アンチエイジングの話

アッピア街道

最近、人と会う約束しても、ほとんど断られてしまいます。理由は「忙しい…」「急に仕事が入った」「日程が合わない…」

要するに、プライオリティの問題なのでしょう。北海道に行く前は、毎月1回は会っていた人でも、東京に戻ってくると「流れ」が変わっていて、「私なし」で物事が進んでいて、特別に時間を作って、あまえなんかと会って話すこともないということになっていました。

会社の組織でも同じでしょう。いくら「この会社は、俺で持っている。俺がいなければこの会社は動かない」と気張っていても、「俺」がいなくなれば、代わりのものがいくらでもいるし、何事もなかったように組織は動きます。

創業者でさえ、裁判沙汰を起こせば、いくら株式を所有しても、後任者から「もう、創業者とはコンタクト取るつもりはありません」と言われる時代なのですから…。

ところで、人が会ってくれないおかげで、最近、素晴らしい本に巡りあっています。これも「偶有性」ですが、嬉しいことに「はずれ」がありません。2日に一冊の割合で読んでいます。このブログの熱心な読者の方は、ご存知ですが、面白い本は、追々このブログで紹介しています。最近、「誰それと会って、どこに行った」という話がないのは、そういう事情です。

前置きが長くなりました。とはいえ、この後も前置きになると思います。この本に関して、何回か分けて、じっくりと紹介したいと思うからです。

浜田和幸著「団塊世代のアンチエイジング」(光文社)です。

この本を何で買ったのかと言うと、著者を知っているからです。一度、仕事で帯広でお会いしました。大変、大変、饒舌な方で、1時間半の講演のあと、一人で2時間くらい喋り続けていました。時間があれば、5時間は平気で喋っていたと思います。

「フランスでは、すでに、水で走る自動車が開発されたが、石油業界の猛烈な反対と陰謀で、その実用化が封鎖されている」といった眉唾ものの話から、自宅が東京の高級住宅街にあり、銀行から高額の借入金(金額まで教えてくれました)のために、原稿や本を書き続けなければならないこと。この高級住宅街に住む某有名女優が、年間3千円の町会費を払わないこと。某有名ニュースキャスターの家庭が、ゴミの日を守らず、周囲で顰蹙を買っていること。その息子が親の権威を笠に着て、悪さをすることーなどを、あっけらかんと話してくれました。

さて、この本に関しては明日。

成功とは?

フォロロマーナ

昨日、書き忘れたことがありました。茂木氏の「脳」整理法の中で一番、印象深かった言葉です。そのまま、引用するのではなく、自分で噛み砕いて記してみます。

「…人生とは、必然であり、偶然である偶有性でに支配されている。ということは、いつでも、どんな時でも、状況はどうなってしまうのか不確実なのである。成功するかどうか分からない、どうなるのかわからないという不安な気持ちを乗り越えて挑戦し、そのことによってわずかでも成功する体験が一度でもあると、『不確実な状況下で挑戦する』という脳のルートが強化される。脳が強化されれば、そのような行動が、それからは、苦労しなくても無意識にとれることになる」

とにかく、勇気を出して「行動」して、何かを「発見」して、それらを「受容」すれば、精神的な安定を勝ち取ることができるのではないでしょうか。

さて、昨日は統一地方選挙が、全国の13都道県で告示されましたね。

やはり、注目は首都・東京です。14人が立候補しました。

面白いのは、本命の方々はさておいて、「落選確実」ながら、実にユニークな人が出揃ったことです。

お馴染みの発明家がいれば、某宗教団体系のタレント、タクシーの運転手、不動産鑑定士、ストリートミュージッシャン…。あの高島易断の総本家総裁の方も立候補されるのですね。驚きました。

供託金は300万円で、没収されるでしょうが、これらは都の予算に計上されるのでしょうか?どなたかご存知の方は教えてください。ついでに、ホリエモンは5億円の保釈金を払ったらしいのですが、このお金はどこに消えてしまうのでしょうか?…夜も眠れません。

「落選確実」ながら立候補した彼らも、勇気を出して「行動」したのですから、何かを発見することでしょう。他人がとやかく言うことではありません。所詮、人間なんて芥子粒みたいな存在なのですから。

