然別湖

然別湖に氷の館「コタン村」が今できています。

まさしく氷でできたお店です。バーがあったり、シアターがあったり、なかなかよくできていました。

 

 

見方を変えると問題がなくなる

解剖学者というより今やベストセラー作家の養老孟司さんがNHKのスタジオパークに出ていました。

私も先日読んだ「超バカの壁」に書かれていたことと同じようなことを話していたので可笑しかったのですが、印象に残ったことを書きます。

それはひと言「見方を変えると、問題が問題でなくなる」ということでした。

養老さんによると、仕事とは、世の中のため、世間様のため。だからお勤めという。彼も解剖が仕事だったが、正直、辛かったそうです。「誰が好きでやりますか?」。最初は自分に合った仕事ではない、と思っていたそうですが、そのうち、「自分が変わればいい」「折り合いがつけばいい」と考え方、見方を変えたそうです。

解剖という自分のしている仕事は何の役に立つのかー。「ああでもない、こうでもない」と自分自身に問いかけていくしかなかったそうです。

そのうち、「仕事はこっち(自分)のためにあるのではなく、向こう(世間)のためにある」。そう見方を変えることによって、「自分に合っていない仕事を続けるべきかどうか」という迷いを克服したそうです。

「見方を変えると問題が問題でなくなる」

皆さんの抱えている色んな問題も、見方を変えれば、問題でなくなるかもしれませんね。

思考パターン

あなたはネガティブな思考パターンに陥っています。

苦しみや辛いことに目を向ける癖が習慣的についています。

ジャーナリストという職業柄、身につけてしまった思考パターンかもしれません。

苦しみや辛いことにフォーカスしているから、人生が辛い悲しいものになってしまっているのです。それは、被害者意識からきています。
被害者意識でいると、更なる苦しみを招きます。
自分自身を許していないからです。

人生の中で、人は何かを選択して生きています。
テレビのチャンネルを選んでいるようなものです。いい悪いの話ではありません。

人生は一瞬なのに、そんな辛い過去だけにしがみついていることはないのです。

しかし、人生はそれほど長くないのです。

例えば、コップの中に大好きなお酒が半分入っているとします。
これを「もう半分しかない」と悔しがるか、「まだ半分もあるのか」と喜ぶか。その程度の違いです。

つまり、どういう観念を持つかなのです。

だから「苦労しなければ幸せにならない」と思っているのも間違いなのです。
楽をしながら幸せになった人もいっぱいいます。
好きなことをしているから、どんなことでも辛いとは思わないからです。

「人生は辛い苦しいものだ」という思考パターンが、その人の人生を作ってしまうのです。「生きることは苦しいものだ」「人生は苦とみつけたり」といった思考パターンから抜け出さない限り、負の連鎖から抜け出すことはできません。

そうでなければ、10代や20代の若さで何の苦労もなく、成功してしまう人がいることをとても説明できません。10代や20代の苦労など、40代、50代の苦労と比べれば高が知れています。

ユリウス・カエサルの言う通り「人は見たいものしか見ない」のです。

これを援用すれば、人はなりたいものしかなれないのです。

如是我聞⑩

あなたは、被害者になりたがっているだけです。
被害者でいたいだけなのです。
そう望んでいるから、今のような状態が続いているのです。

そもそも被害者も加害者もいないのです。

人は自分を幸せにすることだけに責任があるのです。
なぜなら自分が幸せでなければ、人を幸せにすることができないからです。

人を幸せにしようと思うのではなく、自分が幸せであれば、愛が溢れ、周りを幸せにすることができるのです。

自分を許していない人は、いい人になろうとして補償行為をしたり、被害者であろうとしたりしてしまうのです。「おまえのせいで俺はこうなったのだ」という被害者になることで、人を怨み、復讐を遂げようとするのです。

いい人間であろうという証明のためだけにエネルギーが使われ、結局、疲れ果ててしまうのです。

人を許していないということは、深いところで自分自身を許していないのです。自分自身を許していないと、周囲のせいにします。世間が悪いとか、会社が悪いとか、学校が悪いとか、親が悪いとか、大人が悪いとか、子供が悪いとか、いろいろ理由をつけて、責任を転嫁します。

自分が幸せなら、池に投げた小石の波紋が広がるように、周囲に幸せが広がっていきます。エネルギーの奪い合いにはならないのです。賞賛されたいとか認めてもらいたいとか、自分の外の世界に目を向けることなく、自分の内面を見つめることになるのです。

