イラク戦争5年を想う

 

最近、気になったNYT紙の記事…

 

間もなく5年を迎えるイラク戦争の戦費総額が「3兆ドルに達するのではないか」という記事です。ノーベル経済学賞受賞のジョセフ・スティグリッツ氏の試算。

 

同氏は「この戦費の一部でもあれば、社会保障制度を今後半世紀にわたって健全に維持できた」と発言していますから、裏を返せば、米国は今後半世紀にわたって社会保障制度を健全に維持できない、ということになりますね。

 

昔、子供の頃、ヴェトナム戦争華やかりし頃、市井の勉強家に「アメリカは戦争をやり続けなければもたないんだよ。資本主義国家というのは、不況になれば、戦争によって好景気を生み出していくものなんだよ」と聞いたことがあり、今も深く印象に残っています。

 

「大量破壊兵器があるから」という大義名分の下で、イラク戦争を起こしたアメリカですが、国内の不満や経済的不況を打開するために戦争を始めたとしたら、5年経った現在、それは、失敗だったのではないでしょうか。

 

ブラックジョークで、戦争によって、景気が良くなれば、講釈も後付けで何ともなります。しかし、サブプライムローンをはじめ、大幅なドルの失墜で経済危機が叫ばれる今の米国で、イラク戦争が米国内に好景気をもたらしたという話は聞いたことがありません。

 

何と言っても、社会保障という国民の根幹にかかわることを蔑(ないがし)ろにしてまで、対外戦争を続ける意図が私にはいまだによく分かりません。

 

賛否両論をお待ちしています。

言葉が見つかった?

 

ここ数ヶ月間、どこか自分の心の奥底で、言葉にならない、未達成感というか、齟齬感というか、不安定感というか、unfitness というか、疎外感というか…何か、毎日生きていて、「そぐわない」感覚に苛まれていました。

 

それは何か…。言葉が見つかれば、うまく収まって、また、やり直しがきくかもしれない…。そういう思いでいっぱいでした。

 

それが、昨晩、ふと、これに近いのではないかという言葉が見つかりました。

 

「幻滅」です。

 

仕事に対する幻滅

家庭に対する幻滅

友人に対する幻滅

世間に対する幻滅

人生に対する幻滅

何と言っても、こんなことを感じている自分に対する幻滅…

 

しかし、幸か不幸かそれは「絶望」ではありませんでした。幻滅であれば、また、一からやり直してみようという気力も残っています。

こんな自分の心の奥底を曝け出してしまって大丈夫かなあ、と思いつつ、やはり書いてしまいました。

また、一から出直します!

私の立ち位置

 

再び、Cahier(覚書)…

 

●今、見たい映画。コーエン兄弟監督作品「ノーカントリー」(アカデミー賞作品賞、監督賞など主要4部門受賞)。若松孝二監督作品「実録・連合赤軍」(ベルリン国際映画祭・最優秀アジア映画賞)。李纓(りいん)監督「靖国 YASUKUNI」。

 

●最近、佐藤優氏の著作を続けざまに3冊も読んだ。「国家の謀略」(小学館)、「日米開戦の真実」(小学館)、「国家論」(NHKブックス)…。

「右翼・保守派」を公言する著者だけに、「国体護持」を骨格とした国家論は実に明解で、物の考え方に影響を与える力を持つ。私自身は、非常に新鮮に感じた。別に「左翼・革新派」を気取っているわけではない。自分の「立ち位置」が未だに政治的イデオロギーに反発を感じるせいかもしれない。私自身は、所詮、単なるディレッタントなのだろう。

本の要約をここでまとめるのは困難だ。ただ「国家論」の中にあったフレーズを抜書きしてみる。

 

・要するに、思想というのは究極的には生き死にの問題になる。人を殺す思想こそが、ある意味で本物の思想なのです。(同書15ページ)

・国家というと抽象的な存在のように聞こえますが、国家の実体は、税金を取り立てることによって生活している官僚です。(同51ページ)

…非常に分かりやすく、ドキッとする言葉だ。

 

●「返事がないのはいい便り」と、昔から言われてきたが、そうだろうか。非礼のような気がする。「返事をしない」ことが回答なら、相手に不愉快感を味わわさせる魂胆なのかもしれないが、それは見事に成功する。返事がないということは、究極的には「不作為」ということになる。不作為とは、あえて積極的な行為をしないこと。今流行りの言葉でいえば、「ニグレクト」になる。返事がないことは、ニグレクト行為と解釈するしかない。

 

●It doesn’t matter if people don’t like our records,  our looks or what we say.  They’re entitled to not like us and we’re entitled not to have anything to do with them. We’ve all got our rights, you know.

