古澤鳳悦氏の占いサロンに久しぶりに参加=筆名は高田謹之祐に改名

 会社の先輩で、20年前に会社を早期退職して東京・駒場で占いラボを主宰している古澤鳳悦師から1週間ほど前に、「7月23日(日)に川口駅前市民ホールで、占いサロンの出張ブースを出します」との御連絡を受けました。

 ちょうど、私自身、人間関係を含め、人生の岐路に立っておりましたから(苦笑)、これを機会に参加させて頂くことにしました。事前にメールで、今の私自身が置かれている状況を事細かくお伝えさせて頂いたので、古澤師も事前にたくさんの資料を用意してくださいました。お会いするのは実に8~9年ぶりでしたが、話もスムーズに進みました。

 古澤師の専門は、「四柱推命」「姓名判断」「九星気学」「手相」のようですが、30分間という短い時間でしたので、四柱推命で今後の運勢と、姓名判断で改名について鑑定してもらいました。出張サロンでしたから、東京・駒場の占いラボとは違い、30分で2000円という実に良心的だったので「大丈夫かなあ?」と思ってしまいました。

 内容に関しましては、他人にとっては他愛のない個人的なことなので、茲では細かく触れませんが(笑)、私の今の運勢は、五行変通星分布図の中の「金」の部屋(偏財、正財)に一つも星がないことで悪い影響を受けているようでした。(他の「木」「火」「土」「水」には辛うじて星があり、「土」には2027年11月頃まで表現の星と呼ばれる「食神」があるので、今がチャンスだというお話でした。)

 とにかく、生年月日と生まれた時間と場所で鑑定する複雑な四柱推命のことですから、こう書いても皆さんは何のことなのかさっぱり分からないことでしょうが、古澤師からアドバイスも受けた私自身は、とても、とても参考になりました。参加して良かったでした。

川口駅前

 もう一つ、「姓名判断」も鑑定してもらいました。私自身は、「高田信之介」という筆名が大変気に入っていたのですが、五格(天格、人格、地格、外格、総格)画数別運勢鑑定によると、画数の中に「凶」や「大凶」が含まれているものがあり、「あまり良くない」と仰るのです。

 古澤師は、「人名によく使われる漢字」の画数表と、「五格画数別運勢」表と「理想的な画数組み合わせ」表まで提供してくださいました。「理想的な画数組み合わせ」の中で、古澤師は、(4)の天格=15、人格=23、地格=32、外格=24、総格=47か(5)の天格=15、人格=24、地格=32、外格=23、総格=47のどちらかが一番良い、と仰るのです。その場では決められなかったので、持ち帰って検討することにしました。

 上の説明だけですと、これはどういう意味なのか、お分かりになれる人は、よほど精通した方だけでしょうが、茲では細かく御説明はしません。御興味のある方は、古澤師の「占いラボ」のホームページのリンクを最後に貼っておきますので、もし機会があれば、直接、ご相談されれば良いかと存じます。(科学的エビデンスはどうなんだ、といった堅い話は抜きにして、あくまでも参考意見として、心の負担を軽くするのが一番だと存じます。)

 さて、私の筆名のことでした。

 私はすぐに家に帰って、「人名によく使われる漢字」の画数表と、「五格画数別運勢」表と「理想的な画数組み合わせ」表を睨めっこしながら、試行錯誤して筆名を製作してみました。最初に選んだのは、古澤師が例に挙げていた「騎慎」です。「高田騎慎かあ、何か、写真家の篠山紀信のマネしているみたいだなあ」。それなら「騎郎」にしようか?…うーむ、何かちょっと平凡過ぎるなあ…

白蓮華 Copyright par TY

 結局、2時間ほどで骨格を固めました。一つは、(5)の天格=15、人格=24、地格=32、外格=23、総格=47の「高田遼照」です。うーん、何か、お坊さんみたいだなあ、辛気臭いかなあ。。。そこで、(4)の天格=15、人格=23、地格=32、外格=24、総格=47の「高田謹之祐」はどうかなあ、と決めることにしました。高田謹之祐(たかだ・きんのすけ)なら、「あいうえお」の母音が全て含まれます。それに、天格(高田)=15画は「最大の吉数。福寿円満、富貴栄誉、家を興す」、人格(田謹)=23画は「勢い強く功名栄達、大志大業を成す頭領運。財運あり」、地格(謹之祐)=32画は「濡れ手に粟。目上の引き立て厚く繁栄幸福を得る」、外格(高之祐)=24画は「無から有を生じる。手先器用で金運大いにあり」、総格(高田謹之祐)=47画は「天賦の幸福に満ち、大業成就、子孫繁栄の大吉」を意味すると言います。これ以上、運が強い名前はない、ちゅうことです。

 名前の「謹之祐」は、私が最も尊敬する作家の夏目漱石の本名「金之助」にも通じます。あれっ?そんな大それたことを放言しても大丈夫なんでしょうか?

 それにしても、我ながら随分と名前を替えてきました。大田南畝さんも、寝惚先生、山手馬鹿人、四方赤良、蜀山人…とたくさんの筆名をお持ちでしたから、世間の皆さんもお許しくださることでせう。

 【追記】

 古澤鳳悦師の「占いラボ」のホームページをリンクしました。

天婦羅もタバコもコップも元々はポルトガル語だったとは!

