久しぶりの麹町

ヴェニス

昨晩は、麹町会館の地下1階の「平河」で、後藤さんと、かんき出版の中馬さん、辰巳出版の大西さんと私の4人で、飲み会。おまえは、いつも飲んでいるなあ、と言われれば、その通りかもしれませんね。

かんき出版 http://www.kankidirect.com/info001.php は、光文社の社長だった神吉晴夫さんが1977年に創業した「実用書」専門の出版社です。いわゆるKグループ、音羽派ですね。麹町に本社があります。パソコンの「手にとるようにわかる」シリーズや英会話学校のイーオンと手を組んで出版した「英会話」シリーズがベストセラーになっています。確か、このイーオンの創業者は、今はときめく歌手のアンジェラ・アキのお父さん、と聞いたことがありますが、裏は取っていません。

辰巳出版 http://www.tg-net.co.jp/main.html は、創業40周年。最近、実用書専門の日東書院を買収するなど多角的な総合出版社に変身して、いまや日の出の勢いの出版社です。昔はグラビア誌やパチンコやつり関係の本が多かったのですが、料理や健康といった衣食住の関係の書籍も目立つようになりました。大西さんとは、後藤さんを通してもう15年以上前に知り合ったのですが、今では(確か)専務さんに出世され、雲の上の存在になってしまいました。

特に、何を話したのか、またまた覚えていません。雑談程度でした。

麹町は久しぶりでした。この近くの文藝春秋にはよく行ったものでした。雰囲気のいい店がたくさんあります。麹町会館は、教職員組合の会館で、「助成金」が入っているので、格安でした。お奨めです。麹町会館の向かいに城西国際大学があったり、明治薬科大学の創設地の碑があったりしました。こういうものは、へーと思って立ち止まって眺めてしまいます。

ところで、少し思い出しました。時の総理大臣に絵の手ほどきをしたタレントのK画伯の本が企画されているそうです。来年の1月出版予定。辰巳出版になるか、かんき出版になるか、同時代人として、注目しませう。

友人讃歌

エゾリス(北海道音更町)

貯金も年金も全くなく、目下、無職で、明日はどうやって食べていこうかという余裕もないのに、なけなしのお金を貧しい人に渡してしまう友人がいます。

その一方で、父親の作った会社を継いで、年収が5000万円もあるというのに、寄付どころか、友人に奢ってあげようなどという殊勝(?)な気持ちもなく、年間1000円の会費も惜しんで、逃げ隠れてしまう友人もいます。

そのお金持ちの友人と3年ぶりに会ったのですが、彼と初めて会った高校生の時と比べて、その性格、人生に対する態度、他人に対する接し方などを含めて、全く変わっていないということに気が付きました。

世に「三つ子の魂百まで」と言われますが、その通りなのですね。

3歳といえば、大袈裟ですが、私自身も高校生の頃から、気持ちや趣味や人生観やらは、何ら、あまり、それほど、ほとんど、恐らく全く、変わっていないことを薄々感じています。(この文章の書き方は私の特許です)

例えば、中学、高校生の頃に聴いた音楽などは、骨身に染みていて、それらを聴くと本当に、芯から心が温まる感じがするのです。

例えば、アメリカの「ヴェンチュラ・ハイウエイー」、例えば、ブレッドの「イフ」、そして、ニッティー・グリティー・ダートバンド、ローラ・ニーロ、ロギンズ&メッシーナー、テンイヤーズアフター…まあ、知る人ぞ知る人たちで、恐らく、もうほとんどの人は知らないでしょうが。

年齢(とし)がばるれ話でした。

マイクロソフトの陰謀か?

ヴェニス

私物をほとんど持っていないT君に自分の古いパソコンをあげることにしました。

マイクロソフト98のVAIOです。もうほとんど使っていないので、何かと困っている彼に譲ることにしたのですが、結構大変でした。メールにはぎっしり私信が溜まっていたし、写真や画像もふんだんに残っていました。いちいち処分したり、大切なものはメールで添付送信するしかありませんでした。結構、時間がかかりました。

そういえば、マイクロソフトは今度、「ヴィスタ」とやらを華々しく発売するようですね。そして、「既成路線」通り、現在の主流の「XP」のバックアップも3年後には打ち切るそうですね。「98」はもう既に打ち切ったのでしょうか?