 

僕らのレコードや見かけや発言が嫌いならそれでも構わないよ。彼らにはそういう権利があるからね。それなら、僕たちだって彼らと関わらない権利だってあるはずだ。我々皆、そういう権利があるんだよ。

 

ー「今やキリストよりビートルズの方が人気がある」との発言が問題視されたジョン・レノンの回答(1966年)

松永耳庵「睡足軒の森」

 

近代の三茶人というのは、益田純翁、原三渓、松永耳庵(じあん)を指しますが、その一人の松永耳庵の別荘の茶室が新座市にある国指定天然記念物の平林寺境内林にあります。昨日はそこに行って来ました。

 

現在「睡足軒の森」として新座市に無償貸与され、市民らに公開されています。(市民なら有料で茶室も使えるようです)

 

松永耳庵は、本名松永安左衛門。明治8年長崎県壱岐生まれ。慶応大学で福沢諭吉らに学び、日本銀行などを経て、東北電気、新潟電力社長などを歴任し、東京電力を創設し、「電力王」と呼ばれました。

 

耳庵は、昭和13年に、原三渓(横浜の三渓園で有名)の世話で、飛騨高山付近の田舎家をここに移築して草庵としました。風流ですな。

 

耳庵は、昭和46年に小田原市で、97歳で亡くなりましたが、自ら傾倒していた臨済宗の石室善玖(せきしつ・ぜんきゅう)によって開山されたここ平林寺に遺言によって埋葬されました。

 

実は平林寺は私の子供の頃から最も近しい親しみのある名刹でした。小学校の頃、「歩行会」といって、まさしく小学校から平林寺まで約2キロのコースを「遠足」するのです。小学校の友人の誕生会をここでやったこともありました。今から思うと、どうやって行ったのか覚えていません。20人以上の子供たちが、歩いていったのでしょうか。子供の足で1時間近くかかったと思います。自転車で行ったのかもしれませんが、全員持っていなかったのではないでしょうか。

 

平林寺には、豊臣秀吉の五奉行の一人であった増田長盛(ました・ながもり)や川越藩主の松平信綱の墓もあります。

増田長盛は、家康に内通して、石田三成の挙兵を伝え、関が原の戦いに参戦しませんでしたが、大坂夏の陣の際には、息子の盛次が豊臣方に与したため、自害を命じられました。

松平信綱は、島原の乱を平定した最高司令官(幕府軍総大将)として有名ですね。 三代将軍家光、四代将軍家綱の時世に老中職を務めています。

 

信綱は、私が子供の頃「郷土の歴史」として学んだ「野火止用水」を開削した人の名前として、記憶に刻まれています。

四万十川


友人が四国の四万十川の写真を送ってくれました。

「百聞は一見に如かず」を実感してください。

携帯メールから転送したのですが、案外、綺麗に写っているものですね。

皆さんも、携帯に写真を送ってくだされば、また、こうして「転載」しますよ!

「明日への遺言」 

産経新聞が大々的に宣伝している小泉尭史監督「明日への遺言」を見てきました。

太平洋戦争末期、無差別爆撃を受けた名古屋で、撃墜されてパラシュートで降下した米軍機搭乗員を処刑したことで戦犯裁判にかけられた東海軍司令官・岡田資(たすく)中将の法廷闘争を描いた作品で、原作は大岡昇平の「ながい旅」。

映画の8割近くが法廷シーンで、地味で暗く、娯楽作品ではないので、大ヒットするような作品ではありませんが、ハリウッドに毒された世界中の若者が、こういう映画もあるものだということは知ってほしいものだと思いました。

