今年も機密情報について色々と見聞しております

 2022年(令和4年)、明けましておめでとう御座います。

 今年もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い賜わります。

 何しろ、ブログ執筆は、老骨に鞭を打って、家内制手工業でほぼ毎日やっているもんですから、今年はいつまで続くかどうか…。皆様からの温かいご支援と、「渓流斎の野郎、今日は何を書いているんだ」という皆様からのチェック(広告も)だけが頼りで御座いまする。

 今年の年末年始は、皆さんとほとんど変わらない生活でした。大晦日は、やはり、某公共放送の「紅白」は見ないで、書斎でタル・ファーロウを聴きながら、何やらかんやらして除夜の鐘も聞かずによゐこは寝てしまいました。

 お正月は、お節料理とお酒のバラ色の日々。2日は、孫たちが遊びに来てくれて、てんやわんやの大騒ぎでした。この良心的なブログは、秘密組織が監視しているようなので、あまり書きたくないのですが、娘婿の一人と英語で雑談していたら「Area 51」の話を聞きました。私自身、聞いたことがないので「知らないなあ」と応えたら、「えっ!? そんなこと知らないんすかあ~」と吃驚した顔をされてしまいました。

  Area51というのは、米ネバダ州にある米軍秘密基地の総称で、ステルス戦闘機など秘密兵器などがここで極秘に開発されたと言われます。2013年になって米CIAが、やっとその存在を公式に認めたといいます。超軍事機密ですから、立ち入り禁止どころか、撮影も録画も禁止です。鉄条網が張り巡らされた外部の看板には「Use of deadly force is authorized」と表示されています。

 どう訳したらいいものか?「もし、貴方が許可なく近付いて殺されても当局は責任を問われません」といった意味に近い気がします。西部劇か?と突っ込みたくなりますが、これは冗談ではなく現実です。

 賢い婿殿は言います。「結局、アメリカ合衆国を動かしているのは大統領じゃないんですよ。オバマにしろ、トランプにしろ、バイデンにしろ、4年か8年経てばそれで終わり。結局、何十年も政権を裏で支えている官僚が動かしているのでしょうが、それが、CIAなのか、FBIなのか誰も分からない。NSC(国家安全保障会議)でもない気がする。米国民でさえ、知らされていない秘密の闇の部分がいっぱいありますよ。いまだにケネディ暗殺の公式文書は公開されていない。公開されたら大変なことになるからでしょう」と言うのではありませんか。

 やはり、いつの時代も、機密情報が世の中を動かしているわけです。

また、リュックサックを買ってしもうた。左が新しく購入したHelly Hansen ヘリーハンセン(1877年、創業ノルウェー)1万6280円。計量で肩に掛けやすい。右のanelloは、とても安いので、電車に乗っても街を歩いても全く同じモノをしょってるおばさんを何人も見掛けて気まずくなってしまいました(笑)。確か、3000円ぐらい。

 そしたら、今日3日になって、「えーー!」と驚くことがありました。私の会社の先輩で毎年、年賀状をやり取りしている、今も現役で演劇評論家をなさっている斯界では有名な横溝幸子氏から、年賀状の返信が早くも届き、「横溝光睴は私の父親です」と応えてくださったので、吃驚したわけです。

 この横溝光睴(よこみぞ・みつてる、1897~1985年)とは、戦前の内務省のエリート官僚で、このブログでも以前に取り上げさせて頂きましたが、昨年11月27日(土)にオンラインで開催された第40回諜報研究会で、講師の岸俊光氏の「日本型インテリジェンス機関の形成」という演題の中で登場された主要人物でした。

 岸氏は、毎日新聞記者出身で、日本政府の情報を統括する内閣調査室(内調)の研究では第一人者です。そして、横溝光睴氏は、内調の前身に当たる戦前の内閣情報機構の創設の経緯について記した「内閣情報機構の創設」を執筆した一高~東京帝大卒の内務官僚で、戦前に福岡県警特高課長や内閣情報部長、岡山、熊本両県知事、朝鮮の京城日報社長なども歴任した人でした。

 私の会社の先輩の横溝幸子氏の父親は、戦前の内務官僚だったという噂を聞いたことがありましたが、苗字が同じ横溝光睴は、伯父さんか、親類縁者ではないかと思い、今年の年賀状に一言添え書きして質問したら、直ぐに、 「横溝光睴は私の父親です」 との返事が葉書で返って来たのでした。資料に関しては、全て国立公文書館に寄贈した、という話でしたが、それにしても、そんな凄い方が御尊父だったとは知りませんでした。

ATM(明るく、楽しく、前向きに)をモットーに=2021年大晦日所感

 2021年も暮れようとしています。この時期になると、いつも頭にこだまのように聞こえてくるのが、中原中也の詩「帰郷」の中にある「ああ おまえはなにをして来たのだと…吹き来る風が私に云う」というフレーズです。