 ポルトガルの旅行番組を見ていたら、ポルトガル料理が食べたくなりました。ポルトガル料理といえば、ポルトガル好きが高じて何年か現地に滞在した好きな作家の檀一雄のことを思い起こします。ポルトガル料理店は、銀座にあるのかしら?

 ご安心ください。東京・銀座は、恐らく世界一のグルメ都市かもしれません。ない料理店はないくらいです。ミシュランの三ツ星レストランが多いということで世界的に有名になったスペイン・バスク地方のサン・セバスティアンに引けを取らないのではないでしょうか?だって、ランチでさえも、世界中の料理が楽しめるからです。

 私の個人的印象では、やはり、銀座で気軽にランチが食べられるお店で一番多いのは和食店というのは当たり前ですが、二番目は一時の「イタ飯」ブームが続いているイタリア料理店だと思います。西洋料理店の筆頭でしょう。次は、フランス料理店といきたいところですが、どうも高級感が先に出て下火になり、イタリアンに抜かれ、今やスペイン料理店の方がフレンチより多いような気がします。フランス料理店ともなると、ロワジールにせよ、エスコフィエにせよ、ポール・ボウキューズにせよ、ちょっと敷居が高過ぎますからね。フレンチと聞いただけで、庶民は、敬遠してしまいます。

銀座・ベトナム料理「ニャー」バンミー&牛フォーセットランチ一1200円

 残念ながら、英国とドイツはグルメの世界では除外されてしまいますが、銀座にはあります。また、ロシア料理店は数軒あり、私の行きつけの店もあります。世界三大料理の一つと言われるトルコ料理店もあります。アジアでは、中華料理店がイタリアンと同じか、それより少し多いぐらいありますが、タイやヴェトナム、インドネシアなども増えました。個人的には、ヴェトナムのラーメンと言われる「フォー」が好きなので、結構、ヴェトナム料理店には行きます。

 さて、銀座にポルトガル料理店はあるのでしょうか?

 ありました、ありました。さすがに銀座です。数軒あるようですが、私は、その中の泰明小学校の向かいのビルの地下にある「ビラモウラ」という店にしました。何度か店先は通っても、入店するのは初めてでした。

 ビラモウラとは、ポルトガルの南の地中海に面したリゾート地らしいですね。

 ランチに何種類かありましたが、私はポルトガルの伝統料理「フェイジョアーダ」というのも頼んでみました。「麦小町豚肉と豆の煮込み」と書いてありましたが、同じイベリア半島なのに、スペイン料理と全くと言っていいぐらい違いますね。豆が入っているせいかもしれません。言い過ぎかもしれませんが、ポルトガル料理の方が、庶民的な味がしました。

 そう言えば、ワインもスペインのきりっとしたワインとポルトガルのポートワインと全然違いますからね。ポルトガル人は甘口を好むのかしら?

 世界のGDPランキングで、ポルトガルは現在50位で、スペインは15位ですから、欧州の中でも下位です。15世紀から17世紀にかけての大航海時代では、スペインと世界を二分した超大国だったポルトガルは、今はその勢いの影もないほどですが、遺産だけは残しています。植民地にしたブラジルやアンゴラ、モザンビークなどでは今でも公用語はポルトガル語ですし、南蛮人として日本にやって来たので、結構、ポルトガル語が日本語に取り入れられているのです。

 カステラ、カルタ、ボタン、ビロード、ビスケット、キャラメルなどは私も知っておりましたが、何と何と、天婦羅までポルトガル語のtempero から来ているんですってね! これには吃驚しました。天婦羅がもともとポルトガル料理だとしたら、世界遺産の和食じゃないってことなんでしょうか?(笑)

 テーブルに「日本語になったポルトガル語」の一覧表があって、他にも色々とありました。ブランコ、カナリア、コンペイトウ、チャルメラ、コップ、デウス(神)、マント、パン、オルガン、タバコ、ベランダ、シャボン(石鹸)までありました。

 全く「へ~」ですよ。確かに、日本人が最初に接触した西洋人は1543年に種子島に鉄砲を伝来したポルトガル人でした。世が世なら、日本はもっとポルトガルの影響を受けたかもしれませんが、コップ、パン、ベランダ…といった言葉だけでも凄いですよ。

動画に振り回されて三千里=御自分の時間を大切に

 電子情報技術産業協会(JEITA)は昨日20日に、今年1~6月の薄型テレビ出荷台数が前年同期比12.2%減の212万9000台ということで、2001年以降、上半期として過去最低となったと発表しました。

 その主な原因について、若年層を中心にスマートフォンなどでの動画視聴が主流となってきているため、と分析しておりましたが、その通りなんでしょう。ズバリ、若者たちがテレビを見なくなったということです。新聞や雑誌の部数低迷はスマホにやられましたが、メディア界天下一を享受していたテレビ業界もついにスマホ動画の軍門に降ったことになります。若い人がテレビを見なくなったということは、将来、視聴者がもっと減っていくということになります。

銀座・スペイン料理「エスペロ」

 スマホ動画というのは、YouTubeなどのことでしょうが、確かに、最近では、三流のプロデューサーがつくり、三流タレントが出演するテレビ番組より、面白い動画が増えました。動画制作者は素人だったのが、セミプロになり、何十万もアクセスを誇るプロになり、テレビに逆進出する人も増えました。

 とにかく、内容がマニアックなものが多いので、好奇心旺盛な人にとっては好都合です。私自身も先日、ピアノソナタの「新約聖書」といわれるベートーヴェンのピアノソナタ全32曲の演奏者から見た難易度ランキングの動画サイトを発見してしまい、つい見てしまいました。

