私は会津の味方です

会津 赤べこ

  昨日のブログの最後で「はっきり言って、私は会津の味方です。幕末の会津の悲劇を知っていますからね。」と書いたところ、永夢さんというハンドルネームの方から、猛烈な抗議なのか、皮肉なのか、よく分からないコメントを頂きました。

 会津の歴史は、誰でも知っています。あんな上から見下ろす書き方をする以上、柴五郎も既知のことでしょうね。念のため聞きますよ。

 あらま。この方、あまり渓流斎日乗の熱心な読者さんではなさそうですね。柴五郎さんは当然のことながら、このブログでは何度も何度も「会津の悲劇」を取り上げているからです。

 その証拠が、

 「会津藩の悲劇―筆舌に尽くしがたい

 「近代化を進めた幕府

『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』は人類必読書ではないでせうか

 「『斗南藩ー泣血の記ー』(東奥日報社)を読んで

 「『慶喜が敵前逃亡しなければ』『孝明天皇が急死しなければ』『錦の御旗が偽造されなければ』=松田修一著「斗南藩ー泣血の記ー

 他にも多々ありまする。このブログ内のサイトで検索すると沢山出てきます。

 そのような趣旨で永夢さんにお応えしたところ、こんな返信が返ってきました。

銀座「宮下」 豚肩ロース定食 le prix est secret

 ブログの書籍の写真を見て、翁が何回も言及されていた事を思い出しました。俺は詳しいぞ!との主張も理解します。ところで、ランチ写真はヤッパリ良いですね。あの効果で、長文のブログも、斜め読みする気持になります。

 な、な、何なんだ、この人!ランチの写真ばっかり見て、斜め読みしているから、駄目なんですよ!

 そもそも、私は、「上から見下ろす書き方」をしてるつもりはありませんし、「俺は詳しいぞ!」なんて主張なんかしていません。むしろ、私自身が不勉強で知らなくて、「へー、そういうことだったのか」と備忘録のつもりで書いているのです。

 その証拠に自分が書いたことでも、すっかり書いたことすら忘れていますから(笑)。

  先日、テレビ番組で「鹿鳴館の華」と呼ばれた大山捨松(元老大山巌公爵の妻)を特集していました。明治4年に、12歳で新政府の米国留学女学生として、後に津田塾大を創設した津田うめらと一緒に渡米した話は詳しくやってましたが、捨松が、会津藩の白虎隊出身で、東京帝大総長などを歴任した山川健次郎の妹であることは、一言も触れませんでした。これを見て、少し、憤慨したので、それだけ、私が会津ファンだと御理解頂ければ幸甚です。

 ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)の言葉に、こんな有名な一文があります。

 人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。

 この伝でいけば、ブログの作者の意図とは関係なく、ヒトは自分の読みたいと欲するようにしか読まない、ということになるのでしょうね(笑)。

繋がった、何が? パソコンとプリンターが

会津の赤べこ 2750円(今注文しても納期は3月になるそうです!来年は丑年だったんだ!)

 嬉しいーー! 最近にない珍しい嬉しさです(笑)。

 やっと、パソコンとプリンターが繋がったのです。ここ1週間以上ずーっと格闘していても全く繋がらず、いつも「ドライバーやソフトウエアの情報を取得できませんでした。ネットワークの接続を確認し、再度実行してください」と表示が出てくるばかり。もう何十回もこの表示で阻まれたことか! これでは、パソコンが悪いのか、プリンターが悪いのか、Wi-Fiなどのネット環境が悪いのか、さっぱり分からないではありませんか!

 幸い、会社の後輩さんに私と同じD社のパソコンをお持ちの方がいたので、試してもらったら、彼のパソコンは何の支障もなく、すんなり、繋がったのです。それなら、小生のパソコンでも繋がるはずだ、ということで、会社に自分のパソコンを持って行って、彼に操作してもらったら、それでも繋がりません。えっ?どういうこと?じゃ、僕のパソコンのソフトが何か引っ掛かっていて、ドライバーがインストールできないの?。さっぱり分かりません。そこで何度もお世話になっている大御所IT博士の志田氏に、申し訳ないと思いつつ、また、問い合わせてみましたが、「うーん、それだけの説明では分からないなあ…云々」と匙を投げられてしまいました。

 最後の手段は、プリンターのC社に直接問い合わせることです。最初はメールで問い合わせてみましたが、送信した後、注意書きを見たら「大変混んでおりますので、お答えは来年正月明けになるかもしれません」と書かれていたので、そこまで待てません。仕方ないので、電話してみました。勿論、混雑していて、なかなか出てくれません。20分ぐらい待たされました。何で、こういう問い合わせ番号は、「050」の有料なんでしょうかねえ?電話が繋がらない間中、AIは「長らくお待たせてしています。この状態でも、電話料金は掛かります」といったメッセージを繰り返しています。

