人間なんて…それより地球の歴史が面白い=「フォッサマグナ」を知ってますか?

 石井妙子著「女帝 小池百合子」(文藝春秋)なんかを読んだりすると、「人間って嫌だなあ」とつくづく思ってしまいます。どうも「他人を支配したい」とか「他人より楽して金儲けしたい」というのが根本にあるようで、他人を利用(搾取)したり、簡単に裏切ったりするのは当たり前。戦国時代なら、親子だろうが伯父、甥だろうが、上司だろうが、跡目争いのためには人殺しなんか日常茶飯事でしたからね。

 特に歴史に名を残すような人間は、人一倍、野心と虚栄心が強く、上にはひいこらしても、下は奴隷扱いで、自己の目的を達成するためには不義、不正でも手段を選ばず、他人を蹴落とし、平気で大嘘をついて、虚飾だらけの見栄っ張りが多いような気がするのは私だけではないと思います。

 これらに加えて、人間には愚痴や羨望心や嫉妬、やっかみ、誹謗中傷、悪口、いじめ、無視、告げ口、盗聴、盗撮、詐欺、脅し、暴行などがあります。

 生きていれば、毎日こんな人間を相手にしなければならないとは…、そりゃあ、誰だってミザントロープになりたくなりますよ。

裏磐梯・五色沼の柳沼

 そんな時は、悩んでばかりいないで、壮大なことに触れるのが一番良いですね。例えば、宇宙とか、何千万光年も離れた星座とか、人間なんか及びもつかない悠久の世界です。

 フランスの文化人類学者レヴィ・ストロースが言うように「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」(「悲しき熱帯」)というのは昨今の気候変動でますます真実性を帯びてきたと思います。

 最近、私は、まだ人間なんか登場していない「地学」に興味を持つようになりました。NHKの番組「ブラタモリ」の影響のせいかもかもしれません。

 先日は、番組で、糸魚川ー静岡構造線(糸静線)と「フォッサマグナ」をやっていましたが、実に面白かったです。ただ、バラエティー番組?なので、メモも取らず、寝っ転がってのんべんだらりと見ていたせいか、表面的な理解で終わってしまい、後で、「何たることかあぁー!」と、自分自身の疑問に3日も経って気が付いたほどです(笑)。

 私自身の地学の知識は、中学生程度のレベルですが、今や、その上に、優秀な学者さんによる最新機器によるシミュレーションや研究で新しい事実が次々と発見され、インテリジェンスは昔と比べられないくらい更新されています。

 私なんか「フォッサマグナ(大きな溝)」とは、幅が数百メートルか、せいぜい1キロ程度の断層かと思っていたら、先ほどの糸静線を西の端として、東の端は新発田ー小出構造線と柏崎ー千葉構造線だといいいますから(異説あり)、本州中央部、中部地方から関東地方にかけての縦断地域がすっぽり入ってしまうということになります(文末の糸魚川市HP参照)。

 番組で覚えていることは、もともと日本列島は大陸にあったのですが、2000万年前の地殻変動によって島として分断されたといいます。しかも大きな一つの島ではなく、南北二つに分かれた島が分離しました。その南北の島の間の海だったところが、いわばフォッサマグナで、1500万年前ぐらいから活発になった地殻変動やら火山活動などで、火山灰や砂岩、泥岩(この二つが交互に重なって埋まると「砂岩泥岩互層」が出来たとか)などがその南北間の海に大量に積もって、くっついてしまい、そのお蔭で、一つの島になったというのです。(番組ではやってませんでしたが、この後、この一つの島から北海道、四国、九州が離れて出来ていくのでしょう。人間なんか全く存在しない時代ですよ)

 北島と南島の境界の海の深さは6000メートルだったそうです。それが、火山灰や溶岩、砂岩、泥岩などで全部埋まってしまうどころか、数千メートル級の山まで出来てしまったわけで、番組では「エベレスト級の山々がすっぽり入る」と解説していました。

 もともと海だったところが埋まって出来たフォッサマグナは、繰り返しになりますが、本州中央部と中部地方から関東地方に当たり、首都東京も入りますから、うろ覚えですが、番組では「日本の人口の三分の一がフォッサマグナに住んでいる」とやっていました。

 番組を見て、3日ほど経ってから、番組の中では一言も言ってくれませんでしたが、私はある重要な事実に気が付きました。「なあんだ、フォッサマグナに富士山がある!」

 となると、日本一の富士山というのは活火山ですから、マグマを底に秘めているとはいえ、水深6000メートルの海に1万メートル近くの溶岩や砂岩や泥岩などが積み重なって出来たということなんでしょうか?

 実に、実に壮大な話ですよね。

 イザコザや、皮肉や、やっかみだらけの人類の歴史よりも、地球の歴史の方が遥かにダイナミックで面白いんじゃないでしょうか?

