最後のパトロン藤浦家

明治21年創業の「満寿家」

この前、タニマチやらパトロンやらについて、渓流斎ブログで色々と書いたことがありましたが、書いた本人は忘れてしまいました(笑)。

今回は、ちょっと半端じゃない人が見つかりました。

藤浦周吉という人物です。

藤浦家は、もともと徳川家康の直々の家臣で、小田原征伐後の天正18年に、豊臣秀吉の命で家康が三河から江戸に移封された時に、お供として付き添い、代々旗本として禄を食んでいたそうです。

それが、維新になって、藤浦家は没落します。幕末生まれの周吉が始めた商売が蘆頭(ろうず)になった野菜売り。そのうち、京橋をシマにしていた?客である会津の小鉄と新場の小安との間の抗争を身体をはって収めて、土地の有力者となります。しがない蘆頭の野菜売りから、胴元のような野菜卸売業の東京中央青果のドンにまで上り詰めるのです。

藤浦周吉は、寄席ができるほど広大な屋敷まで建てます。屋号は、三河の周吉から取って「三周」。当時、東京では知らない人はいないほどでした。

実際、周吉は、三遊亭円朝のパトロンとなり、三遊亭の名跡は、「三周」のお預かりとなります。?客と顔役を兼ねたような大店ですから、色んな人が出入りします。維新元勲だった伊藤博文、井上馨、西郷従道、桐野利秋…。そして、六代目菊五郎や後の大文豪となる谷崎潤一郎らもしょっちゅう顔を出します。

周吉の息子の富太郎は明治18年生まれです。同じようにパトロン業に勤し、政商、黒幕として、松本清張の「けものみち」のモデルになった人物です。有り余るお金でセザンヌやゴッホの絵画を収集していたそうです。この二代目の全盛期は、昭和初期です。五・一五事件の青年将校や血盟団事件の三浦義一、二・二六事件の青年将校や北一輝らに莫大な資金を提供しますが、表に名前を出るのを嫌がったため、藤浦富太郎の名が一般世間に知られることはありませんでした。

三代目が昭和5年(1930年)生まれの藤浦敦です。早大を出て、「三周」に出入りしていた正力松太郎の口ききですが、超難関試験を突破して読売新聞の記者になります。しかし、静岡総局に赴任した新人は、すぐ嫌気がさして辞めてしまい、日活に入社します。

読売時代の同期には、後に作家となる三好徹、佐野洋、日野啓三ら錚々たる人物がいます。

日活の同期には、「キューポラのある街」の浦山桐郎がいます。日活の入社試験も、競争倍率が高くてかなり難しく、今や大御所で寅さんシリーズの山田洋次監督は、落ちたそうです。桐山は、日活と松竹の両方に合格し、日活の方に入ったため、山田洋次は松竹に「補欠合格」したそうです。若い頃の浦山は、山田に「俺が日活に行かなかったら、お前は松竹に補欠で入れなかったんだぞ」と、よく苛めていたそうです。

今や誰も意見もできない山田監督としては、誰にも知られたくない消したい過去でしょうが、やはり、こうして残ってしまうんですね。

この三代目の藤浦敦氏がとてつもない人なのです。何しろ、撮影所で本物のだんびら(刀)を振り回す無頼不良監督、いや、金ならふんだんにある怖いもの知らずだったのですから。

(藤浦敦著「だんびら一代」による)

「戦争について」

明治21年創業「満寿家」

批評の神様と崇拝された小林秀雄は、南京入城のあった昭和12年、当時かなりの読者を得ていた「改造」誌に「戦争について」と題した檄文を発表します。

小林の文章は、大学入試問題の現代国語にも頻繁に採用されていますが、多くの日本人が思っているほど名文家ではないので、旧字を新字に改める程度ですが、少しだけ現代語訳します。

「観念的な頭が、戦争という激しい事実に衝突して感じるいたずらな混乱のことを、戦争の批判と間違えない方がいい。
気を取り直す方法は、一つしかない。日頃、何かと言えば人類の運命を予言したがる悪い癖はやめて、現在の自分一人の生命に関して反省してみることだ。
そうすれば、戦争が始まっている現在(支那事変のこと)、自分のかけがえのない命が、既に自分のものではなくなっていることに気がつくはずだ。
日本の国に生を受けている限り、戦争が始まった以上、自分で自分の生死を自由に取り扱うことはできない。
たとえ人類の名においても、これは激しい事実だ」

