脅迫メールを公開します!

本文と写真は関係ありません

最近、迷惑メールが異様に多くなりました。1日100本以上も来るので唖然としてます。

しかし、今日来たメールはあまりにも悪質なので、全世界に公開することにしました。

私は、なーにも情報サイトに登録していないので、すぐに単なる脅迫、詐欺だと分かりました。

身に覚えがある皆様も、ない皆様も、こんなもんが来たら、無視しましょう!

所詮、犯人は、羞恥心も罪悪感も自尊心も法律知識もない無知で軽薄で卑劣な物体です。

以下、アドレスinfo@enIjJgFPI8qohJO.gen7u8jazwgE.link
から来た脅迫メールです。

【解約処理並びに滞納発生通知書(最終通告)】

13p4F
解約処理についての大切なお知らせ

現在お客様においては、提携情報サイト(S;N,S・ニュースサイト・有料アプリ・懸賞サイト・占い番組・アダルトコンテンツ等含む)に登録をされ、2週間の無料期間中に解約処理を行わなかったために、サイト継続の利用意思があるとみなされ、月額の情報サイトの利用料金、並びにサポート費用等が発生し、それが未払いの状態になっており滞納金として【978,650円】をお支払頂かなければいけない状態になっております。

お客様においては、サイトは利用してない、間違って登録をしてしまった等の理由があると思われます。
ですが、実際に何度も運営元がお客様に対して再三に渡り連絡をしたのにも関わらず、そのまま放置され、現在運営元が原告となり民事訴訟並びに刑事告訴を行いました。

今回運営元から弊社に依頼をし、お客様に対して解約処理を行った場合は、現在発生してる滞納金を全額免除にし、訴訟等を取り下げると言うことで依頼を承っております。

本来でしたらお客様ご自身で退会処理手続きを行うことが可能なのですが、滞納金が発生しておりますので、現時点においては、解約処理を行うことができない状態になっております。

つきましては、解約処理を希望する場合は、弊社が代行依頼をお客様から受けまして、解約処理手続きを行いますが、先日解約申請をされたのにも関わらず、その後連絡がない状態で、登録情報の照合ができてない状態です。

もし、現在発生してる滞納金【978,650円】を全額免除にし、個人情報の削除等を希望される場合は、速やかに【解約申請再開】と本通知に記載して頂きましてご連絡下さい。

※重要※
尚、弊社に【解約申請再開】の申請をされましたら、折り返し弊社から連絡をし、手続きを行います。
もし、そのまま放置された場合は、解約申請が破棄となりまして、解約処理手続きを行うことができませんのでご了承下さい。

万が一放置されましたら、民事訴訟並びに刑事告訴を運営元が行いますので必ずご連絡頂けますようお願いします。

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渓流斎ブログ、昨日のアクセス数が第22位とは!怖い、恐ろし過ぎる…

菜花散歩道

【4月26日のアクセス数】
閲覧数=5,028PV 訪問者数=3,873IP 順位=22位

えーーーー!?

何かのま、ま、間違いではないでしょうか。

御覧の通り、昨日のアクセス数が第22位だったとは!閲覧のペイジビュー(PV)も5028? ありえない!普段のPVは250~350で、順位は6000位~7000位ですからね。

史上最高値ながら、お~コワ~

何かあったんすか?

昨日取り上げたオノ・ヨーコさんの威力だったんでしょうか?

恐ろしい有事になったものです。

ま、今日も平常心でいきましょう。(スポーツ選手か?!)

今村復興相発言を逆手にとって、昨日からツイッターで「東北でよかった」というハッシュタグで、東北の素晴らしさを発信する人が増え注目されているそうですね。

綺麗な三春の桜や、美味しそうな盛岡冷麺の写真などが投稿されています。

正直、あたしは、ツイッターは個人サイトみたいなもんはあるものの、波長が合わないといいますか、はっきり言って読みづらいので、殆ど見ないのです。

しかし、この渓流斎ブログは、ツイッターと同期しているので、投稿するとツイッターにも掲載され、恐らく、昨日はそれでアクセス数が増えたのかもしれません。(でも、いつも同期してるんですが)