茂木健一郎「『脳』整理法」

ローマ

公開日時: 2007年3月22日 @ 19:05

アメリカに住む従兄弟のYさんから茂木健一郎氏の「『脳』整理法」を薦められました。

今売り出し中の気鋭の学者で、テレビにも出演し、現在最も忙しい脳科学者と言われている人です。

女性週刊誌にも取り上げられ、正直、あまりにも脚光を浴びているタレントっぽい人なので、敬遠していたのですが、この本を読んでビックリ。すっかり偏見は飛んでしまいました。

もしかしたら名著かもしれません。久しぶりに赤線を引きながら読みました。

茂木氏は、さかんに「偶有性」という言葉を使っています。「いつ、どこかで、確実に起きる」ということとは正反対で、「半ば偶然に、半ば必然に起こる」という意味です。

人生はその偶有性の産物だというわけです。泣こうが、喚こうが、たかだか、百年あるかないかの人生。そんな個人の人生は、宇宙の「永遠の相の下」では、ゴミクズ以下の存在で、いてもいなくてもいい。所詮、人生に、確実な根拠になるものなどない、というのが結論に近いのです。

赤線を引いた箇所は…

●「人間の時間(生活実感)」にとって、「今」は特別な存在とみなし、我々の生活を支えているが、宇宙の全歴史を一気に見渡してしまうような「神の時間」(科学的世界観)からみれば、「今」の時点は何の特権もない。人間の思索は、科学的な世界観の中では、ナンセンスなものとして片付けられる。

●宗教家が、輪廻転生や因果応報の思想のもとに、前世や死後の世界はあると教えてきたが、科学的世界観では、それらは否定される。「私」の時間は誕生とともに生まれ、死とともに消える。その前にも後にも何もない。

●永遠に心理的現在に閉じ込められながら、さまざまなものを「今」に引き寄せようとする人間の必死の努力が、現代科学が公式的には「勘違い」と片付ける様々な宗教的、哲学的概念を生んできた。

(宗教や哲学は、所詮、人間の勘違いなのか?)

●ある程度規則があり、またある程度ランダムであるという人生における偶有性とは、実に味わい深い。…時に無秩序で予測がつかないもののように見える宇宙の中の事象にさえ、ある程度の規則性を見出そうと試みる脳の働きには、人間の「世界が意味のあるものであってほしい」という祈りが込められている。

●生きることを不安に感じることは、ときに避けられないものであるが、できれば楽しんでしまった方がいい。不確実性を楽しむという「生活知」は、そもそもこの世界の本質、とりわけ生の本質は「偶有的」なものであり、不確実性は避けられないものであるという認識のもと、「覚悟」を決めることによってこそ得られる。

●「果報は寝て待て」ではなく、とにかく具体的な「行動」を起こすこと。そして、偶然の出会い自体に「気づく」こと。さらに、素直にその意外なものを「受け入れる」(受容)ことが、偶然を必然にするために必要不可欠な要素。

●偶然の幸運に出会う能力とは、偶然のチャンスを生かすという心掛けと脳の使い方。

●アインシュタインは「人間の価値は、何よりもその人がどれくらい自分自身から解放されているかということで決まる」という言葉を残した。ますます緊密に結びついて現代の地球社会における人間の価値は、何よりも、ときには違和感さえ覚える他者を排除せずに、自分を耕す肥やしとして尊重できるか、その点にこそかかっている。

●科学的世界観とは、理想的には、あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立つ。これを生活の中にほんの少し処方するだけで、静かで美しいライフスタイルを見出すことも可能。

●人生がうまくいくかどうかは、その多くが不確実性に対する対処の方法によって決まる。不確実性を避けて、確実なことばかりやっていれば、先細りになる。かといって、不安のようなネガティブな感情に支配されてしまうと、不確実性に積極的に向き合っていく勇気が生まれない。生きる中で、確実なことは何もないという現実は実に厄介な問題だが、大切なことは、ネガティブな感情は決して意味がないわけではないと気づくことだ。否定的な感情も、私達人間の生を支える「感情のエコロジー」の中で意味があったからこそ、進化の過程で生き残ってきた。