これは、MS社の陰謀ではないでしょうか?3年おきに新製品を買わせるための。

リナックスにしたいなあ、と思っているのですが、パソコンや機械音痴の私にはとても自信がありません。

今使っている「XP」にも、私信や画像がふんだんに詰まっています。人はいつか死んで「永遠」とか「永久保存」などというものは、言葉の綾で、ないものなのですが、今から戦々恐々としています。

と同時に「人生観」も変わりました。手紙がメールに変わっても、物を所有するということは、本当に大変なものです。

この世は、仮の姿と認識するしかないようです。

英語でもこんな諺があります。

You can’t take it with you.

直訳すれば、「あなたと一緒にそれを持っていくことができない」ですが、これだけで、

「死んだら何も持っていけないよ」という戒めの言葉だそうです。

北海道会

ヴェニス

4,5日前に関東地方でも急に寒くなったおかげで、油断していたら風邪気味になってしまいました。

北海道では、マイナス20度の極寒の冬を3回過したので、すっかり体が北海道仕様になったのに、関東地方での寒さにまだ体が慣れていないようです。

昨晩は、銀座コリドー街の「十勝屋」で「北海道会」。北海道を経験した中村さん(札幌)、西村さん(釧路)、杉本君(札幌)、前田君(札幌)、私の5人が集まりました。十勝屋は、帯広の北海道ホテルのシェフをそのまま連れてきたらしいので、味は満点。ほんのちょっと値段が張りますが、店内は満員でした。口コミで知ったのか、若い美しい女性が多いのには驚きました。

話の内容は忘れてしまいました。いいことです。覚えていないということは。ただ、2次会で杉本君が何か気に触らないことがあって、途中で退席してしまいました。

2次会でワインのボトルを2本も空けたせいか、すっかり泥酔してしまい、最終電車で寝過ごして、帰りは大変な目に遭ってしまいました。

 

新聞読者ネット会員になってしまいました

ミラノ・スカラ座

某新聞社の読者ネット会員に、とうとうなってしまいました。ネット会員は、新聞社の「囲い込み」に利用され、世論調査のダシに使われるので、あまり気が進まなかったのですが、「プレゼント」に応募したかったので、つい入ってしまいました。

我ながらセコイと思います。

でも、便利ですよね。本来ならプレゼントに応募しようとしたら、いちいち葉書を買ってきて、住所、氏名など色々と書いて、郵便ポストまで出しに行かなければならないのに、会員になれば、ネットを2,3回クリックすれば、応募は終了してしまいます。

最近、可分所得がめっきり減ってきたので、映画のチケットなど「一攫千金」(セコイ!)を狙って、応募してみようと思います。競争率が上がるから、皆さん、真似しないでください、とは言いません。どうぞ、真似してください。

私も当たったら、このブログで披露しますから、皆さんも当たったら、コメントしてください。どれくらいの確率で当たるのか知りたいのです。

格差社会の現実

ミラノ

 

今日は、父親の1周忌でした。早いものであれから1年過ぎました。月並みですが、あっと言うまでした。

 

所沢聖地霊園で法事を執り行いました。出席者は、母と兄嫁夫婦と甥と姪、姉夫婦と姪、弟夫婦の10人。姉夫婦の甥と弟夫婦の二人の娘は欠席しました。

 

昨日の規制緩和の話の続きです。

 

規制緩和というと、戦後の官僚支配を打破する特効薬と錯覚され、一部の諮問委員の口当たりのいい言葉に惑わされて、バラ色の未来が到来すると多くの日本人は誤解してしまいました。丁度、10年前は旧大蔵省の破廉恥な不祥事が大々的にマスコミで取り上げられて、「こんな奴らに国を任せていては駄目になる」という風潮ができあがったのです。

 

しかし、この規制緩和によって生み出されたものは、過度のコスト競争による賃金・労働条件の悪化、コスト削減による安全性の低下、そして利益優先による公共性の喪失という問題でした。

