起きたことは必然

起きていることはすべて必要で起きています。

必要だから起きているのです。

だから、安心してください。

変わろうとするより、まず大切なことは、受け入れることです。

自分の中の影をしっかりと見つめることです。

感じ流すことです。

どんな感情も排除するのではなく受け入れてあげてください。

裁かずに。

純粋性を求める人は自分にも他人にも厳しくなります。

しかし、世の中の影を感じる時、本当は自分の中の影を見ているのです。

あるがままの自分を見つめてください。

あるがままの自分を愛してください。

あるがままに自分を愛してください。

祈りも効果が大きいです。

自我が自分では何とかできないと降参した時、何かに委ねることを知るのかもしれません。

大いなる何かに。

(SHさんの手紙から)

嫌な人に会わない方法

 

昨日の某紙の一面に出ていた話。

 

30歳代のウエッブサイト・クリエイター。ほとんど自宅の部屋の中に閉じこもりっきりで、数台のパソコンの画面に囲まれ、仕事は、顧客との連絡もすべてメールで直接会うことなく、電話をすることもないので、声すら聞いたこともない。出前の注文や食材の買出しもネットで済ます。彼の生活手段はすべて手元の30センチ以内で用が済んでしまう。

 

会社に出て、嫌な上司や部下と顔を合わせる必要もない。

 

新聞も読まなければ、テレビやラジオも見たり聞いたりしない。

最近の若い会社員でも、隣の人の仕事の迷惑をかけてはいけない、という理由で、声すらかけることもなく、用件はメールで済ますという。目の前にいる人すらですよ!

会話のない静寂に包まれた社内。

SF映画も見るような、耳のとがった顎のない華奢な体型の新人類が、雨後の竹の子のように出没しています。

生きていることだけで

これから折を見て、SHさんから私宛にくださった手紙の一部をご紹介したいと思います。

第一回は「生きていることだけで」

人は何か役に立っていないと、自分の存在価値がないと思い込んでいます。

でも、本当は、ただ生きていることだけで価値があるものなのです。

野に咲く花や木々と同じで、今をあるがままに生きることで、結局、何かに、そして誰かに役に立っているのです。

自分であり続けることーそれだけでいいのです。

あなたは、そのままで最高です!

ショック、ショック、大ショック

旧友が離婚していたことが今日、分かりました。しかも半年も前にでした。

ショック、ショック、大ショックです。

理由は3つあります。

第一に、こちらとしては、大親友だと思っていたのに、離婚する前にひと言も相談がなかったからです。しかも、お互い遠く離れて暮らしているにせよ、半年も気がつかなかったとは…。これじゃあ、まるで、スクープされた芸能マスコミが「○○日までに明らかになった」と屈辱的な原稿を書くようなものではありませんか。

第二に、彼は家族を、つまり奥さんと子供たちを非常に愛していたからです。奥さんに対しては、愛情の念に加えて、尊敬の念さえ持っていました。奥さんは、歌人でもあり、歌集を出版していました。子供たちも非常に優秀で、自慢の子供たちでした。

第三に、彼は、私に対して非常に同情的で、冷え切った夫婦関係が遠くから見えるのか「分かれるなんて馬鹿なことは考えないで、仲良くしてくださいよ」と私に諭していたからです。

何なんですか、これは?と言いたくなりますね。

例えが悪いのですが、道徳の先生が、盗撮行為で捕まったようなものです。

彼は昨年、大病して、奇跡的な生還を果たしてこの世の世界に復帰したばかりなのです。

完治したとはいえ、100%元の体に戻ったわけではありません。

奥さん、ちょっと、それはないのでは…と耳を疑ったのですが、彼は「子供の養育権は妻の方にある」と説明するぐらいですから、いわゆる煩雑な事務手続きは終了したことでしょう。

世の中、訳の分からないことばかりです。が、彼は、故郷での仕事をやめて、上京するつもりです。

この年で、まさに、ゼロからのスタートです。しかも、ハンディを多少抱えて…。

これから、できるだけ、彼の力になっていくつもりです。

終戦記念日


今日は終戦記念日。日本人が1年に1回、あの戦争について思いをはせる日です。


新聞各紙でも色々と特集していました。ざっと、目を通したのですが、一番興味深かったのは、作家・半藤一利さんの発言です。(朝日新聞)


「陸海軍人の死者は約240万人だったが、そのうち実に7割が餓死だった。食糧の補給がなされず見捨てられた、無残にして無念の死である。彼らを見捨てたのは誰か。軍中枢の大本営、つまり日本国家だ。その数、実に160万人以上。『英霊』のこうした悲惨な実態はほとんど知られていない」