富司純子ら東映のオールキャストが出演していましたが、それだけに、できれば、岡田中将役が藤田まことではなく、高倉健だったら、どんなにか世界的にも注目されたんであろうかと残念でした。主任弁護士フェザーストン役のロバート・レッサー、主任検察官バーネット大佐役のフレッド・マックイーン(恐らくスティーブ・マックイーンの息子でしょう)の演技はよかったです。それらしく見えました。

 

東京裁判をはじめ、戦勝国による戦犯裁判については、まだまだ、検討すべきことがたくさんあると私自身は感じています。この話は長くなるのでいつかまた。

世界はあるだけ

 

Cahier(覚書)

 

●2月18日、85歳で死去したフランスのヌーヴォー・ロマンの巨匠アラン・ロブ=グリエの言葉。

「世界は、意味があるわけではないし、不条理であるわけでもない。それは単に、在るだけなのだ。」

…うーん…悲しみも苦しみも、喜びも、楽しさも、そこにあるだけなのかもしれない。感じている自分がいるだけで。嫌なことは考えないこと、感じないことが一番なのかもしれない。気にしない。そうすれば、必ず、気にならなくなる。達観せよ、達観せよ。世界は自分の考え次第。自分が構築したものが世界…

●昨晩は、南青山の寿司店で業界と業界通の大物二人の会合に同席しました。私が固有名詞を出して、質問したら「誰が聞いているか分からないのに、如何なものか」と業界の大物に睨みつけられてしまいました。ベテランの私でも子供扱いです。確かに業界を動かしているのは60歳代後半。私なんぞはまだまだひよっ子です。後継者問題などについて、高言を拝聴致しました。

●米大統領選、民主党候補指名争いは、益々熱を帯びています。崖っぷちに立たされたヒラリー氏が、大票田の4州で3勝1敗と挽回。新聞は「オバマ氏のモロさが露呈した」と盛んに書いています。でも、報道を見ただけでは、さっぱり分かりませんね。そもそも、民主党は、労働者や弱者の味方で、共和党は金持ち優遇政党みたいな報道がされてきましたが、民主党の方が対日政策の厳しさは苛酷で(変な日本語ですが)、日本人にとって、民主党が政権を取れば、碌なことはないと言う人もいます。

2030年には、米国では、黒人人口が白人人口を上回り、白人はマイノリティーになるという予測もあります。バラク・フセイン・オバマ氏が大統領になる可能性は十分あるでしょうが、バラ色の世界を期待するのは危険かもしれません。

●某誌で知らされたこと。外国人の名前で語尾に「-ヤン」とか「-アン」とあると、その人はアルメニア系だということです。有名な人は、あのベルリン・フィルの指揮者だったカラヤン。旧ソ連の作曲家ハチャトリアンもそう。画家のジャンセン、シャンソン歌手のシャルル・アズナブールもアルメニア系らしい。

実業界ではロッキード事件で有名になった同社副社長のコーチャン氏、米国の不動産王でルノー・日産とGMの提携を画策したカーク・カーコリアン氏、美術館でも有名な石油王カルスト・グルベンキアン氏もアルメニア系ということです。

27年なんて、あっという間です

「三浦和義事件」はまだ、尾を引いていますね。サイパンからロスへ移送するか、しないかという審理で、数週間もかかるという話ですから、とてつもないことです。

 

「日本の最高裁で無罪が確定しているのに、逮捕するとは何事か。一事不再理の原則に反する」と弁護団は怒っていますが、日本でも、1967年に在日米軍の裁判で無罪とされた米兵を改めて日本で裁判しても憲法違反にならないという判断を最高裁が判断したことがあるようです。

 

異常なケースではなかったのですね。

 

この27年前に起きた事件について、周囲にいる若い人に聞いたら「知らない」という人もいるのです。ビックリしてしまいました。もっとも、その人はドリフターズでさえ知らないというのですから…。あと、「三浦和義逮捕される」というニュースを聞いたある人が、「(サッカーの)カズさん逮捕されちゃったの?」と叫んだといいます。これにも驚きました(笑)。

あれだけ、大騒ぎした事件は、これまでの私自身の記憶にないくらいなので、「三浦事件を知らないなんて!」と世代間ショックを感じてしまいました。当時もうバリバリの社会人でしたから。

