人(1843~84年)を取り上げております。勿論、恥ずかしながら、私自身すっかり忘れておりましたが、この方、「フィガロ」紙の記者エクトール・ド・カイヤス伯爵と結婚し、夫の金利と父親の資産で何不自由のない生活を送っていましたが、ほどなく別居してサロンを開きました。彼女を慕って集まったのが、反体制ジャーナリストや詩人、画家、音楽家らの芸術家です。彼女自身も詩人で、バッハ、ベートーヴェンらを得意とするピアニストでもありました。

 彼女の男性遍歴は「公然の秘密」で、ステファヌ・マラルメが夢中になり、ヴィリエ・ド・リラダンは生涯の友、アナトール・フランスは愛人でした。この3人は、特に有名ですが、他に親しい関係があった人物に医師で画家で科学者のシャルル・クロ、シャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリー、画家のフラン・ラミ、ジャーナリストで作家のエドモン・バジールらがいます。この他、サロンに参加した人の名前が多く出て来ますが、私が知っているのは、詩人のポール・ヴェルレーヌとヴェルレーヌとランボーの共通の友人だった知る人ぞ知る詩人のジェルマン・ヌーヴォーと、小説家のギイ・ド・モーパッサンぐらいでした。また、エドワール・マネが彼女をモデルに「団扇と婦人」という絵を描いています。(ヴィヤール夫人は1884年、41歳の若さで精神科病院で死去します。)

 さて、この中で、長年、名前は知っていても「人物相関図」がなかなか分からなった人物がこの本を手掛かりにやっと分かりました。鍵を握っていたのが、サロンに頻繁に通って、ヴィヤール夫人とも昵懇だったシャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリーでした。このシヴリーとサロンで知り合ったのか、その前からの友人だったのか分かりませんが、有名な詩人ポール・ヴェルレーヌがいます。ヴェルレーヌは、このシヴリーの妹マチルドと結婚します。そして、新婚早々の二人の家庭生活をめちゃくちゃにして破壊したのが、シャルルヴィルの田舎からパリに出て来たばかりの17歳の少年アルチュール・ランボーだというのは、皆さん、御案内の通りです。

Asoukayama

 ここまではよく知られていることですが、何とドビュッシーが登場します。9歳のドビュッシーにピアノを教えてパリ音楽院に合格するほどまで手ほどきをしたのがモーテ夫人で、彼女は一説にはショパンの門下生と言われていますが、シャルル・ド・シヴリーの母親だったのです。経緯はこうなります。

 普仏戦争の末期、ドビュッシーの父親は志願して国民軍に入隊しますが、国民軍は敗北して、サトリ―の監獄に収監されます。同時にシャルル・ド・シヴリーもパリ・コミューンに巻き込まれて同じサトリー監獄に送り込まれます。ここで二人は知り合い、ドビュッシーの父親は音感の良い自分の息子の音楽の教育について、シヴリーに相談します。それなら自分の母親はピアノ教師だから、どうか、と提案したようです。こうして、9歳のドビュッシーが、モーテ夫人の下を訪れたのは1871年秋のことでした。詩人ランボーがパリに上京し、ヴェルレーヌ宅、つまりは、モーテ夫人宅に居候したのが1871年9月中旬で、乱暴狼藉を働いたかどで追い出されたのが1カ月後の10月中旬か下旬だったといいます。となると、ドビュッシーがランボーに会ったか見た可能性は微妙ですが、ゼロではない気がします。ランボーは1891年に37歳の若さで亡くなり、ドビュッシーは20世紀初頭に活躍した印象があったので、2人が同時代人で、パリ市内の何処かですれ違っていたかもしれない、と思うとちょっと興奮しますね。

Asoukayama

 もう一人だけ、取り上げたいのは、サロン主宰者のヴィヤール夫人の愛人だったシャルル・クロです。この忘れられた天才、もしくは歴史から抹殺された天才の偉業は、この本では「第2章 シャルル・クロ」と章立てされて詳細されています。サロンには医者であるアンリとともに、パリ大学の医学部学生時代から参加し、詩人であり、画家であり、科学者でもあった人です。ヴェルレーヌとは親友で、ランボーが上京した際、最初に面倒を見たのがシャルル・クロだったというのに、ヴェルレーヌは「呪われた詩人」のラインアップの中にクロの名前を無視して入れませんでした。いわゆるヴェルレーヌ=ランボー事件でのわだかまりが、ヴェルレーヌにはあったようでした。