自分は一体、何をやりたいのか。
自分は一体、何のために生まれてきたのか。

―自ずと分かってきます。

自分を満たすということは何のか。そこから始まります。
それは、実に単純です。
自分のしたいことをすることです。
自分のしたいことをすることを許すことです。
自分自身を喜ばしてあげることです。
そうすれば、世の中のせいだとか、社会のせいだとか思わなくなります。

だからこそ、人は自分を幸せにすること以外に責任はないのです。

天からのメッセージ

一昨日、このブログに書いた東京に住む友人の話の続きです。

彼は、夫婦喧嘩した夜、悶々として眠られず、気も錯乱状態になったということを書きました。

そして、寝床に入って半仮睡状態の時に、どこからか彼の所にメッセージが届きました。

「流れにまかせなさい」
「えっ?」と彼が聞き返すと、再び、「流れにまかせなさい」というメッセージが降りてきたというのです。

ここまでは一昨日書いた通りです。

彼は、このメッセージは単なる偶然か錯覚だと思ったそうです。

しかし、翌日も、同じように半仮睡状態の時に、メッセージが降りてきました。

それは、「嵐は過ぎ去る」というものでした。
彼は、このメッセージを聞いて安心して眠りに陥りました。

それでも、朝起きて、やはり、あれは偶然か錯覚だと思ったそうです。

しかし、その夜もまた、同じようなメッセージが降りてきました。

それは、「もう苦しまなくていいよ」でした。

これで、もう3日連続です。
ついに彼も、メッセージが偶然か錯覚だとは思わなくなりました。

苦しんで苦しんでもがいている時に、降って湧いてきたメッセージです。
彼は、「誰が何と言おうと、科学で証明できなくても、実在した本物」だと、私に真顔で話してくれました。

「超バカの壁」

公開日時: 2006年2月26日 @ 22:19

目下、ベストセラートップを行く養老孟司の「超バカの壁」を読了しました。「バカの壁」「死の壁」も読んだので、随分期待して読みました。

養老氏は1937年生まれですから、終戦時は8歳。彼は言います。「小学校2年生の時に空から焼夷弾が落ちてきて逃げ回った世代。だから私には戦争責任はない」。来年70歳になる人が言うぐらいですから、国民の7割以上が戦後生まれになった現在、ほとんどの日本人に戦争責任はないことになります。

彼は、戦後民主主義教育を受けた第1世代に当たるのでしょう。戦後、初めて教科書に向かった時、最初に行ったことが、戦前の「悪しき教育」に墨を塗ることだったそうです。
彼は、「読者にとって気に入らないことは、どんどん墨を塗っても構わない」といいます。

そこで、私は気に入らなかったことを記します。56ページにあります。

「恋愛というのは病気です。もしくはテロみたいなものだと言っていいでしょう。その最中は本当に一生懸命です。他のことは一切構わず、自分の見方でしか見ていない。しかも自分がそういう状況になっていること自体に反省がない」

恋愛をテロみたいなもの、というのは如何なものか。さっちゃんは怒るだろうなあと思いました。

私がこの本で一番収穫があったのは次の一節です。102ページから103ページにかけてです。

「人間がよく陥るのは、自分が正しくないといられないという過ちです。要するに自分が負い目を感じていたくない。自分が潔白でありたいというのが、結構日本人に根強い感覚です。/初めから人間は罪を背負っているもである、気がついていなくても何らかの罪を背負っている、ということを意識していない。腹に一物もないということは、いいことだと思っている人が多い。そういう後ろめたさとずっと暮らしていく、付き合っていくというのが大人なのです」

このことは私に、当てはまりました。これからは、腹に一物を持って、後ろめたさを隠して、嫌味に生きていこうかと思いました。

レット・イット・ビー

「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」とよく言われますが、東京に住む友人から「離婚問題」の相談を受けました。

彼らはもう20年以上結婚しているので、いわゆる「熟年離婚」の部類でしょう。

彼は、昨年、父親を亡くしました。父親は、その数年前から体調がおかしくなり、半年前にはついに寝たきりになり、入院して2ヶ月して帰らぬ人になったそうです。

自分の父親がおかしくなったことと並行して、妻との関係もおかしくなったそうです。

20年前に子供が小さかった時、「あなたは育児を少しも手伝わなかった」とか、「舅と姑にいびられた」とか、「兄嫁は裏と表があって、本当にひどい人だ」とか、そういった類の悪口ばかりを散々聞かされたというのです。