この文章は、親友中原中也が亡くなった前後に書かれましたが、35歳の若き小林の唾きが目の前に飛んできそうな勢いです。その後、大正生まれの後輩たちに檄文を与えただけで、明治生まれの小林が、文藝講演と称して、満洲などに出掛けても、自ら銃を取って最前線に行った話は聞きません。

戦後は「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と開き直ったおかげで、戦犯容疑者にさえならず、無傷のまんま、神様として崇められて、最高の栄誉である文化勲章まで授与されて80歳の天寿を全うします。

青春時代のど真ん中で、「小林秀雄全集」を食事代を削って買い求めた辺見庸氏が「何で、当時は小林の真意を読み取ることができなかったのか」と地団駄を踏んだことを告白する場面が一番おもしろかったので、引用しました。

辺見氏の父親は、東京外国語学校支那語科を出て(永井荷風の後輩ですなぁ)、同盟通信社の記者になった人で、支那事変で戦い、ポツダム少尉になった戦後、辺見氏には一切、戦争のことについて語らなかったそうです。

辺見庸著「1★9★3★7」には、堀田善衛の「時間」と石川達三の「生きている兵隊」が、重要な参考文献として、度々、引用されています。

「帰ってきたヒトラー」は★★★☆ 第5刷

哈爾濱市場 野菜もありまーす Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
北海道の雪祭り先生と、名古屋の海老不羅江先生と、博多のどんたく先生から、「『帰ってきたヒトラー』はご覧になりましたか?まだでしたら、是非ご覧になった方がいいですよ。今年のベスト5に入る作品ですよ」とのお勧めが沢山あったものですから、やっと、今日急いで見てきました。

映画館はいつも混んであまり好きではない東京・日比谷シネマ・シャンテ。ここは、国内でも唯一と言って良いくらいの当たり外れのない素晴らしい佳作か、翌年のアカデミー賞の最優秀作品賞に輝くような良い作品をばかり公開してくれるのですが、何せ、会場は狭すぎて、いつも超満員。

そこで、3日前になって急きょ、特別価格でネットを通して初めてチケットを購入してみたのです。

それが、大正解でした。

映画館に着いたら、またまた長蛇の列。こちらは列に並ばず、大助かりでした。ネットでの事前購入は、皆さんにもお勧めします。祝日とはいえ、東京は暇人が、随分多いんですね(笑)。隣県の千葉や神奈川や埼玉はこんなに混むことはありませんから。
五穀豊穣です Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

で、肝心の映画ですが、最初から何の予備知識を持たないで観たもんですから、喜劇なのか、悲劇なのか、笑っていいのか、怒っていいのか、さっぱり分からなくて、すっかり面食らってしまいました。

ま、それが、この映画作家の狙いなんでしょう。監督・脚本は1977年生まれのデビッド・ヴィネンドというドイツ人でした。まだ39歳ですか。かなりの才能の持ち主です。

物語も、ハリウッド映画のように、薄っぺらで、単純ではなく、複雑に入り組んでいて、まるでマトルーシュカみたいです。

蒸かしたてのトウモロコシはいかが? Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

アドルフ・ヒトラー役のオリヴァー・マスッチという俳優が、何か本物そっくりに見えてしまいます。

出演する極右政党の人たちが本物かどうか分かりませんが、まるで、ドキュメンタリーを撮影しているかのように見えます。

ヒトラー扮するコメディアン(という設定)が、車に乗って、道行く人に挨拶をしますが、その「通りを歩く人たち」が字義通り、一般人なのか、エキストラなのか、さっぱり区別がつきません。

なぜなら、ある人には目に黒い太い線が挿入されたり、ある人には顔や身体全体にボカシが入れられたりして、その人物が誰なのか、特定できないようにしているからです。

堂々と顔を出して登場する人もおりますが、その人は、偶然通りかかったのか、エキストラなのかさえ、分かりません。同じ場面で、目に黒太線が入った人がいるということは、フィルムに写った何百人、何千人という人間にいちいち「肖像権」やら「著作権」とやらを確認したんでしょうね、きっと。でも、それは、目が回るほど厄介で細かい仕事です。本当にそんな気の遠くなるような作業をしたんでしょうかねえ?

