安倍さんの辞め方について…

 鹿さんシリーズの始まり

安倍首相が突如辞任しましたね。世界中の何百万というブログがこの話題に触れるでしょう。私は天邪鬼ですから、あまり取り上げたくなかったのですが、安倍さんの辞め方があまりにも不自然というか異様なので、思わずキイボードの前に座ってしまいました。

第一は、その時機です。所信表明をして、いざこれから代表質問に入るぞ、という直前の辞め方です。前代未聞というか、こんな「敵前逃亡」みたいな首相は日本の憲政史上いなかったのではないでしょうか。参院選敗北の時に辞めていれば、再起のチャンスはあったでしょうが、安倍さんの政治生命は終わったも同然です。本人も、もう総裁選に立候補しないだろうし、誰も選ばないでしょう。

第二は、その辞任の理由です。「テロとの戦いを中断することがあってはならない。中断しないために一身を投げ打つ覚悟で、全力で努力するべきだと考えてきた」と言うのですから、当然、このあとに、「だから、職をまっとうするつもりだ」という言葉が続くのが、日本語の文法として正しい。それなのに、安倍さんは「私が辞することで局面を転換した方がいいと判断した」と突拍子もない論理を展開してしまうのです。

第三に、果たして、今の日本国民の圧倒的大多数が、年金問題や老後の不安や生活の安定以上にテロとの戦いに関心を持っているかどうか、ということです。先の選挙で「国民の生活重視」を掲げた民主党が大勝したぐらいですから、安倍さんは、やっぱり、ブッシュさんに何か言われたのではないか、と勘ぐりたくなります。

国民と国益を守るべき一国の総理大臣が唐変木なわけがありません。よっぽど、脅迫めいたことを言われたに違いないと私はにらんでいます。

ドイツ国際平和村

 テロ特措法の延長問題で、国会が俄然、緊張度を増してきました。ぬるま湯に浸かってきた日本人ですから、いいことだと思います。国民が選んだ国会議員で、密室ではなく、国会という公の場で、正々堂々と論争してほしいものです。

 

問題は、インド洋で、海上自衛隊が燃料をただでアメリカやパキスタンなどの外国艦船に補給するかどうかという点です。安倍さんなどは「国際公約」とまでのたまっておられ、今後「国会承認なし」でも延長できる新法を提出する考えのようですが、これは、明らかにシビリアンコントロールに反することです。私は断固として反対です。

 

民主党はこの燃料補給について、「アフガニスタンの戦争という名目なのに、アメリカ艦船は、イラク作戦にも借り出されている疑いがある」と指摘し、国政調査権を発動して、その実態を調べるとまで言っています。

 

いずれにせよ、平和な日本に住んでいると、現在、イラクにしろ、アフガニスタンにしろ、実際に戦争が行われ、いつも、無辜の市民が殺害されている事実を忘れがちだということです。日本では、その実態がほとんど報道されないからです。

 

ベトナム戦争の頃は、地雷を踏んで、首から下がバラバラになったベトコンと思われる若い兵士の死体を手で持ち上げる米軍の兵士の写真が公開されたり、戦争の残虐さが日本人の一般市民にも目が触れる機会があったのですが、現在は、ハイテク戦争のせいなのか、個人情報保護法の見地なのか、分かりませんが、あまり見られません。

 

そういった中、今朝、NHKのラジオを聴いていたら、「ドイツ国際平和村」でボランティアとして活動するアキヤマさんという女性が出演していました。私は全く知りませんでしたが、この団体はドイツ市民によって1967年に設立されたもので、戦争などで、傷ついた子供たちを治療したり、紛争地帯に行って医療活動をする団体です。

 

アキヤマさんは、ボランティアとして渡独したのは2002年1月から5月までで、丁度、「9・11」後の「犯人探し」のためのアフガン戦争が勃発した頃でした。平和村には、次々と負傷者がかつぎこまれ、アキヤマさんは、ヌルム・マハド君という当時、7歳か8歳のアフガニスタンの男の子のことが忘れられないと話していました。

 

その子は、不発弾を触ってしまったのか、右は肩から根こそぎ無くなり、左も腕から下を失い、両目は失明。平和村に担ぎ込まれた時は、ある程度の治療は済み、リハビリの状態でしたが、3日間、ずっと泣きっぱなしだったといいます。アキヤマさんは、なす術も知らず、呆然とするだけでしたが、4日目にやっと、黙って抱きしめてあげたら、やっと、話をしてくれるようになったと言います。

 

アキヤマさんは、涙をこらえて、そんなエピソードを話してくれました。

 

国会議員の皆さんにも聞いてほしかったです。

 

なお、ドイツ国際平和村のホームページもありますので、ご興味のある方はご覧ください。

属国民根性 

  木下小屋

 