 いい加減、諦めかけたところ、やっと繋がりました。40代以降の落ち着いた声の女性でした。この方、仕事なのか、めっちゃくちゃ詳しい。当たり前か?(笑)。「ああして」「こうして」と手取り足取り指示してくれて、見事、パソコンとプリンターの接続に成功しました。

 何てことない。原因は、結局、Wi-Fi環境のせいでした。それに合ったドライバーか何かをインストールし直したら、うまく行ったのです。細かい話ですが、普段、O社のモバイルWi-Fiを使っているのですが、あんなこんなで、月の通信量を使い切ってしまったので、R社の携帯モバイルのテザリングでパソコンを使っていたのでした。プリンターと接続するためには、プリンターもR社のテザリングWi-Fiから接続しなければ、パソコンとプリンターは同期しなかったわけです。

会津「赤べこ」

 一昨日は、このブログで「最近ツイてなくて、落ち込んでいます」と愚痴ばかり連ねましたが、一山、二山越えた感じで、これで「生きていてよかった」と大袈裟に思いました。皆さまには御心配お掛け致しました。

 確かに最近、ツイていないんです。昨夕は会社から帰宅する際、電車が人身事故で40分も遅れ、車内は「過去最多」のコロナ禍だというのに満員御礼。昨日は、会社に自分のパソコンを持って行ったので、立ったまま荷物が重くてしょうがない。混んでいて網棚が遠くて載せられないのです。「何でこんな日に…」と呪詛してしまいました。(すみません。コロナ禍による社会情勢を重く考えていない個人的感想です)

 良い話もありました。蜜柑のお返しに北海道のお菓子を通販で送った九州の叔母さんからは、12日目にして、やっと「届きました」との連絡があったのです。恐らく、北海道から九州まで、筏を使って地球1周して運んだことでしょう。

 【追記】

 会津の「赤べこ」の写真をブログに掲載したことで、久しぶりに小学校以来の旧友の吟さんとお話できました。彼女は10年ほど会津若松などに暮らしていたことがあり、懐かしかったようでした。それ以外、茲では書けない(笑)色んなプライベートなことをお伺いしました。

 はっきり言って、私は会津の味方です。幕末の会津の悲劇を知っていますからね。

何故、日本人は勤勉で不安を感じやすいのか=中野信子著「シャーデンフロイデ」を読んで

 銀座「バルネア」 パエリヤ サラダ付 1000円

 最近どうもツイていなくて、ほんの少し落ち込んでいます。

 まあ、そう大した話でもないんです。

 例えば、九州の叔母さんから蜜柑が送られてきたので、そのお返しに通販で北海道の御菓子を送ったところ、10日も経ったというのに先方から御返事がない。「届きましたか?」と聞くのも変ですし、モヤモヤしてしまいます。たかが、御菓子で1週間も2週間も掛かるんでしょうか?

 もう一つ、やっとパソコンのプリンターを購入し、1週間前に届きましたが、無線LAN方式になっていて、どうしても、パソコンとプリンターが繋がりません。幸い、スマートフォンはアプリを入れて、どうにか繋がりましたが、やはり、パソコンでなくては意味がありません。これも、原因が分からず、モヤモヤしてしまいます。

 あとは、目の前でバスや電車に乗り遅れるとか、期待して初めて食べに行った銀座のランチが美味しくなかった、とか、まあ「軽症」の不運でしたが、私にとって重症の不運もありました。

 3年程前に、変動金利型10年満期の個人国債を購入したのですが、金利があまりにも低いし、1年経てば中途解約できるので、先日、思い切って解約したところ、何と、約5000円も損失額を出して返金されました。「元本保証」だったはずなのにどういうことだ!!

 調べてみたら、中途換金の場合、元本+経過利子相当額-中途換金調整額で「払戻金」が計算され、財務省のホームページにも「元本割れしないから安心」なんて書いてますが、嘘こけー!ですよ。実際は、中途解約金とか手数料とか証券会社から差し引かれるので、前述通りマイナスになってしまいました。これは私が実体験したので、本当の話です。やはり、自分は投資家に向いていないと思ってしまいました。(21日に発表された2021年度予算案は106兆円で、そのうち借金に当たる国債発行額は43兆超円で歳入の40.9%にも上るとか。日本は大丈夫かなあ?)