よく分かりませんが、ヒトラー役のマスッチがあまりにも落ち着いて、堂々として、役に入り込んでいて、薄気味悪いほど善人のように描かれ、現代にマッチした形で演説したりします。

特に、くだらない低脳番組のオンパレードで、人類を思考停止の能力退化に落とし入れているテレビに対して、ヒトラーは痛烈に批判します。

舞台は2014年のドイツですが、移民流入問題、失業問題、原理主義者の台頭、貧富格差問題、原発・環境問題など極めて身近な政治問題が取り上げられ、皮肉にも、蘇ったヒトラーが解決策を開陳して、再び、大衆の心をつかんでいく道筋は、80年以上前の1930年代とまるっきり変わりません。

この映画では、かなり、際どいタブーも取り上げられます。何しろ、ドイツ国内では、「わが闘争」が発売禁止だけでなく、公でヒトラー式の挨拶も禁止され、民族差別発言も禁止されているはずです。確か、逮捕されれば、禁錮刑にもなったはずです。

それが、この映画では、「タブーを破るジョーク」として堂々と出てくるので、観てる方が心配になってしまいます。

ですから、この映画は、単なるエンターテインメントではなく、ハラハラドキドキするスリラーに近いのかもしれません(苦笑)。

心の誓い Bon Anniversaire ?? 第5刷

フランスの森 Copyright par Mme A N

今日、2016年7月18日は、「海の日」の祝日ですが、個人的には、渓流斎の節目の誕生日に当たります。

我ながら、短気で無鉄砲な性分が、途中で自然界から淘汰されずによくぞ茲まで生きてこられたと思っています。

いや、昨年のように危ない年もありましたけどね(笑)。まさに、今年は再生の年になりました。心を入れ替え、近くの中山神社でお祓いを受け、「古事記」「日本書紀」を一から勉強し直して、近現代史を見つめ直すことに致しました。

心入れ替えの序でに、一つ、心に誓ったことがあります。

残りの人生は、もう「自分や他人様(ひとさま)の意にそぐわないことは、勉強でも遊びでもやらない」ということです。意にそぐわないことをやらされることは、自分としても、他人様としても不幸なことです。

幸いにも、禄を食む組織内では、私は、もう無理をして嫌いな人と付き合いはしなくて済む「へんあつめのつぼね」という肩書に就くことができました。

嬉しいことに、全世界から祝電と誕生日プレゼントが押し寄せて大変です。と、嘘でもブログにはそう書いておきましょう(笑)。

これからは、もう若くないので、健康に気を付けて、相も変わらず周囲に迷惑を撒き散らして(笑)生きていく所存ですので、そこんとこ、宜しくお願い申し上げます。

渓流斎朋之介

「父・伊藤律」と映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 第5刷

哈爾賓朝市は人また人 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 7月15日(現地時間)に南仏ニースで大掛かりなテロ事件(84人死亡、50人以上重体)があったかと思ったら、すぐさま、翌日16日には、トルコでクーデター未遂失敗事件ですか…。こちらは日本時間17日午前現在、民間人を含めて265人が亡くなり、クーデターに関与したと目されている約5000人の軍人、宗教人、司法関係者ら、いわゆる強権独裁政治を高めてきたといわれるエルドアン大統領の反体制派が次々と連行されたようです。

 一説では、クーデターにしては、あまりにも計画性がなくおそまつで、過去何度かトルコ国内であった軍によるクーデターとは異質なものだそうですね。要するに、本気で政権を奪取しようというリーダーもなく、参謀クラスの上層部ではなく、一部中堅クラスの反乱だったようです。一般メディアでは、惨状は全く伝わりませんでしたが、死亡者数だけ見ても、おぞましい事件で、巻き込まれた市民は気の毒としかいいようがありません。

 何か、昨年1月のパリのシャルリ・エブド事件以来、ひっきりなしに、世界各国各地でテロや内乱やクーデター等が起きている感じで、神経も休まりませんね。

果物あります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 さて、昨日は、1年ぶりにシンポジウムを覗いてきました。

 「ゾルゲ事件」で、自白によって関係者逮捕のきっかけをつくった「革命を売る男」(松本清張)であり、「生きているユダ」(尾崎秀樹)という偽りのレッテルを貼られた日本共産党の幹部で、戦後北京に幽閉された伊藤律の二男伊藤淳氏の「父・伊藤律」(講談社)の出版記念会を兼ねていたので参加してみたのです。(御茶ノ水・明大リバティータワー12階狭い1125教室。参加費1000円。98人参加)

 主催者である渡部さんや由井さんから葉書やメールなどで何度も通知を頂いたため、会場には30分以上前に到着しました。残念なことに、よりによって、ブログに写真でも文章でも何でも書くと、法的手段に訴えかねないメディアを売る男が、後から来て目の前に座り、目礼をしても無視するわ、悪びれもせずかつ丼をペロリとたいらげるわで、シンポの間中、不快でしたので、会が終了次第、二次会も出ずすぐ帰宅しました。