「軍人の約240万の死者のうち、遺骨が戻ってきたのは124万5千人にとどまっている。残りは、今もジャングルで野ざらしになっている」


終戦間際になって、逸早く、激戦地からチャーターした飛行機で逃げ帰ったのは、軍の幹部、将校連中でありました。部下を見殺しにして、自分たちだけが戦後ぬくぬくと生き延びたのです。


組織の幹部の体たらくは、戦後、高度経済成長を遂げた企業という組織でも、結局、踏襲されました。


甘い蜜を吸うエリート連中は、とても信じられたものではありません。


日本人はそういうエリートを作るのが大好きなのです。


しかし、先の戦争で軍国主義者や一部エリートのみが責任があり、一般大衆は被害者で、何ら責任がなかったという歴史観が蔓延していましたが、ジャーナリストのむのたけじ氏は、「軍人や憲兵より怖かったのは、親兄弟や親戚や隣組などから『非国民』と言われることだった」と述べています。


戦後61年となり、戦争体験者がいなくなりつつあります。問題の奥深さがこの辺りにあるように思われます。


 

お墓参り

今日は、昨年11月18日に亡くなった父のお墓参りに一人で行って来ました。

所沢聖地霊園という所です。道に迷わなければ、自宅から1時間くらいで行ける所です。が、私のことですから当然、迷ってしまいました。行きは航空公園で、一休みし、帰りは、川越の方にまで行ってしまい、結局、2時間くらい掛かってしまいました。

困ったことに、この年になっても儀式としてのお墓参りの仕方がよく分かっていません。ご先祖様が九州なので、罰当たりにも、ほとんどお墓参りをしたことがなかったのです。7月が盆と言ったり、8月が盆と言ったりしていますが、その区別も分かりませんでした。

結局、独自のスタイルでやるしかないようでした。母親に聞くと、ウチは九州出身なので、お盆といえば8月で、大抵、8月にお墓参りするようでした。

この霊園は、宗教に拘っていないので、キリスト教式から仏教式まで様々でした。でも、お墓にはめったに行けないので、お花はやめておきました。暑かったので、お水を上からかけて、手を合わせました。

慈航院優徳日浩信士

というのが、亡くなった父の戒名です。父は航空管制官でした。本当に不思議な縁というものがあるもので、この霊園から車で5分くらいの所に、父がかつて勤務したことがある所沢の航空交通管制本部があります。そして、遡ること63年前、父が陸軍に志願して、少年航空整備兵として配属した跡が、やはり、この霊園の近くの航空公園になっています。

全く、不思議な縁というしか他ありません。

ですから、私は縁というものを強く感じ、尊重しています。

袖触れ合うも他生の縁。

このブログを読んでくださったあなたとも、何かのご縁を感じています。

 

三重苦

会社では、一日中、パソコンの画面を見つめていなければならない仕事なのにも関わらず、家に帰ってもこうして、パソコンの前に座っているため、ついに、体がおかしくなってしまいました。

「眼痛」「頭痛」「肩痛」の三重苦です。

北海道に住んでいたら、すぐ近くに温泉が沢山ありますから、すぐ癒すことができるでしょうが、ここでは、そうはいきません。

本当はテレビもパソコンもない世界に行きたい、というか、そんなものがなかった、昭和初期の世界に住みたかったですね。

何しろ、眼の痛み、頭の痛み、肩の痛みが尋常ではありません。それでも、食べていくために、致し方ないとは、情けない。

ところで、昨日書いた日本の人口は、「1億2705万5215人」の間違いでした。アメリカに住む今村君から間違いを指摘されました。わざわざ、アメリカから見てくれたのですね。どうも有難う。もう少し、話をしたかったね。

 

 

少子高齢化

今年3月31日時点の住民基本台帳の人口調査で、初めて、日本人の死者が新生児を上回り、日本の人口が減少に移行した結果が数字に表れました。日本の歴史始まって以来らしいですね。

昨年と比べ、3505人減少し、1億2705万5215人。

男は48・92%で、女は51・08%。やっぱり、女性の方が多かったんですね、日本人は。

ある調査によると、夫に先立たれた妻は、平均7年は長生きするが、妻に先立たれた夫は平均1年。

(女性の方がシブトイとはいいません)