会津の赤べこ、ついに買っちゃいました

 まあ、こんな調子で少し落ち込んでしまっているわけですが、いわば、軽い「不安神経症」だと思われます。何で、日本人にこのような症状を持つ人が多いのかと思いましたら、ちゃんと脳科学的に説明できるんですね。

  先日、このブログで中野信子著「サイコパス」(文春新書)を取り上げましたが、同じ著者が書いた「シャーデンフロイデ」(幻冬舎新書、2018年1月20日初版)が一番良かった、と旧友の森川さんが薦めてくれたので、読んでみました。確かに、こちらも実に面白い。シャーデンフロイデ Schadenfrreude とはドイツ語で、シャーデンとは「損害、毒」、フロイデとは「喜び」という意味だそうです。そう言えば、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」は、An die Freude ( アン・ディー・フロイデ)でしたね。

 シャーデンフロイデには、「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンという物質が大きく関わっています。例えば、困った人を助けたりすると快楽ホルモンのオキシトシンが分泌される一方、人に対する嫉妬や妬み、組織や社会の輪を乱す者に対する制裁心や、別に関係もないのに有名人の不倫を叩いたり、自警団のような過剰な正義感などもオキシトシンと関係があるといいます。つまり、喜びと害毒の両極端の感情を作用するわけです。

 本書の中で、一番興味深かったのは、なぜ、日本人は正義感が強くて真面目で、規律正しく、大人しく全体行動に従う人が多いのか、といった分析でした。まず、日本は古代から稲作農業が中心で、米作りには集団による協同作業が必要になります。こうした向社会性が強い場では、個性が重んじられる合理主義より集団の意思決定が尊重されます。つまり、異分子は排除され、反集団的な人の遺伝子は絶えたということなのでしょう。

 もう一つ、日本は世界的に災害大国だということです。地球全体の総面積のわずか0.28%しかない日本列島で、マグニチュード6以上の大地震の約2割も起き、災害被害総額も世界の約2割も占めているというのです。こういった土地で生き延びて繁殖するためには、助け合いや集団行動が不可避になっていくわけです。

 また、日本人には不安を感じにくくする物質セロトニンが少ないため、不安を抱きやすいという説があります。脳内でセロトニンを合成する部位におけるタンパク質の密度が低いSS型とSL型を持っている日本人は98%もいるといいます。密度が低いと物事をいい加減に考えることができず、事前に準備をする勤勉なタイプが多いということになります。逆に密度が高いLL型は、まあ、無鉄砲で果敢にリスクを取るタイプでしょう。こちらは、日本人の2%だといいます。サイコパスが人口の1%だと言われていますから、本書には書いていませんが、恐らく、日本人のサイコパスは、この2%の密度が高いLL型の中に入ると思われます。

 日本人の98%が勤勉タイプだとしたら、自然災害が多い日本では、セロトニンが少ない方が生き延びやすかった、つまり、不安で心配性の方が予防策を講じられて有利になったことから、そういうタイプの人が生き延びて遺伝子が残ったと考えられるというのです。一方、米国人にセロトニンが多い人が見受けられるのは、リスクを取ってでも新大陸に向かう不安を感じにくいタイプの人が生き延びたためだといいます。

 面白いですね。私自身が不安を感じやすいこと、大きなリスクを取ってでも投資したいと思わないことが、見事証明されたような感じです。つまり、私自身、セロトニンが少ない日本人の典型だったということになります。

 となると、人の性格や人格など、何でも、遺伝子のせいにすることができるかもしれません。所詮、人間だって、単なる生物です。「俺のせいじゃない。DNAのせいだ」と。-ここまでくると、脳科学は免罪符みたいに感じますね(笑)。

 

名こそ惜けれ=戦国武将の死生観

最近、どうも個人的な関心が「戦国時代」づいています。日本の歴史の中で、戦国時代を知らなければ、江戸時代のことが分からないし、江戸時代のことを知らなければ、現代も分からない、とこじつけみたいな話ですが、戦国時代のことを知ると、何か、日本史の舞台裏と政略結婚による人脈が分かるような気がして、爽快な気分になれるのです。

 ということで、また「歴史人」(KKベストセラーズ)1月号を買ってしまいました。「戦国武将の死生観」を特集していたからです。いつも死と隣り合わせで生きてきた戦国武将の遺言状や辞世の句などが載っていますが、不運にも討ち死にしたり、処刑されたりする武将がいる一方、当時としては恐るべき長生きした武将もいたりするので、大変興味深かったです。

 最初に「戦国大名 長寿ランキング」を御紹介すると、1位が真田信之の93歳、2位が島津義弘の85歳、3位が尼子経久と宇喜多秀家の84歳、5位が細川忠興の83歳…となっています。各武将、色んな逸話がありますが、1位の真田信之は、有名な真田幸村のお兄さんです。関ケ原では、真田昌幸・信繁(幸村)親子が西軍についたのに対して、信之は徳川方の東軍について、戦後、父昌幸の上田城を与えられ、元の沼田城主と合わせて6万8000石の大名になった人です。当時としては信じられないほど長寿である数えの93歳まで生きましたが、30代から病気がちの人だったらしいですね。

