北方領土問題

北海道に住んでいると、ことのほか北方領土に関心が高まります。まさしく、身近な問題だからです。
写真は、知床の明泊から見える国後島です。霧で少し霞んでいますが、手を伸ばせば届きそうなほど近い所に位置していました。
「こんな近くにあるのか」というのが正直な感想です。

ここでは、あまり政治的な問題に触れても詮方ないことでしょう。私に何か力があったり、世論を動かしたりできれば別ですが、庶民は悲しくても運命を受け入れてしまいがちです。
今、北海道新聞の「戦後60年―戦禍の記憶」の通年企画で、「北方領土の元島民」の連載が続いています。これを読むだけでもこの新聞を読む価値があります。恐らく、このような連載ができるマスコミは、メディアの性格的にも体力的にも地政学的にも世界を見渡しても道新ぐらいでしょう。

そして、「戦後60年」ということは、成人として戦禍の渦中を体験した人の証言を得る最後の「戦後」になるという現実を我々は理解しなければなりません。
私はこの連載で、初めて島を占領された元島民の生き証人としての生の声を知ることが出来ました。
例えば、択捉島にいた佐藤八重さん(84)さんは、「ソ連兵5人ぐらいが靴のまま家に上がりこみ、銃剣で天井を突き、畳を全部ひっくり返し、神棚にあった腕時計3個をわしづかみにして持っていった」などと証言しています。
また歯舞諸島の志発島で昆布漁業者だった腰昭二さん(78)は、「当時を知る私たちの世代が他界してしまったら、島がどこにあるのかさえ国民は分からなくなってしまうのではないか」と憂えています。

島には軍属以外に、教師や漁師や商店主ら普通の生活をしていた庶民が沢山住んでおり、ある日、突然、過酷の運命に晒され、今も帰島の夢は叶っておりません。私は一瞬、パレスチナ問題みたいだ、と頭によぎりましたが、政治的発言は止めましょう。問題があまりにも深く、自分の無力を恥じ入るばかりです。

言葉の乱れ

公開日時: 2005年7月14日 @ 11:10

最近、巷では「言葉が乱れている」と、喧しいですね。

わたし的には、世間ずれすることはやばい、てゆーか、うざいっていう感じかな。

といった感じです。世の聡明な評論家や教育者は眉をしかめます。

しかし、言葉というのは、手垢がつくと、その意味から遊離して、それこそ、うざったくなり、人は、何か新しい言葉を見つけることによって、得意になったり、新鮮な気分を味わったりしたくなるものではないでしょうか。

それでも、新語の「賞味期限」も段々早くなりました。

私が若い頃よく使っていた「ナウい」とか、「アベック」なんて使うと、今の若い人は噴き出してしまうことでしょう。

数年前に流行った「チョベリグ」だの「チョベリバ」なんていうのも、死語になってしまいました。

「汚名挽回」「後世畏るべし」といった誤用についても、よく指摘されますが、そもそも「独壇場」も「だらしない」も誤用が転じて、次第に慣用的に使われたものです。

でも、こういう話は大好きです。もっと、もっと、話題にしましょう。

外務省

外務省の職員は、4つのパターンに分かれるそうです。

①能力があって、やる気がある人
②能力がないが、やる気のある人
③能力があって、やる気のない人
④能力がなくて、やる気のない人

うーん、どの会社や組織にでもいそうですね。

この中で、誰が一番、国益にとって、不都合が生じるでしょうか?

答えは、明日。

親子鴨のお通り


今朝、帯広川縁を散歩していたら、鴨の親子に遭遇しました。

親は周囲を警戒しているようでした。

4匹いた小鴨のうち、1匹だけは、悪戯盛りで、勝手に道草を食べていて、皆に置いてきぼりされそうになって、慌てて、まだ飛べないのに、羽を広げて、集団を追いかけていました。

その仕草がたまらなくかわいかったです。

北海道は植民地か!?