 他に、科学者としてのクロの不幸はまだあります。1867年末、フランスの科学アカデミーに「色彩、形体、運動の記録と再生の修法」という論文を送り、カラー写真に関する「三色写真法」に発展しましたが、わずが2日の差で他人に先を越されてしまいます。

 また、1877年4月、現在のレコードとほぼ変わらないディスク式の「パレオフォン」と名付けた蓄音機の原理の論文を科学アカデミーに送付し、この時点で米国のエジソンに半年先んじていましたが、特許を取るのはエジソンの「フォノグラム」の方が先でした。

 実についていない人、と言わざるを得ませんね。

「状態の共存」と「量子のもつれ」を利用した量子コンピューター=Newton別冊「知識ゼロから理解できる 量子論の世界」

  ついに、と言いますか、やっとNewton別冊「知識ゼロから理解できる 量子論の世界」(ニュートンプレス)を読了しました。熟読玩味といった感じで味わいました(笑)。

 以前にもこのブログに書きましたが、私にとって、量子論というものは全く「未知の世界」でした。学生時代にほとんど習ったことがなく、現代の理論物理学では、この量子論が相対性理論と並ぶ最も重要な学問分野にまで「発展」していることも全く知りませんでした。

 量子論の発達のお蔭で、メンデレーエフが発見した化学の周期表の原理と意味が見事に解明されて「量子化学」(パウリの排他律など)となり、生命科学を証明する「量子生物学」(渡り鳥の地磁気探知や光合成)に発展し、量子論の主要セオリーである「量子力学」が量子コンピューターを生み出したと言えます。この量子コンピューターについては、この記事の最後にまた書きます。

 前回ブログに書いたことですが、量子とは、粒子と波の性質を併せ持ったミクロな物質のことで、物質をつくっている原子や、その原子を形作っている電子と原子核(陽子と中性子で構成)が代表的なものです。光を粒子として見たときの光子やニュートリノやクォーク、ヒッグス粒子などの素粒子も量子に含まれます。

 原子の大きさは1000万分の1ミリ、原子核の大きさは1億分の1ミリだと言われ、手に取って見られるわけではないことから、量子論とは理論的に導き出された超ミクロの世界の法則と言えます。

 そのため、マクロの世界に生きている我々には想像も出来ないことが起きます。それは、前回のブログでも書きましたが、量子論を理解するカギとなる「波と粒子の二面性」と並ぶもう一つの重要項目である「状態の共存」です。状態の共存に関して、私は専門家ではないので、うまく解釈できなかったのですが、「一つの物体が同じ時刻に複数の場所に存在できる」という理論です。仮想的な箱の中に、ミクロの電子が観測後に左側にあることが結果的に分かったとしても、「もともと電子が左側にあった」わけではなく、「左右両方に共存する状態」が観測によって「左側に存在する状態」に変化したと捉えるのです。この理論から「シュレーディンガーのネコ」という思考実験が派生し、「量子のもつれ」という現象も実証されるようになりました。

 この「量子のもつれ」は、アインシュタインが晩年に量子論の不完全さを指摘し、不気味な遠隔作用とみなしていた不可思議な連動現象が1980年代に実験で証明されたことから脚光を浴びるようになりました。それは、瞬時に影響が遠方に伝わっているのではなく、二つの電子の状態がセットで決まっており、つまり、量子がもつれて個別に決められていないことが分かったというのです。ま、この文章で即理解することは難しいのですが、私はそのまま受け入れることに致しました。

 さらに、この「量子のもつれ」の解明によって、量子コンピューターや量子情報理論の発展につながります。光を用いた量子のもつれ実験で量子力学の実験を行い、「量子情報科学」という分野を切り開いた仏、米、墺の3人の研究者に2022年度のノーベル物理学賞が授与されましたから、まさに「最先端の科学」として認知されたわけです。

 この本の後半では「量子コンピューター」についてページが大半費やされています。2019年、米グーグル社の量子コンピューターが、既存のスパコンが解くのに1万年かかった問題を200秒で解き、「量子コンピューターがスパコンを超えた」と大きな話題になりました。でも、よく読んでいくと、この問題というのは「ランダム量子回路サンプリング」と呼ばれるもので、我々の生活に有用で実用的な問題ではなく、スパコンもその後、この問題の研究が進んで5分で解くことが可能になったといいます。つまるところ、量子コンピューターはまだ一般的に実用段階ではないものの、今後10年で既存コンピューターが実行できないタスクを実行できるようになる、と専門家は予想しています。