 真田藩は元和8年に上田から松代に移封されますが、幕末にこの藩から佐久間象山を輩出します。

 3位の宇喜多秀家は84歳で亡くなりますが、後半の約50年間は八丈島で過ごし、そこで亡くなっています。備前・美作の大名で、豊臣秀吉の五大老にまで昇り詰め、関ケ原の戦いでは西軍に属して敗退し、島流しになったわけです。前田利家の娘を娶ったことから、島流しの間は、密かに前田藩からの援助があったと言われています。勿論、皆さん御存知の話ですが。

 また、「戦国武将の滅びの美学ランキング」で、1位を獲得したのは松永久秀です。以前なら、主君三好氏に反逆し、将軍足利義輝を殺害し、東大寺大仏殿を焼き打ちした極悪非道の、下克上の典型的な悪人のイメージがありましたが、最近では、随分見直されてきたようです。将軍義輝暗殺事件の際は、久秀は大和の国におり、直接関与せず、大仏殿の焼失は三好方の放火だったいう説が有力になってきたからです。

 久秀の最期は、天下一と称された「平蜘蛛の茶釜」とともに信貴山城で、織田軍に抵抗して爆死したと言われますが、茶器、刀剣、書画などの目利きという一流の文化人でもありました。いつか、彼が築城した多聞城趾に行きたくなりました。

 戦国時代の「天下分け目」の最大の合戦は、関ケ原の戦いですが、盟友石田三成に殉じて自害した大谷吉継の逸話が印象的です。西軍に属していた小早川秀秋らの裏切りで、吉継軍は壊滅しますが、吉継は自害するときに「(小早川秀秋は)人面獣心なり。三年の間に必ずや祟りをなさん」と秀秋の陣に向かって叫び、切腹したといいます。

 小早川秀秋は、秀吉の正室ねね(北政所、高台院)の兄木下家定の息子、つまり甥に当たる人物で、毛利元就の三兄弟の三男小早川隆景に後嗣がいなかったため、その養子になった人でした。秀秋は関ケ原の戦いの2年後に21歳の若さで急死したので、「大谷刑部の祟り」と噂されたのでした。

 勿論、皆さま御存知の話でしたが、この本にはまだまだ沢山色んな話が出てきます。山崎の戦いで秀吉軍に敗れた明智光秀が、近江の坂本城に戻ろうと逃げた際に残った従者に溝尾茂朝(みぞお・しげとも)や進士貞連(しんじ・さだつら)らの名前が出てきて、随分、マニアックながら、私なんか「武士は死して名を残す、というが凄いなあ」と思ってしまいました。

 あまりにも戦国武将の逸話を読み過ぎると、「中学時代の友達だった南部君は、南部藩主の末裔だったのかなあ?」とか、「古田って、あの古田織部の子孫かな?」「立花さんは、立花宗茂の子孫かなあ?」なぞと、勘繰りたくなってしまいました(笑)。

 豊臣秀吉の一族は、大坂の陣で滅亡したことになってますが、織田信長の一族は現代にも子孫は続いてます。何しろ信長には11人(12人説も)男子がいました。信長の嫡男信忠は、本能寺の変の際に討ち死にしましたが、信長の弟の長益(有楽斎)や二男信雄らの子孫は生き残り丹波柏原藩主などになりました。

 そう言えば、元フィギュアスケート選手の織田信成さんは直系の子孫ともいわれています。

 当然の話ながら、遠い遥かな戦国時代が現代と繋がっています。

【追記】

 19日のNHKの番組で、「関ヶ原の戦い」の新発見をやってました。空撮による最新技術で赤色立体地図を作成したところ、本丸が一辺260メートルもある巨大な山城「玉城」が山中(地名)に発見されたのです。恐らく、ここが西軍の本陣の陣城で、豊臣秀頼か総大将の毛利輝元の数万の部隊を配置する目論見だったらしいことが分かりました。文献に出てこないのは、勝った徳川側からしか関ヶ原の戦いが描かれていないからでした。

 当時、8歳の秀頼は、母親の淀殿と秀吉の正室の北政所の庇護下にあり、淀殿も北政所も必ずしも西軍や石田三成側に立っていたわけではなかったようでした。だから、寝返った小早川秀秋も、調略を進めていた東軍の黒田長政も、北政所から養育され、北政所だけに忠誠心があったため、小早川が寝返ったのは、北政所の意向に沿ったことが真相のようでした。新説です。

