国風文化主義者宣言

Copyright par Duc de Matsuoqua

皆様ご案内の通り、小生は今月初めに、2泊3日で「山陰・山陽の旅」へ行ってまいりました。その間、初日に鳥取県の県紙「日本海新聞」に目を通しただけで、2日間も新聞を読みませんでした。普段は、一日に数紙目を通しているので、まずはありえないことでした。

 でも、読まなければそれで済んでしまった自分にも気が付きました。若い人の新聞離れが叫ばれている昨今ですが、ニュースなら今は簡単にスマホで読めてしまうので、むべなるかな。確かに、どうでもいい情報が多すぎるかもしれません。

 あ、いけない。新聞は何でもいいから読みましょう(笑)。新聞は、一報だけでなく、背景や解説も充実し、ためになります。私は新聞業界の回し者ですからね。

Rembrandt Harmenszoon van Rijn Copyright par Duc de Matsuoqua

 ところで、昨日の会社からの帰り道。通勤電車の中で、中国人と思われる若い女が、車内でずーと携帯電話でわめていたので閉口しました。4駅間でしたから10分ぐらいだったでしょうか。沿線は国内でもかなり中国人の人口が多く、中華料理店の多いチャイナタウン化している駅もあります。

 女は私から4~5人離れた所にいたので、目で注意しても届きません。まして、言葉が通じないでしょう。困ったものです。携帯電話については、車内で日本人だけにマナーの注意喚起アナウンスしているのに、外国人は野放し状態です。

 とにかく、彼ら川向うで話しているかのように声がでかく、傍若無人です。こういうことを書くと、良識のある知識人と呼ばれる皆さんは、すぐ差別だの、ヘイトだのと弾劾しますが、そんな根拠のないレベルの話じゃありませんよ。

 京都の一流ホテルのロビーで平気でつばを吐く輩もいるそうじゃありませんか。人権感覚に乏しいのか、根本的にマナーをわきまえない連中なのです。

 商業従事者は儲かるからいいですけど、何で無辜の庶民が自国で肩身の狭い思いをして生きていかなければならないのか不思議です。街中や駅構内では、やたらと中国語や韓国語の案内看板が増え、もし、災害や事故があったとき、外国からの皆様のために分かりやすく丁寧に周知しましょう、と良識派は訴えますけど、海外に行って日本語で懇切丁寧に指導してくれる国なんかありますかねえ? 私の経験では台湾ぐらいじゃないでしょうか。

 「郷に入れば郷に従え」と言うではありませんか。嫌いな日本の文化や歴史を勉強したくなくても、最低限の大人のマナーだけは弁えてほしい、と切に願います。そんなことは、文明国同士なら万国共通のはずです。日本は和をもって尊ぶ国ですから、あからさまに注意する人はいません。中国人と思しき女も注意されないから図に乗ってるんじゃないでしょうか。

 こういうことを書くと、すぐ極右主義者に間違えられそうですが、乃公は、国家主義者ではなくて、単なる穏便な国風文化主義者です。と、言っておきます。

Jaque-Louis David Copyright par Duc de Matsuoqua

さて、月に2、3回はメールのやり取りをしていた律儀なM氏から2カ月以上音沙汰がなく、気になって昨日、安否確認のメールをしたところ、案の定、二度も入院していた、ということでした。何かの虫の知らせだったんでしょう。

 でも、今は無事に退院されて、ご自宅で静養されているということで一安心です。

漢字忘れて2円足りず

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 11月の下旬、毎年、この時季になりますと、喪中のはがきが送られてきます。歳を取るとはそういうものかもしれません。

 今年は、若い頃に大変お世話になった方の奥さんが5月に亡くなられていたという報せを受け、御返事しようかと思いましたら、その方も高齢でパソコンやスマホもやってないようでしたので、久しぶりに、こちらも手紙を認めてみました。

 本当に久しぶりの「手書き」でしたので、漢字が分かっていても、出てきません。目の前のパソコンで、キーを叩いて、漢字を出すのですから、情けないと言ったらありゃしません。個人的ながら、私が生まれて初めてワープロを買ったのが29歳の時、初めてパソコンを買ったのが39歳の時で、それ以前はせっせと「手書き」に励んでいたわけです。そんな世代でさえ、漢字を忘れてしまうのですから、今の若い世代は、最初から漢字は、書き順も分からず、形だけ覚えているだけなので、手書きは難しいんじゃないかなあ、と老婆心ながら思ってしまいました。

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 さて、手紙を書き終わって、郵便ポストに入れる前には切手を貼らなければなりません。最近はいつもメールで済ませ、手紙を出すことは稀なので、切手の備えはあまりありません。あったのは、今年の年賀状葉書の番号くじで当たった切手です(笑)。葉書用の62円と手紙用の82円でしたが、今年10月の消費増税とやらで、葉書63円、手紙84円にいつの間にか、値上がっていたんですね!

 2円足りないじゃありませんか。仕方ない。郵便局に行って、窓口で不足分を払ってきますよ。

 ついでの話で恐縮ですが、最近、旧い友人にメールを出しても、返事がないことが2人、3人と続いています。メールが届いていないのか、相手が返信する意思がないのか、どちらか不明ですが、不信感だけが募るばかりです。どんどん人が離れていく感じで、こんなモヤモヤを晴らす良い方便はないものでしょうかねえ?