●高度に発達した人間だからこそ浸ることができる複雑で豊かなプロセスとして、後悔や怒り、嫉妬、不安、自己嫌悪、自信喪失といったネガティブな感情は立ち上がっている、しかし、これらをいたずらに否定したり、抑圧したりしないで、じっくりと付き合ってみること。極端に言えば、これらもまた、この世界が私たちに与えてくれた福音であることを納得し、受容することが重要。

●感情というものが自律的なものであることに着目すると、「根拠のない自信」を持つことが、偶有的な世界と渡り合うために、案外大切であることがわかる。もともと、自信とは根拠のないもの。そもそも、生きていること自体に根拠がない。みな、何となく平均年齢までは生きるだろうと思い込んでいるが、それは、根拠のない楽観的な憶測にすぎない。いつ不測の事態が起こって、人生が終わりになるかわからない。

以上

私自身は、ここ10年近く捉われていたアポリア(難問)に少し回答をもらった気がしました。

皆さんはいかがでしょうか?

立ち飲み屋の赤羽「いこい」は

ローマ

公開日時: 2007年3月21日 @ 19:25

総務省が発表した2006年の「労働調査」によると、年収が200万円未満のワーキングプアと呼ばれる人たちは、自営業が443万人、正社員が447万人、パート、アルバイト、派遣、契約などの非正規社員が1284万人で合わせて、2174万人に達するそうです。

労働総人口が6384万人なので、実に日本人の3分の1がワーキングプアなのです。これに、年上限200万円の失業保険が受給されている失業者294万人、年200万円が支給される生活保護世帯が106万世帯あることから、日本全国で、2500万人を超す人がワーキングプアということになります。

ちなみに、米国では、「4人家族で、年収1万9307弗以下」の人が3700万人おり、彼らは人口の12・7%を占めるといいます。

日本では、およそ、四人に一人が貧乏人ということになるのでしょうか。

これが、現代社会の実態です。

テレビや新聞雑誌であれこれしゃべっている人間は、当然のことながら、彼らの「痛み」は分かっていません。無視するか、無知のまま、発言しています。

赤羽にある評判の立ち飲み屋「いこい」に行ってきました。朝7時から夜10時までやっている店です。

朝7時から飲みにくるような人はどんな連中なのでしょうか?というより、朝7時から飲まざるをえない人たちの心をあなたは理解してあげることができるでしょうか?

ビール380円、お酒1合が180円、煮込み110円、鰺刺身150円、おでん150円…といった激安さです。

お客さんは平均年齢50歳。髪の毛はボサボサの白髪交じり、顔は日に焼け、深い皺がナイフでえぐったように縦横に走り、服装は、ペラペラの作業服のようなジャンパーにジーパンでお世辞にも立派とは言えません。手を厚く、赤く腫れぼったく、肉体労働に長年従事したような体つきです。

恐らく、みんな独身。どいつもこいつも似通って、髭面で、歯が抜けた人も多い。どこか、憎めない酔っ払い連中で、大宮の競輪場で身ぐるみを剥がされて、オケラ街道をトボトボ歩く連中と瓜二つでした。

それは他人事だと思っていたら、鏡に写った自分の姿でした。

ポールよ、おまえもか!

ローマ

ロックファンを自認する作家のYさんが、「『9・11』以降、ロックは死んだ」といったような主旨のエッセイを書いていました。

古い話ですが、2001年の9月11日の同時多発テロに際し、たまたまニューヨークに滞在していた元ビートルズのポール・マッカートニーが、ショックを受け、その後、ニューヨークで支援コンサートを開催しました。Yさんは、深夜にテレビで、そのコンサートの中継を見ていたら、ポールが「米・英軍の軍事行動に関して全面的に支援する。テロを撲滅しよう!」と叫んで、聴衆から拍手喝さいを浴びていたというのです。(残念ながら、ポールがコンサートを開いたことは知っていましたが、私は、この映像は見ていませんでした)