 本当に一体、自分はこの年齢(とし)まで、何をして来たんだろう、という感慨です。随分、青臭い話じゃありませんか(苦笑)。少年の頃、年を取れば、落ち着いて、物事を達観して、日向ぼっこでもして、平穏な日々が送れるものとばかり思っておりましたが、真逆ですね。自分は、生臭坊主ということなんでしょうか(本物のお坊さん、失礼!)。人間、恐らく、誰でも未完成、未熟のまんまで死んでいくことでしょうね。

焼き鳥店「もりのした」佐賀名産のみつせ鶏

 さて、師匠さんも走る「師走」ということで、私も、ここ数日、ブログ執筆はほんの少しお休みさせて頂いて、他人様と同じような日常作業を行っておりました。年末は、いつも通り、年賀状書きとお買い物の付き合いとお掃除整理に追われた、といったところでしょうか。

 年賀状は、かつて一番多い時は300枚ぐらい出しておりましたが、年々減っていき、それが200枚となり、150枚になり、ここ最近では120枚ぐらいが続いておりました。が、今年はついに100枚を切りました。先方から「70歳になり、これを節目に賀状は取りやめることに致しました」との御連絡が届くようになり、私としても、「気づかないうちに減っていった」という感じが理想的です。先方から来なくなったら、こちらからもう返信しませんから、いずれ50枚ぐらいにしたいと思っております。

 年賀状が減っていった理由は、やはり、相手様が亡くなってしまったことが大きいですね。今年も高校時代の親友を始め、会社の70歳代のまだ若い先輩(出してから、後で訃報を知った方もおられました)ら5人も亡くなってしまいました。メメントモリです。

焼き鳥店「もりのした」

 最初から暗いことばかり書いてしまいましたが、来年以降の私のモットーとして挙げたいのが、「ATM」です。いえいえ、Automatic Teller Machine(現金自動預け払い機)のことではありません。「明るく、楽しく、前向きに」の頭文字を取った造語です(笑)。

 私にとって、今年最大の出来事は高校時代からの親友の急死でしたが、それにまつわり、想像もしていなかった人間関係のこじれに巻き込まれてしまい、落ち込んでいたら、ある方から、私の性格をズバリ見抜かれてしまい、これからは「明るく、前向きに」生きることを勧められたのでした。

 この「明るく前向きに」に「楽しく」を入れたのは私の考えです(笑)。もともと「お笑い」は大好きで、「エンタツ・アチャコ」や「あきれたぼういず」はさすがに知りませんが、クレイジーキャッツやドリフターズ、「コロンビア・トップ&ライト」「Wけんじ」、漫才ブームの「横山やすし・西川きよし」らずっと見聞きしてきました。

 この中で、「ビッグスリー」と呼ばれる「たけし」「さんま」「タモリ」の三羽烏がまだ健在なことが凄いですね。ビートたけしさんの場合、ギャラが高いせいなのか、ある番組を降板させられたり、最近人気に陰りが出てきてしまいましたが、タモリは、NHKの「ブラタモリ」などでその隠れたインテリぶりを発揮していまだに絶好調です。

 でも、3人の中でいまだに現役でお笑いの第一線を張っているのは、現在66歳の明石家さんまかもしれません。バラエティー番組のレギュラーに何本出ているか知りませんけど、若手芸人を押しのけて、40年以上もいまだにトップを走っています。私は、一番最初は、この人のことを「落語も出来ないのに、何処が面白いのか」分からなかったのですが、その当意即妙な司会進行ぶりや、常人ではとても考えられないギャグの連発には、誰かの好きな言葉でもある「余人に代え替え難い」お笑いのチャンピオンだと納得するようになりました。

 「お笑い」ながら、彼が時々垣間見せてくれる「人生訓」には、鋭利な刃物のように胸に突き刺さります。彼の娘に「いまる」と命名したのは、「生きているだけで丸儲け」から取ったことは有名です。確かに、地位も名誉も人気もお金も死んでしまったら、何も必要のない霞みたいなもんです。本当に、生まれてきて、生きているだけでも、丸儲けです。この世に生まれて来られなかった人も沢山いることでしょうから…。

最近、ジャズギターにはまって、CDを買い揃えました。ケニー・バレル、タル・ファーロウなんかいいですね

 もう一つ、先日、見ていた番組で、「さんまさんに悩みはないんですか?」との質問に、彼は、25歳まで悩みはたくさんあったが、25歳以降はもう悩むのはやめようと決めた、と言うのです。「自分は悩むような大した人間ではない。反省もしない」と達観したようですが、これまた凄い。人間ですから、色々と悩みは尽きないはずですが、「悩むことをやめた」とはなかなか出来ないことです。(考えてみると、皆、一人で好きで悩んでいるのかもしれませんぜよ?)

