ノーベル賞をとるための秘訣

函館

日本経済新聞の「私の履歴書」で1月1日からノーベル物理学賞の江崎玲於奈氏が始まりましたね。同氏は、ノーベル賞を獲得するために、してはいけない「5か条」を挙げています。怒られることを承知で私なりにリライトするとー。

1、今までのしがらみにとらわれてはいけない。思い切った創造力が発揮できないから。

2、大先生にのめりこんではいけない。権威の呪縛にはまって、自由奔放な創造力が萎縮するから。

3、無用な情報に惑わされてはいけない。約20ワットで動作する我々の限定された頭脳の能力に配慮し、必要不可欠な情報だけを処理すること。

4、自分の主張を貫くためには戦うことを避けてはいけない。

5、子供のような飽くなき好奇心と初々しい感性を失ってはいけない。

江崎氏が、いかに創造力を重視しているか分かりますね。同氏によると、人間の知的能力には、物事を理解して判断する「分別力」と新しいアイデアを生み出す「創造力」の二元性がある。20歳から70歳までが人間の活動期とすると、分別力は、20歳が「0」だが、70歳で「100」に到達する。しかし、創造力は、20歳が「100」で、70歳になると「0」に落ちてしまう。その交差点は45歳。創造力と分別力が拮抗する両者の触発が活力源になると、45歳前後で大きな仕事ができることになる、と言うのです。

現在、45歳前後のあなた!チャンスですよ。これから45歳に向っている人も同じです。

既に45歳を過ぎてしまった人ですか?

うーむ、努力次第で大丈夫だと思います。何しろ分別力がありますからね。

今日なすべきことをなせ

ヴェニスにて

皆様、いい初夢を見たのではないかと拝察致します。

久しぶりに家にいて、年賀状やら過去の手紙やらを整理していたら、古い手紙が出てくるわ、出てくるわ。処分できずに困ってしまいました。仕事の関係で有名な作家さんや芸能人の方から戴いた葉書や手紙もあります。もう30年前に亡くなった友人の手紙も出てきて、思わず引き込まれてしまって、泣けてきてしまいました。どうしても捨てられません。皆さんはどうしているのですかねぇ?

あっという間に時間が過ぎてしまって、大変でした。

今日は、昨日お伝えした父親の「人生語録」の中から、白隠禅師(1685-1768)の言葉を引用します。

過ぎ去れるを追い思うこと勿れ

いまだ来たらぬものを 待ち設くる勿れ

過去は過ぎ去り 未来はいまだ来たらざればなり

汝ら ただ現在の法を観よ

動かず たじろかず

それを知りて ただ育てよ

今日なすべきことをなせ

かくのごとく 熱心に 

日夜 たじろぐことなく 住するを

げに聖者はよき一夜と 説きたまへり

老舗の味

ヴェニス

世間の皆々様方は年末年始のお休みに入ったことでしょうが、私は仕事です。不遇を囲っているので、いつも何か楽しみを見つけるようにしています。

目下の一番の楽しみは、食べることですかね。本や雑誌で見かけたり、口コミで聞いたり、通りがかりにすれ違った雰囲気のある店に飛び込んだりしています。

今月の月刊誌『東京人』は、「老舗の味を食べ歩く」を特集していたので、ついつい買ってしまいました。この中で、「久兵衛」「すきやばし次郎」といった敷居の高い寿司屋は、まだ入ったことがありません。でも、何処にあるかは場所だけは知っています。「久兵衛」(銀座8-7-6)は、たまたま銀ブラしていたら金春通りにありました。「ここが噂のあの久兵衛かあ」と感動したことがあります。ランチが2000円引き!とありました。それでも、一番安くても3500円くらいするので、金縛りにあったかのようになって、入れませんでした。

「すきやばし次郎」(銀座4-2-15)は住所を頼りに探しましたが、なかなか見つかりませんでした。地上の外に看板が出ていなかったからです。地下鉄銀座駅の数寄屋橋口の地下には看板がありました。外に「値段」など野暮な案内はありません。やはり懐に余裕がなかったので入れませんでした。情けない。

中華そばの老舗「萬福」(銀座2-13-13)は、そんなに有名な老舗店だとは知らずに偶然通りがかって入ったことがあります。が、特段印象に残っていません。やはり、料理は知識と頭で食べるものなのですね。

うなぎの「竹葉亭」は夏目漱石がよく通ったというので、銀座店(5-8-3)は意を決して行ったことがあるのですが、本店が木挽町(銀座8-14-7)にあることは知りませんでした。ここも偶然、通りかかって発見しました。料亭の雰囲気で敷居が高く、とても入れるような代物ではありませんでしたが。