スウェーデンの最新事情を聴いたら…

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 昨晩は、北欧スウェーデンから一時帰国中のH氏を囲む会が、「非正規雇用者と年金生活者の聖地」赤羽で開催されました。語弊ありますが、老若男女数多(あまた)参集し、大盛況でした。

 H氏は、時の権力者だけでなく、大手メディアも批判する筋金入りの新聞社を数年前に定年退職し、奥方様の生地に永住することを決めましたが、年に2回は帰国して、こうして昔からの馴染みのある人たちと歓談しています。

 せっかくですから、スウェーデンの最新事情を聴こうと、色々と質問してみました。特に、スウェーデンでは今や90%以上の人がキャッシュレスで、現金は使わないという話を記事で読んだので、状況を聴いてみました。そしたら、「俺、やり方、分からないから、やってないんだよね」とのお答え。まるで、説明責任も情報開示もあったもんじゃあーりませんか(笑)。以前、メールでも問い合わせた時も返事がなかったので、「返事ができないのは、知らなかったからかあ!」ということが今回初めて分かりました。

 「若い人たちは、何か、スマホに登録して、バスに乗るときでも、何か操作してピッピッと払っているみたいだけど、俺の場合は、プリペイドカードみたいなもので払ってる。面白いことに、友人のユダヤ系の人はクレジットカードも信用していないので、いつも現金払いなんだよねえ」と、やっと説明責任を果たしてくれました(笑)。報道と現実のギャップを感じましたね。

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 スウェーデンといえば、グレタ・ガルボ(1905~90、ストックホルムの有名なPUBデパートの売り子だったがスカウトされた)やイングリッド・バーグマン(1915~82)ら「美人の産地」として知られますが、H氏は「それがねえ、そうではない人も結構いるんですよ」と、筋金入り新聞社の元記者としての真骨頂を発揮しておりました。

  政治面では、移民の問題があり、極右政党の民主党が勢力を伸ばしている話をしてくれました。欧州では、フランスでもドイツでも事情は同じですからね。H氏は日本国籍ですが、スウェーデンの永住権を持っていると、選挙権もあるんだそうです。「でも、俺、一回も投票行ったことないんだけね」と仰るので、またズッコケてしまいました。

同席した赤坂先生は、酔った勢いで、急に、2年前の「コート取違事件」で真冬の寒風の中、非常に難儀したのに、「本人から何の連絡もない」とか、京都に行っても、「京洛先生は、渓流斎の野郎の待遇は良いのに、自分の場合は接遇が劣る」といった話を蒸し返して、見かけによらず、蛇のような執念深い性格を露わにしておりました(笑)。

 でも、お互い、性格を知れあった仲ですから、和気藹々と散会しました。

ラグビーW杯観戦で80万円?=《渓流斎日乗》もうすぐ20万アクセスに深謝

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 送別会、懇親会と続き、二日酔い気味です。

 昨晩は、このブログのサイトのサーバーとドメインを管理運営してもらっているM氏と江戸は湯島の高級料亭「吟」で歓談致しました。彼は小生より一回り若いのですが、大酒呑みなので困ったものです。彼には長生きしてもらわなければ、このサイトも消滅してしまいますので、少し控えてもらいたいと切に願っております(苦笑)。

 日本人は大変熱しやすく醒めやすい民族なので、もう忘れてしまっているでしょうが、今年9月から11月にかけて、国内で初のラグビーのワールドカップ(W杯)が開催され、日本代表の大活躍(ベスト8)で、「にわかファン」も増えました。

 M氏は、40年来の筋金入りのラグビー愛好家で、肥前藩出身の退役軍人が創立した海軍予備門時代にはラグビー選手として活躍し(ポジションはセンター)、あと一歩で全国大会出場を決めていたという噂があります。まあ、噂ですから、実はあと百歩ぐらいあったというのが真相らしいですが(笑)。

 とにかく彼はラグビー狂なので、W杯があるというので、当初彼とは9月頃に会う予定でしたが、昨日にまで延びていたのでした。そのW杯ですが、彼は10月5日の大分競技場で行われた豪州ーウルグアイ戦と11月2日の横浜競技場でのイングランドと南アフリカとの決勝戦を観戦したそうですが、合わせて80万円近くも出費したというから驚きでした。

 横浜の決勝戦は、ホスピタリティーチケットといって、彼の奥方様とのペア券が何と45万円だったそうです。えっ?何、それ?てな感じです。そんなお金があったら、私だったら、名古屋から人気キャバクラ嬢を呼んで、新宿御苑で花見をしますよ(笑)。そのホスピタリティー何とかというのは、VIP待遇のようにみえますが、それほどでもなく、ビールは飲み放題ですが、料理は1000円か2000円相当の軽食ビッフェ程度だったそうです。何で、そんなチケットを買ったのかというと、特に決勝戦の7万席はすぐ完売で全く手に入らなかったからだそうです。(JTBが海外に独占販売したらしい)