 

 例えば、所得階層の上位20%と下位20%を比較すると、1970年代はその差は約10倍でした。それが、2002年はその貧富の差は168倍にも広がったのです。 

 

 また、日本の一世帯当たりの年間所得の中央値は476万円なのですが、その半分の238万円以下の所得で生活する貧困層が6・5世帯に1世帯もあるのです。

 

 タクシーの運転手の場合、年収の全国平均は、1992年に378万円でしたのが、2004年には276万円にまで大幅に下がったのです。

 

 最新の統計によりますと、極端なリストラが進んだこの10年で460万人の正社員が失われ、代わって663万人ものパートやアルバイトが増加しました。正社員の平均年収が454万円なので、派遣社員(平均年収204万円)ならその半分、パート(同111万円)ならその4分の1の賃金で労働力が確保できるため、非正社員化に拍車がかかったわけなのです

 

 恐ろしい「格差社会」、貧民と富者との極端な差別化が始まったのです。一度ドロップアウトすると、這い上がることはできません。

まさしく、弱肉強食のジャングルの世界です。

熱田さんを偲ぶ会

 ミラノにて

昨晩は銀座のコリドー街の「HIDORI」で、『熱田さんを偲ぶ会』。

出席したのは、熱田さんの1年後輩だった須本誓子さん、親友でフリーランスライターの綿貫啓子さん、3年後輩で通信会社勤務の大野晶子さん、先輩の岩田亨さんと私の5人。先輩の木田脩さんも出席する予定でしたが、「すっぽかし」。予約していたおかげで、彼の分まで、皆で分担して払わなければならなくなってしまいました。(すべて仮名)

木田さんは、いい加減な人で、いわゆる時間や約束は守らないというか、普通の人よりあまり深刻に考えない人です。何しろ大作家のインタビューを「忘れてしまって」すっぽかした人ですから。ただ、全く作為や悪気がなく「憎めない人」なので、皆から好かれています。世の中、こういう人もいるものです。

昨晩、出席した岩田亨さんもそういう感じの人でした。約束こそ覚えていて、すっぽかしたりはしませんが、話す言葉に実行が伴いません。素晴らしいいい話ばかりしてくれます。先日も道端でばったり会って「臨時収入が入ったから、あなたにはお世話になったから今度ご馳走するよ。こっちから必ず連絡するよ」と言うので、楽しみに待っていたのですが、待てど暮らせど連絡してきません。本人はとっくにそんなことを言ったことを忘れてしまっているのでしょう。ただ「言った」だけで「実行する」とは言わなかっただけの話でした。

今回、彼が出席したのは、私の方から、岩田さんに連絡して来てもらったのです。かつて、熱田さんの上司でもあったからです。でも、すぐに、彼を呼んだことを後悔してしまいました。昨晩は殆ど、彼が一人でしゃべりっぱなしで、「独演会」になってしまったからです。しかも、会社には、ほとんど「無試験」で入社した話や、自分の娘が中高一貫のお嬢様学校に通っていて、忘れ物をすると、父親自らが学校まで届けに行くといった他愛のない、聞きたくもない自慢話ばかりでした。

熱田さんの友人後輩の方々は、皆、一流大学を卒業して海外経験も豊富なバリバリのキャリアウーマンで、「男中心社会」に対して盛んにアンチテーゼの弁舌を振るっておられ、私は黙って聞いているしかありませんでした。

ということで、ずっと聞き役に回ったおかげで、熱田さんのことをあまり話すことができず、何となくフラストレーションが溜まってしまいました。酒席とはいえ、岩田さんと違って、自分の発言したことは、少しは実行を伴わなければいけないと考えてしまったせいかもしれません。

熱田さんの意外な幅広い交友関係を聞くことができましたが、一期一会の会になるでしょう。

T君のこと、その後…

ミラノ

一緒にイタリア旅行をしたT君は、帰国後、三重県の自宅に戻らずに、そのまま東京のゲストハウスに居ついてしまいました。

いわゆる住所不定無職です。前科一犯こそつきませんが、毎日、何をしているのやら、職探しをしているのかと思っておりましたが、そうでもないようで、相変わらず、トイレの中で中国語の発音練習をしたり(怖い!)、イタリア語で曲を作ったりしていたようです。