 ※なお、「フォッサマグナ」に関しましては、糸魚川市のHPをリンクさせて頂きました。

日本の航空の父、フォール大佐にちなんだカツレツ=所沢航空公園「割烹 美好」

 本日書くことは、単なる個人的な日記なので、読んじゃ駄目ですよ(笑)。

 11月19日(金)は本当に久しぶりに会社の元同僚のM君と新宿で一献を傾けました。彼と会ったのは5,6年ぶりか、いやもっとなるかもしれません。彼は嫌な性格で(ハッハー)、こちらが誘っても向こうは断り続け、そのうちにコロナ禍になってしまい、なかなか会えず仕舞いでした。

 私が彼を誘い続けていたのは理由(わけ)がありまして、ここでは書けませんけど、個人的に大変お世話になったことがあったからでした。まあ、ズバリ、彼には御礼をしたかったわけです。

2021年11月19日(金)新宿

 結局、彼の今の職場に近い新宿で会うことになり、私が選んだのは「呑者家」(どんじゃか)という新宿三丁目にある居酒屋さん。この店はビートたけしや「噂の真相」編集長の岡留安則氏らの行きつけの店だったということで、一度行ってみたかったからでした。

 行ってみたら、それほど広いとは言えない普通の居酒屋さんでした。金曜の夜なので、満員かと思っていましたが、まだコロナ感染の怖れで自粛している人も多く、ワリと空いておりました。

 彼とは近況を話したり、かつての同僚の話をしたり、今後の仕事の話をしたりで、ここに特記するようなことはありません。新宿に来たのも、5,6年ぶりぐらいの久しぶりで、店が変わっているところもあり、何となく、街も綺麗になった感じでした。

所沢航空公園「割烹 美好」明治15年創業の老舗

 翌11月20日(土)は、父の17回忌の法要を家族きょうだいのみで墓所がある所沢聖地霊園で執り行いました。当初は6人で行う予定でしたが、結局、母は体調不調で欠席、姉夫婦も急遽不参加となりました。東北大学の教授だった義兄の御尊父が亡くなられ、仙台で葬儀などがあったりしたためでした。

 結局、兄夫婦と私の3人だけでしたが、墓掃除をしたり、綺麗な花を飾ったり、御線香をあげたり、短くお経を唱えたりして無事、法事を済ませました。

 家のお墓の最寄り駅は、西武新宿線の航空公園駅で、近くに所沢航空公園もありますが、知る人ぞ知る日本の航空の発祥地でもあります。

所沢航空公園「割烹 美好」

 その日本の航空の発展・指導の面で大いに貢献した人が、大正8年にフランス航空教育団長として来日したフォール大佐でした。(フォール大佐の通訳を務めた麦田平雄氏の墓地は、我が家と同じ所沢聖地霊園にある、と写真にありますね!)

 そのフォール大佐が日夜、利用した割烹店が今でもあるということで、ランチに行ってみました。兄の車に乗せてもらいましたが、航空公園駅から8分ぐらいの住宅街の中にありました。

所沢航空公園「割烹 美好」フォール・カツレツセット1980円

 到着したら「満員御礼」の表示がありましたが、大丈夫。法事ということで既に1カ月近く前に予約していたからです。予約注文していた料理は、勿論、日本に航空操縦技術を伝授してくださったフォール大佐に敬意を表して「フォール・カツレツセット」です。

 カツが2枚もあってお腹いっぱいになるほどボリューム満点。フランスの軍人なら平気で平らげていたことでしょうが、日本人の年配者には少し多いかもしれません。

 でも、カツレツは、肉が柔らかく、やさしい上品な味でした。

所沢航空公園「割烹 美好」を訪れた著名人

 何と言っても、この老舗店「割烹 美好」は明治15年(1882年)創業ということですから、これまで色んな著名人が訪れています。

 テレビ番組のグルメレポーターやタレントさん、芸能人らの写真が廊下の壁にベタベタと飾られておりましたが、特筆すべきは上の写真です。

 ノーベル物理学賞の湯川秀樹博士、国連事務次長、東京女子大学長などを歴任し、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造、満鉄総裁、東京市長などを歴任した後藤新平、それに地球物理学者で東京帝大付属航空研究所顧問なども務めた田中館愛橘、日本航空界の先駆者で陸軍航空を創設・育成した徳川好敏(御三卿清水徳川家八代当主、男爵)もいます。

 へー、と思ってしまいました。彼らもフォール・カツレツを召し上がったのかしら?