 私は、かのヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンのピアノソナタ全集のCD(グラモフォン)を随分昔に購入し、今でもたまに聴くのですが、「悲愴」「熱情」「月光」以外はどうも難し過ぎて、触手が湧かなかったというのが正直な感想でした。でも、この動画を見ると、32曲が全て異様に魅力的になり、弾けはしませんけど、楽譜を見ながら再聴したくなるのです。

 この動画に出演されている女性は、ハンドル名で登場し、略歴等も分かりませんけど、恐らく、有名音大のピアノ科を卒業された現役のピアノ教師さんだと思われます。このハンドル名を検索して他の動画を見てみると、彼女は、かなり多くの動画を制作していることが分かりました。最初の頃は、本人の「口から下」しか写されず、いわゆる「顔出しなし」でした。どんな女性が話をしているのか想像を逞しゅうされます。それが、何本か、何十本か制作するうちに、覚悟が出来たのか、堂々と「顔出し」で登場されるようになりました。かなりの美人さんでした。ただし、よおく喋る人で、服装は暗めのキッチリとしたスーツ姿です。

銀座之曽良

 そして、何カ月後なのか細かいことは分かりませんが、お召しになられる服がだんだんと明るくなり、ついにノースリーブの胸を強調した路線になっておられました。天下無敵、自信満々です。お堅いクラシックの教養講座が一転して、ラップのノリノリになった感じです(※個人的な印象です)。

 いやあ、これは、テレビには出来ない「演出」ですねえ(笑)。世の興味津々なおっさんたちが、こぞって銀蠅のようにこの動画にたかるでしょうね。そう気が付くと、何か醒めてしまいました(苦笑)。

 動画に振り回されずに、自分の残された時間を大切に生きなければいけない、と思い直しました。

華やかな江戸文化の中心人物、大田南畝

  やっと、浜田義一郎著「大田南畝」(吉川弘文館)を読み始めています。この本は、6月に東京都墨田区の「たばこと塩の博物館」で開催された「没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界」展の会場で販売(2200円)されていたものでした。初版が1963年2月20日となってますから、60年ものロングセラーです。大田南畝に関する伝記・評論本は、この本を超えるものがあまり出ていないせいなのかもしれません。

 兎に角、この本は6月に最初に15ページほど読みましたが、他の本に取り掛かっていたら、内容をすっかり忘れてしまい、もう一度最初から読み始めています。というのも、登場人物の名前がなかなか頭に入って来ないからなのです。

 例えば、大田南畝の師匠に内山賀邸(1723~88年)という人がいました。名は敦時(あつとき)、号は陳軒(ちんけん)、牛込加賀屋敷に住んだので賀邸(がてい)とも号しました。私塾を開いて、漢学も教えましたが、国学が主で、和歌は当時江戸六歌仙の一人に数えられたといいます。その賀邸の門人、つまり南畝の同門に小島謙之(けんし)という四谷忍原横丁に住む幕臣がおりました。通称は源之助。年は南畝より6歳上。和歌が得意で、20歳ごろから狂歌をつくり、橘実副(たちばな・みさえ)という狂名を名乗っていました。それが、師の賀邸から狂歌を褒められ、唐衣橘洲(からごろも・きっしゅう=1743~1802年)と師によって改名されたといいます。小島謙之は、小島源之助であり、橘実副でもあり、唐衣橘洲でもあるわけです。

 このように、同一人物なのに、本名(諱)の他に、通称や雅号や狂名や字(あざな)まで出てきて、頭がこんがらがってしまうのですよ。日本人は古来から、本名をあけすけに言われることを忌み嫌いました。そこから、本名のことを諱(いみな)と言われます。(だから、目上の人に対しては、官職名や住んでいる所=例えば、鎌倉殿=などで呼び掛けしたのでした)通称というのは綽名(あだな)のような別名のことです。一方、字(あざな)となると、中国で始まった風習で、元服して本名以外に正式に付けられた名前のことを言います。特に漢学の素養のある日本人は好んで付けたといいます。最後に、雅号は、文人や画人が自称した名前ですね。

 こうなると、一人の人間が幾つもの名前を持つことになります。でも、こういうのは個人的には大好きですね。ですから、私も、渓流斎と号し、複数の名前や雅号を持っているわけです(笑)。

 この本の主人公である大田南畝(おおた・なんぽ=1749~1823年)は、江戸牛込仲御徒町生まれで、御徒(おかち)職の幕臣です。御徒職というのは、文字通り、将軍らが公用や鷹狩りなどで出掛ける際に、徒歩で側に仕える一番下っ端の直参のことです。本名が直次郎で、南畝は号です。中国の古典「詩経」の「大田(だいでん)篇」から取られたといいます。同時に、ここから、子耜(しし)を字(あざな)として取っています。でも、これだけでは済みません。19歳の時に出版した詩文集のタイトル「寝惚先生」は晩年になるまで呼ばれ、22歳の頃に狂名として名乗った四方赤人(よもの・あかひと)、後に四方赤良(あから)もあります。また、30歳代後半から、幕臣としての仕事に専念するためいったん文芸の筆を折りますが、乞われて断り切れずに再開した際、匿名として名乗ったのが蜀山人でした。他に、風鈴山人、山手馬鹿人、姥捨山人などの筆名も使っています。