 また、色々書くと、この輩がいちゃもんをつけてくるかもしれないので、講師とタイトルだけを書いておきませう。

 1、伊藤淳氏(著者)「最後まで日本革命を夢見た父」
 2、保阪正康氏(評論家)「臣民・国民・人民―伊藤律は何を信じ、誰に裏切られたのか」
 3、加藤哲郎(早大教授)「歴史としての占領期共産党」

 補足ながら、伊藤律は、渡部氏らの尽力で、ゾルゲ事件端緒説とは無関係で、スパイでも何でもなく、党内で唯一、裏切らなかった男として実証されましたが、組織内では依然、名誉回復されていないようです。

果物あります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 私は、個人として生きているので、組織や団体は嫌いで、ヒトの思想信条には興味はありませんが、その思想信条とやらのおかげで、行動まで伴うと、他の庶民は、そのとばっちりを受けて、悪い影響を蒙らざるを得ないので、仕方なく「主義」や「思想」などを勉強したりしますが、そういった組織はあまりにも人間的ですから、やっかみ、そねみがあり、平気で恩人を誣告したり、裏切ったりするものです。こういう話を聞くと、人間というのは、実に嫌な生き物だなあと不快に感じてしまいます。

 たとえ、いちゃもんを付けられても、講演の中で、個人的に面白かったことで一つだけ触れます。

 ゾルゲ事件は、戦後になって、東西冷戦時代に入り、GHQの占領期にG2ウィロビーらによって、「反共」「反ソ」のシンボルとして利用されます。1950年に勃発する米・中ソの代理戦争ともいえる「朝鮮戦争」を目前に控えて、マッカーシズム、いわゆる「赤狩り」旋風が巻き起こります。

 上院議員マッカーシーが「俺は、国務省内の共産党員のリストを持っている」と発言したのは1950年2月9日で、マッカーシズムが本格化するのはそれ以降なのですが、その前にも色々と、米国内でジャーナリストや作家など共産主義者への弾圧が高まります。一番有名なのが、1947年に、後に大統領になった俳優のレーガンによる映画俳優組合内にいる共産主義者のFBIへの告発や10人の著名な映画関係者「ハリウッド・テン」の映画界追放事件などでしょう。

 1947年の非米活動委員会への召喚対象になった監督、俳優らの中には、著名なチャールズ・チャップリンや「ローマの休日」の監督ウィリアム・タイラーがいたことはよく知られています。 そこで、「ローマの休日」のグレゴリー・ペック、「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランド、「怒りの葡萄」のヘンリー・フォンダ、「カサブランカ」のハンフリー・ボガート、「スパルタカス」のカーク・ダグラス、「家族の肖像」のバート・ランカスターといった俳優陣は反対運動を行います。

 逆に、告発者側には、「大統領」のレーガンのほかに、これが手柄になったのか、ハリウッド俳優ナンバーワンの地位を確立していくジョン・ウエインをはじめ、あの大人までも大好きなウォルト・ディズニー、「エデンの東」のエリア・カザン、「真昼の決闘」のゲイリー・クーパーらがいました。

◇「ローマの休日」の本当の意味
さて、「ハリウッド・テン」の中には脚本家で監督のダルトン・トランボがいます。彼は復帰後、「パピヨン」や「ジョニーは戦場へ行った」(この映画にまつわる逸話は、大変興味深いのですが、長くなるので残念ながら省略)などの大ヒット作を飛ばしますが、追放期間中の1953年に貧困の中、偽名を使って脚本を書いたのが「ローマの休日」だったのです。

 彼の生涯を描いた映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」が7月22日から日本でも公開されるというので楽しみです。

 さて、今回、何度も例に出した「ローマの休日」ですが、日本ではオードリー・ヘップバーン演じる王女さまとグレゴリー・ペック演じる通信社記者の淡い恋愛物語となっていますが、これを書いたトランボは、題名に特別な意味を持たせていました。

 原題は、Roman Holiday 

 もちろん、「ローマの休日」と翻訳しても問題はありませんが、本来の意味は、ローマ帝国で、貴族たちが闘技場で剣士らが闘って殺し合うことを楽しんだことから「人の犠牲によって得られる娯楽」(バイロンの詩から)なんだそうですよ。

 講演会の会場で、質疑応答意見開陳の中で、某氏が「アメリカ人なら、この話は常識で誰でも知っていますよ」と発言されておりました。

そうかなあ?と、ちょっと疑問。

仏ニースでテロ事件があり昔を思い出す

Paris C’est a moi.
Oh! Mon Dieu !