友人は、本当に頭を抱えてしまいました。夫婦関係も冷え切っていたし、このまま別れたらどんなにか楽か、と思ったそうです。

ただ、彼が気になるのは、大学の薬学部に進学してお金がかかる長女と大学受験を控えた高校生の次女のことでした。

それでも、妻は、益々、怒りを募らせます。「実家から香典を3万円も送ったのに、電話が1本もない。香典返しは送ってきたが、印刷状だけで、肉筆の『一言』が何も書いていない。あまりにも事務的過ぎるのではないか」と詰め寄ってきたそうです。

彼はその晩、悶々として眠れなかったそうです。

離婚の確率は五分五分だなあ、という思いが押し寄せてきました。

その時、不思議なメッセージが頭に過ぎりました。

「流れに任せなさい」

神の声かと思いましたが、ふと、どこかで聞いたような声だなあ、と友人は思ったそうです。

「そうかあ」。友人は思い当たりました。

それは、昨年亡くなった彼の父親の声だったのです。

「流れに任せなさい」

その声を聞いて、友人はやっと眠りにつくことができました。

千住真理子のコンサートで本を売る

音更町文化センターで開かれた千住真理子コンサートで、生まれて初めて本を販売する体験をしました。

全く初めての経験ですので、一体、何冊売れるのかさっぱり分からない。果たして一冊も売れないのではないか、という心配もありました。

会場の大ホールは満員だと1500人くらい入れます。

で、結局、本部から送ってきたのは、160冊。

「50冊も売れれば大成功かな」と思っていたのですが、結局、何冊売れたと思いますか?

全部で38冊でした。

一冊税抜きで1600円で販売したので、総額6万800円の売り上げでした。

これに、会場の手数料が総売上の5%だったので、3040円を支払いました。

臨時バイト代が5000円。タクシー代が往復3460円。

差し引き4万9300円。

あと、本の在庫の返送の宅急便代を差し引くと、純売り上げが4万円というところでしょうか。

結局、儲かったのか、儲からなかったのか、さっぱり分かりませんでした。

それでも、大変面白い貴重な体験をすることができました。

音更町文化センターは生まれて初めて行ったのですが、「売り子」として立っていると、「道」を聞かれます。「事務所はどこですか」「自販機はどこですか」といった類です。

わかるわけないっしょ!

コンサートが終わった後、千住真理子さんのサイン会がありました。

ここで、一気に15冊ほど売ることができたのです。それまで、真向かいのCDは売れているのに、本はさっぱり売れなかったのです。

「本を買って、千住さんにサインしてもらいましょう」と呼びかけると殺到するように売れました。

本当に貴重な体験だったと思います。人間、ほとんど物を買う立場なのですが、一生に一回、売る立場になると、コペルニクス的転回を味わうことができます。

それは、案外、「お客さんの顔を忘れない」ということでした。

皆さん、有難う!

もちろん、後から千住さんからも感謝されました。

今日は良い仕事をしました。

鈴木秀子著「在(いま)すがごとく死者は語る」

公開日時: 2006年2月22日 @ 21:31

鈴木秀子「在(いま)すがごとく死者を語る」(クレスト社)には不可思議な話がいっぱい詰まっています。

例えば、交通事故で右腕を失った人がいまだに右腕が痛んだり、雪山で遭難しそうになった人が、今は亡きシトー会の修道院の僧に導かれて命が助かったり、とても現実には起こりそうもないような話が展開されます。まさしく科学では割り切れない、不可知な超常現象に近いのかもしれませんが、実際に起きたことのようです。

著者の鈴木先生は「あとがき」にこう書いてあります。

あなたは大宇宙の中で、他の人と代わることのできない、かけがえのない大切な存在です。

この世の使命は、愛を深めて成長することであり、互いに許しあい、互いに生かし合うことです。この世では、慈悲と愛によって成長するための叡智が最も大切です。

自治体経営

今日は関東学院大学の大住荘四郎教授に帯広市役所で講演してもらいました。

景気低迷、少子高齢化などで、地方自治体も崩壊の危機にさらされています。
そこで、導入されたのが「自治体経営」理論です。

しかし、まだ、思想の域を出ていません。

企業なら経済効率の論理で、儲かる部門が優先されます。

しかし、地方公共団体の場合、例えば、障害者や高齢者に対する福祉が儲からないからという市場原理でやっていては、本末転倒になってしまいます。そこが自治体経営の難しいところです。

SWOT分析だの、NPMだの私にとっては耳慣れない言葉が多く、よくわからないところもありましたが、参加者は非常に熱心に聞き入って質問していました。それだけ、自治体経営も必死で、「背水の陣」の状態なのでしょう。

今日は朝の10時から夜の9時までみっちり充実した時間を持つことができました。