大切なものは目に見えない

ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

NHKスペシャル「マネー・ワールド 資本主義の未来」は、面白くも何ともない、実につまらない漫才師が出てきて、真面目な話をぶち壊しているので、NHKとプロデューサーの品格を疑いますが、まあ、見応えのある番組でしょう。

第一回が10月16日放送で、「世界の成長は続くのか」というタイトルでした。

今や、世界のわずか62人が36億人分の富(3兆円)を独占する超々格差時代なんだそうです。

メモをしなかったので、忘れましたが(笑)、2011年に発覚したスイス最大の銀行UBSのロンドンにいた元トレーダー、クウェク・アドボリ被告による2500億円に上る不正取引を取り上げておりました。アドボリ被告は、懲役4年の刑を服したのか、番組のインタビューに出てきて、「厳しいノルマを課せられ、不正取引をやらざるを得なかった。上司は知っていた」などと発言しておりました。

番組では、英国エジンバラに銅像が立つスコットランド出身のアダム・スミス(1723~1790)の「見えざる手」理論を、資本主義の権化のような扱い方をして、そのアダム・スミス以来の自由な資本主義が250年経過した現在、成長の終わりを迎えたのではないかといった感じで、リードしていました。

漫才師の一人は「いやいや、資本主義は終わっていない。まだまだ希望は持てる」といった楽観論を展開してましたが…。

 ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨日22日放送の第2回の「国家 VS 超巨大企業」では、国境を越えたグローバル企業が、ISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項=Investor State Dispute Settlement)を盾にして、国家を訴える裁判が多発している様を報告していました。

狙われるのは弱小最貧国で、例えば、南米のエクアドルを取り上げていましたが、国家予算の何倍もの何兆円も債務を背負ってしまい、そのツケがエクアドル国民に深刻な影響を与えている「事件」を報告していました。つまりは、国民が教育や医療福祉などの行政サービスが受けられなくなったのです。

このISD条項は、早期調印を安倍政権が推し進めているTPP(環太平洋パートナーシップ)にも密かに盛り込まれております。もし、日本政府が裁判に負けて多大な債務を背負えば、日本国民にそのツケが回ってくる危険が潜んでいるわけです。

あと、グーグル、アップル、アマゾン、スターバックスといった米国の超巨大グローバル企業が、「税金回避」のために、あらゆる手段を使っている様も教えてくれました。

アップルは、法人税が高い米国から、12.5%と極端に低いアイルランドに逃げて、実質0005%しか税金を納めていないことを解明しておりました。アップルは、議会で追及されても言い逃れておりました。

このほか、グーグルはフランス、アマゾンがルクセンブルク、スターバックスがオランダへ租税回避しており、世界では総額2400億ドルもの大金が税逃れされているようでした。

よおし、私は、もともと、スターバックスのコーヒーは飲むとお腹が痛くなるので、スタバには一切入りませんが、アマゾンの通販はやめよう。グーグルも使うのやめよう。あ、でも、アップルは今、iPhoneを使っているなあ…(トホホホ)

 ワニノ市役所 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

第3回の「巨大格差 その果てに」は今日23日夜に放送される予定です。

思うに、星の王子さまではないですが、大切なものは目に見えないもんですね。

先日、チラシがポストに入っていて、インターネットのWiーFi設備が、7GBで通常料金が月額3880円のところ980円に値引きすると大々的に広告しておりました。

しかし、下に眼に見えないほど小さい字で、980円の割引が続くのはわずか6カ月だけで、7カ月目からは2600円と書いてあるのです。

しかも、通常2年契約が普通なのに、この会社には3年契約という縛りがあるので、途中解約しようものなら、ヤフーのように莫大な解約金を請求するに決まってます。阿漕な商法です。

やはり、大切なものは目に見えないものです。

土人発言と「空気を読んではいけない」

ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

  10月18日に、沖縄県の米軍北部訓練場のヘリパッド建設反対運動をしていた市民らに対して、大阪府警の29歳の機動隊員(巡査部長)が「どこつかんどんじゃ、ボケ! 土人が!」などと発言して物議を醸しています。他に26歳の男性巡査も「シナ人」などと発言していたそうです。

 私もこの「土人発言」の様子を、投稿されたユーチューブで見てみました。この映像の撮影者、イコール侮蔑された当人が芥川賞作家の目取真俊さん(56)ということでも少し驚きました。

