大切なものは目に見えない 第3刷

干支申年

星の王子さまが言った「大切なものは目に見えない」は、正しい。

しかし、多くの人は、分かっていない。

まず、大切なこと、重要なこと、巧い投資話、モデルのような美人や青年実業家ら金蔓になるような異性情報は、ネットに乗りません。

日本伝来の忍術も、茶道も華道も画塾も雅楽も本来は、文字に書かれることはありません。精髄は、全て師から弟子に密かに伝える口伝なのです。

本当に旨味のある情報は、メイサか、秘密結社のようなインナーサークルだけが知り得る内部情報なのです。

これも、多くの人は分かっていない。本当に途轍もなく凄い取引とは、契約書なんかない。「口約束」なのです。

本当に反知性主義者は、何も分かっていない。ネットやメディアに初めて登場する情報は、既に、インナーサークルによって旨味を食い尽くされたカスの情報なのですよ。

ベトナム戦争はなやかりし頃、誠しやかな噂が流れたことがあります。「戦死した米兵の遺体洗浄のアルバイトが1万円」。1万円と言えば、今の10万、いや50万円ぐらいの価値がありました。そんな情報は、新聞やテレビなどのマスコミにのるわけありません。

今は、「某駅で、満員電車の乗客の尻を押すアルバイト、5000円」という噂があります。これも、インナーサークル内での口伝です。

残念なことに、こうしてネットに書かれますと、「そんなバイトないよ」と一笑に付されることでせう。

私が高校生の頃、国鉄山手線池袋~新宿間という東京で一番、ということは日本で一番混む路線を使って通学していました。まだ、副都心線も埼京線も何もない「単線」時代ですから、その満員電車の混み様は、尋常ではなく、常軌を逸していました。

乗車率150~200%はあったでしょう。私も、足が宙に浮いていました。(笑)

今は、少子化で労働人口も激減し、満員電車とはいえ、そこまで混雑していないでしょう。

うーん、特定を相手にしたお尻押しのバイトがしたい。

座っただけで3万円の銀座・高級クラブの唄

腿、肘3年、尻8年

えっ?渓流斎さんよ、今日は、こんなくだらないこと書きたかったの?

悪徳商人三木谷屋を弾劾す 第5刷

うっかり八兵衛 てえへんだ、てえへんだ!

銭形親分 お、八兵衛じゃねえか。やぶからばうにどした?

八兵衛 いえ、旦那。やぶからも、ぶらからもあったもんじゃねえすよ。あの三木谷屋にまたやられたんすよ。

銭形 三木谷屋?三木谷屋って、あの電脳空間で、仮想現実の阿漕な商売やってる、あの野郎か?

八兵衛 へ、そうでがんす。あちきも、盛んに電気紙芝居で「苦楽講」に入れば、もれなく5000点貰える、つうから申し込んだ次第で。そしたら、 2000点しか貰えない。おっかしいなあ、と問い合わせたら、残りの3000点は、条件満たしたら、3カ月後の皐月にくれる、ちゅうで、あちきも、首を長くして待ってたんすよ。

銭形 へー、それで?条件て何だい?

八兵衛 あちきも、よく分かんなくてね。何しろ電脳空間の買物なんて初めてでしょ?兎に角、何か色々買えば、条件を満たすと思って、ない袖を振り絞って盛んに買ったわけですよ。

銭形 へー、八兵衛、おめえ、一体何買ったんだ?

八兵衛 へっ。まず、30両もする高級江戸産腕時計、5両の南蛮鍋、3両の伊藤若冲の画…

銭形 へー、八兵衛にしちゃあ、随分、景気がいい話じゃなえか。

八兵衛 ま、助平心でして。3000点貰えるなら、色々買ってもチャラになりますからね。思い切ったわけですよ。

銭形 で、もう皐月もおしめえだ。その3000点とやら、おめえの懐に入ったのか?

八兵衛 それが、旦那。さっきの条件つうのが、幾ら買物しても、講札(こうふだ)つうもんを睦月に電脳空間で使わなきゃならねえ、とか抜かすんでさ。あちきは、そんなこと知らねえから、そんな講札なんか知らねえから、無理して買物しても、結局、三木谷屋の野郎は、点数はやらねえよ、と抜かすんでさ。条件をしかと見ねえおめえが悪い、と。

銭形 うーん、確かに、三木谷屋は普段から、近江商人や伊勢商人から安くぼったくって仕入れて、餓鬼畜生にも劣る阿漕な商売をやってるが、お上の法に触れるかどうかは、ギリギリだな。

八兵衛 えっ?そうでがんすか?…。

銭形 ま、三木谷屋と言えば、伊達藩に職業野球軍団、神戸に職業蹴球軍団を持って、新経済連盟とやらの代表理事もやって、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、ぶいぶい言わせて、江戸市中で知らねえもんはいねえ、つうじゃねえか。