 やはり、お笑いを仕事にしている限り、自分がハッピーでなければ、他人を笑わせることはできません。お笑いの王者は、天賦の才なのか、計算づくなのか分かりませんが、打算や計算ぐらいでは大した人気者にはなりません。やっぱり天才なんでしょうね。

 私もシニアになったことですから、これからは「明るく、楽しく、前向きに」をモットーに、無理はせず、背伸びもせず、某局の紅白はもうついていけないので、好きなタル・ファーロウ(米ジャズギタリスト、1921~98年)でも聴いて、年を越したいと思っています。

馬廻り衆はとっても偉い旗本だった

 本日は、単なる個人的な雑記ですから、読み飛ばして戴いて結構で御座います。

 皆さん御案内の通り、私は今、通勤電車の中で、アダム・スミスの「国富論」(高哲男・新訳、講談社学術文庫)と格闘しているのですが、文字を読んでも、来年、講師の依頼があった講演会で何を喋ろうかという思いが先行してしまい、さっぱり頭に内容が入ってこなくなりました。

 電車の中の読書といえば、こんなお爺さんが一生懸命に勉強しているというのに、車内の9割ぐらいのお客さんはスマホをやっていて、新聞や雑誌を読む人でさえ皆無になりました。中にはスマホでニュースを読んでいる人もいるでしょうが、ほとんどゲームかSNSかネットショッピングです。こりゃあ、日本の将来は明るい!

「もりのした」みつせ鶏唐揚げ

 お爺さんといえば、その講演会案内用の講師の写真を自撮りしてみたら、まるで、玉手箱を開けてすっかり老人になった「浦島太郎」の心境です。我ながら、「えっ!こんな老けてしまったの?」という感慨です。まあ、既に孫がいるシニアになってしまったので仕方ないのですが、人生って、あっという間ですね。悩んでいる暇はありませんよ。

銀座「わの輪」生姜焼き定食900円

 さて、12月25日付朝日新聞朝刊を見たら吃驚です。このブログで何度も登場して頂いているノンフィクション作家の斎藤充功氏が写真入りでインタビューに応じていたのです。オピニオン&フォーラム耕論のテーマ「死刑 その現実」という中で、斎藤氏は、3人のうちの一人として登場されていたのですが、強盗殺人で計4人を殺害した死刑囚と11年間、131回も面会を続けてきたことと、その心に残った印象を話されていました。

 早速、斎藤氏には「天下の朝日新聞に御真影まで掲載されるなんて凄いですねえ」とメールをしたのですが、返信はありませんでした。普段なら直ぐに返事が来るのでどうされたのでしょうか?彼一流の照れなのか、それとも怒っているのかもしれません。

 その斎藤氏のことですが、このブログで何度も書いているのですが、「斎藤氏の大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は幕臣で、六百石扶持の馬廻役だった」といいます。その曾祖父の「馬廻役」とは、どんなものかそれほど詳しく知らなかったのですが、雑誌「歴史道」別冊(朝日新聞出版)の「戦国最強 家臣団の真実」を読んでよく分かりました。

 馬廻り衆とは殿様の側近中の側近で、戦(いくさ)になれば、騎乗して総大将(大名、藩主)の一番近くに従い、機動力を生かして家臣団の中核を担う花形でした。総大将の近くに「幡(はた)持ち」がいますから、まさにその旗の近くに控える「旗本」ということになります。

 六百石扶持ともなると、供侍(ともざむらい)や小荷駄(こにだ)持ち=武器や食料を運ぶ=ら常に10人近い家来を付き添わせています。平時では、殿様の警護を務めることから、城下町でも藩主の近くに住む上級武士団と呼ばれ、その外側に軽輩の身分の徒士(かち)が住み、その外に町人が住み、さらにその外側に、弾除けの足軽組屋敷が配置されるという五重構造になっていたと言われます。

 とにかく、斎藤氏の御先祖さまの「六百石馬廻役」というのはとても高い身分だったことは確かです。私の先祖の高田家は、九州の久留米藩(21万石)の下級武士でしたが、御船手職の中で、御船手頭、大船頭、中船頭、小船頭に次ぐ御水主頭(おかごがしら)という役職で、わずか、五石六斗二人扶持だったと聞いてます。足軽は三石一斗(三両一分=さんぴんいちぶ)程度で、「このどさんぴんが!」と蔑まされていましたが、私の先祖も足軽に毛が生えていた程度だったことでしょう。でも、私の先祖が住んでいた下級武士の長屋には、後にブリヂストンを創業する石橋家も住んでいました。(自分の祖先については、もう少し調べなければならないと思いつつ、時間が経ってしまっています=苦笑)。

 下級武士とは言っても、江戸時代、武士は全人口のわずか7%しかいなかったと言われています。安藤優一郎著「幕臣たちの明治維新」(講談社現代新書)によると、幕臣と呼ばれた人は約3万人いて、そのうち旗本が6000人で2割、御家人が2万4000人で8割だったといいます。やはり、旗本は凄いエリートだったんですね。

【追記】

 江戸城では、海や大掛かりな堀が少なく警備に隙がある北西に当たる番町(現東京都千代田区)に、旗本を住まわせたことから、広大な屋敷が並び、今でも高級住宅街になっています。

 明治維新後、幕臣旗本は追放され、その後にやって来たのが、薩長土肥の明治新政府陣です。作家有島武郎、里見弴、画家の有島生馬らの父である有島武は薩摩出身で大蔵官僚となり、番町の追放した元旗本の邸宅に住んだわけです。

アベノマスクで27億円、余計に負担する国民

 本日は、愛用の高級腕時計(パテック・フィリップではなく、グランドセイコーですが、何か?)を家に忘れてきてしまいました。出勤途中で気が付いたのですが、我ながら、やはり、そろそろ頭の方もヤバくなってきたんでしょうか?