 目取真さんは「最初は『老人』と言われたと思い、自分はそんな年寄りでもないのにと思っていた。それが『土人』だったと後から知り、怒りより呆れてしまった」などと沖縄タイムス紙のインタビューに応えていました。
 
 ここまで物的証拠を撮られてしまっては、「言った」「言わない」の話ではなく、若い機動隊員が、確実に沖縄県民を上から目線で侮蔑的な差別発言をしていたことは隠せませんね。

 差別発言をした機動隊員は大阪府警なので、松井大阪府知事が「ご苦労様でした」などと援護射撃し、物議を醸した後の20日にも、「発言を撤回しない」と開き直ったようです。

 松井知事は大阪府民が選挙で選んだ公職者ですが、思考の根底に沖縄の人に対する差別観があるのかもしれません。本人に確かめたわけではないので、分かりませんが。

 ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 こういうことを書いても、若い一部の人や剛腕作家が、「機動隊より、反対派の連中の方がもっと酷い発言をしている。報道しないメディアが悪い」とネットに投稿しております。

 体制(エスタブリッシュメント)護持派は、問題をすり替えています。

 差別される側でないから、他人事のように野次馬根性で言葉遊びをしているに過ぎないのでしょう。

 若いうちはいいでしょうが、年を取れば、そのうち、自分たちの大好きだった体制が、実は、その実態が、人権を無視して、年金まで搾取して、都合の良いようにあしらう羞恥心もない迫害者だったということが分かることでしょう。

 その時は手遅れですが。

 ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 「若い人」などと一括りにして、批判してみましたが、世の中には色んな人がいるので、そんな抽象的な言葉ばかり使うのも良くないかもしれません。

 最近、「空気を読んではいけない」(幻冬舎)を出版した青木真也さんという格闘技家は、33歳ながら、なかなか達観した骨のある発言をしております。

 早稲田大学を卒業して、静岡県警に入りながら2カ月で退職して格闘家になったという異色の経歴の持ち主です。子供のときから、人とは違ったことばかりやって、学校の先生からは何度も呼び出され、友達からは仲間外れにされて育ってきた、という体験を同書の中で明かしています。同時に、先生から呼び出された父親が、面談から帰って、息子に対して、「もう先生の言うことは聞かないでいい。自分の信じたことをやれ」とお墨付きをもらうぐらいですから、まるで。「カエルの子はカエル」です(笑)。

 この本は5章に分かれています。つまみ食いしますと…。

 ◆第1章 「人間関係を始末する」
 ●幸せな人生を生きるために友達はいらない
 ●凡人は群れてはいけない
 ●自分の考え方が汚されるから、人と食事に行かない

 ◆第2章 「欲望を整理する」
 ●足るを知る
 ●欲望が散らかっている人間は、永遠に何も手にすることができない

 ◆第3章 「怒り、妬み、苦しみ、恐れ。負の感情をコントロールする」
 ●結果さえ出せば、他人はいつでも手のひらを返す
 ●「殺される」恐怖との向き合い方

 ◆第4章 「一人で生きていくためのサバイバル能力の養い方」
 ●不安定に飛び込む
 ●自分に値札をつける
 ●負けを転がす

 ◆第5章 「他人の『幸せ』に乗らない」
 ●皆にとって価値のあるものが自分にとっても価値があるとは限らない
 ●一度しかない人生で、世間的な「幸せ」に惑わされている時間はない

 どうですか。かなりの変人ですね?(笑)。

 この方は、格闘家ですから、色んなパトロンが寄ってきますが、絶対に一緒に食事に行ったりしないそうです。何しろ、人から奢られると、その人に借りをつくることになるからだそうです。

 格闘家として「死ぬか、生きるか」のギリギリの所で毎日を送っている人なので、孤独も孤立もなんのその。「友達はいらない」という発言には心底、感服しましたね。

 人間の悩みの99%は、人間関係なのですから。
 

三菱社長留任はおかしい

東京・銀座「なか村」のランチ弁当 1000円。直ぐ売り切れます。

またまた、どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座います。ブログは原稿料が出ないので、フリーライターとしては、執筆の励みになります(笑)。

さて、最近、どうもブログのアクセス数が急に増えたなあ、と思ったところ、何てことはない。その訳が判明しました。世の中にはご親切な人がいるもので、わざわざ教えて下さったのです。

元外務大臣が「人間には3種類しかいない。敵か味方か使用人かだ」と言っておりましたが、世の中そういうもんなんですね。

アクセス数が急に増えたのは、その敵さんが盗み見してたというわけです。

さて、話は変わって、燃費偽装犯罪で責任を取って辞任するはずだった三菱自動車の益子社長が続投するという話は、いくら何でも世間に示しがつかないでしょう、と思うのは私だけなんでしょうかね?