9日にシドニーで「職責にしがみつくことはない」と言った人が、その舌の根の乾かない翌日の10日には、永田町で『「改革を止めてはならない」との一心で私は続投を決意した』で発言しているものですから、随分、矛盾した人だなあ、と思ってしまいました。

 

もっとも、10日の所信表明演説は、優秀な官僚さんが精魂込めて作った作文を棒読みしていただけで、既に、その内容全文は、日本のマスコミ全社には7日には行き渡っていましたから、9日の発言の方が深刻とみるべきでしょう。

その発言の前日まで、そんな考えは少しもなかったのですが、その人は、飼い主の藪さんに会った途端、国際公約を宣言したところをみると、どうやら、何か二人の間で密約があったのではないかと邪推してしまいます。そのあたりはマスコミは全く報道してくれないので、真相はさっぱり分かりませんが…。

 

親分に叱られた子分が詰め指(腹ではなく)を迫られたのではないでしょうか。

 

戦勝国に逆らえない属国の性(さが)を見た感じがしました。

暇な官僚どもに怒り!

 ピンボケではなく…

 

暇な官僚どもが、オンラインの無料百科事典「ウィキペディア」を改竄していたという事件には、怒りを覚えましたね。

例えば、厚生労働省の役人が、民主党の長妻昭代議士のことを「行政官を酷使して自らの金稼ぎにつなげているとの指摘もある」と書き加えたり、宮内庁の役人が「天皇陵」の項目で、「天皇制の根拠を根底から覆しかねない史実が発見されることを宮内庁が恐れているのではないかという見方もある」とあった部分を削除したり…。

 

許せないのは、国家の税金で支給されている官庁内のパソコンで、しかも勤務時間に、こんなことをせっせと行っていることです。「税金どろぼう」じゃないですか。

 

そもそも、インターネットやマスコミには、作為的なことがはびこっていることを念頭に置く必要があります。(真実が報道されているとは限りません)今、世界的に流行している動画投稿サイト「ユーチューブ」でも、プロが素人を装って、世論操作している事例が、ボコボコ出てきています。(東京新聞、9月8日付朝刊「メディア市民革命」)

 

このブログも「おっさん」を装っていますが、何処の誰だか知れたものでもありません。女性かも…。

 

まあ、それくらい、疑ってかかった方がいいというのが、私の意見です。マスコミの方も、ウイキペディアを引用なんかしないように!

 

ヤメ検、昭和初期の若きエリート…

 ちょっとピンボケ


 インド象さんに奨められて「現代」10月号を読みましたが、なかなか読み応えがあってよかったですよ。750円の価値がありました。


 


 一番面白かったのが、やはりノンフィクションライターの森功氏の「ヤメ検ー司法に巣喰う生態系の研究」です。


公安庁元長官のヤメ検弁護士の緒方重威(しげたか=73)氏が、朝鮮総連の不動産売却にからんで詐欺事件として逮捕されましたが、緒方氏のような功なり名を遂げた、お金にも不自由をしていないように見える超エリートが、何で、こんな馬鹿げた事件を起こしたのか、一般庶民はさっぱり分からなかったのですが、事件の背後に潜むどす黒い闇が、この記事を読んで何となく分かるような気になりました。


 やはり、あれとあれだったんですね。


 


 非常に興味深かったのが、緒方氏の父親が、満州国最高検の思想検事として、戦時中に諜報活動家として名を知らしめた緒方浩弁護士で、公安調査庁の生みの親だったということです。


 


 緒方氏は、東京・六本木にあるTSKビルの再開発に乗り出すことが、最初に触れられますが、このビルはプロレスラーの力道山の盟友だった町井久之氏こと鄭建永氏が会長を務めた広域暴力団「東声会」が建設したビルだったということも明らかにされています。東声会は、あの政界フィクサーと恐れられた田中清弦氏を襲撃した団体としても知られています。


 このほか、NHKの人気キャスターだった宮崎緑さんの元夫だった椿康雄弁護士や、今年二月に大物華僑・葉剣英を自称して投資詐欺事件で逮捕された畑隆氏らも登場します。役者がそろった感じです。今回が第一回ですので、次回も楽しみです。


 


 佐藤優氏が、沖縄密約を証言した外務省元アメリカ局長の吉野文六氏の半生に迫った「国家の嘘」も面白かったです。吉野氏は旧制松本高校から東京帝国大学法学部に進み、大学3年で、高等文官試験の行政科、司法科、外交科のすべてに合格した超エリートだったのです。今で言えば、財務省官僚にも、裁判官にも、外交官にもなれるわけです。


 