 

「凄過ぎるベルーナ」は本当に凄かった

 毎日、ブログを書き続けることは至難の業です。

 ということで、本日は他人様の褌をお借りして相撲を取ることに致します(笑)。

 まずは昨日の11月15日に書いた「便利さと引き換えに個人財産を搾取される実態=堤未果著「デジタル・ファシズム」という記事です。アップして間もなく、九州にお住まいのAさんから本当に久しぶりにメールがありまして、「堤未果氏の本は初歩レベルで、内容も浅いものです。」と仰るので吃驚してしまいました。ITに詳しくない私にとっては知らないことばかりでしたからね。

 Aさんはこうも仰います。

 「ZOOMもLINEもインスタグラムも、メーカーのシステムエンジニア(SE)レベルの知識があれば簡単に盗見みすることが可能です。ZOOMで会議したものは筒抜けになっていると思った方がよろしいかと存じます。現在、デジタル化が推進されているようですが、重大なデメリットが内在していることをほとんどの人は知りません。ZOOMや中国系の人気動画TikTokなどを使用する場合、丸裸で外を歩いているようなものだと思ってください。ネット社会にプライバシーはありません。老婆心ながら。」

 ひょっえーー、ですね。

【歴史的瞬間写真】「ワクチン接種の効果がどれくらい残っているのか約10分で確認できます」(東京・銀座5丁目 「中和抗体検査 銀座ステーション」)

 続いて、11月10日に書いた「凄過ぎるベルーナ」です。この記事を読まれた埼玉県上尾市にお住まいのMさんから驚きのメールが今朝飛び込んで来ました。

 …11月8日付「裏磐梯一人旅」の記事中に、「ベルーナの子会社グランベルホテルが経営」と書いてあったので腰を抜かすほどビックリしました。数年前、千葉に住む奥さんを亡くした友人が「ベルーナの宅配弁当を利用している」と聞いた時もビックリしたものです。
 また、11月10日付「凄過ぎるベルーナ」でまた腰を抜かしました(ヘナヘナ 立ち上がれましぇん)

 JR上尾駅東口にベルーナの大きな本社ビルがあり、その前にはベルーナ経営と思われる超高層マンションがあります。本社ビルの1階に喫茶店があり、JR高崎線がストップした時など運行回復するまで時間つぶしに何回か利用しました。
 一方、西口には旧本社ビルがあります。ベルーナ名称のビルや自動車整備工場、倉庫など上尾市内に数えきれないほど関連の建物に出くわし、「ここもベルーナかー!」と今でも驚かされています。
 30年ほど前に知人の母親が「ベルーナの通信販売のバートをしている」と初めて会社名知ったのですが、今は世界戦略を練る大企業になっていたのですね。
 私がよく通る道に「社長宅」がありますよ。広くはないのですが、竹林のある立派な造りで、厚くて高い淡い色壁の目隠し塀の上には鉄条網が張り巡らされ、多分電気が流されていると思われます。以前から普通の家ではない雰囲気がありましたが、最近になって息子から「ベルーナの社長宅」と聞いて納得したものです。

以上 箸にも棒にもかからないメールでスミマセン。…

 いえいえ、とんでもない。地元の人にしか絶対に分からない凄い機密情報です。本当に有難う御座います。こうして、渓流斎ブログは読者の皆様に支えられて続いております。

通販大手ベルーナの発祥地である印鑑販売店「友華堂」か?(埼玉県上尾市)Copyright par MM

【追記】

 Mさんが、わざわざ、ベルーナの発祥地「友華堂」と思われる印鑑販売店の写真を撮って来てくださいました。

 他に、「ベルーナ社長宅」も一緒に撮って来てくださいましたが、さすがに世界中に愛読者がいる(?)渓流斎ブログに掲載したら大変なことになりますね(笑)。確かに、社長宅の塀には有刺鉄線が巡らされていました。

 Mさんは、奥さんから「いい年をして、あなた何やってるの!?」と叱られながら、老骨に鞭を打って写真を撮って来てくださいました。感謝感謝です。御本人は「心臓ドキドキ、心ときめく取材を久しぶりにすることができました」とのことですから、よかった、よかったです。

「新説 戦乱の日本史」(SB新書)が当たった!=月刊誌「歴史人」読者プレゼントに3度目の当選

 またまた月刊誌「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。

 これで何と3度目です。この雑誌は、あまりにも面白くてためになるので、ここ1~2年、毎月購入していますが、何か申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 今回当たったのは、嬉しくも本です。「新説 戦乱の日本史」(SB新書)という本です。倉本一宏、亀田俊和、千田嘉博、 川戸貴史の各氏ら古代史から近現代史までのその筋の権威が書いているので、面白くないわけがありません。

 取り上げられている「戦乱」は、乙巳の変から関ケ原の戦い、アジア・太平洋戦争まで15件。「新説」ですから、例えば、 乙巳の変は、「蘇我氏内部の抗争も関わったクーデターだった」とするなどこれまでの常識を半ば覆すような説が展開されているようなので、今から読むのが楽しみです。