その時、Yさんは思ったそうです。「その軍事行動で、殺されるアフガニスタンやイラクの市民はどうなるの?ああ、これで、ロックは死んだなあ」

1950年代から若者に圧倒的な支持を得たロックミュージックは、かりそめにも、現体制に対する反逆のシンボルでもありました。60年代にヒッピーやフラワームーヴメントなど、今のフリーターの魁みたいな若者もいましたが、スタンスとしては、既得権を崩して、反逆しようというのが根底にありました。

そのシンボル的存在がビートルズで、特にジョン・レノンは「平和を我らに」などを歌い、愛と平和を訴えて、反戦デモ行進に度々参加しました。その挙句の果てが、CIAに付け狙われることになり、「CIAによるジョンの暗殺説」なるデマが飛び交うほどでした。

そのビートルズの片割れのポールが、年老いてこの有様だったとは…。

日本にポールに相当する人はいませんが、例えば、元キャロルの矢沢永一が、自衛隊のイラク派遣支援コンサートを開催するようなものだ、と言えばいいのかもしれません。

同時期、来日したローリング・ストーンズの面々がインタビューに出ていて、当時のイラク戦争(今も続いていますが)について見解を求められると、ロン・ウッドは「戦争なんて、何であろうと、とんでもない!」と首を何度も振って拒絶反応を明確にしていました。

英国国家から「サー」の称号を得た貴族のポールが体制的なメッセージをして何が悪い?と言われれば、それまでですが、あまりにも体制的な色が付いた音楽は、個人的には、もう聴く気がしませんね。

アングロ・サクソンの植民地主義者と何の変わりもないじゃありませんか。

日本を愛したジョン・レノンだったら、どんな行動を取っていたでしょうね。

「高島易断を創った男」

フォロ・ロマーナ

持田鋼一郎著「高島易断を創った男」(新潮新書)を読了しました。

有楽町の三省堂で、目立つ所に平積みになっていて、手に取ってみたら面白そうだったので、買ってみることにしたのです。

偶然とはいえ、こんな面白い物語は、本当に久しぶりでした。まさに、「血湧き、肉躍る」といった表現をしても大袈裟ではないと思いました。子供の頃にワクワクして読んだ「ジャン・クリスト伯」や「岩窟王」や「ああ無情」の感動に近いかもしれません。ハラハラドキドキで、これからどうなってしまうのか、手に汗を握る感じでした。

初版をみると、2003年8月20日でした。4年近く前に出版されたのに、話題になったことさえ知りませんでした。でも、大型書店でいまだに並べられていることから、ロングセラーなのでしょう。知る人ぞ、知る世界です。

この本は、まさに「高島易断」を創った呑象高島嘉右衛門の伝記です。私も、高島呑象といえば、易者としか名前を知りませんでした。どういう人だったのか、まるっきり知りませんでした。しかし、この予備知識が全くなかったおかげで、彼がどうなってしまうか、ハラハラドキドキしながら、ページを捲るのが惜しいくらい、寝食を忘れるくらいこの本に没頭してしまったのです。

もし、私のような経験をしたいのなら、この先は読まない方がいいかもしれませんよ。粗筋を書いてしまいますから。

まず、高島嘉右衛門(1832-1914年)は、易者ではありましたが、本職ではないということです。本職は、幕末から明治にかけての激動期に生きた実業家だったのです。晩年に隠棲した横浜に高島町の名前を残しています。「占いは売らない」と言って、鑑定はしても金銭を取らなかったと言います。莫大な資産を作ったので、その余技でやっていたものと思われがちですが、已むに已まれぬ事情があって、易をやるようになったのです。彼が「易経」を本格的に修行したのも、獄中だったぐらいですから。まさに、波乱万丈といって言い生涯でしょう。現代人がどんなに逆立ちしても敵わない濃密さです。彼の一生と比べれば、私のそれは、芥子粒みたいなものです。

今の銀座通りの裏手に当たる江戸三十間堀町に材木商兼建築請負業の長男として生まれ、(幼名清三郎)、抜群の記憶力で、早くから商才を発揮し、元服してまもなく、佐賀の鍋島家江戸藩邸奥方居宅の普請で、請負金額の約1割3分、450両の利益を得て幸先のいいスタートを切ります。しかし、これは、彼の波乱万丈の生涯の序の口です。簡単に記すと…