 でも、アベノマスクのことは忘れませんよ。

アベノマスク

  岸田首相は21日の記者会見で、希望者に配布するなどした上で、余った分は年度内をメドに、ということは来年3月までに廃棄すると発表しました。何しろ、今年10月末時点で8130万枚もが在庫として保管されていて、その保管費などが昨年度末時点で約6億円に上っていたといいますからね。

 しかも、そのうち、検品したら約1100万枚が不良品で、その検査に掛かった費用が約20億9200万円だったということですから、逆上したくなるほど馬鹿げています。検品でそんなお金掛かるんでしょうか?

 100億円出して宇宙旅行する実業家が日本にいるくらいですから、捨てちゃうじゃなくて、ガーゼを加工するとか、その商才に長けた彼にもっと有効活用してもらったらいいと思うんですけどねえ。

銀座「ムンバイ」ダブルカレーセット1030円

 明らかに安倍晋三政権の失策でしょう。この27億円以上?という「損害」を補填するのは、またまた国民の税金です。それなのに、当該者たちは、この責任を取ろうとは全くしません。それに、「不可抗力だった」だの「予想に反することが起きた」なぞと弁解するんでしょうから、裁判になっても無罪放免になるんじゃないかしら。

 岸田首相は、いわば前々政権の尻ぬぐいをさせられた格好ですから、可哀想といえば可哀想なんですが、彼も閣僚として、安倍内閣の外務大臣などを務めていたわけですから、何らかの責任を取ってもらわなければいけません。未来を担う子供たちにも示しがつかないんじゃないでしょうか。

銀座「ジャポネ」ヘルシースパ 600円 おー、実に6年ぶりに訪問。20分も待たされましたけど。

 外国人がこのニュースを聞いたら、どう思うのかしら?

 「そんな為政者を選んだのは、あんたたちでしょ?」と言われそうですが。

「帝国陸軍の恥」と「電気化学工業の父」=ノンフィクション作家斎藤充功氏と懇談

 参りました。スマホの通信が不調でアプリが繋がらなくなり、ブログの更新もうまくできなくなりました。困ったもんですが、様子見するしかないようです。やっぱ、安い携帯通信事業者じゃ、「安かろう悪かろう」になってしまうんですかね?(後でスマホを「再起動」したら、繋がるようになりました!)

 17日(金)は、またまたノンフィクション作家の斎藤充功氏からのお招きで、都内某所で忘年会のような飲み会に参加しました。滅多にないことですが、この日は仕事で遅くなってしまい、約束の時間に間に合わず、申し訳ないですが、20分程遅れてしまいました。

 そしたら、約束した居酒屋に向かおうとしたら、斎藤氏から電話が掛かってきて、「その店は客あしらいが悪いのでもう出て来ましたよ。今、外で煙草を吸ってます。他の店にしましょう」と仰るではありませんか。結局、次に行った店も、注文しても、若いお兄さんが「ちょっと待ってください。順番でやってますから!」と怒ったような大声を出すし、斎藤氏が灰皿をお願いしても忘れて持ってこないし、またまた客あしらいの悪い、感じの悪い店でした。「都内某所」と書いたのは、その店がある街の名誉のために敢えて伏せておきまする(笑)。

 前回10月28日付渓流斎ブログ「久しぶりの痛飲=S氏の御先祖様は幕臣旗本だった」にも書きましたが、斎藤氏の大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は、六百石扶持の馬廻役の直参旗本だったいう血筋の良さですが、御本人は国立大学を中退して、ヤクザな?フリーランスの操觚之士となった方です。「文藝春秋」や「新潮45」(休刊)などの名物ライターとなり、今年は600ページを越す「中野学校全史」(論創者)や「ルポ老人受刑者」(中央公論新社)などを出版するなど、これまで出した本は50冊以上で、80歳となった現在でも現役として活動されている、まあ化け物みたいな方です(笑)。

 斎藤氏は、若い編集者からは「スーパー爺さん」と陰口を叩かれているらしいのですが、その人並み外れたバイタリティーは、何処から来るのか不思議です。「わたしは100歳まで現役を続けるつもりです」と豪語する斎藤氏に対して、私も思わず、「その原動力は何処から来るのですか?」と尋ねてみました。 