和田アキ子さんの店、築地「わだ家」

 これで終わってしまうと、あっさりしてしまうので、また銀座ランチ、いや築地ランチです。 

 昨日は、久しぶりに歌手 和田アキ子さんの店、築地「わだ家」に行って来ました。前回行った時は、それほど混んでいなかったのですが、今回は、コロナ感染者の減少のせいか、ほぼ満員で、少し待たされました。

築地「わだ家」 豚丼定食880円

 注文したのは、豚丼定食。これだけ揃って880円とは超お得。

 でも、これまで北海道の帯広で元祖の本場もんを食べて来たので、申し訳ないですが、軍配は帯広の勝ち。こちらは、ちょっとご飯が少なめで、豚が多過ぎ。別に温泉卵もいらないんですけど…。

 こんなことを書くと、アッ子さんから怒られるので、本場帯広の豚丼の味を知っている私が悪いのです、と付記しておきます。

 

デジタル監視社会で窒息しそうだ=生かさぬように殺さぬように

 実に頭が痛い話です。

 サラリーマンには、年末に保険控除や家族・配偶者手当などを申請する「年末調整」というものがあります。それは、2枚ぐらいの紙で、既に色々と書かれている用紙に自分の名前や保険の種類などを書いて、領収書を添付すればそれで終わっていたのですが、今年から急に、何と、オンラインで一(いち)から申請せよ、との通達が舞い込んできたのです。

 会社のLANの通達文書には、そのマニュアルが50ページ近く添付されていて、若い人ならスラスラできるでしょうが、「えー、こんなもん出来るかあー」と叫びたくなりました。

 でも、よく考えてみると、年間給与、つまり年収を記入したり、家族構成を記入したりするわけですから、システム会社に情報が筒抜けです。

 これには怪しい伏線がありました。これまで、社内LANなり、社内メールなり、会社のシステム局が外部と委託したりして一応自前でやっておりました。それが、今年4月から急に、社内LANもメールも、それら全体を統括するシステムを米マイクロソフトに丸投げしてしまったのです。社員に対して経緯の説明は一切ないので詳細は分かりません。ただ、「システムを切り替えかえたので、新しい、ソフトにメールアドレスを移行してください」などといった指導があっただけでした。

 その裏に隠された重要性に気付いた社員はほとんどいませんでした。

 今読んでいる本は、実に憂鬱な話ばかりです。読んでいて嫌になります。

 堤未果著「デジタル・ファシズム」(NHK出版新書)です。いわゆるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)や中国のアリババやテンセントなどネット界の巨人によって、個人情報が思う存分に吸い取られて搾取される実態が赤裸々に描かれています。心ある人なら、必ず読むべきです。

 著者の堤氏に言わせれば、彼らのビジネスモデルは、インターネットという無法地帯の仮想空間で、人間の行動を監視し、収集し、データを変換して、加工した「未来の行動予測」を商品として市場で売ることで、国家をはるかに超える巨大権力を手にしている、というものです。

 この本では、その具体例がボカスカと列挙されています。日本の例については、回を改めていつか書いてみたと思いますが、本日は、外資に食われたフィリピンの例です。同国内の電力事業は2社の国営企業が完全に独占し、利益拡大のための経費削減と、競争の欠如からくる手抜き仕事でサービスは極めて劣悪だったいいます。そこで、ドゥテルテ大統領が奮起して、民間の電力会社を参入させ、お蔭でサービスが劇的に改善します。しかし、そこには落とし穴があって、その民間企業に「国家電網公司」という中国企業の資本が入っており、そのうち、この中国企業が電力会社の株を買い占め、幹部をフィリピン人から中国人に替え、同時に扱う部品も中国製を増やしていきます。そして、気が付いたら、フィリピンの送電網を動かすサーバー設備が中国の南京市に移されていたというのです。

 となると、どうなるのか。もはや何があってもフィリピンは中国に逆らえないことになることは誰でも想像できます。(堤氏は書いていませんが、ドゥテルテ大統領の祖父は中国出身の華僑ということで、もともと中国寄りの人物と言われていますから、こうなることは予想していたのではないかと思われます)

 ◇トロント市はITガリバーを追い出す

 その全く逆に、ネットのガリバー企業を追い出した市の例も出てきます。グルメ王の辻下氏もお住まいのカナダのトロント市です。同市は2017年、グーグル系列のIT企業にデジタル都市建設を発注します。当初は「夢の未来都市」「住民目線のニーズに応えた新しいライフスタイル」といった甘い言葉に魅惑されていた市民も、次第にその「負」の部分に気付き始めます。市内中にセンサーが張り巡らされ、住民の行動を逐一、スマホから追跡し、収集した膨大なデータは「参考資料」としてグーグルの姉妹会社に送られる…ある市民が何月何日何時何分にどんなゴミを捨て、誰と会って、どこで何を食べ、飲んだか、そういった情報まで調べられていたというのです。