昨日は、冗談半分で「帯広語」などと書いてしまいましたが、本当は、北海道は殆ど方言がなく、イントネーションも東京と変わらないのです。

そこを付け込んだ業者がいることを、今日の北海道新聞の記事で初めて知りました。

方言がないことをいいことに、本州の特に東京の大手企業が「コールセンター」を北海道に移転しているというのです。札幌市も「雇用促進」になるからといって、2000年度から総額2億8000万円の補助金をつぎ込んでいるそうです。

何が問題なのか。

その前に「コールセンター」とは何かを説明しなければなりませんね。要するに、簡単に言えば、苦情処理係りです。見知らぬ人間から、居丈高に、時には罵声や怒鳴り声を浴びなければならない、あの苦行です。信用だけが大切だが、苦情が多い食品メーカーや保険会社、クレジット会社などが特に必要としている部署です。
しかし、その本拠地を東京に置いていては、お金が掛かりすぎる。そこで目を付けたのが「人件費が安く、方言が少ない」北海道だったのです。道の補助金制度のおかげで、道内には現在44社のコールセンターがあるそうです。

例えば、Aさんが買ったチョコレートの一部が溶けていて不良品状態だった。文句を言うために、東京の電話番号を回すと、いつの間にか、そして全く知らぬ間に、電話は転送されていて札幌の人と話しをしていたというわけです。

問題なのは、そのコールセンターのひどい労働条件です。トイレにも気兼ねしていけない。給料が安く、出勤日も指定されるので、月収が10万円にも満たない人がいる。仕事にやりがいがあればまだ我慢できるが、いきなり理不尽にも怒鳴りつけられれば、離職したくなるのは当たり前でしょう。上司もあまりにも人が替わるので名前が覚えられず、ついに、オペレーターを番号で呼ぶそうなのです。これでは、鶏のブロイラー場ではありませんか。

大手企業のほとんどは「人件費が安いから北海道でやらせてるんだ」と開き直っているそうです。これでは、明治以来、「開拓」「殖産」の美名の下、実態は内地による植民地政策と殆ど変わらないのではありませんか。まあ、百年やそこらでは日本人の心性など変わるはずがないのでしょうが。

【昨日の答え】
①なした?(どうしたの?)
②ゴミ投げていいですか?(ゴミ捨てていいですか?)
③バスタッチ(バスターミナル)
④しゃごむ(座る)
⑤(病院で)こわいですか?(辛いですか?)

帯広語

帯広に住んで2年近く経ちました。
来てみて、意外にも日本語が通じるので驚いてしまいました(笑)。
それでも、最初はどうしても分からなかった帯広語があります。
もう慣れてしまいましたが、皆さんはこの中でいくつ分かるでしょうか?
ちなみに、外国語を習得するには、異性の友達を持つことが一番だということを確信しました。
私の場合、おねえちゃんたちでしたが、野人も含まれます。

それでは…。

①なした?
②ゴミ投げていいですか?
③バスタッチ
④しゃごむ
⑤(病院で)こわいですか?

さて、いくつ分かりましたか?
答えは明日…

白樺

新しくC社の一眼レフの高級デジタルカメラを買いました。
今度のカメラは18㍉から200㍉までの望遠付きなので、色んなアングルから撮れるようになりました。

しかし、性能が良すぎて、800万画素の画像が取れてしまうので、1枚が4MBから6MBぐらいになってしまうのです。

このブログには残念ながら、1MBまでの画像しか掲載できません。

誠に残念です。

是非、掲載したいので、gooさん、どうにか改善してください。

チーズ国際会議

公開日時: 2005年6月23日 @ 20:13

今日は一日中、帯広市内で開かれたナチュラルチーズ国際交流会議を傍聴していました。
国際会議といっても、外国からはフランスを中心に欧州7カ国から59人が参加して、日本も関係者が100人くらいですから、本当に小さな会議です。言語はフランス語で、同時通訳者のレベルの高さには恐れ入ってしまいました。

一日中、傍聴していて、さぞかし、すごい話が聞けるだろうと期待していたのですが、残念ながらどれも「自慢話」の域を出ず、あまり、「食指」が動きませんでした。

昨年度の数字ですが、日本では約3万5千トンのナチュラルチーズが生産され、そのうち、帯広・十勝での生産が約60%を占めます。雪印など大手3社があるせいですが、地元のチーズ工房が盛んになったのは1980年代以降ですからそれほど歴史があるわけではありません。それでも、欧州以外でこの会議が開かれたのが、今回、帯広・十勝が初めてだというのですから、関係者の皆さんの努力には敬意を表したいと思います。(第1回大会が1991年開催で、今回は記念すべき第40回大会でした)