 ホスピタリティーか何か知りませんが、どうせ、国際ラグビー連盟幹部らの不労所得となり、五つ星ホテルや遊興費に当てがわれるだけでしょ?45万円も払って観戦しますかねえ?あたしゃ、桜を見る会を選びますね(笑)。大分競技場のチケットは、7万円だったそうですが(それにしても高い)、飛行機代、ホテル代も嵩み、二人で30万円ぐらいの出費だったとか。

 まあ、人それぞれの価値観がありますから、尊重しましょう。

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さて、この《渓流斎日乗》もアクセス数を公表しておりますが、総ページビューが20万アクセスまであと少しです。これも皆様のお蔭です。ブログは2005年から開始しましたが、当初はNTTコミュニケーションズのGooブログのサイトを無料で使わさせてもらっていました。それが、M氏の助力で2017年9月15日から独立して、(有料で)この新しいサイトに引っ越したわけです。無名の人間の書く拙文にも関わらず、引っ越して、2年ほどで、20万アクセスも獲得するとは、我ながら本当に驚きです。霞が関の官庁のホームページでさえ、アクセス獲得のため、他メディアとタイアップするなど悪戦苦闘しているというのですから、無名のサイトに、皆様にこうしてアクセスして頂き、本当に感謝しております。

 新サイトに引っ越して急に「広告サイト」が挿入され、赤坂先生はじめ、諸方面から苦情が寄せられていますが、「それは、サーバーとドメインの維持費のため」という理由で皆様の御理解を賜っております。執筆に3時間半かかったりしていて、人生の大半(?)の時間をこのブログに取られていますから、御容赦お願い申し上げます。

 W杯を開催した国際ラグビー連盟が収支報告書を発表するのかどうか分かりませんが、私は、このブログの広告サイトの収支をざっと発表しましょう。昨晩、サーバー、ドメインを管理するM氏から御教授頂きました。

2018年9月21日から2019年9月20日までの1年間の総計ページビューは4万1817アクセスで、広告へのクリック数は365。収益額が7159円でした!

 お、お、驚きの金額です。初年度の昨年は、、、覚えていないのですが(笑)、1000円ちょっとだったと思います。かなりの飛躍です。これも皆様のお蔭です。

ただ、あまりにも喜んだお蔭で、この収益金も、皆様に還元できず、懇親会費として一晩でなくなってしまいました(笑)。悪しからず。

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M氏は、首都圏を中心に寺社仏閣案内の「猫の足あと」というサイトを運営していますが、自分の足で歩いて沿革を調べたり、写真撮影したりしているので、やたらと神社や寺院について詳しいのです。私もその方面には大変興味があるので、彼の話を聞くのが楽しみです。その中で「へー」と思ったのはー。

・荒川や江戸川、利根川に近い東京・江戸川区、葛飾区、埼玉県三郷市、越谷市辺りは、意外にも真言宗の寺が多い。理由は分からない。

・日蓮が誕生した千葉県は、地元だけに、特に南部には日蓮宗の寺院が多い。日蓮宗の中で、特に日蓮思想を純化した「不受不施派」は一切世襲を認めず、住職が亡くなると、妻子は追い出されてしまうとか。

・東京・多摩や八王子辺りには曹洞宗の寺院が多い。その理由は、大名クラスは臨済宗が多く、家臣は恐れ多いということで、臨済宗ではなく、曹洞宗に帰依した。明治維新で大名は没落してしまったが、家臣は地元の豪族、名士なので、そのまま土着して残り、従って曹洞宗の寺院も残ったからだという説が有力。

・確かに大名が臨済宗だった事例が多く、鎌倉時代の「鎌倉五山」も室町時代の「京都五山」も寺院はいずれも臨済宗だった。南部藩主も臨済宗だったが、今や、無住寺になってしまった寺も多い。

・それに比べ、浄土真宗は一般大衆に広がったため、明治以降もかなりの寺院は生き残った。意外にも広島県は真宗の寺院が多い。

・「八十八カ所霊場」は真言宗のみだが、「三十三カ所霊場」は観音様があれば、宗派は問われない。日本では仏教は衰退したと言われるが、あまり宗派にとらわれない方が、広がっていくのではないか。最近は、宗教が禁止されている中国からの寺院参拝が増えているとか。

 以上、他にも色々聞きましたが、この辺で。

京洛先生を囲む会に暴力教師が紛れ込む話

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 昨晩は、著名な亀井静香氏もお泊りになる都内のホテルの地下にある高級料亭で、京の都から坂東に下った京洛先生を囲む会が開かれました。

 「鶴の一声」で駆け付けた面々は、老若男女何と30余人。10月に、誰でも名前を聞けばすぐ分かる大手電鉄会社の社長にご就任されたX氏までも参列され、大社長なのに腰を屈めて皆さんに名刺を配っておられました(笑)。

 「おつな寿司セミナー」の流れを汲む京洛先生の人脈は海より深く、私も25年以上ぶりに再会した人もおりました。

 当然、このブログをお読み頂いている方も多く、大変、大変嬉しいことに、前日書いた柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)の本を「早速買いましたよ」と言ってくださる方もおりました。ブログを書き続けてきた甲斐がありましたね。その方は出版社に勤務するインテリさんなのですが、「渓流斎さんの普段のブログは実につまらないですが、ああいう真面目な題材ならいいですね」と、随分と上から目線の御意見を賜りました(笑)。