八兵衛 その通りでがんす。検非違使までに賄賂(まいない)を献上して、毎晩、吉原通い。週末は、帆船で焼津まで、幕僚とくるーじいんぐとやらをしてるとか。「三木谷屋、お前も悪やのう~」て、電気紙芝居みてえなことをやってるらしいでっせ。

銭形 そう言えば、八兵衛。おめえは、去年、曽孫とかいうやはり電脳空間で阿漕な商売をやってる渡来人に騙された、と騒いでいたな。

八兵衛 旦那、よくぞ言ってくれやんした。あちきは、去年は、黄泉国に行っていて、江戸市中にゃいなかったんですよ。それで、無線広域帯とやらを解約したら、違約金100両も取られて散々でしたよ。だから、柔銀行て、名前(なめえ)聞いただけで、虫酸が走りまっせ。

銭形 でも、その程度じゃ、大岡様の裁きでも、市中引き廻しどころか、鞭打ちの刑にもなるまい。泣き寝入りするしかねえなあ。

八兵衛 旦那、学のなかったあちきが悪かったてことすか?こうなりゃ、三木谷屋と曽孫の呪い人形でも作って釘でも打って、憂さ晴らししますさ。

銭形 おいおい、穏やかじゃねえな。

八兵衛 へっ、それじゃ、悪徳商人どもに天誅が下るよう、お百度詣りでもしますよ。少なくとも、十手を預かってる身が、悪に走るわけにはいきやせんからね。

銭形 ま、お天道様はいつも見てるからな。八兵衛の怒りも分かるが、その辺にしておけ。

「古事記」を読む(2) 第55刷

山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 (つづき)

 池澤先生は、地名にも拘りを持ちます。

 「木」は今の「紀伊」であり、「科野」は「信濃」、「三野」は「美濃」、「針間」は「播磨」、「稲羽」は「因幡」、「多遅麻」は「但馬」「近淡海」は「近江」といった説明も細かいです。

 初代神武天皇の正室の名前は、富登多多良伊須須岐比売命(ホト・タタラ・イススキ・ヒメのミコト)で、「ホトに矢を立てられてあわてた女」という意味だそうです。ホトの意味は、ここでは書けないので、143ページの註をご参照下さい。池澤先生も「大らかなものだ」と注釈しておられます。

 それにしても、凄まじい王位を巡る権力闘争です。「壬申の乱」の例を出すまでもなく、親兄弟、叔父甥などの見境なく戦い、少しでも謀反の疑いがあると簡単に死刑か殺害してしまいます。殺し方も実に残酷だったりします。

 皇位継承のための後継者づくりも凄い、の一言です。現代人なら誰でも驚いてしまう、腹違いの兄と妹、叔父と姪、弟と嫂などの夫婦の契りが数多く見られます。

 あまり知らなかったことは、皇后も子供もいなかった天皇(第二十二代清寧天皇)や三十歳代(第二十三代顕宗天皇)や四十歳代で崩御した天皇(第二十六代継体天皇)もおられたことです。神からますます人間らしくなってきたということです。

山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 もう一つ、多くの学者が提唱しているように、日本の神は、西洋のエホバのような全知全能ではなく、あまりにも人間的な面が多いことです。例えば、天皇家の始祖となる天照大御神の力は絶対ではなく、しばしば素戔嗚尊(スサノオノミコト)の横暴に悩まされたり、天の岩屋戸に隠れたりします。また、アマテラスは、孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を使って、直接地上を治めればいいのに、わざわざ、出雲にいた大国主神(オオクニヌシのカミ)から国を譲らせて、やっと迂回して統治します。

 これらは、恐らく、地方の豪族が強すぎて、恐らく、当初は、出雲の豪族の方が、天皇家より強豪だったいう史実を反映しているのではないか、と推察ができます。

 神武天皇の東征から代々の天皇は、倭朝廷の統一を図りますが、その間に、大伴氏や物部氏や蘇我氏や中臣氏や忌部氏や多くの地方豪族を従わせることに成功していったということなのでしょう。そのためには、朝鮮半島から土木や工芸に秀でた秦(はた)氏や、文字や財政に明るかった漢の直(あやのあたえ)といった新技術を持った「今来の才伎」(いまきのてひと)と呼ばれる渡来人を積極的に朝廷中枢に活用して、他の豪族を抑えていったものと思われます。彼らの名前が「古事記」の中にもしばしば登場します。