 そもそも、既存のコンピューターと量子コンピューターとでは基本のOSが全く違います。既存コンピューターは「0」と「1」の世界ですが、量子コンピューターのデータの最小単位は「量子ビット」と呼ばれ、量子の持つ「状態の共存」の性質と「量子のもつれ」から「0でも1でもある」不思議な状態だというのです。これにより、量子コンピューターは既存コンピューターより桁違いの情報量を処理することが出来るというのです。スパコンでも10億年以上かかると見積もられている617桁の素因数分解も、量子コンピューターなら、まだ時間がかかりますが、10年以内には瞬く間にやってのけると予想されています。この617桁の素因数は目下、「暗号方式」に採用されていますから、量子コンピューター時代になると、困ったことにまたイタチごっごが始まるということなのでしょうね。

 いやはや、量子論のお蔭で、またまた大変な時代がやって来ることをこの本で知りました。

好きな上野で「京都・南山城の仏像」展

 本日は木曜日でしたが、会社を休んで上野に行って来ました。上野は東京で2番目に好きな所です。1番目は? それは勿論、神田神保町です。古書店の街ですが、三省堂、東京堂など新刊書店も多くあり、何よりも安くて美味しい隠れたグルメの街でもあります。

 3番目に好きな東京は、神宮外苑の銀杏並木道ですが、どうやら、この「外苑の森」が伐採されるという話が進んでいるようですね。亡くなった坂本龍一教授も、再開発に大反対で、小池都知事に中止するよう手紙まで送付したらしいというのに。大都会東京のど真ん中で、あそこほど心休まる所は他にありません。銀杏並木だけは残す計画もあるようですが、もしこのまま強行されれば、小池百合子さんは「神宮外苑の森の伐採を認可した都知事」として歴史に名を残すことでしょう。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 さて、上野に行ったのは、目下、東京国立博物館で開催中の「京都・南山城の仏像」展を拝観するためでした。自他ともに「仏像好き」を自称する私ですが、さすがに南山城(なんざんじょう、ではなく、みなみやましろ)の寺院にまで足を延ばしたことはありませんでしたからね。南山城とは京都府の南端で奈良県に近い地域で、住所で言えば、木津川市とか宇治田原町などがあります。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 会場は、本館の「特別5室」が当てがわれ、いずれも京都・浄瑠璃寺(木津川市)蔵の「阿弥陀如来坐像」「多聞天立像」「広目天立像」の3点の国宝を含む18体の仏像(うち12体もが重要文化財)が展示されていました。

 しかし、「えっ?これだけ??」というのが正直な感想でした。「国宝3体、重文12体もあれば十分でしょ!」と主催者の日経新聞社には言われてしまいそうですが、もし、これが仏像ではなく、そして、有難みもなく、ただの彫刻として眺めただけでしたら、長くても5分で「見学」を終えてしまいます(笑)。こ、こ、これで、入場料は1500円もするんですからねえ。高いでしょう? 奥さま~、そう思いませんこと? 

 あっという間に「出口」になってしまったので、私なんか、慌てて5秒間で入り口方面に戻って、再度、拝観したほどでした。それほど狭い「特別5室」でした。

上野・東京国立博物館

 今回、「十一面観音菩薩像」が3体展示(京都・禅定寺など)されておりましたが、いずれも後頭部の真後ろにあしらわれた「面」が「大笑い」の観音菩薩であることが、パネルでも解説されていました。十一面もありますから、大衆を教化するため忿怒の表情の観音菩薩もありますが、この「大笑い」の面だけ突出していて、改めて仏像の魅力に染まってしまいました。

 会場を何気なく見回すと、平日だからかもしれませんが、どうも日本人が少ない気がしました。7割近くは、どう見ても外国人観光客でした。コーカサス系だけでなく、東南アジアやインド系、勿論、中国、韓国系の人もです。そう言えば、私も海外に行けば、必ず、博物館や美術館に足を運びますからね。ガイドブック等で上野の博物館・美術館が紹介されているということなのでしょう。まさに、「世界に誇れる上野」です。