ちなみに、日本人は一人年間1・8キロのチーズを消費しますが、フランス人は何と25・9キロも食べます。日本人の実に14・4倍です。

ああ何か今晩はピザが食べたくなりました。

ジェンキンスさん、40年ぶりの帰還

公開日時: 2005年6月15日 @ 16:55

北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさん(46)の夫ジェンキンスさん(65)が6月14日に母国アメリカ(ノースカロライナ州ウェルドン)の土を40年ぶりに踏み、母親のパティー・キャスパーさん(91)と再会したニュースには本当に感動して涙が止まりませんでした。

何しろ40年ぶりでっせ、親分。さぞかし、浦島太郎さんの気持ちなんでしょうね。

40年前とは、1965年のこと。私のような「ビートルズ史観」に冒された人間にとって、1965年といえば、映画「ヘルプ」が公開され、アルバムは「ヘルプ」と「ラバーソウル」が発売された年。「アイ・フィール・ファイン」「デイトリッパー」「イエスタデイ」「ミッシェル」「ガール」…と沢山のヒット曲に恵まれ、ニューヨーク・メッツの本拠地「シェア・スタジアム」でのコンサートでは5万5千人の観客を集めました。まあ、ビートルズ全盛期でしょうね。

一方で、ヴェトナム戦争が泥沼化した年でもあります。在韓米軍基地にいた25歳のジェンキンス軍曹も、「ヴェトナムに送られて戦死するよりまし」と思ったのか、「北の楽園」北朝鮮に脱走してしまいますが、その後の数奇な運命は、日本人ならもう誰でも知っています。

しかし、詳しい事情を知らない人口1400人の田舎町はさぞかし驚いたでしょうね。いきなり100人もの報道陣が詰め掛けたのですから。ジェンキンスさんの40年ぶりの帰国を歓迎する人がいる一方、退役軍人やヴェトナム帰還兵の中には「彼を英雄視するべきではない。単なる臆病者だ」と批判する人もいましたが、彼らの頭の中の世界では極めて正しい論理なのでしょう。

人間はそれぞれの「小宇宙」の世界で生きているので、話し合っても分かり合えないのです。
だからこそ、ジェンキンスさんは、終始あまり目立たないように控えめに行動していたように見受けられました。

それにしても40年ぶりとは…。それでも、ジェンキンスさんは「玉手箱」を持って帰らなくてよかったですね。

ヨット単独無寄港世界1周

公開日時: 2005年6月14日 @ 18:30

ちょっと古いニュースですが、6月初めに日本人が相次いでヨットによる単独無寄港世界1周の快挙を成し遂げました。一人は「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一さん(66)。もう一人は71歳という世界最高齢を打ち立てた東京都台東区の斉藤実さん。

堀江さんは「超有名人」ですが、ヨット仲間では「孤高」の存在で、マスコミ嫌いであまり取材は受けない人のようです。今回の「快挙」も後援は某新聞社で、「シャープの太陽電池」を搭載した「SUNTORYマーメイド号」…とやけにスポンサーの名前が目に付いたので、ここではあまり取り上げません。

スポットを当てるの斉藤さんの方です。6月6日、神奈川県三浦市の小網代湾に233日ぶりに帰港した斉藤さんの第一声は「地面が揺れてるよお~」でした。チャキチャキの下町のべらんめえ調で、生来の底抜けの明るさは、打ちひしがれている人々に勇気と感動を与えはてくれました。ほとんどのテレビニュースでは取り上げられていなかったのですが、斉藤さんが記者の質問に応えてこんなことを話していたことが妙に印象的でした。

「サラリーマンだったら、50歳になったらさっさと会社なんか辞めちまって好きなことをすればいい。どうせ、なれるとしたらせいぜい部長ぐらいだろう。何も会社や社長のために身を粉にするこたあねえや。自分の好きなことやりゃあいいんだよ」