池波正太郎の愛した洋食の「たいめいけん」(日本橋1-12-10)、漱石も通った洋食の「松栄亭」(神田淡路町2-8)、森鴎外のお気に入りのそば「蓮玉庵」(上野2-8-7)、谷崎潤一郎が贔屓にした親子丼の「玉ひで」(日本橋人形町1-17-10)などは何度か行ったことがあります。

先日「吉野鮨」に行きましたが、江戸前寿司で現存する最古の店が、創業150年余の「すし栄」(銀座7-13-2)であることをこの雑誌で初めて知りました。

敷居が高いところは、いつか挑戦したいなあと思っています。それまで生きてみようと思います。

吉野鮨本店

フィレンツェ

日本橋高島屋さん真裏通りにある吉野鮨本店へ大の大人四人で行って参りました。知る人ぞ知るというより、鮨通の間では知らない人はいない老舗の江戸前寿司店です。ちょっと検索すれば、物言いたがりのグルマンのコメントが色々と出てきます。店内は超満員で異様な熱気がありました。参集したのは、後藤さんと東京商工会議所の清水さんと朝日の隈元さんと私の四人。

明治12年創業。何しろ、ここは鮪の「トロ」の発祥地だそうです。鮪の腹下の脂の部分をかつては「ブラ」と言っていたのですが、常連客の三井家(今の商社三井物産)の安達さんとかいう人が「とろっとしているから、『ブラ』よりも『トロ』にしたら」と提案したところ、そう決まったそうです。(安達さんという名前は間違っているかもしれません。どなたか詳しい方はコメントしてください)

お味の方は、まさしく、トロっとして口にとろけるようでしたね。絶品でした。でも、そういう予備知識があったせいかもしれませんね。他の三人の方々は、話すことに夢中で、あまり味に感動している様子はありませんでした。ネットに出ているほかの人の寸評を見ると「酢がききすぎている」などといった辛口のコメントもありましたが、私は、そう感じませんでしたね。美味絶品。有り難く頂戴致しました。

大の大人が顔を付け合せても、あまりいい話題が浮かびませんでした。何しろ、最近の活字離れが甚だしく、新聞の部数が激減しているそうですね。スポーツ新聞も全体で100万部くらい落ちているそうです。若い人はもう新聞を読まない。団塊の世代が退職する「2007年問題」もあります。サラリーマンが退職すると、もう日本経済新聞を読むことはなく、大幅な解約が予想されます。年金もなく退職金を取り崩している定年退職者は新聞を購読する余裕がないから、図書館に行って読む。今、図書館では、新聞の取り合いで大喧嘩しているとか。

新聞がこの有様なので、雑誌なんか目も当てられない。漫画も駄目。「週刊少年ジャンプ」などかつては、600万部くらいあったのですが、少子化と作品力の低下、趣味の多様化などで現在280万部にまで落ち込んでいるようです。

そういえば、電車の中で、熱心に新聞や漫画を読んでいる人が少なくなっていますね。携帯をいじっているか、寝ているか…。あ、そういえば、先日、早朝の6時過ぎに通勤電車に乗ったのですが、50歳くらいのネクタイを締めた厳ついおじさんが、弁当箱を広げて、朝ごはんを食べていました。新聞より飯です。でも、何か、こちらの方が恥ずかしくなって、他の車両に乗り換えました。

音楽療法

ヴェニス

音楽療法士の奥山さんの仕事一つに、高齢者や障害者の施設に行って、ミニ演奏会を開くことがあります。クラシックを専門に勉強して音大を出た人なのですが、高齢者に最も好評なのが、彼ら彼女たちが若い頃に聴いた古賀政男メロディーなのだそうです。

高齢者の中で、特に、自分が1時間前にやっていたことまで忘れてしまうような認知症が進行しているような方々には、古賀メロディーでは駄目で、彼らが子供の頃に聴いたり歌ったりした唱歌や童謡を演奏すると抜群の効果を発揮するそうです。

人間の脳のメカニズムはよく分かっていないのですが、この話を聞いて興味深いなあと思いました。

私自身もこれまでいろんなジャンルの音楽を聴いてきましたが、やはり、最も多感な中学高校時代に聴いた音楽が一番懐かしく、聴くとウキウキしてきます。当時は、毎日のように米軍向けの極東放送をラジオで聴いていましたが、その頃の最新ヒットチャートを賑わしていたゾンビーズ、ドアーズ、クリーム、シカゴ、BST、CCR、ブレッド、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリンなどです。もちろんビートルズやローリング・ストーンズは別格です。