●17歳で岩手の南部藩の採鉄・製鉄事業に参画するが、失敗。

●22歳で父嘉兵衛が亡くなり、父親の莫大な借金を背負う。(父嘉兵衛の名前を継ぐ)

●23歳。安政2年(1855年)の大地震による大火を「予想」して、事前に材木を買い占めて、材木の売却と鍋島家の請負工事などで、2万両の利益を得る。

●24歳。安政3年(1856年)8月の暴風雨による江戸の河川の氾濫で材木が流失。南部藩の建設工事で、約定料金のうち2万5千両を支払われず、昨年の利益を全部吐き出しても、2万両(今の約1億円)の負債が残る。

●安政6年(1859年)27歳。鍋島藩家老の田中善右衛門の紹介で横浜に伊万里焼などの佐賀特産品販売の「肥前屋」を開店。

●横浜の居留外国人との金貨密売事件で指名手配。箱根湯本で逃亡生活を送るものの、自首し、伝馬町の牢に入獄。万延元年(1860年)、28歳。古畳の間にあった「易経」を発見し、これまで他人を恨み、自分を嘲ていた愚かさに気がつき、この難解な「易経」すべて暗記する。

●慶応元年(1865年)33歳、赦免。名前を嘉右衛門と改める。「江戸所払い」となり、再起をかけて横浜で材木店を始める。通訳を雇って、外国人との商談を発展させ、イギリスの公使館建設を請け負う。1万ドル以上の利益を手にする。

●維新後は、ガス会社を設立したり、横浜に下水を敷設したり、旅館や学校を創ったり、北海道に農場を作ったり、八面六臂の活躍。伊藤博文に請われて、日清・日露戦争の戦局を占ったりして、悉く的中する…

大正3年(1914年)、82歳で没。

確かに、著者は、高島の孫の後藤達さんらに直接話を聞いたり、高島自身の著作などに当たって、依拠しているので、全面的に高島嘉右衛門の「偉人伝」的な書き方に終始しています。

維新後の高島は、伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光、副島種臣らに接近して、「政商」に近い行動を取っています。批判的な記述が全くないので、少し、読み足りない部分はありますが、それらを差し引いても、彼の生涯は驚きの連続です。

読了後、溜息が出てしまいました。

唖然、呆然、怒髪天を衝く

ローマ

個人的なことを書きます。

先週の金曜日に私の住むマンションの隣家で小火(ボヤ)騒ぎがありました。

不幸中の幸いでした。

正確に言うと、隣りの隣りの部屋の504号室で、隣家の501号室のKさんが異常に気がついて、消防署に電話して「早期発見」のおかげで、ボヤで済んだのでした。

私が、その部屋に入った時には、火は鎮火していたものの、煙が充満していて、息子さんが部屋で倒れていました。動かそうと思っても、恐らく身長は185センチくらい、体重も90キロ以上あり、とても、動かせませんでした。少し煙を吸い込んでしまったの苦しくなり、外に出て、再度、挑戦しようとしたときに、消防員が駆けつけてきてくれて、すべて、解決しました。消防車は3台、消防員は30人以上来たのではないでしょうか。

私も煙を吸い込んでしまったので、その日は半日、気分は冴えませんでした。

これだけの大騒ぎになったのに、504号室の住人は、その後、Kさん宅にも私宅にも何の挨拶もありませんでした。

別に「貸し折り」を持って来いと言っているわけではありません。ただ一言、「先日はご迷惑をお掛けしました」と言ってくだされば、「これからは気をつけてくださいね。我々も協力しますから」で終わる話なのです。

そんなコミュニケーションさえありません。

背中がそら寒い恐怖さえ感じました。

実は、504号室の住人は、昨年末、ひっそりと引越してきて、近隣に何の挨拶もありませんでした。ですから、家族構成も名前すら知らなかったのです。

それが、今回、判明したことは、どうやら、お父さんと息子の二人暮らしで、母親は事情があって、いませんでした。その息子さんも知的障害のある人でした。30歳くらいにみえたのですが、16歳でした。