 また、天皇は、頻繁に「豊楽の宴」(とよあかりのうたげ)を開きます。そこで、暗殺事件が起きたり、陰謀が諮られたりする場面が古事記の中で登場します。豊のトヨは美称で、楽のアカリは、酒を呑んで顔が赤くなる意味があります。極めて現代的ですね。

 戦前は、国家神道に基づいて、天皇家は「万世一系」と教育されましたが、実際は、多くの学者が指摘するように、親から子に万世一系に世襲されるのではなく、弟から兄に継承されたり、叔母や娘に継承される例もあります。

 また、ある学者の中には、紀元前660年頃の初代神武天皇から第九代の開化天皇までは「神話の世界」で実在したかどうか、立証できず、第十代の崇神天皇(紀元前九二年頃)が初代天皇ではないか、という説を唱える人もいます。さらに、第十六代仁徳天皇の流れを汲む第二十五代武烈天皇で、一旦、王家の血統は途絶え、越前の三国から迎えられた豪族が第二十六代継体天皇として、即位したと言われます。

 もっとも、継体天皇は四十三歳で崩御しますが、武烈天皇の姉と結婚したので、その皇子は、仁徳天皇の血をひく「万世一系」と言えなくもないことになりますが。

 第三十三代の推古天皇の父は、第二十九代欽明天皇で、母は蘇我稲目の娘堅塩媛だったため、弟の第三十二代崇峻天皇が蘇我稲目の息子馬子に暗殺されたことによって、日本で初の、東洋で初(という説も)の女帝として即位します。

 「古事記」は、この推古天皇のことまで書かれていますが、この女帝の記述があっけないほど短い。勿論、崇峻天皇が暗殺されたことも明記されていませんし、推古天皇の摂政となった聖徳太子も出てきません。

蘇我氏は、大化の改新で蘇我蝦夷,入鹿親子は倒されて本家は滅亡したものの、蘇我の分家は存続しており、分家に遠慮して、書かなかったのではないか、という説もあります。

いずれにせよ、天皇家は、古代にこれだけ権力闘争で身内で殺し合いをしたので、平安以降は藤原家などに政治を任せて、専ら、有職故実や芸能に入り込んでいってしまったのではないか、という説は、やはり説得力があります。

古代史学の泰斗、上田正昭京大名誉教授の最期の著作「古代の日本と東アジアの新研究」(藤原書店)によりますと、「天皇制」という用語が初めて登場したのは、昭和6年(1931年)、コミンテルン(世界各国の共産党の国際組織)の「三一年テーゼ」草案だったそうです。そして、これに絶対君主制という概念規定を充てたのが、昭和7年の「三二年テーゼ」だったそうです。

ということは、武家社会になって、天皇家は、ほとんど政(まつりごと)に関わらず(勿論、承久の変や南北朝の動乱など例外があります)、「天皇制」という言葉自体もなく、明治維新になって、天皇家は、時の薩長革命政権によって祭り上げられて、政治的に利用されたのではないかという学説には、私も特に注目しております。

パソコンが調子悪くて、前に書いた文字が消えたりして(ナンタルチヤ!)、何度も書き直したりして、これを書くのに16時間もかかりました。実に疲れた!

もう、嫌だ!

「古事記」を読む(1) 第108刷

「静の山紫水明・陽朔」朝のすなどり Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 豪傑君 ついに、「古事記」を読破しました!
 南海先生 嘘でしょ?
 豪傑君 いえ、本当です。
 南海先生 本当?
 豪傑君 ま、本当です。
 南海先生 何か、怪しい…。
 豪傑君 まあ、限りなく本当です(笑)。
 南海先生 ほら、やっぱり、嘘じゃん。
 豪傑君 嘘ではありません。
 南海先生 じゃ何なのさ?
 豪傑君 はい、じゃあ言いますよ。現代語訳で読んだのです。
 南海先生 なあんだ!
 豪傑君 なあんだ、と言われても、現代語訳でもそれなりに苦労して読んだのです。これでも。ただ、ほんの少しだけ、前知識があったおかげで読破できました。この前知識がなければ、恐らく、途中で挫折していたでしょう…。
 南海先生 ほう…。
 洋行紳士 まあ、まあ、お二人さん。ここは、ちょっと、お二人とも、少し落ち着いて。南海先生も、そう、茶化さないで、たまには豪傑君の話でも聞いてあげようではありませんか。
 豪傑君 はい、有難う御座います。それでは、茲に感想めいたことを短く述べさせていただきたいと存じます。

静の山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 恐らく、現代文壇(という名称は死語にはなりましたが)の日本を代表する作家で、最も権威のある現存作家と言っても過言ではない池澤夏樹訳です。何と、彼の御尊父福永武彦も「古事記」の現代語訳に挑んでいるのですね。池澤先生は、全30巻の日本文学全集の「個人編集」責任者として、自ら第一巻の「古事記」訳で先鞭をつけています。(2014年12月初版)