 幕臣大田直次郎は知られていなくても、大田南畝も四方赤良も蜀山人も歴史に名を残しています。一人でこれだけ複数の名前を残す偉人も多くはいません。

 大田南畝は19歳から本格的に文芸活動を始め、いわゆる文芸サロンのようなものを開催したり参加したりしますが、その幅広い交際には目を見張ります。江戸時代は、士農工商のガチガチの身分社会と思われがちですが、南畝は幕臣なのに、町人とも気軽に交流します。特に平秩東作(へずつ・とうさく=1726~89年)という町人は、南畝に多大なる影響を与えた戯作者であるといいます。南畝より23歳年長で、内山賀邸の同門でした。東作は、稲毛金右衛門という町人で、内藤新宿で煙草屋を営み、文学を好んで立松東蒙と称し、字は子玉。「書経」から取った平秩東作を筆名にしたといいます。この東作の親友に川名林助という漢詩人がおり、大田南畝はこの川名を通して、あの平賀源内と相知ることになります。

銀座「エスペロ」

 有名どころとの交際と言えば、ほかに、戯作者の山東京伝、版元の蔦屋重三郎、絵師の鈴木春信勝川春章(北斎の師)、葛飾北斎谷文晁、歌舞伎役者の五代目市川團十郎(写楽が描いた有名な「市川鰕蔵の竹村定之進」)、それに塙保己一らがおり、大田南畝は、華やかな江戸文化の中心人物だったとも言われています。

 ところで、狂歌というのは、私自身、江戸時代に大田南畝によって開始された文芸だと勝手に誤解していたのですが、史実は、鎌倉時代初期(平安時代という説も)から、既に歌会や連歌会の余興として行われていたといいます。和歌と同じ五七五七七ですが、和歌とは違って、風刺や諧謔に富んだものです。そのせいか、当初は、座興による読み捨てにするべきものとされていたようです。大田南畝の時代である江戸中後期が全盛期のようで、明治以降は廃れてしまったようです。

 本日はこれだけ書いて、いっぱい、いっぱいになりました。続きはまた次回に。

台頭するインドの衝撃=4年後、経済大国世界第3位に?

  先日放送されたNHKスペシャルの混迷の世紀シリーズ 「台頭する”第3極”インドの衝撃を追う」はタイトル通り、実に衝撃的でした。

 一人っ子政策の弊害?から早くも少子高齢化社会に突入した中国を追い抜いて、インドは今年(2023年)、世界一の人口大国(14億2800万人)に躍り出たといいいます。そんなインドの台頭が緻密に描かれていました。

 何しろ、4年後の2027年には、インドはドイツ、日本を抜いて世界第3位の経済大国になると言われているのです。その背景のメリットとして平均年齢27.9歳という若さがあります。若さは高度経済成長の要です。中国の平均年齢は38.5歳、日本ともなると48.7歳ですから、どんなに頑張っても(老人をこき使う手もありますが)この予想は覆されないことでしょう。

向日葵

 インド発展のバックグラウンドには、IT技術の強みがあります。インド人はゼロを発見した民族ですから、古代から数学に強い民族です。仏教のお経にも「阿僧祇(あそうぎ)」「那由多(なゆた)」など、とてつもない桁数の数字が出てきます。弥勒如来も、釈迦入滅から56億7000万年後に出現すると言われています。現代人が今、普通に使っている1、2、3…といった数字は「アラビア数字」と言われていますが、実は、インド数字の表記がアラブ世界に取り入れられ、欧州人は中世にアラブ世界からそれらの数字を輸入したのでアラビア数字と呼んだだけで、事実はインド数字だったといいます。

 インド人は数学やITに強いので、米国Googleの社長サンダー・ピチャイ氏も、アドビの会長、社長兼CEOでシャンタヌ・ナラヤン氏らもインド系米国人です。インド系が世界のIT業界を制覇しているといっても過言ではないかもしれません。

 番組では、そんなIT技術の強みを生かして、モディ首相がインド国内だけでなく、エチオピアやフィリピンなどグローバルサウスと呼ばれている国々に対してもデジタルインフラを推し進めている有り様を追っていました。デジタルインフラには、個人のIDが生体認証システムとドッキングし、銀行口座にも紐づけされ、決算が飛躍的に便利になるメリットがあります。その半面、個人情報が何処まで守秘されるのか疑問符が付き、政権が変わって、独裁者が出現すれば、国民を奴隷のように意のままに扱うことが出来る危険性もあるわけです。

 今の日本のマイナーカードでさえ、トラブルが頻発しているわけですから、この個人IDシステムがインド国内はともかく、海外で何処まで伸びるのか、まだ誰も分かりません。

 インドは長い間、英国による植民地支配を受けて苦しんできた国です。そのため、デジタル技術も欧米に奪われて支配されたくないといった高邁な精神から、IT技術を促進していったといいます。つまり、インドによるグローバル・スタンダードの構築です。インドは、グローバルサウスの最貧国にはIT技術を無償で提供すると言われています。

ヤブカンゾウ

 ただし、インドはヒンズー教を国教とし、いまだにカースト制度が残存していると言われます。番組では、モディ政権による少数民族やイスラム教徒に対する弾圧も描写していました。カースト制の最下層に多いと言われる少数の仏教徒も弾圧されているのかもしれません。ウイグル族らを弾圧している中国と同じことをしておきながら、欧米社会は、批判せずにインドを受け入れるという矛盾した態度を取っているわけです。