ところで、渓流斎の先祖は、久留米有馬藩の御舟手役とかだったらしいので、オリジンは九州人です。

しかし、おなじ佐賀九州人の今村・前復興相とは違い、東北に対する愛着度は何百万倍もあります。

そもそも、この渓流斎という雅号は、釣りとは関係なく、青森県十和田市の「奥入瀬渓流」から拝借したものだということは、長年の愛読者の皆さまは既にご存知でしょう。

しかし、渓流斎ブログは秘密結社のように(笑)、体制批判のスタンスでやっておりますから、あまりアクセス数が多くなると、共謀罪に引っかかるのではないかという懸念がありまする(笑)。

誰も読んでいないと思えば、気楽に書けるのに…と、内心喜んでおきながら、早くも天邪鬼ぶりを発揮してます。

それにしても、恐ろし過ぎる…

休息のすすめ

東京スカイツリー

春先は大気が不安定で、天気の移ろいも激しい。人間も同じかもしれません。

先週は、帰宅の通勤時間帯に、人身事故が、木曜日と金曜日の二日連続起きまして、さすがにウンザリしました。

ダイヤが乱れ、時間調整のために、駅で何度も何度も停車したため、倍近く帰りの時間がかかりました。

混雑も半端ではありませんでした。
電車から駅に降りたら、人相の悪い餓鬼に小突かれて、危うく転倒しそうになりました。

民度の低い所に住んでいるので致し方ありません。

地方では過疎化、限界集落となり、商店が軒並みシャッターで閉じられてしまっているというのに、一極集中のお陰で、首都圏の過密と混雑は異様です。

新年度、新学期が始まり、五月病が増える来月は、恐らく、今以上に人身事故が増えることでしょう。

何かいい対策、解決策はないものか…。

東京日比谷

偉そうなことは言えませんが、気が重い場合、どうしようもない場合、心が風邪をひいたと悟って、思い切り休んだらどうでしょうか?

1カ月ぐらい休んでも、どうってことはないと開き直ったら如何でしょうか。

しかし、思い詰める人に限って、「自分がいないと仕事が進まない」「周囲に迷惑を掛ける」と気ばかり焦ることでしょう。

でも、「周囲に迷惑を掛ける」という気持ちが少しでもあれば、わけが分からなくなってしまう前に、思い切って休む方が得策です。

老婆心ながら、経験者は語る。

駅で小突かれて転倒しそうになった時、昔なら頭に血が上って反撃したかもしれませんが、異様に冷静で少しも腹が立ちませんでした。むしろ、可哀相にと思いました。

自分でも不思議でしたが、歳を取るのも悪くないと思いました。

自分さえ良ければ、人を押しのけてでもよいという考えの加害者にはいつか報いが来ることを経験の上で知っているからです。

犯人に間違えられた話

銀座

日本は少子高齢化で、この先、景気が低迷して、近い将来、もはや経済成長が見込まれないアジアの小国になると識者は予想してます。

しかし、生活のため、都会に出稼ぎに出てきますと、そんなこと、あまり感じられませんね。

都心の駅は、とにかく人、人、人でいっぱいですからね。電車内も立錐の余地もなく立ちっぱなしです。鬱陶しいと言ったらありゃしまへん。

昨日の夕暮れ。帰宅を急ぐサラリーマンや天下りした文科省の元役人に混じって、混雑する駅の構内を蟻の兵隊のように順列縦隊で歩いていたら、右横斜め前を歩く中年女性の肩がけのツーウェイバッグのチャックが半分ぐらい開いているのが目に飛び込んできました。

貴重品が入っていなければ、別に大したことなく、もしかして、格好良いと思って開けているのかもしれませんが、スリの多い諸外国ではまず考えられません。

どうしようかなあ、と思って、彼女の方をチラッと見たところ、たまたま目と目が合ってしまったので、「チャック開いてますよ」と声を掛けてあげました。

そしたらどうでしょう。

そのオバハン(もう女性ではなく)は、キッとこちらを睨み返し、まるで私がチャックを開けた犯人か痴漢であるかのような扱い方をするのです。

呆れましたよ。

見て見ぬフリでもすればよかったのでしょうか?