ルノー日産連合総帥のゴーン会長の鶴の一声で決まったそうですが、ゴーン会長は、俺は世間を気にしない。株主だけを相手にする、といったような趣旨の発言をしておりました。

確かに正論でしょう。しかし、車を買うのは株主だけでなく、世間の人間だということをお忘れでしょうか。

益子社長は、一度お会いしたことがありますし、高校の先輩なので悪口を書きたくはありませんが、不祥事の責任をトップが取らない会社の製品なぞ誰が買うのでしょうか?

天声人語に告ぐ!

ミラノ風カツレツ

大学入学試験問題採用最多を誇り、練習帳なるものまで販売している天下の朝日新聞の今朝のコラム「天声人語」で、昨日私が書いた同じようなボブ・ディランのノーベル文学賞の話を書いており、驚いてしまいました。

小生のような知的レベルの低い輩が考える同じようなことを、800万人もの読者を誇る大新聞が書いては駄目ですよぉ(笑)。サルトルを引用しているところまでソックリですから。ただ、杉村春子が文化勲章を辞退したことまで美談風に味付けして書いておりましたが、あれは間違いでしょうね。

文化勲章とは、まさしく栄誉そのもので、年金とは関係なく、ただ、公表されていないので分かりませんが、数千円ぐらいの勲章バッヂと紙の表彰状がもらえるだけですから。

ただし、文化勲章は、文化功労者の中から選ばれます。これが凄い。文化功労者の年金は、350万円なんですから。復習しますと、一番有名な人間国宝(重要無形文化財保持者)でさえ200万円、芸術院会員ですら250万円です。

だから、文化功労者杉村春子は350万円の年金をもらっていたので、文化勲章を辞退しても何でもないのです。ただし、ここでは彼女の栄誉を貶める意図は全くなく、天声人語子の引用の仕方を問いたかっただけです。

はっきり言って、最近の天声人語は風格もなく、知性も感じられず、知的水準が劣化したと言わざるを得ません。読んでいても薄っぺらい白湯を飲まされている感じで、あんなんで「練習帳」を販売するとは恥ずかしいのでは?

ネットで検索すればすぐに出てくるような戯言を書くこと自体がおかしいのです。

天下の「天声人語」なら、もっと、何処のメディアが取り上げないような、例えば、選挙で選ばれてもいないのに国勢の本筋を決めている審議会委員の実態とか、御用学者風情の猟官運動とか、ズバズバと摘出してほしいものです。

無理な注文なのかな?

しかし、毎日購読料を払っている人間としては、「木戸銭返せ」と暴言を吐きたくなりますよ。

ボブ・ディランとノーベル事務局を嗤う

ミラノにて

いやはや、嗤ってしまいまする。

ミュージシャンのボブ・ディランさん(75)にノーベル文学賞を授与すると発表したスウェーデン・アカデミーが、今後ディランさん本人への連絡を断念すると明らかにしたというニュースのことです。

とんだ大失態といいますか、権威であるはずのスウェーデン・アカデミーなるものが、とてもつもなく小さい時代遅れの家内制手工業的家族経営で、まるで何の力も権威もないことを暴露してしまったかのようです。

ディランさんが文学賞を受けるつもりがあるのかどうかさえ不明で、事務局は、12月10日にストックホルムで主催する授賞式に出席してくれることを願っているのみ、なんだそうです。

あれっ?ですよね。

そもそも、こういう賞は、相手が受賞するかどうか確認した上で、発表するもんですよね? 相手が拒否した場合、別の候補にするか、そのまま、拒否したことを発表するか、ですが、ノーベル文学賞の場合、かつて、あの哲学者のジャン=ポール・サルトルが受賞を拒否したことで話題になったくらいですから、代替者は決めず、そのまま発表するのが慣習なのでしょう。

じゃ、こういうドタバタはあり得る話だったんですね。

ま、ディランもディランで、全く大人気ないのがディランらしい。いらなきゃ、いらないよ、と断ればいいのに、それさえしないで、逃げ回っている。コンサートを開いても、意固地のように、ノーベル文学賞について、一言も喋らないという徹底ぶりですからね。