 愛すべきキャラの赤坂不動尊さんは「ブログを読むと、渓流斎さんは京都では随分、京洛先生からいい店に連れて行ってもらってますね。あたしなんか、毎年祇園祭で京都に25年以上通い詰めているのに、格下の店しか連れて行ってもらえない」と文句たらたらでしたので、「貴方にはファストフード店がお似合いですからね」と、つい本音を言ってしまいました(笑)。

 すると、「ジャーナリストの癖に、ブログに広告が多過ぎる。ジャーナリスト失格ですなあ」と反駁してくるのです。広告は、その人がよく見るサイトに関連したものが追いかけてくるシステムなので、恐らく、赤坂さんのサイト広告にはアダルトものが多いことでしょう(笑)。小生の場合は、どういうわけか、検索もしていないのに、お寺のお墓とか、IT関係、マネジメント関係の書籍の広告が多いですね。ま、サーバー使用料やドメイン代などこのブログを維持するために広告を貼らして頂いてます。ご寛恕願うしかありません。

 先日、半蔵門の国立劇場の近くにある超豪邸は、どなたのお住まいなのか、とこのブログに書きましたが、早速「渓流斎さんは駄目ですねえ。そんなことも知らなったんですかあ~」と絡んでくる人がおりました。残念! グーグルマップにも載っていない謎の人物ですが、あのブログを書いた後、分かりました。やはり、民間人ではなく超VIPの方でしたね。

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 そうそう、神戸市立東須磨小学校の暴力教師のような大手新聞社の敏腕記者も紛れ込んでおりました。私がトイレで用をたしていると、酔いに任せて、急に後ろから回し蹴りをしてくるのです。しかも「長いなあ」と言いながら2回も3回も…。

 「ブログに書きますよ」と宥めると、逆上して「激辛カレーを食べさせるぞー」と言い返す始末。ガキですねえ~(笑)。

 ま、いい大人が何十年ぶりかで会っても、こうして和気藹々になれるのですから、やはり持つべきものは友人です。ただし、暴力教師はいけません。実名を公開しますよ(笑)。

浄土教の系譜=法然ー親鸞ー一遍は三者で一人格

 前々回に日本浄土思想に魅せられた話を書きましたが、今回はその続きです。

 書店で偶然、柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)を見つけて、長年抱いていた浄土教に関する疑問が氷解したことまで書きました。その前に、美術評論家である柳宗悦が何故、宗教書を書いたのか、ということでした。

 時宗の開祖である「一遍上人絵伝」(歓喜光寺蔵)の一枚の絵を見て感銘し、一遍上人のことをもっと知りたいと思ったことがきっかけの一つだったようです。美術から宗教に分け入ったということになります。私も若き頃、キリスト教徒でもないのに、「聖書」を熟読しましたが、「救いを求めて」以外では、その理由として、西洋美術では多くの題材が聖書からの引用で、「聖マタイの召命」にせよ、「ペテロの改悛」にしろ、鑑賞する際に聖書を読んでいないと描かれた深い意味が分からなかったからでした。

  柳宗悦の場合、 この本を読むと、美術史家というより、専門の宗教評論家と言っていいくらい、あらゆる経典に目を通していることが分かります。驚嘆します。

 著書「南無阿弥陀仏」は、昭和26年から29年にかけて「大法輪」(昭和9年から毎月発行されている仏教総合誌)に連載されたものを加筆して昭和30年に単行本として出版されたものです。何といっても、若い人向けに書かれているので、文章が分かりやすいのです。柳は「例えば、『依正(えしょう)二報』とか『化土に二種あり、一には疑城胎宮(ぎじょうたいぐ)、二には懈慢辺地(けまんへんじ)』などと書いても、一般の若い読者には何のことか全く通ぜぬであろう。たとえ辞書や解説に頼ったとて、何故こんな表現を用いずば真理を伝え得ないのか、むしろ反感さえ起こさせるであろう」とまで書いてます。

 この本の画期的なことは、執筆当時、文献もほとんどなく、信徒以外はほとんど顧みられていなかった一遍上人にスポットライトを当てたことです。語弊がある大雑把な言い方ですが、浄土宗を開いた法然→それを止揚(アウフヘーベン)して浄土真宗を確立した親鸞→さらにこの二つの宗教を統合して時宗として浄土教を完結させた一遍、という捉え方です。これは優劣ではなく、誰一人欠けても日本の浄土思想は完成しなかったという考え方です。まるで、正ー反ー合の弁証法的思考みたいですが、3人の違いについてはこの本に沿って、 追々明らかにしていくつもりです。

 柳宗悦は、法然、親鸞、一遍の三者を一者の内面的発展として捉え、「3人ではあるが、一人格の表現として考えたい」と論考を進めます。ですから「今までは浄土宗の人は、とかく真宗のことをよく言わぬ。恐らく嫉妬の業であろうか。また、真宗の人は、自分の方が浄土宗より進んだものだという風な態度に出る場合が多い。恐らく高慢の業によるものだろう。しかし、法然なくして親鸞なく、親鸞なくして法然の道は発展せぬ。それで二者はむしろこれを一人格の表現と見る方がよい。宗派に囚われると、どうもそういう見方が封じられてくる」とまで主張しています。