 すると、一言、「好奇心です」と仰るではありませんか。

 私なんか、もうこの年で、楽(ラク)して儲けようとしている詐欺師ばかりがのさばる社会の矛盾には白けてしまい、もうあまり気力も好奇心もなくなってきましたが、いつまでも青年のような好奇心を失わない斎藤氏はやはり只者ではありませんでした。

 斎藤氏の最近の「お仕事」としては、現在、千葉県市川市にある「国立国際医療研究センター国府台病院」は、実は、戦前は精神疾患を発症した皇軍将兵を収容し治療していた「国府台衛戍病院」(昭和から「国府台陸軍病院」)だったにも関わらず、「帝国陸軍の恥」として「歴史」から抹殺され、現在ではセンター病院に勤めている人でさえほとんど知らない実態をルポにまとめておられました。

 斎藤茂吉の子息で「モタさん」の愛称でも知られる精神科医の斎藤茂太も、若い頃にこの国府台陸軍病院に勤務していたそうです。

 「わたしは埋もれた歴史を掘り起こすことが好きなんですね。語弊があるかもしれませんけど、資料がなければ歴史が書けない学者とは違うんですよ」と酒の勢いもあってか、斎藤氏は絶好調でした。

◇「政商」野口遵とは?

 もう一つ、現在、取材と執筆を並行して行っているのが、野口遵(のぐち・したがう=1873~1944年)という化学者の評伝だといいます。私自身は不勉強で、この野口さんのことを全く知りませんでしたが、とてつもない人物でした。金沢の前田藩士の子息として生まれ、東京帝大電気工学科を出た技師でしたが、シーメンス入社後、独立して日本で初めてカーバイド製造事業を始め、それが現在のチッソ(旧・日本窒素肥料)や旭化成、積水化学、信越化学などの礎になっているというのです。ま、これら超一流企業の創業者と言っていいでしょう。

 野口は、「政商」として植民地時代の朝鮮にも進出して、大規模な水力発電所を幾つも建設し、「朝鮮半島の事業王」とも「電気化学工業の父」とも呼ばれ、巨万の富を築いた人だったと言われます。

 確かに、私が知らなかっただけかもしれませんが、歴史に埋もれた人物を発掘して現代に蘇らせる仕事は斎藤氏の真骨頂とも言えます。本が完成したら私も読みたいと思いました。

 同時に、こんな凄い先生なのに、あしらいの悪いお店のお兄ちゃんはどうにかならんものか、と思いましたよ。世の中、そんなもんですかねえ…。

良心の呵責があっては妨げになるのか?=森友学園問題を巡る財務局元職員遺族訴訟の幕引き

 森友学園問題に関する財務省の決裁文書改竄を苦にして、2018年に自殺した財務省近畿財務局の元職員赤木俊夫さん=当時(54)=の妻雅子さん(50)が、国などに損害賠償を求めた訴訟は15日、急転直下、国が約1億円の賠償請求を受け入れることで幕引きを図りました。

 当然のことながら、遺族の雅子さんは「お金目的ではなく、真相を究明してもらいたいだけ。非公開の場で臭い物に蓋をするようなやり方は卑怯だ」と反発しました。

 私も大いに同調します。

 新聞もテレビも大きく報じましたが、一番分かりやすかったのが、16日付東京新聞朝刊です。見出し四段で「森友訴訟 急転幕引き」と取り、横見出しで「職員自殺 国が1億円賠償へ」となっています。

 確かに、お金の問題ではありませんが、1億円を賠償するこの「国」って何なんだ?とこの見出しを読むと大いなる疑問が浮かんで来ます。そして、冷静に考えると、結局、その賠償金は、税金から支払われることに気が付きます。つまり、誰が責任を取ったかというと、国でも財務省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官でもなく、税金を負担している国民だったということが分かります。この許せない事実がこの見出しに込められているように私には思えました。

鎌倉・円覚寺

 妻の雅子さんの「夫は国にまた殺された」という叫びと非難は、非常に切実なものがあります。

 この改ざん問題は、安倍晋三首相に忖度し、自己の出世欲に目が眩んだ佐川理財局長が、強引に赤木さんに指示したのではないかという説が濃厚です。佐川氏に対する訴訟だけは継続される、と表向きでは言われていますが、大本の権力者が安泰である限り、裁判官の斟酌は半永久的に不滅でしょう。

 その大本権力者である安倍元首相は、有権者の票が欲しいので「桜を見る会」で地元民を優遇した人でもあります。しかも、その財源は国民の税金です。彼は、最高権力者のポストは降りても、キングメーカーとして院政を敷いて権力を護持する計画だといわれてますから、また国民がツケを支払わされるのではないかと危惧されています。

 どうも、人が亡くなったというのに、権力者というのは良心の呵責も、自己嫌悪も、反省もしないのでしょうか? それとも、良心の呵責も自己嫌悪も反省もしない人間が、権力者になるのでしょうか? 鶏が先か卵が先か、みたいな話でしょうが、それらの条件は、不即不離の関係にあることは間違いないと私は思っています。