 この論文を読んでいると、昭和初期の若きエリートたちのたたずまいが如実にわかりますね。当時、マルクス、社会主義が流行し、旧制弘前高校出身の太宰治(1909-1948)などは、組織に入って地下活動を展開し、後に転向する経験をしますが、吉野氏(1919-)は非常に理想的というより、現実主義的なところがあって、カント、ヘーゲル、ニーチェらドイツ観念論やマルクス主義関係の書物ではなく、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミルら英国経験論やアメリカのプログマティズムの書物に惹かれていたというのです。高校生、とは言っても今の大学の教養課程に当たるのですが、その分際で、旧制高校の連中は、このような書物をすらすら読んでいたのですからね。今の学生は、くだらない民放のお笑い番組を見て、ガハハと笑っているか、ゲームや携帯にはまっているだけでしょう。


 


 明治期に創設された第一高等学校から第八高等学校までは、「ナンバースクール」(一高:東京、二高:仙台、三高:京都、四高:金沢、五高:熊本、六高:岡山、七高:鹿児島、八高:名古屋)と呼ばれ、多数の政財官学界に人材を輩出し、他の旧制高校から区別されていたということも興味深かったです。ナンバースクールの連中に入る連中は、いぎたない野心の塊のような印象も受けました。


 

山口晃展に行ってきました

 知床

東京の練馬区立美術館に「山口晃展 今度は武者絵だ!」を見に行ってきました。

 

私は、単なるおっさんなのですが、同世代でこれほど、美術館や博物館や映画館や劇場に行ったりしているおっさんはいない、と自負しています。

 

山口晃さんという画家は、2,3年前に「芸術新潮」という雑誌で初めて知りました。六本木ヒルズの絵なのですが、大和絵風の鳥瞰図でご丁寧に霞雲もたなびいています。目を凝らしてみると、細密画で、六本木ヒルズという現代の象徴の建物に混じって、江戸や室町時代の建物もあり、ちょんまげを結った人や昭和三十年代のファッションのサラリーマンもいて、玉石混交状態です。

 

何じゃあ、これは!

 

というのが、第一印象でした。それにしても、画家のマニアックというか、ファナティックな描写に、がツーんと頭を殴られたような衝撃を受けました。時代も空間も全く超越して、同じ平面に描かれていたのです。彼を「平成の絵師」とも「時代の旗手」とも言う人がいますが、本人は「単なるお絵かき少年」と淡々としたるものです。

 

彼は本物だ!と確信しました。

 

久々に所蔵したくなるような作品に出会いました。

 

彼は現代アートの旗手で、今や引っ張りだこです。先日、NHK教育の「トップランナー」にも出演し、人気は急上昇。練馬美術館での本人出演の「アートトーク」も立錐の余地もないほどの超満員だった、ということがネットのブログに出ていました。

 

山口晃さんのことをもっと知りたければ、今は便利な時代で、ネットで検索すれば、分かると思います。でも、本物の作品はやはりみるべきですね。彼の細部での技巧に目を瞠らされます。

 

今度、彼に会って、お話を聞いてみようかと思います。

廊下減少

 キタキツネ

 

タイトルは、わざと間違えて「変換ミス」しております。

最近、テレビは、ニュース以外ほとんど見ないので、いわゆるタレントさんや俳優の名前がさっぱり分からなくなりました。

それに輪をかけたように、難しい漢字の名前の若いタレントが増えたようです。彼ら彼女たちは気取って、そんな名前をつけているわけではなく、「本名」だというから納得するやら、驚くやら。

いやあ、自分の本名で、人前というか、テレビカメラの前で、踊ったり、笑ったり、泣いたり、演技で、ということは、ウソっ子でするなんて、冷静に考えて見ると、全く仰天してしまいますよね。何でそんなことができるんだろうか、という素朴な疑問の答えは、人々がそれを求めているからということになるのでしょうが…。

 

先日、新聞で、珍しい名前のアイドルやタレントが取り上げられておりました。

 

1、相武紗季

2、蓮佛美沙子

3、柳楽優弥

4、本仮屋ユイカ

5、貫地谷しほり

6、妻夫木聡

7、釈由美子

どうです?読めますか?

自慢じゃないですが、私は一人だけ読めましたが、あとは読めませんでした。今村君は読めますか?