◇西山義の哲学的深さ

 法然の入滅後、浄土宗は大きく五派に分流します。長西の「諸行本願義」と幸西の「一念義」は、祖師の意に悖るものとして排せられ、隆寛の「多念義」は途絶え、今日残るのは聖光坊弁長の鎮西派と 善慧房証空の西山派の二流です。「中でも鎮西が本流を相承し、今日浄土宗といえば(知恩院総本山の)鎮西派を意味するこに至った。これは恐らく、鎮西の流れに有能な中興の祖が輩出したのによるのと、徳川家の菩提宗(増上寺など)となって繁栄を来したがためであろう。しかしこの派において説く『二類往生』の考え(念仏に非ざる行にも往生を認めるという立場)は如何なものだろうか。純教義の上から見ると、鎮西よりもむしろ西山義の『一類往生』(念仏の義のみ往生を認める)の方が、一段と祖師の原意を発揚したものと思われてならぬ。その西山の教学には一層の哲学的深さがあるといえるであろう」(58ページ)と、柳宗悦は語っています(小生が一部、寺院名を挿入)。

 この箇所は、西山浄土宗安養寺の村上住職も大喜びするのではないか、と読みながら思ってしまいました。

 ちなみに、時宗の開祖一遍は、浄土宗西山派の祖、証空の弟子の聖達(しょうたつ)の弟子に当たります。証空の孫弟子です。ということは、時宗は、浄土宗の中でも西山義の影響が強いと言えます。

 浄土真宗について、柳宗悦は「人も知る親鸞上人を開祖とする。彼自らは一宗を起こす意向はなかったであろう。偏えに師法然の教えを守ろうとしたのである」とはっきりと書いています。その一方で「この真宗は一時衰えを見せたが、足利時代に蓮如上人が出づるに及んで、宗勢とみに栄え、ついに念仏門中比類なき檀徒の数を得、寺院の数を増し、巨大な一宗となって今日に及んでいる。…この派に妙好人が引き続き現れる事実は看過することができぬ。この意味で、祖師法然の志を最も正しく継いだものといえよう。浄土真宗たる所以である」とまで分析しています。

 この後、本書では、法然が選択した「三部経」とは何か。その中の「第十八願」が何故、最も重要で大切なのか。そもそも南無阿弥陀仏とはどういう意味なのか。念仏とは何か。何故、法然は仏教を超えて日本思想上も最も偉大な革新的な思想家といわれるのか。…などと具体的に核心の部分に入っていきます。

(つづく)

宇都宮探訪は満点でした=大谷観音、大谷石地下採掘場、二荒山神社、松が峰教会、宇都宮城址

10月26日(土)に、宇都宮大旅行を挙行致しましたので、今日はそのお話です。

皆様ご案内の通り、小生の趣味は、全国、いや全世界の城巡りと、寺社仏閣参りでしたね。

 どういうわけか、遠いようで近い宇都宮は一度も行ったことがなく、ということは親藩の宇都宮城址にも行ったことはありませんでした。同じ栃木県でも、那須や日光は仕事や遊びで何十回も行ったことがあったのに、宇都宮は御縁がありませんでした。

 そんな話を宇都宮出身の栗原氏に話したところ、今回、案内役を快諾してくれたのです。それがこの夏のことで、さすがに、真夏の猛暑はとても大変なので、9月に延期したら、雨やら台風やら伸び伸びとなり、10月26日にやっと実現したわけです。

平和観音 昭和23年から29年にかけて彫刻され、昭和31年に開眼供養が行われました

 ということで、城址見物ということでしたが、「どうせ宇都宮まで足を運ばれるのでしたら、お任せください。名所観光地巡りもしませう」ということで、栗原氏のお薦めで、まず宇都宮駅に着いて買ったのが、「大谷(おおや)観光一日(バス)乗車券」、1750円でした。バス代金(往復900円)と大谷観音の拝観料(400円)と大谷資料館の入場券(800円)付きで、途中下車もできますから「350円以上もお得」という触れ込み付きです。

 確かに、これは便利で安い。皆様にもお薦めです。

 宇都宮駅からバスで30分ほどで、大谷観音前に着き、まずは平和観音を参拝。高さ 27メートル。東京芸大の飛田朝次郎教授の下で、昭和23年から29年にかけて6年間、地元の大谷石(おおやいし)で彫られ、昭和31年に、日光輪王寺門跡・菅原大僧正により開眼供養が行われたという有難い観音様です。

 栗原氏は小学校の頃に遠足で来たことがあり、それ以来行ってないので、「半世紀以上ぶりだなあ」と一人で感慨に耽っておりました。

大谷観音(大谷寺)

この平和観音からほど近いところにあるのが、大谷観音(大谷寺)です。平安時代の810年ごろに空海が開基したと伝えられ、院内の石壁に彫られた千手観音像は、日本最古の石仏と言われ、空海の手によるものと言い伝えられています。

大谷観音 この驚くべき自然の彫刻

 寺院内は写真撮影禁止でしたが、このほか、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の石仏も彫られています(重文)。大分県の臼杵麿崖仏と並び、「東の麿崖仏」と言われるそうです。これは一見の価値、いやご参拝する価値がありました。