鎌倉・円覚寺

 そもそも、これは世界的傾向ですが、罪悪感を覚えたり、良心の呵責に駆られたり、自己嫌悪に陥っていたりしては、為政者なんかやってられませんからね。

 私自身は、「蟷螂の斧」と分かっていながら、またこんなことを書いて、自己嫌悪に陥りそうです(苦笑)。

【追記】(12月17日)

 12月16日付東京朝日新聞夕刊一面の名物コラム「素粒子」に掲載されていた記事。

 「ふざけんな」。真相解明を税金で止めるなんて。森友訴訟、上司の証言ないまま。

   ×  ×

 この約1億円の賠償金支出は、納税者として許し難い。

 たった、わずか二行で、昨日書いた私の記事を表現している。逆に言えば、私の言いたいことなんぞ、ダラダラと書かなくても、二行で済む、てか?

MD再生機が壊れてしもうたぁ…

 うーん、今年4月に買ったばかりのMD(ミニディスク)プレーヤー(2万5980円)がもう故障してしまいました。

 まだ8カ月しか経っていませんが、もともと、中古品だったので、保証期間がわずか3カ月しかありませんでした。せめて、あと数年は持つかと思っていましたから、茫然自失です。15年間も使っていた全く同じメーカーの機種を探して、再度、中古で購入したのですが、愛着があったからです。

 このMD再生機には、CDプレーヤーとラジオも付いていますが、CDもラジオも異常なしなのに、壊れたのはMDだけです。読み取りができなくなり、挿入してもMDがすぐエジェクト(排出)されてしまいます。故障しても、修理してくれるところがないということが最大の障害です。

 不吉な予感はありました。先日(12月3日)、「さよならMD、店頭からも辞書からも 平成に刻まれた思い出は消えず」という朝日新聞の記事を読んだばかりでした。既に、音響機器「ティアック」が昨年12月にMDプレーヤーの生産を終了してしまったらしく、「こりゃ、やばいなあ」と感じていたのでした。

 この記事によると、MDシステムはソニーが開発し、1991年に発表したといいます。となると、たった、わずか、30年も経たずに「終わっちまうのかえ」と言いたくなります。

 思い起こせば、私の世代は、音響機器に関しては随分と振り回されました。録音再生機だけに絞っても、最初、1960年代はオープンリールのテープでしたが、70年代はカセットテープ全盛時代です。90年代からMDになったというのでしたら、カセット時代は20年しか続かなかったということになりますか。えっ?意外にもMDより短かったの?

 MDが衰退してしまった今は、スマホ(のハードディスク)にダウンロードするか、USBに「録音」するという時代なのでしょうか。

 でも、私の場合、MDには学生時代のバンドの演奏とか、ラジオで録音した好きなジャズとか貴重な音源がいっぱい収録されています。それに、いまだに、英語とフランス語の語学学習はNHKラジオを聴いているので、MD録音は欠かせません。とにかく、MD再生機がないと困っちゃうなあ…(山本リンダ)。

 MDプレーヤーは、ネット通販で購入したのですが、そこのサイトを確認したら、「修理があればメールしてください」とアドレスが公表されていたので、メールしてみました。

 でも、土日を挟むとはいえ、5日も経つというのに何の返信もなし。ま、「もう諦めるしかないかなあ」と悟り始めています。

 となると、「MDのない生活」を考えなければなりません。差し当たって、語学学習は、1週間遅れにはなりますが、スマホのアプリで再生して聴くことができます。録音したMDは捨てずにとっておきますが、プレーヤーは、これからラジオとCDを聴くしかないようです。

 でも、こういうことがあると、「永久保存版」だの「永遠」だのという言葉はあり得ないということを実感しましたよ。どうせ、死んだら、私のMDもゴミとして処分されることでしょうし、まあ、「生きているうちが華」という格言しかないということです。

いざ「竹葉亭」へ=ポイント乞食、老舗鰻屋に走る

 本日は、通勤途中、朝っぱらから原付バイクに乗った若いおまりさんから追い駆けられて叱られました。詳細は省きますが、嫌なことがあったので、通勤定期を買ったりして溜まっていたJRのスイカのビューカードに付いたポイントを今朝、駅にある「ビューアルッテ」で交換してきました。数千ポイント溜まっていたので、そのまま数千円分使えることができます。

 さて、どうしようか。差し当たって、今欲しいものは特にありません。いや、あるんですけど、それは、ジョン・レノンがはめていたパテック・フィリップの高級腕時計で、それは数千円ではなく、数千万円もするので、買えるわけありません(笑)。

 そこで、本日は高級ランチに行くことにしました。今、喉から手が出そうで出ない高級ランチと言えば、ここしばらく御無沙汰の鰻です。そして、鰻といえば、銀座界隈で食すとなると築地の「竹葉亭」に決まってます。竹葉亭は銀座5丁目にもありますが、やはり、本店の築地の方が落ち着いて食すことができます。