毛利輝元は、関ケ原の戦いのどさくさに紛れて、九州、四国に領土拡大を図り、大坂城から一歩も動かず。南宮山に陣取った輝元の養子の毛利秀元も、徳川軍勢を見過ごすなど最初から西軍のために戦う気がないような怪しい動きばかりしていました。

 毛利と島津義弘が真面目に戦い、淀殿と北政所が西軍に協力的だったら、必ず西軍が勝っていた戦いでした。

 これだから歴史は面白い。

仏マクロン大統領もCovid-19に感染=ランチはゆったりとした店で

 昨日17日はフランスのマクロン大統領が新型コロナウイルスに感染(陽性)したというニュースEmmanuel Macron a été déclaré positif au Covid-19 が世界中を駆け巡りました。米国トランプ大統領、英国ジョンソン首相、ブラジル・ボルソナロ大統領ら世界の最高指導者が次々と感染しましたが、「フランスよ、お前もか」といった感じです。

 ルモンドなどの現地仏紙は、マクロン大統領は16日夜に、与党幹部ら10人ほどをエリゼ宮に招いて夕食を伴にしていたことを一斉に報道しました。政府は、国民に対して、会食人数は6人を超えないよう呼びかけ、おまけに夜間外出禁止令までが出していたので、野党からは「警察は何をしているんだ」と糾弾の声が上がったらしいですね。

 そう言えば、我が極東の国でも最高指導者が、銀座の超高級ステーキハウスで7人で会食したことが発覚して陳謝したばかり。まさか、マクロンさんは菅さんの真似をしたわけじゃないでしょうが、随分、世界が狭くなった感じがします。

 情報が本当に瞬時に伝わってしまうからです。

 ということで、政治嫌いの渓流斎は、「孤独のグルメ」ですから、本日も銀座ランチ行脚です。

 「京町しずく」という店にしました。銀座インズ1の2階にあります。夜の居酒屋がメインでしょうが、ランチもやってました。全室個室というので落ち着けます。

 ほんの少し、高級感がありますが、値段は驚くほど大衆並みなので、得した気分になれます。

ヒレカツ御膳 御飯は大盛でーす

 どれも美味しそうで、メニュー選びに迷ってしまいましたが、週替わりの「ヒレカツ御膳」にしました。

 おかずが五品もあり、コーヒーも付いて、1000円(税込み)ですから、リーズナブルです。ちょっと近くの三省堂で買い物があったので、ゆっくりできませんでしたが、時間があれば、ゆったりとくつろげます。何しろ、個室になっていますからね。

 愚生自身、もう最近、すっかり縁遠くなってしまいましたが、アベック向きの店かもしれません。アベック? 死語ですか? カップルでした!年齢がバレてしまいますね(笑)。

コロナ禍に5人以上で会食した菅首相が陳謝=銀座のステーキ店で

銀座「博多なぎの木」の鯵の開き定食 950円

 「首相動静」の12月14日(月)にこんな記述が見られます。

 午後8時50分、東京・銀座のステーキ店「銀座ひらやま」着。自民党の二階俊博幹事長、林幹雄幹事長代理、プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長、俳優の杉良太郎氏、政治評論家の森田実氏らと会食。

 これが大問題になりました。この会食は、「Go Toトラベル」事業を28日から来年1月11日まで全国一斉に一時停止すると発表した直後のことで、会食参加者は7人。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会も、感染拡大を防ぐため会食人数は「5人以下が望ましい」と訴えていたからです。

 「首相の一日」を代表して張り付いて取材する通信社の番記者の「動静」には書かれていませんでしたが、毎日新聞によると、参加者7人の残りの一人は、タレントのみのもんた氏(76)だったようです。通信社の「動静」は何で、みのさんのような有名人を省いたのでしょうか?分かりません。いずれにせよ、参加者は、感染した場合の重症化リスクが高い70代以上でした。

 コロナ禍の御時勢ですから、率先垂範して、忘年会を自粛すべき立場である菅首相も、さすがに観念したのか、16日、官邸での政治記者の「ぶらさがり」に応えて、「国民の誤解を招くという意味で、真摯に反省している」と陳謝しました。素直に謝罪したことには、国民としても驚きましたけどね。

「銀座ひらやま」会社から近いので見に行ってきました。新橋演舞場の真ん前。敷居が高く中には入れましぇ~ん

 それ以上に、「偶然の一致」で驚いたのが、会食した場所である東京・銀座のステーキ店「銀座ひらやま」のことです。この渓流斎ブログの12月4日の記事「ランチで2~3万円はとても、とても=『銀座百点』12月号を読んで」で取り上げたばかりだったからです。