そういう複雑な事情があって、引っ越してきても周囲に挨拶をせずに「ひっそりと」暮らしたいという気持ちは分からないでもありません。しかし、とはいえねえ…

お父さんが仕事に出ていて、息子さんが一人きりになった時、また、火の不始末で、再度、こういう事態が起きない可能性はありません。消防も、詳しい、出火原因を詳らかにしなかったので、ますます、疑念と不安が深まります。

それにしても、このお父さんという人の頭の神経がどういう構造をしているのか分かりません。

常識に欠けた人が世の中にいるものだと注意しながら生きるしかないのかもしれません。

さっぱりわからん

ローマ

「健康になれれば、死んでもかまわない」というのは、よくできた小噺だと常日頃から思っています。

ですから、「紅茶キノコ」だの、「指回し」だの「1円玉を腰に貼ったら長年の腰痛が治った」などといった「民間療法」でも「へー」と思って、興味を持って眺めていたりします。

そういった「眉唾もの」の健康情報ですと、まあ、笑って許せますが、権威のあるドクター資格を持った医学者が正反対のことを言ったりすると、どちらのことを信じたら、さっぱりわからなくなってしまうのです。

これは、大袈裟に言えば、犯罪に近いのではないでしょうか。

このブログでも昨年の8月27日に「病気にならない生き方」というタイトルで、胃腸内視鏡外科医の世界的権威である新谷弘実氏の著作を紹介しました。http://blog.goo.ne.jp/keiryusai/e/396138f2f116658fb46c72ec2411bdb7

同氏は、俳優のダスティン・ホフマンや中曽根康弘元首相ら、これまで30万例以上の胃腸を診てきた結果、

●食生活は肉食を避け、菜食中心にすること。植物性(穀物、豆類、野菜、キノコ類、果物、海藻)85%、動物性(肉、魚、卵、牛乳など)15%が理想。

●市販の牛乳は「錆びた脂」なので、牛乳や、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品は食べない。

ことなどを力説していました。

この影響で、私などは、牛乳を飲まなくなったし、ヨーグルトも食べなくなったくらいなのです。

ところが、昨日、東京新聞に掲載されていた病理学者の家森幸男氏によると、まるっきり、正反対のことを言っているのです。

要するに、健康と長寿を願うなら「もっとたくさんヨーグルトを食べなさい」と主張しているのです。

同氏は、一時期ブームになった「カスピ海ヨーグルト」を日本に広めた「仕掛け人」ですから、無理もない話なのかもしれませんが、庶民は、どっちを信じたらいいのか、さっぱりわかなくなってしまいますよね。

家森氏は、1985年から2005年にかけて、25カ国61地域を駆け巡り、1万5千人の尿を集めて、成分を調べて、脳卒中を防ぐために「減塩とタンパク質を摂ることが重要」という結論に達しました。

特に食塩に含まれるナトリウムは、コレステロールの吸収を促し、取りすぎると高血圧や動脈硬化の原因になるといいます。

日本人は一日平均12gの食塩を摂取しますが、これを6gまで減らせば、脳卒中の死亡率はゼロまで低下させることができるというです。

「ヨーグルト」では見解がまるっき正反対の二人ですが、野菜や穀物を中心にした食生活を推奨していることだけは共通しています。

家森氏によると、大豆に含まれるイソフラボンや魚に含まれるタウリンには、血圧やコレステロールを下げ、血流をよくして、ガンを予防したりする働きがあるといいます。

それにしても、ヨーグルトです。

新谷氏は「食べるな」と言いますし、家森氏は、毎日、きな粉入りの「カスピ海ヨーグルト」を食べて、植物性タンパク質とイソフラボンを吸収し、健康を保っていると言います。

さて、食べるべきか、食べざるべきかー。

ポール離婚

ローマ

私は、自他ともに「ビートルズ・フリーク」として認められています。(え?誰が?誰のお墨付きで?)ポール・マッカートニーの離婚問題が決着したようですので、備忘録として書きます。興味のない方は、少し長くなるので、これ以上、お読みにならなくて結構ですよ。