最近、一昨日の昼に何を食べたか忘れてしまうのですが、今のところ、まだ童謡や唱歌にまでは戻っておりません。

有言実行

ヴェニスにて

先日亡くなった青島幸男さん(享年74歳)は、「有言実行」の人だったそうですね。

36歳の時に「俺は国会議員になるぞ」と言って、本当に参院選に出馬して当選してしまう。

「直木賞とるぞ」と言って、本当に獲ってします。

「東京都知事になります」と言って、本当になってしまう。

放送作家、タレント、監督、作家、政治家、そして画家…と青島さんほどマルチな才能に恵まれた人はいないでしょうが、人間、本当は、自分の人生は、自分で選ばれるものなのですよね。

こういう話を聞きました。

「人生100%、自分の責任だと思えた時に初めて自分の人生を変えることができます。これは、自分の人生の中で起きてくる事の原因は、すべて自分の中にあるということを心の奥底から受け入れるということなのです。上手くいかないことや、歓びを感じられないことはすべて周囲のせいにしていては何も変わらないということなのです。従って、自分の本心や真の自我を喜ばすことができれば、まさしく自分の人生を納得したものにすることができるのです」

なるほど、と思いました。

コントロールドラマ

帽子が似合う女性

人間関係のパターンに「コントロールドラマ」というものがあります。

傍観者、愚問者、脅迫者、被害者、加害者というのがこのパターンの中に当てはまります。こういうどれかのパターンから、人は、人からエネルギーを取るように知らず知らずに生き方を身に着けてしまう心理が、コントロールドラマです。

「ああされたから、こうした」といったエネルギーを取る行為です。取られたら取り返そうというエネルギーの奪い合いです。

今回の場合、あなたは脅迫者で、もしかしたら被害者なのかもしれません。そうなると彼は傍観者になります。メールや電話をしても出なかったり、無視するのは傍観者の典型的なパターンです。傍観者はそうやって人から離れて関わろうとしない。電話に出なかったり、メールを無視したりすることによって、逆に相手から関心を持ってもらおうとしたり、エネルギーをもらおうとしたりするのです。あなたは、返事がこないことが気になっています。それは、彼にエネルギーを注いでいることになり、彼にエネルギーを取られたことになるのです。そして、エネルギーを注いだのに見返りがないことによって、怒りが生じてくるのです。

こうして、コントロールドラマは、ほとんどがエネルギーの奪い合いで結果を争っています。どうしてこのようなコントロールドラマが生まれるのかというと、子供の時に親や周囲からどういう風に愛を与えられているか、どういう風にエネルギーを注がれて生きるかを、無意識にその方法を身につけてきたから、と言われています。

しかし、もうそろそろ、人からはエネルギーを得るものではない、という真理に気づくべきなのです。人からエネルギーを取られたら取り返すという永遠のコントロールドラマから卒業するべきだということなのです。

その代わりに、自分で自分自身にエネルギーを注ぐこと、自分自身を愛で満たすべきなのです。そうすれば、自然に溢れた愛やエネルギーはもう減ることはないし、取られたという感じもすることはない。怒りが生じても、復讐しようとも思わない。エネルギーは泉のように溢れ出てくるから気にならないのです。

彼の不誠実をそのまま認めてあげることさえできるのです。何か理由があるはずだからです。虐待されて育った子供は、殴られる行為を愛されていると思うようになる。それほど、心というものは歪んでしまうものなのです。生きるために自然と身に着いた彼の心の中に流れる深く暗い渇きを想像することができます。しかし、誰も彼の人生の肩代わりをすることはできないのです。

だから、あなたは自分自身にエネルギーを注ぐべきなのです。趣味でもスポーツでも何でもいいのです。もうコントロールドラマは止めるべきなのです。もう人を否定したり裁いたりして生きていくやり方を止めるべきなのです。

力まず、自然に、無理せず、あるがままに。

春の風のようにやさしく、意識すらせず、そのままの姿で。

ボルサリーノ

ヴェニスにて

ついに買ってしまいました。前から欲しかった帽子です。銀座の老舗「トラヤ帽子店」の前を通りかかったら、たまらず欲しくなってしまいました。この店は創業90年だそうです。90年前といえば、1916年。第一次世界大戦、映画「戦場のアリア」の頃ですね。

買ってしまったのは、ボルサリーノ製のハンチング帽です。ボルサリーノといえば、1960年代にアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドの「2大スター」の共演映画がありました。てっきり、ソフト帽のことかと思っていたら、ブランド名だったのですね。これは、前にも「007」でも書いた「product  placement」の最たるものです。ボルサリーノ社が相当なお金をこの映画に投資したのでしょうが、1930年代から、ボルサリーノの高級帽子を被れることだけでも社会的ステイタスがあったようです。