 この記事では、作曲家三枝成彰さんの銀座の贔屓のお店のことについて触れ、こう書きました。

 新橋演舞場近くにあるステーキ店「ひらやま」は、「肉好きの方には是非一度、行っていただきたい」と三枝先生は仰いますが、ランチが1万5000円~2万円、ディナーは5万円~6万円が相場のようです。

  菅首相さまご一行は、お一人最低5万~6万円のディナーを召しあがっていたと思われます。御飲食代は、官房機密費から出ているでしょうか?失礼、下衆の勘繰りでした。杉良太郎さんは「(世界の王さんを交えて)野球談議に花を咲かせた」とか仰ってましたが、事実上、政権を運営している二階幹事長が出席しているわけですから、それだけじゃないはずです。まあ、またもや下衆の勘繰りはやめておきましょう。

 全盛期には、テレビのレギュラー番組が16本、推定年収6億円を誇っていたみのもんた氏は、最近、パーキンソン病を患っていることを公にしたり、週刊誌には「40歳年下の”介護恋人”との“老いらくの恋”、彼女に贈与した1.5億円マンション」などと書かれたりしてましたが、お元気な御様子。そうじゃなければ、忘年会に参加できませんからね。

 私自身は、自警団のように、5人以上で会食した菅首相を非難する気になれませんが、人選というか、参加者の組み合わせには意外に感じました。

時の首相は政権トップの器ではないのでは?=「孤独のグルメ」に敬意を表して銀座ランチ巡り

銀座 スペイン料理「ロボス」 イベリコ豚のグリル 1000円

  もう破れかぶれ気味です。

 今の、時の政権といいますか、菅義偉首相は、どうも為政者トップの器ではないように見受けられます。聞こえてくるのは「官僚の書いた作文の棒読み」とか、「二階(幹事長)政権の操り人形」とか、「内閣支持率低下に怯えて宗旨変え」とか、ネガティブな噂ばかりです。コロナ禍という有事の宰相として相応しいとは思えず、何か、批判する気にもなれません。

 派閥を持たないガースーさんということで、日本学術会議問題にせよ、融通が効かないというのは、「揺るぎない精神」の持ち主ではなく、周囲の首領(派閥の長)に気を遣い過ぎて、単に、自己判断ができずに硬直しているだけなのかもしれません。いつも目がどんよりしていて、その目が泳いでいる人です。こういった噂は「首相周辺」とやらが政治記者に流しているようですが、「周辺」って、一体誰なんでしょうか?

 かつて、こういったヤバい噂をオフレコで発言する人をマスコミ業界はボカして、「政府首脳によると」とか「政府高官によると」とか書いていましたが、今では「政府首脳=内閣官房長官」「政府高官=事務次官、内閣官房副長官」のことだということがバレバレです。そこで、「政府筋」とか「首相周辺」なんていう新語を生み出したのかしら?(各社まちまちですが、周辺とは公設秘書も入るようです)

 傍から見て、菅首相と加藤官房長官との意思疎通がうまくいっているようにも見えません。邪推かもしれませんが…。

 ということで、政局の話はこれぐらいにして、本日も、渓流斎ブログ、実は「グルメ・ブログ」と揶揄される通り、銀座ランチ巡りの話です。

銀座コリドー街の先、つまり新橋寄りに「裏コリドー」なる商店街が出来ていました

 今年初め辺りから、テレビで「孤独のグルメ」という番組を見るようになりました。原作の漫画は読んだことはありません。俳優の松重豊さん扮する井之頭五郎という輸入雑貨商が、腹が減ったので仕事先の街でお店を見つけてランチする、というそれだけの話です。

 この番組は、再放送か、再々放送か知りませんが、第1シリーズは2012年1月から始まったようで、もう9年前のことですから、主演の松重さんも今のように白髪ではなく、黒髪で実に若い(笑)。取り上げられるお店は、どの店も安くてボリューム満点の和洋中華何でも御座れといった感じです。番組の最後の方で、原作者の久住昌之さんが、その店に実際に訪問して、昼間っから呑んだりしているので、是が非でも行きたくなるお店ばかりです。でも、いざ、実行に移そうと調べてみると、何と、ほとんどのお店が現在、閉店してしまっているのです。

 テレビに取り上げられて大いに宣伝になったはずなのに、です。閉店の理由は、店主の高齢化とか、後継ぎがいない、といった切実なものが多かったようですが、それにしても残念。

 ということで、つまらない政治の話をするより、私も井之頭五郎になったつもりで、職場のある銀座ランチを楽しむことにしたのです。今までは行きつけの同じような店ばかりでした。