 これには市民たちの不満は日増しに募り、猛反発の運動が起こり、2020年5月、ついにグーグルの系列会社はトロント市からの撤退と計画中止に追い込まれたというのです。

 まさにデジタル監視社会の最たるものです。こんな社会では、窒素しそうで、生きている心地すらしません。

 そんな恐ろしい監視社会が日本でも進行中です。しかも、デジタル庁なぞは名ばかりで、米国のGAFAにほぼ丸投げ状態だというのに、優しい、政治に無頓着な日本人たちの個人情報はダダ洩れで、悪魔たちに付け入る隙ばかり与えております。

 庶民ができるささやかな抵抗は、せめて、グーグルで検索せず、Gメールは使わず、iPhoneもやめ、勿論、フェイスブックも辞め、アマゾンで買い物はしないことです。でも、禁断の蜜の味を知った日本人にそんなことできますか?

  私は、手始めにスマホの「位置情報」を切断することにしました。便利さの代償があまりにも大きいことをこの本で気付かされたからです。

会津漆塗りの盃と小鹿田焼の五寸皿

 最近、どうも「ぐい呑み」づいております。

 このブログの10月30日付「備前焼のぐい吞みをゲット=友人Y君から」に書いた通り、備前岡山出身の友人から備前焼のぐい呑みを頂いたことを書きました。

茂徳作・会津漆器盃

 今度は、先日、会津の裏磐梯に行った際、お出迎えして頂いた安奈さんから、この会津漆塗りの盃を記念に戴いてしまいました。

 ロバート・キャパにならって、写真は「ちょっとピンボケ」ですが、名工・茂徳作の高級品です。箱入りです(笑)。「ガラス工芸のうるし塗り」という説明書の最初に、「会津漆器の生産は天正18年(1590年)、時の藩主・蒲生氏郷公が基礎を築かれ、云々」と書かれております。

 出ました。蒲生氏郷ですよ。このブログの今年3月21日付「商業発展に注力した戦国武将・蒲生氏郷=近江商人や伊勢商人までも」に書いた通り、戦国時代の武将蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~95年)は、「日本商業の父」とも言うべき大名で、今でも連綿と続く近江商人や伊勢商人を育成し(伊藤忠、武田薬品、三井財閥、イオンなど)、会津に移封されると地元の殖産興業の一つとして、漆塗り器の生産などを奨励します。

 400年以上経っても、蒲生氏郷の遺産が残っているわけです。

小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)いい景色です

 話は代わって、このブログの10月31日付「民藝運動に対する疑念を晴らしてくれるか?=小鹿田焼が欲しくなり」に書いた通り、小鹿田焼(おんたやき、と読みます)の「飛び鉋」(とびかんな)の五寸皿を通販で購入したことを書きましたが、割と早く、昨日届きました。

どうです? 実に見事な景色じゃあーりませんか。普通のおかずにも、フルーツ盛りにも、何でも使えそうではありませんか。鉋模様は、職人さんの手彫りですから手間暇が掛かっています。二度と同じ文様の作品は作れないそうです。

会津裏磐梯で買ってきた赤べこと小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)

 やっぱり、渋いですね。歳を取るのもいいもんです。渋さの味わいが分かるようになるからです。

 恐らく柳宗悦の民藝を知らなければ、この小鹿田焼も知らなかったと思います。

 小鹿田焼は江戸中期の宝永2年(1705年)、今の大分県日田に福岡県の小石原焼の技法が伝わったのが始まりだと言われています。その後、衰退しかけていたのですが、大正時代に柳宗悦らの民藝運動で「再発見」され、現在でも根強いファンが多いと言われています。

 ええんでなえかえ(北海道弁)

備前焼のぐい吞みをゲット=友人Y君から

 何の風の吹き回しなのか、岡山出身の友人Y君から備前焼のぐい吞みをもらってしまいました。

 Y君は先週、高齢の親御さんの介護のために1週間近く岡山に帰郷していたのですが、そのついでに倉敷の大原美術館にあるエル・グレコの「受胎告知」を再見しに行き、またまたそのついでに商店街で備前焼専門店で見かけた「ぐい呑み」が小生に合うんじゃないか、とわざわざ買って来てくれたのです。

 焼き物は、備前に始まり、備前で終わる。

 と、彼に対して釈迦に説法のような偉そうなことを言いながら、私が銀座で高価な備前焼の湯飲み茶碗を買ったことを自慢したことを彼は覚えていたのかもしれません。もしくは、内心、彼は「備前は俺の地元だぜい」と馬鹿にしていたのかもしれません。それでもー。

 「これから寒くなるし、これで熱燗でも呑むとうまいよ」

 さりげなく、彼はプレゼントしてくれたのです。プレゼントなので、さすがに値段を聞くわけにはいきませんが、お店の「陶備堂」のホームページを見て吃驚です。かなり敷居が高く、入るのに勇気がいりそうな高級店です。何と言っても、「倉敷最古の備前焼専門店」と銘打っていますからね。