そこで、ちょっと、戦後27年はいつだったのか、数えてみました。1972年です。当時の私はロック少年で、政治的社会的事件にはほとんど関心がなく、ビートルズからツエッペリン、ELP、イエス、GFR、グラム・ロック…と聴きまくって毎日を過していました。浅間山荘事件には衝撃を受けましたが。

1972年。あの悲惨な太平洋戦争を「経験」した人は、30代以上で、10代で軍隊経験をした人でもまだ40代半ばだったでしょうから、つい昨日の出来事だったことでしょうね。少年の私は、戦争は遠い時代の出来事で、正直ほとんど、実感として湧きませんでした。街には戦争の傷跡はほとんど残っていませんでした。

ですから、27年前の三浦事件を知らないという若い世代の気持ちも、これでやっと分かったです。

「とにかく、時間の経つのは速い。人生なんてあっという間に終わってしまう」という感を強くしました。

街の写真屋さん奮闘記

公開日時: 2008年3月4日 @ 09:47

 

出版不況の影響でいわゆる街の本屋さんが次々と姿を消しています。ここ十年で全国で1万軒以上の小さな本屋さんが廃業したという統計があるほどです。

 

それでは、これだけデジタルカメラが普及した現在、街の写真屋さんはどうなったかと思ったら、何とか頑張って生きているのですね。私も昨日、ちょっとお世話になりました。

いわゆる「デジカメプリント」という奴です。

 

デジカメのSDカードか何かをそのまま持っていくと、簡単にプリントしてくれるのです。もちろん、自宅のパソコンでもプリントできます。

 

私の場合、なぜ写真屋さんでお世話になったかというと、自宅のプリンタが芳しくないという問題がありました。それともう一つ、デジカメのデータを、パソコンに「コピー」するのを間違えて、「移動」してしまい、SDカードにはデータがなくなってしまったのです。

 

例の姪の結婚式の写真です。もう二週間近く経ってしまったのに、何をやっているんでしょうね。そこで、パソコンのデータを、いつぞや買った「ICレコーダー」に入れてみたのです。これは、普段は音声を録音するものなのですが、USB端子が付いていて、フラッシュメモリーのように簡単に接続できて「データ」をコピーできたのです。

 

このICレコーダーを都心のカメラ店に持っていったところ、「これには音声のデータも入っているので、写真だけプリントできませんね」と断られてしまいました。そこで、駄目もとで、自宅近くの田舎の写真屋さんにICレコーダーを持っていったらプリントできたのです。少し感動してしまいました。

 

文書も写真も動画も音声も一つのデータとして、簡単に持ち運びできて、複写、交換、削除、追加も簡単にできる時代になりました。いやあ、すごい時代になりました。

「祭り」は言論テロです

読売新聞の一面に連載されている「ネット社会」で、自分の気に入らない文言を書いたブログなどに集中砲火を浴びせて、「祭り」と呼ばれる「炎上」を画策する裏の仕掛け人が登場しています。

マスコミのインタビューに堂々と応えるのも、全く罪の意識がなく、確信犯で行っていることが分かります。

例えば、首都圏に住む男性会社員(21)は、「祭り」の常連で、騒ぎを知れば便乗し、「うぜぇ、カス」「しねwww」と書き込む。(wとはネットの掲示板では「笑」の意味だそうです。知らなかった)その会社員は「相手への怒りも正義感も全くない。人の不幸は楽しいでしょ」と発言しています。

うーん…こういう記事を読むと背筋が寒くなりますね。今、流行言葉でいえば、集中砲火は言論テロですよ。

「ウェブ進化論」などの著書がある梅田望夫氏も「ネットとはいえ、もっと気概を持って大人の振る舞いをしなければならない」と、匿名という厚い隠れ蓑に隠れて悪事を働く不届き者を諌めていました。同感です。

私の場合、お陰様で、素晴らしい人に恵まれ、本当に素晴らしいコメントも頂いております。そのおかげで、続けているようなものです。

このブログもボランティア、つまり原義そのものの意味で、自ら進んでやっているので、不行き届き者による集中砲火を浴びれば、もちろん、嫌になりますね。
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