大谷寺の弁財天

大谷寺は空海の開基ということでしたら、当然、真言宗なのですが、現在は天台宗の寺院ということになっていました。栗原氏も「知らなかった…」と頭をかいておりました。

大谷石採掘跡

大谷寺から歩いて、5~6分で、大谷石の採掘現場です。

NHKの「ブラタモリ」でもやっていましたが、そのドデカサは現地に行かなくては分かりませんね。テレビでは分かりません。その巨大さに圧倒されました。

大谷石は凝灰岩で、主に全国の家屋の「石垣」として使われましたが、確かにいくら採掘してもなくならない感じでした。

大谷資料館にある地下採掘場

 大谷資料館の地下採掘場に潜りました。

地下採掘場は、戦時中、戦闘機「疾風」が組み立てられていたとは

戦争中は、軍需工場としても利用されたようです。

地下採掘場は高さ60メートルだとか。まるで「地下神殿」でした

 とにかく、その規模の大きさには唖然としました。薄暗い地下採掘場は、この日の気温10度。まるで「地下神殿」のようでした。雨水が溜まった池みたいな所(立ち入り禁止)もありましたが、深さは30メートルといいますから、驚きです。日本じゃなくて異国にいる気分でした。

 ここは、十分、「世界遺産」にしてもいいと思います。

 これだけ、広くて神秘的だと、映画やテレビやプロモーションビデオなどのロケ撮影として使われているようです。このほか、コンサートや結婚式まで挙行されています。

 私の世代ですと、映画は薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」がここで撮影されたんだとか。私は見てませんけど(笑)。

二荒山神社では「菊水祭」が行われていました

バスで市内中心部(馬場町)にまで戻り、二荒山(ふたらさん)神社に参拝しました。この二荒(ふたら)を音読みすると「にっこう」、つまり日光になるわけですね。

この日は、神社の菊水祭が始まったばかりでした。このお祭りの写真を撮って安心してしまい、家に帰ったら、二荒山神社の本殿を撮影することを忘れていました(笑)。しっかり、お参りしたんですけど。

 駄目ですね。でも、この全国的に有名な神社も、足を運んでみると、意外に敷地が狭いような感じを受けました。

 そうそう、ここには、与謝蕪村の句碑もありました。蕪村は大坂生まれで京都を拠点に活動したので、わざわざ、京都から宇都宮在住の知人の俳人を訪ねに来たみたいでした。

二荒山神社近くのビル地下にある餃子専門店が並ぶ「来らっせ」

 時計の針はもう2時を過ぎており、お腹ペコペコです。

 栗原氏は、宇都宮名物の餃子を食べさせてくれました。

 ビルの地下1階にある「来らっせ」には、常設店舗と日替わり店舗と合わせて10軒ぐらいの餃子店がありました。

これが噂の名物「宇都宮餃子」

 何となく、屋台の雰囲気で、色んな店舗の餃子を楽しむことができるのです。

 中に柚子が入った餃子もあり、どれを食べても美味かったです。入場前は短い行列を並び、テーブル席が満員で、カウンター席でした。観光客も多い感じでした。

 宇都宮餃子は評判通りの味でした。

1932年竣工。「全身」大谷石の松が峰教会

 腹ごしらえもできたので、店舗から15分ほど市役所の方向に歩くと宇都宮城址があるということで、「いざ出陣」。

 その前に、その途中にある松が峰カトリック教会を訪れました。地元の大谷石を使って1932年に竣工されたということで、中にはパイプオルガンもあり、音響効果も抜群だという話です。

 宇都宮市は昭和20年7月に米軍による空爆を受けて、市の半分以上が焼失したそうです。この教会も戦災に遭い、戦後復興されました。

 米軍による空爆で、市民の620人以上が亡くなり、1128人以上が負傷したという記録が残っています。

ついに来ました。宇都宮城!

 教会から歩いて10分ほどで、やっと宇都宮城址に到着しました。

 打ち震える感動です。大袈裟ですが、(復元された)櫓を見ただけで感激しました。

櫓=清明台

この宇都宮城にこうして櫓が復元されたのは、平成元年から本丸城跡発掘調査が行われた以降のことで、栗原氏も「子どもの頃は、なーにもなかったので、宇都宮が城下町だったとあまり意識しなかった」と仰るではありませんか。

 現に宇都宮市観光交流課が企画するパンフレットには、「宇都宮城址」の「城」のかけらも案内していないんですからね。

 小生のような城巡りファンとしては、「勘弁してくれよ」と言いたくなりました。

幕末の慶應年間の宇都宮城、この後、戊辰戦争で、土方歳三軍などによって大半が焼失

 それでいて、宇都宮城址公園には立派な資料館もあり、宇都宮城の立派なパンフレットは、宇都宮市教育委員会文化課が製作発行していました。教育委員会文化課と観光交流課は、同じ市役所でも接点がないのかもしれませんけど、もっと連携しなければいけませんよね。

 宇都宮城は、平安時代後期の11世紀に築かれたといいますから、歴史があります。

 鎌倉時代から宇都宮氏の居城になりましたが、同氏の名前を取って、地名になったということでしょうか。宇都宮は、一宮(いちのみや)=二荒山神社がなまったという説もあるので、鶏が先か、卵が先か、みたいな話ですね。