備前焼 紀文春氏 1975年備州窯入社、伝統工芸中国支部展、茶の湯造形展等入選

 また、このぐい吞みの作者の紀文春氏は、1975年に備州窯入社と略歴にありますので、この道、半世紀近い大ベテランさんです。

 「陶備堂」のHPを見ると、この店の「お抱え作家」の中に、「人間国宝」の伊勢崎淳氏がおり、彼の壺は77万円、茶碗が55万円の価格が付いておりました。

 紀文春氏の場合は、そこまでは行かないと思いますし、「箱入り」ではなかったので、それほど高価なぐい吞みではなかったかもしれません。(そうじゃなければ、気軽にお酒は呑めましぇん!)

備前焼 ぐい吞み(紀文春作)工房:岡山県和気町

 本当に、それでも、わざわざ、小生のために買って来てくれるとは…。その「心意気」だけでも感謝感激です。

 実は、Y君とは、趣味嗜好も、性格も、育ちも全く違い、どちらかと言えば、気も合わないのですが(笑)、彼と知り合ったお蔭で、これまで自分自身、若い頃は全く興味がなかった経済や金融について関心を持つことができるようになりました。彼がいなかったら、ケインズの「一般理論」やハイエクの「隷属の道」やトマ・ピケティの「21世紀の資本」などまず読むことはなかったと思います。

 その点、彼には大変感謝しています。彼のお蔭です。たとえ、趣味や気が合わなくても、いや、合わなかったからこそ、別の世界を知ることが出来たわけですから。やはり、持つべきものは有形文化財(お金)ではなく、無形文化財(友人)ですよ。

 Tu ne penses pas?

久しぶりの痛飲=S氏の御先祖様は幕臣旗本だった

 J’ai mal aux cheveux.

 上のフランス語は、直訳すると「私の髪の毛が痛い」、もしくは「私の髪の毛の調子が悪い」ですが、これで「私は二日酔いだ」という意味なんです。フランス人の思考回路はよく分かりませんね(笑)。

 ともかく、昨晩は久しぶりに居酒屋さんで痛飲したため、本日は「髪の毛が痛い」です。

銀座「竹の庵」竹の庵膳1200円

 専門家は「感染拡大の第6波は必ず来る」と警告しておりますが、ここ半月、コロナ感染者数も減っていることもあり、間隙をぬって、呑兵衛の友人と少しずつ夜の街に繰り出しています。昨晩のお相手は、今年8月に「中野学校全史」(論創社)を上梓されたノンフィクション作家の斎藤充功氏でした。履歴はオープンにされているので、書いてしまいますが、1941年、東京市小石川区生まれです。名門都立小石川高校、旧制府立五中卒業の60年安保世代です。何と、御年80歳なのですが、頗るお元気で、「私は100歳まで生きますから、大丈夫です」と豪語されておりました。

 序に、 「中野学校全史」 の著者紹介欄には「東北大学工学部中退。陸軍中野学校に関連する著者が8冊。共著を含めて50冊のノンフィクションを刊行。近著に『ルポ老人受刑者』(中央公論新社)。現在も現役で取材現場を飛び回っている。」と記されています。陸軍中野学校創設者の一人である「日本のスパイ王」秋草俊の足跡を追うために、今でもベルリンに取材旅行を計画されているというので、本当に頭が下がります。何しろ80歳ですからね。

 高齢になると、記憶力も気力も落ちるものなのですが、斎藤氏の場合、頭脳はいまだに明晰で元気溌剌です。何でかなあ…、と思いつつ、雑談していると、「何あんだ、遺伝だったのかあ」と分かりました。

 斎藤氏の大正生まれの御尊父は陸軍士官学校~陸軍大学卒の超エリート軍人(戦後は、自分の軍人恩給は、亡くなった部下の遺族に渡していたそうです)。明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒で最終階級は海軍大佐。江戸幕末生まれの曽祖父は、何と幕臣で、しかも、六百石扶持の馬廻役の旗本だったというのです。これには吃驚です。血筋が違う。身分が違う。昔だったらお目見えできない人でした。

鎌倉「龍口寺」 本堂

 斎藤家の菩提寺は、日蓮が処刑されそうになった鎌倉の龍口寺だというのです(私も昨年9月、お参りに行きました)。墓石を新調するため、先祖伝来の宝刀を売却したそうです。斎藤氏の御尊父が中国大陸の総軍である支那派遣軍に赴任した際、長刀は紛失してしまったので、その宝刀とは残った脇差の方でしたが、それでも500万円の値が付いたそうです。やはり、旗本は違いますね。