 言うまでもなく、「古事記」は日本最古の文学です。第四十代天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ、柳田国男らの説では女性だったとか!)に暗唱させていた「帝紀」と「旧辞」を、太安万侶(おおのやすまろ)が712年(和銅5年)に、第四十三代元明天皇(第三十八代天智天皇第四皇女。天武天皇の皇子・草壁皇子<母は後の第四十一代持統天皇>の妃。和同開珎の鋳造、710年の平城京遷都もこの天皇の事蹟)の代に完成させたものです。712年といえば、唐の玄宗皇帝の時代で、唐の全盛時代をつくりながら、晩年は楊貴妃を寵愛して、安禄山の変など内乱を招きます。

 「古事記」は、変体漢文で書かれ、神代の物語の「上巻」、神武天皇から第十五代応神天皇までの「中巻」、第十六代仁徳天皇から第三十三代推古天皇までの「下巻」に分かれています。太安万侶は、女帝である元明天皇の臣下で、正五位上勲五等の朝臣(あそみ)。

 上巻、中巻には、日本人なら誰でも知っている伊耶那岐(イザナギ)、伊耶那美(イザナミ)の国造りの物語や、天照大御神の天の岩屋戸の物語、八岐大蛇の伝説、天孫降臨、大国主神の国譲りの物語。それに、倭建命(ヤマトタケルのミコト)の冒険などが出てきます。(P.204の註によりますと、「古事記」で誕生から死までの生涯を語られる者は、ヤマトタケルしかいないそうです)

 倭健命が、能煩野(のぼの=伊勢国鈴鹿あたり)で、郷里を思って詠んだ歌…

 倭は 国のまほろば
 たたなづく 青垣
 山隠(ごも)れる 倭しうるはし

 は、やはり日本人の心の琴線に触れますね。

 池澤先生は、文学者ですから、文学者としての冷徹な眼で分析し、端から、古事記は神話だから、架空の話で、科学的にもあり得ない、史実にも程遠いというスタンスで見られているようです。確かに、天照大御神の孫で降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の皇子の火遠理命(ホオリのミコト、後の山佐知毘古=ヤマサチビコ、神武天皇の祖父)は、享年583。初代神武天皇(神倭伊波礼毘古命=カムヤマトイハレビコのミコト)の享年が137。第十代崇神天皇(御真木入日子印恵命=ミマキ・イリヒコ・イニヱのミコト)の享年が168、となれば、やはり物理的にもありえない長寿ぶりで、単なる創作、と片付けてしまうかもしれません。

 しかし、神話だからと言って、全くの架空で、根も葉もない根拠のない出鱈目だとは私は思えません。火のないところに煙は立ちません。デフォルメはしていても、何らかの史実も元に、長年の間に口伝で子から孫へ、さらにその孫へと伝えられていったのでしょう。

 だから、黄泉の国に行った伊耶那美の姿を、「見てはいけない」という約束を破って見てしまった伊耶那岐が、醜く姿形を変えた伊耶那美に追いかけられる話は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とほとんど同じです。これは、偶然の一致ではなく、遥か彼方から歳月をかけて、色んな国の神話が日本列島にも伝わってきたのではないか、という学説に私も賛同してしまいます。

静の山紫水明・陽朔 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

勿論、池澤先生は文学者ですから、文学者としての日本語の語源に関する興味や洞察には比類なきものがあります。

 例えば、「神武東征」で道案内したと言われる八咫烏(やたがらす)は、大きなカラスのことですが、今では日本サッカー協会のシンボルとして使われ、ということは日本代表のユニフォームのエンブレムとしても使われています。この八咫(やた)は、本来は「や・あた」で「あた」は親指と中指を広げた長さの単位だといいます。132ページ。親指と中指の間は、昔の人は20センチだとすると、その8倍だと160センチの人間並みの大ガラスということになります!

(つづく)

世界一のパン、世界一のパン職人 第6刷

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

恐らく日本で、いや世界で一番値が張るパンを食しました。

美味いといえば、美味い。漢字で書けば、旨い、という書き方の方が近いかもしれません。

普通の食パンのように見える「パン・ドゥミ」は、まず、パンそのものが、「原色」のような匂いです。(詩的ですねえ~♪)発酵した小麦そのものの香りがします。

味は、これまで一度も食べたことがないパンの味。何か、ブレンドされていて、カラス麦のようなものも混合されている感じです。

とにかく、バターもジャムも何も付けなくても、主食ではなくて、おかずのように食べられます(笑)。

1斤1188円也!!そんじょそこらのスパーで安い食パンを見つければ220円ぐらいでも買えますから、何と5倍もの値段です!!