中国では7月に、台風などの天災で、978人が亡くなり、レバノンとイスラエルでは、ヒズボラとイスラエルとの戦闘で1000人以上が亡くなっています。

インドでは2026年までに1100万人もの人がエイズで死亡するという予想値が先頃発表されました。

人の命がますます軽視される時代になってきました。

昭和天皇「太陽」

話題の映画「太陽」(アレクサンドル・ソクローフ監督)を見てきました。

銀座・三原橋にある小さな映画館。驚いたことに、平日の昼間だというのに大行列で、結局「立ち見」でした。昭和天皇の、靖国神社へのA級戦犯合祀で不快感を漏らされたメモが見つかり、今、タイムリーな話題になっているせいか、関心を呼んだのでしょう。

でも、東京は嫌ですね。人が多すぎて。映画を立ち見するなんて、30年ぶりくらいじゃないですかね。この映画、立って見るほど価値があったかと言えば、正直、それほどでもなかったでした。★

何で、この作品がベルリン映画祭で無冠に終わり、日本での公開が危ぶまれたのか、よく分かりません。天皇の「人間宣言」は歴史的事実で、どこの教科書にでも掲載されていますし、生物学者として、鯰や平家蟹などの研究に没頭されていたことなどよく知られていた話で、特に目新しい話は盛り込まれていません。

終戦間際からGHQのマッカーサー司令官会見までの昭和天皇の私生活と心の内面を辿った作品で、実に淡々として描かれているだけです。ただし、離れ離れに暮らす家族の写真に唇を寄せたり、天皇をあまりにも人間、人間的に描こうとしている作者の意図がみえみえで、職務を離れた個人の内面的苦悩を正確に描かれていたにせよ、皇国史観に染まった信奉主義者には我慢できなかったかもしれません。

それは、あくまでも、ロシア人から見た昭和天皇だったということです。ソクローフが演技指導したのかどうかわかりませんが、昭和天皇演じるイッセー尾形が、妙に口をモゾモゾとさせているのが気になりました。当時の昭和天皇は45歳くらいです。もっと若々しかったはずです。

マッカーサー役のロバート・ドーソンは少し似ている感じはしましたが、随分粗野な人間像に嵌められていました。本当のマッカーサーはあんな感じではない気がしました。昭和天皇が、通訳を介さずに英語で堂々と反駁して、「私はドイツ語もフランス語もスペイン語もできます」と伝えた時、日本人として胸がすく思いを隠せませんでした。天皇の写真を撮影に来たアメリカ人のカメラマンたちを猿回しか野蛮人のように描いたのも、ロシア人だからできたことでしょう。まず、アメリカ人はこんな映画は作りません。マッカーサーを大ヒーローにしたスペクタクルな大活劇にすることでしょう。

結局、フィクションとはいえ「現人神」をフィルムに焼き付けたことは、ソクーロフの歴史的功績と認めざるを得ません。

 

二重被爆


広島と長崎のことについて何か書かなければならないと思っているうちに、その時は過ぎてしまいました。


が、一昨日に読んだ記事が忘れません。そのことについて書こうと思います。


広島と長崎で実に二回も続けて被爆していた人々がいたという歴史的事実です。私は全く知りませんでした。不明を恥じます。


実態は不明です。国立広島原爆死没者追悼平和記念館の昨年の調査では、「二重被爆者」は約160人と言われますが、正確な数字かどうか…。


ドキュメンタリー番組の製作会社のタキシーズが、生存者にインタビューして、記録映画にしました。その中で登場する人は、当時、長崎の会社員で広島に出張中に被爆し、長崎に戻って、職場の上司に広島の惨状を報告している途中で、また被爆した山口彊(つとむ)さんという方がいます。現在90歳で長崎に住んでおられます。


広島市在住の賀屋美佐子さん(76)は、広島で被爆し、母親ら3人の親族を失い、父親の実家のある長崎に逃げ帰ったところ、残留放射能を浴びたということです。


生存者の多くは、その体験があまりにも恐ろしいので、また、差別も恐れて、長い間、その事実を伏せてきたそうです。私も同じ体験したら、そうするかもしれません。もしくは、絶望して、途中で命を投げ出してしまったかもしれません。


朝日新聞の地方版(東京)に出ていたので、この記事に目を触れた人はそれほど多くないかもしれません。


それにしても、人間には運命があるのでしょうか?人はよく「人生は、いいこともあれば、悪いこともある。プラスマイナスゼロだよ」と言いますが、これほどまでに不運が続くと、どこに怒りのエネルギーをぶつけていいのか分からないでしょうね。


彼らの話に耳を傾けることしか私にはできません。