だから、都会を彷徨く田舎もんは嫌いです。

海城高校の同窓会

中国 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨晩は、母校の東京・新大久保の海城高校の同窓会に久しぶりに参加し、二日連続の痛飲で、どうやって帰宅できたのか覚えておらず、またもや二日酔い。遊びまくってます。

場所は、新宿御苑にほど近い「北海亭」という居酒屋で、アジフライと貝スキが名物らしく、驚くほど美味のメニューでした。どうやら、早稲田大学のボート部・OB連中のたまり場らしく、奴らはこんなうまいもんを食べているから、体力勝負の闘いを乗り切れるのだと納得しました(笑)。

担任だった目良誠二郎先生の御来駕で、色々と話が盛り上がりました。先生は73歳でまだ若々しく、他人が見れば、どっちが先生で、どっちが生徒か分からないほど逆転してしまいました。

何しろ、卒業して42年も経つんですからね。

昨日は、本当に卒業して以来一度も会ったことがなかった友人とも会いました。42年ぶりだというのに、心は高校時代にスイッチが入ってしまっていますから、そこら辺の悪ガキと全く変わらず、「おい」「おまえ」「馬鹿野郎」と言いたい放題でした。

 中国 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

個人情報ですから、どしどし、渓流斎ブログに載せよという声はありませんでしたが、ほんの少し御紹介しますと―。

今回幹事役を務めてくれた某有名女子高の教頭先生になった金澤大君。

中谷元防衛相と防衛大時代同期ながら途中でやめて、国立大歯学部に入り直して博士号まで取得して、北海道旭川で巨大な歯科医院を経営している林俊輔君。東京の下町で薬局店を開業している平田高司君。青森弘前の病院で理学療法の技師長になったタコこと小島俊夫君。文化系だったのに理系に転向したこの3人は凄いと思います。

ズバリ当たる本も数冊出している経済評論家の岡本昌巳君。彼は高校時代から長編小説を書き作家を目指しておりました。

鉄道系に入った磯淳二君と北川勉君。あ、彼らには、牧久氏の「昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実」(講談社)を読むように勧めるのを忘れてしまいました。

プロのミュージシャンになった佐藤史朗君。アコーディオン奏者としてのコンサート活動のほか、舞台音楽も作曲しているとか。

銀座(安藤組が横井英樹を襲撃したビルの近く)で宝飾店を経営している田中英夫君。病気が完治してよかった。

商社マンとして活躍している斎藤正明君と菅谷元一君。斎藤君は社長さん、菅谷君は室長さん。

色々あって造園設計の社長さんになっていた一番騒がしかった惣田俊司君。彼とは42年ぶりに会ったというのにいきなり「おまえ馬鹿野郎」ですからね(笑)。次回の幹事に決定しました。

以上、私と先生を含め全部で14人が参加しました。クラスは50人でしたから、多いのか少ないのか、まあ、こんなもんでしょう。

 中国 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

皆、お爺さんになって、偉い社長さんになっても、「おい」「おまえ」「馬鹿野郎」の3語で話が通じ、しかも、40年以上のブランクがあるのに、それさえ感じさせないというところも凄いところです。

高校の同窓会のために、わざわざ北海道や青森から東京にまで出てくるんですから、ブログに書き甲斐があるというものです(笑)。

まあ、本当は、皆さん、山あり谷ありの人生で、色々問題を抱えたり、新聞に出るような問題を起こしたりした人もおりましたが、いずれも、どこにでもあるような社会の縮図で、とにかく健康で穏やかに過ごせることが一番です。2次会でカラオケ店に寄って、来年の再会を約して別れました。

次の幹事は惣田だけど、大丈夫かなあ?(笑)

京洛先生を囲む会

霞が関

昨晩は、久し振りに痛飲し、翌日は二日酔いで半日は使いものにならず(笑)。

京洛先生が京都から東下りされて、彼を慕って集まった人雲霞の如く。まさに、仕事も取引先とも監督官庁でもないのに、老若男女が16人も参集しました。

東京・内幸町のプレスセンター地下にある「おか田」という焼鳥店でしたが、10人の予約なのに、後から後からいらっしゃるもんですから、花金のせいで座る席もなく、立っても執念深く呑み続ける方もいらっしゃったか、いらっしゃらなかったのか、群衆にまみれて確かめようもありませんでした。

昔のプレスセンターの地下は、呑み屋さんや喫茶店だらけでしたが、驚いたことに、今では飲食店は、この「おか田」のみ。あとは、眼医者とか歯医者さんだらけになってしまい、つわものどもが
夢のあとを感じました。