 でも、私は歴史好きなので、「この博物館はねえ、江戸時代は、東叡山寛永寺の本堂があった所だったんですよ。今の上野公園と言われている敷地は全て、寛永寺の敷地で、幕末には彰義隊が最後まで新政府軍に抵抗してここで戦ったんですよ」と外国人観光客に蘊蓄を垂れたくなりました(笑)。

上野・東博・常設展

 私はせっかちな性格で、「京都・南山城の仏像」展はわずか20分程で鑑賞し終えてしまいましたので、同じ本館の常設展も駆け足で見て回りました。

 やはり、ここでも、絵画ではなく、彫刻、特に仏像彫刻ばかり注目して観てしまいました。

 やはり、(ともう一度書きますが)仏像を拝観すると心が落ち着き、心が洗われる思いがします。仕事や人間関係で疲れた皆様にもお薦めですよ。出来れば、その前に、仏像の基礎知識を頭に入れて行かれれば鑑賞の醍醐味も倍増します。例えば、四天王の北の一角「多聞天」は、独尊としてまつられると「毘沙門天」と呼ばれます。この毘沙門天とは、インドの財宝神クベーラの前身で、「ヴァイシュラヴァナ」という別名を持っていました。この「ヴァイシュラヴァナ」はサンスクリット語で「よく聞く」と意味することから、中国語で「多聞天」と訳されたといいます。 

生蕎麦「吉祥」クルミせいろソバ1170円

 また、五大明王の中心となる不動明王立像(京都・神童寺蔵)が展示されていましたが、この不動明王とは、密教の大日如来の化身と言われています。煩悩多き救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をし、光背は怒りの炎がメラメラと燃え上がっているわけです。

 えっ?それぐらい御存知でしたか? 失敬、失敬。

「ジャニーズ問題」について、ワシも考へた

 私は某マスコミで、もう20年以上昔の話ですが、10年近く芸能担当記者をしたことがありますので、今年一番のスキャンダルになっている「ジャニーズ問題」について、何か、一家言を持たないと言えばウソになります。ただ、あまりにも正直なことを書いて、このブログが炎上したくはないし、端(はな)からガーシー元議員のように目立ちたくもありません。あくまでも、低姿勢 keep low profile で、このブログも長く続けられたら、と思っているからです。

 最初にお断りしなければならないことは、事件の核心部分である故ジャニ―喜多川氏による10代の少年に対する性虐待の現場を見たわけではないのですが、当時、記者の間でも噂として広まっていたという事実があります。しかも、誰も糾弾しようと、取材しようとした芸能記者は皆無で、「芸能界とはそういうもの」という暗黙の了解が蔓延っていました。

 「芸能界とはそういうもの」とは、端的に言いますと、芸能プロダクションの「社長」さんの中には小指がなかったり、裏社会とのつながりを暗示するような「空気」もありました。日本の芸能史は、白拍子や角兵衛獅子や瞽女など差別された人たちによる伝統芸能から始まり、歌や踊りや芝居興行は、既に江戸時代には「地回りの顔役」がいて全国興行のシステムも確立していたという説もあります。これ以上書くと何かと差し障りがありますので、やめておきます(苦笑)。

 兎に角、芸能界は、その華やかさで目を奪われるため、その裏か内部で関わったか、取材したことがある人でないとなかなか実体が分からないと思います。ジャニーズ問題が大きくなって、「見て見ぬふりをしてきた」テレビ局のプロデューサーらがつるしあげになっている風潮に今はなっていますが、彼らは特別なことをしたわけではなく、同じ地位に就いた人なら誰でも、恐らく100人中100人、見て見ぬふりをしてジャニーズ事務所のタレントを使っていたはずです。経済団体のお偉方さんたちは、自分たちが火の粉を浴びたくないものだから、眼をむいて、「児童虐待」をアピールしながら、スポンサーからの撤退を次々と表明していますが、私から言わせれば同じ穴のムジナです。財界人のお偉方の人なら、ジャニー喜多川氏の噂を知らなかった、と言える人はいないんじゃないでしょうか。それぐらい噂は広まっていましたから。