戦争嫌いで、英国MBE勲章を返却したジョン・レノンのことですから、彼なら正々堂々と拒否したかもしれません。

そこが、「サー」の称号を賜ったポール・マッカートニー卿とは違うところです。

退職金疾風録

イタリア・ヴェローナ

個人的に長い間親しくさせて頂いている先輩の北浦さんが、最近長年勤めていた会社を定年退職されて、「俺もこれで『終わった人』だよ」と落ち込んでおりました。

「終わった人」とは、内舘牧子さんのベストセラー小説のタイトルで、今図書館で予約しても300人ぐらいの予約待ちになる本です。

自分で買えばいいのですが、この種の本を読みたい人は大抵が定年退職者で、年金暮らしは、本も買えない貧乏人なので、こういう事案が生じるわけです(笑)。

さて、その北浦先輩から、一昨日の日曜日の夕方に酔っ払って電話がありました。

「おい、渓流斎君や。ゴルフの日本オープンを見たかえ?24歳の松山英樹が初優勝したけど、優勝賞金、幾らか知っとるけ?」

「し、知りませんが…」

「4000万円だで!よ、よ、4000万…。ワシや、40年近く勤めた会社の退職金がその半分の2000万円だで。4日間で4000万円と40年間で2000万円…。情けなかぁ…」

北浦先輩は、酔っ払って、そのまま眠りこけてしまいました。

そこで私も、地震予知のように30年以内に確実に、そう遠くはない将来やってくる定年退職に思いを馳せて、昨日発売の「週刊ダイヤモンド」を710円で購入しました。「退職金・年金」を大特集していたからです。

ちなみに、最近の「週刊ダイヤモンド」は、経済誌を標榜しながら、一見経済誌とは関わりがないような宗教団体を特集したりして読み応えがあります。

いやあ、驚きました。最近の企業の25%近くが退職金を支給しないというのです。これでは、北浦先輩のように、一つの会社を40年も勤めあげる人が減ってくるはずです。

何しろ、退職金の金額は超機密の個人情報ですから、なかなかその実態は分かりませんが、それでもこの雑誌を読むと大雑把なことが分かります。意外と銀行の退職金が少ない。銀行の場合、50歳ぐらいで、執行役員として残れる人と残れない人との棲み分けが決定され、取締役として残った人の退職金は、それはそれは目が飛び出るほど高いでしょうが、残れなかった大半の人の現実は、一般企業と変わらないのですね。

退職金は、銀行に振り込まれますから、退職者はその銀行のカモになることも暴かれていました。何しろ、これまで見たこともないような大金を手にするわけですから、誰でも舞い上がってしまいます。

まず、支店長がわざわざ来訪します。その時は、退職金の話は一切しません。でも、次には若手の営業マンを連れて来て、結局は、高価な金融商品を買わされるというのが、奴らの手口なんだそうです。

例えば、「退職金優遇プレミアム」とか何とかいう金融商品です。これは、年率6%の超高額金利が「あなただけに」「特別に」つくという代物です。今は、マイナス金利の時代ですからありえない数字です。

しかし、営業マンが絶対に説明しない、老眼メガネを掛けても読めない細かい字で書かれている契約書には、ちゃんと金利の優遇期間が「3カ月」と書いてあります。つまり、年率6%を謳い文句にしてと、実質は年率1.5%ということです。しかも、投資した半分は、投資信託に回されると書かれており、その投資信託を購入する際、手数料30万円が「自動的に」差し引かれるというのです。

話を単純にすると、北浦先輩が残りの人生をやり繰りする退職金2000万円をこの「退職金優遇プレミアム」に預けた場合、半分の1000万円に年率1.5%の利子が付きますから15万円を取得。しかし、残り半分の1000万円は、投資信託に回されて30万円手数料で持って行かれます。

購入当初から差し引き15万円も銀行さんに寄付しているようなわけです。

同誌は、このように騙される人を「退職金バカ」と呼び、養老孟司さんのように「バカの壁」を乗り越えなければいけないので、自分で勉強して「金融リテラシー」をつけなければいけない、と主張しておりました。

確かに一理ある話でした。

「銀座化粧」で失われた場所を求めて

さきたま古墳群の秋桜

予告通り、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」を見ました。またまた昭和26年公開。成瀬巳喜男は、この年、あの林芙美子原作の「めし」(原節子、上原謙主演)も撮ってます。

昭和26年ですから、まだ占領下の銀座が舞台になっています。私が見てみたかった三間堀、三原橋の、あの許斐氏利がつくった「東京温泉」も、まだ営業前の建築中として映っていました。