ちょっと高過ぎるんじゃないですか?-というのはまだ早いです。

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

何しろ、パン作りに懸ける手間暇が半端じゃないのです。

下拵えに数時間、第一次発酵に掛ける時間は低温で10数時間、その後、捏ねたり、成型にしたりして、再び発酵させて、原型をつくり、特殊の石窯か何かで焼き上げているそうです。まあ、最低でも1~2日かけて手作業でつくるようですから、工場で、流れ作業で大量生産される大衆向きのパンと比べられること自体、次元が違うといった感じです。

えっ?どこのパン屋さんか、ですって?

うーん、このブログでは宣伝料をもらっていなので、アクセス数が莫大で、人気の渓流斎ブログに書く必要はないのですが(爆笑)、熱心な皆さんに「話のタネ」としてお教えしませう。

パン屋さんの名前は、「シニフィアンシニフィエ」と言います。これでピンと来た方は、学生時代に言語学を齧った方でしょう。そう、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの有名な造語です。懐かしいですね、記号論は。私も、共時的、通時的、ラング、パロールなんていう難解な専門用語に悩まされたものです。(この話は、またいつかしたいです)

ソシュールによりますと、言語とは記号=シーニュの体系であり、シニフィエとは、その記号の表す概念のこと。またの名を所記。シニフィアンとは、言語記号の表現すること。またの名を能記、と呼びます。

まあ、こんな説明で分かった方は、大したもんです。天才です。もし分からなければ、これから言語学を学んでみようという気がしませんか?(笑)このあと、構造主義に進み、ロラン・バルト、レヴィ=ストロース、チョムスキーを読破してみませんか?

さて、このパン屋さんのご主人志賀さんは、ソシュールが大好きなのか、フランスで修行されたのかどうか分かりませんが、パン作りに関しましては一家言の持ち主で、確固たる哲学を持ち、パン職人の間では神様扱いだそうです(推測)。もしかしたら、世界一のパン職人かもしれません。本も沢山出しておられるようです。

お店は、何と、皆さんよくご存知のガルーダ博士こと山本さんのお住まいのご近所なのです。

デパートにも支店を出されているようですが、遠くて行けない、すぐにでも食べてみたいと思う方は、ネット通販もやっております。(高くて腰を抜かすぜえ=笑)

どこですかって?

そこまで、ご興味を持って、是非一生に一度、口にしてみたいと思われるのなら、自分で調べてみてくださいな。

渓流斎ブログはコマーシャルじゃありませんからね(笑)。と言いつつ、もし、挑戦された方は、コメントください。「なあんだ、渓流斎はどうかしてる。どんな味覚持っとるんや」でも構いません(笑)。

行蔵は我に存す 第20刷

銀座に浜松餃子とはな?

慰みに、「宇都宮餃子と浜松餃子」のことを書きましたら、早速、栗林提督から、油断も隙も…とコメント頂きました。

誠に有難う御座いました。

個人的なメールながら、栗林提督様によりますと、「台湾料理」の看板を掲げるお店でも、大陸から安い賃金の農民工を引き連れてやってきた一攫千金を狙う輩がいるそうです。「中国料理」の看板にすると、食材は農薬や抗生物質漬けの野菜や肉を使っているんじゃないかと怪しまれるので、安心感を与える「台湾料理」の看板を掲げて偽装しているとか。

へー、ホンマでっか?と思わず聞き返したくなります。まあ、中には、そういう輩もいるのかもしれませんが。

さて、話は変わって、またまた愚生は、逆境に恵まれることになりました。有り難迷惑ですが、考えてみれば、子供の時から、逆境の中で生きてきて、その度に乗り越えてきましたからね。今回もどうにかなるでしょう。

そんな時に、またまた栗林提督から、以下の言葉を贈って頂きました。

「古より路に当たる者、古今一世の人物にあらざれば、衆賢の批評に当たる者あらず。計らずも拙老先年の行為に於いて、御議論数百言御指摘、実に慙愧に堪えず、御深志忝く存じ候。行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭異存これなく候。御差し越しの御草稿は拝受いたしたく、御許容下さるべく候也。  福沢先生  安芳」

福沢諭吉が書いた「痩せ我慢の説」に対する勝海舟の返書です。この中の「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」という部分が有名です。

行蔵とは、出処、進退のこと。表立った行動と陰徳を積むという意味もあります。

要するに、自分の行動は自らの信念に基づくもので、褒めたり貶したりすることは、他人様のすること。自分は関知しない、といったような意味になります。「痩せ我慢の説」を福沢諭吉が創刊した「時事新報」を通して、世間に公表しても構わないよ、と勝海舟は、福沢諭吉の手紙に返事を書いたのです。(もっと複雑な話ですが、詳細略)

さすが、栗林提督です。今、心理学者のアドラーの本がベストセラーになって日本でも知られるようになりましたが、アドラーについては、そのずっと以前から、渓流斎にご教授して頂いた提督です。知性と教養に満ち溢れています。

それでは、福沢諭吉は「痩せ我慢の説」の中で、勝海舟をどのように批判したのでしょうか?