7月14日のフランス革命記念日の祝賀祭を狙ったと思われる仏南部ニースで起きたテロ事件には非常な衝撃を受けました。

84人が死亡、100人以上が重軽傷と伝えられています。犯人は、チュニジア生まれで仏との二重国籍を持つ31歳の運転手と言われ、トラックで花火を見物していた群衆に突っ込み、銃を乱射した無差別殺戮と言われています。

まだ、動機や背景については捜査中ですが、現場となったプロムナード・デ・ザングレ(「英国人の遊歩道」という意味)というコート・ダジュール(紺碧海岸)沿いの通りは、国際観光都市ニースのメイン・ストリートで、有名な夏祭りやカーニバルのパレードもそこで行われます。

私が大変なショックを受けたのは、遥か遠くの大昔、渓流斎がまだ学生時代だった頃、ここを訪れたことがあったからです。大学のフランス語の恩師マリ=フランス・デルモン先生のお兄さんが、このプロムナード・デ・ザングレに面したマンションに住んでおられ、ちょうど我々と年恰好が近かったデルモン先生の姪っ子に当たる美女二人とそこでお会いしたことがあったからです。

城壁を歩く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

デルモン先生のお兄さんは、ニース大学の医学部の教授でした。旅先で知り合った日本人今村君と他に誰かいたか忘れてしまいましたが、突然訪れたのにも関わらず、一家は歓待して出迎えてくれて、奥さんの手料理を振る舞われたことをよく覚えています。

今のように、インターネットも何もない時代ですから、牧歌的で、デルモン先生には図々しくもニースに行く予定だということはお伝えしていましたが、いつ、何時に行くのか未定で、住所と電話番号をお伺いしたことだけは覚えています。

先ほど、今はアメリカに住んでいる今村君にメールしたところ、自分は、姪っ子さんの名前を間違って彼に伝えていたことに気がつきました。彼の方がよく覚えていました。

何しろ、彼は、いつ何処から用意したのか、盗んだのか(そんなわけないか=笑)、旅行途中のノミの市で買ったのか、分かりませんが、今村君はネクタイを着用して、ちゃっかり、紳士ぶってフランス人の美人さんと一緒に写真に収まったぐらいですからね(笑)。

そして獅子に見送られ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

私が勘違いしていた姪っ子さんの名前はイザベラさんで、愛称はザザでした。一度、彼女が日本に遊びに来た時、二回ほど会ったことがありました。私がニースに行ったとき、ザザは確か、米国に留学中で、彼女はその後、ジョディー・フォスターが映画「羊たちの沈黙」で演じたようなFBI訓練生になったと思いましたが、その後どうなったか、音信不通になってしまい、分かりません。何しろ、フランス人が、アメリカのFBI捜査官になれるかどうかも不明で、記憶違いかもしれません。

その頃、ニースにいたのは、確かザザの妹のマニュエラさんで、これまた不確かですが、ザザとマニュエラの従妹に当たる16歳のクリスチーナちゃんもいました。16歳といっても、フランス人のおなごはませていますから(笑)、20歳過ぎに見えましたが。

家族が住んでいたのは10階建てぐらいの高級マンションの確か最上階で、鍵が二つぐらい開けないと入れないほどセキュリティがしっかりしていて、当時そんなマンションは日本では見たことがなかったので、驚いた印象があります。

そのバルコニーからは、ちょうど、プロムナード・デ・ザングレでのお祭りのパレードが見え、多くの観光客でごったがえしていました。バルコニーは、まさに特等席でした。

あの時の御礼をしなくてはならないのに、先生一家とは音信不通となってしまい、そのまま月日が流れてしまいました。

そしたら、このテロ事件です。

教授夫妻も、マニュエラさんもクリスチーナさんも、まさか事件に巻き込まれていないでしょうが、妙に心配です。

パレードを観た後、マニュエラさんの提案で、若いもん同士だけで、近くのカフェバーに行き、未成年のクリスチーナちゃんだけはお酒を頼めないので、ふくれっつらをしていたことを思い出しました。

翌日は、今村君と二人で、コートダジュールで泳いでいたら、日本人の若松さんと、あと誰だったか…3人娘とばったり会ったことも思い出しました。

残忍なテロ事件の話から、全く関係ない青春時代の思い出を披露してしまいましたが、テロ事件とは、そんな他愛のない日常生活を不条理にも断ち切るということで、どんな大義も何もない、本当に許しがたい卑劣な行為だということは強調したかったのです。