築地「竹葉亭」鰻お丼B 3520円

 このコロナ禍による不景気のご時世だというのに、店内はほぼ満杯で、少し待たされました。

 こっちはポイントで稼いだ余剰金があるので、大船に乗ったつもりで、「 鰻お丼」のAではなく、少し高いBを注文しました。

 さすが、幕末創業の竹葉亭。文句なしのお味でした。

 さて、お隣の席は、初老の紳士と三十路そこそこの若い女性で、何となく怪しい関係に見えるカップルでした。耳を塞ぐわけにはいかず、二人の会話は丸聞こえでした。

 どうやら初老の紳士は、スパイ映画007の大ファンらしく、全部観ているとか。何故なら、第1作「007 /ドクター・ノオ」が公開された年(1962年)に生まれているからだ、と紳士は若い女性に呟いていました。隣に諜報員がいるというのに、そんなことまで喋っていいんですかねえ。59歳か…これで、彼の年齢が分かってしまった(笑)。

 そして、007の大ファンのため、彼の愛用腕時計は、スイスの「オメガ」だと言いつつ、若い女性に自分の腕時計を見せびらかしていました。「まあ、凄い!」と女性が黄色い金切り声をあげたことは言うまでもありません。

 紳士のお仕事はどうもファッション関係のようで、青山にある高級ブランドB店の店長に今度紹介するよ、電話しとくよ、と何度も言ってました。恐らく、店長の口利きで割安で商品が買えるんでしょう。再び、若い女性は黄色い金切り声でした。

築地「吉兆」工事中?

 また、さて、ですが、以前にもこのブログで書いたことがあるのですが、新橋、築地界隈は、明治時代から高級料亭が林立しています。「吉兆」、「松山」、「米村」、「金田中」(新橋演舞場)、「新喜楽」(芥川・直木賞の選考委員会が開かれますが、実はここは「築地梁山泊」の異名を取った大隈重信邸でした)、「ふぐ料亭わのふ」(かつての料亭「石蕗(つわ)」)、「花蝶」(1968年の日通事件の舞台になった)等々です。

 この中でも代表的な高級料亭は「東京 吉兆」ですが、久しぶりに近くを通ったら、何と今、工事中でした。しかし、「建築計画」の看板をチラッと見たのですが、吉兆の「き」の字も書かれていませんでした。

 「おかしいなあ」と思いつつ、会社に戻ってパソコンで調べたところ、どうも、あの「吉兆」がコロナ禍のあおりを受けて、今年1月で「休業」してしまったらしいのです。どうも事実上の「閉店」らしいのです。よく分かりませんが。

 世知辛い世の中になって、政治家さんたちが料亭で密室政治をやってくれなくなったからでしょうか…。残念といいますか、良きにつけ悪しきにつけ、日本の伝統文化がなくなったようで、何か哀しいものがあります。

 

「大東亜以下⑨」が意味するところ

 本日は、いや、本日も、とりとめのない話です(笑)。

 一昨日のブログ「邪馬台国は我々の世代では『永遠の謎』で終わってしまいそう」という記事の中で、「貴様~!」と自分で書いておきながら、我ながら、「貴様とは、本来なら貴人に対する尊称なのに、いつの間にか、相手をののしる言葉になってしまったのは何故なんだろう?」と疑問を持ってしまいました。

 ある国語辞典によると、「貴様」は近世初期まで武家の書簡などで敬意をもって用いられたのに、江戸時代後期になると、同等またはそれ以下の者に対して用いるようになったといいます。理由はよく分かりませんが、「貴様」さんの身にしては、天国から一気に地獄に堕ちた気持ちになることでしょう。

 これは「御前(おまえ)」も同じことが言えます。古代では、神仏や貴人の前で言う尊称だったのに、これまた江戸後期から同等や目下の者に対する呼びかけとなったようです。何だあ、真逆じゃないかい! 幕末に言語革命でもあったんでしょうか?幕末は、新選組や渋沢栄一らの例に見られる通り、農民から武士に引き立てられるなど、かなり身分の厳格化が薄れていったため、話し言葉にも、格差解消が少し反映されていったのかもしれません。これは、私の説なので当てになりませんが(笑)。

東京・銀座 3丁目「囃shiya (はやしや) 」のハヤシライス1000円。見た目とは違って、こだわりの店らしく、濃厚で、この上なく美味でした。

 これまた私の感想なので当てになりませんが、日本語ってどうしてこう言葉が変化していくのでしょうか。以前、ドストエフスキーの翻訳家としても著名なロシア文学者の亀山郁夫氏にインタビューしたことがあるのですが、その時、同氏がドストエフスキーの時代の19世紀のロシア語と現代のロシア語とほとんど変わっていない、という話を聞いた時は、本当に吃驚したものでした。現代日本人は、もはや明治時代の文語文は容易に読めませんからね。

 21世紀になり、ネット社会になり、日本語の変化はますます秒速並みに早くなっています。今年の新語・流行語大賞には、米大リーグ、エンジェルス大谷翔平の「リアル二刀流/ショータイム」が選ばれましたが、例えば、3年前の2018年の大賞を覚えている人はほんのわずかでしょう。(答えは「そだねー」)