簡単に言いますと、勝海舟が徳川幕府側の代表として、官軍代表の西郷隆盛と会談し、一戦交えることなく、江戸城を「無血開城」することに合意したことに関して、「何で、やらなかったんだ。痩せ我慢でもいいから、負けると分かっていてもいいから」と批判したわけです。福沢はご案内の通り九州中津藩士として大坂の藩邸で生まれ、いわば幕府の録を食んだ忠君精神を最期まで保持したのに対し、元幕臣でありながら、維新後、転向して明治新政府に仕官し、伯爵にまでなって高位高官を極めた勝海舟を批判したわけです。

うーむ、なるほど…。そういうことだったんですか。私は、無血開城した勝海舟は、江戸市中を戦争の動乱に巻き込まなかった救世主だとばかり、思っていましたが、同時代人の見る眼は、違っていたんですね。

確か、勝海舟と福沢諭吉は、幕末に幕府所有の「咸臨丸」で一緒に渡米しているので、面識どころか、交際もあったはず。いつか、何処かで仲違いしたのでしょう。と、思って調べてみたら、どうやら、咸臨丸の頃から反目していたようです。(詳細略)

勿論、元幕臣の福沢諭吉が、維新後、勝ち馬に乗るように、新政府に出仕した勝海舟や榎本武揚らを批判したのは一理あるとして、勝海舟としては、渋々、無理矢理出仕しただけで、どの官職も長続きせず、すぐ辞めてしまったではないか、と反論したくなるのもよく分かります。

「この人には信念がある。ブレない」とか言って尊崇の念をもって崇め奉られる人でも、実際の本人はかなり守旧的で、案外、時代に取り残された融通が利かない人なのかもしれません。

自分の考え方が一生変わらない人なんて、逆に怖くありませんか?

人の評価は、難しい。やはり、勝海舟の「毀誉は他人の主張」は、よく身に染みて分かります。そして、同時に、高位高官を求めた裏切り者の俗物を批判する福沢諭吉の気持ちも分かります。(単なる推測で、実際そこまで、福沢は勝のことを貶しているわけではありません。事前に勝に掲載許可を取ったのがその証拠です)

お前は、どっちの味方なんだ!?と詰問されれば、困りますねえ(笑)。両方とも、と答えておきます(笑)。

「何でやらなかったんだ?」と言いますと、ローリング・ストーンズが、1968年に「ストリート・ファイティングマン」をリリースして大ヒットした後、その返歌として、ビートルズ(というかポール・マッカートニー)が「ホワイ・ドゥ・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」(何で、道路でやらなかったんだ?)を「ホワイト・アルバム」の中で発表したようなものではないか、と私のようなフリークは感じてしまいましたが、これは、ちょっとマニアック過ぎて、誰方もついていけないと思います(笑)。

「64-ロクヨン」は★★★★★  第2刷

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

13日の金曜日は、忌み嫌われておりますが、その13日の金曜日に都心の某所で、来日された京洛先生を囲んだ会に20人ほど参加して行われたようですが、残念ながら、渓流斎は参加できませんでした。

大いに盛り上がったようですが、大抵はインサイダー情報ですから、こんな最公約数のブログに書けないことばかりですので、参加できなくても、同じかもしれません(笑)。

でも、最近、夜遊びしてませんね。昨年でしたら、このブログに、いつも「昨晩も痛飲して二日酔いです」と書くのが、恒例でしたが、事情があって、お酒は一滴も呑んでいません。

まあ、呑まないなら、呑まないで、死ぬわけではないことが分かって、何とかなることを新発見した感じです(笑)。

さて、その京洛先生が「映画、クロヨンを観ましたか?探訪ブログ記者さんには必見ですよ。あたしあ、面白かったので、後編も観ようと思ってますよ」と、遠くから伝令のような飛脚を飛ばして来られました。

「クロヨン」ではなくて、「ロクヨン」だと思いますが(笑)、この映画、ご案内の通り、前編と後編の2本に分かれていますし、どびきり見たい女優さんもいないし、正直、触手が動いていなかったのですが、京洛先生が思わせぶりな言い方をされるもんですから、「しょうがないなあ。観て見るか」と重い腰を上げたのでした。