【追記】
来週は、渓流斎の記念すべき区切りの誕生日ですので、京都は老舗「鼓月」の桃山の中でも天下一品「華」を取り寄せてお祝いに贈りました。楽しみだぎゃがな。

大下英治著の「激闘!闇の帝王 安藤昇」

  1. ある日の銀座コリドー街

    いつも、そそっかしい名古屋にお住まいの六代目海老不羅江先生から、急にこんな飛脚便を送って来られました。

    …大下英治著の「激闘!闇の帝王 安藤昇」(さくら舎刊、1600円)を読みだしましたが、これが「講釈師、見て来たような嘘をつき」と言いますか、ついつい引き込まれまれてしまいました。…

    何でしょうか、と、突然?

    …帝都は銀座8丁目にある老舗天麩羅店「天国」裏の第2千成ビルに事務所を構えていたのが、あの白木屋乗っ取り事件やホテル・ニュージャパンのオーナーとして名を馳せた、”ケチ”で”悪党”の横井英樹です。その横井を安藤昇が襲撃する一コマ。渋谷の青山学院大学の前にあった「網野皮革店ビル」に安藤組の事務所があったこと。次から次に有名人との逸話が出てきて、恐らく、貴人は、涎、垂れ垂れで読まれることでしょうね。…

    何で、あ、あたしが…?

    …残念ながら、同書は、公立図書館のような気品の高い所では閲覧不能、蔵書されない珍本ですから、1600円出して買うしかありませんね。網野善彦先生の難しい歴史本や、古典、さらには理屈ばかりこねる人士には、理解不能な書物でしょう。堂々と銀座のど真ん中にある本屋さんで買われることですね。屹度、読むのに熱中して、スマホ歩きの若いアンちゃんと衝突しますよ。銀座のホステスで、作詞家、作家としても名を残した山口洋子ママも、安藤昇の間夫だとは、この本で初めて知りました。キックボクシングの野口さんとしか知らなかったですからね。…

    と、急にこんな飛脚便が届けられれば、その「逸話」とやらが私も気になり、読んでみたくなりますね(笑)。

    安藤昇は、当時としては大学を出た(中退ですが)インテリの渡世人として、渋谷を拠点に一時は500人もの子分を抱えて羽振りをきかせていました。その後、役者に転向して、俳優として成功したので、知る人ぞ知る有名人です。

    しかし、何で今頃、安藤昇の本が出版されるのか、不思議だったのですが、昨年末に亡くなっていたんですね。私は、昨年は旅行で黄泉の国に行っていましたので、昨年一年間に起きた世の中の出来事を知りませんでした。

    安藤昇は、小生の父と同じ大正15年生まれでした。安藤昇は、いわゆる特攻隊崩れだそうですが、私の父も10代で帝国陸軍の一兵卒として志願して日本のために戦いました。いわゆる一つのポツダム伍長です。

    父が戦死していたら、私もこの世に生まれなかったのだなあ、と感慨深くなってしまいました。

祇園祭どすなぁ

祇園祭 長刀鉾

またまた、長文のコメント忝なく存じます。

さてさて、「ブログには、季節感がなければいけませんよ」ということで、京都にお住まいの京洛先生が、ふらふらと洛中漫歩の間に撮影された祇園祭の長刀鉾の写真を送って下さいました。

はい、祇園祭のシーズンが始まりましたね。

毎年恒例で行かれている赤坂不動尊様も、今はお尻の穴がうずうずしていることでせう。嗚呼、渓流斎ブログが何を言う!?早見優?(古い!)尾籠な喩えで大変失礼仕りました。

ご案内の通り、この渓流斎ブログは、通勤電車の中で、スマホで書いてます(笑)。

写真の貼り付けや、文字(笑)のコピペとなると、かなり面倒臭いんですが、iPhoneに替えてからは、それが前のXperiaよりもスムーズにいくので、少し助かってます。
祇園祭 長刀鉾

皆様ご案内の通り、祇園祭は、平安時代に疫病の流行や怨霊の祟りを鎮めるために、始まったものです。お祀り自体は、八坂神社(祗園社)の祭神をまつったものですが、この八坂神社とは、山城国愛宕郡の八坂郷のゆかりの神社です。…とは以前にも一度書いたことがあります。