飲み会には、「破(わ)れ鐘三羽烏」と呼ばれる声が半端じゃないくらいどデカイ三人衆が集まったものですから、この3人による独演会となりました。

まあ、他愛のない話です。単に普段の欲求不満を解消するような与太話ですが、早晩、こんな与太話も共謀罪法の成立で、何もできなくなるかもしれませんね。

皆さん京洛先生を通じて集まったものですから、どういう繋がりあるのか、京洛先生のみぞ知るという感じで、こんな与太話会が30年以上も続くこと自体、奇跡に近いと言えます。

私は、破れ鐘どもの聞き役に徹しておりました。後で、森友学園問題の鍵を握るノンフィクション作家の菅野完さんとフランス大使館の近くで本当に偶然にお見かけした話でもすれはよかったかなあ、と思いました。

参集された方は、殆どこのブログを読まれていないでしょうからね。

それにしても、あれは本当に凄い奇遇だったなあ、今思い出しただけでも、武者震いがしてきます。

ナンデ…(笑)。

河上園十郎丈の舞台復帰

伊太利亜サンジミニャーノ

昨晩は、大雨氷雨が降る中、都内の会員制サロンで開催された「河上園十郎丈全快、もとい半快祝賀会」に参加してきました。

大雨のせいか参集したのは意外と少なく、焼津の半次、権之坂の与兵衛、清水谷の菊之丞、赤坂不動尊…といった面々。いつものことながら、8人ほどが三々五々、バラバラに来るものですから、舞台から奈落に転倒する事故を起こした河上園十郎丈は、その度に同じ経過説明をしなければならず、「もう、ええ加減にせい!」と最後は匙を投げておりました。

伊太利亜ローマ

それはそれは、見事な箝口令でした。その場にいた面々の殆どが、園十郎丈の転落事故を知らず、「えっ?本当?知らなかった」「でも、酒なんか呑んでええのかえ?」「天罰が当たったの?」「なるほど、厄年だったとは…」などと皆さん言いたい放題でした。

それにしても、今も頭部に残る痛々しい傷跡。安藤昇さん並みに執刀して内出血を取り除いて30針も縫ったそうで、しかも、手をついた右手首も骨折して、チタン合金が中に埋め込まれたそうです。

これで園十郎丈も見事に筋金入りの男となりました。

事故が起きたのは、昨年12月15日。何が原因で、何処の病院に運びこまれたのか、園十郎丈は、口が裂けても真相を語ろうとしませんでした。

伊太利亜ローマ

そのおかげで、憶測が憶測を呼び、「女難説」「多額の借金説」「座頭社中人事権力闘争説」「単なるぼんやり説」などが浮上しては消えましたが、やはり、最後まで真相は不明でした。

しかし、舞台にも復帰して、今では笑い話で済むことになったので、まあ、万事めでたしで良かったのではないでしょうか。

ついでながら、園十郎丈は「渓流斎の野郎だけには絶対に喋らない」と、年甲斐もなく最後まで突っ張っておりましたが、まあ、何も書きませんから、ご安心下さい。

これだけでは、何が起きて、何があったのか、小生を含めて誰もさっぱり分かりませんからね。

兎に角、人気者の河上園十郎丈のことを皆んな心配してた、ということですよ。

半快おめでとう。

あれから40年…

さきたま古墳公園

綾小路きみまろの決まりセリフに「あれから40年…」というフレーズがあります。

昨晩は、その奇妙な40年に気が付きました。

40年前、学生だった私は、色んなアルバイトをしました。中でも鮮烈な記憶として残っているのが、出版卸しの作業工場です。

もう今ではなくなったと思いますが、当時、東京・飯田橋の駅近くに日販の工場がありました。出版社から集まってくる書籍や雑誌を梱包して、全国の本屋さんなどに配送する現場でした。

雑誌なら30冊くらいを1単位として、硬い油紙のような紙に包み、非常に硬いプラスチック製のテープで、機械で一瞬にして梱包する単純作業でした。

雑誌などは、ベルトコンベアで流れてきて、休む暇もありません。皆んな黙々と作業をしています。学生バイトは、梱包された雑誌を所定の位置に運んだり、補助的な仕事を担当しました。

これを見て、チャプリンの映画「モダンタイムス」を思い出しました。チャプリン扮する労働者は、ベルトコンベアから流れてくる部品のネジを締めるだけの単純作業で、疲れて休んだりすると、次の人に影響が出て大変。何しろ、大型スクリーンで経営者が時々監視したりします。

公開は、1936年です。何と、2・26事件が起きた大昔です。考えてみたら、私もその流れ作業を体験したのは、今から約40年前の1976年だとすると、そのちょうど40年前に当たるではありませんか。