 今年の流行語のトップテンに選ばれた中で、「親ガチャ」「うっせぇわ」は何とか分かりますけど、「スギムライジング」「ゴン攻め/ビッタビタ」ともなると、私の場合、オリパラを熱心に見ていなかったので、知りませんでした。

 となると、時代の流行に敏感なJKら高校生クラスの間で流行ったといわれる「はにゃ?」とか「ひよっているやついる?」ともなると全くのお手上げです。

今朝は、就職情報サービス「マイナビ」が新卒大学生向けに6日に送信したメールのタイトル「<第1>大東亜以下➈」が「学歴フィルターを掛けている」と大騒ぎになっていました。

 私自身、「<第1>大東亜以下⑨」とは何を意味するのか分からなかったのですが、本日の読売新聞夕刊などによると、「大東亜以下」とは大東文化大学、東海大学、亜細亜大学の頭文字で、本来ならこの後、「帝国」と続き、それぞれ帝京大学、国士舘大学を意味するそうで「大東亜帝国」の大学の偏差値が「近い」というのです。確かに読売新聞は、偏差値が「高い」「低い」ではなく、「近い」という言葉を使っておりました。ただ、肝心の「⑨」については触れず仕舞いでした。

 実は、これは朝のラジオで聴いたのですが、この⑨は「まるきゅう」と読むらしく、ネットスラングで「馬鹿」という意味らしいですね。

 恐らく、メールを送られてきた学生さんは「馬鹿にすんな」と怒り心頭に達したのでしょう。

マイナビは「このメール作成とは別の作業でコピーしたワードをペーストしたもの。学歴によって一部の学生が有利になるようなことは行っていない」と苦しい弁解をしましたけど、逆に「学歴フィルター」を掛けていることがバレバレになってしまったわけです。

 ネットスラングにしても、すぐに広まってしまうわけですから、ネット社会の恐ろしさも痛感しましたよ。

 

ニヒリズムの正体とその克服

 私自身、ここ1カ月以上も精神的にニヒリズム状態が続ていることを先日、告白したばかりですが、新聞を読んでいたら、ニヒリズムを克服する記事が出ていたので、偶然の一致といいますか、これ幸い、目から鱗が落ちるようでした。

 これは12月4日付朝日新聞朝刊の読書欄で社会学者の大澤真幸氏が、ニーチェの「ツァラトゥストラ」について書いていた記事でした。これから私が書くことは、大澤氏が結論として真に言いたかったことから大きく外れてしまいますが、私なりに敷衍したニーチェの思想を孫引きさせて頂くことにします。(秀才大澤氏は何と、「ツァラトゥストラ」を高校1年の時読んだそうです。私は19歳の時、読みましたが、ほとんど理解できませんでした。)

 ゾロアスター教の教祖といわれるツァラトゥストラを通してニーチェが説いた思想は、永劫回帰でした。この永劫回帰とは、人生に対して否定的な態度をとるニヒリズムを克服する知恵のことです。そして、このようなニヒリズムを生み出しているのは、ルサンチマン(怨恨)だというのです。この怨恨とは、起きてしまったことを受け入れないと感じたときに発生するといいます。

 この箇所を読んで、私自身はハッとしました。思い当たるフシがあったからです。今年4月27日に高校時代からの親友が急死してしまったのですが、その彼の死を知らず、10日も経って、友人のT君からの報せを受けて初めて知ったという事実があったことでした。この後、同じ高校時代の友人が自分の倫理に悖る行為を優先したいがために、一方的にこちらの追悼文に関して「自己中心的だ」と非難するなど、かなりのイザコザがありました。

 このような「起きてしまったこと」がずっと心の奥底に沈殿していて、「受け入れらない」というルサンチマン(怨恨)が、潜在的に蓄積していたことが分かったのです。つまり、この怨恨が私自身をニヒリヒスティック(虚無的)にしたのではないか、と。

 私の場合のニヒリズムは、アパシー(無感動)とか、物欲も名誉欲もあの欲も何もなく、生きている充実感がないといった虚しいものでした。これらの原因となった怨恨については、意識下にあったので気が付かなかったのです。

 ルサンチマン(怨恨)の克服法について、大澤氏はかなり難しいことを書いています。

 それは、過去に遡って意欲することだ、とツァラトゥストラは説く。まず、「そうであった」という過去の現実がある。これを私(大澤氏)は実は「そうであったことを欲したのだ」に置き換える。さすれば、まさに欲していたことが起きたことになるので、怨恨は出て来ない。

 うーん、かなりの難行ですね。私(渓流斎)の場合に当てはめると、親友の死を10日後に知ることを望んでいて、倫理に悖る行為を優先する友人とは仲違いすることを最初から望んでいたことになります。そう思い込むことで気が楽になるということなのでしょうか。

 いずれにせよ、我が事のことながら、人間って本当に厄介ですなあ…。