 何しろ、私がジャニ―喜多川氏の「噂」を知ったのは、1970年代で、まだ私が中学生か高校生の頃でした。当時、人気絶頂だったフォーリーブスの北公次さんが週刊誌などで盛んに「暴露」していたのです。経団連の十倉雅和会長(73)も経済同友会の新浪剛史代表理事(64)も私と同世代ですから、知らなかったはずはないと思っています。

 そこで、一家言を持ちたいのですが、確かにジャニ―喜多川氏の蛮行は、事務所の新社長に就いた東山紀之氏が言うように「鬼畜の所業」であることは間違いありません。そういう意味で被害に遭われた方には一刻も早く救済の手を差し伸べてあげてもらいたいものです。ジャニ―喜多川氏は、人間の功罪で言えば、「罪」の方が遥かに大きかった人でした。

 しかし、「功」がゼロかと言えばそうではありません。彼しか持ちえない独特の美意識と観念が、「売れる」タレントを発掘する才能として開花したことは間違いないからです。彼がスターに育て上げたタレントは、5人や10人ではなく、何十人、何百人です。これと比例するかのように、性被害に遭った少年たちの数も5人や10人ではなく、何百人にも及びました。確かにおぞましい事件ではありますが、独特の美意識を持った彼だからこそ犯した罪であり、タレント発掘の能力とは表裏一体です。

 別に、ジャニ―喜多川氏の肩を持って肯定するわけではありませんが、彼だからこそ発掘できたタレント集団でした。彼のお蔭で世に出て、たっぷり恩恵を受けた人もいました。彼亡き後は、これまでのスターと比べると格が落ちるのではないかと思っています。

 何と言っても、日本の芸能界は「事務所」が力を持ちます。やれ、人気が出たということで「独立」したりすると、テレビ出演をほされたり、邪魔されたりすることは多くの人の耳に入っていると思います。だから、大スターになっても多くのスターは事務所を辞めないのです。「平成の小早川秀秋」と言われた木村拓哉さんもジャニーズ事務所を辞めなかったし、日本で一番売れていると言われる明石家さんまも吉本興業を辞めることなど一度も考えたことはないんじゃないでしょうか。

 逆に言うと、「何でこんなつまらないタレントが売れてるのか?」と思って、調べてみたら、必ずと言っていいぐらいそのタレントは、芸能界を牛耳っている大手事務所に所属しているのです。テレビ局というものは、長屋の大家さんみたいなもんで、空いた時間帯を番組制作会社や大手の芸能事務所に丸投げして売っているようなものなのです。だから、まさに媒体であり、権限も、思われているほどないのです。

 でも、芸能界について、あまり知り過ぎると、つまらなくなりますよ。むしろ、何も知らないで、キャーキャー言って騒いでいた方が幸せですよ。

必ず貴方も行く店「フーターズ」

 先日、私は、銀座ランチが楽しみで会社に行っているようなものだ、といったことをこのブログに書いてしまいました。そう、銀座ランチとは私にとって、金科玉条のようなものなのです。んっ? ちょっと違うか。まあ、大袈裟に言えば、銀座ランチは私の人生の愉しみであることは確かなのです。

 それが、最近、夏バテ気味なのか食欲がめっきり落ちてしまい、「これが食べたい!」というものがなかなか見つかりません。食べても、少し無理している感じで、正直、それほど美味しくないのです。贅沢ですね。腹ペコだと何を食べても美味しいですからね(笑)。

 本日も、それほどお腹が空いていなかったので、どうしようかと思いつつ、こういう時こそ、アメリカの国民食ハンバーガーにすることにしました。ハンバーガーと言っても、皆さんが行かれるような「M」ではありませんよ。あそこは、ビッグマックでも(あ、言っちゃったあ!)数百円で食べられますけど、目指すは本格派のハンバーガー店です。中には、ハンバーガーが一つ2000円ぐらいしますんですよ、はい。私も以前、新富町の「ブラザーズ」という専門店に行きましたが、やはり、1500円ぐらいして目の玉が飛び出ました。

 さて、本日行った所は、銀座ナインにある「フーターズ」というハンバーガー専門店です。人から教えてもらったわけではなく、ネットで「評判のお店」ということで初めて行ってみたのでした。恐らく、本場アメリカが本社の店だという認識ぐらいしかありませんでした。