 もっとも、御本人はノンフィクション作家として中野学校の「生き残り」の人たちを捜して熱心に取材していたというのに、自分の先祖についてはいまだに詳しく調べていないというのです。「駄目じゃん。斎藤さんは凄い人かと思ったら、御先祖様の方がもっと、もっと凄いじゃないですかあ」と、酔っ払った私は、何度も何度も80歳の老人の肩を小突いてしまいました(笑)。

銀座「魚金」おまかせ握り定食1280円

 二人で呑んだ居酒屋は、東京・赤羽でも有名な「まるます家」。少し外で待たされ、入店して色々と注文したら、「午後7時で閉店します」と言われてしまいガッカリです(その代わり朝の11時開店だそうな)。イカフライが旨かったですが、メニューも以前と比べて随分少なくなっていました。

 それでは、二軒目に行こうということになり、城山三郎の「毎日が日曜日」のモデルになったと言われるOK横丁の「八起」を目指したら、いくら探してありません。「おかしいなあ」と思いつつ、店先に立っていた呼び込みのお兄さんに聞いたら、「ここがそうでしたよ」と言うではありませんか。「魚友」という店でしたが、3年前に「八起」の経営者が代わって、店名も変わったというのです。勿論、二軒目は、この店にしましたが、諸行無常ですね。

 斎藤さんとは今後、定期的に飲み会でも開くことに致しました。御相伴されたい方は、御都合が合えば、御一緒にどうぞ(笑)。

国民の総意として祝福できなかったことが残念=「眞子さま 小室圭さん 結婚記者会見」

  昨日10月26日の「眞子さま 小室圭さん 結婚記者会見」に注目しなかった日本人はまずいなかったと思われます。

 「記者会見」と言いながらも、記者との質疑応答がなく、10分間程度のお二人の一方的な談話発表だけではよく分からなかったのですが、後で(本日)、宮内記者会、日本雑誌協会、外国報道協会からの5問の質問に対して、お二人が文書で回答されたものを読んで、お二人のご苦衷を察した次第です。

 週刊誌メディアやネット投稿などを中心とした「謂れのない誹謗中傷」によって、眞子さまは「強い恐怖心」を覚えて、複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)まで発症されたということですから、事は重大です。

 とはいえ、「国民総意」による祝福を得られたかと言えば、個人的にはそうでもなかったと感じました。眞子さまは、秋篠宮殿下の長女として生まれた内親王という皇族だったため、残念ながら、ある程度の国民的関心から逃れられない運命にありました。将来、天皇の義兄になると予測されている眞子さまのお相手についても、国民が無関心でいられないことも同じです。

 雑協の質問の中で、「すでに刑事告発されている小室さんの母親による遺族年金の不正受給の疑惑について、現在の状況を詳しくご説明ください。」とありましたが、小室圭さんの答えは「遺族年金の不正受給については、そのような事実はありません。」であり、もう一つ、「圭さんは『プリンセス・マコのフィアンセ』として、米フォーダム大学の学費全額免除の奨学金を受けるなど特別な待遇を受けたのではないかという疑念があるが、どうお考えですか」との質問には、彼は「私が皇室利用をしたという事実はありません。」と答えています。

 やはり、「でも、そう言われてもねえ…」となってしまいます。

サッカーJリーグ浦和レッズ御用達「レストラン ヒロ」の牛肉のオイル焼き920円 あと味噌汁も付きました

 何と言っても、小室圭さんの家族の金銭問題が解決していないことが国民の喉に引っかかっています。母親の元婚約者との話し合いも進展していないようですし、第三者ながら国民の一人として「こうなる前に、もっと早くどうにかならなかったものか」と思ってしまいます。

 小室圭さんの母親が元婚約者から受けた金銭的援助は、恐らく、圭さんの学費に当てられたものと想像します。そうでなければ、普通の学校と比べてかなり学費が高いインターナショナルスクールなどに通えなかったことでしょう。そういう意味でも圭さんは「解決に向けて、私が出来る限り対応したいと思います。」と答えていますが、それは宿命的に仕方ないことでしょう。

 となると、母親の元婚約者に対して一刻も早い返済に向けて努力するということが、庶民的感覚なのですが、小室圭氏の場合はそうではないようです。

 ニューヨークで生活するマンションの家賃が、嘘かまことか月額80万円と報じられていますし、ニューヨークに行くまで、滞在する都内のマンションについても、ネット上では、驚くべきことに、早くも「渋谷区神宮前」の超高級マンション〇〇〇〇だ、などと話題になっています。月額の賃貸料が、1LDKでさえも55万~66万円という代物です。

 それだけ払える余裕があるのでしたら、元婚約者への返済を少しでも回すことができなかったんでしょうか?