堪りかねた私は昨晩、彼に事情聴取をしました。場所は、銀座の「はち巻き岡田」という居酒屋です。吉田健一が贔屓にした店で、久保田万太郎、川口松太郎、山口瞳や花柳章太郎、伊志井寛らも通い詰めたお店です。

店に入ると、T君は「昔、入ろうとして、断られた店だね」と言いました。すごい記憶力です。もう4半世紀以上昔の話です。まあ、20代で、こんな店に入ろうとしたなんて、生意気でしたね。お品書きには、値段が明示されていませんでしたが、名物の「粟麩田楽」は本当に美味しかったですね。菊正宗の樽酒を5,6本空けてしまいました。

私は、早速、T君にローマでの行方不明事件を問い糺しました。「雲隠れしただろう?」

すると、どうやら、彼は雲隠れしたわけではなく、本当に、行き違いになって、はぐれてしまったということが分かりました。T君、疑ってすまなかった。

場所を変えて「ルパン」に行きました。ここでもハイボールを5,6杯空けてしまいました。店の奥には太宰治や坂口安吾、織田作之助の写真が飾られ、私も、もう30年近く通い詰めているのに、客の顔と名前を覚えようとしないで放っておいてくれる店です。

そして朗報です。まさしく福音です。

彼に職が見つかったのです。しかも、住む家も。

私の高校時代からの古い古い旧友からの紹介です。「友達の友達は皆友達だ」の世界です。彼らこそが、一緒に人生を歩んでいく、同じ世界の人間です。

ということで、昨日は色々ありました。

お父さんの古い時計

ラオコーン

イタリア旅行に行く前に、腕時計が止まってしまいました。いつものことながら電池切れだと思い、三越デパートの6階にある時計売り場に行って、電池を交換していもらいました。

1500円でした。

その時、売り場の人が「大分、リューズにゴミが溜まっているかもしれません。今度、止まったら、一度分解して掃除したりして調べた方がいいかもしれませんね」と言うのです。そして「1万5000円くらいかかります」と付け加えました。

ちょっと、待ってください。その時計は、確か、1万円だったのです。大阪に住んでいた1989年頃に、量販店の「ジャパン」という、社長か誰かの太ったおっさんをアップにした顔が看板になっているお店で買ったのです。

「1万円の時計を1万5千円で修理するわけにはいかないなあ」と考える暇もなく、翌日、見事に、その時計はまた止まっていました。電池を換えても止まるということは、17年も使ったので、もう寿命なのかもしれません。

でも、翌日にはイタリアに出発しなければなりません。そんな時、偶然、昨年亡くなった父親の形見の腕時計があったのです。高価ではない、というより、はっきり言って安価なものですが、私にとっては思い入れのある時計です。

この時計をはめて、イタリア旅行を敢行したのです。

ところで、物欲のなくなったT君は、外国に行くというのに、時計さえしてこなかったのです。既に質に入れたのか、最初から持っていなかったのか、聞きそびれました。

そういえば、彼は用もないのに、「今、何時ですか」とイタリア語で声をかけて、イタリア人と会話の練習をしていました。

「物なんて、何もなければ、それで何とかやっていけるものだよ」という自分の言葉を実行しているようでした。

 

偶然

昭和新山

昨夕、銀座の松屋デパート付近でばったり、偶然、十勝毎日新聞社の林光繁社長と会いました。何しろ、1200万人もいる大都会のことですから、1分1秒、時間ずれていたら、全く分からず、すれ違っていたでしょう。

林社長がわざわざ帯広から出てこられたのも、10月10日に銀座コリドー街にオープンするレストラン「十勝屋」の準備のためでした。

パンフレットも戴きましたが、ターゲットとして「自分のライフスタイルにこだわりをもつ、比較的可処分所得の多い人」とありました。残念ながら、私は、そういう人に当てはまらないのですが、いつか、行ってみようかと思っています。

場所は、東京都中央区銀座6-2 コリドー街 です。