 本日行ったのは、「ローマイヤ―」という老舗のドイツ料理店です。創業1921年ということは、大正11年。まあまあ、古いお店です。

 初めて行ったのですが、知る人ぞ知る有名店らしく、こんなコロナ禍の御時勢なのに超満員。前に3人組が店内に立っていて入れず、外で待っていたら、後から来た元気がいい若い女性がつかつか来て、先に店内に入ろうとするので、「おや?」と思ったら、「(おめえごときが)先に入りますか?」と一応声を掛けてくれたので、「はい」ではなく「うん」と言って先に店に入らせてもらいました。

「豚肩ロースの白ワインビネガー煮込み」

注文したのは、本日のランチの「豚肩ロースの白ワインビネガー煮込み」。ライスとスープとコーヒー付きで1100円。本日のランチなので、早いかと思ったら、混んでいたせいか、10分以上待たされました。これで、味が悪かったら、もう二度と…、と思いましたが、これが結構、薄味でいけました。この味と値段なら再訪したいと思いました。

 さすが老舗です。

 ついでながら、昨日行ったランチは、銀座7丁目の「只今」という割烹・小料理屋さんです。看板に「ランチはじめました」とあるので最近始めたと思われます。

 「只今」は「ただいま」と読むのではなく「しこん」と読みます。禅用語で、「今は今しかなく、自分は自分でしかない」という意味なんだそうです。「ただいま」の語源だとか。奥が深いです。

 場所は、ちょっと分かりにくい、路地を入ったマンションのような建物の4階。九州出身の女将さんともう一人女性が給仕してくれます。狭いお店で、席数は15。

 恐る恐る入ったら、男性1人のほか、男女4人の先客がいて、4人は昼間からワインや焼酎を飲んで御機嫌でした。4人とも50代ぐらいの感じでしたが、ゴルフ談義に花が咲いていました。

写真の4種のおばんざいの他にイワシ焼きが付きました 1200円

 ランチは「おばんざいランチ」1種類で、メインディッシュとして「ロールキャベツ」か「肉豆腐」か「本日のお魚料理」のいずれか一つを選びます。私は、魚がイワシだったので、「本日のお魚料理」にしました。

 初めて行く店なので、その店の「作法」を知りませんでしたが、最初におばんざいが出てきて、さあ食べようかな?と思ったら、なかなか御飯とお味噌汁が出てきません。先に食べ終わった男性客を女将さんたちが、わざわざ出口までお見送りしているのです。ランチなのに、そこまでするかな、といった感じです。時計を見ていませんでしたが、おばんざいが運ばれた4分後にやっと御飯と味噌汁が出てきて、その6分後にメインのイワシが出てきた感覚でした。

 でも、さすが割烹だけあって、美味しかったでしたが、ちょっと量が少なかった。お腹が空いている時は、物足りない感じでした。

 

【投稿】泉岳寺参拝記=忠臣蔵外伝

泉岳寺山門 Copyright par Syakusyodou

 皆さん御存知の目赤不動さんです。

 腰が重い渓流斎老師なので、フットワークが自慢の迂生が、討ち入りを終えて涙、涙の義士が主君に報告した12月15日に、東京の泉岳寺を代参致しました。

格差ある義士の墓地、両端に屋根があるのが、大石親子の墓  Copyright par Syakusyodou

 赤穂浪士討ち入りの日の14日ではなかったせいか、墓地は閑散としていて、参拝者は疎らでした。

 迂生にとって、実に27年ぶりの参拝でしたが、気が付いたのは、浄土に旅立ち後にもある格差、身分社会でした。大石内蔵助・主税親子の墓にだけ、覆いの屋根があったのです。

まばらな義士の墓地 Copyright par Syakusyodou

実は、討ち入りの14日は、東京・半蔵門の国立劇場での文楽公演の観劇に行って参りました。

 「仮名手本忠臣蔵」の「二つ玉の段」「身売りの段」「早野勘平腹切の段」がかかっていたからです。

 忠臣蔵の五段目と六段目。稗史伝というか、番外編ともいえますが、通人の間で絶大な人気を誇る「おかると勘平」の物語です。

 渓流斎翁も御案内の通り、赤穂浪士事件を題材にした「仮名手本忠臣蔵」は、全十一段。二代目竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作です。もともと人形浄瑠璃として書かれたもので、寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演されました。最初から歌舞伎の演目だったと誤解している方が多いですが、本家本元の文楽を見ないと話になりません。

 勿論、歌舞伎でも大当たりして、客が不入りの時に、座元が起死回生を図って、「忠臣蔵」をかければ、必ず当たるといわれ、のちに「芝居の独参湯(万能薬の名前)」と呼ばれたことも渓流斎翁御案内の通りです。