●ポール(64)は、離婚係争中の妻ヘザー・ミルズ(39)に対して、現金2500万ポンドとロンドンのセント・ジョンズ・ウッドにある400万ポンド相当の豪邸(私も今村君と一緒に見に行ったことがあります)を分与する。ということで、慰謝料の合計は2900万ポンド(約66億円)。

●2人の間に生まれた娘ベアトリス(3)の養育権は共同とする。

11日付のニューズ・オブ・ザ・ワールド紙http://www.newsoftheworld.co.uk/story_pages/news/news1.shtmlによると、2002年6月にポールがヘザーと再婚した際、もし、離婚したら、ヘザーに2000万ポンド(約46億円)の財産を分与するという契約を交わしていたといいます。昨年7月に二人が離婚申し立ての手続きを開始すると、ヘザーはポールの資産総額8億2500万ポンド(約1881億円)の4分の1近い2億ポンド(約456億円)の分与を請求していたといいます。

ちなみに、「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」紙というのは、日本の「夕刊フジ」や「日刊ゲンダイ」に当たるのでしょうか?ビートルズの名盤「アビイ・ロード」にも登場します。ジョンの歌う「ポリシーン・パム」という曲です。しかし、日本版の歌詞カードには「世界中の新聞」と誤訳されています。「彼女は世界中の新聞をにぎわせるそういうタイプの女なのさ」となっています。

これでは、少し、ジョンの言いたいニュアンスが伝わりませんよね。殿方なら分かるでしょうから、これ以上書きませんが。

さて、「したたか者」のヘザーが、わずか4年の結婚生活で得た分捕り金が66億円だったとは!高いのか安いのか、庶民には分かりません。

それより、世界の歴史で、最も著名で成功した芸能人であるポールの資産が1881億円とは!

ちなみに、ほぼ同時期に離婚が成立したロシア人の大富豪でサッカーのイングランド・プレミアリーグ「チェルシー」のオーナーのロマン・アブラモビッチ氏(40)の総資産を知って驚きました。彼は16年連れ添ったイリナ夫人と5人の子供の親権や財産分与で合意に達したということで、詳細は明らかにされませんでしたが、彼の総資産は何と110億ポンド(約2兆4700億円)なのだそうです。

アブラモビッチ氏が何をしている人なのか知りませんが、あれだけ、世間に晒し者になっているポールの12倍以上の総資産があるとは!

驚き、驚きです。

アブラモビッチ氏は、どうやら25歳のロシア人モデルと再婚するようですが、どういう人物なのか、ご存知の方はコメントしてほしいものです。

「『狂い』のすすめ」

ローマ

ひろさちや氏の「『狂い』のすすめ」を面白く読んでいます。言い方は悪いのですが、「天下の暴論」と言っていいでしょう。悪い意味で使っていませんが、大袈裟に言えば、これまでの常識や定説をひっくり返すコペルニクス的転回です。

とにかく「世間を信用するな」「常識を疑え」と奨めているのです。

何しろ「人生に意味なんかありはしない。だから、生き甲斐だの、目的意識を持つな」と言うのです。

「自分を弱者だと自覚して、自由に孤独を生きよ」と促します。

どこか坂口安吾の「堕落論」に通じるところがあります。

筆者は若い時に最も影響を受けたサマーセット・モームの「人間の絆」から引用します。

「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた、何の役に立たないのだ。彼が生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは一切影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」

もちろん、これを聞いて、虚無主義に陥る人もいるでしょうが、「人間の絆」の主人公フィリップはその正反対で、自己を解放されるのです。

「今こそ責任の最後の重荷が、取り除かれたような気がした。そして、はじめて、完全な自由を感じたのだった。彼の存在の無意味さが、かえって一種の力に変わった。そして今までは、迫害されてばかりいるように思った冷酷な運命と、今や突然、対等の立場に立ったとような気がしてきた。というのは、一度人生が無意味と決まれば、世界はその冷酷さを奪われたも同然だったからだ」

現在、順風満帆な人生を送っている人には、何の効果もない言葉でしょうが、逆境に晒されている人にとって、これ程心強い哲学思想はありません。

私も大いに救われました。