もうお忘れかと存じますが、この地域に本拠を置いた八坂造は、「狛国人より出づ」(「新撰姓氏録」)ということで、朝鮮半島から渡来した高句麗系の氏族でした。

ということは、祇園祭は、朝廷の中枢内部に深く入り込んだ渡来人の主導で始まったということになります。

祇園祭 長刀鉾

話は、すっごく跳びますが、今、NKHじゃなかった神南方面の国有放送がやってる大河ドラマ「真田丸」を御覧になっている方も少なくないかもしれません。次回では、豊臣秀吉に跡取りの秀頼が生まれたことから、秀吉の甥っ子で、跡継ぎに指名された関白秀次が、結局、秀吉に疎まれて、謀叛の嫌疑をかけられて高野山で切腹を申し付けられる場面が展開されることでせう。秀次の首級は京都三条河原で晒されます。

あ、ネタばらしをしてしもうた(笑)。

まあ、歴史的事実だから仕方ありません。江戸は、鈴ヶ森(品川)、小塚原(荒川)、大和田(八王子)が三大刑場として有名でしたが、京都では三条河原や六条河原が刑場だったとは、つい最近まで知りませんでした。

そう言えば、新撰組の近藤勇の首級が三条河原で晒されたのもそういう所だったからなんですね。(私の記憶では、確か、近藤勇は下総流山で捕縛され、板橋で処刑されたと思います)

で、前関白豊臣秀次の話ですが、色んな説がありますが、一説では、秀次の切腹後、京都三条河原で、子供5人と側室と乳母ら39人も一緒に殺害されます。まさに、根絶やしです。僅か、今から420年ぐらい前の出来事です。

後世の人間としては、そういことができた、そういことがありえた、と判断するしかありません。

秀次の家臣田中吉政が私の御先祖様と関係があるのかもしれないということで、個人的に秀次に興味を持ちました。

暴中膺懲にはならない?

珍しい白鳥対ヌートリアの戦いの瞬間(仏在住のANさんから)

辺見庸著「1★9★3★7」を読んでいたら、久し振りに「暴支膺懲」という言葉が出てきました。何?読めない?とな。

ぼうしようちょう…横暴なシナを懲らしめてやれ…といった意味です。帝国陸軍による中国侵略のテーゼとなり、先の戦中はスローガンとなり、盛んに喧伝されました。「鬼畜米英」と一緒に使われることも多く、特にその御先棒を担いだのが、当時の最先端メディアの新聞でした。

しかし、今回の件では、何処の国もメディアも「暴中膺懲」などと言ったりしませんね。

ここでは、仲裁裁判所の下した裁定に、中国が「そんなもん知るか」と拒絶して、国際法に従わないことを明白にしたことについて、言っています。

振り返ってみませう。

オランダ・ハーグの仲裁裁判所は昨日の7月12日に、中国が主張している南シナ海の広い範囲で独自に設定した「九段線」には「法的根拠はない」との裁定を下したのです。

これは、中国が南シナ海の西沙諸島や南沙諸島などに軍事拠点と見られるような要塞を建設したり、艦船や戦闘機を派遣したりして、着々と覇権を確立し、危機感を感じたフィリピンが「国連海洋法条約違反だ」と仲裁手続きを求めていたものです。

中国の強引な海洋進出に対する初めての国際的な司法判断で、これで中国の主張する「歴史的権利」が否定されたわけです。

これに対して、中国政府は「判決に拘束力なし」と拒絶したのでしたね。

そもそも、「歴史的権利」という言葉こそ、幻想であって、領海や領土などは弱肉強食の論理で人間が勝ち取ったという面を完璧に否定できず、それこそ、日本が「歴史的権利」を主張したら、南シナ海も日本の領海であると主張できないこともないのです。

ご案内の通り、海南島も日本領土で、日本政府の支配下にあった歴史もありますからね。

ということは、国際法に拒否権を発動する今の中国、というより、人民解放軍勢力は、世界第2位の経済力を追い風にして、世界制覇を狙っているのではないか、と東南アジア諸国をはじめ、世界中が注視していると言っても過言ではないでせう。

このまま、中国が国際法を無視して軍事力を拡大すれば、そのうちリットン調査団(?)を派遣せざるを得なくなり、極東の島国も憲法を改正して軍需産業を軸に経済を活性化して、合法的におおっぴらに、中国からの「侵略」を阻止する軍事行動を発展させることができる良き口実を与えかねないのではないかと、私は思っています。

ただ、80年前のように、暴支膺懲にならないのは、当事者である東南アジア諸国連合(ASEAN)の足並みがそろわないからです。ASEANには、華僑が多く、ほとんど経済的社会的政治的実権を華人が握っており、何といっても「経済最優先」が、先の悲惨な大戦を通じて身にしみて分かっているからでしょう。

えっ?知らない?