 国際社会というものは、うわべでは握手してニコニコしながら、水面下では足の蹴り合いをして覇権を争っている社会と言えるのかもしれません。

【追記】

 本日7月18日、銀座の会社に出勤して、無事、誕生日を迎えることが出来ました。Facebookを停止したのにも関わらず、(私から見て)多くの皆様からお祝いのメッセージを頂きました。この場も序でにお借りして御礼申し上げます。

 有難う御座いました。

 誕生日が過ぎれば、精神的にも落ち着くことでしょう(笑)。

日日是好日、自助努力のすすめ

「命に関わる危険な暑さです。出来る限り外出はお控えください」

 ラヂオを聴いていると、アナウンサーが盛んに呼びかけています。私の趣味は、全世界のお城や寺社仏閣・仏像巡りです。3連休なので、何処かに行こうかと思いましたが、ここまで言われると、さすがに遠出は諦めました。誰も老骨を拾ってくれる奇特な方はいらっしゃいませんからね(苦笑)。私の住む関東地方は、連日、これまでに経験したことがないような、36度とか38度か異様な暑さです。先日は、福岡県、佐賀県、大分県、秋田県などで、死者が出るほどの線状降水帯による甚大な被害があり、お見舞い申し上げます。その一方で、関東地方は猛暑ですから、異常気象極まり、といった感じです。

 猛暑で遠出できないので、自宅近くの市民プールに行って来ました。コロナ禍の影響で実に4年ぶりです。4年ぶりに行くということで、ネットで確認したところ、市民プールなのに、窓口で入場券を発行しないというのです。何と特定のコンビニと結託して、そこでしか買えないシステムになっておりました。いわゆる行政の民間への丸投げです。チケットは、コンビニ内にある機械を操作しなければならないので、老人には大変面倒です。まあ、老人はプールなんか、もう行かないかあ…(苦笑)。

 それでも、渓流斎翁は「健康第一」と、慣れないコンビニ機械を一人で操作して、チケットを購入(440円)してプールに行って来ました。でも、さすがに年を取ったせいか、ひと泳ぎしただけで、疲れました。結局、25メートルプールを合計3往復しただけで帰宅の途に就きました。わずか30~40分。まるで烏の行水ですねえ(笑)。それでも、久しぶり、良い運動になりました。

 久し振りのブログ執筆ですが、正直言いますと、書けなくなってしまったのです。金縛りに遭ったといいますか、自家撞着になったといいますか、何か、世迷言ばかり書き連ねているような気がして、絶対矛盾的自己同一です。と書いて、自分でもよく分かっておりませんが、まるで自分がハムスターになって、回し車の中を全速力で走っていて、目的地も意味もなく、ただ単に体力だけを消耗しているような気がしてしまったのでした。

 何と言っても、ブログを含めてSNSは、特に必要がない「要らない情報」という真理がありますからね。

 それに、年を取ると、寛大さがだんだん薄れてきて、好き嫌いが激しくなります。特に、嫌いな評論家やタレントらがテレビやラヂオに出たりすると、直ぐにチャンネルを替えたくなります。例えば、時の政権に追従しておべっかしか使わない政治評論家とか、学者から政治家・実業家に転向して我田引水的政策しか断行しない政商評論家とか、「老人は早く死ね」と言った趣旨の発言をしても反省すらせず、相変わらずテレビに出続ける若い経済学者とか、さらには、やたらと露出して稼ぎの良いCMばかりに出たがるタレントとかです。奴らに「もっと汗水たらして、真面目に働け」と言っても馬耳東風ですし、関わるだけで精神的に無駄ですか?

 しばらく、(とは言っても5日ぶりですが)渓流斎ブログを更新しておりませんでしたが、その間に、意外にも皆さまからの多大なるアクセスがあり、コメントまで頂きました。本当に、嬉しい限りです。御礼申し上げます。ブログ更新が出来なかったもう一つの理由は、「誕生日病」かもしれません。私は、子どもの時分から、誕生日が近くなると、妙に気分が落ち込んでしまうのです。誕生日は一番、おめでたい日ではありますが、欲しくもない馬齢ばかり重ねて、不甲斐ない気持ちでいっぱいになってしまうのです。

 それでも、寂しい人生を送っておりますから、自分の誕生日プレゼントは、事前に自分で買って来ました(笑)。一つは、スイス製(とは言ってもベトナム製)の「オン」というスニーカー靴(1万7380円)です。靴底が厚くゴムのクッションが異様に効いていて歩きやすく、この靴を履いたら、他の靴が履けなくなってしまいました。これで、オンの靴は何と3足目なのです。前の2足はブラックでしたが、今回は薄茶色にしました。

 もう一つは、上の写真にある本格焼酎「里の曙 ゴールド」(4368円)です。奄美大島の黒糖焼酎で、アルコール分が実に43度もあります。昨秋、三軒茶屋の山本氏邸で、40度の焼酎を御馳走になって前後不覚となり、帰りは、他府県にまで電車で乗り過ごしてしまい、最終で最寄り駅に帰還できましたが、その後、塀やら、アスファルトに転倒して、今でもところどころに傷跡が残っているほど重傷を負いましたから、この焼酎は慎重に、翌日何も予定がない日を選んで「家呑み」することにしました。外で呑んだら危ない!危険です。でも、この「里の曙」は、まだアルコール分25度しか呑んだことがありませんが、口当たりがよく、さっぱりしていて、実に美味いのです。高級ウイスキーもウオッカもワインもどんな洋酒も、剣菱や越乃寒梅など、どんな日本酒も、この「里の曙」には敵いません。つまり、今の自分の好みが一番合っているアルコール飲料ということです。