本場イタリア製は、目の玉が飛び出るほど高かったので、ボルサリーノのライセンスを得て製造した日本製にしました。イタリア製の半額で済みましたが、ロゴマークも同じだし、外見からは区別できないでしょう。それに、日本製の方がしっかりしていたりして。

この帽子を被って、銀座1丁目のイタリア料理店「イタリー亭」でランチのナポリタン(900円)を食べて(これは美味でした。ちゃんとプチトマトも入ってましたよ。お奨めです)、そのまま銀ブラをして、真珠のミキモトの前を通ったら、ばったり、ノンフィクション作家の松瀬学君(あえて業界の後輩だったもので)に会いました。17,8年ぶりくらいなのに、二人とも、一週間ぶりに会う感じでした。私もちょうど、東京新聞で、この日、彼が連載しているエッセイを読んだばかりで、「どうしているかな?元気かな?」と彼のことを思っていたところだったので、その偶然の一致には驚きました。

とはいっても、最近、私の予感がよく当たってしょうがないのです。いつも、偶然とはいっても、何かその前に予兆や前兆や予感があったりするのです。

彼は通訳・翻訳家の奥さんと一緒で、「印税がたくさん入ったから、今、ミキモトで300万円の指輪を買ったところです」と軽口を叩いていました。彼の性格は昔から少しも変わっていません。

あまり時間がなかったもので、名刺だけを交換したところ、彼は私の帽子に気づき「『刑事コロンボ』じゃなくて『刑事ころんじゃった』みたいですね」と言うではありませんか。これには私も思わず苦笑してしまいました。

彼のことを貶しているのではなく、彼は本当にいい奴、ナイス・ガイです。早稲田のラグビー部出身で、スポーツ関係の本を出しています。彼の本を書店でみかけたら買ってあげてください。

 

希望は絶望を打ち砕く

 ヴェニス

北海道を中心に活躍するゴスペルシンガーにkiki(キキ)さんという人がいます。本名は分かりませんが、(恐らく)30歳代の日本人女性です。

日本人離れした声量と音感の持ち主と言っていいでしょう。聴く人を必ず感動の渦に巻き込むだけではなく、聴く人に、自ら参加したい気持ちにさせます。その通り、彼女の仕事の一つが、一人の歌手としてでなく、100人から200人くらいの素人の人たちをワークショップで鍛え上げて、クワイアー(合唱団)として育て上げ、コンサートで一緒に歌を披露する活動もしています。「アメイジング・グレイス」「オー・ハッピーデイ」「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」などゴスペルでもスタンダードになった曲を200人くらいのクワイアーが斉唱すると、まさしく圧巻そのものです。

彼女がゴスペルに出会ったのも、紆余曲折の末、偶然に近いものがありました。若い時、というより、まだあどけない子供のときから、家庭の事情で、普通の子供とは違う道に踏み込んで、16歳の頃からもうすでに自活せざるを得ない状況になっていたようです。そんな苦悩の連続の中で知り合ったのがゴスペルなのです。何度か渡米して、本格的にヴォイスレッスンを受けて、ついに3年前にCDデビューも果たしました。

そこまでの道に辿り着くのにも大変なものがありました。特に重篤な病魔に襲われた時は、半ば、人生を諦めようかという境地に陥ったことがありました。そんな苦しみと闘っていた入院中に、ある人が見舞いに訪れて、こんな言葉をプレゼントしてくれたそうです。

「忍耐は錬れた品性をつくり、錬れた品性は希望をつくり、希望は絶望を打ち砕く」

聖書に出てくる言葉だそうです。Kikiさんは、この言葉を胸に、辛い境遇を克服して何とか持ちこたえてきたそうです。

もう一度書きます。

「忍耐は錬れた品性をつくり、錬れた品性は希望をつくり、希望は絶望を打ち砕く」

まさしく、言葉の持つ力ではないでしょうか。

またまた、英語は難しい

 滝沢さんと会って、英語のあいまい性を教えられましたが、英語が難しいのは、むしろ、その単純性、多義牲にあることに気付きました。

例えば、自分のことを「I」の一言で済んでしまうから、英語は簡単だと考えてはいけないのです。「I」という文字の中に、私、あたし、我、わらわ、俺、おいどん、わし、あたい、余、みども…と思いつくだけでも、これだけの表現が内蔵しているのです。それだけ、多義性があり、あいまい性があるわけです。

日本人にとって英語が難しいはずです。