谷町社会

東銀座

いつも「獅子身中の虫」様からコメントを頂きますと、ドキドキして思わず姿勢を正してしまいます(笑)。しかし、中身にはいつも感心させられておりますよ、提督閣下。

◇NKHって何?

さてさて、その提督閣下の大嫌いな朝日新聞が「大訂正」をやらかしてしまいましたね。「大誤報」ではありません、念のため(笑)。

何が哀しいのか、新聞社としては最も主張したいが、殆ど読んで貰えない「顔」とも言うべき社説の中で、「NHK経営委員」と書くべきところを、「NKH経営委員」とやってしまったのです。

神南方面から文句が来て初めて分かったのでしょうか?

明らかに人為的ミスですが、これを書いた論説委員さんは、恐らくパソコンで執筆していることでしょうけど、変換ミスではなく、「思い込み」で、「NHK」を「NKH」と打ってしまったんでしょうね。以上、この話は長くなるのでこれでお終い。

◇噺家のギャラは2500円!

最近の経済週刊誌「ダイヤモンド」が面白い、といつぞや書きましたが、先週号は「落語」特集で、これまた面白かった。実は、立ち読みして買わなかったので、細かい所は、覚えていないのですが(笑)、衝撃を受けた事実がありました。

さすが、経済誌だけあって、噺家のギャラを調べておりましたが、何と、上野の鈴本演芸場にしろ、新宿の末廣亭にしろ、真打だろうが、大ベテランだろうが、1日のギャラは、2000円~3000円程度だというのです。

内訳を詳しく書いておりましたが、まず木戸銭(入場料収入)の半分を席亭(劇場支配人)が持っていく。残りの半分をその日の出演者で均等に分配される。大体、寄席は昼と夜の二回興行で、マジックや切り抜きの人もおりますから、1日の出演者は30人ぐらいとなり、残りを皆で山分けするとなると、2500円程度にしかならないというのです。

これでは、ワーキングプアじゃありませんか。ショックでしたね。では、何で、噺家は、偉くなると弟子を持って羽振りがいいような生活をしているのか?いやはや、そう見せているだけで、実際には全国で1200人程度いる落語家さんで食べて行けるのはその1割程度。売れっ子となると、50人もいればいい方ではないでしょうか。

そこで、思い浮かぶのは、タニマチです。所謂一つのパトロンさんです。大坂の谷町筋も江戸時代から贔屓のお相撲さんを抱える豪商が多く住んでいたのでそう呼ばれた、と聞いたことがあります。

昔も今も変わらないのです。

関取も、噺家も、役者も、絵師も、活字芸者も、そして、落下傘政治屋もワーキングプアで、そのままでは生活できないわけですから、パトロンに縋るわけです。その仲介役を務めたのが顔役や口利きや引手茶屋です。

電気紙芝居の時代になっても変わりません。引手茶屋が大手広告代理店に取って代わり、「旦那、好い子いまっせ。御宅で使いませんか?」と斡旋してきます。

旦那衆は「よっしゃ、よっしゃ」と百両ばかし、「おまえも、悪やの~」と言って斡旋業者に渡します。仲介役は、台本作家を雇って芝居を作り、その番組の途中に旦那衆が売り込みたい効きもしない偽丸薬の宣撫活動にその好い子を使って、○○な大衆を洗脳するわけですよ。大衆も騙されることが生き甲斐ですからね、これで、「物々交換」が成立。

噺家も、本業では食えないので、お線香の宣撫活動に勤しんだり、ラーメンを売り込んだりして大忙しです。もっとも、「笑点」のレギュラーメンバーになれれば、一回100万円以上の地方公演がありますから、十分に本業を生かすことができますが。

◇キアロスタミ監督

先日亡くなったイランの巨匠キアロスタミ監督は、あまり有名な俳優は使わず、台本も綿密ではなく、ドキュメンタリータッチで撮ることで有名でした。

困ったのは俳優陣です。「監督、次の台詞は何と言ったらいいんですか?」と迫ります。

すると、キアロスタミ監督は「貴方は、明日の自分がどうなっているか断定できますか?」と、涼しい顔で応えるそうです。

監督としては、明日さえ分からぬヒトの運命の儚さや不安定さをスクリーンで表現したかったのかもしれません。

 ですから、今回の参院選の結果だけを見て、未来を予測する評論家が多くいますが、警戒するべきでしょう。瓦版の「後講釈」もうんざりです。

 誰も責任を取りません。

 Tomorrow never knows.