萱野三平の墓碑  Copyright par Syakusyodou

「早野勘平腹切の段」を聴きましたので、勘平のモデルとなった萱野三平の墓碑に線香を供えて参りました。

 三平の墓碑前にある茶色の線香の束は、迂生からの忝なくも有難いお心です。

◇◇◇

 有難くも畏くも、目赤不動様からの写真付き投稿、洵に有難う御座いました。ここ半年間、読者の皆さまからの投稿が全くなくなってしまいましたので、尚更、有難みが身に染み入ります。

 目赤不動様らしく、「線香の束は、迂生からの忝なくも有難いお心です」とあからさまに書いてしまう辺りは流石です。

 感服致しました。

コメディアン小松政夫さん逝く=またお手頃の銀座ランチ発見

  コメディアンの小松政夫さん(12月7日、78歳)が亡くなられました。確か、私が中高校生か大学生ぐらいだったでしたか、淀長さんの真似とか、「どーかひとつ」とか「小松の親分さん」とか「しらけ鳥」とか彼独特のギャグネタには大いに笑わされ、楽しませてもらいました。

 今年3月に新型コロナで亡くなった志村けんさんにしろ、コメディアンというのは本当に凄い職業だと思います。この世で、人を怒らせることは簡単ですが、人を笑わせることほど難しいことはないからです。

 そういう意味で、歴史の教科書は為政者の活躍が中心に記述されますが、世の中を明るくして、人類に本当に役立つ仕事をするのは、政治屋よりも、コメディアンの方だと個人的には思っています。

 博多出身の小松さんは腕利きの車のセールスマン時代、セールストークが上手かったらしいですね。植木等の付き人から芸能界にデビューし、本名は松崎雅臣。伝説のお笑い番組「シャボン玉ホリデー」に出演した際、レギュラーの松崎真と名前がダブルので、「小さい方の松崎」という意味で小松と呼ばれ、芸名になったということを今回初めて知りましたが、長い間、本当に御苦労さまでした。

 小さい頃から親しんだ好きなコメディアンがどんどん亡くなっていくので、哀しい限りです。

豚の焼肉御膳 900円

 で、本日も、またもや、書くネタがあまりないので、苦し紛れのランチの話題です。

 銀座のランチだと視聴率が取れるからです(笑)。そんなこと、ありませんよね?

 今日行ったのは、マロニエゲートの12階にある「江戸前肉割烹 宮下」です。ちょっと高そうで、敷居も高そうで、ディナーはそれなりでしょうが、ランチは意外なほど安くて美味しかったでした。

 何と言っても、平日のランチには「ドリンクバー」があり、ウーロン茶もコーヒーも紅茶も「飲み放題」が有難い。こんなことを書くと、お里が知られてしまいますね(笑)。

 今回、月代わりらしいランチ「豚の焼肉御膳」を注文しましたが、珈琲付きで900円というんですから、まさにお手頃でした。

 

見つかった 何が? 金星が

昨日、このブログで、「ネタがなくて困っている」といった趣旨のことを書いたところ、江本さんという篤志家の方が写真を送ってくださいました。

 …早朝というか、夜明け前に仕方なく起きてしまった江本と申します。

 今朝の月は、日本刀並み、否、それよりも鋭くて細い上、すぐ近くに、金星らしきものがありました。ご参考に露出不足の写真を添付致しました。

Venus and moon Copyright par Syakusyodou

 あらま。これで終わりです。

 もう少し、話を膨らませてほしいところですが、貴重な御写真を送ってくださったのですから、無駄にはできません。渓流斎ブログは、「世界最小の双方向性メディア」を自称しておりますから、早速掲載させて頂きます。

 老人の朝は早いとはいえ、この写真は天文学的に言っても、早朝の4時か5時ぐらいかと思われます。ご苦労さまでした。

 これで終わるのも何なので、身辺雑記をー。

 先程、運動のために家の近所を散歩したところ、この秋ぐらいまで駅近に唯一残っていたCDレコード屋さんが、閉店していました。駅近にあった3軒の本屋さんも全て閉店してしまいましたし、街の風景は一変してしまいました。

 書店やレコード屋さんの倒産は、勿論、ネット通販の拡大のせいだと思われますが、もう一つ、新型コロナウイルスの影響もあるのかもしれません。非正規雇用やバイトの人たちは簡単にクビを切られてしまい、可処分所得が激減したことでしょう。

 コロナ不況と言ってもいいんじゃないでしょうか。

 不況とはいえ、株価が上昇し、富裕層は資産を増やし、ユニクロやニトリなどは売り上げを伸ばしています。

 歴史上稀に見る変な不況です。