 でも、これは宣伝でも何でもないし、何と言っても危険ですから、よゐこの皆さんは真似しないでくださいね(笑)。

味とは情報なり、味より情報が全てなり

 「歴史人」(ABCアーク)8月号「江戸の暮らし大全」特集を読んでいて、驚いてしまいました。

 「江戸町民の食事」なんですが、朝は、1日に1回しか炊かない炊き立てのアツアツのご飯と味噌汁、そして香の物だけ。卵も海苔もありません。お昼は、朝に炊いたご飯の残りと、干物の焼き魚、そして香の物。結局、このランチが一番豪華なのです。というのも、夕飯は、残った冷や飯をお茶漬けにして流し込み、おかずと言えば、香の物だけですからね。コロッケも生姜焼きも餃子も何もありません。これは、庶民の暮らしぶりなので、将軍さまや大名家ともなれば、これより遥かにましな食事をしていたことでしょうが、それにしても庶民は質素です。

 恐らく、江戸時代、庶民は、かなりの肉体労働に勤しんだはずですから、カロリー的にも足りるわけありません。昼間働いているからランチを豪華にしているんでしょうか。

 その点、現代人、特に私は、将軍さまや大名も驚くほど超豪華なランチを毎日のように取っていることになります。その贅沢さは、江戸幕府の将軍さま以上、ということになるかもしれません。

 まあ、お許しください。私が今働いているのは、ランチを食するため、と言っても過言ではないからです。働くためにランチを食べるのではなく、ランチを食べるために働いているのです(笑)。

新富町「蕎麦和食 はたり」

 そのためには情報収集が欠かせません。かと言って、あまりネット情報は重視しません。「孤独のグルメ」のように、自分の足で稼いで、フラッと入った店が美味しかったりするからです。

 とは言いながらも、全く、ネット情報を参考にしないわけでもありません。本日は、猛暑ですから、あっさりと蕎麦にでもしようと、検索してみたら、新富町の「蕎麦和食 はたり」という店が味、人気とも界隈ナンバーワンだということを知りました。

 「はたり」? あまり聞いたことがないので、地図で調べてみたら、何と、以前に1回か2回、行ったことがあった店だったのです(苦笑)。最近、ちょくちょくランチに行くようになった小料理屋「中むら」の近く、というより、同じビルの地下にあります。

新富町「蕎麦和食 はたり」もりそば+ミニ豚丼ランチ 1100円

 初めて行った時は、何も知らず、外の看板とメニューをチラッと見て入り、今では味も覚えていないくらい、淡々と済ませたのですが、今回は違います。ネット情報から、この店は、「厳選したそばの実を石臼で丁寧に挽いた、そば粉100%の十割そばがいただける人気店」という情報が私の脳の奥底にインプットされていました。

 そんな情報が入っていて、いざ食べてみると、まるっきり味が違うのです。蕎麦をすすりながら、「おー、これが石臼で挽いた蕎麦粉100%なのかあ~。さすが、十割蕎麦だなああ~」と、味に磨きがかかります。それこそ、情報の恐ろしさです。何でもそうでしょう。「ウチは魯山人の器を使っておるどす」なぞと言われれば、急に背筋がピンと伸びて、旨さも格別になってくるんじゃないでしょうか。

 そう、食べ物は結局、情報なんですよ。「天保3年創業」の鰻屋とか「嘉永2年創業」の和菓子屋なんて言われれば、震えて、思わず襟を正してしまいます。

 また、宮内庁御用達の銘菓なんて言われれば、何か自分が偉くなったような気分にもなれます。オーギュスト・エスコフィエやポール・ボキューズなんて名シェフの名前が出たりすれば、眼も眩んで圧倒されます。

 味は二の次です。情報を食べているようなものですからね。「ミシュランの星が付けば、絶対に美味い」なんという法律はないのに、多くの人が盲目的に信じ込んでいます。本末転倒ではありますが、これが日本人の哀しい性(さが)なのです。

 要するに、人間の脳は何とでも、騙されてしまうものなのです。

星座にはギリシャ神話とアラビア語の知識が必要だ

 永田美絵著「星空図鑑」(成美堂出版)は一応、読み終わりましたが、やはり、星座名はすぐ忘れてしまいます。お経のように、繰り返し繰り返し、何度も読み直さないと記憶できない、と覚りました。

 でも、シリウスや北斗七星、カシオペヤ座など子どもの時から知っている星座や、商品名に拝借された星座は、さすがに忘れることはありません。個人的ながら、一番覚えているのは、スバルです。冬の星座、おうし座のプレアデス星団の日本名だったんですね。清少納言の「枕草子」にも出てきます。

 スバルと言えば、スバル360です。子どもの頃、父親がその中古車を買いました。確か10万円でした。感覚的には今の100万円近い値段です。我が家初の自家用車だったので、嬉しくてしょうがありませんでした。この自動車会社は以前は富士重工業と言ってましたが、2017年からSUBARUに変更しました。社章もスバル星になっています。