宇都宮城本丸跡の城址公園で、翌日行われる流鏑馬の予行演習をやってました

宇都宮が城下町として大きく発展したのは、元和5年(1619年)、本多正純が城主になってからですが、正純は謀反の嫌疑をかけられて改易され、出羽に流罪となります。これが「釣天井事件」などと呼ばれて講談にもなりました。正純は幕府の老中にまで出世し、権勢をふるい、家康亡き後、二代将軍秀忠や側近の土井利勝(佐倉藩主~初代古河藩主、老中・大老)らの怒りや反感を買ったと言われます。

 とにかく、宇都宮城は、徳川将軍が江戸から、家康・東照大権現を祀った日光に参拝する際の最後の宿泊地で、本丸は将軍の居住地となり、宇都宮城主は二の丸で居住していたという話ですね。

 そんな親藩の宇都宮藩も幕末の戊辰戦争では、寝返って新政府側に立ったため、幕臣の大鳥圭介や新撰組の土方歳三ら率いる軍が攻め込み、この戦で城内の建築物は焼失したといいます。つまり、明治以降から平成までなーんにもなかったことになりますね。

最後の締めは、宇都宮アーケード「オリオン商店街」にある「かんちゃん」で

宇都宮探訪の最大の目的だった城巡りも終わって、夕方から、市内の古いアーケード商店街にある「かんちゃん」で反省会。

 栗原氏は、実は、宇都宮出身ながら、生活したのは高校卒業までで、この後、東京の難関大学に進学して就職したため、「地元の友人とはバラバラになってしまった」と言います。それでも「宇都宮の人口は30万人、北関東一の都市ですよ」「雪はあまり降りませんが、女性の肌が白くて綺麗です」と郷土愛を忘れていませんでした。

 宇都宮出身の有名人として、ジャズの渡辺貞夫、歌手の森昌子、女優の山口智子(栃木市でした)、作家の落合恵子、漫談家の東京ぼん太、政治家で作新学院の創立者の船田一族、(元巨人投手の江川卓は、作新学院出ですが、出身は福島県いわき市のようでした)陸軍大将だった小磯国昭らがいますね。

 実は、栗原氏は、歩き過ぎたのか、途中でアキレス腱を痛めて、歩きづらくなってしまいました。途中で少し休んでもらいましたが、事前準備と合わせて、最後までガイド役として最善を尽くして頂きました。責任感の強い方です。栗原氏とは不思議な御縁で、こうしてお世話になってしまいましたが、「ここは私の地元ですから、私に花をもたせて戴く喜びを味わわせてください」と変な日本語を使われて、結局、すっかり御馳走になってしまいました。

 栗原氏のおかげで、宇都宮探訪はもちろん、百点満点でした。本当に有難う御座いました。

「宅配便」詐欺メールには十分にご注意を

 あちゃー、ついに引っかかってしまいました。

 詐欺メールです。

 随分、気を付けていたつもりなんですが、つい、クリックしてしまいました。

 詐欺は、普通のメールに、ではなく、「メッセージ」といって、電話番号で送り付けることができる「ショートメール」でした。

先日、そのスマホの「メッセージ」に「お客様宛にお荷物をお届けにあがりましたが、不在のため持ち帰りました。下記よりご確認ください」という丁寧な文面のショートメッセージがあり、「宅配便かな」と思い、その「確認のサイト」を反射神経で、間違えてクリックしてしまったのです。

 しかし、すぐにサイトには繋がらず、その趣旨の画面が出てきたので、ここで初めて詐欺メールだったことが分かったのです。

 ヤバイ!

 もしかしたら、このままだとクレジットカードの番号やら個人情報が盗まれるのではないかと心配です。

 送り主は、電話番号「090-2755-1952」でした。これが宅配便のドライバーさんだったら、安心ですが、掛け直してみたら「現在、使われておりません」のメッセージが流れるだけでした。

 やはり、騙された!

 皆さんも、同じようなショートメッセージが来たらご注意ください。

 その後、どうなったか、もし、変化があればまた皆様に御報告致します。スマホの「ウイルスバスター」をスキャンしたら、悪意のあるウイルスに感染していないようでしたので、半分だけ安心しているのですが、どうなることやら…。

 それにしても、世の中には、悪い人がいるもんですね。そんな悪人でさえ救われるのでしょうか?

 悪人こそが救われる「悪人正機説」の場合、この悪人とは、「煩悩にとらわれた凡夫」のことを指すはずです。殺人者、泥棒、詐欺師、犯罪者らを含んでいいものか?高僧に御高説を賜りたい。