1976年に若者だった私は、その40年前の1936年の出来事は、戦前の大昔のことで、当時と繋がりはなく、戦前と戦後ことなので、遠い過去の出来事で、全く断絶したものだと誤解しておりました。

それがどうでしょう。

さきたま古墳公園

歳月を経たとはいえ、今から40年前に体験した流れ作業は、鮮やかに思い出すことができます。名前は忘れましたが、40歳代後半と思しき、髪の毛にポマードを付けてオールバックし、少しキザっぽい、遊び人のような労働者。そんな人が、昼休みになると、おにぎり二つを食べて、長椅子に寝っ転がって熱心に新聞を読んでいた姿をありありと思い出すことができます。

「あれから40年…」となると、自分が生まれる前と生まれた後では感覚が違うということなんでしょうか。

最近、作家三島由紀夫の未公開秘蔵インタビューテープが見つかったということで話題になっていますが、この中で三島は面白いことを言ってます。

生まれる前は、死は外側にあったのに、生まれたら、死は内側に入ってきた、と。

三島らしい繊細で鋭利な表現です。

この三島の記事を読んで、40年前の若い頃、そのまた40年前の自分が生まれる前のことに思いを巡らしたわけなのです。

キネマ旬報の謎

伊太利亜ヴェニス

本日は、単なる個人的な日記です。

昨日は、Kさんの御見舞いに御茶ノ水にある杏雲堂病院まで行ってきました。

この病院は、明治15年に佐々木東洋によって開業された歴史のある病院でした。

京都からお見えの京洛先生、うまずいめんくい村の赤羽村長との3人で訪れ、この後、神保町まで歩き、ナウいアベックで人気の「ラドリオ」でお茶でもしようかと思ったら、アッジャッパーでした。そのまま、そこから歩いてすぐ近くの「さぼうる2」に行くことに。隣の「さぼうる」は、名物ランチを求めてお上りさんの長蛇の列でした。さぼうる2では、朝からビール。

この後、有名な艦長さんと合流し、お昼を食べに江戸前の「神田 餃子屋」へ。黒豚餃子、野菜餃子、酢豚、焼飯などなどにビール、酎ハイで、お腹いっぱい。これで1人2000円は安い。

伊太利亜ヴェニス

帰路、省線御茶ノ水駅近くのミルクホール「デリフランス」で、食後の紅茶。私はアッサムを所望。432円。

博覧強記の京洛先生から、何の繋がりか、キネマ旬報の社長も務めた上森子鉄(かみもり・してつ)の話になり、「白黒戦争」?なるものを初めて聞きました。

上森子鉄(1901~89)とは?
別名上森 健一郎。金沢市出身。大正2年、松ケ枝尋常小卒。大正・昭和期の編集者。キネマ旬報社長。日本競馬新聞協会会長。
苦学しながら大正8年、菊池寛の通い書生となる。昭和2年「文芸市場」を創刊。文芸資料研究会にも参加し、性文献の刊行に貢献。戦後、キネマ旬報社社長、現代評論社取締役も務めた。また、三菱グループなどに影響力を持つ総会屋としても活躍した。

と、ありますね。上森は「大物総会屋」としての方が有名ですが、本人は、鎌倉商工会議所の会頭を務めたりしたため、「自分は総会屋ではない」とキッパリと否定していたようです。

キネマ旬報は、1919年に今の東工大の学生によって、創刊された日本で最も古い映画誌です。戦時中の1940年に戦時統制のため休刊しますが、50年に復刊します。

今では、「キネマ旬報ベストテン」などが斯界の権威となり、清廉なイメージがありますが、1977年、いわゆる「キネマ旬報事件」が起きます。当時の白井佳夫編集長(後に映画評論家)が、ルポライター竹中労の連載モノ「日本映画縦断」の掲載を巡り、打ち切りを宣言する上森子鉄オーナーと対立し、編集長を解任されるのです。

伊太利亜ヴェニス

ところで、私の住む自宅アパートは、ベランダの目の前が竹林で、京都のように大変風情のあるということで、非常に都心から離れて不便な所ながら、居住することにしたのですが、それが、昨日、あっという間に、この風光明媚だった竹林が全て刈り取られてしまったのです。