パブ(宣伝)として、許斐氏利がこの映画に出資したのかもしれません。白黒なので分かりませんが、白亜の立派なビルでした。「ボクシングと大東亜」の中では、義理堅い許斐が上階を麻雀荘として無料で貸し出していたと書かれていましたね。

当時の大スターで、演技派の田中絹代主演の映画でした。銀座のバー「ベラミ」の女給で、5歳の男の子のシングルマザーという設定でしたが、当時満41歳ぐらいですから、やはり、少し…という感じでした。当時、19歳か20歳の香川京子と比べてしまうと致し方ないといった感じでした。

昭和25年頃の銀座の風景写真は、歴史的価値があることでしょう。室内のシーンが多く、ロケが少ないので、街頭風景はあまり多く映っていませんでしたが、路面電車が走り、男はソフト帽を被り、女性はまだ和服姿が多かったですね。

この映画の三原橋、「君の名は」の数寄屋橋のように、かつて銀座は川と橋ばかりでしたが、今では殆ど全て埋め立てられて、当時の面影すら残っていません。

今では外資系のブランド・ショップが乱立する銀座ですが、昭和39年の東京五輪前までは、まだ木造の仕舞屋が多く、庶民も暮らしていたことが分かります。

田中絹代扮する雪子と5歳の春雄が暮らす長屋も、新富町辺りの長唄の師匠さんの二階でした。
今は跡形もないことでしょう。失われた場所を求めて…といった感じでした。

「めし」「浪華悲歌」「ボクシングと大東亜」

ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

いつもながら、どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座いました。

昨日は、すっかり調子に乗って、ネットにはなかった成瀬巳喜男監督作品「めし」をDVDで観てしまいました。昭和26年度公開。まだ、米軍による占領時代(昭和20年8月15日~昭和27年4月28日)だったんですね。林芙美子の未完の遺作の映画化で、今後「晩菊」(昭和29年)、「浮雲」(昭和30年)、「放浪記」(昭和37年)など成瀬の代表作となる「林ー成瀬」コンビの第1弾です。

結婚5年目で子供がなく倦怠期を迎えた夫婦を上原謙と原節子が好演しています。終戦直後の大阪が舞台ですが、二人とも東京出身で大阪に転勤してきたという設定です。上原扮する主人公は真面目な北浜の証券マンです。(上原謙は、森雅之ばりに知性派俳優ぶりを全面的に押し出しております)そこへ彼の姪っ子が東京から家出して来て、一騒動になるという話でした。

昭和26年というまだ物資がない時代に、さすがに女優陣は当時最先端のファッションで身を包んでいるので映画だなあ、と思いました。やはり、言葉遣いが丁寧なので、観ていて感服します。成瀬は、台詞に関しては、削りに削っていたそうですから、無駄がありません。

夜は、またネットで、溝口健二監督作品「浪華悲歌」を観てしまいました。昭和11年公開ですから、何と「2・26事件」が起きた年ではないですか!

山田五十鈴主演です。さすが、画面は劣化してぼんやりしている場面がありますが、アップになるととても80年も昔の映画とは思えないぐらい鮮明に映っていました。

山田五十鈴が「不良少女」アヤ子役というのですから、時代を感じさせます。30歳ぐらいに見えましたが、当時、実年齢18歳か19歳の本当に少女だったんですね。

主人公アヤ子の父である準造(竹川誠一)は、事業に失敗して酒浸りになっていた溝口の父善太郎がモデル とされているそうです。映画の中では、アヤ子は父親の300円の借金を返済しようと、男を手玉に取る「不良少女」になり、最後は家族にも見離されて、大阪の街を一人彷徨う寂しい場面で終わります。

俳優さんの顔と名前が一致しないのが残念です。社長さん役の人は、婿養子で奥さんに頭が上がらないという設定ながら、アヤ子と愛人契約したりしますが、なかなか味がありました。また、医者役をやっていた俳優さんの名前も分かりませんが、随分太っていて、昭和11年という時代にああいう体格の人もいたのかという驚きです。

評論家の山本夏彦は「戦前は決して暗い時代ではなかった」と著書の中で繰り替えし書いていましたが、既に、デパートがあって、地下鉄があって、キャバレーもあって、株取引もあって、歓楽街で楽しむ大衆も描かれていたので、少し分かったような気がしました。

 ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

博多の曇卓先生のお勧めで、乗松優著「ボクシングと大東亜」(忘羊社)を読んでいます。

内容と目の付け所が大変いいのですが、大学の紀要を読まされている感じで少し読みにくく、市販書としてなら、残念だなあ、という感想です。

最初に「凡例」を書いて、「読み方の手引き」でも書いておけば、いいのですが、読みずらかったと言わざるを得ません。

例えば、98ページにはこう書かれています。

「…初期のテレビ放送は成功しただだろうか。
佐野[二〇〇〇a]は、日本初の民放テレビ放送の幕開けを、警察官僚から不屈の転身を遂げた正力の事業欲や権勢欲と重ね合わせながら描きだしている。…」

という具合ですが、何ですか?この急に現れる「佐野[二〇〇〇a]」は!!!?

私のような近現代史関係を中心に乱読している者なら、少し考えて、「もしかして、佐野眞一氏の『巨怪伝』を引用しているのかもしれない」と、ピンときます。しかし、「巨怪伝」は1994年に初版が発行されたので、この2000とは何か?

そして、後ろの「参考文献」欄を見ると、2000年に発行された同書の文庫版からの引用だということを著者は、言いたかったようです。

私は博士論文を書いたことはありませんが、引用文献として、時代を経て文庫版になった年号を書くものですかね?いずれにせよ、「凡例」がないので、実に不親切です。

それとも、著者はまだ若いので、読者がそこまで要求するのは酷なのでしょうか?

 ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

最初に「目の付け所と内容はいい」と激賞したので、少し引用します。

・かつてボクシング界には、嘉納健治(神戸富永組)をはじめ、阿部重作(住吉一家)、山口登(山口組)、藤田卯一郎(関根組)などの大親分が関わっていた。中でも、日本ボクシング創世記から興行の世界に足を踏み入れていた嘉納健治は「菊正宗」で知られる造り酒屋の生まれであった。一族の中には近代柔道の祖、嘉納治五郎がおり、嘉納家は神戸でも名門中の名門の家柄で知られる。(83ページ)

【追記】ひょっえーです。菊正宗は、渓流斎の愛飲の酒ですが、嘉納治五郎と関係があったとは不覚にも知りませんでした。渓流斎の呑む菊正宗は、日比谷「帝国ホテル」か、麻布「野田岩」か、銀座「酒の穴」に限ります。せんべろ居酒屋で出される「菊正宗」は似て非なるモノと心得よ。

・後楽園スタヂアムを取り仕切り、日本ボクシング・コミッションの初代コミッショナーに就任したのが田辺宗英。彼は戦前、玄洋社の頭山満を敬慕し、孫文を援助した黒龍会の内田良平や大陸浪人として知られる宮崎滔天らと知り合い、勤皇報国の思想を強めた。1931年(昭和6年)、銀座尾張町の四つ角に「キリン・ビヤホール」を開店。1933年(昭和8年)には西銀座に高級喫茶「銀座茶屋」を、1935年(昭和10年)には5階建ての食堂娯楽デパート「京王パラダイス」などを開き、実業家としての成功を収めていた。(p107~110)

【追記】銀座尾張町というのは、今の銀座四丁目交差点辺りです。最近、日産ショールームがあったビルが「銀座プレイス」として新装オープンしましたが、地下に銀座ライオン(つまりサッポロビール)のビアホールができました(まだ、行ってません)。田辺宗英の「キリン・ビアホール」と関係があるのかどうか?(確か、サッポロは三井系、キリンは三菱系、アサヒは住友系だったと思います)
また、この本では、あの牧久さんの書いた「許斐氏利」伝を引用して、銀座の東京温泉は、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」(1951年)のロケで利用された、と書かれてあったので、早速この映画もネットで観てみようかと思ってます。

ビートルズ、ジェイソン・ボーン、成瀬巳喜男「旅役者」

哈爾賓西駅待合室  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

◆過去1週間の閲覧数・訪問者数ランキングです。

《日付》     《閲覧数》 《訪問者数》 《ランキング》
2016.10.14(金)  613PV   327IP     2358位   /261万4333ブログ
2016.10.13(木)  315PV   149IP     8159位   /261万3783ブログ
2016.10.12(水)  371PV   183IP     6214位   /261万3252ブログ
2016.10.11(火)  450PV   183IP     7152位   /261万2690ブログ
2016.10.10(月)  449PV   167IP     1万109位  /261万2194ブログ
2016.10.09(日)  458PV   176IP     6513位   /261万1669ブログ
2016.10.08(土)  287PV   117IP     1万695位  /261万1173ブログ

昨日はついに2000位台にランキングされました!