 店内に入ると、結構広く、テレビがあちこちに設置され、スポーツバーといった感じでした(事実そうでした)。評判の店だというのに、見たところ、お客さんは、日本人が少なく、米国人の観光客ばかりでした。日本人がニューヨークに行けば、「スシロー」か何かに入るような気分なのでしょう(笑)。それこそ、フーターズを知らない米国人はいないんじゃないでしょうか。

 そして、もしかして、知らぬのは私だけだったのかもしれません。最初に、ウエイトレスさんの格好に度肝を抜かれつつ、わざと冷静さを装いました。真昼間なのに、露出度が半端じゃないのですよ。公序良俗にギリギリ反しない、といったところでしょうか。しかも、一人は若いハーフのモデルさんのような超美人さんで、抜群のプロポーションです。自然と突出部分が目に入ってしまいます。

 これを読んだ貴方は、今度、絶対、フーターズに行きますよね! 私が保証します(笑)。

「HOOTERS GINZA」フーターズ・バーガー1100円、ランチドリンクのジンジャーエール150円=1250円 ケチャップとマスタードを付けて召し上がれ!

 私も、もう一回ぐらい行くと思うので(爆笑)、初回は、当たり障りなく、ハンバーガーとジンジャーエールを注文しました。1250円也。ジンジャーエールは米国仕込みで特大でした(笑)。

 待っている間、店内を見回すと、店名の「HOOTERS」の下に「Best breasts and wings in town」と書かれていました。中学生程度の英単語なのですが、どうも意味が分からないのです。breasts は胸ですが、胸肉という意味もあります。wingsは、翼や羽根という意味ですが、政党の派という意味もあります。

 うーん、分からん。意味を取るのは諦めて、会社に戻りました。そして、腹いせにパソコンで検索してみました。そしたら、HOOTERSとは、俗語で胸(おっぱい)という意味だったんですね。看板のフクロウの目に当たるところが、その胸に当たり、露出度が高い「制服」を着たフーターズガール(ウエイトレス)を客が目をキョロキョロさせて見ることから、店名に付けられたようです。

 なあんだ、最初から「下心」のお店だったんですね。やっぱり、銀座は広いし凄い。未だにランチに行ったこともない、聞いたこともない店ばかりです。

 でも、これで貴方も、絶対に「フーターズ」には行きますよね。人類の愛と平和のために(笑)。

【追記】

「Best breasts and wings in town」の意味は微かに分かりましたが、Facebookは、東京外国語大学卒の優秀な友人が多いので、またまた敢えてfacebookに投稿しました。

 どなたかご教授を!

多宝塔が身近にあったので吃驚=真言宗智山派の円乗院

 昨日は半年ぶりぐらいで東久留米の実家に行って来ましたが、9月の半ばだというのに強烈な残暑というより猛暑で、駅から実家まで歩いたら釜茹で状態でした。ちょっとあまりにもの異常気象で、このままでは人類も地球に住めなくなるんじゃないかという嫌な予感がしてきました。地球物理学では、それは20億年後ですが、もっと早まるのではないでしょうか。

円乗院

 ところで、私の趣味は、皆様にはバレておりますが、世界の城巡りと神社仏閣巡りです。あと温泉巡りですかね(笑)。暇さえあれば色々と行きたいのですが、今年の夏の暑さは異常でしたので、途中で熱中症になって周囲に迷惑をかけたくないということで、自重しておりました。

円乗院

 9月の半ばですから、近場ならいいか、ということで、やっと、神社仏閣巡りを再開しました。自宅から自転車で20分ほど。安養山西念寺円乗院です。鎌倉時代、「坂東武士の鑑」との誉(ほまれ)高い畠山重忠(1164~1205年)が建久年間(1190~99年)に、道場村(現さいたま市桜区道場)に創建し、慶長年間(1596~1615年)に現在地(さいたま市中央区)に移建されたといいます。真言宗智山派で、御本尊は五大明王です。

 畠山重忠は今の埼玉県深谷市生まれで、今の比企郡嵐山町の菅谷館を本拠地としておりましたが、この辺りまでも畠山重忠の領地だったということになりますね。

円乗院

  お目当ては、境内にある高さ30メートルの多宝塔でした。弘法大師空海の1150年御遠忌に当たる昭和56年(1981年)に記念事業として建立されたものです。高野山金剛峯寺、根来寺に次ぐ大塔ということで必見、いやお参りには欠かせません。