 この会社、戦前は中島飛行機だったことは知る人ぞ知る話。戦闘機「隼」や「疾風」などを製造していました。創業者は、海軍軍人から実業家、政界に転じ、商工大臣や立憲政友会総裁なども歴任した中島知久平です。私は城好きですから、いつぞや群馬県太田市金山町にある金山城に行ったことがあります。戦国時代につくられた山城で、復元された石垣の大手虎口が素晴らしい。一見の価値はあります。また頂上に金山新田神社がありますが、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞をまつっていました。この辺りは新田氏の所領です。(徳川家康は、新田義貞の子孫を自称しておりますが、それを認めていない歴史学者の方が多いことは御案内の通りです。)

 この金山城の本丸付近に、誰か知らないおっさんの銅像が立っていました。それが、中島知久平だったのです。彼も、群馬県太田市出身でした。いわゆる企業城下町となり、この地に中島飛行機の工場やスバルの工場もあったといいます。郷土の偉人でした。

 星座の話でしたね(笑)。沖縄に有名なオリオンビールがありますが、恐らくですが、オリオン座から名付けられたのではないでしょうか。

 昔、1970年代にマツダから販売されたカペラという自家用車が人気になりました。アラン・ドロンが ”Capella, c’est mon plaisir.’ 「カペラは、僕の愉しみ」と宣伝しておりました。(現在、販売終了)そのカペラは、恐らく、6星ある「冬のダイヤモンド」の一つ、ぎょしゃ座のカペラから取られたと思われます。

 商品名に星座を付けられたのは、まあ、そんなもんでしょうか。意外と少ないですね。(音楽グループ「カシオペア」もカシオペア座から取られたかも知れません。)最近では、中京競馬場で7月に開催される重賞レースとして「プロキオン・ステークス」があることを新聞記事で見つけました。このプロキオンも、6星ある「冬のダイヤモンド」と「冬の大三角」の一つで、こいぬ座を形成しています。私は競馬をやらないので詳しく知りませんが、恐らく、プロキオン星からこのレース名が命名されたことは間違いないことでしょう。

新富町「壮石」海鮮丼1200円 またまた本文で関係ないんじゃないの?

 星座は、国際天文学連合(IAU)によると、88ありますが、これまた意外にも、植物から取られた名前は一つもないそうです。植物学者の牧野富太郎がそれを聞いたら、怒りまくることでしょうねえ(笑)。だって、羅針盤座、竜骨座、帆座まであるのですから。でも、星座は古代から、船乗りの道しるべ、つまり、羅針盤の役割を果たしていたわけですから、無関係とは言えません。

 星座は真面目に勉強しようと思えばキリがありません。何故なら、古代ギリシャ神話、ローマ神話、それにギリシャ語、ラテン語、アラビア語の知識が必要とされるからです。う-む、もう、ちょっと手遅れかなあ…悔しいけど。

 ま、星空観賞は、趣味の一つとして、これからも楽しみますよ。

【追記】2023.7.12

 星座の商標名が少ないので、真面目に88星座全部をチェックしてみました。

・海蛇座 ヒドラ=ウルトラマンに登場する怪獣ヒドラは、ここから取ったか?

・山猫座 Lynx=ゴルフクラブのメーカー

・山羊座 カプリコーン=1971年に「ハロー・リバプール」を日本でもヒットさせた英国のグループ名。レコードジャケットに山羊が登場しているので間違いないでしょう。

・鳳凰座 フェニックス=漫画、アパレルブランド、中古車販売、色々あります。

・双子座 ジェミニ=米宇宙計画が1960年代にありました。

・竜骨座 カリーナ=1970年から2001年までトヨタが生産販売したセダン。

・水瓶座 アクエリアス=1969年、フィフス・ディメンションのヒット曲。ロック・ミュージカル「ヘアー」でも使われた。日本ではラーメン屋さんもあるみたいです。

 やっぱり少ないですね。

チャットGPTによって、脳が搾取されているのかもしれない?

 先日、本屋さんに行ったら、やたらと「チャットGPT」関連の本が5~6種類、平積みになって売られていました。実は、表紙を眺めただけで、一冊も手に取ったりしませんでしたが、「チャットGPT」は目下、話題にならない日がないぐらい注目されていますから、関連書もそれだけ多く出版されるのでしょう。

 「チャットGPT」は、以前、小生も試してみましたが、あまりにも杜撰なので、すぐさま止めてしまったことをこのブログでも書きました。(2023年3月8日付「《渓流斎日乗》は俳句なのか!?=ChatGPTはいまいちです…」

 何と言っても、チャットGPTさんは、この《渓流斎日乗》ブログのことを「江戸時代中期の俳人・与謝蕪村が著した俳諧の随筆集の一つです。」なんて答えてくれてしまっているんですからね。 ありえない! です。

ヤブカンゾウ

 こんなにいい加減なツールなのに、チャットGPTの勢いは止まりません。小中高校でどうやって扱うのか、学生が論文をAIで仕上げたりしないのだろうか、コンクールにAI作品を出品したりしないだろうか…等々、喧々諤々です。

 私は、IT関係について、からっきし弱いのですが、このチャットGPTというのは、「生成AI」という技術を使っていることを知りました。ですから、この技術を使えば、「チャットGPT」社だけでなくても、他のIT企業でも、問答形式で答えたり、写真や動画を作成したり出来るツールをリリースできるのです。日本人が大好きなLINEも、チャットが出来る「AIチャットくん」なるものをリリースしたことを最近、新聞の記事で知り、私も早速試してみました。