消滅した「幻のブログ」は、過去800位台の3桁をマークしたことがあるので、もうすぐです(笑)。

でも、昨日は「ボブ・ディラン」という大物を見出しに取ったので、全く見ず知らずの「通りすがり」の方がアクセスしただけでしょう。

精進を重ねて、奉仕活動を続けて参りたいと存じまする。(真面目過ぎる!)

 哈爾濱西駅 和諧号  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

渓流斎は映画好きで知られていますが、毎回見た映画を全て、このブログに取り上げているわけではありません。

例えば、ビートルズの46年ぶり公開映画「エイト・デイズ・ア・ウイーク」は、イタリア旅行から帰ってからすぐに見ました。この映画は、ビートルズがデビューした1962年からライブ公演をやめてしまう1966年8月29日の米サンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでの最期のコンサートまでを追ったドキュメンタリーです。

私はビートルズ・フリークですから、あと2,3回は見る予定をしていますが、ちょっと、「第5のビートルズ」と言われたプロデューサーの故ジョージ・マーチンの息子のジャイルが音声の担当になっているようですが、ちょっと、いじり過ぎだと思いました。

つまり、ビートルズのライヴとして最も有名な1965年8月の米ニューヨークの「シェイ・スタジアム」公演をおまけで最後に上映してくれますが、ヴォーカルの音声が聴き取れなかったせいで、ヴォーカルの音をダビングするのは致し方ないにしても、演奏さえしていないギターの音を、恐らく他のライヴからかぶせて音をクリアにしているので、興ざめしてしまいました。あれは、違反じゃないかな…。

この映画について、若い音楽評論家が「ファンの熱狂があれほど凄いとは思わなかった」とラジオで感想を述べていましたが、「かわいそうに、何も知らないんだなあ」と哀れに思ってしまいました。(堂々と評論家を名乗っているので)。若いので無理もありませんね。ビートルズが演奏活動をやめたのは1966年、ちょうど半世紀も昔で、当時を知っている人は、今頃はもう還暦を過ぎてしまっているのですからね。

もう一つ、先週はシリーズもので9年ぶりに復活した「ジェイソン・ボーン」を観ておりました。これは、前作も前々作もシリーズ全て見ているので、愉しみにしていたのですが、今回は駄作で点数の付けようもありませんでした。

ただただ只管、拳での殴り合いとピストルでの殺し合い。そして、カーアクションと称する車の凄まじい破壊活動。筋もへったくれもあったもんじゃないです。

第一、CIA長官を殺害して何ともないという話も面妖。マット・デイモン扮するジェイソン・ボーンが何処にいようがコンピューターで突き止められるというのも陳腐で、大人の鑑賞に堪えられませんでした。

やはり、ハリウッド映画は、おこちゃま向けなんですかね?

 海の向こうは樺太  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨夜は、本棚の奥から、「日本映画ベスト200」(角川文庫)が出てきてしばらく熱中してしまいました。1990年初版発行なので、もう26年も昔の本。映画人・著名人1000人のアンケートによる「わが青春の1本」を集計したものです。戦前の映画も挙げられていますが、その映画人・著名人は今では他界してしまった人ばかりです。時代を感じる本でした。

ベスト200作品の監督の上位は、黒澤明(「七人の侍」「生きる」など)と小津安二郎(「東京物語」「晩春」など)の二人が独占している感じでした。この二人を追うようにして健闘していたのが溝口健二(「雨月物語」「西鶴一代女」など)。以下、木下恵介(「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」など)、今井正(「また逢う日まで」「青い山脈」など)、今村昌平(「復讐するは我にあり」「黒い雨」など)が続き、私の好きな成瀬巳喜男(「浮雲」「流れる」など)は第10位でした。

(この成瀬監督について、溝口監督は「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつも○○○○が有りませんね」と断定していたらしいので、椅子から落ちてしまうほど、ずっこけてしまいました=笑)

日本映画が黄金時代でカンヌやヴェネチアなどの国際映画祭で、数々の賞を受賞していたのが昭和20年代後半から30年代です。特に、黒澤・小津・溝口・成瀬は「四代巨匠」として名を馳せましたが、今見ても面白いですね。くだらないハリウッド映画を観る時間があれば、まだ見ていない彼らの映画を観てみたいと思いました。