円乗院

 御覧の通り、確かに立派な大塔です。以前、私自身、高野山にお参りしましたが、そこにある根本中堂を思い出しました。そっくりです。住宅街の中に、根本中堂のような大塔があるのは、どこか、不自然ではありますが、境内に入れば神聖な雰囲気があります。

 残念ながら、多宝塔の敷地内には入れませんでしたが、真言宗ですから、塔内では大日如来を祀っているかもしれません。

円乗院

 拝観時間は午前7時から午後5時までです。私がお参りした時は、どなたも他に参拝者はおりませんでしたが、色んな方がいらっしゃるようで、境内には「三脚撮影禁止」だの、「ここからは墓参者のみ関係者以外は立ち入り禁止」だのといった看板があちらこちらに「展示」され、よほど、何かの被害を蒙っているのかしら?と思ってしまいました。

円乗院

 「ご安心ください。私は単なる神社仏閣巡りの参拝者です」と言いながら、本堂でのお賽銭は少し弾んでおきました。

 そして、ここをお参りすることが出来て、坂東武者の畠山重忠のことをまた少し身近に感じることが出来ました。歴史が教えるところでは、彼は、清廉潔白の恩義に堅い武将で、源平合戦で大活躍しましたが、源頼朝の死後、北条時政の騙し討ちに遭って、命を落としました。まさに、権力闘争です。

 関東地方には、鎌倉だけではなく、御家人たちが建立した寺院が多くあります。いつ何時、生命を奪われかねない乱世で、武将たちは仏教に救いを求めたことがよく分かります。

天祖神社

 この円乗院の奥という言い方は変ですが、与野本町駅を背後に前進すると、バラ園で有名な与野公園がありました。

 ついで、と言っては怒られますが、公園内に天祖神社が祀られていましたので、お参りして来ました。

 以上、本日は、何か、小学生の夏休みの作文のような記事でした。

銀座ランチと焼酎晩酌のために生きている私

 私の住んでいる所は不便な所で、銀座の都心の会社までバスと電車を乗り継いで往復3時間近く掛かります。本当です。それなのに、通勤・通学時はバスも電車も超満員で、バスなんか停車場をすっ飛ばすぐらい混んでいます。小中学校も近くにあるので、子どもの姿も多く、日本が少子高齢化の人口減社会とはとても想像すらできません。

 たまたま移り住んだ土地なので愛郷心は全くありませんが、何でこんなに人が多いのか不思議でした。住宅街ばかりで、しかも、商店街がほとんど壊滅状態で個人商店はつぶれる一方です。残っている個人商店は、飲食店以外は、クリーニング店と美容院、理容店ぐらいで、肉屋さんも八百屋さんも消えてゆきました。

東銀座「トレオン16区」海老と小柱のトマトクリームソースの前菜

 こんなに人口密度が多いのに、商店街もなく、ここの地元の人たちはどうやって暮らしているんだろう? と思ったら、やたらと近辺にスーパーマーケットが多いことに今さらながら気が付きました(苦笑)。私の自宅から半径2キロ以内(自転車で15分ぐらい)を勘定しみるとー。順不同ながら、

・オーケースーパー

・ロピア

・ヤオハン

・イイダ

・生協スーパー

・ミートミート

・マルエツ

・クイーンズ伊勢丹

・マミーマート

・イオン

 と10軒もありました。これは、全国的にも多い方じゃないでしょうか。これだけスーパーがあって、つぶれないということは、それだけ人口が多いということなのでしょう。通勤時の人混みもお分かり頂けたでしょうか。

隣りの駅に行けば、成城石井もイトーヨーカドーも西友もオリンピックもライフもあります。

 この中で、「ロピア」は全国チェーンではないので、あまり知られていませんが、若社長さんが、あの有名女子アナのカトパンこと加藤綾子さんと結婚して一躍全国的にも有名になりました。

 実は、私は、このロピアのファンなのです(笑)。例えば、ビールや飲料水などでも全て冷蔵せず、1ダースとか箱詰めでまとめ買いするようになっているので他店と比べて格安なのです。私は自家用車を持っていないのでまとめ買いは出来ませんけど、安さの恩恵は受けていると思っています。ドン・キホーテみたいに、狭い空間での商品展示がちょっと大胆というのは気になりますが。

東銀座「トレオン16区」海老と小柱のトマトクリームソース1300円

 何よりも、ここでしか買えない焼酎があるのです。奄美大島の黒糖焼酎「里の曙」(3年貯蔵、アルコール分25度)です。10軒ある自宅近くのスーパーを覗いてみましたが、ロピアにしか売っていませんでした。私は、自分の誕生日に奮発して、橋本屋で、高い「里の曙」ゴールド(アルコール分43度)を買ってちびちび呑みましたけど、個人的には、この25度の3年貯蔵で十分だということが分かりました。

 往復3時間かけて、会社に行くのは銀座のランチを食べる楽しみのため。夜、帰宅するのは、焼酎「里の曙」のソーダ割りで晩酌する楽しみのためです。

 何か、問題でもありますかねえ?