 この「AIチャットくん」は、どうやら、悩み事相談やアイデア相談に特化しているようです。私は、これでも毎日豊富な悩み事を抱えていますから、相談してみました。

 「AIチャットくん」なるものを「開通」させて、最初に開いてみると、いきなり「最近悩んでいることや気になっていることはありますか?」と向こうから逆に質問してくるのです。相手はAIです。生身の人間ではないので、こちらも、調子に乗って、誰にも言えないような、秘密の悩み事を書き込むと、パッと答えてくれました。でも、最後は決まって「プロのカウンセリングによる相談を行うことが必要になるかもしれません」などと、AIらしからぬ、当たり障りがない、優等生の作文のような回答に段々なって来ました。

 こちらも納得がいきませんから、「貴方は何者なのですか?医者でも弁護士でも裁判官でもないのに、正しい回答が出来るのですか?」とまで質問してみました。すると、「本日の制限回数に到達しました」「プレミアムプランをご用意させていただきました。プレミアムプランへ加入すると、利用回数無制限でお使いいただけます!」との表示が出て来たのです。

 なんじゃあ、こりゃあ~

 大人げないですが、一番いい所で切れたので、こちらもキレました。

築地

 冷静になって、色々と探っていくと、「チャットGPT」にせよ、「AIチャットくん」にせよ、無料で使わせておいて、どうやら、秘密裡にデータを蓄積し、編集加工して、広告主などに有料で販売しているようなのです。まあ、当然ながら、それがビジネスモデルということになるのでしょう。IT企業は、儲けを追求する営利団体であり、ボランティアでも慈善運動でも何でもありませんからね。他人の脳を搾取しているようなものかもしれません。

 ということで、「タダより高い物はない」いや、「タダより怖いものはない」という教訓になりますね。 それでも、あなたは、「覚醒剤やめますか?それともチャットGPTやめますか?」と詰問されたら、どうしますか?

 ハムレットに言わせれば、「それが問題だ」。

45年ぶりのプラネタリウム=割と身近にありました

 相変わらず、永田美絵著「星空図鑑」(成美堂出版)を読んでおりますが、巻末に「全国プラネタリウムリスト」が載っておりました。筆者の永田さんの本職が、東京のコスモプラネタリウム渋谷の解説員であることも関係しているのでしょう。

 そしたら、小生の拙宅近くにあるプラネタリウムも掲載されていました。「へ~、そんなに本に載るほど有名なんだ」と思いましたが、30年以上住んでいて、一度も行ったことがありませんでした。その施設は、1988年に出来たらしく、名誉館長は、あの宇宙飛行士の若田光一さんです。もしかしたら、全国的にも有名なプラネタリウムかもしれません。

 そこで、昨日初めて行って来ました。小雨が降っていたので、自転車は諦め、暗渠の道を歩いて行ったら22分掛かりましたが、近いと言えば近いでしょう。プラネタリウムに足を運んだのは、恐らく、45年ぶりぐらいです。今はもうありませんが、渋谷駅前の東急文化会館にあった五島プラネタリウムです。(調べたら、2001年に閉館していたんですね。)学生時代、当時付き合っていた彼女と行ったと思いますが、星座のことは全く覚えていません(笑)。暗闇ですから、当時のアヴェックの逢引き所でした(いずれも死語)。

 さて、自宅近くのプラネタリウムですが、市営なので入場料が520円(50分間)という安さでした。まあ、私自身、たっぷり、市税を払ってますから、堂々と入場しましたよ。でも、お子ちゃまだらけで、始まる前は走り回ったり、騒いだり。始まると、急に私の空いた前の席に座って、リクライニングの椅子を倒して、狭苦しくなり、上映中も、母親と大きな声でしゃべる始末。ま、この子にしてこの親で、その母親も、事前に「スマホの電源を消すか、マナーモードにせよ」と告知されても、無視して上映中に明々と照らして、他人から見れば、それほど可愛くない息子の写真を撮ったり…。まあ民度のあまり高くない野蛮な所にしょうがなく住んでいるので仕方がないか、てな感じでした。

 とはいえ、内容はかなり充実して、楽しくてしょうがありませんでした。「星空図鑑」で勉強したばかりの「夏の大三角」ベガ、アルタイル、デネブだけでなく、「春の大三角」のアルクトゥルス、スピカ、デネボラは7月なら西の空にまだ辛うじて見えるらしいことも教えてもらいました。春の大三角のスピカは、おとめ座の女神デメテルが手に持つ麦の「穂先」という意味でしたが、スピカと同じ語源から、靴のスパイクや登山用のスピックが発生したことも解説してくれました。ん-む、お子ちゃまには分かるかなあ?

 とにかく、拙宅のベランダから見えるほぼ同じ景色から見える夜空の星座を解説してくれたので、大変重宝しました。実は、梅雨空の曇りがちで、街中の光が反射していることもあり、ほとんど星は見えないのですが、青天で明かりを消した状態で見える本来の星座の姿を「再現」してくれたので、感動してしまいました。これなら、毎月のように訪れたいと思ったぐらいでした。

 プラネタリウムは、単なる星という点に過ぎないものを結んで、星座という平面にしてくれて、大熊やさそりや射手や蟹などの図柄を見事に再現してくれるので、本とは違い、瞬時に理解することができます。

 お蔭さまで、夜空の星を見るという楽しみがまた一つ増えました。