そしたら、今はとてもいい時代になりました。ユーチューブで、著作権の切れた彼らの戦前の作品などが無料で観られるのです。

昨晩は、成瀬巳喜男監督の昭和15年の作品「旅役者」(藤原鶏太=釜足=主演)を観てしまいました。ある田舎町に「六代目菊五郎」が巡業に来るというので、山っ気のある床屋が興行師に投資したところ、「六代目菊五郎」は尾上でなく、中村菊五郎を名乗るドサ周りの田舎芝居の一座で、騙されたという話。主役の藤原鶏太は、一座で「馬の脚」役という設定で、ドタバタ喜劇といいますか、ドタバタ悲劇といった風合いで、ついiPhoneの狭い液晶画面なのに、1時間15分の映画を全部観てしまいました(笑)。

何と言っても、支那事変が始まっているとはいえ、太平洋戦争前夜の昭和15年。皇紀2600年。戦闘機「零線」がつくられた年に、こんな映画が公開されていたとは! 当時から、役者と言えば、「六代目」の名前が全国津々浦々に鳴り響いていたことが分かります。

76年前の映画なのに、画像が実に鮮明で、台詞がきれいですね。ヤクザ言葉でさえ、妙に格調があり、当時の日本人がこんな言葉遣いしていると思うと非常に感心してしまいました。(それに比べて、21世紀の現代若者は「disる」とか訳の分からない汚い言葉のオンパレードです)

ユーチューブで、日本の巨匠の映画鑑賞はお勧めですよ。

ボブ・ディランがノーベル賞とな!?

ローマ・ナヴォナ広場

最近、沢山のコメントをお寄せくださいまして、感謝申し上げます。

さて、今年のノーベル文学賞に、ミュージシャンのボブ・ディラン氏が受賞したということで、驚きの声が上がっています。

しかしながら、彼はもう25年以上も前から候補リストに上がっていました。(主催者が発表するわけではなく、あくまでもリストとして)

25年以上も前にこのリストを見たとき、流石の私も驚いたものでした。

そもそも、私のディランとの出会いがあんまり良くありません(笑)。代表曲「風に吹かれて」を初めて聴いたのは、ピター・ポール&マリーで、彼らの十八番だと思っていました。

ヒット曲「ミスター・タンブリンマン」もバーズで初めて聴きましたし、いずれも「本家本元」のディランの唄を聴いた時は、非常にガッカリしたものです。

でも、フォークからロックに転向したとして、観衆からブーイングを受けた象徴的な「ライク・ア・ローリングストーン」を聴いた時は、ノックアウトされました。この曲は、ローリングストーンズもカバーしていますが、やはり、ディランじゃなきゃ味が出ません。

ということで、ディランの追っかけは、ジョージ・ハリスンの「バングラデシュ・コンサート」にも出演した1970年代(この頃でさえ、既にディランは過去の人とみなされていた)で終わってしまいました。90年代にニューアルバムを一枚買いましたが、とりわけ感心したわけでもありませんでした。(しかし、2005年公開、マーティン・スコセッシ監督の映画「ノー・ディレクション・ホーム」はよかった!)

それが、ディランを見直すきっかけになったのが、2005年に発行された「ボブ・ディラン自伝」を読んでからです。本当に魂消ました。(ネット通販では、この本が1万9480円にも値上がってる!捨てなきゃよかった)その読書量の半端でないこと!仏詩人ヴェルレーヌ、ランボーなんか序の口で、若い頃から、プラトンもアリストテレスも、デカルトもカントも、それにマックス・ウェバーもケインズもあらゆるジャンルの本を読破しているのです。

ディランは、若い時は、暇に任せて毎月100冊近く読んでいたようです。しかも、記憶力が抜群で、いちいち細かい所まで覚えているのです。

嗚呼、これなら、ミュージシャンである前に、超一流の詩人になれるはずだな、と確信したわけです。

ボブ・ディランの本名は、ロバート・ツィマーマンで、ジョン・レノンの「マザー」の中でもその名前が(ディランではなくて、ツィマーマンが)登場します。ユダヤ系で、祖父の代から、オデッサ(あのオデッサ・ファイルで有名)から米国に移住したようです。

新聞各紙(て言うか、共同通信)では、この本名が明記されないので、不思議に思っていたら、どうやら改名して、芸名を戸籍に届けたようですね。ディランは、英国の詩人ディラン・トーマスから借用された、と言われますが、真実は知りません。

1986年に二度目の来日を果たした時の記者会見で、「悩み? あるよ。人間だからね」と発言した言葉が、今でも妙に頭の奥底に残っています。