例によって、内容に触れますから、この先は、これからご覧になる方は読まないでください。

また、著作権で映画写真は使えませんから、いつものように、松岡総裁の壮大な写真をお楽しみください。

絶景かな Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

JALの御巣鷹山事件を扱った「クライマーズ・ハイ」など映画化作品がたくさんある横山秀夫さん原作で、「このミステリーは凄い」賞かなんかで、第一位を獲得した作品だそうです。小生は、映画は観ても、推理小説はほとんど読まないので、ほとんど分かりませんが、横山作品の評判は聞いております。

彼は、群馬県の最大県紙「上毛新聞」記者出身ですから、警察と記者クラブの関係については、お手の物ですが、ちょっと、カリカチュアといいますか、デフォルメし過ぎているような感じがしました。作品には、上毛新聞と思われる東洋新聞をはじめ、全国紙の朝陽新聞、毎報新聞、読日新聞のほか、関東経済新聞、テレビのNHA、おまけに中央通信と情勢通信まで配置されておられるので、個人的ながら笑ってしまいました。

絶景なり Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

物語は、わずか1週間しかなかった昭和64年に起きた少女誘拐事件で、時効を間近に控えた14年後の平成14年の群馬県警内部が舞台です。当時、県警の捜査班だった三上義信(佐藤浩一)は、恐らく未解決事件の責任を取らされて、今では広報官に左遷されて、事件の匿名発表や警察庁長官の「64事件」現場と被害者宅訪問の取材などを巡って、記者クラブと対立して、「中間管理職」のように、間に挟まれて苦悩する姿が描かれます。

警察内部の出世争いといいますか、警務部と刑事部との内部抗争が全面に出てきて、まるでヤクザ映画みたいな緊張感があって、ハラハラドキドキさせられ通しでした。特に、キャリアの県警本部長辻内役の椎名桔平や、同じくキャリアの警務部長赤間役の遠藤賢一、それに三上の上司で責任を取らされることなく捜査一課長に出世した松岡(三浦友和)らの鼻持ちならない傲慢さと冷血な事務的態度はピッタリのはまり役で、不条理なヒエラルキーの世界に身を置く人なら誰でも、共感できる場面が多々あったのではないでしょうか。

そういう私も、とても他人事に思えず、佐藤浩一と一緒に涙が出てきましたよ(笑)。

原作を読んでいないので、この後、どんな展開になるか、さっぱり分かりません。でも、そこがいい所で、来月の後編公開が楽しみになりました。

実は、最近の日本人の俳優はよく分からなくて、東洋新聞キャップ秋川役の瑛太と、広報室係長諏訪役の綾野剛との区別が最初はつかず、困ってしまいました(笑)。とはいえ、この映画は、今考えられる豪華キャスト、オールスター出演というのは間違いないでしょう。

もう、クラリオンガールと言っても、誰も知らないでしょうが、その元クラリオンガールの烏丸せつこが出演しているというので、観たのですが、観終わっても誰だったのか分からなかったのです。後で、映画の公式サイトを見て見たら、吃驚。あの捜査員日吉の母親役がそうだったんですね。えっ?あのお婆さんが?昔はグラマー女優(古い)として、ブイブイ言わせていたのに、面影が全くない(失礼!)。思わず、卒倒しそうになりました。

幸福とは何か? 第6刷

そして始まる絶景、絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
まずは、週刊文春が火を付けた疑惑について、舛添都知事の論理の破綻した言い訳を読みましたが(顔を見たくないので、新聞で)、彼には、公職から永久に降りてもらいたい、早く辞職してもらいたいと思いました。会計秘書の責任にして、強欲で政治を私利私欲で利用している、取るに足らないつまらない人にしか見えません。

回転寿司代も家族旅行代も「会議」と称して、懐に入れてしまうなんて公私混同もいいところです。公職に就いた人は、「李下に冠を正さず」です。何でも、領収書をもらって請求すれば、通ると思っては大間違いです。そして、釈明して、食事代や旅行代は「返せばいいだろう」と開き直っていますが、都民なら、せめて3カ月ぐらい減俸してもらわなければ、怒りが収まらないでしょう。

できるなら、リコールでもしてもらいたいのですが、私は都民ではないので、これ以上は言えません(笑)。

続いて、三菱自動車のこと。不祥事が続いて株価が大幅に下がったと思いましたら、電光石火、ゴーンさんの日産・ルノー連合が買収して、傘下に入れたとか。

驚きましたね。天下の三菱を半値で買い取るとは!