「アビイ・ロード」の証拠写真=40年前の若き私

1979年7月19日(木) ロンドン

この横断歩道を渡っている青年は、40年前の私です。

単なる横断歩道ではありませんよ。ビートルズの4人が歩いたロンドンのアビイ・ロードです。

1979年7月19日(木) ロンドン

 昨日は、ビートルズがレコーディングとして使った「EMIスタジオ」と書きましたが、写真で見ると、「EMI アビイ・ロード・スタジオ」でしたね。

 ビートルズが解散して10年も経っていなかったのですが、世界中から観光客が押し寄せるほどでもなかったでした。

 確か、一部のマニアを除いて、ビートルズ人気は下火でした。

1979年7月19日(木) ロンドン

 はい、証拠写真です。

 押し入れの奥からアルバム写真を見つけて引っ張り出してきました。

 右隣は、同じツアーだった久保君だったと思いますが、何しろ40年も昔のことで忘れてしまいました。この写真を写してから一度も会っていません。

1979年7月19日(木) ロンドン

これは、ロンドンのリージェントパーク近くのポール・マッカートニーの邸宅の門前です。修繕工事をしていました。

こうして、外国人観光客が勝手に近くで写真を撮れた時代でしたね(笑)。

1979年7月20日(金) ロンドンのホステル「インターナショナル学生センター」1泊2300円

 大学4年の夏休みに1カ月間、欧州を旅行しましたが、結局、一緒に写っている今村哲郎君がずっと付き合ってくれました。

 先程のアビイ・ロードの写真を始め、私が写っている写真は、ほとんど彼が撮影してくれました。

1979年7月22日(日) リヴァプール ジョン・レノンが住んでいた家 

 ビートルズの生誕地リヴァプールにも行き、ジョン・レノンが少年時代にミミ伯母さんと住んでいた自宅にも行きました。勿論、当時は別の人が住んでいたのですが、「せっかく来たんだから」と、呼び鈴を鳴らして、住人に話を聞いてしまいました。

 奥さんは「今は(ジョンは)ここにいませんよ。13年前に引っ越しました」と困り顔でした。

 今はそんな勇気はありませんけど。

 13年前というと1966年のこと。また、1979年のこの時はまだジョン・レノンは生きていたんだ!

1979年8月7日(火) ローマ 左からサンティーナ、イザベーラ、ドナテーラさん

 わが生涯、人生で一番、もてた時でした。

 こんな写真を公開するなんて、我ながらかなりの露出狂です(笑)。

 もう40年も大昔なので、今は全く面影もなく、「別人28号」ですから、写っている人も他人みたいなもんです。

 アルバム写真も、本人が死ねばゴミとして捨てられ、永遠に消え去るわけですから、「ま、いっか」てな感じですよ(笑)。

「他人を見たら泥棒と思え」の世界

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 (昨日の続き)

 昨日は、あのようなブログ(「他人は変えられない」)を書いた後になって、やっと、弱者を蔑(ないがし)ろにする出世欲の強い自己保身の塊の男から返信メールが来ました。

「至らぬことがあれば、遺憾に存じます」

 何じゃ、こりゃあ? まるで政治家の国会答弁じゃないですか!

 この「至らぬことがあれば」の「あれば」が曲者です。本心は、至らぬことがあったとは、少しも思っていない。「あれば」は、よしんば仮に、という話です。あるとしても百億万分の一ぐらい。あったとしても知ったことはない。あくまでも、俺は何も悪いことはしていない、という主張です。

 この「遺憾」も謝罪になっていない。あくまでも他人事。百歩譲っても、「わーるいねえ、わーるいねえ」といった感じで、言い方も小松政夫風。反省も何にもしていないのです。

赤坂不動さんの好きな「義を見て為ざるは勇無きなり」の精神で思い切って、上申書を提出しても、本人は、今後の自分の出世に害が及ばぬよう、穏便に済ませたいだけですから、もう何をしても始まりませんね。暖簾に腕押しでした。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 さて、先日は、偽メールに見事騙されてしまいました。アフリカの某国の御夫人で、これから日本に夫婦2人で行くので1週間、通訳ガイドしてほしい、といった英文での依頼です。ガイド料は、1週間で9000ユーロを予定している、といったものでした。

 私はその料金の多寡をよく確かめず、単に1週間という長期の期間は無理なので、真面目にお断りの返信を送ったのでした。そしたら、このメールは私以外に2人の日本人の通訳ガイドにも、同じ文面が送られていて、そのうちの1人から先ほど、「アフリカ人と称する人からメールが届いたと思いますが、それは詐欺メールです。私は8月20日にも同じようなメールが届き、今回が2度目です。御存知だったかもしれませんが、一応連絡を差し上げました。気をつけてくださいませ」と私に連絡をくださったのです。

 驚きました。同時に、わざわざ連絡してくださった面識の全くないMさんには感謝のメールを返信しておきました。

 詐欺グループの目的は分かりませんが、このままいけば、振り込みをするからという理由で、銀行口座を聞かれたり、何やかやと交渉してくることでしょう。

 詐欺も国際的になりました。しかも、メールという実に簡単な手段で。他にも毎日のように、「高額賞金が当選した」だの、「子どもが大病にかかり手術代が必要だ」だの、「亡命資金のための寄付をしてほしい」だのといったメールが飛び込んできます。そういう疑惑メールは、すぐ見破れますが、今回の「通訳依頼」メールには見事、騙されてしまいました。そうそう、いつぞやは、「Apple ID 変更」のお知らせには、まんまと引っ掛かるところでした。Apple のロゴや電話番号は本物と同じでしたが、メールアドレスが、変でした。Appleの Aの文字も入っていない、何か怪しげな、架空のメールアドレスでした。

 こういうメールは私だけに来るのかと思ったら、周囲にも結構、いることはいるんですね。とはいえ、このままでは「他人(ひと)を見たら泥棒と思え」の世界を地で行くしかない世の中になってきました。

 受信メールには、今後、細心の注意を払うことにしますが、随分せちがない世の中になったものです。