どうやら、持ち主の地主さんが、相続税対策として土地を手放さなければならなくなったものと推測します。この地主さんは、とても良い方で、このアパートに引っ越す前に、「竹林をそのまま保存されるかどうか」尋ねてみたところ、「売るつもりはありません」と応えてくれたので、もう四半世紀以上前の大昔ですが、引っ越す決断をしたことを覚えています。

恐らく、御主人が他界されたのでしょう。だから、「竹林は売らない、と言ったのに、話が違うんじゃないですか」などと言うつもりはありません。ただ、風情もない宅地になってしまうのが残念ではありますが。

でも、この竹林が伐採されたせいで、視界が随分開けました。驚いたことに、こんな田舎なのに、これまで竹林に隠れていたスカイツリーが見えるようになったのです。

スカイツリーから自宅は見えませんが、へーと思ってしまいました。

つる人、2017年の渓流斎の運命

寿司幸

昨日の帰りの通勤電車の中で、左胸と左腕の付け根辺りの筋肉がつってしまい、5分近く激痛に苦しみました。

生まれて初めての体験(笑)。

何てことはないのです。立っていて、あるターミナル駅で、前方右手の席が空き、右隣の人もその駅で降りたので、その席に座ろうとしました。

網棚からカバンを降ろして、ちょっと身体を捻ったかな、思った瞬間、ギクっと鈍い音がして、左胸の辺りがつってしまい、肉離れのような激痛が走ったのです。

真冬ですから、オーバーを着込み、狭い車内ですから、身動きも取れません。本当は、ストレッチでもして、痛みを拡散したかったのですが、それすらできません。

涙目で、痛みを堪え忍びました。

伊太利亜ヴェニス

仕方がないので、家に帰って、今年の渓流斎の運気を調べてみました。

【渓流斎2017年の運気】
2017年のあなた人生の運気の流れは、現状から見ると、最終的にはあなた自身が自分の夢や目標を達成することができます。しかし、それまでの道は苦難の連続になるでしょう。茨の道を歩み、ゴールまで辿り着くためには、並大抵ではない覚悟が必要です。

(ゲっ!今さら、茨の道とは!)

意志の強いあなたでも、時には挫折してしまいそうになることがあるでしょう。もしそこで挫折してしまえば、その時点で終わりです。

(ご愁傷さまでした)

逆に、どんな苦境に立たされても、希望を捨てずに歩み続けていけば、あなたは必ず自分の夢をつかむことができます。挫折しそうなほどの苦難に見舞われたときこそが、あなたの人生の分岐点と言えるでしょう。

ですから、どんなときでも諦めずに、前向きな姿勢で物事に取り組んでください。その過程には多くの苦労がありますが、その苦労と努力に見合っただけの結果を得ることができるでしょう。

(へー、なるほど。そうなんですか)

伊太利亜ヴェニス

【あなたの成功への道】
仕事面では、なかなかあなたの努力が報われない時期が続きます。不器用なあなたですから、どうしてもうまく立ち回ることができません。

(確かに、その通り…)

しかし、最終的にはあなたのひたむきさや真面目さ、そして、仕事に対する情熱が正当に評価され、それが結果へと繋がっていきます。

(あれっ?何でご存知?)

将来的に大きな富を築くような成功を収めるわけではありませんが、少なくともあなたは自分の夢を実現させることができるでしょう。

(何か、中途半端だなあ…)

あなた自身、それを一番望んでいるはずです。夢が実現されれば、あなたの人生は充実したものになるでしょう。

(うーん、よく分からないし、一番望んでいるわけでもないのになあ?)

伊太利亜ヴェニス

【あなたの運気を上げる最良の方法】
あなたの運気を上げるための最良の方法は、とにかく物事を考えすぎないことです。あなたは自分にコンプレックスを抱いているため、何事に対しても後ろ向きな気持ちを持ってしまう傾向にあります。

(コンプレックスとは、何と古い言葉=笑)

しかし、後ろ向きな気持ちが状況を好転するわけではありません。むしろ、あなた自身の行動そのものに悪い影響を与えてしまいます。

(マイナス志向のことですかね?もう、あまり、そんな精神論は流行らないと思いますけどねえ)

ですから、難しく考えることはやめて、気楽に過ごすことを心掛けてください。自分を信じて幸せをつかみとり、失いかけた自信を一緒に取り戻しましょう。

(一緒に?貴方は誰ですか? でも、仰ること分かりますよ。今年のモットーは、「気楽」にしますか!)