この意味は、三菱自動車の燃費偽装が発覚する前は、同社の株式は864円でしたが、ゴーンさんは、三菱の株価の暴落を見据えて、この4割以上も低い468円で買い叩いたというんですからね。

さすが、グランゼコールのエコール・ポリテクニークを卒業して、パリ高等鉱業学校の工学博士号を取得した人だけあって、状況判断が適格で、利に聡いですね。

状況とは、本来なら手を差し伸べるはずだった「三菱御三家」の三菱重工と三菱商事と三菱東京UFJ銀行はいずれも、巨額の赤字を抱えていたことです。銀行は黒田さんのマイナス金利のおかげで、商事は、チリ銅鉱山など資源投資の大失敗で、重工も造船業で大赤字といった具合で「子会社」の救済にまで手が回らなかったということになります。

三菱の不正を霞ヶ関にチクったのは、日産ではないか、といった誠しやかな噂が流れ、ルノーに出資するフランス政府からも、「社長としての役職手当が多すぎるのではないか」とクレームが付いても涼しい顔をしていた、日産だけでも年収20億円もある強欲で貪欲で欲の皮が突っ張った顔が目の前にチラついてしまいました。

あ、私は、三菱車でも日産車でもオーナーではないので、これ以上言えませんが。

でも、三菱自動車が半ばオーナーであるサッカーJリーグの現在首位争いで活躍している浦和レッズが今後、どうなるのか心配です。日産は、既に、横浜F.マリノスを持っていますからね。

やっと秘境黄龍溝に辿り着く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

ご存知の方も多いと思われますが、米「ハーバード成人発達研究所」というところが、戦前の1938年から現在に至るまで、724人の生活、健康、幸福度を75年間以上、追跡調査して、「人間の幸福とは何か」という命題を追及しております。

724人は、ボストンの最貧スラム街に住む人から、ハーバード大学出身の超エリートまで様々で、貧困層から大金持ちに躍進した人もいれば、富裕層から転落した人まで、これも様々。現在も90歳代で生存している人は60人もいるそうです。

そして、最大の命題である「幸福」について、同研究所の調査で分かった結論は、お金や富や名声や勤勉ではないんだそうです。

家族や友人、知人、地域社会の人とのつながりで、いい人間関係を築いた人ほど、健康で、幸福を感じるのだといいます。

ですから、一番良くないことは、孤独と言いますか、孤立で、こういう人は脳機能も記憶力も低下して寿命も短く、結果的に幸福度も低いそうです。

普段喧嘩していても、イザという時に頼れるパートナーがいれば、幸福度は高くなるそうです。

勿論、人間関係は複雑で厄介ですから、いい関係を築くには努力もいります。それには、メールや電話だけでつながるのではなく、直接会って、散歩したり、デートしたり、連絡を取ったりする方法が一番いいそうです。

同研究所のウォールティンガー所長は「1週間に会う人の数が多いほど、人は幸福を感じる。人とのつながりには、柔軟性が必要です。他人をコントロールすることは不可能なので、他人の考えを尊重して理解することが大切です」と語っています。

人生80年、90年時代となり、男は特に定年退職すると、めっきり老け込んでしまいます。しかし、幸福者ほど、退職後、頑張って、遊び仲間をつくった人なんだそうですよ、佐藤さん、鈴木さん、高橋さん(最大公倍数)。

あと、年を取れば取るほど、幸福度が増すのは、人生、残り時間が少なくなり、優先順位を決めて、これまで、仕事や義務感や義理でやっていたことから解放されて、好きなことができるようになるからだ、という指摘には納得してしまいました(笑)。

年を取るのも悪いことばかりではないなあ、と思える瞬間でした。

Je est un autre. 第3刷

4000メートル超の道路を経て秘境へ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

カムヤマトイハレビコのミコトの正室は、ホトタタライススキヒメのミコト

貴方が、自分自身だと思っている人間は、他者である。

貴方の思想は、他の誰かの借り物の意見であり、貴方の生活は、他者の模倣である。

貴方は、この世で唯一無二のかけがえのない存在だと思っていることは、錯覚であり、代わりは他にいくらでもいる。

宇都志は、貴方を気に掛けて回っていない。

将来、バイオリンや椅子や神社仏閣になりたいと思って育った樹木などあるはずがない。

自分は、いつも他人である。

ーアルチュール・ワイルド(2045~3025)

末岡氏のレガシィ

風神雷神図

著名な作曲家末岡武彦氏から、「累計300万アクセスを誇る貴殿のブログで拡散して下さい」との御用命がありましたので、早速、拡散することに致します。

末岡氏のコメント。

6曲のファンファーレと18のシーンであなたの精神を元気にしょよう。 https://www.youtube.com/playlist?list=PL1LRwsAgYXMh9L3LFkezM5KBjejOZosQe

再び、末岡氏のコメントです。

4番は16歳の時のピアノ協奏曲の一部です。5番は20年程前に出来上がったピアノ曲を譜面化し、それを吹奏楽用に編曲しました。一撃必殺の5曲よろぴく!!!!

一撃必殺とはな…