答えはコメントで。

巴町「砂場」

 摩周湖

 

巴町の「砂場」に行って来ました。何しろ、物の本によると、江戸蕎麦の現存する最も古い蕎麦屋なのだそうです。何と、三大将軍徳川家光の時代に発行された番付に、名前が載っているそうです。「砂場」という屋号は全国何処にでもありますが、元々は大坂が発祥地のようです。佃島も、家康が大坂人に開拓させたという話ですからね。徳川幕府が開かれた時に、山っ気のある関西商人が、大挙して江戸に押し寄せたことでしょう。

 

場所は、神谷町と虎ノ門の間。愛宕神社下といえばいいでしょう。場所柄、官僚さまの天下り先である公益法人が林立している所です。お金持ちそうなサラリーマンやOLで店がいっぱいになります。この近くには何軒かの日本刀剣の店があります。そういえば、昔、新撰組の本を読んだ時、近藤勇局長が、幻の刀剣「虎轍」を求めて、虎ノ門界隈を歩いた、というような記述があったことを思い出しました。新撰組の連中が歩いているような錯覚に襲われました。

 

私は、食道楽というより、食意地があるタイプだと思います。死ぬ前に一度、食べてみたい、という程度なのですが、一度食べれば「何だ、こんなもんか」で終わってしまいます。

 

ですから、「江戸最古」という知識というか、情報を知らなければ、この店に行かなかったでしょうね。注文したのは、「かき揚げ天せいろ」。何と1995円もしました。蕎麦は、箸で4回ぐらい掬えば、もう無くなってしまうほどの少なさ!ちょっと、高すぎるんじゃないかなあ?

 

もちろん、どんな店案内やネット情報を見ても、「巴町砂場」はお褒めのお言葉ばかり。私のようなネガティブ情報は皆無でしょう。確かに美味しく、歯ざわりがどうの、こうのという講釈はいくらでも書けますが、私は「もう、これでいいや」といった感じです。昼は奮発したので、夜は、銀座のデパ地下で、420円の、期限切れ間近の200円引きのお弁当を買って採算を合わせました。

「京都五山 禅の文化展」

 摩周湖

 

上野の国立博物館・平成館に「京都五山 禅の文化展」を見に行ってきました。

 

京都五山とは、南禅寺を上位別格とし、第一位「天龍寺」、第二位「相国寺」、第三位「建仁寺」、第四位「東福寺」、第五位「万寿寺」を指しますが、この展覧会を見て、私は、禅について、何も何も知らなかったという事実に改めて気付かされました。

 

夢窓疎石や絶海中津、無学祖元らなら何とか名前と業績について、ついていけますが、東福寺開山円爾(えんに)の弟子で東福寺第三世と南禅寺の開山となった無関普門(むかんふもん、1212-91)や同じく円爾の弟子で東福寺第九世癡兀大慧(ちこつだいえ、1228-1312)、夢窓疎石に師事し、天龍寺や相国寺の住職などをつとめた春屋妙葩(しゅんおくみょうは、1311-1388)といった禅宗界では、知らない人はいない重要なキイパーソンを今回初めて知りました。

 

何しろ、中国から臨済宗とお茶を日本に伝えた栄西(ようさい)を、学生の頃は中国人だと思っていたくらいですから、恥ずかしい限りです。東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の二つから取ったというのも知らなかったですね。

 

足利義満をはじめ、室町幕府の庇護を受けた京都五山の僧は、中国(明)との外交使節団の一人として加わり、通訳や文書製作などの細かい事務の仕事もしていたようですね。当時、外国語ができるインテリといえば、学僧ぐらいなので、当然かもしれませんが、宗教界だけではなく、世俗の外交官として活躍していたとは、はっとさせられる史実も教えられました。

 

ひどい話

 阿寒湖

 

今年の梅雨先に買った折りたたみの傘がもう壊れてしまいました。何の間違った操作をしたわけではなく、ホネがぽきりと折れてしまいました。指にも軽い傷を負いました。恐らく、修理代の方が高くつくので、処分するしかないでしょう。

 

でも、わずか、3カ月かそこらしかもたないなんて、詐欺ではないでしょうか?

 

しかも、これは、東京は銀座、天下の三越デパートで買ったんですよ!

 

ブログはこういう時に便利ですね。はっきり書いてしまいます。「オーロラ株式会社」の傘です。

 

でもよくみると、「中国製」とありました。今問題の中国製だったんですね。米国では、食物や玩具に人体に危険な毒物が含まれていたことから、中国製ボイコット運動が起こり、中国製ではないもの「China Free」と明示して、スーパーに売られているそうです。(China Freeというので、中国に自由を!という意味かと思ったら違うんですね。そう言えば、Smoke Free と書いてあるから、煙草を吸っても自由なんだと、日本人が一生懸命に煙草を吸って怒られたという笑えない話もあるとか。先日見た映画「シッコ」でも、Stress Free と登場人物が何度も話すシーンがありました)

 

しかし、ある米国人女性ジャーナリストが中国製品なしで、1年ぐらい生活して、その体験記を本にまとめました。それがベストセラーになっていますが、そのジャーナリストによると、中国製品なしでは、今やとても米国では生活できないというのが結論だそうです。

 

いずれにせよ、Stress Free の生活がしたいものです。