【追記】

 この記事執筆後、ロピアのことをエゴサーチしたら、神奈川県藤沢市の精肉店から出発し、現在、本社は川崎市。近畿圏、福岡、宮城県など13都府県に店舗があるそうですから、知る人ぞ知るスーパーでした。2023年2月期の売上高は3401億円。ロピアという名称も、「ロープライスユートピア」から由来するということで、意訳すれば「格安夢物語」。道理で、安売りに苦心しているのかあ~

ファミリービジネス化している政治家という職業

 岸田文雄首相は13日に自民党役員人事を行い、第2次岸田再改造内閣を発足させました。女性閣僚が過去最多タイの5人入閣したという程度で、新味も期待感もない相変わらずの筋書き棒読み内閣といったところでしょうか。そもそも、わずか1年程度で、わざわざ内閣改造をする必要性があるんでしょうか?

 いつもながらため息が出るのは、政治家という職業がファミリービジネス化していることです。今に始まったわけではありませんが、政治家という職業は余程、美味しい、やめられない、濡れ手で粟のようなビジネスなのでしょう。周囲から「先生、先生」と持ち上げられ、出張すればファーストクラス席と超一流ホテルでの滞在も約束されています。

 でも、よくよく考えてみれば、彼らが贅沢出来る原資となっているものは、国民の税金ですからね。だからこそ、政治家の言動や政治資金集めの行動は、重箱の隅を突っつくほど監視してもし過ぎることはないのです。

新富町「トラムストリートカフェ」ガパオライス750円

 今回の内閣改造で、岸田首相を含む大臣20人のうち、世襲議員は、前回より2人増えて8人になりました。こども政策少子化担当相として初入閣した加藤鮎子氏(44)は、今閣僚最年少、衆院当選3回、副大臣経験もないのに異例な抜擢人事です。何で?と思ったら、彼女は宏池会の会長を務めた加藤紘一元官房長官の三女ですってね。また、沖縄・北方地方創生相として初入閣した自見英子氏(47)も郵政相などを歴任した自見庄三郎氏の御令嬢。さらに、環境・原子力防災相で初入閣した伊藤信太郎氏(70)は、衆院議長を務めた伊藤宗一郎氏の御子息。復興相として初入閣した土屋品子氏(71)は、参院議長や埼玉県知事を務めた土屋義彦氏の次女。なるほど、やっぱり、ファミリービジネスなのかなあ?

新富町「トラムストリートカフェ」ガパオライス付きのアイスコーヒー150円

 それにしても、小渕恵三元首相の御息女・小渕優子氏を自民党4役の選対委員長に抜擢した人事は尾を引きそうですね。「選挙の顔」として勝てると思っているんでしょうか?彼女は、自らの政治団体の不明朗な会計処理が明らかになって、経産相を1カ月半で辞任したのに、説明責任から逃げ続けた印象があまりにも強烈です。本日発売の週刊文春でも、またまた政治資金スキャンダルを暴露されてしまっております。

 宗教団体を管轄し、旧統一教会の解散命令請求手続きを担う文部科学省の大臣として、教団の行事に出席していた盛山正仁氏(69)が初入閣しました。よりによって、何でこのような疑惑の人事をするのでしょうか。岸田首相の任命責任が問われそうです。ーなんちゃって、大手紙政治部記者が書きそうなマンネリな〆(しめ)を書いてしまい、我ながら恥ずかしくなりました。

【追記】2023年9月15日

 こども政策少子化担当相として初入閣した加藤鮎子氏(加藤紘一元官房長官の三女)の最初の御主人は、あの有名な宮崎謙介・元衆院議員だということを後で事情通から聞きました。そりゃあ吃驚ですよ。