 様々な意見があるにせよ、日本人にとって、天皇制は核であり、バックボーンであることは否定できないでしょう。だからこそ、日本国憲法の第1章に「天皇」の項目が設けられ、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあります。皇室維持のために国民の税金が充てられます。

 眞子さまは、皇籍を離脱され、小室眞子さんになられ、都内のマンションに住みますが、買い物等は宮内庁職員が担当し、皇宮警察の代わりに警視庁の警護がつく、などと報じられています。彼らは勿論、公務員ですから、いわば国民の税金で雇われています。臣籍降下しても元皇族という身分は永久になくなりません。

 だから、国民は言いたいことを好き勝手に言っているのでしょう。昔から「人の口に戸は立てられぬ」といいますから、飛鳥時代や平安時代ならともかく、21世紀のこれだけネットが発達した時代に、国民の口封じをすることはまず不可能です。戦前の大逆罪も不敬罪も廃止されましたし。

 勿論、あまりにも酷過ぎる誹謗中傷は、もう一市民ですから、名誉棄損で訴えることができます。

 恐らく、日本人は熱しやすく醒めやすい国民性ですから、そのうち、今の熱狂など忘れ去られるのではないか、と私なんか睨んでいます。だから、せめて、「国民の総意」としてお二人の結婚を祝福できる状況だったら良かったのになあ、と悔しい残念な思いで記者会見のニュースを見ていました。

 

人間に関心がない今の人たち

 世間では一応ある程度認知されているマスコミ業界で、私は今でも働いているのですが、最近、気になるのは、会社の特に若い人たちの人間関係の希薄さです。

 希薄といいますか、そもそも根本的に人間に対して無関心なのです。勿論、挨拶もしません。

 他人と関わりを持ちたくない、人と交わりたくない、話をするのも真っ平だ、という感じなのですが、病理学的には「コミュニケーション障害」、略して「コミュ障」というらしいですね。そういう人が増えた気がします。病気なら仕方がないですし、私の周囲に限るのかもしれませんが、そういう若い人が最近、妙に増えた気がするのです。

 ただし、昔もそういう人がいたけれど、病名が「発見」されていなかったし、本人もただ単に我慢して付き合っていただけで、症状を隠していたか、潜在的に隠れていたのかもしれません。

銀座「沖縄ちゃんぷるぅ家」半タコライス900円

 しかし、少なくとも私たちのような職場は、他人とコミュニケーションを取ることが仕事なので、他人に無関心では取材すらできず、仕事にはなりません。

 何と言っても、そもそもマスコミの仕事は、ニュースを追いかけることであり、人間に興味や関心がなければ始まりません。森羅万象に好奇心を持たない限り、企画記事は生まれてこないし、読み応えのある記事や見応え十分の番組も生まれてきません。厳しい言い方をすれば、もし、人間や社会的事件や不条理や矛盾に興味がなければ、マスコミの仕事をしなければいいのです。他にも、対人関係のない仕事が世の中にはたくさんあるはずですから。

 もしかして、本来、他人に無関心では仕事にならないはずのマスコミ業界でこれだけ無関心派が増えているということは、他の業界でも、そういった人たちが増えているのかもしれません。仕事が終わって飲みに行く、といったことを今の若い人たちは拒否するようになったと聞きますし、忘年会などは、もってのほか、と考える人も増えたといいます。

 それに、「草食系男子」とかで、実際の女性と付き合うのが面倒で、振られて傷付きたくないのか、アニメやフィギュアと時間を過ごす方が楽しいという若者も少なくないと聞きます。

銀座7丁目 世界の高級腕時計店が集まったビル

 勿論、これらは善悪の問題でもないので、個別の趣味趣向は尊重されるべきかもしれません。私自身でさえ、できればそっとしておいてほしかったり、都会人なら見て見ぬふりをしてほしいなあと思うときもありますから。

 ただ、少なくともマスコミ業界の人間なら、仕事のこともあるわけですから、もう少しプロ意識を持って、人間にも興味を持って、深堀りしてもらいたいと思うのです。

 昔のマスコミの職場、特に編集局は鉄火場みたいな所で、大声で怒鳴り合ったりすることはしょっちゅうでした。マスコミと言っても、まだまだ、昔の古い徒弟制度が残る男社会で、若い人間の意見は通らず、不条理な世界でした。しかし、今はメールでやり取りしているせいか、電話も少なく、病院の待合室のように静かです。

 逆に言うと、今は、若い人でも尊重されますし、他人に無関心でも仕事ができる温床と苗床が21世紀の今のマスコミ業界では恵まれている、と言えるのかもしれません。他人に無関心で済んでしまうのは、若い人だけに限りません。役職が付いたロートルも同じです。年長者に対する侮蔑な態度があからさまで、挨拶すらしません。まあ、その人の個人的な性格によるものであることは確かですが。

 「昔は良かった」と懐古趣味の老人のような言いぐさをするつもりはサラサラないのですが、最近、どうも、読み応えのある新聞記事や見応えあるテレビ番組が少なくなった気がします。因果関係が気になったので、本日はこんなことを書いてみました。